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【空間】

★1a.小さな口の中に大空間がある。

『バーガヴァタ・プラーナ』  牛飼いナンダの妻ヤショーダーが、愛しい息子クリシュナに乳をふくませていた。乳を飲み終えたクリシュナがあくびをすると、その口の中に、空・星・太陽・月・海・山など全宇宙が見えたので、ヤショーダーは仰天した〔*実はクリシュナは、ヤショーダーの子ではなかった〕→〔取り替え子〕1a

『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」  聖仙マールカンデーヤが、クリシュナの化身である少年の口中に吸いこまれる。腹の中に入ると、そこに都市・王国・山々・神々・人・動物など、全世界が現出する。マールカンデーヤは数百年間過ごした後に、口から吐き出された。

★1b.ポケットの中に大空間がある。

『影をなくした男』(シャミッソー)  青年シュレミールは園遊会で、長身痩躯の年配の男に出会う。男は灰色がかった燕尾服のポケットから、人々の望みに応じて、望遠鏡・トルコ絨毯・テント・馬三頭などを、次々に出す。男は悪魔であり、シュレミールに「あなたの影をゆずってほしい」と申し出る→〔交換〕2

★1c.小さな球体の中に原寸大の宇宙空間がある。

『アレフ』(ボルヘス)  「わたし(ボルヘス)」は友人カルロスの家の地下室の暗闇で、アレフを見せられた。それは直径二〜三センチの玉虫色に光り輝く球体で、宇宙空間がそっくり原寸大のまま、そこにあった。「わたし」は、地球のあらゆる場所と人々を、あらゆる角度から見た。広大な砂漠と、砂粒の一つ一つが、同時に見えた。昼と夜、黎明と黄昏が、混じり合うことなく共存していた。それは思量を絶する世界だった。

*壺の中に大宇宙が入ってしまう→〔宇宙〕4の『壺』(星新一)。

*壺の中の大空間→〔壺〕2の『後漢書』列伝第72「方術伝」、『仙境異聞』(平田篤胤)上ー1。

*小さな部屋の中の大空間→〔部屋〕5の『今昔物語集』巻3−1。

*仏の掌の中の大空間→〔掌〕7の『今昔物語集』巻15−1など。

★2.大山を芥子粒に入れ、大海を毛穴に入れる。

『維摩経』第6章  維摩居士は説いた。「菩薩が『不可思議解脱』という悟りを得ると、広大な須弥山(しゅみせん)をそのまま、小さな芥子粒の中に入れることができる。須弥山の大きさは変わらず、諸天の神々は、自分たちがどこに入れられたのか気づかない。四つの大海の水を、一つの毛穴に入れることもできる。魚類も、龍・鬼神・阿修羅も、自分たちがどこに入れられたのか気づかない」。   

★3.小さな頭の方が、日本より広い。

『三四郎』(夏目漱石)  三四郎は、郷里の熊本から初めて東京へ行く汽車の中で、広田先生と出会った(*→〔皮膚〕2)。広田先生は「日本には、富士山よりほかに自慢するものは何もない」と言う。三四郎が「しかしこれからは、日本もだんだん発展するでしょう」と弁護すると、広田先生は「亡びるね」と断じた。そして、「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より頭の中の方が広いでしょう。囚われちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって、ひいきの引き倒しになるばかりだ」と説いた。

★4.二次元の平面空間に住む「わたし」。

『二次元の世界』(アボット)  「わたし」は、二次元世界に住む正方形だ。ある時、三次元世界から球が訪れ、「わたし」は球に連れられて、未知の方向である「上」へ向かう。「わたし」は二次元世界を見下ろす経験をし、初めて「高さ」というものを知った。この上には、さらに四次元、五次元、六次元・・・という世界も、存在するに違いない。「わたし」は二次元世界へ戻り、円や多角形たちに、三次元世界の実在を説く。そのため「わたし」は、刑務所に入れられてしまった。

★5.もしも、地球や月が二次元平面上の存在だったら、三次元世界から自在に操作できるだろう。

『「タルホと虚空」』(稲垣足穂)  フランスの航空学者ペルテリー氏が月へ行く機械を発明した、との夕刊記事があった。「私(タルホ)」の友人オットーは、「ぼくにはもっと斬新な方法がある」と云って、卓上にあった紙片の両端に月と地球とを描き、紙を折りたたんで、両者を幾何学の証明のように重ね合わせてしまった。

*→〔千里眼〕1の『デイヴィドソンの不思議な目』(H・G・ウェルズ)でも同様に、紙を折り曲げて、千里眼現象の原理を説明する。

★6.空間の起源。

『レ・コスミコミケ』(カルヴィーノ)「ただ一点に」  宇宙にまだ空間がなかった頃、全存在は一点に凝集していた。「わし(Qfwfq)」もそこにいた。ある時、Ph(i)Nko夫人が「ほんのちょっとの空間があれば、皆さんにおいしいスパゲッティをこしらえてあげたいわ」と言った。皆が「空間」というものを思い浮かべた瞬間、一点は、何百光年、何万光年、何十億光年の距離に拡がり、「わしら」は宇宙の八方へ投げ出された。 

*巨人が天地を分けて空間を作った、という話もある→〔天地〕4のアーマンチュウメーの足型(沖縄の民話)など。

*宇宙の起源→〔宇宙〕9aのドゴン族の宇宙創成神話(『アインシュタイン・ロマン』第4巻第3章)。

★7.虚無の宇宙空間。

『狼疾記』(中島敦)  三造が小学四年生の時、担任の教師が、未来の地球の運命について話したことがあった。地球が冷却し、人類が滅びるばかりではない。何万年か後には、太陽も冷えて光を失い、真っ暗な空間を、黒い冷たい星どもが、誰にも見られずに、ただぐるぐると廻っているだけになってしまう。それを聞いて、三造はたまらなくなった。人類が無くなったあとの、無意義な・真っ黒な・無限の時の流れを想像すると、恐ろしさに堪えられなかった。

*果てしない空間を永遠にさすらう思惟→〔夢と現実〕4bの『不思議な少年』(トウェイン)。

 

 

【空間と時間】

★1.空間と時間とは別のものではない。

『タイム・マシン』(H・G・ウェルズ)  「ぼく」の友人の時間飛行家は、「時間は空間の一種にすぎない。時間は空間の第四次元なのだから、われわれは空間を移動するのと同様に、時間も移動できるはずだ」と語る。彼はタイム・マシンを作り上げ、未来世界へ旅立って行った→〔時間旅行〕1a

『精神科学から見た死後の生』(シュタイナー)「死者との交流」(2)  超感覚世界では、本当に時間が空間になって、あたかも空間中のさまざまな地点のように、あちらこちらに時間が存在している。時間は過ぎ去らず、ただ空間的に遠いか近いかという状態なのだ。この講演会場と、皆さんのお宅とは離れている。同様に、超感覚世界では、現在と過去が離れている。皆さんのお宅は、ちゃんと存在している。そのように、超感覚世界では、過去は消え去らずに存在している。 

*空間的に遠い所に見えることがらを、実現までに長い時間がかかる、と解釈する→〔水鏡に映る未来〕1の『古今著聞集』巻7「術道」第9・通巻297話。    

★2.上へ登ると未来へ行き、下へ降りると過去へ行く。

『時間に挟まれた男』(シェクリイ)  ジャックが下宿の部屋を出て階段を降りると、そこは先史時代で、棍棒を持つ原始人がいた。彼はあわてて部屋に戻り、タンスの上へ登ってみると、そこは未来社会で、汚染された大気の中に大都市があった。ジャックはもう一度先史時代へ降り、原始人の棍棒を持ち帰って、下宿の家主に状況を説明する。その頃、宇宙の管理局が、時間の割れ目を修復すべく工事を行なっていた。修復が完了した瞬間、家主は棍棒を持ったまま消えた。ジャックは無事だった。 

★3.時空間を見る。

『スローターハウス5』(ヴォネガット)  ビリーはトラルファマドール星に誘拐された(*→〔空飛ぶ円盤〕2)。彼は言う。トラルファマドール星人は、個々の星の過去から未来までの位置を、すべて見わたすことができる。それゆえ彼らの眼からは、宇宙空間は、光るスパゲッティに満たされているように見える。人間は、一端に赤ん坊の足があり、他端に老人の足がある、長大なヤスデのように見える。 

★4.劇が演ぜられる舞台上では、空間と時間は自在に転換する。

『パルジファル』(ワーグナー)第1幕  聖杯城近くの森の中。旅の若者パルジファルが森に迷い込んで、聖杯守護騎士団の長老グルネマンツと出会う。グルネマンツがパルジファルに語りかけるうちに、舞台背後では、森から聖杯城へと少しずつ場面が転換する。パルジファルが「あまり歩いていないのに、もう遠くへ来たような気がする」と言うと、グルネマンツは「ここでは時間が空間に変わるのだ」と教える。  

 

※円環状に曲がった空間→〔円環構造〕7の『長い部屋』(小松左京)。

※歪(いびつ)な空間の中の箱→〔箱〕1の『東洋更紗』(稲垣足穂)「ロバチエウスキイの箱」。

 

 

【空間移動】

★1a.遠く離れた空間に瞬時に移動する。テレポーテーション。大阪から九州まで行く、という物語がある。

『宇治拾遺物語』巻1−17  修行者が、津の国の古寺に宿をとったところ、夜中に百人ほどの、鬼のような化け物たちがやって来て、堂内に集まった。一つ目の者や、角の生えた者など、皆、恐ろしい姿をしている。彼らは「座る場所が足りないから」と言って、修行者を堂の縁の下に移す。翌朝になって見ると、そこは津の国から数百キロ以上離れた肥前の国であった。

★1b.江戸から九州へ空間移動する。

『夜窓鬼談』(石川鴻斎)下巻「滝蔵」  十六歳の少年滝蔵は、江戸深川の野口家に奉公し、弁財天を信仰していた。ある日滝蔵は、出会った老僧に布で顔を覆われ、十歩ほど歩かされると、鹿児島の武家の屋敷に来ていた。彼はしばらくの間、武家の養子になって暮らした。数ヵ月後、滝蔵は屋敷の庭にある弁財天の祠に祈り、その場で眠って目覚めると、江戸の野口家に戻っていた。

*江戸から常陸へ空間移動する→〔壺〕2の『仙境異聞』(平田篤胤)上ー1。

★1c.瞬間移動するかもめ。

『かもめのジョナサン』(バック)  長老かもめのチャン(張)がジョナサン(*→〔飛行〕15)に教える。「どんなに高速で飛んでも限りがある。完全なるものは限界を持たぬ。完全なるスピードとは、即、そこにあるということだ」。チャンの姿が消え、一瞬のうちに、十五メートルほど離れた所に現れた。ジョナサンは訓練を重ね、「本来の自己は限りなく完全なもので、時間と空間を超えて、いかなる場所にも直ちに到達し得る」と知って、チャンとともに未知の惑星へ瞬間移動した。

★2.身体全体が空間移動したのか、身体から魂が抜け出て遠方へ行ったのか、判別し難いことがある。

『譚海』(津村淙庵)巻の11(讃岐往還)  江戸の武家屋敷に仕える女房が、「故郷讃岐の母に逢いたい」と、金比羅権現に祈願する。ある夜、女房は行方不明になり、三日後に住居の屋根に立っているのを発見された。女房は「夢中のようにて讃岐へ行き、母に逢って帰って来た」と語った。讃岐からは、「女房が来て母と物語をしたが、やがていづくともなく姿を見失った」と言って来た〔*女房はどこか人目につかぬ所にこもり、魂だけが抜け出て讃岐へ行った可能性がある〕。

★3a.三由旬も離れた遠方まで手を伸ばす。

『今昔物語集』巻4−26  大乗仏法の素晴らしさを知った世親菩薩は、これまで大乗を誹謗してきたことを悔い、自分の舌を刀で切り捨てようとする。その時、世親菩薩の兄・無着菩薩は、はるか遠方にいながらも、これを見た。無着菩薩は、三由旬(*諸説あるが、数十〜百キロメートル前後と考えてよいであろう)離れた世親菩薩の所まで手をさしのばし、舌を切ろうとする手をつかんで、切らせなかった。

★3b.縮地法。

『西遊記』百回本第29〜31回  宝象国の王女・百花羞は、黄袍怪にさらわれ、三百余里離れた碗子山波月洞へ連れて来られる。しかし孫悟空が百花羞を救い、縮地法を使って、瞬時に彼女を宝象国の王宮へ連れ戻した。

*心理的な縮地法→〔道〕7の『ゴボン・シーア』(イギリスの昔話)。

★4.電気装置を用いて、物質を瞬時に遠方へ送る。

『鉄腕アトム』(手塚治虫)「透明巨人の巻」  花房理学士が物質電送機を完成させ、サカナ、ウサギ、ロボット、そして花房自身を、ウッズ博士の所へ送信する。ウッズ博士は花房に嫉妬し、受信機を壊してしまう。その結果、花房の身体にサカナ、ウサギ、ロボットの分子が混じり合い、彼は異様な姿に化した。花房はもう一度電送機に入り、宇宙空間へ消えて行く〔*一ヵ月後、宇宙探検隊がヒアデス星団を訪れ、サカナとウサギとロボットと人間の混じったような宇宙人に出会った。その宇宙人は日本語を話し、探検隊をもてなした〕。

*手塚治虫は、→〔蝿〕3の『蝿』(ランジュラン)にヒントを得てこの作品を書いた、と述べている。

『電送人間』(福田純)  仁木博士は立体テレビの原理を推し進め、映像ではなく物質そのものを遠方へ送る電送機を開発する。博士の助手だった須藤(演ずるのは中丸忠雄)が、電送機に入って空間移動し、仇敵である四人の男を殺す。軽井沢に住む須藤が自邸の電送機から、東京や甲府の電送機へ移動して殺人を犯し、すぐに自邸へ戻るのであるから、アリバイは完璧だった。しかし仁木博士が軽井沢の電送機を停止させたため、須藤は戻ることができず、死んでしまった。

★5.ワームホール(時空のトンネル)を通り抜ける。

『コンタクト』(ゼメキス)  女性科学者エリー(演ずるのはジョディ・フォスター)が、ポッド(一人乗り空間移動装置)で、二十六光年彼方のヴェガを目指す。ポッドは準光速で飛ぶはずだったが、ワームホールに入り、一気に銀河系の中心まで行く。彼女はそこで十八時間を過ごした後、地球へ帰還した。しかしその間地上では、ポッドの発射失敗から海面落下まで、一秒が経過しただけだった。人々は、「エリーの体験は幻覚ではないか?」と疑った。

★6.この宇宙から、他の宇宙へ飛ばされる。 

『発狂した宇宙』(ブラウン)  SF雑誌編集者キースのすぐ傍にロケットが墜落し、その衝撃で彼は、別の宇宙のニューヨークへ飛ばされた。そこは濃霧管制が敷かれ、アルクトゥールス星人と交戦中の、異様な世界だった(*→〔多元宇宙〕3)。キースは、もとの世界へ帰ろうと精神を集中する。彼は無意識のうちに、自分にとってより良い宇宙を選んだ。彼が戻ったニューヨークでは、キースは出版社のオーナーで、美しい恋人が彼を待っていた。 

★7.遠い空間を航行したはずが、もとの所に戻っていた。

『猿の惑星』(シャフナー)  乗員四人の宇宙船が、地球から約三百二十光年離れた未知の惑星に不時着する。生き残ったテーラー隊長(演ずるのはチャールトン・ヘストン)は、高度な知能を持つ猿たちに捕らえられる(*→〔逆さまの世界〕7)。テーラー隊長は脱出し、海岸をさまよううち、砂に半分埋もれた自由の女神像を見いだす。宇宙船は遠い惑星へ行ったのではなく、二千年後の地球へ戻って来ていたのだった→〔異郷の時間〕3

『惑星ソラリス』(タルコフスキー)   惑星ソラリスを調査すべく派遣された心理学者クリスは、外界(ソラリス)の研究どころか、内界(自らの心の奥底)と向き合わねばならぬ状態に追い込まれる(*→〔記憶〕10)。クリスはソラリス調査を断念し、地球へ帰還する。都会から離れ、緑に囲まれた懐かしい我が家には、父や愛犬がクリスを待っていた。その家は島の上にあり、島は、ソラリスの広大な海の上に浮かんでいた。

 

※どこでもドア→〔扉〕3aの『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)「強〜いイシ」。

※巨大な環をくぐると、宇宙の彼方の未知の惑星だった→〔輪〕3の『スターゲイト』(エメリッヒ)。

 

 

【空襲】

★1.空襲で家を焼かれる。

『薄明』(太宰治)  東京の三鷹の家を爆弾で壊されたので、「私」は、妻、長女(五歳)、長男(二歳)とともに、昭和二十年(1945)四月上旬、妻の里の甲府へ疎開した。六月に長女が結膜炎で失明状態になり、そこへ敵機が襲来して焼夷弾を降らせた。「私」は失明の子を背負って逃げた。家は全焼し、その数日後に長女の眼は治った。「私」は家の焼け跡を見せ、「兎さんも、お靴も、小田桐さんの所も、茅野さんの所も、みんな焼けちゃったんだよ」と説明する。長女は「ああ、焼けちゃったね」と言って微笑した。

『火垂るの墓』(野坂昭如)  昭和二十年六月五日。神戸はB29大編隊の空襲を受けた。清太の家は焼け、母は火傷を負って死んだ。父は出征中であり、中学三年の清太は四歳の妹節子とともに、西宮の遠い親戚の家に身を寄せる。しかしそこには居づらく、二人は近くの防空壕で暮らす。八月十五日に戦争は終わるが、二人には行く所もない。二十二日に節子は栄養失調で死ぬ。寺の隅で火葬すると、周囲を多くの蛍が飛んだ。九月二十一日深夜、清太は三宮駅構内で野垂れ死にした。

★2.空襲の夜の男女の出会い。

『防空壕』(江戸川乱歩)  東京が大空襲を受けた夜。市川清一は炎に包まれた町を逃げまどい、防空壕を見つけて中へ入る。豆電灯の光で見ると、思いがけずそこに一人の美女がいた。死と隣り合わせの状況の中、市川清一の情慾は異様に高まり、彼は美女と夢のような一夜の契りを結ぶ。実際は、女はうら若い娘ではなく、五十数歳の老婆だった。近眼の市川清一には、それが絶世の美女に見えたのである。彼が満ち足りた心で眠っている間に、老婆は立ち去った。

*空襲下の男女の出会い→〔橋の上の出会い〕4aの『哀愁』(ルロイ)など。

★3.女を連れて空襲から逃げる。

『白痴』(坂口安吾)  太平洋戦争末期。二十七歳の伊沢が間借りしている部屋へ帰ると、近所の人妻が押入れに隠れていた。美しい顔立ちの彼女は、白痴だった。伊沢は彼女と同棲する。昭和二十年(1945)四月十五日。大空襲があり、伊沢は白痴の女を連れて逃げる。川の傍の麦畑までたどり着き、女はかすかないびき声をたてて眠った。「この女は豚そのものだ」と、伊沢は思う。愛情などないが、女を置き去りにするだけの気力も、伊沢にはなかった。

★4.天から降って来て、町を焼き滅ぼす火。

『失われた時を求めて』(プルースト)第7篇「見出された時」  第一次世界大戦下のパリ。ソドムの男(男性同性愛者)であるシャルリュス男爵は、貴族社会との交際を断ち、男色者の集まる宿に出入りしていた。夜になると、しばしばドイツの爆撃機による空襲があった。男爵は「今夜はまさか警報はないだろうな。ソドムの住民のように(*→〔火の雨〕2の『創世記』第19章)、天の火に焼き滅ぼされる自分の姿が目にちらつくのだ」と、よく言っていた。 

★5.大空襲に遭った経験を小説にする。

『スローターハウス5』(ヴォネガット)  一九四五年二月十三日の夜。連合軍によるドレスデンへの大空襲が行なわれた。それはヒロシマを上回る規模で、十三万五千人の市民が殺戮された。この事実を、連合国は戦後もひた隠した。米軍の歩兵だった「わたし(ヴォネガット)」は、ドイツ軍に捕らえられ、ドレスデンの収容所で大空襲に遭った。戦後二十数年を経て、「わたし」はこの体験をSF小説の手法で書こうと考える。主人公の名前はビリー。彼は、痙攣(けいれん)的時間旅行者だ→〔時間旅行〕5

★6.防空壕。

『現代民話考』(松谷みよ子)6「銃後ほか」第5章の7  太平洋戦争末期。横浜のむっちゃん(十二歳)は、大分県の親戚に預けられた。むっちゃんは結核にかかっており、親戚の赤ちゃんにうつるといけないので、一人で防空壕の中に寝かされていた。ひとりぼっちのむっちゃんは、空襲になると、「みんなが来てくれる」と言って喜んでいた〔*むっちゃんは防空壕の中で、誰にも見とられずに死んだ〕。 

★7.空襲で死んだ人々の亡霊。

『異界からのサイン』(松谷みよ子)9「防空頭巾の亡霊」  昭和三十年(1955)七月二十八日。三重県津市の中河原海岸で、水泳の講習を受けていた女子中学生三十六人が、高波に呑まれて死んだ。助かったのは九人だった。そのうち五人は、同級生が、防空頭巾・もんぺ姿の女たちに足をつかまれ、海へ引きずり込まれるのを見た。ちょうど十年前のこの日、津に大空襲があって二百五十人余りが死んだ。火葬しきれない遺体は、中河原海岸に埋められた。その亡霊が、楽しそうに泳ぐ女生徒たちを襲ったのだろう、と言われた。 

 

※艦載機が飛来して、一般市民を銃撃する→〔衣服〕3aの『夏の葬列』(山川方夫)。

 

 

【偶然】

★1a.偶然に、だれが泥棒かを言い当てる。

『カター・サリット・サーガラ』「マダナ・マンチュカー姫の物語」4・挿話10の4  「神通力を持つ」と嘘をついて長者宅に寄食する婆羅門が、「王の財宝を盗んだ盗賊を捕らえよ」と命ぜられる。婆羅門は嘘を悔い、「悪行をなした舌(ジフヴァー)よ」と独り言を言う。ところが、賊の一味であるジフヴァーという名の下女がこれを聞き、「見破られた」と思って、自ら罪を白状する→〔箱の中身〕4

『ものしり博士』(グリム)KHM98  ものしり博士を詐称する百姓クレープスが妻とともに、殿様の屋敷に招かれて食事をご馳走になり、「泥棒に盗まれた金を取り戻して欲しい」と依頼される。最初の料理が運ばれた時、クレープスは妻に「これが一番目だ」と説明するが、実は給仕が泥棒だったので、給仕は「泥棒第一号」と指摘されたのだと思って恐れる。二番目・三番目・四番目の給仕も同様で、彼らはそろって罪を白状する→〔箱の中身〕4。  

*偶然に、秘密の名前を言い当てる→〔名当て〕3の『ジャータカ』第380話。

★1b.偶然に、泥棒の行動を言い当てる。

『鼠経』(日本の昔話)  坊さんが鼠の動きを見ながら、「おんちょろちょろ云々」というでたらめのお経を、婆さんに教える。婆さんがそのお経をあげている時に盗人が入るが、「おんちょろちょろ出て来られ候、おんちょろちょろ穴のぞき・・・・」という文句がたまたま盗人の行動とぴったり符合し、盗人は恐れて逃げる(熊本県天草市)。

*同志の隠れ家を問われ、でたらめを教えたら、偶然に同志の居場所を言い当ててしまった→〔嘘〕8aの『壁』(サルトル)。

★1c.偶然、同時刻に二つのことがらが起こる。

『三国志演義』第21回  曹操から「天下の英雄は貴公とわしじゃ」と言われ、劉備は「我が本心を悟られたか」と、手にしていた箸を思わず取り落とす。ちょうどその時、雷鳴が轟いたので、劉備は「雷に恐れて箸を落とした」と言いつくろい、曹操もそれを信じた。

★2.近代の小説は、事件の必然的な展開を重視するので、一般に、偶然のできごとを避ける傾向がある。しかし、次のような例もある。

『雁』(森鴎外)  お玉が、無縁坂を毎日通る医学生岡田に言葉をかけようと決心した日、たまたま下宿の夕膳に、「僕」の嫌いな鯖の味噌煮が出た。そのため「僕」は岡田を誘って、外へ食事に出かける。岡田が「僕」と連れ立って来るので、お玉は声をかけることができず、しかも岡田は洋行の準備をすべく翌日下宿を出るので、お玉はついに岡田と語り合う機会を失う。

『小僧の神様』(志賀直哉)  貴族院議員Aが、秤(はかり)屋の小僧仙吉に寿司を御馳走する。仙吉はAを「神様か御稲荷様に違いない」と考え、Aが秤を買う時でたらめに記帳した番地を尋ねて行く。偶然にもそこは、小さな稲荷の祠がある番地だった〔*「作者は最初このように書こうとしたが、小僧に対し残酷な気がしたのでやめた」と小説は結ばれる〕。

*志賀直哉は、虚構と現実の奇妙な偶然の符合を体験している→〔物語(小説)〕1の『創作余談』。

★3.近代以前の物語では、偶然というより、神仏の不思議なはからい、として語られる。

『閑居の友』下−5  初瀬に参籠した貧女が、観音の夢告に従い、傍らに臥す女房の衣を盗む。貧女は、帰り道で出会った男の妻となって運命が開け、美濃国で裕福に暮らす。年月を経て、夫とともに上京した女は、京に身寄りのないことを恥じ、適当な家を示して「ここが姉の家です」と、でたらめを言う。その家の女主人こそ、かつて貧女が衣を盗んだ女房であり、二人の女は観音の導きの不思議を語り合って、本当の姉妹になった〔*『沙石集』巻2−4などに類話〕。

『沙石集』巻10本−7  高野山の入道二人が、発心の契機となった出来事を語り合う。一人が「私は在俗時、貧窮ゆえに、通りかかりの女を殺して着物を奪ったのです」と告白すると、もう一人が「では、私の妻を殺したのは貴方でしたか」と奇縁を驚く。彼は言う。「愛妻の死がきっかけで、私は出家しました。思えば、貴方こそ私を仏道へ導いた人です。ともに故人の菩提を助け、修行に励みましょう」〔*『三人法師』(御伽草子)前半部に類話〕。

★4.深い縁のある人と偶然出会う。

『オリヴァー・トゥイスト』(ディケンズ)  盗賊の手下となった少年オリヴァーは、老紳士ブラウンローのポケットからハンカチを盗んだ、と疑われる。それが縁でオリヴァーはブラウンローの家に引き取られるが、偶然にもブラウンローは、オリヴァーの亡父の親友だった。後にオリヴァーは、メイリー夫人の家へ盗みに入って負傷し、メイリー一家の世話を受けるが、その家の養女ローズは、偶然にもオリヴァーの亡母の妹だった。

『戦争と平和』(トルストイ)第4部第3篇  老商人が殺人の濡れ衣を着せられ、笞刑を受け、鼻の孔を裂かれ、懲役に送られて十年以上がたつ。ある夜、囚人たちの集まりで、老商人は自分の体験を語り、「わしはくよくよしない。これも神様の御心だ」と言う。その場に真犯人が居合わせ、彼は泣いて許しを請う〔*カラターエフが語る話。逆に、加害者が過去の悪事を語り、その場に被害者の家族が居合わせる物語については→〔過去〕2の『アクハト』(ウガリットの古詩)など〕。

*縁ある人々が、宿で偶然巡り合う→〔宿の巡り合い〕に記事。

★5.仕組まれた偶然。

『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版第12巻121ページ  波平と、旧知の須藤氏がレストランでバッタリ出会い、「奇遇だ」と言う。偶然そこへ、須藤氏の知人入江氏がタイ子を連れてやって来る。さらに、磯野家に下宿中の甥ノリスケが「オヤ、おじさんじゃありませんか」と言って現れ、波平は「おう、丁度いいところに来た」と言う。サザエがあきれて「旧式なお見合いね。あんまり偶然すぎるわよ」と言う。

『点と線』(松本清張)  一月十四日夕刻。安田辰郎と料亭の女中二人が、東京駅の13番ホームにいて、15番線に女中仲間のお時を目撃する。彼女は男と一緒に、博多行き特急に乗った。一週間後の二十一日、九州でお時と男の死体が発見された。列車の発着が多い東京駅では、13番線から15番線を見通せるのは、一日のうちわずか四分間である。事件を捜査する三原警部補は、「安田たちは、よくも偶然その時間にそこにいたものだ」と思うが、「本当に偶然だろうか?」との疑念を抱いた〔*それは、女中たちに「お時が心中の旅に出た」と思わせるよう、安田が仕組んだのだった〕→〔取り合わせ〕2

★6.原因が複雑すぎて見当がつかない時に、偶然という。

『明暗』(夏目漱石)  津田由雄は友達から、「ポアンカレーの説では、原因があまりに複雑すぎて見当がつかない時に『偶然』というのだ」と聞かされた。津田はそれを自分の身にあてはめて考えた。「あの女(清子)は、どうして彼所(あすこ)へ嫁に行ったのだろう。彼所へ嫁に行くはずではなかったのに。そうして、この己(おれ)はどうしてあの女(お延)と結婚したのだろう。あの女をもらおうとは思っていなかったのに。偶然? 複雑の極致? 何だかわからない」。

★7.シンクロニシティ(共時性)。

『自然現象と心の構造』(ユング/パウリ)第1章  共時性の問題は、一九二〇年代の半ば以来、「私(ユング)」を悩ませてきた。その頃「私」は、普遍的無意識の現象を研究していたが、偶然の配置だとして説明できない組み合わせに、出くわし続けていた。「私」が発見したものは、あまりにも意味深く結びついているため、「偶然」一緒に起こったとはとても信じられない「偶然の一致」の事実である。「私」自身が体験した一つの出来事を述べよう→〔夢語り〕5

★8.セレンディピティ。

「セレンディピティ」という語は、「偶然によって、予期せぬ発見をする才能」との意味で用いられている。しかし、そのもとになった寓話『セレンディッポの三人の王子』は、偶然ではなく、すぐれた推理力・洞察力を発揮して、三人の王子がさまざまなことがらを発見し、問題を解決する物語である→〔足跡からわかること〕5

 

 

【空想】

★1a.自分が住みたい家について、あれこれ空想するが、実現できない。

『発心集』巻5−13  年老い貧しい男が、壊れた古堂に住んでいた。彼は紙反故をもらい集めて、いくつも家の設計図を描き、「寝殿はしかじか、門の形はこれこれ」などと空想して、毎日を過ごしていた。人々は、馬鹿げたことの例として、このことを言っていた。

『ものくさ太郎』(御伽草子)  ものくさ太郎の邸宅は人並みすぐれて見事なもので、四面四町に築地を築き、東西南北に池を掘り、屋敷の天井に錦を張り、梁や垂木に金銀を金具代わりに打ちなどして立派に造りたい、と心には思うのだが、実際には、竹を四本立て、それに薦をかけて住んでいた。

★1b.将来開きたい店について、あれこれ空想する。

『素晴らしき日曜日』(黒澤明)  戦後間もない頃。若いカップル雄造と昌子が焼け跡の空き地で、将来開きたいと思う店のありさまを想像する。扉はガラスで「大衆の珈琲店」と書き、「ここがカウンター」「ここがテーブル」と、二人は歩き回りながら決めてゆく。昌子が客となり、想像の扉を開け想像の椅子にすわって、コーヒーとお菓子を注文する。通行人が大勢立ち止まり、雄造と晶子のふるまいを見る〔*その後二人は野外音楽堂へ行き、空想のコンサートを開く〕→〔映画〕3

★2a.犯罪を空想するが、実行せずにおく。

『ロリータ』(ナボコフ)第1部20  ハンバートは少女ロリータを手に入れるために、彼女の母親シャーロットと結婚する。ハンバートは、湖で泳ぐシャーロットを事故に見せかけて溺死させようか、と考え、その有様を想像するが、結局実行せずに岸に上がる。ところが友人ジーンが風景画を描くべく湖をずっと見ており、あやうくハンバートは殺人現場を目撃されるところであった。

★2b.犯罪の空想があまりに真実に近づいた結果、ほんとうに実行してしまう。

『或る罪の動機』(谷崎潤一郎)  博士家の書生中村は、生まれつき世の中を虚無だと感じており、何事にも価値を認めなかった。神や善や道徳を信じて疑わぬ博士一家の幸福そうな生活に、彼は反感を抱く。中村は、博士殺害を空想して楽しむ。しかし綿密な殺人計画を空想し、その光景を見て、その心理を経験するうち、空想にとどめておけなくなり、実際に博士を殺してしまう。 

★2c.犯罪を空想しただけなのに、自首する。

『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版第22巻42ページ  夜、覆面をして包丁を持った男が、磯野家の門前にたたずむ。男は「ここに押し込み強盗に入ったとする」「ああなる」「こうなる」・・・といろいろ考え、「とどのつまり結局つかまる」と結論する。男は強盗に入るのをやめ、交番へ行く。交番の警官は、「押し入らないうちに自首して来たのか」と驚く。

★3a.空想にのめりこみ、現実と区別がつかなくなる。

『ドン・キホーテ』(セルバンテス)前編第8章・第16〜18章  ドン・キホーテは遍歴の騎士を夢想して、サンチョ・パンサを供に旅をする。彼は風車を見て、巨人の群だと思い突撃する。宿屋に泊まっても、「親切な城主の歓待を受けた」と考えて、宿賃を払わない。羊の大群二つに出会うと、騎士たちの戦争と見なし、一方に助勢しようと羊の群につっこむ。

『二階ぞめき』(落語)  大店の若旦那が、「毎晩吉原をひやかして歩かないと、寝つきが悪い」というので、父親が大工に命じ、店の二階に吉原そっくりの景色を作ってやる。若旦那は喜んで二階へ上がり、吉原の気分に浸りきって、あれこれ空想して独り言を言う。小僧が二階へ見に行くと、若旦那は「ここで会ったことは親父には内緒に」と口止めする。

『湯屋番』(落語)  道楽者の若旦那が銭湯の番台に上がるが、目当ての女湯がガラ開きなので、空想を始める。「客の年増女に見そめられ、家へ招かれたところで雷が落ち・・・・」と考えるうち熱中し、想像上の女の声色をつかい、身振り手振りを交えて一人芝居をする。男客たちが面白がって番台を見る。

*何年も先の十字鍬の落下を心配する→〔落下する物〕1の『智恵者エルゼ』(グリム)KHM34。

★3b.空想にのめりこんで、大事なものをこわしてしまう。

『寓話』(ラ・フォンテーヌ)巻7−9  乳しぼりの女が牛乳壺を頭に載せて、町へ出かける。「牛乳を売った金を元手に、やがては牝牛を飼い、子牛が羊たちにまじって飛び跳ねることだろう」と空想して、想像上の子牛と一緒に女も飛び跳ね、牛乳壺は地に落ちる。

『千一夜物語』「床屋の第五の兄エル・アスシャールの物語」マルドリュス版第31〜32夜  ガラス細工売りが、大儲けをして美女を娶ることを夢想する。しかし、「彼女が身の程をわきまえず、なれなれしい態度をとったら蹴ってやろう」と思い、ガラス細工を蹴飛ばして粉々にする。

『パンチャタントラ』第5巻第9話  バラモンが、托鉢で得た粉の入った壺を見ながら空想にふける。「飢饉があったら粉を売り、それを元手に大金を儲け、妻をめとり、息子が生まれるだろう。しかし妻が私の言うことを聞かなければ、私は妻を蹴るだろう」と考えつつ、思わず壺を蹴り、壺を壊して粉まみれになる。

★4.一方的な思い込み。

『お目出たき人』(武者小路実篤)  二十六歳の「自分」は、まだ女を知らない。「自分」は、近所に住んでいた女学生・鶴を、一方的に恋する。「自分」は鶴と言葉を交わしたことすらないが、鶴とのはじめての接吻や、結婚後の理想の生活について、あれこれと空想する。しかし鶴は、金持ちの工学士のもとへ嫁いでしまった。鶴は本当は「自分」を愛していたのだが、家族の意のままに、気の進まぬ結婚をしたのだ、と「自分」は考える。

★5.殺されるのではないか、との思い込み。

『断崖』(ヒッチコック)  リナ(演ずるのはジョーン・フォンテーン)は、夫(ケーリー・グラント)が詐欺の常習犯で、借金をかかえる身であることを知り、不信感を持つ。さらに夫は、生命保険や毒物について調べているので、リナは「私は殺される」と思い込み、夫が持って来てくれたミルクも、飲むことができない。実際は夫に殺人の意志などなく、彼は一時自殺を考えたことがあっただけだった。それを知ったリナは、夫を助け、結婚生活をやり直そうと思う。

 

※空想上の人物→〔架空の人物〕に記事。

 

 

【盟神探湯(くかたち)】

★1.真実を述べていれば、熱湯に手を入れる・熱鉄を手に握るなどしても火傷をしない。

『グズルーンの歌』V(エッダ)  ギューキの娘グズルーンは不義の疑いをかけられ、潔白であることを示すため、中傷者ヘルキャとともに、煮えかえる鍋の底に手を入れる。グズルーンの手は無事に石を拾い上げた。ヘルキャは火傷を負った。

『捜神記』巻2−11(通巻42話)  扶南王范尋は、沸騰した湯の中に金の指環を投げこみ、犯罪の容疑者に手を入れて探させた。無実の者の手はただれず、罪を犯した者は手を入れたとたん火傷を負った。

『ドイツ伝説集』(グリム)480「寡婦と孤児の訴えを裁くオットー帝」  斬首された伯爵の無実を奥方が訴え出て、灼熱した鉄塊を素手で持つ。奥方は何の苦痛も感ぜず、伯爵の無実が証明された。

『日本書紀』巻10応神天皇9年4月  甘美内宿禰が「兄武内宿禰に謀叛の心あり」と天皇に讒言し、武内宿禰は「無実である」と弁明する。天皇の命令で、二人は磯城川のほとりで探湯をし、武内宿禰が勝った。

『日本書紀』巻13允恭天皇4年9月  諸人の称する氏姓の実否を判定するため、詔して盟神探湯を行なった。泥を釜に入れて煮沸かし、手をかきまわして湯の泥を探らせ、あるいは斧を真赤に焼いて掌に置いた。その結果、真実を述べた者は無事で、偽りを述べた者は傷ついた。

『水鏡』中巻  称徳女帝が西大寺を造営して金銅の四天王像を鋳た時、三躰はできあがったが、一躰だけは鋳損なうこと七度に及んだ。称徳女帝は、「銅(あかがね)の沸く中に、我が手を入れましょう。仏徳により女身を捨て成仏できるなら、我が手は無事でしょう。手が無事であったら、どうかこの度は鋳られ給え」と祈り、「成仏の願いが叶わぬならば、我が手は焼けただれるでしょう」と言って、熱銅の中に手を入れた。女帝の手には少しの疵もつかず、四天王像は完成した。

*たくみな嘘により、熱鉄を握っても火傷しない→〔誓い〕1aの『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)第24章。 

★2.熱湯なのだから、たとえ真実を述べていても、火傷をすることがあるかもしれない。

『日本書紀』巻17継体天皇24年9月  任那に派遣された近江の毛野臣(けなのおみ)は、訴訟裁定の折に好んで誓湯(「くかたち」あるいは「うけひゆ」)を設け、「真実の者は爛(ただ)れない。虚偽の者は必ず爛れるであろう」と言った。そのため、熱い湯に入って爛れ死ぬ者が多かった。

★3.『日本書紀』の時代から一千年を隔てた江戸中期になっても、熱鉄を握らせて、真実の誓いか否か確かめようとする物語がある。

『心中刃は氷の朔日』上之巻「平兵衛勘当の場」  鍛冶職人・平兵衛が「遊女小かんと別れます」と言うと、親方・利右衛門は「嘘でない証拠に、鉄火(赤熱の鉄片)を皆の前で握れ。誓言に偽りなければ、氷よりも冷やかだろう。嘘のある者は、腕が焼けただれて落ちるだろう」と迫る。小かんと別れる気のない平兵衛は、顔色を変えて「鉄火はお許しを」と請うので、親方は怒って平兵衛を勘当する〔*結局、平兵衛と小かんは剃刀で心中する〕。

 

 

【釘】

★1.男を呪って、木に釘を打つ。

『黒壁』(泉鏡花)  金沢市郊外の黒壁という深林幽暗の地に、摩利支天が祀られている。深夜、祠の前の一本杉に、男を怨む婦人たちが釘を打つ。杉をぐるりと一周すると、釘を抜き取った無数の傷跡が見える。ある三十女は、「巳の年巳の月巳の日巳の刻出生二十一歳の男子」の二十一文字を記した紙を、杉の幹に貼り附けた。女は毎夜、五寸釘を一本ずつ文字の上に打ち、二十一日かけて、すべての文字に釘を打ち込んだ。

*寺や神社に多数の釘を打つ→〔呪い〕3の『しんとく丸』(説経)。 

★2.悪人の写真に釘を打つ。

『憶い出した事』(志賀直哉)  日清戦争(1894〜95)の少し前、「私」が十一歳の時。祖父が無実の罪(旧藩主毒殺の嫌疑)で拘留された。祖父を陥(おとしい)れたのは、「西」という男だった。祖母は怒り、二寸ばかりの釘で「西」の写真の顔へプツリプツリ穴を開け、金槌を持ち出して来て、写真を縁側の裏側に打ちつけてしまった。「私」は恐ろしい思いで見ていた。七十五日たって、祖父は帰って来た。「私」は祖母にことわって写真を取り捨て、やっと安心した。

★3.釘が抜ける。

『くぎ』(グリム)KHM184  町でお金を儲けた商人が、旅行カバンにお金を入れて馬に積み、自分もその馬に乗って家路に着く。下僕が「左の後足の蹄鉄の釘が、一本抜けています」と知らせるが、商人は「急ぐから」と言って、そのまま馬を歩かせる。しばらく行くうちに蹄鉄が取れ、馬はびっこを引き、倒れて足を一本折ってしまった。商人はカバンを自分でかつぎ、てくてく歩いて夜中に家にたどり着いて、「こんなひどい目にあったのも、もとはといえば、あの釘一本のせいだ」と言った。急がばまわれ。

★4.釘を抜く。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第9章  青銅人タロスは、頸から踵まで延びているただ一つの血脈を持ち、血脈の終わりの箇所には、青銅の釘がはめこんであった。タロスは日に三度、クレタ島を駆け巡って番をし、近づいて来るアルゴ船に石を投げつけた。しかしメディアが、「不死にしてやる」と言ってタロスを欺き、踵の釘を抜いたので、神血(イーコール)がすべて流れ出て、タロスは死んだ〔*『アルゴナウティカ』第4歌には、釘の話はない〕。

★5.冥府で身体に釘を打ち込まれる。

『日本霊異記』上−30  膳臣(かしはでのおみ)広国は冥府を訪れ、亡妻や亡父が苦を受けるありさまを見た。亡妻の身体には、頭頂部から打ち込まれた釘が尻まで通り、額から打ち込まれた釘が後頭部まで通っていた。亡父の身体には、三十七本もの釘が打ち込まれていた〔*亡父はさらに、熱した銅の柱を抱かされ、鉄の杖で毎日、朝・昼・晩に三百段(たび)ずつ打たれていた〕。

★6.釘を打ち込んだら、他所で思いがけないことが起こった。

『荒談』(稲垣足穂)「釘」  釘がどうしても抜けないので、大工が癇癪を起して、金槌で叩き込んでしまった。遠い所の病院で、ドクターが目を三角にして言った。「こんなことはあり得ない。この患者が持ち直したなんて、奇蹟というほかはない」。

『粗忽の釘』(落語)  大工とその妻が、長屋へ引っ越して来る。箒をかけるために長い釘を打ったが、柱ではなく壁に打ち込んだので、尖端が隣りへ突き抜けてしまった。大工が隣りへ謝りに行くと、仏壇の阿弥陀様の頭の上に、釘が突き出ている。それを見た大工は、「お宅はあそこへ箒をかけるんですか?」〔*「ここまで箒をかけに来るのは大変だ」というオチもある〕。

 

※竹の釘→〔竹〕5の『しわい屋』(落語)など。

 

 

【草】

 *関連項目→〔葉〕

★1.草は、傷ついたものを回復させ、死んだものを蘇生させる力を持つ。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第3章  ポリュイドスが石を投げて、蛇を殺した。他の蛇が草を持って来て、死んだ蛇の体全体に乗せると、蛇は生き返った。これを見たポリュイドスは、同じ草をグラウコスの死体に当てて、彼を生き返らせた。

『太平広記』408所引『異苑』  怪我をした蛇の傷口に、仲間の蛇が草をのせる。何日かたつと蛇は動けるようになる。農夫がそれを見て、人間の怪我にもその草を使ってみたところ、どんな傷にもよくきいた。

『椿説弓張月』残篇巻之4第66回  首をはねられた曚雲国師の屍骸は、長さ五〜六丈のミヅチと化した。これを草むらに捨てると、蛇毒を消す力を持つ草だったので、屍骸は水になって消え失せた。草は、軍兵らが負った手傷にもよく効いた。これが、「羽羽(はぶ)草」という薬草である。

『ペンタメローネ』(バジーレ)第1日第7話  チェンツォが剣を振るい、七首の龍の首を一つ刎ねると、龍は近くに生えている草に傷口をすりつけ、首はたちまちもとどおりにくっついた。後にチェンツォが誤解して弟メオの首を切った時も、この草を用いて首をつけ、弟メオを蘇生させた。

『酉陽雑俎』巻19−784  昔、ある男が鹿を射止め、五臓を解剖して天名精(鹿活草)を詰めた。すると鹿は、すっくと起き上がった。奇怪に思って草を抜いたら、鹿は倒れた。これが三度繰り返された。この草は、切り傷や骨折の治療に使われた。

『ラーマーヤナ』第6巻「戦争の巻」第73〜74章  ラーマは弟ラクシュマナとともに猿軍を率いて、魔王ラーヴァナの住むランカー島(スリランカ)へ攻め入った。しかし、ラーヴァナの息子インドラジトが射かける無数の矢を全身に受け、ラーマもラクシュマナも意識を失って倒れる。猿のハヌマト(ハヌーマン)がヒマラヤから薬草を取って来て、ラーマとラクシュマナがその香りをかぐと、その途端に彼らの傷は治った。

*兄と妹の死骸に草をかぶせたら、シャム双生児に生まれ変わった→〔シャム双生児〕3aの『捜神記』巻14−1(通巻340話)。 

★2.草は消化剤や下剤となる。

雀の宮の伝説  男が妻と密夫に謀られ、針の入った餅を食べさせられて、苦しんで寝ていた。見ると、男と同じように苦しんでいる雀がおり、草を食べて尻から針を出した。そこで男も雀のまねをして草を食べ、針を体外へ排出した。命が助かったのは雀のおかげだというので、男は雀を大明神として祀った(栃木県河内郡)。

『太平広記』459所引『聞奇録』  大蛇が、鹿を呑んだあと一本の木に巻きつき、その葉を食べて腹の中の鹿を消化する。これを見た男が葉を持ち帰り、腹が張った時に葉をスープにして飲む。翌日、人々が男の布団をはぐと、骸骨だけが残り、あとはすべて水になっていた〔*『蛇含草』(落語)の原話〕。

★3.蛙を殺す草と、蛙を生かす草。

『宇治拾遺物語』巻11−3  安部晴明が、僧たちから「陰陽の術を見たい。試しに、そこにいる蛙を殺し給え」と請われた。晴明は「罪作りなことだが、お見せしましょう」と言いつつ、草葉をちぎって何事かを唱え、蛙に投げかけた。草葉が蛙の上にかかると、蛙はぺしゃんこにつぶれて死んだ。

『野草雑記』(柳田国男)「草の名と子供」(兎の耳)  車前(おおばこ)は、「カエルグサ」「ゲエロッパ」ともいう。蛙をひどい目に遭わせておいてから、この葉を掛けておくと活(い)きかえる、などともいわれる。

*藤原道綱母は、自らの身を蛙にたとえた歌を詠んだ→〔あだ名〕2の『かげろふ日記』中巻・天禄2年6月・12月。 

★4.忘れ草と忘れな草。

『俊頼髄脳』  父を亡くして嘆く兄弟がいた。兄は悲しみを忘れようと思い、見れば憂いを忘れる萱草を墓の辺に植え、弟は親を慕う心を忘れまいとして、紫苑を植えた〔*『今昔物語集』巻31−27に類話〕。

*子を亡くした悲しみを慰める草→〔死体から食物〕3の『たばこの起こり』(日本の昔話)。

★5a.人間の発生と草。

『古事記』上巻  葦原中国(現世)の人間のことを、イザナキは「青人草(あをひとくさ)」と呼び(*→〔桃〕3a)、イザナミは「人草(ひとくさ)」と呼んだ(*→〔人数〕6)〔*葦牙(あしかび)のごとく萌えあがるものによって神(ウマシアシカビヒコヂなど)が誕生した(上巻冒頭)のに対して、草(あるいは草のようなもの)から人間が発生した、ということなのであろう〕。

★5b.人間の死と草。

『草葉の陰』(日本の昔話)  風に吹かれた芋の葉が、吉四六(きっちょむ)の首を一打ちする。吉四六は「侍に切られた」と思い、倒れる。やがて起き上がった吉四六は、「ここは地獄か? 極楽か?」と案じて、草の間から我が家をのぞく。妻が「何をしている」と問うので、吉四六は「草葉の陰から見ている」と答える(熊本県球磨郡)。 

★6.草花にも魂がある。

『おきなぐさ』(宮沢賢治)  小岩井農場の南、七つ森の西に「うずのしゅげ」(おきなぐさの方言)が二本、黒いやわらかな花をつけていた。花はやがて銀毛の房に変わり、空へ飛び立つ日が来た。銀毛は一本ずつばらばらになって北へ飛び、二つの「うずのしゅげ」の魂は天へ昇った。二つの小さな魂は、二つの小さな変光星になったのだろう。

 

※人間を馬にする草、馬を人間にもどす草→〔馬に化す〕1の『宝物集』(七巻本)巻1。

※若返りの草→〔若返り〕1aの『ギルガメシュ叙事詩』・『七草草紙』(御伽草子)。

※不老不死の薬草→〔墓〕11bの『ケルトの神話』(井村君江)「銀の腕のヌァザとブレス王」。

 

 

【くじ】

 *関連項目→〔宝くじ〕

★1.くじを引いて神意を問う。

『国家』(プラトン)第10巻  死者たちの魂は一千年の賞罰を受けた後に、天の穴・地の穴から出て来て牧場へ集まる。牧場で七日間を過ごしてから、彼らは数日間の旅をして、運命の女神ラケシスの所へ行く。ラケシスに仕える神官が、順位を記したくじを、大勢の魂に投げ与える。魂たちはそれぞれくじを拾い上げ、第一番目のくじを引き当てた者から順番に、自分の転生先を選ぶ→〔転生先〕1a

『サイラス・マーナー』(エリオット)第1章  ある町のリンネル織工サイラス・マーナーは、親友に裏切られ、「教会の金を盗んだ」との濡れ衣を着せられた。彼は潔白を証明するため神籤(おみくじ)をひくが、神籤は「サイラスが罪人である」と出た。サイラスは絶望して、「この世を正しく治める神なんてありゃしない。虚偽の神ばかりだ」と叫ぶ。彼は町を出て行き、世捨て人になった。

『南総里見八犬伝』第9輯巻之51第180回下  里見義成の八人の姫君を、八犬士たちにめあわせるに際し、月下老人の赤縄の故事にならって、姫君の座す御簾の内から紅色の八本の太緒が出され、それを八犬士たちが引く。太緒の先には姫君の名を記した札があって、各人の配偶者が決まった。

*支配する場所(天空・海洋・冥府)を、くじ引きで決める→〔王〕2aの『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第2章。

★2a.くじを引いて、犠牲になるべき人間を選ぶ。

『ヨナ書』  神がヨナに預言者となるよう命じたが、ヨナは拒絶し、船で逃げた。海が大荒れになり、誰のせいでこの災難が起こったのか知るために、船中の人々がくじを引く。ヨナがくじに当たり、海に入れられると、海は静まった→〔魚の腹〕4

*アミダクジで殉死者を選ぶ→〔殉死〕1bの『火の鳥』(手塚治虫)「ヤマト編」。

★2b.くじを引いて、慰安婦を選ぶ。

『赤いくじ』(松本清張)  昭和二十年(1945)、敗戦後の朝鮮。楠田参謀長は、アメリカ兵たちの歓心を買うために、現地在住の日本婦人を慰安婦にして提供しよう、と考える。百名余りの婦人が紙撚(こより)のくじを引き、二十人が赤い当たりくじを引き当てて、慰安婦にされた。しかしアメリカ兵は意外に紳士的で、慰安婦を要求することなどなく、日本婦人は全員無事であった〔*楠田参謀長は、美貌の塚西夫人をめぐって末森軍医と争う。末森は楠田を射殺して自殺する〕。  

★3.毎年一度、くじを引いて、死ぬべき人を選ぶ風習。

『くじ』(ジャクスン)  毎年六月二十七日に、村人全員が集まってくじを引く。一つだけ当たりくじがあり、それを引いた者は、皆から石を打ちつけられて死ぬ定めである。いつから何のために始まった風習か、誰も知らない。近隣には、この行事を廃止した村もある。しかしこの村では、今年もくじ引きが行なわれ、くじに当たった女をめがけて、村人たちが次々に石を投げつけた。  

★4.くじを引くと、「当選者なし」が神意であったことがわかる。

『平家物語』(延慶本)巻1−1「得長寿院供養事」  得長寿院の供養の導師になることを十三人の高僧が望み、くじ引きが行なわれる。十三人の中には導師にふさわしい人物がいない、という可能性もあるので、十四本のくじを作り、一本だけに「導師たるべし」と書く。すると、十三人が引いたくじはすべて何も記されていない白くじで、「導師たるべし」のくじは、誰にも引かれず残ってしまった〔*後に、薬師如来の化身である貧僧が現れて、導師を勤めた〕。

★5.神意を問う「くじ」ではなく、民意を問う「入れ札(=投票)」。

『入れ札』(菊池寛)  役人に追われる国定忠治は、「子分十一人のうち、三人だけを連れて落ちのびよう」と考える。その三人をくじで選ぶ、との案が出たが、結局「入れ札」を行なう。古参の九郎助は「三人のうちに入りたい」と思い、こっそり自分の名を書く。開票すると、「九郎助」と書いたのはその一票だけだった。後、弟分の弥助が「俺がお前に一票入れたのだ」と嘘を言うので、九郎助は心中で怒るが、同時に自らの行為の卑しさを恥じた。

★6.神慮に叶うまで、何度も「くじ」を引く。

『甲子夜話』巻40−2  元和五年(1619)、浅野但馬守が芸州広島を治めることになった。浅野は「城内の鎮守の社が通行の妨げだから、他へ移せ」と命じた。神官がこれに反対し、くじを引くと「移すべからず」と出る。浅野は笑って、「汝ら、願い事のある時は家老に申し出るであろう。最初は聞き入れられなくとも、繰り返し願い出れば、許される場合があるだろう。それと同じだ。神慮に叶うまで、何度もくじを引け」と言った。神官が繰り返しくじを引くと、やがて「移すべし」と出た。浅野は「神慮に叶った」と言って、社を移転させた。

★7.赤ん坊の名前をくじで決める。

『われから』(樋口一葉)  金村与四郎・美尾夫婦に女児が生まれ、名前をいくつか紙に書いて、おみくじのようにして引いた。常盤の「まつ」「たけ」、蓬莱の「つる」「かめ」などは探り当てもせず、与四郎が筆のすさびに書いた「町」という名が引き出された。小野小町のような美女になることを願って、女児は「町」と名づけられた〔*町は成人後、少壮政治家の妻となるが、子供に恵まれず、書生との仲を疑われて、夫から別居を言い渡される〕。

 

 

【薬】

 *関連項目→〔毒〕

★1.いもりの黒焼の惚れ薬。

『いもりの黒焼』(落語)  喜ィ公が、いもりの黒焼の惚れ薬を、米屋の美人娘に振りかける。ところが風が吹いたために、黒焼は美人娘にかからず、傍の米俵にかかった。すると米俵が喜ィ公に恋い焦がれ、動き出して、追いかけて来る。喜ィ公は逃げ回り、走り続けて、「ああ、苦しい」と悲鳴を上げる。仲間が「何が苦しい」と聞くと、喜ィ公は「飯米に追われている」と答える〔*「飯米に追われる」は、「食べることに追われて生活が苦しい」の意〕。

*美男・美女を呼び寄せようとしたら、皮袋や目籠がやって来た→〔髪〕3の『黄金のろば』(アプレイウス)巻の2〜3、『黒金座主(くるかにじゃーし)と髪の毛』(沖縄の民話)。

★2.媚薬を、葡萄酒と間違えて飲む。

『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)第16〜17章  アイルランドのイゾルデ姫が、マルケ王との結婚のため、船でイングランドへ向かう。イゾルデの母が、「二人で一緒に飲めば、互いを深く愛し合うようになる」という媚薬を侍女ブランゲーネに渡し、「イゾルデとマルケ王が床入りする時、二人に飲ませよ」と命ずる。ところがイゾルデは、それをふつうの葡萄酒だと思い、同行する騎士トリスタンと一緒に飲んでしまう。トリスタンとイゾルデは恋に落ち、船中で関係を持つ。

★3.葡萄酒を、「媚薬だ」と偽って売りつける。

『愛の妙薬』(ドニゼッティ)  農夫ネモリーノが、農場主の娘アディーナを恋する。薬売りの男が、「飲めば女性の愛が得られる妙薬だ」と偽って安葡萄酒を売りつけ、ネモリーノは葡萄酒を飲んでいい気分になる。「ネモリーノが伯父さんの遺産を受け継ぐことになった」とのニュースが伝わり、大勢の村娘がネモリーノにちやほやする。遺産のことをまだ知らないネモリーノは、「妙薬の効果だ」と思う。アディーナは、妙薬でも遺産でもなく、ネモリーノの一途な思いに心を動かされ、彼の愛を受け入れる。

★4.強壮剤を睡眠剤と取り違える。

『社長道中記』(松林宗恵)  女好きの会社社長三沢(演ずるのは森繁久彌)は、出張旅行の機会に大いに羽を伸ばそうと、強壮剤を用意して、なじみのバーのマダムを呼ぶ。ところが三沢は、随行員桑原(小林桂樹)の持つ睡眠剤を間違えて飲み、眠ってしまったので、マダムは怒って帰って行く。一方、若い桑原は強壮剤を飲んだために、眠るどころではなく、頭から水をかぶるなどして、興奮を鎮めねばならなかった。

★5.人間の眼と骨髄で作った薬。

『今昔物語集』巻2−4  王が重病にかかり(*→〔申し子〕1)、「生まれてから怒ったことがない人の、眼と骨髄を混ぜ合わせて身体につければ病気は治る」と、医師が教える。太子(息子)が「私こそ、怒ったことのない者だ」と言って命を捨て、自らの眼と骨髄で作った薬を王に届ける。病気が治った王は、薬が太子の眼と骨髄だったことを知り、深く悲しんだ。王は浄飯王の前世、太子は釈尊の前世である。

*人間の生き肝や心臓も、良い薬になる→〔生き肝〕に記事。

 

 

【薬と毒】

 *関連項目→〔毒〕

★1.薬か毒か、一方を選んで飲む。

『緋色の研究』(ドイル)  ジェファースンはドレッバーを殺すにあたって(*→〔一夫多妻〕6)、それが神意に叶うことかどうか確かめるべく、二つの丸薬(一つは薬、一つは毒)を突きつけ、「どちらか一方を飲め。お前が残した方を私は飲む。お前が死ぬか、私が死ぬかだ」と迫る。ドレッバーは毒を選んでしまい、その場に倒れて死んだ〔*ジェファースンはスタンガスンにも同様に迫るが、スタンガスンは襲いかかって来たので、ジェファースンは彼を刺殺した〕。

*二つのワイングラス(一つは酒、一つは毒)の一方をAが飲み、残りをBが飲む→〔決闘〕4の『吸血鬼』(江戸川乱歩)。 

★2.薬と毒の両方を一度に提示せず、はじめに毒を送り、後から薬を送る。

『銭形平次捕物控』「二服の薬」  紙屋の隠居が「体調が悪い」と言うので、小間物屋が「良い薬を届けさせよう」と言って帰る。まもなく、使いの者と称する男が薬を届け、隠居はそれを飲んで血を吐いて死ぬ。その直後に、小間物屋の店員が薬を持って来る。「最初の使いは偽者だったか」と皆は思うが、実は、最初の使いも二度目の店員も、小間物屋が送ったのだった。同じ人間が毒と薬の両方を届けるなどとは誰も考えないので、小間物屋は自分に疑いがかからぬよう、巧妙な細工をしたのである。

★3.薬と間違えて、毒の瓶(びん)を渡す。

『田舎医者』(黒岩涙香)  田舎の青年医者が、薬を買いに来た美女に心奪われ、薬と間違えて劇毒の瓶を渡してしまう。美女は帰宅する途中、悪漢に襲われ、手ごめにされそうになったので、せっぱ詰まって、手に持った瓶を悪漢の顔に投げつける。悪漢は劇毒で顔を焼かれて逃げ去り、美女は無事だった〔*これが縁で、田舎医者は美女と結婚することができた〕。

★4.毒が薬に変じる。

『今昔物語集』巻1−10  提婆達多が仏に大石を投げつけた。石は砕け、破片が仏の足の親指を傷つけて血が流れる。提婆達多は自分の手の指に毒を塗り、仏の足を礼拝するふりをして毒をつける。しかし毒はたちまち薬に変じて、仏の傷を治した。 

『今昔物語集』巻1−12  勝蜜外道が毒入りの食事を、仏とその弟子たちに供養する。しかし毒は甘露の薬と変じ、仏たちは無事だった。これを見た外道たちは罪を懺悔し、仏は彼らを教化した。  

★5.薬Aと薬Bは、それぞれ単独で服用するなら問題ないが、両方を一緒に飲むと猛毒に変化する。

『あやしやな』(幸田露伴)  医師「ぐれんどわあ」が、熱病の爺(おやじ)「ばあどるふ」に薬Aを与える。その後に伯爵「しゃいろッく」が来て、「ばあどるふ」が薬Aを飲んだことを知る。「ばあどるふ」は、伯爵「しゃいろッく」の旧悪を知る人物だったので、伯爵は「ばあどるふ」を殺そうと薬Bを与える。薬Aと薬Bは「ばあどるふ」の体内で化合して猛毒となり、「ばあどるふ」は死んでしまう〔*警察署長「ぶらいと」が伯爵の奸計をあばき、罰した〕。 

*ふぐと餅は、それぞれ単独に食べるなら問題ないが、両方一緒だと「食べ合わせ」になる→〔取り合わせ〕6の『お染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』。 

 

 

【口から出る】

★1.口から、良いもの悪いもの、いろいろなものが出てくる。

『仙女たち』(ペロー)  高慢な姉と心優しい妹がいた。水を請う貧しい女に、妹は泉の水を汲んで与える。女は仙女であり、返礼に、妹の口から花や宝石が出るようにしてくれる。姉は仙女に水を与えず、口から蛇やひき蛙が出るようになる。妹は王子と結婚し、姉は森でのたれ死ぬ。

『雑談集』(無住)巻6−6「霊之事」  尾州に住まいする、筆者(無住)の知人の妻が、物狂いとなった。これは、うわなり(知人の愛人)が妻を呪咀したからであった。僧が加持すると妻は、呪いの人形や、熱田神宮の鳥居に打たれた釘を、口から吐き出した〔*同書には、蛙を口から吐き出す物語もある〕→〔蛙〕5a

*口から十字架が出てくる→〔十字架〕3の『黄金伝説』143「聖フランキスクス(フランチェスコ)」。

★2.死者の口から花が咲く。

『黄金伝説』50「主のお告げ」  つねに「アヴェ・マリア」の二語を唱えていた騎士が死んだ。彼の墓からは、一本の美しい百合が生え出し、どの花びらにも「アヴェ・マリア」という金文字が記されていた。修道士たちが墓を開くと、百合の根は騎士の口から出ていた。

『往生絵巻』(芥川龍之介)  狩りに明け暮れる殺生好きな悪人・多度の五位は、法会の講師から「阿弥陀仏は、罪人も浄土へ救って下さる」と聞き、出家する。彼は「阿弥陀仏よや、おおい」と呼びながら、西へ西へと歩く。海辺まで来て、五位は松の木に登り、阿弥陀仏を呼び続ける。そのまま彼は死に、死骸の口には、真っ白な蓮華が開いた〔*原拠の『今昔物語集』巻19−14では、源太夫(五位)の呼びかけに、海の中から阿弥陀仏が「ここにあり」と答える→〔呼びかけ〕6〕。

『じゅりあの・吉助』(芥川龍之介)  浦上村の某家の下男吉助は、切支丹宗門の信者となり、洗礼を受けて「じゅりあの」という名を与えられた。彼が役人に捕らえられ、磔(はりつけ)になった時には、大雷雨が刑場へ降り注いだ。死骸の口の中からは、一本の白い百合の花が咲き出た。 

★3.口から食物を出す。

『古事記』上巻  スサノヲが〔*八百万(やほよろづ)の神々が、という解釈もある〕、オホゲツヒメに食物を請うた。オホゲツヒメは鼻・口・尻からいろいろな御馳走を出し、料理して、〔*スサノヲに、あるいは八百万の神々に〕奉った。スサノヲはそのありさまをうかがい見て、「穢れた食物を食べさせるのか」と思い、ただちにオホゲツヒメを殺した。

*口から米を出す女神の身体の中は、どうなっているのか→〔食物〕7の穀物の神・矮姫(サヒメ)の伝説。

『日本書紀』巻1・第5段一書第11  葦原中国のウケモチノカミ(保食神)が、首を国に向けて口から飯を出し、海に向けて口から魚類を出し、山に向けて口から獣類を出し、これらをツクヨミに奉った。ツクヨミは、口から吐いた物を勧められたことに立腹し、剣を抜いてウケモチノカミを殺した。

 

 

【口と魂】

★1.魂は、口から人体に入る。

『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)第2章「魂、霊、影」  アダムを作る四千年前、アッラーは自らの息で男の魂を作った。アッラーは魂に、「私の姿そっくりに作った男の像の中に入れ」と命ずる。魂は「男の像の口が深くて暗い」と言って、いやがった。アッラーは、「お前が好むと好まざるとにかかわらず、お前は男の像の中に入るだろう。そして、好むと好まざるとにかかわらず、像から出て行くだろう」と告げた(アラブの神話)。

★2.他人の魂を、口から飲みこんでしまうこともある。

『茶碗の中』(小泉八雲『骨董』)  若党関内が、茶碗の中に映る見知らぬ若侍の顔を、茶もろとも飲みこむ。その夜から彼の身辺に、いろいろな怪事が起こり出す。物語は未完で、「魂を飲みこんだらどんな結果になりそうであるか、読者みずから解決されたほうがよいと思う」と結ばれる。

★3.魂となるはずの原子を、飲みこんでいるかもしれない。

『視霊者の夢』(カント)第1部第1章  魂は非物質的存在とは断定できず、何らかの物質的基礎を持つ可能性もある。だから、「人間の魂となるべきもろもろの原子を、われわれはコーヒーと一緒に飲み込んでいるかもしれぬ」というライプニッツの冗談めいた発想も、笑いとばすべきではないかもしれない。

★4.魂が出て行かないように口をふさぐ。

『変身物語』(オヴィディウス)巻12  ケンタウロスたちとラピタイ族が戦った時、ケンタウロスの一人キュラロスは、飛んで来た槍で致命傷を負った。彼の恋人ヒュロノメーは、自分の口をキュラロスの口につけて、魂の逃げ道をさえぎろうと試みたが、彼は息絶えた。 

『女神のお守り』(アイヌの昔話)  上の天を守る神の息子に嫁が来た。しかし嫁は、七色の糸のラウンクッを巻いていた(*→〔守り札〕4)。「色糸のラウンクッの女は、夫に不幸をもたらす」と言われていたので、神の息子の母は驚き呆れた。驚きのあまり鼻の穴や口から魂が飛び出さぬよう、母は左手を鼻にあて、右手で口をふさいだ→〔虹〕4

『物知り老人』(アイヌの昔話)  ある男が二人の妻を持っていた。夫の留守中に二人の妻は、ミントゥチ(河童の化け物)を退治した(*→〔性器(女)〕5)。それを聞いた夫は、驚きのあまり身体から魂が飛び出さないように、口と鼻をおさえて驚いた。

★5.出て行った魂は、もう一度口から入れなければならない。

『今鏡』「打聞」第10「敷島の打聞」  ともし火の炎の上に愛人の姿が浮かんだのを見て、男は驚いた。男は「これは不吉だ。火の燃えている部分をかき落として、本人に飲ませねばならない」と言って紙に包む。しかし、いろいろな用事にまぎれ、一日二日過ぎて男が愛人のもとへ行くと、すでに愛人は死去した後だった〔*愛人の身体から抜け出た魂を、もとの身体に戻そうとしてできなかった、ということである。『今昔物語集』巻31−8に類話〕。

*出て行った魂が、口の中に戻る→〔眠りと魂〕1の『ドイツ伝説集』(グリム)433「眠る王」・461「眠る歩兵」。

*出て行った魂が、口に戻れない→〔眠りと魂〕2の『ドイツ伝説集』(グリム)248「小鼠」。

 

 

【口に入る】

★1.口に何かが入って妊娠する。

『史記』「殷本紀」第3  殷の契の母は、燕の落とした卵を呑んで、妊娠した。

『十八史略』巻4「南北朝」  梁の高祖武皇帝は、その母が菖蒲の花を呑んで、まもなく生まれた。

『捜神記』巻11−33(通巻295話)  零陽郡大守の娘が父の部下の書記を見そめた。娘は書記が手を洗った残り水を飲んで妊娠し、男児を産んだ。太守は、男児を部下たちの前へ連れて行き、父親を捜させる。男児は書記の所まで這って行って抱かれようとしたが、たちまち水になってしまった〔*西行に関する類似の伝説がある→〔泡〕2の泡子塚の伝説〕。

*鹿が寺の水を飲み、和泉式部を産んだ→〔足〕5の和泉式部の伝説。

『酉陽雑俎』巻2−59  天が下した玄黄の気が玄妙天女の口に飛びこみ、彼女は妊娠して、三千七百年後に老子が生まれた。別説では、日精が母の口に入り、呑むと妊娠して、七十二年後に老子が生まれた、ともいう。

*口から精液を飲み込んで、子供を産む→〔精液〕1aの『クマルビ神話』(ヒッタイト)1「天上の覇権」など。

*男が水を飲んで妊娠→〔妊娠(男の)〕3の『西遊記』百回本第53回。

*木の切り屑が口に入って妊娠→〔誕生〕4の『二人兄弟の物語』(古代エジプト)。

*星(あるいは星の光)が口に入って妊娠→〔星と生死〕1の『三国史記』巻2「新羅本紀」第2、『捜神後記』巻3−2(通巻27話)。

*臓腑(あるいは魂)が口に入って妊娠→〔山姥〕6の『嫗(こもち)山姥』。

*蝶が口に入って妊娠→〔蝶〕6の『キリシタン伝説百話』(谷真介)100「雪の三タ丸屋(サンタマルヤ)」。

★2.口に何かが入る、と夢見て妊娠する。

『三宝絵詞』中−1  聖徳太子の母后は、金色の僧が「我は救世菩薩」と名のり口中に入る、と夢に見て懐妊した〔*『今昔物語集』巻11−1に類話〕。

『三宝絵詞』下−30  智証大師の母は、夢に空の日が口中に入ると見て懐妊した。

『太平記』巻12「解脱上人の事」  解脱上人は、その母が七歳の時、夢中に鈴を呑むと見て身ごもった子であるゆえ、「ただ人にあらず」として三歳より仏門に入れた。

*水晶の玉を口に入れる夢を見て妊娠→〔妊娠(玉を得て)〕1の『神道集』巻6−33「三島大明神の事」。

*金色の光が口に入る夢を見て妊娠→〔申し子〕1の『三国伝記』巻4−9(夢窓疎石)。

*北斗星を呑む夢を見て妊娠→〔北斗七星〕4の『三国志演義』第34回。

★3.口に何かが入り才能を発揮する。

『西京雑記』巻1  弘成子は若い時、燕の卵ほどの大きさで模様のある石を、通りがかりの人からもらった。彼はその石を呑み込んで頭脳明晰となり、天下に知られた大学者になった。後に彼は病気になって石を吐き出し、その石を弟子の五鹿充宗に与えた。五鹿充宗もまた大学者になった。

『今昔物語集』巻11−9  弘法大師は十八歳の時に「仏道を学ぼう」とこころざし、所々で苦行をした。土佐の室戸崎において、記憶力保持の求聞持法を行じていると、明星が弘法大師の口に入った。

『平家物語』(延慶本)巻1−4「清盛繁昌事」  平清盛が三十七歳の年の二月十三日夜半。「口あけ、口あけ」と天に声がするのを夢うつつに聞いて、清盛は目覚め、口をあけると、武士の精という卵様のものが三つ、清盛の喉に入る。それ以後、清盛は心たけく奢りはじめた。

★4.口に何かが入る、と夢見て才能を発揮する。

『蒙求』141所引『晋書』  晋の羅含は少年の時、昼寝して、美しい鳥が口中に入る夢を見た。叔母が「将来文才を発揮するであろう」と夢解きし、羅含は後に文名が大いに上がった。

 

 

【口二つ】

★1.上の口と下の口。

『鬼餅』(沖縄の民話)  乱暴な男が、鶏や山羊や豚を盗んで食っているうちに、鬼になってしまった。男には、二十七歳になる美しい妹がいた。妹は、兄の鬼の歯をくじいて征伐すべく、瓦を砕いて餅に入れ、食べさせる。固い餅に歯が立たず、兄の鬼が困惑していると、妹は着物のすそをまくって見せる。兄の鬼「お前の下に、ひげの生えている口は何だ?」。妹「私の上の口は、固い餅を食べる口。下の口は、鬼を噛み殺す口」。びっくりした兄の鬼は、断崖から足をすべらせ、海へ落ちて死んでしまった(沖縄本島)。

『聴耳草紙』(佐々木喜善)89番「狸の話(狸の女)」  大正七年(1918)の冬。宮古の山中で、爺と二人の若者が小屋に泊まっていた。そこに若い女が来て、宿を請う。女は炉端に座るが、だんだん姿勢が崩れ、赤い腰巻や性器をチラチラ見せて、若者を誘惑する。そのうち囲炉裏の暖かさで、性器があくびをする。爺と若者たちは女を捕らえて叩く。それは二匹の狸が首乗りに重なって、一人の女に化けていたのだった。

★2.頭部にも口がある。

『絵本百物語』第17「二口女」  継母の後頭部に斧が当たり(*→〔継子殺し〕1)、その傷口は癒えることなく、やがて唇の形となった。骨が出て歯のようになり、肉が盛り上がって舌のごとくであった。毎日何時間も痛んで堪えがたく、食べ物を入れると、その時は苦痛が和らいだ。

*頭にある口で飯を食う女房→〔のぞき見(妻を)〕1の『食わず女房』(日本の昔話)。

 

※口の中の大空間→〔空間〕1aの『バーガヴァタ・プラーナ』など。

※真実の口→〔片腕〕3bの『ローマの休日』(ワイラー)。

※眠る人や像の口に、食べ物や血を塗りつけて、罪を着せる→〔濡れ衣〕3の『一寸法師』(御伽草子)など。

 

 

【唇】

★1a.唇の動きを見て、言葉を読み取る。読唇術。

『Xの悲劇』(クイーン)第1幕第1場「ハムレット荘」  聴力を失ったドルリイ・レーンは、読唇術を習得した。ある日、ブルーノ検事とサム警視が難事件解決の相談に訪れ、二人同時に喋り出した。レーンの目は一人の唇からもう一人の唇へと、いそがしく動いたが、まもなく断念し、彼は「どうぞ別々にお話し願います。一度にお一人の唇の動きしか読み取れません」と言った。

『妖虫』(江戸川乱歩)  相川守・珠子兄妹と殿村京子が、日本橋のレストランで食事をしていた。その折、殿村京子は、遠方の二人の客の唇の動きを見て、読唇術で会話の内容を読み取る。殿村京子は「あの二人は、明晩十二時に谷中天王寺町で人殺しをするつもりだ」と、相川兄妹に教えた〔*実際は二人の客は普通の世間話をしていたのであり、これは探偵好きの相川守を殺人事件に巻き込むための、殿村京子の策略だった〕。

『リード・マイ・リップス』(オディアール)  難聴のOLカルラは、読唇術を身につけた。そのため食堂などで、同僚が「ブスのカルラ」などと言っている悪口まで、わかるようになった。前科者の青年ポールが、彼女の助手として雇われる。ポールはカルラをビルの屋上へ連れて行き、隣のビルの一室を双眼鏡でのぞかせる。そこはヤクザのボスの部屋だった。カルラはヤクザたちの唇を読んで、大金の隠し場所を知る。ポールとカルラはその金を盗んで逃げる。 

*ガラスの向こうにいる女の唇の動きを、遠方から読み取る→〔銃〕4の『狼の挽歌』(ソリーマ)。

★1b.コンピューターが、人間の唇の動きを読み取る。

『2001年宇宙の旅』(キューブリック)  宇宙船ディスカバリー号が、地球から木星へ向かう。搭載された巨大コンピューターHALが不審な動きをするので、乗員ボーマンとプールは、声がHALに聞こえないようにポッド(小型宇宙艇)に入って、「HALの回路を切断しよう」と相談する。HALはポッドの窓越しにボーマンとプールを見て、二人の唇の動きを読み取る。HALはプールを殺し、冷凍睡眠中の三人の乗員も殺す。ただ一人生き残ったボーマンは、HALの電源を切る。その後ボーマンは、不可思議な時空間に突入する→〔自己視〕1b

★2a.二つ折りの半紙を女性にくわえさせ、唇の形を写し取る。唇紋。

『百唇の譜』(野村胡堂)  美男の千代之助は、もとは武士だったが、身を持ちくずして役者となった。彼は大勢の女と関係を持ち、彼女たちに二つ折りの半紙をくわえさせて、唇の形(唇紋)を写し取る。七〜八年のうちに、九十九の唇紋が集まった。千代之助は美貌の尼をとらえ、百人目の唇紋を得ようとする。しかし彼女は、千代之助が武士時代に最初に唇紋を取った娘・真弓の剃髪した姿だった。真弓の婚約者だった半沢良平が駆けつけ、千代之助を斬り捨てた。

★2b.百唇譜に唇紋を収集し、女たちから金をゆすり取る。

『悪魔の百唇譜』(横溝正史)  流行歌手くずれの都築克彦は、人妻をふくむ大勢の女と関係を持ち、「百唇譜」と題した小冊子に、彼女たちの唇紋を収集する。さらに、薬で眠らせた女たちのあられもない姿を撮影して、その写真をもとに金をゆすり取った。しかし三十六の唇紋を収集したところで、彼は殺されてしまった。

 

 

【口封じ】

★1.重要な秘密が外部にもれないように、大勢の人々を殺す。

『あきみち』(御伽草子)  盗賊・金山八郎左衛門は、山中に三間四方の岩穴をこしらえ、秘密の隠れ家とした。工事に従事した三百人余の人夫は、口封じのため、一人残らず殺された〔*三百人余の人夫の亡魂は、後に、あきみちを助け、彼の父の仇である金山八郎左衛門を討たせた〕→〔人形〕4

宇都宮城の釣天井の伝説  宇都宮城主・本多正純は、大工を城内に集めて釣天井を作り、将軍家光暗殺をはかる。工事完了後、秘密を守るために大工たちは全員殺され、古井戸に投げ入れられた。大工の一人、与五郎の亡霊が恋人お稲にこのことを告げ、お稲はことの始終を書き残して与五郎の後を追う。お稲の父が将軍の行列に直訴し、家光は宇都宮城へ寄らずに江戸へ帰る(栃木県宇都宮市本丸町)。

『御用金』(五社英雄)  越前鯖井藩は、危機的な財政状態にあった。家老・六郷帯刀(演ずるのは丹波哲郎)は、策略をもって幕府の御用船を沈め(*→〔道しるべ〕6)、積んでいた多量の金(きん)を奪って、藩財政の建て直しをはかる。浜辺の漁民たちを動員して、御用船から金を運び出すが、作業が終わると帯刀は、口封じのために漁民全員を殺した〔*その後も鯖井藩の財政は改善せず、三年後に、帯刀はふたたび御用船の金を奪おうとする。帯刀の義弟・脇坂孫兵衛(仲代達矢)がこれを阻止し、帯刀を斬る〕。  

★2.秘密を知る人物を殺そうとするが、未遂に終わる。

『仮名手本忠臣蔵』7段目「一力茶屋」  祇園で遊ぶ大星由良之助が、主君塩冶判官の妻・顔世御前からの密書を読む。遊女お軽がそれを盗み見て、仇討ちの計画を知る。由良之助は「お前に惚れた」とお軽を口説き、ただちに身請けして、口封じのためお軽を殺そうと考える〔*しかし由良之助はお軽の忠誠心を知り、殺さずにおく〕。

*秘密の手術をしてくれた医師を殺そうとする→〔同一人物〕4の『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「刻印」。

*人妻と娼婦の二重生活を知った男を殺そうとする→〔身代わり(友人の)〕1の『昼顔』(ケッセル)。

★3.AがBから貴重な情報を聞き出す。Aはその情報を独占しようと考え、Bが他の人物に情報を教えぬよう、Bを殺して口を封じる。

『藤戸』(能)  佐々木盛綱は、備前国藤戸の合戦で先陣の手柄を立てようと、馬で渡れる浅瀬を土地の漁夫から聞き出す。盛綱は「漁夫が、浅瀬の場所を他の者にも教えるかもしれぬ」と思い、その場で漁夫を殺して海に沈める。戦功で領主となった盛綱のもとに、漁夫の母が恨みを述べにやって来る。盛綱は回向して、漁夫の霊を慰める。

★4.妻が、自首しようとする夫を殺して、その口を封じる。 

『女の中にいる他人』(成瀬巳喜男)  田代(演ずるのは小林桂樹)は中年のサラリーマンで、妻との間に幼い二人の子供があり、老母も同居している。彼は意図せざる殺人を犯してしまい(*→〔死因〕3b)、思い悩んだ末に、「自首する」と妻に告げる。妻は「子供たちに、殺人犯の子としての一生を送らせるわけにはいかない」と考え、田代に劇薬を飲ませて殺す。世間は「田代はノイローゼのため自殺した」と見なし、彼の犯した殺人は発覚せずにすむ。

★5.口止めのために身体を与える。

『屋根を歩む』(三島由紀夫)  人妻である愛子は恋人との情事を、屋根職人の黒川に見られてしまった(*→〔屋根〕2a)。愛子は口止め料を渡すが、黒川は受け取らない。愛子は「黒川に身をまかせれば、彼は私の秘密を夫に告げないだろう」と考え、二階の寝室前の屋根の修理にかこつけて黒川を呼び、寝室に導き入れようとする。黒川は、愛子の手を振り離そうとしたはずみに、屋根から転落する。愛子は黒川が死んだと思い、発狂した〔*黒川は右大腿部を骨折したが、命に別状はなかった〕。

★6.口止め料。

『下降生活者』(大江健三郎)  昭和三十年代。「僕」は官立大学の、将来を嘱望される助教授だった。「僕」は身分を隠し、路地で出会った青年と同性愛関係になる。ところが青年は、「僕」が講師として赴いた私大の学生だった。青年は「黙っていますよ。二万円くれるなら」と言い、「僕」はその請求に応じる。翌日、青年は山で無謀な登攀をして墜落死する。「僕」は大学を辞め、妻と離婚して、路地の生活を始める。

 

※親の口を封じるために、息子を誘拐する→〔誘拐〕3の『知りすぎていた男』(ヒッチコック)。

※舌を切り取りしゃべれなくして、口を封じる→〔舌〕3の『タイタス・アンドロニカス』(シェイクスピア)第2幕など。

※無実の人のアリバイを証明できる女を殺して、その口を封じようとする→〔アリバイ〕2の『幻の女』(アイリッシュ)。

 

 

【靴(履・沓・鞋)】

★1.遠くへ行ける靴。飛行靴。

『オズの魔法使い』(ボーム)  ドロシーは、オズの国から故郷カンサスへ帰るために、魔法使い(実はペテン師の老人)の気球に乗ろうとするが、愛犬トトを捜していて乗り遅れる。魔女グリンダが「銀の靴には、世界のどこへでも三歩で運んでくれる魔力がある」と教え、ドロシーは銀の靴をはいて空中を三歩あるき、カンサスの草原に帰り着く。靴は空中で脱げ落ちて、どこかへいってしまった。

『親指小僧』(ペロー)  人食い鬼が七里の長靴をはき、山や川を次々に越えて、親指小僧たち七人兄弟を追いかけるが、そのうち疲れて眠りこむ。親指小僧は人食い鬼の長靴を脱がせ、それをはいて人食い鬼の女房の所へ行き、人食い鬼の全財産をだまし取る。

『影をなくした男』(シャミッソー)  影も恋も失った青年シュレミール(*→〔影のない人〕1)が市場で偶然手に入れた古靴は、一歩あるけば七里を行く魔法の靴だった。彼は世界中を歩き回り、自然の中で植物学と動物学の研究に、残る生涯を費やした〔*長い髭をはやしたシュレミールは、ある時病気になり、病院でかつての恋人ミーナと再会する。しかし彼は名乗らぬまま、また旅に出る〕。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章  セリポス島の王ポリュデクテスから、ゴルゴン退治を命ぜられたペルセウスは、ニムフたちの所を訪れ、翼のあるサンダルを得た。彼はサンダルを踵につけて空を飛び、ゴルゴン三姉妹の棲処へ行って、末娘メドゥサの首を取った。

★2a.人の形見や身代わりとしての靴。

『水鏡』中巻  天智天皇十年(671)九月、天皇は病み、譲位の意志を示した。十二月三日、天皇は馬に乗って山科へ向かい、林の中に入って姿を消した。行方はわからず、ただ沓だけが落ちていたのを、陵(みささぎ)におさめた〔*『日本書紀』巻27天智天皇10年では、十二月三日、天皇は近江宮で崩御された、と記す〕。

*天智天皇の死の伝承は、バハラーム王の死の物語を連想させる→〔死体消失〕5の『七王妃物語』(ニザーミー)第44章。

*若い娘が、木の下に草履を脱ぎ置いたまま行方知れずになる→〔神隠し〕1の『遠野物語』(柳田国男)8。

『ラーマーヤナ』第2巻「アヨーディヤー都城の巻」第112〜115章  カイケーイー妃が自分の息子バラタを王にしようとはかり、カウサリヤー妃の息子ラーマを、ダンダカの森へ追放する。バラタは王位につくことを拒否し、森へ行ってラーマに帰国を願うが、叶わなかった。バラタは、ラーマの身代わりとして両足の履物を請い受けて帰り、都を避けて村に住む。彼はラーマの履物を王座に置き、履物に政務を報告し、履物を頼りに政治を行なった。

★2b.下駄も、人間の身代わりと認められた。

『百姓女たよ』(木下順二)  封建時代は、妻から離婚を申し出ることはできず、縁切り寺に駆け込むしか方法がなかった。しかし途中でつかまったら、たいへんなことになる。追っ手が迫ったら、下駄を片方ぬいで、寺の門内へ投げ込めばよい。そうすれば寺がかくまってくれ、たとえ大名でも手出しはできない→〔縁切り〕3。 

★3.王が、靴の持ち主の女を捜して、妻とする。

『ギリシア奇談集』(アイリアノス)巻13−33  エジプトの美貌の遊女ロドピスが入浴中、鷲が降りて来て、彼女の靴の片方をつかんで飛び去った。鷲はメンピスまで飛び、プサンメティコス王の懐に靴を落とす。王は「靴の持ち主である女を求めて、エジプト全土を捜索せよ」と命令し、見つけ出すと妃にした。

『灰かぶり』(グリム)KHM21  真っ白な小鳥が、輝く衣裳と黄金の靴を「灰かぶり(シンデレラ)」に与える。「灰かぶり」はお城の舞踏会へ行って、王子と踊る。日が暮れて「灰かぶり」は帰ろうとするが、王子は「灰かぶり」を逃がさないために、前もって階段にべたべたのチャン(瀝青)を塗っておいた。左の靴がくっついて残り、王子は「この黄金の靴が合う娘を妻とする」と言う。「灰かぶり」の足が靴にぴったり合い、王子と結婚する。

*ガラスの靴が合う娘を捜す→〔ガラス〕1の『サンドリヨン』(ペロー)。

『酉陽雑俎』続集巻1−875  継母にいじめられる娘・葉限(しょうげん)は、不思議な魚の骨に祈って、宝玉や衣裳など望みのものを得た。祭日に葉限は美しく着飾って出かけるが、継母に見とがめられて慌てて帰る時、金の履を片方落とす。隣国の王がそれを手に入れ、履に合う足の娘を捜して葉限を見いだす。葉限は美貌であったので、王の上婦となった。

*靴の持ち主の女を捜すと、豚だった→〔豚〕1の『太平広記』巻439所引『集異記』。

★4.靴の持ち主を捜されると困るので、他人の靴と取り替える。

『笑府』巻6 J「認鞋」  夜、人妻が隣人と通じているところへ、夫が帰って来る。隣人は窓から逃げ、夫はその鞋をつかみ取る。夫は妻を罵り、「明日、鞋の主をつきとめる」と言う。妻は、夫が眠っている間に、隣人の鞋を夫の鞋と取り替えておく。翌朝、夫は鞋を見て驚き、妻に謝る。「私は勘違いしていた。昨夜、窓から逃げたのは私だったのだ」。

★5a.焼けた鉄靴をはかされて、踊り狂う。

『白雪姫』(グリム)KHM53  白雪姫と王子の結婚式に、継母(妃)が招かれる。継母は、毒りんごで殺したはずの白雪姫が花嫁姿でいるのを見て、驚く。その場で継母は、炭火で真っ赤に焼けた鉄靴をはかされる。継母は踊り狂い、やがて息が絶えて倒れる。

★5b.意志にかかわらず、踊り続ける靴。

『赤いくつ』(アンデルセン)  カレンのはいた赤いくつは足にくっついてぬぐことができず、しかも彼女の意志にかかわりなく踊る。くつがカレンの身体を運び、カレンは畑をこえ草原をこえて、晴れた日も雨の日も、昼も夜も踊り続けなければならない。剣を持つ天使が「おまえは死ぬまで踊り続けるのだ」と、カレンに宣告する。

★6.沓を前後逆にはく。

『義経記』巻5「吉野法師判官を追ひかけ奉る事」  昔、天竺波羅奈(はらない)国の王が戦争に負けた時、沓を前後逆さに履いて逃げた。不思議な足跡を見た敵軍は、「何か計略があるのか?」と疑い、追跡をやめた。雪の吉野を逃げる源義経主従が、この故事に倣って沓を逆に履く。しかし追手は、「これは波羅奈国王の先例に従ったものだ」と見破り、追撃の手をゆるめなかった。

『譚海』(津村淙庵)巻の2(つし王丸)  丹後の由良の湊に「逆沓」という故事がある。つし王丸が、三荘太夫の許(もと)から脱出して京へ上る時、沓を前後逆にはいて、雪中を逃げた。そのため、雪についた足跡は奥丹後へ向かうように見え、追手は奥丹後方面を捜したので、つし王丸は無事に京へ入ることができた。

★7.靴をきっかけに、親交を結ぶ。

『日本書紀』巻24皇極天皇3年正月  中臣鎌子(なかとみのかまこ)は、逆臣蘇我入鹿を倒すために、中大兄(なかのおほえ)に近づきたいと考える。法興寺の槻の木の下で中大兄が打毬(ちょうきゅう)を行なった時、彼の皮鞋(みくつ)が脱げ落ちた。鎌子はそれを掌中に取り持ち、跪(ひざまづ)いて奉り、中大兄も跪いて受け取った。それ以来、二人は親密になり、ともに入鹿暗殺の計画を練った。

★8.草履が男女の縁結びをする。

『椿説弓張月』後篇巻之1第16回  鎮西八郎為朝が、三宅島沖の「女護の嶋」を訪れる。磯辺には、木の皮で編んだ草履がいくつも並び、「漂流して来た男がここで草履をはくと、草履の持ち主である女がその男を夫とする」との伝説を思わせる光景だった〔*後に嶋の娘・長女(にょこ)が、「草履を磯辺に置くのは『男(を)の嶋』に住む夫たちの無事を祈るためで、日本の陰膳(かげぜん)と同じです」と、為朝に説明する〕。

 

※いくらでも金貨が入る靴→〔底なし〕2の『土(ど)まんじゅう』(グリム)KHM195。

※飢えて靴を食べる→〔飢え〕2aの『黄金狂時代』(チャップリン)。

※片足にだけ靴をはいている男→〔片足〕7の『アルゴナウティカ』(アポロニオス)第1歌など。

※片足に下駄、片足に草履→〔二者択一〕6cの 黒住宗忠の逸話。

 

 

【国見】

★1.神が、天上から地表の国土を見下ろす。

『古事記』上巻  イザナキ・イザナミ二神が天の浮橋に立ち、天の沼矛をさし下ろして、クラゲのごとく漂う国土を作り固めた。その後アメノオシホミミが天の浮橋から地上を見て、「葦原の中つ国は騒乱状態である」とアマテラスに報告した。そこで幾柱かの神々が降下し、葦原の中つ国を平定した。

『日本書紀』巻3神武天皇31年  昔、ニギハヤヒノミコトが天磐船(アマノイハフネ)に乗って大空を飛び廻り、日本の国土を見下ろして天降った。そして、この国を「そらみつ日本国(やまとのくに)」と名づけた〔*ニギハヤヒノミコトは、神武天皇の東征より以前に、天から大和地方に降りて来た〕。

*神が天の王座に腰かけ、下界を見渡す→〔赤ん坊(天界の)〕1の『失楽園』(ミルトン)第3巻、→〔椅子〕5の『天国へ行った仕立て屋さん』(グリム)KHM35。

★2.天皇が、山などの高所から国土を望見する。

『日本書紀』巻3神武天皇31年  夏四月一日、神武天皇は腋上(わきがみ)のホホマの丘に登り、大和の国のかたちを望見して、「狭い国だが、蜻蛉(あきつ)が交尾する姿のように山々が連なっている国だ」と言った。これによって初めて秋津洲(あきつしま)の名ができた〔*昔、イザナキノミコトは、この国を名づけて「日本(やまと)は浦安の国(心安らぐ国)」と言った〕。

『日本書紀』巻11仁徳天皇4年〜7年  四年春二月六日、仁徳天皇は「高殿に登って望見すると、炊煙が見られない。百姓が窮乏しているのだ」と詔した。三月二十一日、天皇は「今後三年間、課役を免ずる」と詔し、以後、自身もきわめて質素な暮らしをした。七年夏四月一日、天皇が高殿に登って一望すると、煙が盛んに上がり、民の暮らしの豊かになったことが知られた〔*『古事記』下巻では、天皇は高山に登って四方の国を見た、と記す〕→〔雨〕5

★3.神の国見と天皇の国見。

『日本書紀』巻8仲哀天皇8年9月  神が仲哀天皇の后(神功皇后)に乗り移り、「私を祭るならば、海の彼方にある金銀財宝豊かな新羅国が服属するだろう」と告げる。仲哀天皇は高い丘に登って遠くを望むが、海しか見えなかったので、「国などない」と神に抗弁する。神は「私が天上から明らかに見下ろしている国を、なぜ『ない』と言うのか」と怒る〔*翌九年二月五日、天皇は急病になり、六日に崩御された。五十二歳だった。

*→〔琴〕1の『古事記』中巻の類話では、「神の国見」の記述がない。

★4.国見をして、特定の家に目を止める。

『古事記』下巻(雄略天皇)  雄略天皇が河内に行幸して山に登り、国見をすると、志幾の大縣主の家が屋根の上に高く堅魚木を上げて、天皇の宮殿に似せて造ってあった。天皇は怒り、その家を焼こうとしたので、大縣主は恐れて謝罪し、白犬を献上した。

『三国遺事』巻1「奇異」第1・第四脱解王  脱解王は少年の時、吐含山に登って町を望見し、大臣瓠公の屋敷の辺りが住むに適している、と考えた。脱解は、瓠公の屋敷近くに炭をこっそり埋め、「ここは私の祖先の土地だから、返して欲しい」と要求した。「祖先は鍛冶屋だった。地面を掘ればわかる」という脱解の言葉どおり、掘ってみると炭が出てきた。脱解の主張は認められ、彼は瓠公の屋敷を手に入れた。

★5.国見をして、住むべき土地を決める。

『三国史記』巻23「百済本紀」第1・第1代始祖温祚王前紀  朱蒙の二人の息子が、住むべき国を求めて旅に出る。漢山の地にいたり、負児嶽に登って居住地を望み見た。兄の沸流は海浜に住むことにし、弟の温祚は漢山の慰礼城に都を定めた。海浜は土地が湿り、水が塩からくて、住みづらかった。慰礼城は土地柄も良く、人々の暮らしは安泰だった。それを知った兄沸流は、恥じて死んだ。

★6a.帝王ではなく大泥棒が、山ではなく楼上から、都の春景色を眺める。

『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)「南禅寺山門の場」  春の夕暮れ、石川五右衛門が南禅寺山門の楼上に登り、「絶景かな、絶景かな」と、都の花盛りを愛でる。そこへ鷹が、明国将軍・宋蘇卿の遺書を運び、石川五右衛門はそれを読んで、自らが宋蘇卿の子であること、真柴久吉が父の敵であることを知る。その時、山門の下に真柴久吉が現れ、石川五右衛門と真柴久吉はにらみ合う。

★6b.ビルの屋上から下を見おろすだけでも、人格改造ができる。

『笑ゥせぇるすまん』(藤子不二雄A)「見おろす男」  卑屈な性格のサラリーマン宇和目和夫が、喪黒福造に勧められ、ビルの屋上の小屋で一週間暮らす。毎日下界を見おろすうちに、宇和目は自分に自信を持つようになり、会社では、以前と違った堂々たる態度を示して、皆から一目置かれる。しかし帰宅して妻から一喝されると、たちまち宇和目はもとの卑屈な人格に戻り、「ごめんなさい、ごめんなさい」とあやまり続けた。

★7a.宇宙の高みから、地球を見下ろす。

『神曲』(ダンテ)「天国篇」第22歌  「私(ダンテ)」はベアトリーチェに導かれて地上を離れ、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天と、しだいに天界の高みに昇って行く。恒星天まで到った時、ベアトリーチェは「さらに原動天、至高天へと進む前に、下方を見てみよ」と言う。「私」は振り返って、七つの天球とその彼方の地球を見おろす。地球の小さな憐れなさまに、「私」は微笑した。

『無門関』(慧開)20「大力量人」の頌(じゅ)に、「低頭俯視四禅天(かうべをたれてふしてみるしぜんてん)」の句がある。天界を、さらに高い所から見下ろすのである。

★7b.宇宙の高みから下界を見下ろすと、青く見える。

『仙境異聞』(平田篤胤)下「仙童寅吉物語」2  天狗界で修行した寅吉少年は、大空から国土を見たことがあった。少し飛び上がると、海川、野山、人の往来が見え、国土はたいへん広く、丸く見えた。高く上がると、むらむらとうす青く網目を引きめぐらしたように見えた。さらに上昇し、星のある辺まで行って国土を見ると、月よりもよほど大きく、光って見えた。

『荘子』「逍遥遊篇」第1  大空の青色は、本当の色だろうか? 遠く隔たって限りがないから、青く見えるのだろうか? 大鳳はつむじ風に羽ばたいて、九万里の高さに舞い上がる。大鳳がその高さから見下ろす時、人間が空を見るように、下界も青く見えているに違いない。

『ユング自伝』10「幻像」  一九四四年の初め、六十八歳の「私(ユング)」は重病で危篤に陥り、宇宙の高みからインド、ヒマラヤ、アラビアなどを見下ろす幻像を見た。地球全体は視野の中に入らなかったが、青い光に照らされて、地球の球形の輪郭が銀色に輝いていた。これは、ほぼ高度千五百キロメートルからの展望に相当することが、後にわかった。その眺めは、「私」が今までに見た光景の中でもっとも美しいものだった。

*空の青は、地球の上っ皮だけに仕組まれたペテン→〔太陽〕12の『何故私は奴さんたちを好むか』(稲垣足穂)。

*アダムスキーは「地球は白い光を放っていた」と記す→〔空飛ぶ円盤〕1の『驚異の大母船内部』(アダムスキー)。

 

 

【首】

 *関連項目→〔動く首〕〔にせ首〕〔ろくろ首〕

★1.男の首と女。

『赤と黒』(スタンダール)第2部第10章・第45章  マチルドの先祖ラ・モールは政変で処刑されたが、その愛人マルグリット妃が、死刑執行人からラ・モールの首を譲りうけ、自らの手で葬った。この出来事に感銘を受けたマチルドは、後に、ギロチンで処刑された恋人ジュリアン・ソレルの首に口づけし、首を膝に抱いて運び、山の洞窟に埋めた。

『サロメ』(ワイルド)  処女サロメは、美しい若者である預言者ヨカナーンを恋し、「お前の唇に口づけさせておくれ」と繰り返し求愛する。しかしヨカナーンはサロメを拒絶し、「けがらわしい女め」とののしる。サロメの願いで(*→〔踊り〕2)、エロド(ヘロデ)王はヨカナーンを斬首する。サロメは、血のしたたるヨカナーンの首に口づけする。エロド王は兵に、「サロメを殺せ」と命ずる。

『デカメロン』第4日第5話  イザベッタの恋人が、彼女の兄たちによって殺された。イザベッタは恋人の死体を掘り出し、首を切り取って鉢の中に入れ、土をかぶせて、めぼうきを植える。イザベッタは毎日鉢植えを見て泣き、涙がめぼうきを濡らす。兄たちは殺人が露見しないように、イザベッタから鉢を取り上げてしまう。イザベッタはいつまでも泣き止まず、とうとう泣き死にした。

『ユディト書』(旧約聖書外典)  ホロフェルネス率いるアッシリア軍が、ベトゥリアの町を包囲する。町を救うため、寡婦ユディトが敵陣へ乗りこみ、美貌と才知でホロフェルネスを欺く。ユディトは、ホロフェルネスを酔わせ眠らせて、彼の首を取る。

★2.女の首と男。

『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)(鶴屋南北)「愛染院門前の場」  薩摩源五兵衛は芸者小万を殺し(*→〔書き換え〕2)、その首を持って荒れ寺へ行き、一人で飯を食う。「お前と二人、食事をしようと思うたに」と源五兵衛は語りかけ、飲みさしの茶を小万の首にぶっかける。

★3.合戦で、敵の首を取る。

才蔵竹の伝説  福島正則臣下の豪傑・可児才蔵は、若い時合戦に出て、敵の首を十九も取った。全部を持ち帰ることはできないので、自分が討ち取ったしるしとして、首の口に笹の葉をさした。そのことから、彼は「笹の才蔵」と呼ばれるようになった(広島県広島市周辺)→〔竹〕3

★4.竹鋸(のこぎり)で首を引き切る。

『さんせう太夫』(説経)  つし王(厨子王)は丹後の国司となり、由良の港の人買い・さんせう太夫を処罰する。つし王は、太夫の三人の息子のうち、もっとも邪険だった三郎に竹鋸を与え、「これで父の首を引け」と命ずる。さんせう太夫の身体は穴を掘って肩まで埋められ、三郎は竹鋸を百六回引いて、ようやく父の首を切り落とす〔*三郎も、往来の人々に七日七夜、竹鋸で首を引かれて死ぬ〕。

『夏祭浪花鑑』「長町裏殺しの場」〜「団七住居の場」  団七九郎兵衛は、舅(妻お梶の父親)義平次を殺した。これは親殺しの大罪である。団七はもとより、妻お梶・息子市松も連座して、竹鋸で首を引かれる刑に処せられるのだ。彼らを鋸引きの刑から救うため、団七の義兄弟・一寸徳兵衛は、お梶に不義をしかける〔*実際には、江戸時代には竹鋸の刑は行なわれなかったという〕→〔縁切り〕2

★5a.首を胴体から切り離して復活を防ぐ。

『黄金伝説』119「洗者聖ヨハネ刎首」  聖ヨハネはアラビアのある城砦で首を刎ねられ、その首はイェルサレムのヘロデの宮殿のそばに葬られた。首を胴体といっしょに葬ったのでは、生き返るかもしれないと思われたからである。

『吸血鬼ドラキュラ』(ストーカー)15〜16「ドクター・セワードの日記(つづき)」  若い娘ルーシーは吸血鬼ドラキュラ伯爵に咬まれ、死んで埋葬された。しかし彼女は実際には不死の吸血鬼となったのであり、夜になると棺を開き、血を求めてさまよい出る。ルーシーを本当に死なせてその魂を救うために、婚約者アーサーやヘルシング教授らが墓をあばき、彼女の胸に杭を打ち込む。それだけではなお不十分なので、さらに首を切断し、口にニンニクをつめる。

★5b.胴体から切り離されても生き続ける首。

『ドウエル教授の首』(ベリャーエフ)  ドウエル教授は、遺体から切り取った器官の再生実験によって、名声を得ていた。しかしドウエルは不治の病にかかり、死んでしまった(研究協力者のケルンが、ドウエルの業績を横取りしようと、巧妙に彼を殺したのかもしれなかった)。ケルンは、ドウエルの首を胴体から切り離して蘇生させる。ドウエルの首は、動くことはできないが、研究論文も読めるし会話もできる。ただし、首だけの存在では生命力は長続きせず、ドウエルは息子アルトゥールに看取られて、息を引き取る〔*ケルンは殺人罪で告発され、拳銃自殺した〕。

★6.首提灯。

『首提灯』(落語)  夜道で侍が、酔っぱらいの首を居合抜きに切る。酔っぱらいは切られたことに気づかないが、首がだんだん身体からズレて来る。折からの火事騒ぎで大勢の人が出てきたので、酔っぱらいは手で自分の首を差し上げて「はい、ごめんよ。はい、ごめんよ」。

『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第28歌  英国王父子を仲違いさせた男ベルトラン・ド・ボルンは、死後地獄に堕ちて、悪魔の剣で首を切り取られた。彼は自分の首を提灯のごとく手に掲げて歩き、「父と子を二つに分けた俺は、その報いでこのように二つに分けられた」と、「私(ダンテ)」に語った。

★7.首と西瓜。

『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版・第28巻123ページ  ノリスケが人間の頭ほどの大きさの西瓜を包み、夜、鉄道便の受付へ持って行く。「送り先はどこですか?」と聞かれて、ノリスケは「どこでもいいですよ。ヒヒヒ」と気味悪く笑う。受付係は包みを取り落とし、赤い汁が出るのを見て悲鳴を上げる。ノリスケは「ちょいと納涼がすぎたかな」と言って去る。

『西瓜』(岡本綺堂)  御家人の下僕・伊平が、風呂敷包みの西瓜を持って辻番所の前を通る。番人たちが怪しんで風呂敷を調べると、中から女の生首が出てくる。驚いて見直すと、もとの西瓜である。伊平は帰邸して、このことを奥様に語る。奥様が風呂敷をあけると生首である。しかし主人が見直すと西瓜である。主人は西瓜を割る。西瓜の中からは、青蛙と長い髪が出てきた。

*西瓜に似た丸いもの→〔小人〕9の『踊る一寸法師』(江戸川乱歩)。

★8.首売り。

『首屋』(落語)  「首屋でござい」と言って歩く男がいるので、殿様が屋敷へ呼び入れる。殿様は、首の代金七両二分を前払いして、刀を抜き、男の首に斬りつける。男はひらりと体をかわし、手持ちの風呂敷包みから、張り子の首を投げ出して逃げる。殿様「これは張り子ではないか。買ったのはお前の首だ」。男「こちらは看板でございます」。

★9.首斬り役人。

『子連れ狼』(小池一夫/小島剛夕)其之17「二河白道」  拝一刀は、徳川幕府の要職である公儀介錯人として、何人もの大名の首を斬った。柳生烈堂率いる裏柳生一門が、公儀介錯人の地位をねらい、拝一刀を無実の罪に落とし入れる〔*一刀の妻・臨月の薊(あざみ)も、惨殺される。胎児・大五郎は臍の緒がついたまま、薊の腹からこぼれ出ていた〕。拝一刀は大五郎を乳母車に乗せ、諸国流浪の刺客となって、冥府魔道を生きる。

『法句経物語』第100偈  「赤ひげ」と呼ばれる男が、首斬り役人を五十五年間つとめた。若い頃は一度に五百人を斬った赤ひげも、年老いて、一人の罪人をさえ、二度・三度と斬りなおさねばならなくなり、罪人は苦しんだ。彼は免職になり、その後、サーリプッタ長老の説法を聞いて、預流果(よるか)の手前の従順忍を得た。赤ひげは、説法を終えて帰る長老を送って行き、その戻り道で牛に突かれて死んだ。彼はツシタ(兜率)の天宮に生まれた。

『聊斎志異』巻2−66「快刀」  ある兵士が、たいへん良く斬れる刀を持っていた。処刑される男が兵士に、「貴方の刀は、首を斬ってもやり直しをしたことがないそうだね。貴方の刀で私を斬ってくれ」と頼んだ。兵士は承知し、刀を一閃して、男の首を斬り落とす。首はころころと転がりながら、大いに褒めて言った。「すごい刀だ」。 

★10.首をつけかえる。

『聊斎志異』巻2−47「陸判」  朱爾旦は、閻魔王に仕える判官像(陸判官)と親しくなった(*→〔像〕8a)。朱爾旦は、かねてから妻の容貌に不満を持っていたので、陸判官に「美女の顔と取り替えてくれ」と頼む。陸判官は、朱の妻が就寝中にその首を切り落として埋め、他所で殺された美女の首を持って来て付け替えた。

*頭をつけかえる→〔頭〕9の『屍鬼二十五話』(ソーマデーヴァ)第6話。

★11a.十余年前の古傷が裂け、首が落ちて死ぬ。

『聊斎志異』巻4−140「諸城某甲」  流賊の騒乱の時、ある男が首を斬られたが、皮一枚で胴体とつながっていたので、死なずにすみ、半年ほどで首はもとどおりつながった。それから十余年後、彼は二〜三人と話していて大笑いし、首が揺れたはずみに突然刀傷が裂け、頭が落ちて死んでしまった。

★11b.首が落ちた話から、教訓を導き出す。

『首が落ちた話』(芥川龍之介)  日清戦争の時、何小二(かしょうじ)は日本刀で首を斬られたが、首は僅かに胴体とつながっていたので、彼は回復した。一年ほど後、何小二は酒楼で仲間と喧嘩になり、格闘して倒れるはずみに傷口が裂けて、首が床に落ちた。この出来事を新聞で読んだ木村少佐は言った。「我々の人格も、いつどんな時、首が落ちるかわからない」。

★11c.咽喉を切られた傷口が開いて死ぬ、という物語もある。

『黄金のろば』(アプレイユス)巻の1  アリストメネスと友人ソクラテスが旅宿で寝ていると、魔女二人が来て、剣でソクラテスの咽喉を切り開く。噴き出る血を水袋に受け取り、心臓を引きずり出し、傷口に海綿を詰めて、魔女たちは去って行く。翌朝、何事もなかったかのようにソクラテスは起き上がり、アリストメネスとともに旅を続ける。咽喉が渇いたので、小川の水を飲もうと身をかがめたとたん、咽喉の傷口が開き、海綿が転がり出て、ソクラテスは死んでしまった。

 

 

【首くくり】

★1.首くくりの松。 

『吾輩は猫である』(夏目漱石)2  土手三番町に「首懸の松」があり、通りかかった人は皆、そこで首をくくりたくなる。年に二〜三人は、その松で首を吊る。歳末のある日、散歩に出た迷亭も、「首懸の松」を見て首をくくりたくなる。しかし、まず家の用事をすませてからと思い、迷亭はいったん帰宅する。すぐに出直して松の下へ行くと、もう誰かが首を吊ってぶらさがっていた。

★2.首をくくった人間のその後。

『閲微草堂筆記』「ラン陽消夏録」47「身代わりを待つ幽霊」  個人的な怒りや恨みから首をくくって死んだ者の霊は、浮かばれぬままその場所に閉じ込められる。次にその場所へ来て首を吊る者があると、先に首をくくった者は、はじめて解放され、輪廻に入って生まれ変わることが可能になる。したがって、首をくくった霊は、誰か来て首を吊ってくれるのを、いつも待っている。

*冥界の川の渡し守は、交代する者が来なければ、いつまでも仕事を続けねばならない→〔冥界の川〕4の『黄金(きん)の毛が三本はえてる鬼』(グリム)KHM29。

*首をくくった人の悪念が、首くくりの場所へ生者を引き寄せる→〔死神〕7の『絵本百物語』第6「死神」。

『聊斎志異』巻6−225「縊鬼」  范という男が宿屋に泊まり、うたた寝をしていると、若い女が奥から出て来て梁に帯をかけ、首をくくってぶら下がった。范は驚いて宿の主人を呼んだが、その時にはもう女の姿はなかった。主人は「以前、せがれの嫁がここで首を吊って死にました。それではありますまいか?」と言った。女は死後、他のことはすっかり忘れながらも、首をくくった時の苦痛は忘れることができず、その場面を再現しているのだった。

*霊が死後も首吊り行為を繰り返している、ということではなく、過去の首吊り事件の残像が見えただけ、と解することもできるであろう。

★3.幽霊が人を首くくりに導く。

『幽明録』27「首つりの幽霊」  夜、娘が一軒の邸宅までやって来て、梁に縄をかけて首をつる。近くにいあわせた男が見ると、屋根の上に幽霊がいて、縄を引き絞っている。男は刀を抜いて縄を切断し、屋根の幽霊に斬りつける。幽霊は西の方へ逃げて行った。男は娘を家まで送り届ける。娘の両親は「これは運命のしわざでありましょう」と言って、娘を男の妻として与えた。 

★4.首吊り自殺にみせかけた殺人。

『ある小官僚の抹殺』(松本清張)  ××省の唐津課長は、ある汚職事件の重要参考人として、警察からマークされていた。官庁と業者のブローカー篠田が、「役所の上役に迷惑が及ばないように、善処してくれ。家族の面倒は十分に見るから」と、唐津を説得する。しかし唐津は、善処=自殺を拒否した。篠田は旅館の一室で唐津を絞殺し、唐津が鴨居で首を吊って自殺したように見せかけた。唐津の死によって、汚職事件の捜査は不可能になった。 

*仲間を裏切った男を、縊死に見せかけて殺す→〔裏切り〕3の『入院患者』(ドイル)。

★5.絞首台にぶら下がる死体。

『旅あるきの二人の職人』(グリムKHM107)  靴屋が、仕立て屋の両目をえぐり取る(*→〔交換〕3c)。盲目になった仕立て屋は、野原の絞首台の下で眠る。絞首台にぶら下がる罪人二人が、「ここから垂れる露で洗えば、なくなった目玉が生えかわるんだ」と話し合う。仕立て屋は目の窩(あな)を露で洗い、新しい目玉が生え出る。後に靴屋が絞首台の所まで来ると、罪人たちの頭にとまっていた二羽の鴉が飛びおり、靴屋の両目をつつき出した。

*→〔心〕6の『大般涅槃経』(40巻本「師子吼菩薩品」)も同様に、悪人によって目をつぶされる物語だが、その後の展開が大きく異なる。

『ドイツ伝説集』(グリム)336「絞首台から来た客」  旅館の亭主が絞首台のそばを通りかかり、吊るされている三人の男の遺骸に、「今夜、食事に来ても良いぞ」と言う。するとその夜、本当に三人の幽霊が旅館へやって来る。幽霊はすぐに消えたが、亭主は恐怖で床についてしまい、三日目に死んだ。

★6.首くくりの女神。

イシュタムの神話(コッテル『世界神話辞典』アメリカ)  イシュタムは、マヤの自殺の女神で、首にロープを巻きつけてぶら下がる姿として描写される。首吊りによる自殺者、戦死者、いけにえの犠牲者、出産時に死んだ女、聖職に従事した神官たちの魂は、イシュタムによって、ただちに楽園へ運ばれる。楽園の住民は、宇宙樹ヤシュチェの木陰で、あらゆる苦しみと欠乏から解放されて憩うのである。

★7.縊死するまでの時間。

『或る阿呆の一生』(芥川龍之介)44「死」  「彼」は窓格子に帯をかけ、懐中時計を持って、試みに縊死するまでの時間を計った。すると、ちょっと苦しかった後、何もかもぼんやりなりはじめた。そこを一度通り越しさえすれば、死に入ってしまうのに違いなかった。「彼」は時計の針を調べ、苦しみを感じたのは一分二十何秒かだったのを発見した。

 

 

【首のない人】

★1.死者の身元がわからないように首を切断して持ち去り、胴体だけの死体を残す。

『今昔物語集』巻10−32  盗賊父子が国王の蔵から財宝を盗む。父が捕らえられそうになったので、息子は父の首を切り、首なし死体を残して逃げる。賊の身元が不明なので、国王は首なし死体を辻に捨て、縁者が死体を葬りに来るところを捕らえようとする。息子は番人を酒で酔わせ、車に積んだ薪をわざと死体の上に落としかぶせて、火葬する。

『七賢人物語』「妃の語る第三の物語」  騎士父子がローマ皇帝の塔から黄金を盗むが、父が罠にかかったので、息子は父の首を切って逃げる。皇帝は賊の身元を知るために、首なし死体を街中引き回すよう命じ、騎士の娘たちがそれを見て悲しみの叫び声を上げる。息子はとっさに短剣で自らの脚を刺し、「私が怪我をしたので姉妹が叫んだのだ」と、皇帝の従者たちに説明する。

『歴史』(ヘロドトス)巻2−121  盗賊の兄弟が、エジプト王ランプシニトスの蔵から財宝を盗む。一人が罠にかかったので、もう一人が兄弟の首を切って逃げる。王は首なし死体を塀に吊るし、それを見て泣き悲しむ者を捕らえようとする。盗賊は番人を酒で眠らせて、兄弟の死体を運び去る。

*「首なし死体」の応用編として、「胴体なしの死体」というものもある→〔いれずみ〕5の『刺青殺人事件』(高木彬光)。

★2.AがBを殺して首を切断し、Bの死体にAの衣服を着せて、殺されたのはAであるかのように見せかける。

『エジプト十字架の謎』(クイーン)  敵に狙われているヴァンは、逆に敵をおびき寄せて殺し、首を切断して身体に自分の衣服を着せ、ヴァンが敵に殺されたかのように見せかける。後に警察はヴァンの生存を知るが、ヴァンはもう一度別人を殺して首を切断し、ヴァンの死体のように見せる。

『大岡政談』「越後伝吉一件」  越後の百姓伝吉の妻お梅は、名主上台憑司の息子・昌次郎と密通する。関係が露顕し、お梅と昌次郎は江戸へ旅立つが、その途中、女をさらった雲助と争って、彼らを殺してしまう。そして死体の首を切り落とし、昌次郎とお梅の着物を着せて、自分たちが殺されたように見せかけ、伝吉を犯人に仕立て上げる。

『半七捕物帳』(岡本綺堂)「蝶合戦」  本所松坂町の弁天堂の尼善昌が殺され、首を切り取られていた。それは、善昌が悪事仲間の女お国を殺して、首なし死体に自分の法衣を着せ、善昌自身が殺されように見せかけて、身を隠したのだった。

*顔を散弾銃で撃たれ、誰の顔か識別できなくなっていれば、首を切断しなくても衣服を取り替えるだけで、別人に仕立て上げることができる→〔顔〕2の『恐怖の谷』(ドイル)第1部。

★3.AがBを殺して首を切断し、Cが殺されたかのように見せかける。

『棠陰比事』127「従事函首」  行商人が帰宅すると妻が殺されており、首がなかった。行商人は妻殺しの犯人として逮捕された。実は行商人の妻は生きており、某富豪の邸に隠されていた。これより先、某富豪は乳母を殺し、その首を箱に入れて葬った。そして首なしの乳母の死体を行商人の家に置き、妻の死体のごとく見せかけたのだった〔*類話2話がこの後に記される〕。

★4.首なしの幽霊。

首のない白馬の伝説  四月二十四日の夜、首のない白衣の武者が白馬に乗り、行列を作って通る。のぞき見た者は死ぬ。出会ったら、「柴田勝家公の家来(あるいは、天下の名将柴田勝家公)」と言えば、助かる〔*首なしの武者が馬に乗って通るという物語と、武者が首なしの馬に乗って通るという物語の両様ある〕(福井県福井市)。

『スケッチ・ブック』(アーヴィング)「スリーピー・ホロウの伝説」  イカバッドは深夜帰宅する途中に、首のない騎士の幽霊に追いかけられる。幽霊は鞍に置いた自分の首をイカバッドに投げつける。その夜からイカバッドの姿を見たものはなく、彼は生死不明である。

『太平広記』巻330所引『霊異集』  唐の開元年中、王鑑が酔いに乗じて城外を夕暮れに騎行し、焚き火を囲む十余人に出会う。王鑑は近寄って話しかけるが、誰も返事をしない。見ると人々の半数は頭部がなく、頭部のある者は面衣をつけていた〔*王鑑はその夜、他の怪異にも遭い、一年後に病死する〕。

★5.首が、鏡や水に映らない。

『異苑』38「首のない姿」  東晋の元帝の永昌元年(322)、甘卓は、王敦の軍を攻めようと企てながら中止した。ところが帰宅後、鏡に向かっても首が映らず、庭木を見ると梢に首が乗っている、などの怪事が起こり、甘卓は不快に思った。まもなく甘卓は、王敦の一味に暗殺された。

『首のない影』(日本の昔話)  二十三夜の明け方近く、男が田の畔を歩き、田水に映る自分の影に首がないので驚く。それは死の予兆であり、家では妻の情人が、鉈で男の首を斬って殺そうと、待ちかまえていた。男はそれを知り、弓で妻と情人を射殺した(鹿児島県大島郡宇検村生勝。*→〔密通〕3aの『古事談』巻6−50などと同系の物語)。

★6.たとえ首がなくなっても、動いてみせる。

『東海道四谷怪談』(鶴屋南北)「砂村隠亡堀」  伊藤喜兵衛一家を殺した民谷伊右衛門に、鰻掻き直助が「お前は強悪だなあ」と声をかける。「どうせ我々の最期は、この鰻のように身を裂かれるだろう」と直助が言うと、伊右衛門は、「首が飛んでも動いてみせるわ」と答える。

★7.首なしで生きている人。

『和漢三才図会』巻第12・支体部「頭」  『五雑組』に、大明(たいみん)の花敬定という人は、亢(くび)をなくしてもなお、馬を下りて手を洗った。紗を洗っていた女がそれを見て、「頭がない」と言った。その言葉を聞いて花敬定は倒れた。また、崔広宗は首がないのに飲食・情欲は人と異なることなく、さらに一男をもうけて、五年してからやっと死んだ、などとある。これなどは妖に近いものである。

 

 

【熊】

★1.神の化身の熊。

『古事記』中巻  カムヤマトイハレビコ(後の神武天皇)は、九州から東征の旅に出て、熊野の村に到った。その時、大きな熊がちらりと姿を見せ、たちまち消え失せた。カムヤマトイハレビコは気を失って倒れ、付き従う兵士たちも倒れた。高倉下(たかくらじ)が刀を献上すると(*→〔夢告〕1)、カムヤマトイハレビコは覚醒し、「長く寝つるかも」と言った。カムヤマトイハレビコは刀を受け取り、熊野の荒ぶる神たちは自然に皆切り倒された〔*『古事記』序では「化熊(神の化身の熊)」と記す。『日本書紀』巻3神武天皇即位前紀戊午年6月は「熊」とせず「神」と記す〕。

★2a.熊が人を助ける。

『北越雪譜』(鈴木牧之)初編・巻之上「熊人を助く」  二月初旬、薪を取りに雪山へ入った青年が、谷底へ転げ落ちる。凍死せぬように岩穴へ入ると、熊が眠っていた。熊は青年を襲うことなく、掌を青年の口に押し当てる。青年が熊の掌をなめると、甘くて少し苦い味がして、飢えをしのぐことができた。青年は熊と一緒に数十日間暮らし、熊は飼い犬のごとく青年になつく。雪解けの頃、熊は雪を掘って道を作り、青年を人里近くまで連れて行った。

★2b.熊に助けられたのに、恩を仇で返す。

『奇談異聞辞典』(柴田宵曲)「熊の窟」  薩摩の猟師が谷底へ陥った時、熊が現れて掌をなめさせてくれた。たいへん甘く、猟師は飢えることがなかった。しばらく熊の窟で過ごした後に、猟師は里へ帰ったが、途中まで熊が道案内してくれた。後、猟師は鉄砲を持って熊の窟へ行き、熊を射殺して胆を取り、奉行所に献上する。奉行所は事情を問いただし、窟の前で猟師を磔(はりつけ)にした(『窓のすさみ』追加の上)。

★3.熊を捕らえる。

『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)「ミュンヒハウゼン男爵自身の話」  蜂蜜を求めて熊がやって来るので、「ワガハイ(ミュンヒハウゼン男爵)」は、荷車のかじ棒に蜜をべっとり塗っておいた。熊は喜んで、かじ棒の先端から嘗(な)め始めたが、むさぼるあまり、かじ棒ごとくわえこみ、かじ棒は熊の口、喉、胃、腹と通り抜けて、肛門から先端が出て来た。「ワガハイ」は先端にくさびを打ち込み、熊が退却するのを防いだ。

★4.熊に追われる。

『男はつらいよ』(山田洋次)第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」  寅次郎がいろいろと面倒をみてやった風子(ふうこ。演ずるのは中原理恵)が、北海道の山の温泉地で結婚式を挙げるので、寅次郎は出かけて行く。ところが途中で熊に追われ、寅次郎は死んだふりをして難を逃れる。「喰われて足がなくなってしまったんじゃないか」と寅次郎は心配するが、幸い足は無事だった。しかし草履の後ろ半分が食いちぎられているのを見て、寅次郎は目を回して倒れた。

★5.牡熊と人間の娘の間に生まれた子供。

『熊のジャン』(フランスの昔話)  森の牡熊が若い娘を洞窟へさらって、妻とする。翌年、半分人間で半分熊の息子が生まれる。彼は毛深いので、「熊のジャン」と呼ばれた。ジャンは成長後、母といっしょに洞窟から逃げ、牡熊は気落ちして死ぬ。ジャンは怪力の若者となり、一人で旅に出る。ジャンは怪物をやっつけ、捕らわれていた王女二人を救う。ジャンはそのうちの一人と結婚し、幸せに暮らした。

★6a.熊の皮を着た男。

『熊の皮をきた男』(グリム)KHM101  悪魔が、一文なしの若者に「七年間、熊の皮を着て、身体を洗わず、髪も髭も爪も切らずにいたら、大金持ちにしてやる」と告げる。若者は旅に出て、四年目に一人の老人を救う。老人は返礼に、「三人いる娘の一人を、あなたの妻として差し上げよう」と言う。長女と次女は熊姿の若者を嫌い、末娘が「父の恩人だから」と言って、若者と婚約する→〔指輪〕7

★6b.熊の皮を着た女。

『人間豹』(江戸川乱歩)  凶悪な人間豹恩田が、明智小五郎の妻文代さんをさらい、丸裸にして熊の毛皮を着せる。恩田は、曲馬団の見世物として、熊の毛皮を着た文代さんを、虎(その実体は豹。豹に化粧をして虎に見せかけた)と格闘させる。豹は鋭い牙で、熊の毛皮の上半身を引き裂く。中から文代さんの白い肌があらわれる。そこへ明智小五郎が駆けつけ、拳銃で豹を撃ち殺す。

*虎もライオンも、毛皮を着た人間だったというのが→〔にせもの〕4の『動物園』(落語)など。 

*熊の皮から女房を思い出す→〔連想〕2の『熊の皮』(落語)。 

★7.美女の代わりに熊。

『酉陽雑俎』巻12−476  悪僧二人が美少女をさらい、櫃(ながもち)に入れて林の中に置く。悪僧らがその場を離れている時に、寧王(李憲)が通りかかり、美少女を救い出して、代わりに熊を入れておく。悪僧二人は旅館へ櫃を運び、美少女をなぐさもうと蓋を開けると、熊が飛び出して二人を喰い殺した。

*『酉陽雑俎』にもとづくと思われる『ささやき竹』(御伽草子)では、熊ではなく牛が櫃から出てくる→〔尾〕1a

★8a.熊を撃つ猟師。

『なめとこ山の熊』(宮沢賢治)  淵沢小十郎は熊捕りの名人で、長年、熊の胆(い)や毛皮を売って、暮らしを立てていた。彼は熊を憎んでいなかったし、熊たちも小十郎を嫌いではなかった。殺すはずの熊から「二年待ってくれ。やり残した仕事もあるから」と請われ、見逃してやると、約束どおり二年後に、熊が小十郎の家の前で死んでいた、ということもあった。小十郎が山で死んで(*→〔光と生死〕4)三日目の晩、彼の死骸のまわりに、たくさんの熊が環になって集まり、雪にひれふしたまま、いつまでも動かなかった。

*殺し殺される関係であるが、互いを嫌いではない→〔クリスマス〕5の『影さす牢格子(ろごうし)』(ヴァン・デル・ポスト)。

★8b.熊と猟師が、生と死を交換する。

『金枝篇』(初版)第4章第4節  バスク人の猟師が、次のような物語を語った。「私(猟師)は熊に殺されたが、その後、熊は自らの魂を私(猟師)に吹き込んだ。そのため今度は、熊の体の方が死んでしまった。だから今では私(猟師)が熊なのであり、私(猟師)は熊の魂によって生かされている」。

 

※母の化身の熊と、それを殺そうとする息子→〔母殺し〕4の『変身物語』(オヴィディウス)巻2。 

 

 

【熊女房】

 *関連項目→〔魚女房〕〔蛙女房〕〔狐女房〕〔猿女房〕〔鶴女房〕〔蛇女房〕

★1.牝熊と、人間の男との結婚。

オロチョンと熊の物語(中国・オロチョン族の神話)  山奥へ入った狩人が、足に怪我をして動けなくなる。牝熊が薬草を与えて狩人の世話をし、狩人と牝熊は夫婦になって、半熊半人の子供が一人生まれる。怪我が治った狩人は、隙を見て逃げ出し、村へ帰ろうとする。牝熊は怒り、子供を真っ二つに引き裂いて、半分を狩人に投げつける。この子(半分の子)が、オロチョン族の始祖である。残りの半分は母熊に抱かれて山へ戻り、熊として暮らした。

『子不語』巻19−521  康煕年間(1662〜1722)、三等侍衛の伍公は、皇帝の供をして狩猟に出かけ、深い谷間に落ち込んだ。牝熊が伍公を洞窟へ運び、彼らは夫婦になって、三人の子供が生まれた。長男は都へ出て侍衛となり、やがて両親を迎えに来たので、一家はそろって都に移り住む。家人は熊を「熊太太(ゆうたいたい)」と呼んだ。人々は彼女に会いたがったが、彼女は人語を話せず、手を組んで挨拶するのだった。

『熊女房』(中国の昔話)  一人の商人が船出して、ある島に上陸する。嵐が来て船が流されてしまい、商人は気落ちして泣き出す。牝熊が現れ、木の実を与えて商人の世話をする。牝熊と商人は夫婦になり、息子一人と娘一人が生まれる。何年か後に、島の近くを船が通りかかったので、商人は息子だけを連れて、船に乗せてもらう。残された牝熊は、娘を抱いて海へ身を投げる(浙江省)。

★2.熊の化身の女と、天帝の子との結婚。

『三国遺事』巻1「紀異」第1・古朝鮮〔王儉朝鮮〕  熊が変身して人間の女になった(*→〔待つべき期間〕2a)。熊女(ウンニョ)は結婚相手を求め、「身ごもりますように」と祈る。天帝の子桓雄(ファンウン)が熊女と結婚し、子供が生まれる。名前を檀君王儉(タンクンワンコム)と言った。檀君王儉は平壌に都を開き、国号を朝鮮(チョソン)とした。 

 

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