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【火】

 *関連項目→〔ともし火〕〔火攻め〕

★1a.神が自らを犠牲にして、人間世界に火をもたらす。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第7章  プロメテウスはゼウスに無断で、火を大茴香(おおういきょう)の茎の中に隠して、人間に与えた。それを知ったゼウスはプロメテウスを罰した→〔繰り返し〕2

『古事記』上巻  イザナミは日本列島の島々を産み、風や木や山や野などの神を産んだ。その後に火の神を産んだが、その時イザナミは性器を焼かれて病み、黄泉国へ去った。

★1b.神が人間世界に火をもたらし、人間は死の運命を得る。

火食と死の神話  昔、人間は何でも生(なま)で食べていた。その頃の人間は、年をとると神がまた若返らせてくれたので、不死だった。ある日、人間たちは「火が少々欲しい」と、神に願う。神は「死ぬ覚悟があるなら、火をやろう」と言う。人間は火を得た。しかしそのために、死なねばならなくなった(エチオピア、ダラッサ族)。 

★2.神にも等しい偉大な王が、人間世界に火をもたらす。

『王書』(フェルドウスィー)第1部第2章「フーシャング王」  フーシャング王が山を歩いていると、黒い大きな蛇がいた。王は石を投げつける。蛇は逃げ、王の投げた小さな石は、地面にあった大きな石に当たる。両方の石は割れ、その衝撃から火花が散って、石の中に隠れていた火が出て来た〔*こうして、鉄で石を打てば、いつでも火が現れるようになったのである〕。

*石はその中に火を含む→〔血〕6cの『日本書紀』巻1・第5段一書第8。

★3.賢人が人間に火食を教える。

『封神演義』第1回  太古、人々は火を知らず、物を生(なま)で食べていた。食べ残しで集落に臭気がこもり、食中毒が絶えなかった。燧人(すいじん)氏が人々に、食物に火を通すことを教え、人々は燧人氏を王に推戴した。

★4.動物が人間に火を与える。

火と死の起源譚(ブラジル・アピナイエ族の神話)  昔、人間は火を知らず、肉を天日で乾燥させて食べていた。少年が猛獣ジャガーの養子になり、ジャガーの家へ行って、はじめて火を見る。ジャガーは「あれは火というものだ。夜には、あれがお前を暖めてくれる」と教える。少年の村の大人たちが火をもらいに来ると、ジャガーは彼らを歓迎し、人間たちに火を贈った。 

★5.火を消す女。

食人から始まった言語(南オーストラリア、ナリニェリ族の神話)  遠い昔、ウルルリという意地の悪い老女がおり、一本の長い棒を持って歩いていた。人々が火の周囲で眠っていると、ウルルリは棒で火を消してしまうのだった。やがてウルルリは死に、人々は喜んで、彼女の死体の所までやって来た→〔外国語〕1

*ともし火を消す女→〔ともし火〕4の『化銀杏』(泉鏡花)など。

★6.火の中に入って無事であれば、身の潔白が証明される。

『古事記』上巻  コノハナノサクヤビメはニニギノミコトとの一夜の交わりで身ごもった。しかしニニギノミコトはそれを信ぜず、「国つ神との間にもうけた子ではないか」と疑う。コノハナノサクヤビメは、「私の妊んだ子が天つ神の御子ならば、無事に生まれるでしょう」と言い、出入口のない御殿を造って、中に入って火をつけた。炎の中で、コノハナノサクヤビメは三人の男児を無事に産み、彼女の貞節が証明された〔*『日本書紀』巻2・第9段一書第5ではニニギノミコトは、「一夜で孕んだことを疑う者がいることを考え、わざと疑いの言葉を発し、人々に、生まれる子が我が子であることを明らかに示したのだ」と述べる〕。

『雑宝蔵経』「ラゴラの因縁(はなし)」  釈迦の出家後六年を経て、妃ヤシュダラは一子ラゴラを産んだ。浄飯王はそれが釈迦の子とは信ぜず、ヤシュダラとラゴラを火坑に投げ入れ焼き殺そうとする。ヤシュダラが、「我が身が潔白ならば火よ消えよ」と祈って火中に飛びこむと、火坑は清涼の池に一変した〔*『太子成道経』などに類話〕。

『ラーマーヤナ』第6巻「戦争の巻」第115〜118章  シーターは魔王ラーヴァナの後宮に長く閉じこめられていたので、その身の清浄なることを人々に示す必要がある、とラーマは考えた。ラーマはわざとシーターを疑う言葉を発し、シーターは純潔を証明するために、自ら望んで火中に身を投ずる。火はシーターを焼くことなく、火神アグニが彼女を膝に置いて現れ、「シーターは不実なことは一切しなかった。完全に清浄な身である」とラーマに告げた。

★7.母親の遺体を火で焼いた時に、その腹から男児が生まれ出る。

『大般涅槃経』(40巻本「師子吼菩薩品」)  長者の妻が懐妊した。六人の外道が「女子が生まれる」と占ったが、仏陀は「男子が生まれ、家に大きな福徳をもたらす」と予言する。六人の外道は仏陀に嫉妬し、長者の妻を毒殺して、「仏陀の予言は外れた」と触れ回る。しかし、長者の妻の遺体が火葬された時、腹が裂け、中から男児が出て来て、火の中で端座した。仏陀は男児に「火」を意味する「テージャ」という名を与えた〔*→〔誕生〕2の『今昔物語集』巻1−15に類話〕。

★8.焼身供養。

『法華経』「薬王菩薩本事品」第23  はるか昔、日月浄明徳如来(にちがつじょうみょうとくにょらい)という仏の世に、一切衆生喜見菩薩(いっさいしゅじょうきけんぼさつ)は自分の身を燃やして、仏と『法華経』を供養した。その光明は八十億恒河沙(ごうがしゃ)の世界を照らし、燃え続けること千二百歳にして彼の身は尽きた〔*命が終わった後、彼は再び日月浄明徳仏の国に生まれた〕→〔手〕8

★9.現世の物を火で焼くと、冥界へ送ることができる。

『述異記』(祖冲之)「宝玉の帯」  州の長官僧栄の部屋に、前任長官の亡霊が現れて「そこにある宝玉の帯を、わしに譲れ」と望む。そして「亡霊だから帯を持って行けないと思っているのではないか? 本当にくれるなら、今すぐ帯を焼け」と言う。僧栄は帯に火をつけて焼き、亡霊の方を見ると、すでに亡霊の腰には帯がしめられていた〔*死者を火葬にするのも、これと同じ考え方によるものであろう〕。

★10.火を乗り越えることによって、男は女を得ることができる。

『ヴォルスンガ・サガ』29  ブリュンヒルドの館をとりまいて火が燃えており、それを馬で乗り越える男だけが、彼女と結婚できる。グンナル王がブリュンヒルドに求婚し、火に向かおうとするが、彼が臆病ゆえに、馬も怖れて尻込みする。そこで英雄シグルズがグンナル王に姿を変え、名馬グラニで炎を乗り越えて、ブリュンヒルドのもとへ到る。

『潮騒』(三島由紀夫)第8章  新治と初江が観的哨で待ち合わせた日は嵐だった。新治が先に来て眠ってしまい、後から来た初江が、濡れた着物をぬいで焚火で乾かす。新治が目覚め、焚火をへだてて裸の初江と新治が向かいあう。「その火を飛び越して来い」と初江が言う。新治は火を飛び越し、初江と抱き合う。しかし接吻だけで、二人は離れる〔*『ニーベルングの指環』(ワーグナー)の「岩山の炎」を「焚火」に、「眠るブリュンヒルデ」を「眠る新治」に変えたもの〕。

『ニーベルングの指環』(ワーグナー)「ワルキューレ」  ワルキューレはヴォータンの娘たちであり、戦死者を天上のワルハラ城へ運ぶ役目を持つ。しかしワルキューレの一人ブリュンヒルデは、ヴォータンの「ジークムントを戦死させよ」との命令に逆らう。ヴォータンは罰として、ブリュンヒルデを岩山の上に眠らせ、炎で包む。炎を乗り越える勇者だけがブリュンヒルデを解放し、花嫁とすることができる→〔眠る女〕1

★11.「火」という文字。

『酉陽雑俎』巻2−82  峡中の人・乾祐が、某市に入った時、「今晩、八人の者がここを通るはずだ。厚遇せよ」との予言をしたが、人々は理解しなかった。その夜、火が出て数百戸が焼けた。「八人」は「火」という文字だった。

 

※火の化け物に精を取られる→〔道〕6の『火の化け物』(沖縄の民話)。

 

 

【火の雨】

★1.火の雨が降るので、岩穴などに隠れる。

『神道集』巻2−6「熊野権現の事」  綏靖(すいぜい)天皇〔在位B.C.581〜549〕は、朝夕に七人ずつ人を食べた。ある臣下が、この暴君を滅ぼそうと考え、「某月某日、火の雨が降りますから、当日は岩屋におこもり下さい」と奏上する。天皇が岩屋に入ると、中から出られないようにしてしまい、以後は別の人物が天下の政治を行なった〔*諸国の人々も火の雨の話を信じて、多くの岩屋を造った。今も諸国にたくさんの塚が残っているのは、この時の岩屋である〕。

火の雨塚の伝説  数百年前、浅間山が大噴火して、溶岩や熱灰が火の雨のごとく落下した〔*一説には、昔、武烈天皇(在位A.D.499〜506)が常に暴虐なふるまいをしたので、天の神様が怒り、こらしめのために火の雨を降らせた〕。土地の人は、火の雨の難を避けるために、洞穴を掘って逃げ込んだ。その洞穴が現在の火の雨塚である(長野県北佐久郡立科町南御牧村)。

『和漢三才図会』巻第56・山類「洞」  或る書に言う。孝霊天皇三十六年(B.C.255)六月に、火の雨が降った。このとき帝はまずそのことを知り、詔(みことのり)して、人々に塚を造らせ、そこに隠れ栖(す)ませるようにした。また次のようにも言う。武烈天皇二年(A.D.500)に火の雨が降った。人民は石室を築いて、そこに入っていた。

*火の雨が降り、そのうちの一個の火の石を寺に祀(まつ)った→〔隕石〕1の星高山の伝説(別伝)。 

★2.神が火を降らせ、二つの町の住民が全滅する。

『創世記』第19章  ソドムは男性同性愛者の町、ゴモラは女性同性愛者の町だった。主(しゅ)は、これらの罪深い人々を滅ぼそうと決めた。ある朝、主はソドムとゴモラの上に、天から硫黄の火を降らせ、二つの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。

 

 

【光】

★1.身体から光を放つ人。

『出エジプト記』第34章  モーセ(モーゼ)はシナイ山に登って主(しゅ)と語り合い、十戒を記した二枚の石板を持って降りて来た。モーセの顔の肌は光を放っていたので、イスラエルの人々は恐れて近づかなかった。モーセは、主が語られたことを人々に命じた後、自分の顔に覆(おお)いを掛けた。

『日本書紀』巻20敏達天皇12年是歳  百済の高官日羅(にちら)は親日派だったので、徳爾(とくに)・余奴(よぬ)たち暗殺者が、日羅を殺そうとつけねらった。しかし日羅は身体から火焔(ほのほ)のような光を放ったため、徳爾らは恐れ、殺すことができなかった。十二月の晦(つごもり)に光を失ったのを見て、ようやく殺した。

『マルコによる福音書』第9章  イエスが、弟子のうちペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけを連れて、高い山に登る。彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その衣は真っ白に輝く。預言者エリヤとモーセ(モーゼ)が現れ、イエスと語り合う〔*やがて雲が彼らを覆い、エリヤとモーセは姿を消した〕。

*竹の中から光を発する→〔竹〕1aの『竹取物語』。

★2.口から光が出る。

『イスラーム神秘主義聖者列伝』「アブル・ホセイン・ヌーリー」  ヌーリーは「光の人」という意味である。聖者ヌーリーがそう呼ばれたのは、暗い夜、彼が言葉を発するたびに、口から光が放出され、家中を明るくしたからだ、と伝えられる。

*『般若心経』を唱える口から光→〔のぞき見(僧を)〕1の『日本霊異記』上−14。

*脇腹の穴から光→〔穴〕9の『捜神後記』巻2−7(通巻18話)。

★3.光を放つ神像・仏像。

髪長姫の伝説  紀州、九海士(くあま)の浦の海底から光がさし、不漁が続く。光の正体をつきとめようと、海女の「渚(なぎさ)」が海中へ飛びこみ、黄金に輝く一寸八分(ぶ)の観音像を得た。「渚」には娘が一人いたが、生まれつき頭髪がなかったので、「渚」は観音像に祈る。すると娘の頭に美しい黒髪が生じ、「髪長姫」と呼ばれるようになった。彼女は文武天皇の妃になり、聖武天皇を産んだ(和歌山県・道成寺)。

『日本霊異記』中−21  聖武天皇の代、金鷲寺(現・東大寺)で、一人の優婆塞が執金剛神像の腓に縄をかけ、引きつつ礼拝していた。ある時、神像の腓が光を放ち、皇居に達した〔*『今昔物語集』巻17−49に類話〕。

『日本霊異記』中−36  奈良の下毛野寺の観音像の頸が切れ落ちたが、一日一夜を経て自然にもとのようにつながり、光を放った〔*『今昔物語集』巻16−11に類話〕。

『日本霊異記』中−39  井河の岸辺の沙中から掘り出された薬師像は、光を放ち、霊験あらたかだった〔*『今昔物語集』巻12−12に類話〕。

★4.光る樹木で仏像を造る。 

『日本書紀』巻19欽明天皇14年(553)5月  泉群の茅渟海に、日光のごとく照り輝く楠が浮かんでいた。この木で二体の仏像を造り、吉野寺に納めた〔*『日本霊異記』上−5・『今昔物語集』巻11−23に異伝〕。

★5a.光る剣。 

『尾張国風土記』逸文  日本武命(やまとたけるのみこと)が東征を終えての帰途、尾張国で宮酢媛(みやずひめ)を妻とした。夜、日本武命は厠へ行く時に剣を桑の木に掛け、そのまま忘れた。後から取りに行くと、剣は光輝いて神のごとく、触れることができなかった。日本武命は「この剣を私の形代(かたしろ)として祭れ」と、宮酢媛に告げた。これによって熱田の社を建て、その剣を祭った。

『太平記』巻13「干将莫耶が事」  ある時、天に一つの悪星が現れた。張華・雷煥という二人の臣がこの星を見ていたところ、古い獄門の辺から剣の光が天に上がり、悪星と戦う気配がした。光の発する所を掘ると、干将・莫耶の剣が、土五尺の下に埋もれていた→〔龍に化す〕3

★5b.光る鎧。

『肥前国風土記』基肆(き)の郡長岡の神の社  景行天皇(在位A.D.71〜130)が酒殿の泉のほとりにいた時、着ていた鎧が光り輝き、常と異なっていた。占いにより、この地の神が鎧を欲しているとわかったので、景行天皇は鎧を神社に納めた。

★5c.光る石。

『土佐国風土記』逸文  神功皇后が諸国を巡幸した時に、玉島の磯で一つの白石を拾った。掌に置くと、光明が四方に輝いた。神功皇后は「これは海神(わたつみ)が下さった真白な真珠だ」と言った。

*光り輝く波→〔波〕5の『伊勢国風土記』逸文。

★6a.太陽光線=太陽の足。

『南島の神話』(後藤明)第5章「火山の女神と英雄マウイ」  太陽が昇っても、あっという間に沈んでしまうので、作物もならず、皆困っていた。英雄マウイが、山頂に穴を掘って隠れ、日の出を待つ。やがて一すじの光が見えるが、それは太陽の一本目の足だった。マウイはそれを紐で木に縛りつけた。次々と足が現れ、マウイは十六本の長い足を、全部縛りつけてしまった。太陽は命乞いし、マウイは、これからはゆっくり動くように命じた(ハワイの神話)。  

★6b.太陽光線=針。

太陽の光が目を刺すわけ(アルメニアの民話)  昔、兄の月は昼の空をめぐり、妹の太陽は夜の空をめぐっていた。ある時、妹は「夜は怖い」と、兄に訴えた。「だからといって、昼は皆に見られるから、それもまた困るわ」とも言った。そこで兄は妹にこう告げた。「お前は針を持って昼の空をめぐり、お前を見るやつの目を針で刺せ」。以来、太陽は自分を見ようとする者の目を、光線でくらませるようになった。  

*赤い夕焼=赤い棒→〔棒〕7の『七話集』(稲垣足穂)2「夕焼とバグダッドの酋長」。 

 

※強い光が弱い光を消す→〔隠蔽〕3の『今昔物語集』巻4−7。

 

 

【光と生死】

★1.光とともに誕生する。

『十八史略』巻6「宋」  宋の太祖皇帝趙匡胤が生まれた時、赤光が室に満ちた。

『日本書紀』巻14雄略天皇即位前紀  雄略天皇が生まれた時、神光が御殿に満ちあふれた。

*夢窓疎石が生まれた時、室内に祥光が満ちた→〔申し子〕1の『三国伝記』巻4−9。

★2.人の死に際して光が現れる。

『今昔物語集』巻15−32  僧尋祐は和泉国の松尾の山寺に住み、日夜、弥陀の念仏を唱えていた。五十歳を過ぎた或る年の正月一日に、尋祐は頭痛を病んだ。夜になって、大きな光が出現し、山の内をくまなく照らす。その夜、尋祐は死去し、やがて光も消えた。

『東海道名所記』巻6「山科より京まはり宇治まで」  法然上人が死去したので、弟子たちが火葬し、骨を箱に入れ、書付けをして、大炊川に流す。西の岡・青野の堰にさしかかって、箱は光を放つ。村人が怪しみ、法然上人の骨と知って、寺を建てた。これが青野の光明寺である。

『水鏡』中巻  文武天皇四年(700)三月、道昭和尚の室の中に、にわかに光が満ちて、香ばしいこと限りなかった。弟子たちが見るうちに、光は室を出て寺の庭に巡り、やがて西をさして飛び去った。その後に道昭は、縄床に端座して死去した→〔火葬〕10

『和漢三才図会』巻第66・大日本国「上野」  長楽寺の開山・栄朝は禅風の隆盛に力を尽くし、宝治元年(1247)九月二十六日戌(いぬ)の刻に遷化した。時に寺内は大へん明るく、炬燭(ともしび)の明るさ以上になった。不思議なことであった。

★3.死に近い人が光に包まれる。

『発心集』巻3−2  伊予僧都が長年召し使う大童子(だいどうじ)は、朝晩に念仏を唱え、怠ることがなかった。ある夜、伊予僧都は、大童子の頭上に光が現れているのを見て驚き、彼を仕事から解放した。大童子は庵にこもり一心に念仏して、見事に往生を遂げた。

『ユング自伝』10「幻像」  「私(ユング)」は六十八歳の時、心筋梗塞に続いて足を骨折し、危篤に陥った。幸い「私」は回復したが、後日、付き添いの看護婦は「まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした」と言った。そういう現象を、死んで行く人たちに何度か見かけた、と彼女はつけ加えた。  

★4.死んで行く当人が光を見る。

『なめとこ山の熊』(宮沢賢治)  猟師の淵沢小十郎は、一月のある日、熊の一撃を受けて倒れた。があんと頭が鳴り、まわりが真っ青になった。「もうおれは死んだ」と、小十郎は思った。ちらちらちらちら青い星のような光が、そこらいちめんに見える。「これが死んだしるしだ。死ぬ時、見る火だ」。それからあとの小十郎の心持は、もう「私(宮沢賢治)」にはわからない→〔熊〕8a。 

 

 

【引きこもり】

★1.青年が自室に長期間とじこもり、外へ出ない。

『明日は日曜日そしてまた明後日も・・・』(藤子不二雄A)  田宮坊一郎は東西大学国文科を卒業して、いよいよ今日から、大丸商事株式会社で働くのだ。坊一郎は、母親が作ってくれた弁当を持って出勤するが、会社のビルになかなか入れず、ウロウロしているところを、警備員にとがめられ、逃げ出してしまう。彼は公園のベンチで弁当を食べ、夕方帰宅する。翌日以降も同様で、ついに彼は、自宅二階の部屋から一歩も外へ出なくなる。老齢の父親が働きに出て家計を支え、坊一郎は「毎日が日曜日」の生活を送る。

『鳥』(大江健三郎)  「ぼくは多くの鳥たちに囲まれている。鳥たちのほかはみんな他人だ」、と「かれ」は考える。二十歳の誕生日に「かれ」は大学をやめ、鳥たちと暮らすために自室に閉じこもって、一年以上がたった。母親が「かれ」を精神病院へ送り、手荒な治療によって、「かれ」の幻想は消える。しかし「かれ」が家へ帰ると、今度は母親の方が、鳥たちの幻想にとりつかれていた。

*毒虫となって自室に閉じこもる→〔変身(人から動物に)〕3の『変身』(カフカ)。 

★2.女神が岩屋に閉じこもる。

『古事記』上巻  太陽神アマテラスが、弟スサノヲの乱暴なふるまいを見て恐れ、天の岩屋にこもって戸を閉ざした。高天の原も、葦原の中つ国も、暗闇となって、夜がいつまでも続く。それなのに、アメノウズメが楽しげに舞い踊り、八百万(やほよろづ)の神々が大声で笑うので、アマテラスは不思議に思い、岩屋の戸を細目に開けた→〔扉〕1

 

 

【飛行】

★1.飛行能力を持つ超人。

『スーパーマン』(ドナー)  クリプトン星で生まれ地球で育ったクラーク・ケントは、成人後、デイリー・プラネット社の記者となった。先輩記者のロイス・レーンが高層ビルから転落しかけた時、クラーク・ケントはスーパーマンに変身して空高く飛び上がり、ロイス・レーンを抱き止めて無事地上に降ろした。以後スーパーマンは、自在な飛行能力を用いてさまざまな活躍をする〔*ロイス・レーンがスーパーマンを取材中にワインをすすめるが、彼は『飛ぶ時は飲まない』と言って断った〕。

『ピーター・パン』(バリ)3〜4  ある夜、空飛ぶピーター・パンが、ダーリング家の三階の窓から子供部屋に入って来て、子供たちをネバーランドの島へ誘う。ピーターが妖精の粉を吹きつけると、ウェンディもマイケルもジョンも、空を飛べるようになる。彼らは窓から夜空へ飛び出し、二つ目の通りを右に曲がって、それから朝までまっすぐに飛んで、ネバーランドを目指す。

*風の又三郎は、ガラスのマントを着て空を飛ぶ→〔風の神〕2の『風の又三郎』(宮沢賢治)。

★2.修行して飛行術を身につけた人・身につけられなかった人。

『えんの行者』(御伽草子)  大峯で前世の骸骨を見出した役の行者(*→〔前世〕6a)に、弥勒菩薩が「孔雀明王の神呪を行なえ」と夢告する。役の行者は早速孔雀明王の神呪を学び、たちまち飛行自在の身となった。彼は、富士・浅間をはじめ霊岳六十六峯を巡り、時々は仙界に通い仙人を友として遊んだ。

『今昔物語集』巻13−3  陽勝は苦行して仙人となり、身に二つの翼が生じて、麒麟・鳳凰のごとく空を飛んだ。ある時地上に降りて、浄観僧都と一晩中語り合い、暁になって帰ろうとしたが、人間世界の俗気に長時間ふれたため、身体が重くなって飛び立てなかった。陽勝仙人は「香炉を私の近くへ寄せて下さい」と請い、香の烟(けむり)に乗って空に昇った。

『十訓抄』第7−1  河内国金剛寺の僧が仙人になろうと志し、二〜三年の間、松葉ばかり食べて飛行の練習をする。彼は友人や弟子たちの見守る中、昇天すべく山の崖から身を躍らせるが、そのまま谷底に落下して、足腰の立たぬ身体になってしまった。

★3.飛行する男が、女の肌を見て墜落する。 

『今昔物語集』巻11−24  久米の仙人は、修行の甲斐あって飛行術を身につけた。吉野河の上空を飛び回っていると、若い女が立って着物を洗っていた。女は裾をふくらはぎのあたりまで上げていたので、その白い肌を見て久米は心穢(けが)れ、飛行する力を失って、女の前に落下した。彼は、その女を妻として暮らした〔*『徒然草』第8段に簡略な記事〕。

*女との性交の結果、飛行能力を失った、という物語もある→〔誘惑〕4の久米の仙人の伝説。

『サザエさん』朝日文庫版・第41巻105ページ  郊外の農村地帯。小型プロペラ機が超低空飛行をして墜落し、パイロットが目を回して倒れている。その場にいあわせた波平、鍬を持つ農夫、駆けつけた警官が、「なぜこんな低空飛行をしたんだろう?」と首をかしげる。近くに裸婦とカメラマンと照明係がいて、「わかりませんなあ。僕ら、ヌード写真をとってる最中でしたから」と言う。

★4.幼時には飛行能力があったが、成長後、飛べなくなった。

『子不語』巻21−568  馮養梧先生が自ら語ったところでは、先生は小さい時、空を踏んで十数歩行くことができたそうだ。後唐(923〜936)の頃の人・李ギョウ侯も、幼時には空を飛ぶことができたらしい。彼がどこかへ飛び去ってしまうのを恐れた母親が、葱(ねぎ)蒜(ひる)の類を食べさせて、その「気」を鎮静させたというのも、実際にあったことなのだろう。 

★5.着地せずに、空中で跳躍する人。

『義経記』巻3「弁慶洛中にて人の太刀を奪ひ取る事」  六月十七日の暁方、御曹司義経は笛を吹きつつ五条堀川辺を歩いていて、弁慶と出会った(*→〔九百九十九〕3)。御曹司は九尺の高さの築地(土塀)にゆらりと飛び上がったので、弁慶は、「築地から下りるところを斬ってやろう」と待ち構える。御曹司は築地から飛び下りるが、地面から三尺ほどの空中で跳躍し、築地の上へゆらりと飛び帰った。

*空中歩行→〔歩行〕1の『ヂャマイカ氏の実験』(城昌幸)。

★6.空を飛ぶ大勢の人々。

『空飛ぶ奴隷たち』(カリブ諸島の昔話)  アフリカの黒人たちは、もともと小鳥のように空を飛べた。それが、何か不都合なことをしたため、神様が怒って、翼をもぎ取ってしまったのだ。昔、カリブ海のある島に、黒人奴隷を死ぬまでこき使う、鬼のような主人がいた。監督が奴隷たちをたえず鞭打ち、少しも休みを与えなかった。ある日、奴隷の中でいちばんの年寄りが、主人や監督にわからない言葉で、仲間たちに呼びかけた。すると彼らに備わっていた力がよみがえり、皆、両手を広げて次々と空へ舞い上がった。奴隷たちは森を越え川を越えて飛び続け、空の彼方へ消えて行った。

★7.人工の翼をつけて空を飛ぶ人。

『ヴェルンドの歌』  ニーズズ王が、鍛冶の名人ヴェルンドを捕らえ、膝の腱を切って、沖の島に置く。王はヴェルンドに命じて、剣や腕輪などさまざまな宝物を造らせる。ヴェルンドは、王の二人の息子を殺し、一人の娘を犯した後、鳥の羽を集めて大きな翼を作り、空を飛んで島から脱出する。ヴェルンドは空中から王に、「お前の息子の頭蓋骨は酒杯にした。お前の娘は私の子をはらんでいる」と教える。  

『変身物語』(オヴィディウス)巻8  クレタ島に幽閉されたダイダロスは多くの鳥の羽根を集め、紐と蝋でつなぎあわせて、自分と息子イカロスのために巨大な翼を作った。ダイダロスとイカロスは空高く飛んで、クレタ島を脱出した〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第1章に簡略な記事〕→〔父と息子〕2

*小説の作中人物イカロスが、空を飛ぶ→〔作中人物〕4bの『イカロスの飛行』(クノー)。

★8.気球に乗って空を飛ぶ人。

『オズの魔法使い』(ボーム)  オマハ生まれの、サーカスの芸人が気球に乗り、風に流されてオズの国に降りる。オズの国の人々は、男が雲の中から降りて来たので、「魔法使いだ」と思って恐れ敬う。男は人々に命じて宮殿を建てさせ、ついたての陰に身を隠し、腹話術を用いて魔法使いらしくふるまう〔*男は長年にわたって魔法使いを演じ続ける。彼が老年に達した頃、カンサスからドロシーがやって来る〕。

★9.動物に乗って空を飛ぶ人。

『太平広記』巻460所引『広異記』  ある男の美人妻が、化け物にとりつかれて病気になった。夜になると妻は馬に乗り、女中は箒に乗って、空を飛ぶ。男が後をつけると、妻は山の頂上へ降り、酒宴に加わった。七〜八人の男女が、夫婦同然に仲むつまじく楽しんでいる。男から相談を受けた西域人が、術を用いて化け物を捕らえる。黒い鶴が焚火の中へ落ちて死に、妻の病気は治った。

『たのしいムーミン一家』(ヤンソン)  世界の果てに高い山があり、頂上に飛行おにの家が建っている。飛行おには毎晩、黒豹に乗って空を飛び回り、ルビーを集めては帽子の中へ入れて戻って来る。飛行おには月や惑星へも飛んで行き、三百年もの間、「ルビーの王さま」を捜し続けている〔*物語の最後で飛行おには、「ルビーの王さま」に匹敵する「ルビーの女王」を手に入れ、喜んで家へ帰って行く〕。 

*馬に乗って空を飛ぶ人→〔馬〕7の『今昔物語集』巻11−1など。

*羊に乗って空を飛ぶ人→〔海〕10の『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第9章。

*龍に乗って空を飛ぶ人→〔龍〕3a『史記』「孝武本紀」第12・「封禅書」第6など。

★10a.多くの鳥の力によって空を飛ぶ人。

『啌多雁取帳(うそしっかりがんとりちょう)(奈蒔野馬乎人)  箍屋金十郎が、啌を筑紫の果ての雁国へ行き、池に凍りついた多くの雁を取って腰にはさむ。氷が溶けて鳥たちは飛び上がり、金十郎は空中旅行をして大通国や女護の島を見、大人国に落ちる。しばらく滞在の後、箍に撥ね飛ばされて、金十郎は浅草の自家へ戻る。

『鴨取り権兵衛』(日本の昔話)  権兵衛が、池の氷のため動けぬ鴨をたくさんつかまえ、腰にはさむ。鴨たちは権兵衛もろとも空に舞い上がり、権兵衛は寺の大木の梢に取りすがる。僧たちが布団を広げ、その上に権兵衛が飛び下りると、重みで僧たちは鉢合わせし、火花が出て寺は焼ける。

『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)「ミュンヒハウゼン男爵自身の話」  「ワガハイ(ミュンヒハウゼン男爵)」は、長い紐にベーコンの脂身をゆわえつけて湖へ投げた。脂身を鴨が呑むと、消化されずに尻から出、それをまた別の鴨が呑んで、多くの鴨が紐で数珠つなぎになった。「ワガハイ」は鴨を家に持って帰ろうと、紐を身体に巻きつける。鴨たちは「ワガハイ」もろとも空へ舞い上がり、「ワガハイ」は服の裾で舵を取りつつ、我が家へ向けて飛行する→〔落下する人〕5

★10b.鳥にすがって空を飛ぶ鼠。

『弥兵衛鼠絵巻』(御伽草子)  都の東寺の塔に住む白鼠弥兵衛は、懐妊した妻の望みで雁の肉を得ようと、群れいる雁をねらって飛びつく。雁は驚いて飛び上がり、弥兵衛は雁の胸にぶら下がったまま、東国の果て常磐の国まで運ばれる〔*後に弥兵衛は帰京して妻と再会する〕。

*鶴が亀を運ぶ→〔落下する物〕4の『今昔物語集』巻5−24。

★11.砲弾に乗って空を飛ぶ人。

『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)「ミュンヒハウゼン男爵自身の話」  戦争の時、「ワガハイ(ミュンヒハウゼン男爵)」は敵陣偵察のために、味方が発射した砲弾にまたがって、敵の要塞めがけて飛んだ。しかし空中で、「下手をすると、敵につかまって縛り首になるかもしれぬ」と思い直し、敵の要塞から撃ち出された砲弾に跳び移って、味方の陣地へ戻って来た。

★12.空飛ぶ絨毯・トランク。

『千一夜物語』「第八の警察隊長の語った物語」マルドリュス版第949〜950夜  少年が、三人の男から横取りした空飛ぶ絨毯を使って、宮殿の王女をさらい、カーフ山の頂上まで連れて行く。少年は王女と交わろうとするが、王女は少年を絨毯の外へ蹴飛ばし、一人で絨毯に乗って宮殿へ戻る〔*しかし最後には少年は王女の婿になる〕。

『空飛ぶトランク』(アンデルセン)  父親の遺産を使い果たした息子が(*→〔長者〕4c)、友人から古いトランクをもらう。それは空飛ぶトランクだったので、息子はトルコの国まで飛び、「僕はトルコの神様だ」と言って、王女と婚約する。婚礼の夜、息子は空を飛んでお祝いの花火を打ち上げる。ところが、その火の粉が残っていて、トランクは燃えて灰になる。息子はもう空を飛べず、王女の所へ行けなくなった。王女は今でも屋根の上で、息子を待っている。

*空飛ぶ自転車→〔自転車〕7の『E.T.』(スピルバーグ)。

★13.物を飛ばす。

『今昔物語集』巻11−24  久米の仙人は、妻帯して只の人になってしまった後、大和国高市郡の新都造営工事に従事した。彼がもと仙人だったことを知った役人が、「術を用いて材木を飛ばせよ」と戯れる。久米の仙人は七日七夜祈り、山林から多くの材木を工事現場に飛来させた。

『今昔物語集』巻11−36  信貴山に庵を造って修行する僧明練(命蓮)は、訪れる人のない時は、鉢を人里に飛ばして食を得、瓶を川に飛ばして水を汲んだ。

『今昔物語集』巻19−2  渡宋した寂照は、斎会の場で皇帝から法力を試され、鉢を遠く飛ばして食事を受けた。

『発心集』巻4−2  浄蔵貴所は、比叡山から鉢を飛ばして食を得ていたが、ある時、空鉢が帰って来た。不審に思った浄蔵が山の峰から伺うと、別の鉢が飛んで来て、浄蔵の鉢の中の物を移し取り、北方へ去った。北の山奥には、仙力を得た老僧と天童が住んでいたのだった。

*鉢を飛ばして米を得る→〔俵〕5の『古本説話集』下−65。

★14a.自ら飛ぶ鏡。

『神道集』巻2−6「熊野権現の事」  第七代孝霊天皇の代。紀伊国牟婁郡の猟師千代包(ちよかね)が天を仰ぎ、櫟(いちい)の大木の上に光る物を見つけた。彼が怪しんで矢をつがえると、光る物は「我は熊野三所の神体である三枚の鏡だ」と告げた。千代包は木の下に三つの宝殿を造り、三枚の鏡はそれぞれの宝殿へ飛び入った。

『平家物語』巻11「鏡」  天徳四年(960)九月二十三日の深夜、内裏が炎上した。その時、内侍所(神鏡)は自ら炎の中を飛び出、南殿の桜の梢にかかって輝いた。小野宮殿実頼が、「天照大神の御守護が今なお代々の天皇の上にあるならば、神鏡、我が袖に宿らせ給え」と言うと、内侍所は実頼の左袖に飛び移った。

*妻の持つ半鏡が、夫の持つ半鏡の所へ飛んで行く→〔鏡〕7の『今昔物語集』巻10−19。

★14b.自ら飛ぶ梅の木。

飛び梅の伝説  菅公(菅原道真)は筑紫へ配流される時、庭前の梅に名残を惜しみ、「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と詠じた。菅公が大宰府に着くと、都から一夜のうちにその梅が飛んで来た。大宰府天満宮前の飛び梅がそれである(福岡県太宰府市太宰府。*『源平盛衰記』巻32「北野天神飛梅の事」では、道真が筑紫安楽寺で歌を詠むと、梅の枝が裂け割れて都から飛んで来た、と記す)。

★15.飛ぶこと自体を追求する鳥。

『かもめのジョナサン』(バック)  かもめのジョナサン・リヴィングストンは、他のかもめたちと異なり、食物を得るために飛ぶのではなく、飛ぶという行為そのものが重要だと考えていた。彼は超低空飛行や垂直急降下など、さまざまな試みに挑戦し、ついに、宙返り、緩横転、分割横転、背面きりもみ、逆落とし、大車輪、などの高等飛行技術を身につけた。やがてジョナサンは、かもめの一生が短いのは退屈と恐怖と怒りのせいであることを、発見する。この三つのものが心から消え失せた後、彼は長くて素晴らしい生涯を送ることになった→〔空間移動〕1c

 

 

【飛行機】

★1.飛行機による郵便物の輸送。 

『夜間飛行』(サン=テグジュペリ)  一九三〇年頃、ブエノス・アイレスの飛行場。ここは、南米各地とヨーロッパ間の郵便物輸送の中継基地である。航空会社の支配人リヴィエールは主張する。「航空便は速い。だが、夜休んでいれば、汽車や汽船に追いつかれてしまう。夜間飛行が必要だ」。夜間飛行には危険がともなう。新婚まもない飛行士が、悪天候に遭って墜落死する事故が起こった。しかしリヴィエールの考えはゆるがない。彼は夜間飛行継続の方針を、部下に伝えた。

*一九二七年に、郵便飛行士リンドバーグは飛行機で大西洋を横断した→〔蝿〕4bの『翼よ!あれが巴里の灯だ』(ワイルダー)。

★2.飛行機事故。

『グレン・ミラー物語』(マン)  グレン・ミラー(演ずるのはジェームズ・スチュアート)は念願の自分の楽団を持ったが、デビュー直前に、トランペット奏者が唇に怪我をしてしまった。その時グレンの頭に、トランペットのパートをクラリネットで演奏するアイデアが閃き、独特のグレン・ミラー・サウンドが生まれた。第二次大戦が始まり、グレンは楽団を率いて、ヨーロッパ戦線の兵士たちを慰問する。しかし一九四四年のクリスマス、グレンを乗せてロンドンからパリへ向かう輸送機は、英仏海峡で消息を絶った。

★3a.墜落した飛行機に、乗らなかった男。

『黒の斜面』(貞永方久)  営業部の係長辻井(演ずるのは加藤剛)は、不動産取引のため大金を携行して大阪へ出張する。妻(岩下志麻)には「夜の最終便に乗る」と告げるが、空港に愛人が待っていたので、翌朝一番の便に乗ることにして、辻井は愛人のアパートに泊まる。ところが最終便機が墜落し、死亡者リストに辻井の名が載った。辻井は、自分の無事を妻や会社に知らせたいと思うが、浮気の発覚を恐れてためらい、愛人の所に身を隠したまま何日も経過する。やがて真相が知れ、妻は辻井を見限り、会社は彼を降格した。

*飛行機事故で死んだと見なされる男女→〔死の知らせ〕5の『旅愁』(ディターレ)。

★3b.飛行機の墜落を望む乗客たち。

『空の死神』(星新一『おのぞみの結末』)  洋上を飛ぶ旅客機が、エンジンの不調で墜落しそうになる。スチュワーデスが乗客たちを落ち着かせ励まそうと、機内をまわる。しかし乗客は、難病であったり、会社が倒産したり、逮捕や処刑が目前であったり、前途に希望を失った者ばかりで、飛行機の墜落を喜んでいた。スチュワーデスは眼下に汽船を見つけ、「あのそばに着水しますから、救命胴衣をおつけ下さい」と呼びかける。乗客たちはスチュワーデスにとびかかり、紐で縛りあげた。 

★3c.飛行機事故で生き残った母子。

『SR(ショート落語)(桂枝雀)  子「お母ちゃん、毎日毎日同じ肉ばーっかり。ちょっとは違うお肉も食べさしてぇな」。母「贅沢言うもんじゃありません。遭難した飛行機の中で・・・・・・」。 

★4.爆発物を持って旅客機に搭乗する。

『大空港』(シートン)  吹雪の夜のリンカーン空港。ローマ行きの旅客機が離陸する。一人の中年男が、ダイナマイトを鞄に隠して搭乗していた。大西洋上で爆発させ、旅客機を墜落させるつもりである。男は搭乗前に多額の保険をかけた。生活に困窮していた彼は、自分の死と引き換えに、妻に保険金を残そうとしたのだ。挙動不審のため、捕らえられそうになった男は、トイレへ逃げ込んでダイナマイトを爆発させる。機体の後部に穴が開いたが、機長の懸命の操縦で、旅客機はリンカーン空港へ戻った。

★5.飛行機の出発時刻の遅延。

『予期せぬ出来事』(アスキス)  人妻フランセス(演ずるのはエリザベス・テーラー)は恋人マークと駆け落ちすべく、ロンドン空港で待ち合わせる。フランセスは家に置手紙を残してきており、夫ポール(リチャード・バートン)がそれを読む頃には、フランセスとマークの乗る飛行機は、大西洋上をニューヨークへ向かって飛んでいるはずだった。ところが、思いがけぬ濃霧により飛行機は離陸できず、フランセスとマークは、空港ラウンジで霧の晴れるのを待つ。そこへ、手紙を読んだポールが駆けつける→〔駆け落ち〕4

 

※飛行機による移動と、列車・船による移動→〔アリバイ〕1aの『点と線』(松本清張)。

 

 

【膝】

★1a.父親の膝。

『バーガヴァタ・プラーナ』  ウッターナパーダ王には二人の妻スヌーティとスルチがおり、王はスルチの方を愛した。スヌーティは息子ドゥルヴァを産み、スルチは息子ウッタマを産んだ。王がウッタマを膝に乗せて可愛がっていた時、ドゥルヴァも父の膝に坐ろうとしたが、父は彼を受け入れなかった。スルチはドゥルヴァに、「お前は私の腹から生まれた子ではないから、王様の膝に乗ってはいけない」と言った→〔星に化す〕1

前田公と徳田のおりんの伝説  前田利家公が、田植えをする娘おりんに目をとめ一夜召して、おりんは身ごもる。おりんは生まれた男児を抱いて城へ行く。大広間にずらっと侍が並ぶが、男児は利家公の膝に上がって、にっこり笑った。この男児が三代藩主の利常である(石川県羽咋郡志賀郡徳田)。

★1b.祖父の膝。

『平家物語』巻8「山門御幸」  平家が安徳天皇(八十一代)を擁して西海にあった頃、後白河法皇は、故高倉天皇(八十代)の三の宮(五歳)と四の宮(四歳)を御所へ呼んだ〔*二人は法皇の孫にあたる〕。三の宮は法皇を見て泣き出したが、四の宮はすぐに法皇の膝に乗り、嬉しそうだった。法皇は「この子こそ私の本当の孫だ」と、涙を流して喜び、四の宮を新帝として即位させた。これが後鳥羽天皇(八十二代)である→〔二人の王〕1

★1c.自分の子供でなければ、膝に入ってきても嬉しくない。

『ケルトの神話』(井村君江)「ディルムッドとグラーニャの恋」  ドンは妻との間にディルムッドをもうけたが、妻はロクとの間に不義の子を産んだ。不義の子がまだ小さい頃、広間で猟犬たちが暴れ出したので、その子は、そばに腰掛けていたドンの膝の中に逃げ込んだ。ドンは両脚で不義の子をはさんで押しつぶし、死体を猟犬たちに投げ与えた→〔杖〕4b

★2.女性の膝には、性的な意味合いがある。性器を暗示することもある。

『奥義抄』(藤原清輔)  月を「ひさかた」と言う。これには由来がある。昔、帝が皇后と戯れておられた時、皇后の御膝が袴から出た。その形が月に似ていたことから、「ひさかた」というのである。

『かげろふ日記』  中巻・天禄元年7月  私(藤原道綱母)は「石山寺へ十日ほど籠もろう」と考え、人目につかぬよう、供の者も少人数にして(といっても二十人ほどいた)、徒歩で出かけた。夜、お堂で泣き明かし、暁方にまどろんだ時、「寺の別当らしき法師が銚子に水を入れて持って来て、私の右の膝に水をそそぎかける」という夢を見た。ハッと目覚めて、「仏様がお見せになった夢なのだろう」と思うと、悲しさが身にしみた。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章  アクリシオスは青銅の室を造り、その中に娘ダナエを閉じ込めた。ゼウスが黄金に身を変じて(*『変身物語』巻4では、黄金の雨となって)、ダナエの膝に流れ入り、彼女と交わった。こうして誕生したのがペルセウスである。

*女性の膝を椅子代わりにしてすわる→〔椅子〕8の『椅子』(三島由紀夫)。

★3.膝枕。

『大鏡』「兼家伝」  すぐれた巫女がおり、「賀茂の若宮が憑く」と称して、うつぶして託宣を述べた。世間の人は彼女を「うち伏しのみこ」と呼んだ。藤原兼家は衣冠束帯の正装で、自分の膝を巫女に枕として貸し、将来についてさまざまなことを聞いた。一つとして誤った予言はなかった〔*『今昔物語集』巻31−26に類話〕。

『古事記』中巻  垂仁天皇が后サホビメの膝を枕にして眠る。「沙本の地方から降って来るにわか雨が顔をぬらし、錦色の小蛇が頸に巻きつく」との夢を見て、天皇は目覚める。その時サホヒメは、天皇の頸を刺そうと紐小刀をふりあげつつ決行できず、涙があふれて天皇の顔に落ちたのであった〔*『日本書紀』巻6垂仁天皇5年10月に同記事〕。

★4.女神の膝。 

『カレワラ』(リョンロット編)第1章  大気の娘イルマタルが、身ごもったまま(*→〔妊娠(風による)〕1)、長い年月の間、水の母として海原を漂っていた。鴨が巣作りできる所を捜して、東へ西へ、北西へ南へ、飛び回ったが、どこにも土地はなかった。イルマタルは海の中から膝を上げ、巣作りの場所を提供する。鴨は水の母の膝を見つけて、草の生えた丘と思い、降りて巣を作り、七つの卵を産みつけた→〔天地〕2a

 

 

【美女奪還】

★1a.鬼にさらわれた美女を、英雄が取り戻す。

『酒呑童子』(御伽草子)  丹波国大江山に棲む鬼神(酒呑童子と手下たち)が、日暮れになると都周辺に現れて、大勢の美女をさらって行く。鬼神は、美女たちをもてあそんだ後は、血をしぼって飲み、肉をそいで食うのである。源頼光たち六人の武将が、道に迷った山伏のふりをして、酒呑童子の鬼が城(おにがじょう)へ乗り込む。酔って眠る酒呑童子の首を斬り、手下たちをも退治して、源頼光一行は美女たちを京へ連れ帰る。

『ももたろう』(松居直・文 赤羽末吉・画)  一羽の烏が、ももたろうの家の庭へ飛んで来て、「鬼が島の鬼が、あちらの村で米を取り、こちらの村で塩を取り、お姫様をさらって行った」と鳴く。ももたろうは犬・猿・雉を連れて鬼が島を攻め、鬼たちは降参して宝物を差し出す。ももたろうは「宝物は、いらん」と断って、「お姫様を返せ」と命ずる。ももたろうはお姫様をお嫁にもらい、おじいさん・おばあさんと、いつまでも幸せに暮らした。

*日本の各地に伝わる昔話『桃太郎』の中にも、鬼にさらわれた娘を、桃太郎が取り返すという展開を示すものがある。

★1b.山賊にさらわれた娘を、若者が取り戻す。

『娘奪還』(日本の昔話)  山賊の大将が、長者の娘をさらって行った。長者は、「娘を連れ戻した者を婿にする」との高札を立てる。村の男たちは誰もこれに応ぜず、貧乏な若者が名乗りをあげて、一人で山賊の岩屋へ乗り込む。夜、山賊たちが宴会をして酔いつぶれ(*→〔泡〕8)、寝込んでしまってから、若者は娘と力を合わせ、山賊たちみんなを、刀で刺し殺す。若者は娘を連れて村へ戻り、めでたく長者の婿になった(島根県能美郡広瀬町西比田)。 

★1c.銀河帝国軍に捕らわれた姫君を、英雄が取り戻す。

『スター・ウォーズ』「エピソード4」(ルーカス)  銀河帝国の圧政下。共和国側の人々はレイア姫(演ずるのはキャリー・フィッシャー)を中心に、反攻の機会をうかがっていた。レイア姫は、銀河帝国の巨大要塞デス・スターの構造図を手に入れるが、ダース・ベイダー率いる帝国軍に捕らわれてしまう。レイア姫からの救助信号画像を見た青年ルーク(マーク・ハミル)が、老戦士オビ・ワンや密輸宇宙船長ハン・ソロたちの協力を得て、デス・スター内に潜入し、姫を救い出す。共和国軍はデス・スターの構造図を分析して、その中枢部を攻撃する。デス・スターは大爆発を起こし、四散した〔*ルークとレイア姫が結ばれることはない。二人は兄妹なのだ〕。 

★2.怪物にさらわれた妻を、夫が取り戻す。

『補江総白猿伝』(唐代伝奇)  将軍欧陽コツは山中行軍の時、美しい妻を伴っていた。ある夜、身の丈六尺ほどの白猿が来て、妻をさらって行く。欧陽コツは妻を捜して山奥へ分け入り、白猿の住処(すみか)にたどり着く。白猿は大勢の美女をさらって、自らの妻妾としていた。欧陽コツは白猿を殺し(*→〔夫の弱点〕1)、妻を取り戻す。妻はすでに妊娠しており、一年後、白猿に容貌の似た男児を産んだ〔*男児は成長して、書の大家・欧陽詢となる〕。

『ラーマーヤナ』  王子ラーマが、妃シーター・弟ラクシュマナとともにダンダカの森にいた時、魔王ラーヴァナが天空を翔ける戦車で飛来し、シーターをランカー島へさらって行った。ラーヴァナはシーターに求婚し、十二ヵ月の猶予を与えて後宮に幽閉する。十二ヵ月たってもラーヴァナの求愛を受け入れない時は、シーターの命はない。ラーマとラクシュマナは、猿のハヌマト(ハヌーマン)および猿軍の助けを得て、ランカー島まで橋を架けて攻め込む。激戦の末、ラーマはラーヴァナを射殺して(*→〔島〕6a)、シーターを取り戻した。

*死んでしまった妻を取り戻そうとして、夫が冥界へ行く→〔冥界行〕6の『古事記』上巻(イザナキとイザナミ)、→〔毒蛇〕1の『変身物語』(オヴィディウス)巻10(オルフェウスとエウリュディケ)。 

★3.奪われた人妻を取り返そうと、戦争を始める。

『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第3章〜第6章  トロイアの王子アレクサンドロス(パリス)がスパルタを訪れて、メネラオス王の妻ヘレネを連れ去り、多くの財宝をも奪った。ギリシアの諸王は大船団を編成して、トロイアに遠征する。メネラオスとオデュッセウスが使者となって、ヘレネおよび財宝の返還を要求するが、トロイア人たちはこれを拒否した。ギリシア軍はトロイアを攻め滅ぼし、メネラオスは妻ヘレネを取り戻した。

*→〔にせ花嫁〕4aのような異説があり、メネラオスはトロイア戦争後、エジプト王プロテウスのもとでヘレネを見出した、とも言う。それまでメネラオスは、雲から造られたまぼろしを連れていたのだ。

★4.怪物に奪われた美女を人間が奪い返すのとは逆に、人間に奪われた美女を、怪物が取り返しに来る。

『モスラ』(本多猪四郎)  南太平洋のインファント島に、身長三十センチの双子の小美人(演ずるのはザ・ピーナッツ)がいた。ロリシカ国の興行師ネルソンが小美人をさらい、日本で見世物にする。小美人は「モスラの歌」を歌う。インファント島の巨大な卵からモスラの幼虫が孵(かえ)り、海を泳いで日本へやって来る。幼虫は東京タワーによりかかって繭を作り、翼長二百五十メートルの蛾となって現れる。ネルソンは小美人を連れてロリシカ国へ逃げるが、蛾(モスラ)はその後を追い、小美人を取り戻してインファント島に帰る。 

*虫、繭、鳥と三色(みくさ)に変わる不思議な虫→〔虫〕7の『古事記』下巻。

 

 

【火攻め】

★1.火攻めにあい、穴の中に身を隠す。

『古事記』上巻  オホナムヂ(大国主命)が野原に入った時、スサノヲが火で周囲を焼いた。逃げ場がなくて困っていると、鼠が現れて、「内はほらほら、外(と)はすぶすぶ(内部は広いが、入り口は狭い)」と言う。オホナムヂはその地点を踏んで広い穴に落ち、そのままそこへ身を隠す。火は穴の上を焼け過ぎて行き、オホナムヂは無事であった。

★2.火攻めにあい、馬の腹中に身を隠す。

『椿説弓張月』拾遺巻之5第56回  蒙雲国師の軍が、鎮西八郎為朝を出口のない森へ追いつめ、火をかける。為朝は「今はこれまで」と、刃(やいば)を腹に押し当てたが、思い直して、倒れた愛馬の腹を刀で断ち割る。馬の血を吸って喉をうるおし、馬の腸(はらわた)をつかみ出してその腹中に隠れたので、為朝は猛火にも焼かれることなく、危うい命を助かった。

『酉陽雑俎』巻12−474  徐敬業は英公(=李勣)の命令で、林に入り獣を追った。英公は敬業を殺そうと、風を利用して火をつける。敬業は逃げ場がないと知って、馬の腹を屠(ほふ)り、腹の中に隠れた。火が通り過ぎてから、敬業は血を浴びて立った。英公は、「すばらしいやつだ」と、すっかり感心した。

★3.火攻めにあい、迎え火をつける。

『古事記』中巻  相武(さがむ)の国の国造(くにのみやつこ)が、「野の中に大きな沼があり、恐ろしい神が棲んでいる」とヤマトタケルに言う。「どのような神か見てみよう」と、ヤマトタケルが野へ入ると、国造は野一面に火をつけた。だまされたと知ったヤマトタケルは、姨(みをば)倭比売命から授かった袋を開ける。中に火打(火打ち石と火打ち金)があったので、ヤマトタケルは、剣で周囲の草を薙(な)ぎ払い、火打で迎え火を打ち出して、迫り来る炎を退けた。

*母鶉が鎌で周囲を苅り、火の難を逃れる→〔鎌〕7の『月と不死』(ネフスキー)。

★4.火攻めにあいそうになり、歌を詠む。

『伊勢物語』第12段  昔、男が人の娘を盗んで、草深い武蔵野へ入って行った。追っ手が「この野原には盗人(ぬすびと)がいるのだ」と言って、火をつけようとする。女は困って、「武蔵野は今日はな焼きそ若草の夫(つま)もこもれり我もこもれり」と詠んだ。これを聞いた追っ手は、男と女をとらえて連れて行った。

 

 

【額の傷】

★1.処罰として、額に傷をつけられる。

『山椒大夫』(森鴎外)  安寿と厨子王は、ある夜、同じ時に同じ夢を見た。それは、「山椒大夫の息子三郎が、焼け火筋(ひばし)を安寿と厨子王の額に十文字に当てたが、二人が守り袋の地蔵尊を拝んだら、創(きず)はあとかたもなく消えた」というものだった。目覚めた二人が地蔵尊の額を見ると、白毫(びゃくごう。眉間にある毛)の右左に、鏨(たがね)で彫ったような十文字の疵ができていた。

『さんせう太夫』(説経)では、夢でなく現実に焼き金を当てられる→〔火傷(やけど)〕3

*額に十文字の黥(いれほくろ。入れ墨)→〔いれずみ〕2の『南総里見八犬伝』第9輯巻之5第100回〜巻之9第109回。

★2.大勢と戦って、額に傷を負う。

『旗本退屈男』(佐々木味津三)  早乙女主水之介(さおとめもんどのすけ)は、直参旗本で禄高千二百石。三十一歳の時、「長藩七人組」と称する剣客団と闘い、全員を斬り伏せた。それを記念するかのごとく、彼はその折、眉間に三日月形の三寸余りの刀傷を負った。主水之介は、たちまち江戸府内に驍名を馳せたが、時は天下泰平の元禄時代で、剣の腕をふるう機会はめったになく、彼はいつも退屈を持て余していた。

★3.少女を救って、額に傷を負う。

『愛と誠』(梶原一騎/ながやす巧)  昭和三十九年(1964)冬、財閥の一人娘で小学校入学間近の早乙女愛は、スキーをしていて谷底へ滑落しそうになる。山小屋の管理人の子・小学二年生の太賀(たいが)誠が、愛を助ける。その時、愛のスキーの先端が誠の額をえぐり、三日月形の大きな傷跡が残った。昭和四十七年(1972)夏、名門青葉台学園中等部三年の愛は、不良高校生となった誠と再会する→〔恩返し〕2

*『愛と誠』は、太賀誠が早乙女愛の命を救い、額に傷を負うところから物語が始まるが、同じ梶原一騎原作の『タイガーマスク』では、伊達直人が少年の命を救い、トラックにはねられるところで物語が終わる→〔仮面〕8

★4.女に打たれて、額に傷を負う。

『春琴抄』(谷崎潤一郎)  雑穀商美濃屋の倅(せがれ)利太郎は、春琴の美貌目当てで琴三味線を習いに来ていた。彼は稽古に身を入れず、春琴がいくら熱心に教えても、気のない弾き方をする。ついに春琴は利太郎を叱責して撥(ばち)で打ち、彼の眉間の皮を破ってしまった。利太郎は額から滴る血を押し拭い、「覚えてなはれ」と捨て台詞を残して去った〔*それから一ヵ月半の後、何者かが春琴の顔に熱湯をかける。利太郎以外にも春琴を憎み、あるいは妬む者は多く、犯人は誰ともわからなかった〕。 

★5.額の傷を、「陀羅尼を籠めたためだ」といつわる。

『宇治拾遺物語』巻1−5  額に二寸ほどの傷のある山伏が、「ここに『随求陀羅尼(ずいぐだらに)』を籠めてある」と言うので、皆が尊んだ。ある人が、「この山伏は人妻と関係したために、その夫に追われ、鍬で額を打ち破(わ)られたのだ」と暴露すると、山伏は「その時に籠めたのだ」と強弁した。 

★6.額の傷口から、神や人が誕生する。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第3章  プロメテウス(一説によればヘパイストス)が、ゼウスの額を斧で撃った。そこから、女神アテナが武装した姿で生まれ出た。

『大唐西域記』巻12・22・2  瞿薩旦那国の王は、毘沙門天の神像の額の上が割れて、そこから誕生した。

*毘沙門天の額から生まれる→〔鼠〕3aの『今昔物語集』巻5−17。

 

 

【額の印】

★1.特別な人物であることを示す印が、生まれつき額にある。

『熊野の御本地のさうし』(御伽草子)  摩訶陀(まかだ)国の善財王の后せんかう女御は、他の后たちの讒言によって、山中に追われ、斬首される。その折、女御は王子を産み落としたが、王子の額には「米」の字が三つ並んでいた。王子は、山の動物たちに育てられる。七歳の時、王子は都へ上り、父善財王と対面した〔*類話の『神道集』巻2−6「熊野権現の事」では、王子の額の文字についての記述がない〕。

*額の印にくわえて、眼に瞳が二体ある→〔瞳〕2bの『小栗(をぐり)』(説経)など。

★2.不死の印を額につけて生まれる。

『ガリヴァー旅行記』(スウィフト)第3篇第10章  「私(ガリヴァー)」は、飛ぶ島ラピュータからイギリスへ帰国する途中、ラグナグ国を訪れた。その国では、左眉のすぐ上の額に、赤くて円い斑紋のある子が、稀に生まれる。これこそ、その子が不死である印である→〔不死〕2a

★3.天使や魔女などが、人の額に印をつける。

『オズの魔法使い』(ボーム)  オズの魔法使いに会うため、ドロシーは旅に出る。道中危険にあわぬよう、良い魔女が額に口づけをしてくれる。額には、その跡が丸く輝いて残る。悪い魔女がドロシーを殺そうとするが、額のしるしを見て、手出しできないことを悟る〔*ドロシーがバケツの水をかけると、それが悪い魔女の弱点だったので、悪い魔女は溶けてしまう〕。

『神曲』(ダンテ)「煉獄篇」第9歌  「私(ダンテ)」は地獄を出て、煉獄の門の前までやって来た。入口の三段の石段の最上段に天使が腰かけており、剣の先で、七つの大罪(高慢・嫉妬・怒り・怠惰・貪欲・大食らい・好色)を意味する七つのPの字を、「私」の額に刻む(イタリア語で罪は Peccato)。「私」が煉獄の山を登るにつれて、Pの字は一つずつ消えていった。

『天路歴程』(バニヤン)第1部  滅亡の市(ほろびのまち)に住む男クリスチャンは、背中に重荷(原罪)を負い、救いを求めて巡礼の旅に出る。十字架のある所まで来ると、背中の重荷は落ち、天使が彼の額に印をつけた〔*しかしクリスチャンの旅はまだその行程の半分にも達せず、目的地・天の都に着くまでに、彼は多くの困難に遭う〕。

『百年の孤独』(ガルシア=マルケス)  アウレリャーノ・ブエンディーア大佐の十七人の息子たちの額に、神父が灰で十字の印をつけた。洗っても、その印は消えない。まもなく彼らは、テロによって次々に殺される。その時生き残ったただ一人も、数十年後に射殺された。

『ヨハネの黙示録』第5〜7章  キリストの化身である小羊が、世界の破滅をもたらす巻物の封印を次々に解いてゆく。最後の第七の封印を解く前に、天使が、イスラエルの十二部族から一万二千人ずつ、計十四万四千人の額に神の刻印を押す〔*彼らは生き残り、新しいエルサレム(神の国)に入ることが許される〕。

『ヨハネの黙示録』第13章・第17章  世界の終末の時、悪魔である龍が、二匹の獣を人間たちのもとへ送る。獣を拝み従う者たちには、その右手か額に刻印が押される。刻印は獣の名、あるいはその名の数字である。数字は人間を指し、「666」である。また、荒れ野に赤獣にまたがる一人の女がおり、額には秘められた意味の名が記されている。それは「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。

*カインの額にしるしをつける→〔さすらい〕2の『創世記』第4章。

*正しい人々の額にしるしをつけ、しるしのない者たちを殺した→〔目印〕1の『エゼキエル書』第9章。

★4.悪魔の子ダミアンの「666」は、頭部にしるされている。

『オーメン』(ドナー)  ダミアンを育てる外交官ロバート(演ずるのはグレゴリー・ペック)に、悪魔払い師が「ダミアンは悪魔の子だから、身体のどこかに『666』のしるしがあるはずだ」と教える。身体のどこにも、しるしは見当たらないので、ロバートは、眠るダミアンの髪を刈る。すると頭部に「666」のしるしがあった。

★5.死者の額に文字を記す。

『方丈記』  養和年間(1181〜82)、飢饉で多くの人が死んだ。仁和寺の隆暁法印が、死者の頭を見るたびにその額に「阿」字を書き、仏縁を結ばせた。京の一条以南・九条以北・京極以西・朱雀以東の、路傍にあった死者の頭の数は、四万二千三百余りだった。

 

 

【棺】

★1a.自ら棺の中に入る人。

『イシスとオシリスの伝説について』(プルタルコス)13  テュポン(セト)が、兄王オシリスの身体の大きさの棺を作って宮殿に運び、「ぴったり合う人にこの棺を与えよう」と言う。何人もが棺の中に入るが大きさが合わない。そこでオシリスが棺に入ると、テュポンとその仲間が蓋を釘づけにして、棺をナイル河に投げこんで殺した→〔寸断〕2

『臨済録』「勘弁」25  普化が街へ行き、「僧衣を施してくれ」と人々に請う。皆が僧衣を布施するが、普化は受け取らない。臨済が「お前のために僧衣を作っておいたぞ」と言って、棺を与える。喜んだ普化は街の外へ出て自ら棺の中に入り、通りがかりの人に頼んで蓋に釘を打たせた。人々が駆けつけて棺を開けると、もぬけのからで、空中を遠ざかって行く鈴の音が聞こえた。

★1b.棺の中で寝る人。

『子不語』巻12−301  七十歳過ぎの老父が、「人間は必ず死ぬのだから、前もって演習をしておこう」と言って、一室に棺を置き、毎晩、棺の中で寝る。ある男が何も知らずにその部屋に泊まったが、夜中に棺から老翁が出て来て煙草を吸ったりするので、恐ろしくて一晩中眠れなかった。

*ドラキュラは、昼間は棺の中に寝ている→〔吸血鬼〕1の『吸血鬼ドラキュラ』(ストーカー)。

*棺の中に寝ていられないドラキュラ→〔恐怖症〕4の『ボディ・ダブル』(デ・パルマ)。

★1c.棺から起き上がる人。

『今昔物語集』巻3−33  仏が涅槃に入り給うたと聞いて、トウ利天に住む母摩耶夫人は、沙羅双樹のもとへ下りて来た。仏は神通力を用いて、金の棺の蓋を自然に開かせ、棺から起き上がって、摩耶夫人に合掌した。仏は、母のため、また後世の衆生のために偈を説いて、母に別れを告げる。その時、棺の蓋はもとのごとく覆われた。

★1d.棺から出してくれ、と訴える死者。

『捜神記』巻15−10(通巻368話)  病死した男を家族が棺に入れ埋葬しようとしたところ、男の霊が人に取りついたり、夢に現れたりして、「俺は生き返るから棺を開けてくれ」と訴える。死体を棺から出して看護すると、眼が開き手足が動くようになるが、ものは言えないままであった。男はその後十年以上を経て再び衰え、死んだ。

★2a.棺の中に自分と同じ人間がいる、との夢。

『野いちご』(ベルイマン)  七十八歳の医師イーサクは、ある夜の夢で、見知らぬ街を歩く。街の時計には文字盤だけあって針がなく、イーサクの懐中時計の針も消えていた。馬車が、積んでいた棺を落とす。棺の中の死体が腕を伸ばしてイーサクの手首を掴み、棺の中へ引き入れようとする。死体はイーサクと同じ顔をしている。そこでイーサクは目覚める。

『酔いどれ天使』(黒澤明)  結核に侵された若いやくざ松永(演ずるのは三船敏郎)が、悪夢を見る。波打ち際に棺があり、松永は斧をふるって棺の蓋を叩き割る。棺の中の死体は松永自身であり、死体は起き上がって松永を追いかけてくる。松永は懸命に波打ち際を走って逃げる。あやうく死体につかまりそうになるところで、松永は目覚める〔*松永は、兄貴分のやくざに刺されて死ぬ〕。

★2b.中空から自分の柩を見下ろす、との夢。

『豊饒の海』(三島由紀夫)第1巻『春の雪』  十八歳の青年松枝清顕は、夢の中で自分の白木の柩を見た。一人の若い女が、長い黒髪を垂らして柩にすがりつき、泣いている。清顕は中空からそれを見下ろしている。柩の中に自分の亡骸が横たわっていることを確かめたいと思うが、清顕は中空にただようばかりで、釘づけられた柩の中を窺うことはできなかった(2)〔*清顕は二十歳で病死する〕。

★3a.病死者の遺体が入った棺に、殺害死体を押し込んで隠す。棺の中に二つの死体があるとは誰も気づかず、棺はそのまま埋葬される。

『雁の寺』(水上勉)  小僧慈念が住職慈海を殺して、死体を寺の本堂の床下に隠す。翌晩本堂で、檀家の病死者の通夜があったので、慈念は、通夜客が眠った後に、慈海の死体を床下から運び、病死者の棺桶の中に押し入れる。二つの死体の入った棺桶はそのまま埋葬され、慈海は失踪遁世したものと見なされた。

『ギリシャ棺の秘密』(クイーン)  悪人が仲間のグリムショーとともに、ギリシャ人の老富豪ハルキスを強請(ゆす)って、高額の約束手形を得る。その夜、悪人はグリムショーを殺して、約束手形を独り占めする。翌朝、思いがけずハルキスが急死したので、悪人は、ハルキスの遺体が入った棺に、グリムショーの死骸を押し込む。棺はそのまま埋葬される〔*紛失した遺言書を捜すため、数日後に墓が掘り起こされ、棺の中に二つの死体があることが発覚する〕。

★3b.死体の入った棺の中に、意識不明の人物を入れて、一緒に埋葬しようとたくらむ。

『フランシス・カーファクス姫の失踪』(ドイル)  悪人ピーターズが貴族のフランシス姫を監禁し、彼女の持つ宝石類を売って金を得る。そろそろフランシス姫を始末せねばならぬと思い始めた頃、ピーターズの召使であった老婆が老衰死した。医者が死亡診断書を書き、埋葬許可が得られたので、ピーターズは大きなサイズの棺を特注する。クロロホルムで意識不明にしたフランシス姫を、老婆の死体と一緒に棺に入れ、葬式が行なわれる。ホームズが駆けつけ、フランシス姫を救い出す。

★4.樽や桶の形をした棺を、駕籠のように二人でかつぐ。

『片棒』(落語)  赤螺(あかにし)屋吝兵衛(けちべえ)が、「おれが死んだらどんな葬式をする?」と、三人の息子に問う。長男は「豪華な葬式」、次男は「奇抜な葬式」と答え、失格。三男は「質素な葬式をします」と宣言し、「棺桶は漬け物樽を使い、人足を雇うと金がかかるので私が片棒をかつぎます。でも、あとの片棒のかつぎ手がいません」。吝兵衛「大丈夫。おれが棺桶から出てかつぐ」。

★5.早桶に、死体を上下逆さまに入れる。

『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)「発端」  喜多八の愛人だった女が、頓死した。葬式をせねばならないので、弥次郎兵衛と喜多八は、女の死体を早桶に入れる。ところがあわてて、死体を上下逆さまに入れてしまう。女の父親が来て早桶のふたを開け、「この仏には首がない。それに、わしの娘は女だが、これは男の死人と見えて、胸毛が生えている」と不思議がる。 

*人を殺して、死体を逆さまにする→〔逆立ち〕1の『犬神家の一族』(横溝正史)など。 

★6.棺を引きずって旅する男。

『続・荒野の用心棒』(コルブッチ)  さすらいの男ジャンゴ(演ずるのはフランコ・ネロ)が棺桶を引きずって、町へやって来る。棺桶の中にはガトリング銃が入っており、ジャンゴはガトリング銃をかかえて、一度に四十人の敵を射殺した。後にジャンゴは、棺桶に黄金を詰めて運ぼうとする。しかし馬が暴れたために、棺桶は底なし沼に沈んでしまった〔*ジャンゴは捕らわれて両手をつぶされるが、銃の撃ち方を工夫して、敵を皆殺しにする〕。

★7.「官(かん)」と「棺(かん)」。

『異苑』67「棺にはいる夢」  ある男が、「都へ行けば必ず官を得る。官は水より生ずる」との夢告を受ける。男はいったん目覚め、再び眠って、今度は「川に落ちて死に、棺に入れられて水葬にされる」との夢を見る。後、男は水死し、葬儀のありさまは夢のとおりだった。夢の中で男が「官」と聞いたのは、実は「棺」のことだった。

 

※風呂桶から棺桶を連想する→〔連想〕3bの『風呂桶』(徳田秋声)。 

※棺に油を満たそうとしても、一杯にならない→〔墓〕6の『ギリシア奇談集』(アイリアノス)巻13−3。

※ガラスでできた棺→〔ガラス〕3の『ガラスのひつぎ』(グリム)KHM163。  

 

 

【人買い】

★1.人を買い、労働力として転売する。

『小栗(をぐり)(説経)  牢輿に入れられ海に放たれた照手姫は、ゆきとせが浦に漂着する。そして人買いの手から手へと売られたあげく、美濃の国青墓の宿の遊女屋に十三貫で買い取られる。姫は遊女となることを拒み、水仕女になって働く〔*後に姫はここで小栗と再会する〕→〔うつほ舟〕1

『桜川』(能)  筑紫の日向の国。母の貧窮を救うため、一子・桜子は自らの身を、東国方の人商人(ひとあきびと)に売る。人商人は、買い取った桜子の代金と、桜子からの手紙とを、母のもとへ届ける。母は嘆き悲しみ、桜子の行方をたずねて旅に出る→〔物狂い〕1

『さんせう太夫』(説経)  奥州将軍・岩城の判官正氏は罪を得て、筑紫の安楽寺へ流される。妻と二人の子供・安寿とつし王(厨子王)、乳母うわたきの四人は、朝廷から知行地確認の安堵の御判を得ようと、都への旅に出る。しかし彼らは越後で山岡太夫にだまされ、人買い舟に乗せられる。うわたきは入水し、母は蝦夷が島へ送られ、安寿とつし王は丹後のさんせう太夫に売られる。

『磁石』(狂言)  遠江国の男が上方見物に出かけ、大津で人買いに声をかけられる。宿屋へ連れて行かれて銭二百疋で売られそうになるが、男は逆にその金を騙し取って逃げる。人買いが刀を抜くので、男は「自分は磁石の精だ」と言って人買いを欺く。

『信田(しだ)(幸若舞)  平将門の孫である信田の小太郎は、姉の夫小山(をやま)に常陸国の領地を奪われ、旅に出た。辻の藤太という男が「徒歩の旅はお気の毒だ」と言って、馬に乗せ、宿へ連れて行くなどして油断させ、信田を人買いに売ってしまう。信田は人買いの手から手へ、諸国を転々と売られるが、人並みの農作業もできないので、「役立たず」として追い払われる。信田は乞食となってさまよう。

『隅田川』(能)  京の北白河に住む故吉田某の一子梅若丸は、十二歳の時に、人買い商人によって東国まで連れて来られる。しかし梅若丸が病臥したため、人買いは隅田川の岸辺に彼を捨てて、陸奥へ去る。梅若丸は衰弱して、三月十五日に死ぬ。

*亡父・亡母の追善供養のため、子供が人買いに身を売る→〔身売り〕4の『自然居士』(能)など。

★2.養い親のもとから、子供を買う。

『赤いろうそくと人魚』(小川未明)  ろうそく店の老夫婦が人魚の娘を拾い、育てる。娘は美しく成長するが、ある時、南の国から来た香具師(やし)が、「人魚の娘を買いたい」と言って大金を積む。老夫婦は欲にかられて、「どんなにでも働きますから、売らないで下さい」と泣く娘を、香具師に渡してしまう〔*しかし大暴風雨が起こり、香具師と人魚の乗る船は海に沈む〕→〔ろうそく〕1

★3.子供を、買うのではなく借りる。

『家なき子』(マロ)  みなし子の「ぼく(レミ)」は、バルブラン夫婦に育てられた。「ぼく」が八歳になった時、バルブランは怪我をして生活が苦しくなり、旅の老芸人ビタリスに「ぼく」を引き渡す。ビタリスは「レミを買うのでなく、一年二十フランで借りよう」と言ったが、バルブランは値段をつり上げ、四十フラン要求する。ビタリスは、猿一匹・犬三匹の一座に「ぼく」を加え、町々を巡って歌と芝居の興行をする〔*ビタリスは善良な人だったが、後に凍死した〕。

 

 

【人質】

★1a.一人の賊が人質を取って小屋などに逃げ込む。

『今昔物語集』巻23−24  人に追われて逃げる賊が、相撲人光遠の妹娘を人質にして離れ家に立てこもる。賊は娘に刀をつきつけるが、娘が手まさぐりに、前にある篠竹を指で折り砕くのを見て恐れ、逃げ出して人々に取り押さえられる。

『今昔物語集』巻25−11  藤原親孝(=源頼信の乳母子)の五〜六歳の一人息子を、盗人が人質に取る。盗人は男児に刀をつきつけ、小屋に立てこもる。源頼信は盗人に、「命を助かろうと思うならば、刀を投げよ」と命ずる。盗人は頼信の武威に恐れ、刀を捨てて男児を解放した。

『七人の侍』(黒澤明)  盗人(演ずるのは東野英治郎)が子供を人質にして納屋へ逃げ込み、一日近くがたつ。通りかかりの貧乏侍勘兵衛(志村喬)が、盗人を油断させるために、髪を剃って法師姿になる。勘兵衛は「腹が減ったろう」と声をかけて、納屋に握り飯を投げ入れる。盗人が握り飯を取ろうとした時、勘兵衛は納屋の中へ飛び込み、盗人の持つ刀を奪って彼を斬り捨てる〔*勘兵衛はその後、七人の侍のリーダーとなって、農民たちのために戦う〕。

『武道伝来記』(井原西鶴)巻1−2「毒薬は箱入の命」  橘山刑部家の女中小梅が悪事を働き、処刑された。その弟九蔵が逆恨みして、刑部を襲うがかなわず、刑部の子市丸を人質にとって、米蔵に逃げ込む。刑部の家来森之丞が、蔵の窓から九蔵を銃撃して、市丸を救う。

★1b.人質を取らず、空き家に立てこもる物語もある。

『都甲太兵衛』(森鴎外)  相撲取りらしい男が人を斬って、刀を手に空き家に立てこもり、人々がののしり騒ぐ。都甲太兵衛が杵で壁を壊して穴を開け、衣をかかげて尻から入り、相手の油断に乗じて捕らえる。「尻なら、一太刀くらい切られても大事ないから」と太兵衛は言った。

★2.三人の脱獄囚が、一家四人を人質にする。

『必死の逃亡者』(ワイラー)  夫・妻・年頃の娘・小学生の息子の四人家族が住む家に、ある朝、三人の脱獄囚が押し入る。情婦から金が届くまでの間、彼らは四人を人質にして、家の中に隠れる。脱獄囚の存在を周囲に知られないように、夫は出勤せねばならぬし、娘はデートに出かけねばならない。二日目の夜、夫が弾丸の入っていない銃を渡すなどして脱獄囚を欺き、結局、脱獄囚三人は警官隊に射殺される。

★3.友人を人質にする。

『走れメロス』(太宰治)  牧人メロスは、暴君ディオニス王を暗殺しようとして失敗し、捕らえられた。メロスは妹の結婚式のために三日間の処刑猶予を願い、親友セリヌンティウスを人質として王に預ける。三日目の日没時、セリヌンティウスが身代わりに処刑される直前に、メロスは刑場に戻る。

★4.大勢の人質。

『ダイ・ハード』(マクティアナン)  十三人のテロリストが、ビルの高層階のパーティ会場に乱入し、三十人ほどを人質にしてたてこもる。彼らの狙いは、金庫室にある巨額の債券だった。警察がビルへの突入を試みて撃退されたので、FBIの武装ヘリコプターが出動する。ペリコプターの乗員たちは、「何人死ぬかな?」「テロリスト全員と、人質は多くて二十五パーセントだ」と話し合う。ビル内にいた刑事ジョン(演ずるのはブルース・ウィリス)が身を隠しつつ、テロリストを一人また一人と撃ち殺して、人質たちを救い出す→〔真似〕4c

★5.人質の命を助けるために、あえて傷つける。

『スピード』(デ・ボン)  警察のSWAT隊員二人の会話。「クイズだ。拳銃を持つ犯人が、空港で人質を一人、盾にしている。君との距離は三十メートル。どうする」「人質を撃つ」「?」「人質に怪我を負わせ、犯人がひるんだ瞬間にやっつけるのだ」。

 

 

【人魂】

 *関連項目→〔魂〕

★1a.死の直前あるいは死の数日前に、人魂が身体から出て行く。

『温泉だより』(芥川龍之介)  秋彼岸前のある暮れ方、女が、屋根の上を飛ぶ火の玉を見る。縁台に腰かける大工の半之丞にそのことを話すと、半之丞は「あれは今おらが口から出ていっただ」と言う。それから幾日も立たぬ彼岸の中日に、半之丞は自殺する→〔温泉〕7

『曾根崎心中』  お初・徳兵衛は、曾根崎の森へ死出の道行きをする。二つ連れ飛ぶ人魂を見て、二人は「あれこそ、まもなく死ぬ自分たちの魂だ」と悟る〔*→〔星と生死〕3の『マッチ売りの少女』(アンデルセン)に類似〕。

『耳袋』巻之10「人魂の起発を見し物語の事」  日野伊予守資施が若年の頃、夕暮れ過ぎに、重病で臥す家来の長屋の門口に、蝋燭の芯を切ったくらいの大きさの火が落ちているのを見た。その火は次第に軒口あたりまで上がり、茶碗程に大きくなった。その夜、家来は死去した。

『和漢三才図会』巻第58・火類「霊魂火(ひとだま)」  自分の身体の内から、魂が出て行くのを知った人があった。「物が耳の中から出て行く」と、その人は言った。日ならずしてその人は死んだが、あるいは十日余りして死ぬ場合もある。しかし死ぬ者のすべてから、魂が出て行くわけではない。畿内の繁華の地では一年に幾万人も病死するが、人魂の火が飛ぶのは、十年のうちにただ一〜二度見るだけである。

*魂を耳から体外へ押し出す→〔耳〕2の『太平広記』巻327所引『述異記』。  

*聖フランキスクスの魂が星になるのを見たというのは、人魂を見たということなのだろう→〔星に化す〕2aの『黄金伝説』143「聖フランキスクス(フランチェスコ)」。  

★1b.死の何ヵ月か前、時には一年以上も前に、人魂が身体から出て行くこともある。

『更級日記』  私(菅原孝標女)が五十歳の八月、夫橘俊通が任国信濃へ下向するのを送った家人らが戻り、「暁に、大きな人魂が京の方へ飛んで来た」と報告した。「供人の人魂だろう」と私は思っていたが、翌年の十月に夫橘俊通は病死した。

『漱石の思い出』(夏目鏡子)  大正五年(1916)、夏目漱石死去の半年ほど前のこと、春の終わりか夏の初め、人魂が家の屋根から飛んで出たので、家族は気味悪がった。

『とはずがたり』(後深草院二条)巻1  文永八年(1271)八月下旬の夜の丑の時頃、御所に青白い人魂が十個ほどあらわれた。尾は細長くおびただしく光り、上下に飛んだ。「後嵯峨院の御魂である」との占いがあり、九月に入って院は発病、翌文永九年二月十七日に、五十三歳で崩御された。

『平家物語』巻3「医師問答」  治承三年(1179)の夏頃、平重盛は父清盛の無道の振舞いに心を痛め、「父の悪心をひるがえすことが叶わぬなら、我が命を縮めよ」と熊野本宮に祈った。すると燈籠の火のようなものが身体から出て、ぱっと消えた。その年の秋八月一日に、平重盛は四十三歳で死去した。

*死の二ヵ月前に生霊が目撃された、という話もある→〔百物語〕1の『百物語』(岡本綺堂)。

*→〔水鏡に映る自己〕4の『高丘親王航海記』(澁澤龍彦)「鏡湖」も、すでに身体から影(=魂)が抜け出ており、抜け殻の状態で生きていたということであろう。

★2a.多数の人魂が現れ、その後、大勢の人々が死ぬ。

『現代民話考』(松谷みよ子)4「夢の知らせほか」第2章の1  昭和二十一年(1946)三月。雄勝町は細長い町だが、火の玉の行列がぞろぞろ、毎晩のように寺へ行く。おかしいなと思っていたら、二十三日、金華丸という連絡船が沈没して、雄勝の人が大勢死んだ。寺への葬式の行列は、町のはじからはじまで続いた。埋葬が終わったら、火の玉はばったり出なくなった(宮城県桃生郡雄勝町)。

★2b.鬼火が現れ、その後、大勢の人々が死ぬ。

『日本書紀』巻26斉明天皇七年(661)五月  宮中に鬼火が現れた。このため、大舎人および諸々の近侍たちに、病気になって死ぬ者が多かった。

★3.死者を迎えに来る人魂。

『二つの光』(イギリスの昔話)  牧師が、夜の墓地の一角にゆらめく光を見る。光は動き出し、森を抜け丘を上って、一軒の農家の戸口に入る。しばらくして光は、もう一つの光をともなって現れ、前と同じ道筋をたどって、ある墓の所で消える。それは丘の上の農家の先祖代々の墓であり、その夜、農家の子供が病気で死んだことを、牧師は知った。

★4.にせの人魂。

『樟脳玉』(落語)  最愛の妻を亡くして悲しむ男から金品を騙し取ろうと、悪人が樟脳玉に火をつけて、にせの人魂を作る。悪人は、にせの人魂を男に見せ、「おかみさんの念がこの世に残っているから、何か寺に供養するのが良い」と勧める。男は、それなら亡妻が大事にしていた雛人形を納めようと、箱のふたを開けて「ああ」と嘆声を発する。「女房は、このお雛様に思いを残していたのだ。魂の匂いがする」。

 

※死後に飛ぶ人魂→〔妻妾同居〕4の『悋気の火の玉』(落語)。

※ある人は「人魂」と思い、ある人は「蛍」と思う→〔蛍〕4の『感想』(小林秀雄)1。

 

 

【人違い】

 *関連項目→〔取り違え花婿〕〔取り違え花嫁〕〔取り違え夫婦〕

★1.人相・風体などにより、人違いする。

『検察官』(ゴーゴリ)  下級官吏のフレスタコーフは一文無しになって、ある町の宿屋に居つづけていた。彼は、行政視察に来た検察官と間違えられ、市長や町の有力者たちから厚遇される。フレスタコーフはそれに乗じて賄賂をせしめ、身元がばれないうちに町を去る。市長たちが、フレスタコーフ=にせもの、と知って驚いているところへ、本物の検察官がやって来る。

『夏の夜の夢』(シェイクスピア)第1〜4幕  ヘレナはディミトリアスを恋するが、ディミトリアスはヘレナを無視して、ハーミアとの結婚を望む。しかしハーミアはライサンダーと恋仲だった。妖精パックが、ディミトリアスの心をヘレナに向けようと、「浮気草」の汁を彼のまぶたに塗る。ところがそれは人違いで、草の汁を塗られたのはライサンダーだった。ライサンダーは突如ヘレナに求愛し、ヘレナは「からかわれているのだ」と思って怒る〔*妖精王オベロンが介入し、ヘレナとディミトリアス、ハーミアとライサンダーが、結ばれるようにはからう〕→〔最初の人〕1

『吾輩は猫である』(夏目漱石)9  苦沙弥先生の家に入った泥棒が、半年ほど後につかまり、巡査に連れられてやって来た。泥棒の男振りが良いので(*→〔泥棒〕5)、苦沙弥は「この人は刑事だろう」と早合点し、丁寧に御辞儀をする。巡査はにやにや笑う。彼らが帰った後、迷亭が「君は泥棒に平身低頭した」と言うと、苦沙弥は「ばかあ言ってら、あれは刑事だね」と言い返した。

★2.人違いを契機にして物語が始まる。

『天国と地獄』(黒澤明)  昭和三十八年(1963)頃。貧しいインターンの竹内(演ずるのは山崎努)は、会社重役権藤(三船敏郎)の息子を誘拐する。しかし彼は、誤って権藤家の運転手の子供を連れ去ったのだった。人違いと気づいたものの、竹内は身代金三千万円を権藤に要求し、「払わなければ子供を殺す」と告げる。権藤は「私の子供でもないのに、なぜ金を出す必要があるのか」と怒るが、他人の子供とはいえ見殺しにはできず、三千万円の支払いを承知する→〔誘拐〕2a

『北北西に進路を取れ』(ヒッチコック)  ホテルのバーでボーイが「キャプラン様」と呼び出しをする。ちょうどその時、広告業者のロジャー(演ずるのはケーリー・グラント)が、手を上げてボーイを呼んだ。それはあたかも、「キャプラン様」の呼びかけに応答したように見えた。国家機密を他国に売る男バンダムの一味が、CIAから送り込まれたスパイ・キャプランを捜していたところだったので、彼らはロジャーをキャプランだと誤解し、殺そうとする〔*本当のスパイは、バンダムの身近にいた美女イブ(エヴァ・マリー・セイント)であり、ロジャーとイブはバンダム一味との戦いの末に結婚する〕。

*中納言が、婚約者の妹(寝覚の上)を別人と勘違いして、関係を持つ→〔姉妹と一人の男〕1の『夜の寝覚』。

★3a.「あなたが捜しているのは私ではない。人違いだ」と言う。

『源氏物語』「手習」〜「夢浮橋」  宇治川に入水しようとした浮舟は、横川の僧都に救われて小野の山荘で出家する。薫は、浮舟の一周忌法要を済ませた後に、女房小宰相から、浮舟生存を聞かされる。薫は手紙を浮舟の異父弟・小君に持たせて小野へ遣わすが、浮舟は「人違いかもしれませんので」と言って返事を拒む。小君はむなしく帰京する。

*息子が尋ねて来るが、「人違いだ」と言って追い返す→〔母さがし〕3の『瞼の母』(長谷川伸)。

★3b.「私が捜しているのはあなたではない。人違いだ」と言う。

『改心』(O・ヘンリー)  ベン刑事は、金庫破りのジミー・ヴァレンタインを逮捕しようと、監視する。ジミーは金庫室の扉を破って、中に閉じ込められた少女を救った後に(*→〔過去〕4a)、ベン刑事が見張っていたことに気づく。ジミーは「やあ、ベンの旦那。現場を押さえましたね」と言って、逮捕されようとする。しかしベン刑事は「人違いでしょう。私はあなたなんか知りませんよ」と言って、去る。

★3c.「私が待っていたのはあなたではない」と言う。

『班女』(三島由紀夫)  芸者の花子が、東京から来た青年吉雄に恋をする。吉雄は「また来る」と言い置いて、花子と扇を交換して去る。花子は吉雄を待ち続けて気が狂い、毎日、扇を持って駅の待合室のベンチにすわる。花子のことが新聞に載り、それを読んだ吉雄が、三年も放っておいた花子を訪ねてやって来る。花子は吉雄の顔を見て、「そっくりだけれど、違う。あなたのお顔は死んでいる」と言う。そして「私は諦めない。もっともっと待とう」と決意する〔*能『班女』(→〔物狂い〕1)にもとづく戯曲〕。

*『豊饒の海』第4巻『天人五衰』で、綾倉聡子が松枝清顕の記憶を持たず、その存在を否定する場面を想起させる→〔記憶〕7

★4.人違いしたふりをして、情報を得る。

『シルヴァー・ブレイズ号事件』(ドイル)  ホームズは、殺された調教師ストレイカーが鳩色の絹ドレスを買ったことを知り、ストレイカー夫人に「以前、園遊会で貴女にお目にかかった。その時は、鳩色の絹ドレスを着ておられた」と言う。夫人が「人違いです。私はそんなドレスは持っていません」と否定したので、ホームズは、ストレイカーには秘密の愛人がおり、そのため金が必要だったことを察知する。

★5.人違いしたふりをして、本人には言えないことを言う。

『藤鞆絵(ふじどもえ)(森鴎外)  佐藤君は宴席で、初対面の美貌の芸者から「貴方あれきり手紙も下さらなかったのね。随分だわ」と言われ、からまれる。佐藤君は不思議がるが、実は彼の羽織の紋が藤鞆絵で、芸者の愛人の紋所と同じであった。芸者は佐藤君を形代(かたしろ)にして、遠方を旅行中の愛人に言いたいことを言ったのだった。

*兄と間違えたふりをして、女が男を口説こうとする→〔兄妹〕8の『二人の友』(森鴎外)。

★6.目指す本人なのに、人違いだと思う。

『ドリアン・グレイの肖像』(ワイルド)  二十歳の美青年ドリアンは、彼に恋する女優シビルに残酷な仕打ちをして、自殺させる。シビルの弟ジェイムズは、姉の仇ドリアンを何年も捜し、十八年後、ドリアンを襲う。しかしドリアンが二十歳の青年の容貌をしていたのでジェイムズは驚き、「十八年前なら、この男はまだ幼児だったはずだ」と考え、人違いを詫びて去る。 

★7.人違いであることを、相手に悟られないようにふるまう。

『源氏物語』「空蝉」  光源氏は空蝉の寝所にしのび入る。しかし空蝉はすでに身を隠し、寝ていたのは空蝉の継娘・軒端の荻だった。源氏は、人違いしたことに気づいたが、人妻である空蝉との仲を、軒端の荻に知られてはいけないので、「前々から貴女と逢いたかったのですよ」と言いつくろい、そのまま軒端の荻と関係を結んだ。

 

※冥府の役人が人違いして、まだ寿命のある人を連れて行く→〔火葬〕5の『馬の脚』(芥川龍之介)、→〔蘇生者の言葉〕1の『酉陽雑俎』続集巻3−922、→〔同名の人〕7aの『捜神記』巻15−3。

※そっくりなため人違いされる→〔瓜二つ〕、→〔双子〕に関連記事。

※闇の中の人違い→〔闇〕に記事。

 

 

【一つ覚え】

★1.一度うまくいったことに味をしめ、別の状況下でも一度目と同じことを言ったりしたりして、失敗する。

『牛褒め』(落語)  佐兵衛が家を新築したので、与太郎が父親から褒め言葉を教わって出かけ、いろいろと褒めて、「台所の柱の節穴には秋葉神社の御札を貼れば、穴が隠れて火の用心になる」と言って、感心される。次に牛を褒め、「牛の肛門に御札を貼れば、穴が隠れて屁の用心」と言う。

『栄花物語』巻1「月の宴」  永平親王(村上帝の八の宮)が、昌子内親王の養子になる。彼は痴者であった。昌子内親王が病気になった時、永平親王は、親代わりの済時から教えられた口上を述べて見舞った。ところが、翌年の元日の訪問の折にも、彼は前回と同じ病気見舞いの口上を繰り返したので、皆に笑われた。

『鹿の子餅』「上り兜」  愚かな息子が、五月の節句用に、美しい布切れで上り兜をこしらえて、両親からほめられる。九月の重陽の節句前になって、息子が再び何か作り出したので両親が期待していると、息子が自慢気に取り出したのは、また上り兜だった。

『狭衣物語』巻1・巻3  洞院の上は今姫君を養女にし、帝のもとへ入内させたいと願う。しかし今姫君は、歌も詠めない愚か者だった。狭衣が今姫君の部屋をはじめて訪れた折、母代(ははしろ。世話役の女)が姫君に代わって、「吉野川何かは渡る妹背山人だのめなる波の流れて」と詠んだ。四年ほど後、狭衣が再び今姫君を訪れると、今姫君は狭衣に応対できず、かつての母代の歌「吉野川・・・」を一字も違えず詠じた。

*塩を運ぶ時も海綿を運ぶ時も、川で転ぶ驢馬→〔塩〕2の『イソップ寓話集』(岩波文庫版)180「塩を運ぶ驢馬」。

★2.一つ覚えの言葉を、何度も繰り返す。

『源氏物語』「行幸」  末摘花は、和歌の中にしばしば「唐衣」という語を詠み込んだ。玉鬘の裳着の日、末摘花は祝いの品を贈ったが、それに添えた和歌も、「わが身こそうらみられけれ唐衣君が袂に馴れずと思へば」というものだった。光源氏は「またしても唐衣か」とあきれ、「唐衣また唐衣唐衣かへすがへすも唐衣なる」と返歌した。

『ジャータカ』第123話  蛇を見た愚か者が、師から「蛇とはどのようなものか?」と問われ、「鋤の柄のごときもの」と答えて大いにほめられた。以来、その愚か者は、象・氷砂糖・牛乳など、眼にし、口にしたあらゆるものを、「鋤の柄のごときもの」と言って師に報告した。

『花色木綿』(落語)  貧乏長屋の男が、店賃(たなちん)滞納の言い訳をするために、「蒲団・着物など家財道具一切を盗まれた」と、でたらめを言う。盗まれた物の詳細を家主が問うと、男は「蒲団は、表は唐草模様。裏は花色(薄い藍色)木綿」と答え、家主はひとまず納得する。すると男は「黒羽二重(くろはぶたえ)・帷子(かたびら)・帯・刀なども盗まれた。裏はみな花色木綿だ」と言い、家主は呆れる。

★3.一つ覚えが、思いがけない形で功を奏する。

『沙石集』巻2−1  在家の人が病気になった時、山寺の僧は、どんな病気に対しても「藤のこぶを煎じて飲め」と教えた。在家の人がそれを信じて飲むと、実際にあらゆる病気が治った。ある時、馬がいなくなったので、在家の人は山寺へ相談に行く。僧は例によって、「藤のこぶを煎じて飲め」と言う。在家の人は不審に思ったが、藤のこぶを捜しに山の麓まで行き、谷のほとりで、行方不明の馬を見つけた。

★4.愚か者の一つ覚えではなく、悟達の境地ゆえに、異なる問いに同じ言葉で答えるばあいがある。

『魔法修行者』(幸田露伴)  九条植通(たねみち)公は生涯『源氏物語』を愛読し、『源氏物語孟津抄』を著した。連歌師の紹巴が植通公を訪れ、「近頃何を御覧なされまする」と問うた時、公はただ一言「源氏」と答えた。続いて「めでたき歌書は何でござりましょうか」との問いにも、公は「源氏」と答え、さらに「誰が参りて御閑居を御慰め申しまするぞ」との問いにも、「源氏」と答えた。三度とも同じ返答で、紹巴は「ウヘー」と引き退った。

*倶胝和尚は、問答をしかける相手に、いつも指一本を立てて答えた→〔指を切る〕3の『無門関』(慧開)3「倶胝竪指」。 

 

 

【人妻】

 *関連項目→〔密通〕

★1.人妻を奪う。

『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第3章  トロイアのパリスは、スパルタのメネラオスの所で九日間歓待された。十日目にメネラオスがクレタに旅立ったので、パリスは、メネラオスの妻ヘレネに自分と一緒に出奔するよう説いた。ヘレネは九歳の子ヘルミオネを残し、財宝を船に積んで、パリスとともに海に出た。

『今昔物語集』巻22−8  大納言国経は八十歳になろうとする老齢だったが、二十歳をこえたばかりの美貌の若妻を持っていた。国経の甥にあたる左大臣時平は三十代の壮年で、若妻目当てに、正月三日に国経邸を訪問する。高位の左大臣が年始に来てくれたというので感激する国経にむかい、時平は特別の引出物を要求する。酔った国経は最愛の若妻を、引出物として時平に与えてしまう〔*『少将滋幹の母』(谷崎潤一郎)前半部の原話〕。

『それから』(夏目漱石)  高等遊民の長井代助は、三千代を愛しながらも、友人平岡常次郎のために恋を譲り、平岡と三千代の結婚の世話をした。三年後、代助は平岡夫婦と再会するが、三千代の不幸な結婚生活を気づかううち、ついに代助と三千代は関係を持つ。代助は平岡から絶交され、父や兄からも義絶されて、職を探しに炎熱の街へ出て行く。

『天国と地獄』(オッフェンバック)  地獄の王プリュトンが羊飼いに変身し、音楽家オルフェオの妻ユリディスの愛人になる。やがてプリュトンは正体をあらわし、ユリディスを地獄へ連れ去る〔*オルフェオにもニンフの愛人がいて、夫婦とも内心では離婚を望んでいるが、「世論」の説得で、オルフェオはユリディスを連れ戻しに地獄へ降りる〕→〔禁忌(見るな)〕2

*王妃を着飾らせ別人と思わせて、そのまま奪ってしまう→〔瓜二つ〕4の『七賢人物語』「妃の語る第七の物語」。

*王が家来の妻を奪う→〔水浴〕2の『サムエル記』下・第11章。

*殿様が百姓の妻を奪う→〔肖像画〕1aの『絵姿女房』(日本の昔話)。

★2.他人の愛妾を奪う。

『イリアス』第1歌  トロイア遠征軍の総大将アガメムノンは、神官の娘を手に入れたが、アポロン神が陣中に悪疫をもたらしたために、彼女を手放さねばならなかった。アガメムノンはその腹いせに、アキレウスの愛妾ブリセイスを強引に奪い取る。アキレウスは怒って戦線を離脱する。

★3.人妻を愛しながらも肉体的には結ばれない。

『谷間の百合』(バルザック)  二十歳のフェリックスは舞踏会でモルソフ夫人を一目見て心奪われ、思わずその肩に接吻する。フェリックスはモルソフ夫人を熱愛するが、夫人は、横暴な夫と病弱な子供を裏切ることなく、母親のような愛情のみでフェリックスに接する。満たされぬ思いのフェリックスは、ダドレー夫人に誘惑されてその愛人になる。それを知ったモルソフ夫人は、激しい嫉妬から病を発して死ぬ。

『天の夕顔』(中河与一)  大学生の「わたくし」は七歳上の人妻と知り合う。彼女には一子があり、夫は洋行中だった。「わたくし」と彼女は肉体的に結ばれぬまま、断続的に逢瀬と別れを繰り返す。その間「わたくし」は別の娘と短い結婚生活をしたり、飛騨の山中に独居したりする。四十歳になった「わたくし」に、彼女は「五年たったら逢いに来てもよい」と告げるが、約束の日の前日に彼女は死んだ。それが二十三年間の恋の帰結だった〔*→〔白髪〕3aの『感情教育』(フロベール)では、二十七年間に渡る人妻への恋が語られる〕。

『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)  一七七一年六月にウェルテルはロッテに出会い、恋におちる。彼女はすでにアルベルトと婚約しており、半年余の後に婚礼が行なわれるが、ウェルテルのロッテへの思いはやむことがない。一七七二年十二月二十一日、アルベルトの不在中にウェルテルはロッテの家を訪れ、彼女を抱きしめ唇に接吻する。二十二日夜中の十二時にウェルテルはピストルで右眼上から頭を撃ち抜き、二十三日正午に息を引き取る。

★4.夫のもとへ戻る人妻。

『逢びき』(リーン)  中年の主婦ローラ(演ずるのはシリア・ジョンソン)は、毎週木曜日に町へ買い物に出かけ、妻子持ちの医師アレック(トレヴァー・ハワード)と知り合う。二人は互いに好意を抱き、週に一度のデートをする。六週目、アレックの友人の部屋で二人は性関係を持とうとするが、友人が早く帰って来たので、ローラは逃げ出す。彼女は自分を惨めに感じ、アレックに別れを告げる。アレックも、外国の病院への転勤を決意する。七週目の木曜日、最後のデートをして帰宅したローラに、夫は「戻ってくれて嬉しいよ」と言う。

『マディソン郡の橋』(イーストウッド)  マディソン郡の田舎。夫と二人の子供が遠方に出かけ、中年の主婦フランチェスカ(演ずるのはメリル・ストリープ)は四日間、一人で留守番をする。初老の独身カメラマン、ロバート(クリント・イーストウッド)が橋の写真を撮影に来て道に迷い、フランチェスカに橋の場所を尋ねる。二人は恋に落ち、出会って二日目の夜に性関係を持つ。ロバートはフランチェスカに「一緒に行こう」と言うが、フランチェスカは家族を捨てることができない。ロバートは一人で去り、フランチェスカは家族の帰りを出迎える。

*青年(イタリア人)と人妻(アメリカ人)の恋→〔映画の中の時間〕1の『終着駅』(デ・シーカ)。

★5.人妻に言い寄る男。無力な夫。

『軽蔑』(ゴダール)  劇作家志望のポールは、映画プロデューサーのプロコシュから、撮影中の映画シナリオの改訂を、報酬一万ドルで依頼される。ポールには美しい妻カミーユ(演ずるのはブリジット・バルドー)がおり、プロコシュはカミーユに目をつけて言い寄る。ポールはプロコシュに遠慮し、見て見ぬふりをする。そのくせ二人きりになると、ポールは嫉妬してカミーユを責める。カミーユはポールに「軽蔑するわ」と言い、別れる決心をする。カミーユはプロコシュとともに自動車で去る。しかし大型トラックと衝突して、二人とも死ぬ。

★6.人妻との恋を成就させる。

『隣の嫁』『春の潮』(伊藤左千夫)  明治時代の農村。十九歳の省作は、この春中学を終え、今年から百姓として働き始めた。隣家へ嫁に来たおとよさんは、省作と同年の十九歳であるが、夫を嫌い、省作に好意をよせる。省作も、おとよさんの気持ちを知って、胸をときめかせる。おとよさんは夫と別れ、里へ帰る。省作は他村へ婿養子に行くが、おとよさんとの噂がたったためか、破縁になる。互いに思い合う二人の仲を両家の親たちも認め、省作とおとよさんは結婚できることになった。 

 

※人妻にいつわりの恋をしかける→〔演技〕5の『藤十郎の恋』(菊池寛)。

※人妻の貞操を守る紐→〔守り札〕4の『女神のお守り』(アイヌの昔話)。

 

 

【一つ目】

 *関連項目→〔片目〕

★1.一つ目の神・鬼・怪物。

『神統記』(ヘシオドス)  原初の時、ガイア(大地)は傲慢なキュクロプスたちを産んだ。彼らはゼウスに雷鳴を贈り、雷電を造ってやった者たちである。彼らは神々と同じ姿をしていたが、額の真中に、目が一つしかなかった。それゆえ「円い目(キュクロプス)」と綽名された。

*キュクロプス族の一人ポリュペモスは一つしかない目を、オデュッセウスによってつぶされる→〔盲目になる〕1の『オデュッセイア』第9巻  

『春雨物語』「目ひとつの神」  目一つの神が、歌道修行を志し上京する若者に、故郷へ帰るよう諭した→〔宴席〕1

*目一つの鬼が人を喰う→〔鬼〕1の『出雲国風土記』大原郡阿用の郷。

★2.一つ目小僧

一つ目小僧と道祖神の伝説  十二月八日の夜には、一つ目小僧が家々を巡り、子供たちの悪い行ないを帳面に書きつけて行く。たくさんの子供の悪事を記したために帳面が重くなり、一つ目小僧は帳面を「正月十五日に取りに来るから」と言って、道祖神に預ける。帳面に書かれた子供たちは皆さらわれてしまうので、道祖神は、正月十四日の左義長の火の中に、帳面を放り込んでしまった(神奈川県秦野市八沢)。

★3.一つ目の人ばかりの国。

『一眼国』(落語)  香具師が一眼国へ行くと、住人が皆一つ目なので、女の子を一人さらって見世物にしようとする。しかし大勢に取り押さえられ、役所へ連行される。役人が香具師を見て「目が二つもある化け物だ。見世物にせよ」と言う。

*鼻欠け猿の世界では、鼻があると片輪者である→〔九百九十九〕6の『今昔物語集』巻5−23。

*盲人ばかりの国→〔盲目の人〕5の『盲人国』(H・G・ウェルズ)。

★4.三人が、たった一つの目を用いる。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章  ゴルゴンたちの姉妹であるエニューオー、ペプレードー、デイノーの三姉妹(グライアイ)は、生まれながらに老婆であり、一つの目と一つの歯を互いに貸し借りしていた。ペルセウスがこれを奪い、返すことと交換に、ニムフたちの所へ行く道を聞き出した→〔靴(履・沓・鞋)〕1

★5.五匹が、たった一つの目を用いる。

『子不語』巻9−222  浙江地方に五匹の化け物がいる。四匹は目がなく、一匹だけが目を一つ持っており、他の四匹はその目に頼って物を見るので、「一目五先生」と呼ばれる。五匹の化け物は、眠る人のにおいを嗅(か)ぐ。一匹に嗅がれるとその人は病気になり、五匹全部に嗅がれると死んでしまう。

 

 

【人柱】

★1a.誰を人柱にしたらよいか、提案した人自身が人柱にされる。

『雉も鳴かずば』(日本の昔話)  川の氾濫対策を、村人たちが話し合う。一人の男が「縦縞に横縞のつぎ当てをした着物の人を、人柱にすればよい」と提案する。ところがそう言った当人が、縦縞に横縞のつぎ当ての着物を着ていた。男は、余計なことを言ったばかりに人柱にされてしまう。後にその男の娘は、鉄砲で撃たれた雉を見て父の運命を思い合わせ、「雉も鳴かずば撃たれまい」と歌った(熊本県山鹿市)。

『神道集』巻7−39「橋姫明神の事」  長柄の橋は架けてもすぐ落ちるので、村人たちが人柱の必要を話し合う。一人の旅人が、「浅葱の袴をはき、膝の破れを白布で繕っている人をつかまえ、人柱にすれば良い」と言う。ところが、そう言った当人がその通りの服装をしていたので、人柱にされる。旅人の妻は、野で鳴く雉が射殺されたことを思い合わせて、「もの言へば長柄の橋の橋柱鳴かずば雉の取られざらまし」と詠じた。

*「異邦人を生贄にすべし」と提案した人物自身が異邦人だったので、生贄にされる→〔自縄自縛〕2aの『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第5章。

★1b.提案者が、自らが人柱に選ばれるように細工をする。

お鶴・市太郎の伝説  井堰工事が順調に進まないので、土地の地頭七人の一人湯屋弾正が、「人柱を立てよう」と提案する。地頭七人が各自の袴を川に流し、真っ先に沈んだ袴の主を人柱にしよう、と取り決める。七人が袴を投ずると、湯屋弾正の袴が最初に沈んだ。彼は、提案者の自分が人柱になろうと、ひそかに袴に石を入れておいたのだった(大分県中津市相原八幡鶴市神社。*しかし結局、弾正の家来の娘お鶴と彼女の子市太郎が、志願して弾正の代わりに人柱になった)。

★2.誤解により、自ら人柱になるような行動をしてしまう。

おとめ桜の伝説  寛永年間、白河の小峰城修築の際、人柱の必要が議せられ、その日最初に入城する者を人柱とすることになった。修築工事に従事する和知半三郎が見ていると、自分の娘おとめが歩いてくる。半三郎は「来るな」と手で合図したが、娘は「父が呼んでいる」と誤解して、急いで入城した(福島県白河市)。

★3.人柱にされる人の身代わりに、別の人物が人柱となることを志願する。

『築島』(幸若舞)  平清盛が福原に港を築こうとするが、工事が失敗する。「三十人の人柱が必要」との占いがあり、往来の人々を捕える。清盛の童松王健児が志願して、三十人の身代わりにただ一人で、一万部の『法華経』とともに人柱に立つ。

堤の人柱の伝説  築城のため、池を埋めて堤を築くが、洪水で破れたので人柱を立てることになる。くじ引きの結果、某村から人柱を一人出すことに決まり、村人たちは悲嘆する。城主の姫君が、「そのような人柱では城主に怨みを残すことになり、役に立たぬ」と言って、自身が志願し、村人の身代わりに人柱となる(宮崎県延岡市)。   

★4.落とし穴に落とされ、知らぬうちに人柱にされてしまう。

乙女ヶ池の伝説  川の氾濫で田地が流されるので、堤防を修復しようとするが、ことごとく失敗する。工事責任者の庄屋は、自家の下女である乙女を人柱に立てようと考え、工事現場に弁当を持ってくるよう命じる。乙女は弁当を持って堤防まで来て、落とし穴を踏んで水中に落下し、そのまま人柱となる。おかげで堤防は修復できたが、後、明治十九年(1886)の出水で田地はまた池水と化し、乙女ヶ池と呼ばれるようになった(鳥取県西伯郡名和町)。

★5a.人柱にされた娘が大蛇に化す。

『まつら長者』(説経)6段目  陸奥の国安達の郡の村里で、川に橋を架けようとするが成就しない。「美女を人柱にすればよい」と博士が占い、伊勢出身の娘が川へ沈められる。娘は怨んで長さ十丈の大蛇と化し、一年に一人ずついけにえを取る。やがて川は大池となって九百九十九年が経過する→〔九百九十九〕1

★5b.人柱にされた女性の泣き声が聞こえる。

『現代民話考』(松谷みよ子)7「学校ほか」第1章「怪談」の1  八王子でいちばん最初に建てられた、第一小学校での出来事。毎夜、誰もいないお手洗いから、女性の泣き声が聞こえる。調べてみると第一小学校の建設当時、隣村から女性を連れて来て、無理やり人柱にしたことがわかった。そこで学校の裏に小さなお墓を作り、女性の霊が安らかに眠るように供養をした。今もそのお墓は残っている(東京都)。

★6.人柱をやめて、代わりに石を埋める。

郡山城の人柱の伝説  毛利元就が高田郡吉田町の郡山城を増築した時、何度も石垣が崩れた。普請奉行が人柱をたてることを決め、一人の娘を指名する。毛利元就は人柱を禁じ、「百万一心」と記した紙を奉行に渡して、「この文字を石に彫り、代わりに埋めよ。心を合わせてことに当たれ」と命じた。人柱なしで、郡山城は立派に完成した(広島県高田郡吉田町)

『平家物語』巻6「築島」  平清盛は福原に島を築いて港とし、往来の船の便をはかろうとした。しかし風波のため島が崩れたので、公卿たちが「人柱を立てよう」と議論する。清盛は「それは罪業である」と言い、石の面に一切経を書いて人柱の代わりとし、島を完成させた。それゆえ「経の島」と名づけられた。

★7.奈良の大仏建立の時の人柱。

『イアラ』(楳図かずお)  東大寺の大仏を建立する折、熱銅とともに美女小菜女(さなめ)が大仏の中に溶かしこまれた。最期の瞬間、小菜女は「イアラ」と絶叫した。小菜女を愛する男土麻呂は、一千年をはるかに超えて生き続け、小菜女の生まれ変わりの女を捜し求める。遠い未来、人類滅亡が間近に迫った時、土麻呂はようやく小菜女の生まれ変わりの女と出会い、「イアラ」の意味を悟る。それは、「再びあいましょう。いつかどこかで」との思いをこめた叫びだったのだ。

 

 

【瞳】

★1.絵に描かれた龍や虎に、瞳を点ずる。

『水衡記』  画家張僧ヨウは安楽寺の壁に龍を描くが、「瞳を入れると飛び去るから」と言って、白いまま残した。人々が信じないので瞳を点ずると、龍は雲に乗って天に昇った〔*「龍」の字に点を打つと昇天する→〔文字〕5の『弘法大師の書』〕。

『南総里見八犬伝』第9輯巻之27〜29  平安時代初期の画家巨勢金岡(こせのかなおか)が描いた虎の絵は、白眼(しろまなこ)であった。瞳を点じて虎が絵から抜け出ることを、懸念したからである。この絵を見た管領細河政元が、絵師巽風(そんふう)に命じて、両眼に瞳を書き入れさせる。たちまち虎は絵から抜け出して、洛中を暴れ回った。犬江親兵衛が虎の両眼を射て退治し、虎は絵の中に戻った→〔虎〕2

★2a.眼に瞳が二つある。

『信田(しだ)(幸若舞)  平将門の眼には瞳が二つあり、彼は関東八ヶ国の王となって八ヵ年を保った。将門の孫である信田の小太郎も左眼に瞳が二つあったので、信田が逆境にあった時、家臣浮島太夫が、「二十五歳までお待ちなさい。必ず坂東(関東)八ヶ国の主とおなりになるでしょう」と励ました〔*予言どおり信田は二十五歳で、帝から坂東八ヶ国をたまわった〕。

『椿説弓張月』前篇巻之1第1回  鎮西八郎為朝は十三歳の時、新院(崇徳上皇)の御所に参内した。少納言信西が為朝の面(おもて)を見て、「この小冠者(=若僧)は重瞳(ちょうどう。瞳が二つ)で、普通の人間とは異なる相だ」と言った→〔矢〕7

★2b.眼に瞳が二つあるのに加えて、額に「米」の字がある。

『小栗(をぐり)(説経)  小栗判官の額には「米」の字が三下(みくだ)りすわり、両眼に瞳が四体あった。人食い馬の鬼鹿毛(おにかげ)はそれを拝み見、前膝を折り黄の涙を流して、「我が背に乗れ」という志を示す。小栗は自在に鬼鹿毛を乗りこなす。  

『さんせう太夫』(説経)  つし王(厨子王)は、由良の港の人買い・さんせう太夫の屋敷を脱出し、天王寺の茶坊主になった。梅津の院が寺を訪れ、つし王の額に「米」の字が三下(みくだ)りすわり、両眼に瞳が二体ある(左右の眼に二体ずつある)のを見て、「只者ならず」と認め、養子にする。やがて、つし王は帝に対面し、奥州・日向・丹後の国を得る。

★2c.右目の瞳が左目に移動して、左目の瞳が二つになった。

『聊斎志異』巻1−5「瞳人語」  方棟が失明して一年ほどたった頃(*→〔車〕4)。目の中で「何という暗さだ」「外へ遊びに行こう」と話し合う声があり、二人の小人が鼻孔から出て来て、庭を見に出かけ、やがてまた目の中へ戻って行った。その後、「両目の間の壁に穴を開け、こちらで一緒に住もう」との声が聞こえ、方棟の左目が開いた。右目は見えぬままだったが、左目には瞳が二つできて、たいへん良く見えた。

★3.瞳に針を刺す。

『春琴抄』(谷崎潤一郎)  佐助は、まず左眼を針で突いてみた(*→〔盲目になる〕2)。白眼は堅くて針が入らないが、黒眼は柔らかく、二〜三度突くとうまい具合にずぶと二分(ぶ)ほど入り、たちまち眼球が一面に白濁して、視力が失せて行った。出血も発熱もなく、痛みもほとんど感じなかった。これは、水晶体の組織を破ったので、外傷性の白内障を起こしたものであろう。佐助は次いで右眼を突き、瞬時にして両眼を潰した。

 

 

【一夜妻】

 *関連項目→〔処女妻〕

★1.男が女と一夜だけの契りを結んで別れる。

『仮名手本忠臣蔵』9段目「山科閑居」  加古川本蔵の命を棄てての頼みにより(*→〔演技〕4)、彼の娘小浪は、大星力弥の妻となることができた。しかし力弥と小浪が夫婦として過ごすのは、ただ一夜だけである。夜が明ければ力弥は、京都山科の家を出て泉州堺へ向かい、父大星由良之助や四十余人の塩冶浪士たちとともに、高師直を討つべく鎌倉へ旅立つ。仇討ちが終われば切腹する覚悟ゆえ、力弥と小浪は、もうこの世で逢うことはないのである。

『七人の侍』(黒澤明)  村を略奪する野伏り(のぶせり)たちと、村を守るために雇われた七人の侍との戦いが続く。野伏りは半数以上が死んで、残るは十三騎。侍は二人が射殺されて、残るは五人。明朝は最後の決戦という前夜、侍の一人勝四郎(演ずるのは木村功)と村娘志乃(津島恵子)は、一夜だけの契りを結ぶ。翌日の戦闘で野伏りは全滅し、侍は二人死んで、勝四郎を含む三人が生き残った。村人たちと田植えをする志乃に心を残しつつ、勝四郎は他の二人とともに村を去る。

『太平記』巻4「藤房卿の事」  中納言藤房は、美しい女房左衛門佐局(さゑもんのすけのつぼね。後醍醐帝の中宮禧子に仕えた)を一目見て恋に落ち、思いを伝えるすべのないまま、三年が経過する。ようやく夢のような一夜の契りを交わすことができたが、その翌晩、後醍醐帝が笠置へ遷幸し、藤房は帝の供をせねばならなかった。藤房は別れを告げるべく、左衛門佐局に会いに行く。彼女は中宮の供をして不在だった〔*二人は二度と逢うことができなかった〕→〔入水〕5

『遊仙窟』(張文成)  勅命を受けて遠方へ旅する「私」は、黄河をさかのぼり、桃の花咲く谷間に出て、ある邸宅に宿を請うた。そこは十七歳の寡婦・崔十娘(じゅうじょう)の屋敷であり、その兄嫁で同じく寡婦である十九歳の五嫂(ごそう)も同居していた。「私」は彼女たちと詩歌のやりとりをした後に、十娘と床を共にして、一夜の歓を尽くした。翌朝、名残を惜しみつつ十娘と別れて、「私」はまた旅を続けた。

*狩りの使いの男と伊勢斎宮の一夜の契り→〔神に仕える女〕2の『伊勢物語』第69段。

*バスの運転手と村娘の一夜の契り→〔身売り〕2の『有難う』(川端康成)。

*帝が采女を一夜だけ召す→〔忘却(妻を)〕4の『大和物語』第150段。

★2.男女が初めての契りを結んだ直後に、相次いで死んでしまう。

『ベルサイユのばら』(池田理代子)第8〜9章  一七八九年七月十二日夜、食事の席でオスカルは、「アンドレ。あとでわたしの部屋へ」と命じ、彼を部屋へ呼ぶ。オスカルは「今夜一晩を、おまえと一緒に」と言って、アンドレと初めて関係を結ぶ。オスカルはアンドレに抱かれ、「わたしの夫・・・・・・」とささやく。翌十三日、国王軍と戦うべく兵を率いて進軍するオスカルは、「アンドレ。この戦闘が終わったら結婚式だ」と言う。しかしその日アンドレは、オスカルをかばって銃弾を受け、死ぬ。オスカルもその翌日戦死する。 

★3.男は一夜だけの関係のつもりだったが、女はいつまでも男につきまとう。

『恐怖のメロディ』(イーストウッド)  人気DJのデイブ(演ずるのはクリント・イーストウッド)は、彼のファンであるイブリンに誘惑されて、ただ一夜だけのつもりで関係を結んだ。ところが翌日から、イブリンは彼の家へ押しかけ、つきまとうようになる。デイブが厳しく拒絶すると、イブリンの恋情は憎悪に変わる。イブリンはデイブの写真を切り裂き、彼の恋人トビーを殺そうとする。トビーを護衛する刑事を鋏で刺殺し、なおもナイフをふりまわす。デイブはナイフで傷を負いつつも、イブリンを崖下の海へ突き落とす。

 

※王が一夜妻を次々に殺す→〔妻殺し〕2bの『千一夜物語』「発端」。

※狐の一夜妻→〔狐女房〕2の『狐のためいき』(星新一)など。

※蛇の一夜妻→〔逃走〕2の『古事記』中巻(ヒナガヒメ)。

 

 

【一夜孕み】

★1a.神は、ただ一度の交わりで子をなすことができる。

『常陸国風土記』那賀の郡茨城の里哺時臥(くれふし)山  名も知らぬ男がヌカビメの所へ毎夜来て求婚する。ついに夫婦となって、一夜のうちにヌカビメは懐妊する。やがて月満ちて、ヌカビメは小さな蛇を産んだ→〔成長〕4

*ゼウスは、アルクメネとの一夜の交わりでヘラクレスをもうけた→〔双子〕6の『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章。

★1b.神の性質を受け継いだ人間も、一度の交わりで子をなすことがある。

『うつほ物語』「俊蔭」  太政大臣の四男・十五歳の若小君(後の右大将兼雅)は、賀茂詣での帰途、三条京極の廃邸にさびしく住む俊蔭女と一夜の契りを結ぶ。俊蔭女は、男児(仲忠)を身ごもる〔*翌朝帰宅した若小君は、父大臣から無断外泊を叱られ、以後一人歩きを禁ぜられたため、俊蔭女と再会するのは十二年後になる〕。

『源氏物語』「若菜」下  光源氏の妻となった女三の宮を、柏木は数年来恋慕し続けていた。彼は、光源氏が六条院を留守にした時をねらって忍び入り、とうとう女三の宮と関係を結ぶ。その夜、柏木は猫の夢を見る〔*猫の夢は懐妊のしるしである〕。女三宮は、柏木との一夜の契りで身ごもった〔*やがて誕生した薫は、光源氏の子として育てられる〕。

『日光山縁起』下  有宇中将の息子馬頭御前は、みちのくの朝日長者の侍女を一夜召し、男児を産ませた。男児は容貌が醜かったので、都へは上らず奥州の小野に住み、小野猿丸と名乗った。猿丸は弓の名手となり、後に大百足を退治した→〔百足〕2

『冷泉家流伊勢物語抄』  在原業平は、伊勢斎宮との一夜の密会で子(高階師尚)をなした〔*『伊勢物語愚見抄』などに類話〕。

*一夜の交わりで生まれた子が、女御になって天皇を産む→〔雨宿り〕1の『今昔物語集』巻22−7。

*ユーサー・ペンドラゴン王は、イグレインとの最初の夜にアーサーをもうけた→〔にせ花婿〕2の『アーサーの死』(マロリー)第1巻第2章。

★2.神およびその直接の子孫でありながら、一夜で孕ませる力があることを忘れていることがある。

『古事記』上巻  アマテラスの孫ニニギノミコトは、高天原から地上に降り、笠紗の御埼で出会った美女コノハナノサクヤビメと結婚する。コノハナノサクヤビメはただ一夜で身ごもったので、ニニギノミコトは彼女を疑い、「それは我が子ではあるまい。国つ神の子であろう」と言う〔*『日本書紀』巻2に類話〕→〔火〕6

『日本書紀』巻14〔第21代〕雄略天皇元年(457)3月  雄略天皇が童女君(わらはきみ)と一夜をともにして生まれた女児を、天皇は「一夜で孕むとは思えぬ」と疑って、養育しなかった。物部目大連が「その夜何回お召しになったのか?」と問うと、雄略天皇は「七回」と答えた。物部目大連は「それならば妊娠して当然」と言い、天皇は納得して女児を皇女とし、母の童女君を妃とした。

★3.貴族と街の女との、一夜の関係で生まれた子供の運命。

『一夜かぎり』(モランデル)  貴族のブレーデ大佐は、移動遊園地の木馬係りの青年バルデマルを見て、その身の上を問う。バルデマルは、若き日のブレーデ大佐が場末の女歌手と一夜の関係を結んで、生まれた子供だった。独身で子供のないブレーデ大佐は、後見する娘エバ(演ずるのはイングリッド・バーグマン)とバルデマルを結婚させ、彼を跡継ぎにしたいと望む。しかしエバは、結婚前に身体を求めるバルデマルを受け入れることができず、バルデマルも自分と貴族階級の考え方の違いを悟り、移動遊園地に帰って行く。

★4.一夜の関係で生まれた子供を、後に殺してしまう。

『御所桜堀河夜討』「弁慶上使」  弁慶は書写山の稚児(鬼若丸)であった頃、一生にただ一度、女と関係を持った。女は弁慶と別れた後、女児信夫(しのぶ)を産んだ。それから十八年、平家滅亡の後、源頼朝が弟義経に、「叛逆心を持たぬ証拠として、汝の妻・卿の君(平時忠の娘)の首を討って差し出せ」と命ずる。主君義経に忠義を尽くす弁慶は、偶然、我が娘信夫と出会ったので、彼女を殺して、卿の君の身代わりとした。 

『椿説弓張月』続篇巻之5第43回・残篇巻之3第63回  琉球の名家の娘だった阿公(くまきみ)は、若い頃、神道の奥義を極めるべく阿蘇神社に身を寄せていた。祭りの宵、彼女は、名も知らぬ若者に言い寄られて一夜の契りを結び、その後、琉球に帰って北谷の託女(みこ)となった。この時すでに身ごもっていた阿公は、ひそかに女児を産んで村里に棄てた。それから三十九年、阿公は知らずして、自分が産んだ娘を殺すことになった〔*若き日の阿公と一夜の契りを交わしたのは、八町礫(つぶて)の紀平治だった〕→〔生き肝〕5。 

 

※『斜陽』(太宰治)の「私(かず子)」は、作家上原の子を産みたいと願い、一夜の交わりで望みどおり妊娠する→〔出産〕12

 

 

【一人三役】

★1.一人が三人の人物を演じ分ける。

『陰獣』(江戸川乱歩)  実業家夫人小山田静子は、ひそかに大江春泥のペンネームで探偵小説を書き、さらに変装して春泥夫人をも演じる一人三役をする。性的変態でもある静子は、初老の夫に満足できず夫を殺してその罪を大江春泥に着せる。その後、静子は春泥夫婦を演ずることをやめて、春泥夫婦が失踪したように見せかける。

『Xの悲劇』(クイーン)  地質学者ストープスは、南米で発見した鉱脈の権利を仲間三人に奪われ、妻殺しの濡れ衣まで着せられる。ストープスは彼らに復讐をすべくニューヨークへ渡り、市電の車掌、汽車の深夜勤務の車掌、不在がちのセールスマンの三役を演じ分けて、三人を殺す。

★2.一人が事件の被害者・犯人・探偵の三役を演じる。

『何者』(江戸川乱歩)  結城弘一は自らの足首を銃撃して、何者かに命をねらわれたかのように偽装する。そして「犯人を推理する」と称し、恋敵の甲田伸太郎を罪におとしいれる。結城弘一は一人で被害者、犯人、探偵の三役を演じたのだったが、彼のたくらみは明智小五郎によって見破られる。

★3.一人で三人の人物に扮しつつ、さらに架空の人物二人の話をして、合計五人いるように見せかける。

『古書の呪い』(チェスタトン)  プリングル師が呪いの古書をオープンショウ教授に見せ、「この本を開いた二人が神隠しにあった」と語る。その後、事務員ベリッジ、ハンキー博士、そしてプリングル師が、本を開いて次々に姿を消すので教授は恐怖する。実はこれは、事務員ベリッジがハンキー博士とプリングル師を演じてから身を隠し、教授を驚かそうとした悪戯なのだった。

★4.一人の女が三人に見える、あるいは、一人の男の人格が三つに分裂する。

『流れる女』(小松左京)  妻を亡くして三年。「私(山村)」は、街で知り合ったおゆきさんと再婚しようと思う。すると義父(亡妻の父)も「尼の寂由と所帯を持つ」と言い出し、息子(「私」と亡妻との間の子)も「芸者の雪絵と結婚します」と言う。不思議なことに、おゆきと寂由と雪絵は同一人物だった。一人の女が、「私」の眼には中年女性、義父の眼には老尼、息子の眼には若い娘、と見えたのである〔*あるいは、山村・義父・息子の三つに分裂した「私」の人格が、おゆき=寂由=雪絵を愛することによって、一つに再統合されたという物語なのかもしれない〕。

 

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