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*関連項目→〔雷〕
『悪徳の栄え』(サド)「ジュスティーヌの死ならびに大団円」 「あたし(姉ジュリエット)」は淫行、殺人など悪徳の道をきわめ、「あたし」の妹ジュスティーヌは美徳の生活をつらぬく。「あたし」と仲間たちは、「妹を雷の手にゆだねて、運命を試そう。もし彼女が死ななければ、われわれは改心しよう」と言って、妹を嵐の屋外へ追い出す。たちまち落雷して、妹は死ぬ。善は報われず、悪は罰せられぬことを、「あたし」たちは確認する。
『北野天神縁起』 延長八年(930)六月二十六日に、清涼殿の坤(ひつじさる)の柱に落雷があり、火事になった。大納言清貫卿、右中弁希世朝臣、是茂朝臣、近衛忠包、紀蔭連らが死傷した。これは天満天神(菅原道真)の眷属・火雷火気毒王のしわざだった。
『電気』(黒岩涙香) 八月中旬の夕方、軍人の娘・十九歳の秀子は、恋人と亡命(かけおち)する決意をし、「書き置きを残しておこう」と、二階の洋室で机に向かう。折しも外は雷雨で、開け放したガラス窓から雷神(かみなり)が伝わって、秀子は電気(エレキ)に感じて死んでしまった(*→〔時計〕11)。父親は、「秀子は恥ずべき行ないを冒(おか)す間際に、電気という天の遣いに助けられ、いまだ汚れぬ身をもって天国へ上ったのじゃ」と言った。
*落雷による死を恐れる→〔落下する物〕5bの『お目出たき人』(武者小路実篤)。
『今昔物語集』第6−14 幽州の都督・張亮は、自分の身長と某寺の仏像の背丈が同じなので、その仏像を供養した。その時、雷が柱に落ちて、従者一人が即死した。柱は裂け散って張亮の額を直撃したが、痛みはなく、少し赤くなっただけだった。仏像を見ると、額の所に大きな傷跡がついていた。
『十訓抄』第6−25 小野皇后宮(=後冷泉帝妃)が『最勝王経』を書写しているところへ、雷が落ちた。宮は、衣服は焦げたものの身体は無事だった。持っていた経は、字の書いてない紙の部分だけ焼けて、経文の字は一字も焼けず残っていた。
『捜神記』巻12−6(通巻305話) 桑の木に降りた雷を、男が鋤でたたき落とした。その形は牛・馬のごとく、頭は猿に似て、毛の生えた角は三寸ほどの長さだった。
『太平広記』巻394所引『伝奇』 村人が雨乞いをしても旱魃が続くので、陳鸞鳳という男が雷公廟を焼き払う。怒って落ちかかる雷公の左股を、陳は刀を振るって斬り落とす。墜落した雷公は、熊、猪に似て毛角があり、肉翅がついていた。陳が雷公の首を取ろうとするのを村人が止め、やがて雷雲が湧いて、傷ついた雷公を包んで去った。
『日本霊異記』上−1 豊浦寺の近くに雷が落ちたので、少子部栖軽(ちいさこべのすがる)がこれを捕らえ、竹製の輿に乗せて大宮へ運んだ。雄略天皇は雷が放つ光を見て恐れ、供え物をささげて、落ちた所に返させた〔*雷がどのような姿形であったかは、書かれていない〕。
『太平広記』巻394所引『神仙感遇伝』 大木に落ちかかった雷が、木の裂け目にはさまれる。木の下で雨宿りする男が、裂け目に楔を打って雷を逃がしてやる。翌日、その返礼に、雷は自在に雷雨をあやつる法を記した書物を、男に与えた。
『日本書紀』巻22推古天皇26年8月 「霹靂(「かむとき」あるいは「かむとけ」)の木」として恐れられている木を、河辺臣が人夫に命じて切らせる。雷神は、剣を握って挑戦する河辺臣に十数回落ちかかろうとして果たさず、小さな魚と化して木の股にはさまった。魚は木から取りおろされ、焼かれた〔*→〔海〕11のように、海の世界がそのまま天上世界に通じているならば、雷は「天の海を泳ぐ魚」ということになるのだろう〕。
『神鳴』(狂言) 雷が空を鳴り渡るうち、雲間を踏みはずして野へ落ち、腰骨を打つ。通りかかりの藪医師(やぶくすし)が、雷の求めで針を打って治療する。雷は返礼に「干魃、水害を八百年間とどめよう」と約束して、昇天する。
『今昔物語集』巻12−1 雷が落ちて山寺の塔を破壊するので、神融聖人が『法華経』を唱えると、十五〜六歳の童姿の雷神が聖人の目前に墜落し、許しを請う。雷神は聖人の命令で、水の不便なこの地に清水を湧き出させ、昇天する。
『日本霊異記』上−3 敏達天皇の御世(572〜585)のこと。尾張国阿育知郡(あいちのこほり)の農夫が田に水を引いている時、雷が鳴った。農夫が金(かね)の杖を捧げると、雷が眼前に落ちて許しを請い、子を授けることを約束して飛び去った。やがて誕生した男児は怪力の持ち主で、鬼と闘って打ち負かした(*→〔力くらべ〕1)。彼は元興寺で得度・出家して、「道場法師(道場=寺院を守護する法師)」と呼ばれた。
『大智度論』巻21 仏が樹下で禅定に入っている時、大雨があり、雷が激しく鳴り響いた。雷鳴を聞いて四人の牧牛者と二人の農夫が、恐怖で死んでしまった。しかし仏には雷鳴が聞こえなかった。つき従う居士の問いに対して、仏は「眠っていたのではない。無心想定に入っていたのでもない。意識はあった。ただ入定していただけだ」と答えた〔*聾者ゆえ、落雷しても平気だった、という話もある→〔耳〕4の『吾輩は猫である』(夏目漱石)9〕。
『ヘルメティック・サークル』(セラノ)「ユングの帰宅」 一九六一年六月六日、ユングが死去した。その後しばらくして、「私(セラノ)」はキュスナハトのユングの家を訪れた。ユングの娘が「私」を庭へ案内し、ユングがいつもその下に座っていた木を示した。幹のてっぺんから根元まで、大きな傷が走っていた。彼女は言った。「父が亡くなった時、恐ろしい嵐が起こり、この木に雷が落ちたのです」。
*ユングの死の知らせ→〔幻視〕1の『ユングの生涯』(河合隼雄)11「晩年」。
*誕生・臨終時の地震→〔地震〕3の『多情仏心』(里見ク)など。
※雷獣→〔動物犯行〕4の『半七捕物帳』(岡本綺堂)「雷獣と蛇」。
※落雷よけの「桑原」の唱え言→〔地名〕2の重源上人の雷封じの伝説。
『おばけ煙突』(つげ義春) 昭和三十年代前半。某火力発電所の第四煙突には、たたりがあるというので、掃除をした者に一万円の賞金が出る。雨の日、掃除夫が第四煙突から落ちて死ぬ。別の掃除夫の子供がそれを見に行って雨に打たれ、寝込む。父親の掃除夫は、子供を医者にみせる金を得るため、第四煙突に登る。作業の途中で雨が降り出し、激しい風雨となって、その掃除夫も落ちて死ぬ。
*デパートの屋上から落下して棒になる人→〔棒〕6の『棒』(安部公房)。
*プラットフォームから落下する人→〔母の霊〕1の『感想』(小林秀雄)1。
『夢十夜』(夏目漱石)第7夜 「自分」は大きな客船に乗っている。船客の大部分は外国人だ。船はどこへ行くのか、いつ陸へ上がれるのか、わからない。こんな船にいるより、いっそ身を投げようと思って、夜、「自分」は海へ飛び込んだ。高い甲板だったので、すぐには着水しないが、次第に海面に近づいてくる。「船に乗っている方が良かった」と悟りつつ、「自分」は無限の後悔と恐怖を抱いて、黒い波の方へ静かに落ちて行った。
『テディ』(サリンジャー) 十歳の天才少年テディは、「人間は死んで神のもとにとどまるのが本当に楽しいことなのに、皆、新しい身体を欲しがって何度も生まれ変わるのだ」と、考えていた。あと五分もしたら、彼は六歳の妹によって、水のないプールの底へ突き落とされ、死ぬであろうことを予感する。「それは大したことではない」とテディは思う。「死んだら身体から跳び出せばいい。誰でも何千回何万回とやってきたことだ」。
『不思議の国のアリス』(キャロル) アリスが落ちた穴はとても深かったのか、落ち方がゆっくりだったのか、まわりを見回し、いろいろ考える時間は充分あった。落下しながら棚のオレンジ・マーマレードの壺を取り、空っぽだったので、少し下の戸棚に戻した。「このまま落ちて行くと、地球を突き抜けてしまうんじゃないかしら」と思っているうちに、眠くなってきた。どしん! と小枝や枯葉の山の上に落ち、墜落は終わった。
*井戸に落ちる人→〔井戸に落ちる〕に記事。
『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)「ミュンヒハウゼン男爵自身の話」 「ワガハイ(ミュンヒハウゼン男爵)」は、紐に数珠つなぎになった多くの鴨たちとともに、空中を飛行する(*→〔飛行〕10a)。自分の屋敷の真上まで来た時、「ワガハイ」は鴨の首を一羽また一羽としめていき、静かにゆっくりと軟着陸した。
『第三半球物語』(稲垣足穂)「ホテルの一夜」 ホテルの高い一室で、タバコの吸いさしを窓外へ投げたら、ツーと上方へ消えた。窓辺から首を突き出すと、眼下には一面に星が光っている。上を見ると、ずっと高所に、逆さまになって並ぶ自動車の列があった。「自分」は窓枠をつかまえそこね、高い所にあるホテルの玄関口めがけて、加速度を加えて上がって行った。
『捜神記』巻19−9(通巻448話) 「刃物で死ぬ」と予言された子に、両親は用心して、小刀ひとつ持たせないで育てた。しかし、この子が十五歳になった時、落ちてきた鑿(のみ)が頭にささって死んだ。
*鎌が子供の頭にささる→〔寿命〕1の『今昔物語集』巻26−19。
『智恵者エルゼ』(グリム)KHM34 求婚者をもてなすため、エルゼが地下室へ降りて樽からビールをつぐ。見上げると、佐官が置き忘れた十字鍬が壁に突きささっているので、エルゼは、「結婚すれば子供ができるだろう。客が来れば子供を地下室へやってビールをつがせるだろう。その時十字鍬が落ちて来て子供を殺すだろう」と考えて、泣く。召使も両親も求婚者も、「エルゼは何と賢いのだろう」と感心する。
『疑惑』(江戸川乱歩) 「おれ」は庭の松の枯れ枝を切った時、木の股に斧を置き忘れる。半年後のある夜、松の木の下の石に腰かけていた父親の頭に斧が落下し、父親は死ぬ。それは「おれ」が無意識に望んでいたことだった。
『七年目の浮気』(ワイルダー) 共同住宅の二階に住むブロンド娘(演ずるのはマリリン・モンロー)が、大きな植木鉢を誤って落とす。下のベランダにいたリチャードは、あやうく死ぬところであった。しかし美しい娘だったので、リチャードは彼女を部屋に誘う。彼は「僕は精神分析が趣味だ。あれは事故ではない。君は無意識のうちに僕を殺そうとして、わざと鉢を落としたのだ。それは恋が殺意に変わったのだ」と言って、娘を口説こうとする。
『古今著聞集』巻12「偸盗」第19・通巻439話 ある夜、強盗警護のために弓取りの法師が門に立っていると、熟柿が落ちて頭に当った。驚いて頭をさぐった法師は、つぶれた柿を血と誤認し、「矢で射られて深手を負った」と思いこむ。彼は「とても助かるまいから首を斬ってくれ」と朋輩に請い、朋輩も承知して、法師の首を落とした。
*頭にかかったうどんを、血と誤認する→〔食物〕10の『助六由縁江戸桜』。
『ジャータカ』第322話 「地面が崩れるのではないか」と兎が心配していると、近くにヴィルヴァの実が落ちる。その音に驚いた兎は、地面が崩れた、と思って逃げ出す。それにつられて他の動物たちも、兎のあとを追って走り出す。
『今昔物語集』巻5−24 亀が木をくわえ、二羽の鶴が木の両端をくわえて空を飛ぶ。ものを言ってはいけない、と注意されていたにもかかわらず亀は口を開け、落ちて死ぬ〔*『イソップ寓話集』(岩波文庫版)230「亀と鷲」では、鷲が亀を爪でつかんで空高く飛び、放す。亀は岩上に落ちてくだける〕。
『パンタグリュエル物語』第四之書(ラブレー)第17章 アイスキュロスは、占い師から「しかじかの日に、頭の上に何かが落ちてきて死ぬだろう」と予言されたので、その日は、危険な建物や樹木などから離れ、広い野原の真ん中に避難した。ところが鷲が、爪に掴んでいた亀を空高くから落とし、アイスキュロスは甲羅で脳味噌を割られた〔*『吾輩は猫である』(夏目漱石)8では、鷲が下界にぴかと光ったものをねらって亀を落とすと、それはイスキラス=アイスキュロスの禿げ頭だった、と語られる〕。
『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第6章 ポダレイリオスは「私はどこに居住すべきか?」とデルポイの神に問い、「空が落ちても害をこうむらない市に住むべし」との神託を得た。彼は、カーリアーのケルソネーソスの、周囲を山で囲まれた所に居を定めた。
『ケルトの神話』(井村君江)「地下から来た神々」 紀元前三三四年頃。アレクサンダー大王は、戦争に強いケルト民族を味方にしておく必要を感じ、彼らと同盟を結んでいた。ある時、大王が「ケルト民族がもっとも恐れるものは何か?」と問うと、ケルトの戦士たちは「わたしたちは、どんな人間も恐れません。わたしたちが恐れるのは、空がわたしたちの上に落ちて来ないか、ということだけです」と答えた。
『列子』「天瑞」第1 杞の国に、「天が落ちたらどうしよう」と心配する男がいた。ある人が「天も、日、月、星宿も、大気の集まりゆえ落ちることはない。万一落ちても、それに当たって怪我をするなどということはない」と教えて、心配する男をさとした。
『お目出たき人』(武者小路実篤)2 二十六歳の「自分」はただの空想家で、何もできぬまま天災で若死にするような気がする。「自分」は、雷か隕石に打たれて死ぬような気がする。さもなければ肺病になるかもしれない。逆に案外長生きするかもしれない。しかし天災、中でも雷と隕石が危ない、と「自分」は思う。
鯖腐れ石の伝説 浦上から時津への道の途中、山腹に円筒形の巨巌が立ち、その上に円球の大石が載っていて、今にも落ちそうに見える。昔、魚売りが、「必ずあの石は落ちるから、落ちてから通り抜けよう」と思い、今か今かと待っていた。ところが、いつまでたっても石は落ちず、そのうちに、荷(にな)っていた鯖が腐ってしまった(長崎県大村市)。
『パンチャタントラ』第2巻第6話 牡牛のぶら下がった睾丸を見て、牝ジャッカルが夫ジャッカルに言う。「あの二つの肉の塊は、もうすぐ落ちるに違いないから、牡牛の後について行きましょう」。夫ジャッカルは妻とともに牡牛を追ってさまよい、十五年たったが、睾丸は落ちなかった。夫ジャッカルは「今後も、あの二つのものは落ちないだろう。われわれは自分の土地に戻ろう」と妻に言った。
『拾遺記』巻1 炎帝の時代に、丹雀が、九本の穂がついた穀物をくわえてきて、地上へ落とした。炎帝がそれを拾い、耕地に植えた。その穀物を食べると、年をとっても死なないという。
『蒙求』222「蒼頡制字」 人間は文字を知って小賢しくなり、農耕の業を棄てて利得を争うようになった。天は、やがて人間が飢えるであろうことを知り、粟などの穀類を地上に降らせた。
*天から小判が降ってくる→〔逆さまの世界〕1の『孔子縞于時藍染(こうしじまときにあいぞめ)』(山東京伝)。
『龍樹菩薩伝』 王がナーガールジュナ(龍樹菩薩)に、「天の神々は今、何をしているのか?」と問う。ナーガールジュナは「天の神々は今、阿修羅と戦っています」と答える。王が当惑していると、空中に矛(ほこ)、盾(たて)などの武器があらわれ、落ちてきた。つづいて、阿修羅の手、足、指、耳、鼻が、空中から落ちてきた。
*天から、少年の首、手、足、胴体が降ってくる→〔雲〕2の『聊斎志異』巻1−13「偸桃」。
『故郷七十年』(柳田国男)「辻川の話」 幕末には、各地でお札が降った。「私(柳田国男)」の故郷・兵庫県の北条にも降ったという。これは実は、興奮しそうな地域や家に「降る」ので、極端な例では、家の床の間(とこのま)にお札が置かれていた、との話もある。すると多くの人が集まって来て祝辞を述べ、家の人も酒樽を開いて祝わざるを得なくなる、という仕組みなのだ。降るのはお札ばかりではない。裸の娘が降った、という馬鹿げた例もある。つまり捏造である。
※落下するエレベーター→〔エレベーター〕2の『物理学はいかに創られたか』(アインシュタイン/インフェルト)など。
※宇宙空間から地球大気圏への落下→〔流れ星〕1の『万華鏡』(ブラッドベリ)。
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