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『押絵と旅する男』(江戸川乱歩) 「私」が乗った汽車の二等車には、「私」のほかに一人の老人が乗っているだけだった。老人は額(がく)入りの大きな押絵を持っており、「三十数年前、二十五歳の青年だった兄が、この押絵になった」と言って、不思議な物語を語った→〔眼鏡〕2。
『クロイツェル・ソナタ』(トルストイ) 長距離列車の車室で、結婚と愛について数人が議論するのを「わたし」は聞く。一人の男が「結婚制度は肉欲の正当化にすぎない」と主張し、「私は妻を殺した男だ」と告白する。男の妻は音楽家トルハチェフスキーと、ベートーベンのクロイツェル・ソナタを合奏するなどして親密な関係になった。男は嫉妬に苦しみ妻を刺殺したが、無罪になったのだという。男は「性愛は悪である」と、語り続けた。
*→〔泳ぎ〕6aの『奇妙な乗客』(ノーマン)も同様に、列車に乗り合わせた男が、妻殺しを告白する物語。
『高野聖』(泉鏡花) 「私」は帰省のため、新橋から敦賀へ向かう汽車に乗った。尾張の駅で多くの客が下り、車両の中には四十五〜六歳の僧と「私」の二人だけになった。それから「私」と僧は言葉を交わすようになり、その夜は二人で敦賀に同宿した。僧は青年時代に飛騨の山越えをした折の、不思議な体験談を語った→〔宿の女〕2。
*偶然汽車に乗り合わせたように見せかけ、実は意図的に集まった十二人の乗客→〔共謀〕4の『オリエント急行殺人事件』(クリスティ)。
『蜜柑』(芥川龍之介) 冬の日暮れの汽車の中。「私」の前に十三〜四歳の小娘が座り、トンネルの直前で窓を開けた。黒煙が入り、「私」は小娘を叱ろうとした。その時、汽車はトンネルを抜け、小娘は窓から数個の蜜柑を投げた。これから奉公先に赴く小娘は、蜜柑を投げて、踏切まで見送りに来た弟たちの労に報いたのだった。
『雪国』(川端康成) 十二月初旬、雪国へ向かう汽車の中で島村は、病気の青年を世話する娘葉子を見た。これから島村が逢いに行く芸者駒子は、その青年のいいなずけだった。何日か後、島村が雪国から東京へ帰る日に、青年は危篤に陥り、死んだ→〔異郷再訪〕2。
『網走まで』(志賀直哉) 八月の暑い日の夕方、「自分」は上野から汽車に乗った。二十六〜七歳の女の人が赤児を背負い、七歳ほどの男児を連れて、そばの席にすわった。赤児はおむつを濡らし、男児はわがままを言って、女の人(母)を困らせた。女の人は、夫が大酒をすること、これから遠い網走まで行くこと、などを語った。女の人は車中で二枚の葉書を書き、宇都宮で降りる「自分」に、ポストへの投函を頼んだ。
*汽車に乗り合わせた人妻から誘惑される→〔蚊帳〕1の『三四郎』(夏目漱石)。
『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治) ジョバンニとカムパネルラが、銀河鉄道に乗って星界を旅する。乗客の一人「鳥を捕る人」は、瞬時に外の河原へ降り、鷺を捕って、また瞬時に車室に戻って来る。家庭教師の青年が男女二人の子を連れて乗り込み、「海難事故で海に沈んだと思ったら、ここに来た」と言う。カムパネルラは窓外の野原を指さし、「あすこにいるの僕のお母さんだよ」と言って、姿を消す。ジョバンニは丘の上で目を覚まし、「夢を見たのだ」と思う。走って町まで行くと、「カンパネルラが水死した」と聞かされる。
『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「人生という名のSL」 機上のブラック・ジャックが、うたた寝をして夢を見る。彼はSLに乗っている。乗客の中に、かつて恋人だった如月恵(*→〔癌〕2)や、老人を安楽死させようとするドクター・キリコがいる。亡くなったはずの恩師本間丈太郎先生が、子供時代のブラック・ジャックを手術しようとしている。ピノコが八頭身の美女となって、ブラック・ジャックに寄り添う。彼は目覚め、「死ぬ前には過去の夢を見るというが・・・・」とつぶやく。
『スピード』(デ・ボン) 警察に恨みを持つ男が、高速バスに爆弾をしかけた。バスが発車して、時速八十キロに達すると爆弾のスイッチが入り、徐行や停車をすれば爆発する。爆発を防ぐには、時速八十キロ以上でどこまでも走り続けねばならない。バスは高速道路を疾走した後、飛行場に入って滑走路をぐるぐる回り、時間をかせぐ。二十人ほどの乗客は、併走する警察車両に一人ずつ乗り移る。無人になったバスは飛行機に衝突して爆発、炎上する。
*「走り続けねばならないバス」と類似した設定で、「演説し続けねばならない議員」という物語がある→〔物語〕6bの『スミス都へ行く』(キャプラ)。
*旅客機内でダイナマイトを爆発させ、墜落させようとする→〔飛行機〕4の『大空港』(シートン)。
『脂肪の塊』(モーパッサン) フランスの民間人たちを乗せた一台の馬車が、プロシア軍占領下の町から脱出する。道中の宿駅でプロシア士官が、乗客の一人・「脂肪の塊」とあだ名される娼婦に目をつけて、馬車出発の許可を与えない。乗客たちは「どうせ娼婦なんだから」と言って、「脂肪の塊」がプロシア士官と寝るよう仕向ける。「脂肪の塊」の犠牲的行為によって馬車は出発するが、乗客たちは礼を述べることもせず、「脂肪の塊」はすすり泣く。
*古来、荒れる海を静めるため船中の一人が海に入って犠牲になる物語がいくつもあり(*→〔くじ〕2aの『ヨナ書』、*→〔船〕8の『古事記』中巻など)、『脂肪の塊』はその近代的変型といえる。
消えた乗客(日本の現代伝説『ピアスの白い糸』) 雨の日、若い女が「団地まで」と言って、タクシーに乗る。途中の「カンカン通り」という、信号がカンカン鳴る踏切で、タクシーは列車の通過を待った。団地に着いて運転手が後ろを見ると、女は消えていた。座席を見ると濡れている。以前、「カンカン通り」の踏切で、失恋した女が自殺したのだそうだ。
『日本の幽霊』(池田彌三郎)「幽霊と妖怪」 昭和三十三年(1958)、人形町までタクシーに乗った若い女が、途中で「三田の綱町へ戻って」と言いながら、「やっぱり人形町へ」と言い直す。人形町に着くと、座席に女の姿がない。運転手が女の家を訪ねると、その家の娘さんが亡くなって葬儀の最中だった。家族は泣きながら、「綱町には娘の婚約者がいるのです」と言う。運転手は、その直後に乗った男性客にこのことを話し、男性客はタクシーを降りてから友人の石原慎太郎さんに話し、石原さんは興奮して「私(池田彌三郎)」に話した。
寝ていた乗客(日本の現代伝説『ピアスの白い糸』) 顔色の悪い男がタクシーに乗り、「駅まで行ってくれ」と言うだけで、あとは何も話さない。タクシーが駅に着き、運転手が「着きました」と言って後ろをふりむくと、誰もいない。「お客さん!」と、驚いて探したら、男はシートから落ちて寝ていたのだった。
消えるヒッチハイカー(ブルンヴァン『消えるヒッチハイカー』) 車で田舎道を走っていて、ヒッチハイクする若い娘を乗せる。五マイル離れた娘の家まで送ったが、後部座席に乗っていたはずの娘がいない。その家の人に聞くと、数年前に娘が行方不明になっており、もし生きていれば、今日がちょうど誕生日に当たるのだという〔*娘の兄が「それは二年前に死んだ妹だ。妹を車に乗せたのは、君で七人目になる。でも妹は途中で消えて、まだ家までやって来ない」と語る話もある〕。
『バルカン超特急』(ヒッチコック) 東欧からロンドンへ旅するアメリカ娘アイリスは、特急列車内で老婦人ミス・フロイと親しくなる。アイリスがうたた寝をして目覚めると、ミス・フロイの姿がない。まわりの乗客たちは口をそろえて、「そんな人は、はじめからいなかった」と言う。ミス・フロイはイギリスのスパイで、対立国の諜報員たちが彼女を捕らえて隠し、金で雇われた乗客たちが、ミス・フロイの存在を否定したのだった〔*アイリスは音楽学者ギルバートと協力して、ミス・フロイを救出した〕。
『夜行列車』(カワレロウィッチ) 満員の夜行列車。若い娘マルタと中年男が、一等車の二人用客室に乗り合わせる。マルタの愛を求める青年が別の車両に乗り、連絡を取ろうとするが、マルタは無視する。彼女は昔の恋人から手紙をもらい、逢いに行くのである。警官隊が現れ、中年男を殺人犯と誤認する(真犯人は別にいて、列車から飛び降りたところを逮捕される)。中年男は外科医で、その日、手術中に患者を死なせてしまったことを思い悩んでいた。朝になり、列車は終点に到着する。駅には、中年男の妻が迎えに来ていた。マルタには出迎えの人はなかった。
*ホテルに泊まり合わせた人々の人生模様→〔ホテル〕1の『グランド・ホテル』(グールディング)。
『薩摩守』(狂言) 神崎の渡し守は秀句(駄洒落)好きで、客が秀句を言えば船賃を取らない。旅僧が茶店の主から「船賃は薩摩守。その心は忠度(ただのり)」という秀句を教えられ、「薩摩守」と言って船に乗る。対岸に着き、渡し守が「その心は」と問うと、旅僧は「忠度」の名を忘れ、あれこれ考えたあげく、「青海苔の引き干し」と言ってしまう〔*「ただのり」を間違えて「あおのり」と言ったのである〕。
『北国の帝王』(アルドリッチ) 一九三三年、大恐慌下のアメリカ。ホーボー(Hobo。語源は日本語の「方々」、という説がある)と言われる失業者たちが、貨物列車にただ乗りして移動していた。鬼車掌シャック(演ずるのはアーネスト・ボーグナイン)は、車両の屋根や連結部にホーボーを見つけると容赦なくハンマーをふるい、時には殺すこともあった。「北国の帝王」と呼ばれるホーボー(リー・マーヴィン)が、シャックと格闘して斧で一撃し、彼を列車から突き落とす。シャックは斜面を転がりながらも、「俺はまだくたばっちゃいねえぞ」と叫んだ。
*関連項目→〔絵〕
『絵姿女房』(日本の昔話) 百姓が、美しい女房と離れて一人で仕事をするのがさびしく、女房の姿を絵に描いて田まで持って行く。その絵が風で吹き飛ばされて殿様の手に入り、殿様は女房を捜して、強引に自分の奥方にする(秋田県仙北郡田沢湖町田沢)。
『七王妃物語』(ニザーミー)第7章 ササン朝ペルシアのバハラーム王子は、宮殿の秘密の部屋で、七つの国の美しい王女たちの肖像画を見て恋いこがれる。父王が死に、戦いの末王位についたバハラームは、七つの国に贈り物をし、あるいは脅し、あるいは襲撃して、七人の王女を手に入れ、妃とする。王は、土曜、日曜、月曜・・・・と、毎夜一人ずつ妃を訪れ、妃は珍しい物語を王に語り聞かせる。
『太平記』巻18「一宮御息所事」 一宮(後醍醐天皇第一皇子尊良親王)は絵合の折に、『源氏物語』の八宮の娘(大君か中君か不明)を描いた絵を見て心を奪われる。やがて一宮は、その絵そっくりの美女(今出川右大臣公顕女)をかいま見て、彼女を御息所(=妻)とする〔*御息所は、武士松浦五郎に奪われるなどのことがあり、一宮と御息所はしばらく別れ別れになって、後に再会するが、結局、戦乱のために一宮は自害、御息所はその後を追うように病死する〕。
『魔笛』(モーツァルト) 王子タミーノは、夜の女王の娘パミーナの肖像画を、女王の侍女たちから見せられて、恋心を抱く。タミーノとパミーナの結婚は神意に叶うものだったので、賢者ザラストロが自らの城にパミーナを保護し、王子タミーノにいくつかの試練を与えた上で、若い二人を結婚させる。
*男が、美女の立像を見て恋する→〔像〕3の『忠臣ヨハネス』(グリム)KHM6。
★1b.青年が美女の肖像画に恋するが、彼女はすでにこの世の人ではなかった。
『カリオストロ』(アレクセイ・トルストイ) 青年アレクシスは、プラスコーフィヤ公爵夫人の肖像画を見て恋心を抱くが、彼女はすでにこの世の人ではなかった。魔術師カリオストロが、肖像画からプラスコーフィヤ公爵夫人を現世によみがえらせる。しかし彼女の利己的で下品な言動を、アレクシスはうとましく思う。他人の目からは、彼女は得体の知れぬ腐った虫のように見えた。アレクシスは部屋に火をつけ、肖像画のキャンバスもろとも彼女を焼いた。
★2.美女がよりいっそう美しく絵に描かれる物語と、美女なのに醜く描かれる物語。
『うつほ物語』「内侍のかみ」 胡国の武士が、唐帝の七人の后の肖像画を見て、その中から気に入った一人を選ぶ。六人の后は絵師に賄賂を贈り、わざと醜く描いてもらう。帝からもっとも寵愛されている一人の后は、「帝が私を手放すことはあるまい」と考え、絵師に賄賂を贈らない。そのため絵師は、美しい后をよりいっそう美しく描く。胡国の武士はこの后を選び、妻とした〔*朱雀帝が俊蔭女に語る物語〕。
『西京雑記』巻2 漢の元帝は画工に命じて、後宮の女たちの肖像画を描かせ、それをもとに寝所に召した。妃たちはこぞって画工に賄賂を贈り、美しく描いてもらったが、王昭君だけは賄賂を贈らなかった。匈奴の王が美女を求めた時、元帝は王昭君が美女だとは知らず、匈奴の王に与えてしまった〔*『今昔物語集』巻10−5では、絵師に賄賂を贈らなかったために、王昭君はことさら醜い肖像画を描かれた、と記す〕。
*絵姿を醜く描くのではなく、顔そのものを傷つけて醜くする物語もある→〔火傷(やけど)〕2の美人の出ない村の伝説。
*妻の顔に絵の具を塗って、美しい顔に描きかえようとする物語もある→〔顔〕8の『金岡』(狂言)。
『楕円形の肖像』(ポオ) 画家が小塔の部屋にこもり、何週間もかけて愛妻の肖像画を描く。画家は狂気のごとく仕事に没頭し、妻はしだいにやつれてゆく。画家が最後の一色をカンバスに塗って肖像画を完成させ、「これはまるで生き身そのままだ」と叫んで振り返った時、妻はすでにこと切れていた。
『地獄変』(芥川龍之介) 良秀は本朝第一の絵師だった。しかし、彼の絵は「邪道に堕ちている」と言われた。良秀は、何人かの宮廷女房たちの似せ絵を描いたが、絵に写された女房たちは皆、三年とたたないうちに、魂の抜けたような病気になって死んでしまった。
『金枝篇』(初版)第2章第2節 ヴィート公は、あるインディアンの肖像を描こうとしたが、インディアンは、「それは自分の死を招くことになる」と信じていたので、描かせなかった。同様の信仰はヨーロッパにも残っている。四〜五年前のこと、ギリシアのカルパトス島の老女たちは、「似顔絵を描かれた」と言ってたいへん怒った。その結果やつれ果てて死ぬことになる、と考えたからであった。
*写真についても同様の信仰がある→〔写真と生死〕4の『金枝篇』(初版)第2章第2節。
『奇談異聞辞典』(柴田宵曲)「画像の祟り」 宅間証賀法印が栂尾(とがのお)を訪れ、「春日・住吉二神の像を写したい」と明恵上人に請う。明恵上人は「この像を写せば、必ずたたりがある」と言ってとめたが、宅間証賀法印は強引に模写した。その帰り道、宅間証賀法印は落馬して死んだ(『煙霞綺談』巻4)。
『夢』(川端康成) 旧知のN夫人が、「E画伯の絵を買ってほしい」と「彼(R)」に頼んだ。N夫人は、娘時代の彼女を描いた肖像画を持って来た。「彼(R)」の家でN夫人はうたた寝し、その中年の顔と、肖像画の若い顔の組み合わせが、「彼(R)」の心を捉えた。やがてN夫人は目覚め、「Rさんに接吻される夢を見ていた。お若い時のお顔だった」と言って、帰って行った〔*N夫人も、現実の「彼(R)」と、夢に出てきた若い顔を比べて、何か感ずるところがあったのだろう〕。
『ドリアン・グレイの肖像』(ワイルド) 二十歳の美青年ドリアン・グレイの肖像画を、画家バジルが描く。以後のドリアンは、二十歳の容貌のまま、いつまでも年をとらない。それに対して肖像画の方は、年々醜く老いてゆく。三十八歳の時、ドリアンはナイフで肖像画を切り裂く。たちまち彼は醜い初老の男と化して絶命し、壁の肖像画は、描かれた当初の美青年に戻っていた〔*→〔体外の魂〕1の、体外にある魂が無事である限り身体は不死身、体外の魂を傷つけられると身体も死ぬ、という物語の変型〕。
『太公金匱』 周の武王が殷を滅ぼした時、諸侯のうち丁侯だけが、武王のもとへ馳せ参じなかった。そこで太公望が、丁侯の肖像画を描き、それを的にして弓を射る。すると丁侯は病気になった。丁侯は使者を武王のもとへ送り、臣従を誓う。太公望は何日かかけて、肖像画の目・腹・股・足に刺さった矢を、抜き取って行く。すると丁侯の病気は治った。
『さまよえるオランダ人』(ワーグナー)第2幕 ノルウェーの船長ダーラントの家の壁には、さまよえるオランダ人の肖像画がかかっていた。ダーラントの娘ゼンタは肖像画の男に心奪われ、彼にまつわる伝説(*→〔さすらい〕2)を聞いて、「私こそ、この人を救う妻だ」と考える。父ダーラントが、見知らぬ客を連れて帰って来る。ゼンタは客を一目見て、それが肖像画の男=さまよえるオランダ人であると知る。ゼンタは彼との結婚を誓う。
『和漢三才図会』巻第77・大日本国「播磨」 藤原兼房は夢で柿本人麿に遇った。人麿は烏帽子・直衣・紅袴の姿で、左手に紙を持ち右手に筆を握って、梅花の下に立っていた。年齢は六十歳くらいだった。兼房は目覚めると、その肖像(おもかげ)を画工に描かせた。この画は白川上皇に献ぜられ、鳥羽の宝庫に納められた。今の世に描かれる人丸(人麿)の画像は、すべてこれに拠っている。
『龍魚河図』 太古、蚩尤(しゆう)という怪物がいた。人語を発するが身体は獣で、天下を横行して人々を苦しめた。天帝が玄女を遣わして、黄帝に呪符を与え、黄帝はこの呪符で蚩尤を退治した。その後、天下を乱そうとする者がいると、黄帝は、蚩尤の肖像画を描いて威嚇した。肖像画を見た者たちは「あの恐ろしい蚩尤が生き返って現れた」と思い、皆、肖像画にひれ伏した。
※僧の肖像画を描こうとすると、観音菩薩の姿が現れる→〔仏を見る〕4の『日本霊異記』上−20、→〔仏を見る〕5の『宇治拾遺物語』巻9−2。
※死者の霊であるとは知らず、生きた人間だと思って肖像画を描く→〔成長〕3の『ジェニーの肖像』(ディターレ)。
『神仙伝』巻7「樊夫人」 劉網とその妻樊夫人は、ともに仙術修行に励み、しばしば術くらべをしたが、いつも樊夫人が勝った。昇天する時も、同様であった。劉網は大木によじ登って、ようやく飛び上がることができた。樊夫人は平座したまま、雲のごとく昇天していった。
『捜神記』巻1−27 済陰の人園客は終生独身で、五色の香草の種をまき、その実を食べていた。ある時、五色の蛾が来て蚕を生み、ついで神女が来て園客を助け、養蚕の仕事をした。多くの糸を繰り終えた後、神女は園客とともに天上へ舞い上がり、行方知れずになった。
『日本霊異記』上−13 漆部造麿の妾は七人の子を産み育てたが、高雅な性質の女で、つつましく暮らしていた。ある時、彼女は春の野で仙草を食べ、天に飛んで行った〔*『今昔物語集』巻20−42に類話〕。
*登った松の木から手を離して、仙人になる→〔木登り〕5の『仙人』(芥川龍之介)。
*昇天に失敗して、谷底に落ちる→〔飛行〕2の『十訓抄』第7−1。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之13之14第116〜117回 雌狐が乳母政木に変身して、河鯉孝嗣を育てた。その後、政木狐は不忍池のほとりで茶店の老婆の姿になり、情死しようとする男女、困窮して投身しようとする者など、往来の人九百九十九人の命を助けた。千人目には、無実の罪で処刑される河鯉孝嗣を救った。こうした長年の陰徳により、政木狐は天帝の恩勅を受け、狐龍(こりゅう)となって昇天した。
*龍の絵に瞳を点じたら、昇天してしまった→〔瞳〕1の『水衡記』。
*「龍が昇天する」と出まかせを書いたら、それが本当になった→〔言霊〕5aの『龍』(芥川龍之介)。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第7章 ヘラクレスはヒュドラ(水蛇)の毒で倒れ、火葬にされた。火葬壇が燃えている間に、雲がヘラクレスの身体の下に降りて来て、雷鳴とともに彼を天へ運び上げた。ヘラクレスは天界で不死を得た〔*『変身物語』(オヴィディウス)巻9では、ヘラクレスの身体のうち、母から受け継いだ部分は燃えるが、父ユピテルから受け継いだ部分は不滅であり、その不滅の部分が天に上げられた、と記す〕。
『椿説弓張月』残篇巻之5第67回 鎮西八郎為朝は琉球を平定し、ある日、八頭山(ややま)に登る。神仙が出迎えて、「汝はこの国にとどまるべからず。息子舜天丸(すてまる)を琉球王とせよ(*→〔転生〕1)」と告げる。折しも紫雲たなびき、為朝の弟為仲、妻白縫をはじめ二十七騎の勇士が現れ、為朝は雲の上に引き上げられて昇天する〔*後に讃岐国白峰山陵で、切腹した為朝の身体が見出され、その死骸は消え失せた〕。
『百年の孤独』(ガルシア=マルケス) ブエンディーア家の美貌の娘レメディオスは、彼女を得ようとする何人もの男たちに死の運命をもたらした。ある日の午後、庭にいたレメディオスは宙に浮き上がり、そのまま空の彼方に消えた。
『列王記』下・第2章 預言者エリヤと後継者エリシャが話し合いつつ歩いていた時、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を隔てた。エリヤは嵐の中を天に昇って行った。エリシャは「我が父よ・・・・・・」と叫んだが、もうエリヤの姿は見えなかった。
*妻が夫を救い、ともに昇天する→〔身投げ〕3の『さまよえるオランダ人』(ワーグナー)第3幕。
『Kの昇天』(梶井基次郎) 満月の夜、病身のKが砂浜に映る自分の影を見つめると、影の中に自分の姿があらわれてくる。それにつれてKは段々気持ちがはるかになり、魂が月に向かって昇天してゆく。魂の抜けたKの身体は、一歩一歩海へ歩み入る。その時、身体に感覚がよみがえれば魂は身体に還ったのだが、そうはならなかった。Kは溺死体として発見され、魂は月へ飛翔し去った。
*蟹が、砂浜に映る自分の月影におびえる→〔尼〕3の『陰火(尼)』(太宰治)。
*かぐや姫は、魂だけでなく、身体ごと月世界へ昇天する→〔八月十五夜〕8bの『竹取物語』。
『神曲』(ダンテ)「天国篇」第1〜21歌 「私(ダンテ)」は地獄・煉獄を巡った後に、煉獄山頂に登って地上の楽園でベアトリーチェに出会う。ベアトリーチェに導かれて「私」は肉体を有したまま昇天し、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天を訪れる。それぞれの天に住む死者の魂たちから、「私」は教えを受ける。「私」はさらに、聖者・天使・神の居場所である恒星天、原動天、至高天まで昇る〔*「私」は地上に帰還した後、この経験を『神曲』として記録する〕。
※馬娘の昇天→〔馬〕1bの『遠野物語』(柳田国男)69。
※蛇息子の昇天→〔蛇息子〕1の『常陸国風土記』那賀の郡茨城の里哺時臥(くれふし)山、→〔蛇息子〕2aの『耳袋』巻之2「蛇を養ひし人の事」。
*古代・中世の娼婦については→〔遊女〕
『驟雨』(吉行淳之介) 大学を出てサラリーマン生活三年目の山村英夫は、当分独身でいるつもりだった。彼は恋愛のわずらわしさを避け、娼婦の町へ通う。それは彼の精神の衛生にかなっていた。しかし、四歳年下の娼婦道子を知り、山村は彼女に対して恋情に似た思いを抱くようになる。ある夜、道子に先客があって、山村は外で待たねばならなかった。彼は嫉妬心を自覚しつつ食堂で酒を飲むが、無意識のうちに杉箸を折ってしまった。
『無限抱擁』(瀧井孝作) 若き俳人であり小説家である竹内信一は、吉原の娼妓松子に結婚を申し込む。しかし松子は他の男に身請けされ、信一は彼女を断念する。ある日、信一は上野で偶然松子と出会う。彼女は身請けした男とすでに切れており、その後に世話になった男とも別れていた。信一はあらためて松子に求婚し、二人は夫婦になる。松子の母も同居する。松子は家計を助けるため、髪結いの学校へ通うが、まもなく健康を損ね、肺結核で死ぬ。信一は松子を偲びつつ、彼女の母の面倒を見る。
『肉体の門』(田村泰次郎) 終戦直後の東京。マヤ、せん、花江、美乃たち、まだ十八〜九歳の娼婦たちが、焼けビルの地下室に暮らしていた。そこへ伊吹新太郎という青年が、警官に追われて入り込んで来る。女たちは皆、新太郎を意識し、互いに牽制し合う。ある夜、マヤは伊吹を誘って情交し、生まれてはじめて、性の深い歓びを知る。他の女たちが嫉妬して、裸身のマヤの手首を縄で縛って天井から吊り下げる。マヤは「たとえ地獄へ堕ちても、はじめて知ったこの肉体の歓びを離すまい」と心に誓う。
*女子大卒の身で、米兵相手の娼婦となる→〔過去〕5の『ゼロの焦点』(松本清張)。
『夜来香(イエライシャン)』(市川崑) 第二次世界大戦末期の華北。軍医の関(演ずるのは上原謙)は慰安婦の秋子を知り、夜来香の香りにつつまれて二夜をともにした。しかし戦闘が始まり、爆撃を受けて、二人は離れ離れになった。終戦から五年後の神戸で、関と秋子は再会する。関は爆撃の折の負傷がもとで、失明寸前になっていた。秋子は、関の治療費を得るために、街に立って身体を売ろうとする。それを察知した関は姿を消す〔*その後、関は、闇ブローカーの男とのトラブルで、列車にひかれて死ぬ〕。
*くじ引きで慰安婦を選出する→〔くじ〕2bの『赤いくじ』(松本清張)。
『あなただけ今晩は』(ワイルダー) パリの裏町。警官ネスター(演ずるのはジャック・レモン)は馘首され、娼婦イルマ(シャーリー・マクレーン)のヒモになる。ネスターは、イルマが大勢の客に抱かれることに我慢がならない。彼は変装して架空の人物・英国貴族「X卿」となり、イルマに大金を与えて独占する。そのための金を稼がねばならないので、ネスターは、夜イルマが眠っている間にアルバイトに出かけ、疲労困憊する〔*いくつかのトラブルの後(*→〔一人二役〕2b)、ネスターは警官に復職する。イルマは娼婦をやめ、ネスターと結婚して子供が生まれる〕。
『シェリ』(コレット) レアは五十歳を目前にしたココット(高級娼婦)だが、まだ魅力的な容姿を保っている。彼女は六年前から、美青年シェリを愛人として同棲していた。二十五歳になったシェリは、母の勧めにしたがって、十九歳の娘エドメと結婚する。しかしシェリは若妻に飽き足りず、半年後にレアのもとへ戻って来る。レアはシェリとともに喜びの一夜を過ごすが、その翌朝、レアはシェリに別れを告げる。
『五番町夕霧楼』(水上勉) 片桐夕子と櫟田正順は、与謝半島の貧しい村で育った。正順は生来どもりで、皆にいじめられた。夕子は正順を憐れみつつ、兄のように慕った。成長後、彼らはそれぞれ京都へ出る。夕子は五番町夕霧楼の娼妓となり、正順は鳳閣寺の小僧になる。正順はしばしば夕霧楼へ来て夕子の客となったが、二人は部屋で話をするだけで、身体の関係は持たなかった〔*正順は鳳閣寺に放火し、留置場で剃刀自殺する。夕子は故郷の村へ帰り、睡眠薬自殺する〕。
*僧と遊女→〔僧〕2の『小袖曽我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』(河竹黙阿弥)など。
『失われた時を求めて』(プルースト)第1篇「スワン家のほうへ」〜第2篇「花咲く乙女たちのかげに」 ブルジョアのシャルル・スワンは高い教養を持つ人物で、貴族や王族とも親交があった。ところが彼はココット(高級娼婦)のオデットを恋し、妻としたために、社交界から冷たい眼で見られるようになった〔*小説全体の語り手である「私」は青年期に達する頃、スワンとオデットの間に生まれた娘ジルベルトを恋した〕。
『椿姫』(デュマ・フィス) 高級娼婦である椿姫マルグリット・ゴーティェは、青年アルマン・デュヴァルと、パリ郊外に愛の巣を作る。アルマンの父がマルグリットに、「息子の将来と家族の名誉のために、身を引いてくれ」と説く。彼女は、別れることが真に彼を愛する道と悟り、「これを貴方が読むころには、私はもう他の男のものになっているでしょう」との手紙を残して姿を消す〔*『椿姫』(ヴェルディ)では、女の名がヴィオレッタ、男の名がアルフレードとなっているが、筋立ては同じである〕。
『プリティ・ウーマン』(マーシャル) 青年実業家エドワード(演ずるのはリチャード・ギア)は、道を尋ねたことがきっかけで、街角の娼婦ビビアン(ジュリア・ロバーツ)と知り合う。エドワードは大学院修了者、ビビアンは高校中退であることなど、二人のこれまでの生活環境は大きく異なっていたが、互いに相手に新鮮な魅力を感じる。エドワードは一週間の契約でビビアンをアシスタントにする。ビビアンはエドワードに連れられて、はじめてオペラ『椿姫』を見て感動の涙を流す。一週間が過ぎた時、エドワードはビビアンを「アシスタント」ではなく、「伴侶」と考えるようになっていた。
『肉体の冠』(ベッケル) 娼婦マリーは情夫ロランと別れ、大工マンダを新たな愛人とする。酒場での決闘で、マンダはロランをナイフで刺し殺し、身を隠す。やくざの親分ルカは、マンダの親友・パン屋のレイモンを「ロラン殺しの犯人だ」と警察に密告して、捕えさせる。マンダを自首させ、マリーを自分の女にするための計略である。ルカのたくらみを知ったマンダは怒り、レイモンとともに脱走するが、レイモンは警察に射殺される。マンダはルカを追いつめて射殺し、逮捕されて断頭台へ送られる。
『赤線地帯』(溝口健二) 昭和三十年(1955)、国会に四度目の売春禁止法案が上程された。法案が通れば、娼館の経営者も娼婦も、廃業せねばならない。国会で議員が「売春業者なんて人間じゃない。明日から食えようと食えまいと、どうでもいい」と発言し、娼館「夢の里」の主人田谷(演ずるのは進藤英太郎)は憤慨する。結局、法案は否決され、田谷はお祝いに娼婦たちに寿司をふるまって、「おれたちは、政治の行き届かない所を補っているんだ。国家に代わって社会事業をやっているんだ」と説く〔*しかし翌年、法案は可決され、昭和三十三年から施行された〕。
『母』(太宰治) 「私」の小説の読者である小川新太郎君が、彼の実家の旅館へ「私」を招待した。部屋へ入ると、薄化粧をした四十前後の、声のきれいな女中が「私」の着換えを手伝った。「私」は小川君に、「君んとこは、宿屋だけではないんじゃないか?」と言ってやりたかったが、さすがにそんな失礼なことは聞けなかった。しかし、「私」の直感は誤っていなかった。夜更けに隣室から、その女中と若い客の性交後の会話が聞こえてきた→〔母子婚〕6。
※日曜日は休む娼婦→〔曜日〕1の『日曜はダメよ』(ダッシン)。
※昼は娼婦、夜は人妻→〔一人二役〕1の『昼顔』(ケッセル)。
※娼婦と犯罪者→〔写真〕2の『飢餓海峡』(水上勉)。
※娼婦と客の心中→〔写真〕3の『今戸心中』(広津柳浪)。
※娼婦と性病→〔性交〕3aの『南京の基督』(芥川龍之介)。
※豚の娼婦→〔豚〕2の『娘に化けた豚』(沖縄の民話)。
★1.この世から離れられず、さまよっている幽霊を救い、苦しみのない世界へ送る。
『雨月物語』巻之5「青頭巾」 山寺の僧が、人肉を喰らう境涯に陥る。旅の快庵禅師が、僧を教化(きょうげ)すべく石上に坐らせ、「江月照らし松風吹く、永夜清宵何の所為ぞ」の句を与えて去る。一年後、再び禅師が山寺を訪れると、影のごときものが坐して「江月照らし・・・・・・」の句を唱えていた。禅師が一喝して杖で打つと影は消え、かぶっていた青頭巾と骨が残った。僧の悪念が、ようやく尽きたのであった。
雲州皿屋敷の伝説 松江の藩士が、南京の皿十枚を秘蔵していた。腹黒い妻が一枚を割って井戸へ捨て、下女に罪をなすりつける。下女は井戸端で首を吊り、毎夜、幽霊となって井戸端へ現れる。「一つ、二つ、・・・・・・」と九つまで皿を数え、「十(とお)」と言えずにワッと泣く。ある武士が「亡魂を散じてやろう」と付近に隠れ、幽霊が「九つ」と言うや、すかさず「十」と続けた。幽霊はパッと消え、その後は出なくなった(島根県松江市)。
*播州皿屋敷(*→〔虫〕2bのお菊虫の伝説)や、番町皿屋敷(*→〔宝〕1)が、よく知られている。『番町皿屋敷』(講談)第13席では、小石川伝通院の了誉上人が、お菊の「九つ」に「十(とお)」と続け、ただちに十念(南無阿弥陀仏を十回唱えること)を授けて成仏させる。
『カンタヴィルの幽霊』(ワイルド) イギリスの幽霊屋敷に三百年住む幽霊が、屋敷を買い取ったアメリカ人一家の前に繰り返しあらわれる。ところがアメリカ人一家はまったくこわがらず、かえって幽霊をからかう(*→〔血〕3)。老いた幽霊は疲れ果て、「死の園で眠りたい」と願う。アメリカ人一家の心優しい娘ヴァージニアが幽霊のために祈り、成仏させる。
『霊を鎮める』(イギリスの民話) 農家の老夫婦が、長年の後に再会した息子をそれと気づかぬまま殺し(*→〔宿〕5)、家の裏手に埋めた。老夫婦の死後、その家を借りた人は皆、夜になると奇妙な物音に悩まされ、家は空き家になった。箒売りの老婆が「霊を鎮めよう」と言い、殺された息子の霊を呼び出す。亡霊は「私の骨を拾い集め、聖なる墓地に埋めてくれれば、もうここには現れない」と言う。老婆は亡霊の願いを叶え、以後、家は静かになった。
*死後、蝿に生まれ変わった女が、蝿の身を捨てて成仏する→〔蝿〕1の『蠅のはなし』(小泉八雲『骨董』)。
『仏説盂蘭盆経』 目連の亡母は、餓鬼道に堕ちて苦しんでいた(*→〔冥界行〕5)。仏は目連に「七月十五日に、飲食物その他さまざまなものを盆に載せて、諸方の僧たちを供養すれば、七世代々の亡父母は三途(地獄・餓鬼・畜生)の苦を逃れ、天に生まれ変わるだろう。現世の父母は百年の寿命を得るであろう」と教えた。目連は歓喜し、亡母はその日のうちに、餓鬼道の苦を脱することができた。
『古今著聞集』巻13「哀傷」第21・通巻458話 白河院は、生前の善と罪が等しくあったので、崩御後、六道の中のどの境涯へ生まれ変わるのか、まだ決まっていない〔*これは、藤原重隆が死後に冥官となり、ある人の夢に現れて告げたことである〕。
*成仏して高級霊界へ行くべきところ、妄念を起こして再び人間界に生まれる→〔転生と天皇〕1の『増鏡』第4「三神山」。
「冥土からのことづて」(松谷みよ子『日本の伝説』) 阿波国板野郡の善集寺のこんぼ(小坊主)良順が死んだ。和尚は高野山からこの寺へ移ったばかりで、良順が十四歳やら十五歳やらわからず、普通の大人の墓をたてた。そのため良順は、冥土で子供の仲間に入れてもらえず、かといって大人の仲間にも入れてもらえず、たいへん困った。良順は、冥土から現世へ戻される婆さんに、善集寺の和尚へのことづてを頼み、和尚は良順の墓を、子供用の五輪の石塔に変えた。その石塔は、今でも善集寺の墓地にある(徳島県)。
『酉陽雑俎』続集巻3−942 ある女が病死して棺に納められたが、身寄りがないためそのまま放置され、埋葬されずに何年も経過した。死者は肌骨(からだ)が土に戻らないうちは、魂神(たましい)が冥府の役所に登録されない。ふわふわと拡散し、恍惚として、夢のような酔ったようなありさまである。女の霊は、近くを通った人の夢にあらわれてこのことを訴え、埋葬してもらい、ようやく落ちつくことができた。
*死後何十年も、浮かばれぬ(成仏せぬ)まま、死んだ場所にとどまる→〔後追い心中〕1の『昔の女』(小松左京)。
★4.人間や動物(有情)のみならず、草木(非情)も成仏できる。
『芭蕉』(能) 唐土(もろこし)・楚国の傍らの山に庵を結ぶ僧のもとへ、一人の女が訪れ、「女人非情草木成仏を説く『法華経』を聴聞したい」と請う。実は女は、非情の草木である芭蕉(*→〔雨音〕1)の化身だった。女は「非情の草木も、草木そのままで成仏している」と語りつつ舞い、やがて姿を消した〔*僧が芭蕉を成仏させるのではなく、芭蕉自ら「非情の草木がすなわち真如の顕現だ」と言うのである〕。
*「青人草」「人草」という言葉もあるので(*→〔草〕5aの『古事記』上巻)、有情・非情という区別をする必要はない、ともいえる。
*関連項目→〔異郷の食物〕
『黄金伝説』3「聖ニコラウス」 聖ニコラウス(サンタ・クロース)が司教をしていた地方に、飢饉が起こった。彼は寄港している商船から少量の小麦をもらい、二年の間その土地のすべての人々に分け与え続けたが、小麦はなくならなかった。種まきにする分もたくさん残った。
*パンを大勢に与える→〔パン〕5の『マタイによる福音書』第14章・『列王記』下・第4章。
*酒や肉を大勢に与える→〔無尽蔵〕1の『捜神記』巻1−18。
『凶器』(松本清張) 若い未亡人島子は、好色な老人六右衛門に迫られ、干した海鼠餅(なまこもち)で六右衛門の頭を殴って殺した。海鼠餅は硬く、丸太ン棒で一撃するのと同じ効果があった。島子は凶器の海鼠餅をいくつにも切り、黄粉餅やぜんざいを作って、近所の主婦や子供たちにふるまう。事件を捜査する刑事も、それを食べる。凶器が見つからないので、この殺人事件は迷宮入りになった。
*凍った羊腿肉で一撃して殺す→〔氷〕3の『おとなしい兇器』(ダール)。
*松本清張は、フランスパンを凶器として用いる小説も書いている→〔パン〕3の『礼遇の資格』。
白米城の伝説 毛利の大軍が鳥取の亀尾城を取り囲み、滝の水を断ち切って、城内へ水が行かないようにする。籠城する侍たちは、白米を注いで軍馬を洗い、水が豊富にあるように見せかける。しかし水で洗った時とは異なり、軍馬の毛が濡れ髪色に変わらないので、水のないことを見破られ、まもなく落城した(鳥取県日野郡日南町。類話は全国に数多くある。*小鳥が白米をついばんだので見破られた、という形もある)。
*熱いおかゆを坂に流して、敵が寄れないようにする→〔坂〕5のおかゆ坂の伝説。
三浪長者(高木敏雄『日本伝説集』第6) 三浪長者が「何か面白いことをしたい」と考え、夏に雪見の遊びをする。大釜で炊いた飯を、広い庭一面にまき散らし、召使いたちに深履(ふかぐつ)をはかせて、飯の上を歩かせた。三浪長者は、それを眺めて手を叩いた(越後国西頸城郡青海村大字大沢)。
*餅を弓の的にする→〔餅〕1aの大原長者の伝説など。
*餅を踏んで歩く→〔餅〕1bの餅が白鳥に化した伝説。
*パンを、消しゴム代わりにする→〔パン〕4の『善女のパン』(O・ヘンリー)。
『聊斎志異』巻6−234「山神」 男が山を歩き、地面に敷物をしいて酒を飲む数人を見る。男は宴席に引き入れられ、楽しく飲食するが、酒の味が薄くて渋かった。そこへ山神が来たので、皆は逃げ去った。男がよく見ると、小便を入れた陶器と、蜥蜴を盛った瓦があるだけだった。
*重箱に馬糞を詰め、牡丹餅に見せかける→〔穴〕8の『九郎蔵狐』(落語)。
*本物の牡丹餅なのに、「馬糞ではないか?」と疑う→〔狐〕6の『王子の狐』(落語)。
*飢えたために、食物ではないものを食べる→〔飢え〕2aの『黄金狂時代』(チャップリン)など、→〔土〕8の『聴耳草紙』(佐々木喜善)127番「土喰婆」など。
★3.自分の存在を維持するためには、食べたり飲んだりする必要がある。
『嘔吐』(サルトル) 「私(ロカンタン)」は独学者(*→〔ABC〕2)と一緒に食事をした。会話が途切れ、沈黙が続く中で、「私」は「実存」について考えをめぐらす。「私」が急に笑い出したのを見て、独学者は「ほがらかなんですね」と言う。「私」は説明する。「いや、こう考えるからですよ。私たちの貴重な存在を維持するために、今、私たちは食べたり飲んだりしている。しかし、存在することにはいかなる理由もない、まったく何もないのです」。
『かぶ焼き甚四郎』(日本の昔話) 甚四郎は毎日、かぶばかり焼いて食べていた。彼は朝日長者の娘を嫁にとったが、嫁が甚四郎の家へ行くと、たいへんな貧乏所帯で、飯を炊こうとしても米は一粒もなかった。甚四郎は「飯はいらないよ」と言って、いつものように、かぶを焼いて食べたが、嫁は米の飯が欲しいと思った(岩手県上閉伊郡)〔*その後、甚四郎はりっぱな家と米倉を持つ長者になる〕→〔同音異義〕1a。
『正法眼蔵随聞記』第6−3 ある僧が死んで、冥土へ行った。閻魔大王は「この僧は命分(みゃうぶん。寿命)がまだ尽きていないので、現世へ返せ」と命じた。冥官が「命分は残っておりますが、食分が尽きております」と説明すると、閻魔大王は「荷葉(かえふ。蓮の葉)を食べさせよ」と言った。僧は蘇生して後、人間界の食物を食べることができず、ただ荷葉だけを食べて、余命を保った。
『徒然草』第40段 因幡国の某入道の娘は美貌だというので、多くの男が求婚した。ところが、この娘は、ただ栗だけを食べて、米などの穀類をまったく食べなかった。そのため、父入道は「このような異様な者は、人に嫁ぐべきではない」と言って、娘の結婚を許さなかった。
『断食芸人』(カフカ) サーカスの一座に、断食芸人がいた。昔、彼の四十日間に渡る断食芸は大人気で、観客が大勢押し寄せた。しかし時代が変わり、今ではもう、誰も関心を示さない。サーカスの監督が、彼の所へ来て問う。「まだ断食しているのかね?」。彼は答える。「わたしは、自分に合った食べ物を見つけることができなかった。だから、断食するよりほかに仕様がないのだ」。そう言って彼は息絶えた。
『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第2章 地獄に落とされたタンタロスは湖中にあり、果実のなった木をそばに見ながら罰せられている。水は彼のあごに触れているが、飲もうとすると乾いてしまい、果実を取ろうとすると、風で枝が吹き上げられる。
*タンタロスの物語を発想源として創り上げられたのが、→〔飢え〕6の『密室の行者』(ノックス)であろうか。
『変身物語』(オヴィディウス)巻11 ミダス王が手でパンに触れると、それはたちまち固くなった。料理を噛み砕こうとすると、歯に当るのは金箔だった。葡萄酒を飲めば、口に流れ込むのは溶けた黄金だった→〔願い事〕3。
『この世に死があってよかった』(チェコの昔話) 鍛冶屋が死神の動きを封じ(*→〔椅子〕1)、「これで自分は死なずにすむ」と喜んで、お祝いに豚を殺してハムを作ろうとする。ところが、斧で豚を打っても豚は死なず、逃げて行ってしまう。鵞鳥の肉を食べようと思ってナイフで切っても、鵞鳥は平気である。鍛冶屋はハッと気づく。死神が活動できないので、人間も動物も死ななくなったのだ。おいしい肉は、もう永遠に食べられないのだ→〔死の起源〕5。
『金枝篇』(初版)第3章第10節 サモアでは、どの男も何らかの動物の姿をした自分だけの神を持つ、と考えられていた。その神聖な動物を食べると、食べた者の体内に神が住みつき、同じ種類の動物を一匹生んで、その者を死にいたらしめるのだ。たとえば、自分の神がウニである男は、ウニを食べると、胃の中でウニが育ち、これに殺されてしまう。神がウナギである男は、ウナギを食べて重病になり、死ぬ前に胃の中から神の声が聞こえた。「私はこの男を殺す。この男は私の化身を食べたのだから」。
*亡父の生まれ変わりである鯰を食べて死ぬ→〔命乞い〕1bの『今昔物語集』巻20−34。
穀物の神・矮姫(サヒメ)の伝説 穀物の神様・大食之姫(オオゲツヒメ)は、常に口・目・鼻・尻などをこすっていろいろの食べ物を出し、人々に御馳走していた。ある時、口から米を出して神様に御馳走しようとしたところを、その神様が見て、「汚いことをする」と怒り、大食之姫を斬り殺してしまった(島根県那珂郡三隅町)〔*神様が「大食之姫の身体にはどんな仕掛けがあるのか?」と思って斬った、「身体の中に宝物が隠されている」と思って斬った、などの伝えもある〕→〔死体から食物〕1。
*金の卵を生む鵞鳥の中身は金だろう、と思って殺す→〔卵〕2の『イソップ寓話集』87「金の卵を生む鵞鳥」。
*スサノヲがオホゲツヒメを殺す→〔口から出る〕3の『古事記』上巻。
『観無量寿経』 阿闍世は、父頻婆娑羅(びんばしゃら)王を捕らえ、七重の室内に幽閉した。王の夫人韋提希(いだいけ)は、酥(そ)と蜜を合わせたものを、はったい粉で練り、自分の身体に塗りつけて、王のもとへ行く。王は夫人の身体に塗られた食物を口にして、飢えを防いだ〔*『今昔物語集』巻3−27の類話では、韋提希は蘇蜜を麦粉に混ぜ、自分の身体ではなく、頻婆沙(娑)羅王の身体に塗ったと記す〕。
『あいごの若』(説経)5段目 愛護の若は継母の奸計によって家を追われ、方々をさすらう。穴太(あなふ)の里(滋賀県大津市)まで来て、垣根の桃を食べて老婆に杖で打たれ、麻の中に隠れようとしてまた打たれる。愛護の若は、「穴太の里に桃なるな。麻はまくとも苧(を)になるな」と呪う。それ以来、穴太の里では、花は咲いても桃はならず、麻の種をまいても苧(麻の古名)にならない。
*いちじくを呪う→〔呪い〕6の『マタイによる福音書』第21章。
*食物を祝福する→〔箸〕1の三度栗の伝説。
『助六由縁江戸桜』 吉原三浦屋の店先で、くわんぺら門兵衛が饂飩(うどん)かつぎの若者にからむ。助六が仲裁に入り、蒸籠の饂飩を、くわんぺら門兵衛の後ろから頭にかける。饂飩が冷たく垂れてくるのを門兵衛は血と思い、「切られた」とうろたえて腰を抜かす。
*つぶれた柿を、血と誤認する→〔落下する物〕3の『古今著聞集』巻12「偸盗」第19・通巻439話。
※異郷の食物を食べて長寿を得る→〔長寿〕に記事。
※人が一生の間に飲み食いする量。余命の指標としての酒食→〔余命〕2の『閲微草堂筆記』「槐西雑志」巻12「定命」など。
『マルコによる福音書』第15章 イエスは十字架を担いで、ゴルゴタまで歩かされる。午前九時に、イエスは十字架にかけられた。昼の十二時になると全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは、大声で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか)」と叫び、息を引き取った。その時、神殿の垂れ幕が、上から下まで真っ二つに裂けた〔*『マタイ』第27章、『ルカ』第23章に類話。『ヨハネ』第19章は内容がやや異なる〕。
イスキリの伝説(谷真介『キリシタン伝説百話』「昭和のキリシタン伝説」) ゴルゴタの丘で磔刑になったのは、キリストと十一ヵ月違いの、瓜二つの弟イスキリだった。キリストはイスキリの遺骨の一部を持ってイスラエルを逃れ、中国大陸を横断して、日本の青森県の戸来(へらい)にたどり着いた。キリストは村の娘ユミを娶(めと)って三女をもうけた後、日本全国を行脚して人々を救った。老齢になって戸来へ戻り、景行天皇十一年(A.D.81)四月五日の暮れ六つ刻に、百六歳で死去した。
*西郷隆盛や源義経も、死んだのは身代わりの人かもしれない→〔影武者〕3の『西郷隆盛』(芥川龍之介)など。
『絞死刑』(大島渚) 在日朝鮮人の青年Rは、強姦殺人罪で絞首刑になったが、なぜかいつまでたっても絶命しなかった。息をふきかえしたRは、自分が誰で何をしたのか、すべて記憶を失っていた。心神喪失の者を処刑するのは法律上許されないので、死刑執行官たちは芝居の形でRの犯行を再現し、彼の記憶をよみがえらせる。Rは自らの犯行を思い出し、再度の絞首刑執行を受け入れて、今度は本当に死んで行く。
*一兵卒が、戦犯として絞首刑になる→〔兵役〕11の『私は貝になりたい』(橋本忍)。
『好色五人女』(井原西鶴)巻4「恋草からげし八百屋物語」 八百屋八兵衛の娘・十六歳のお七は、火事騒ぎで家族ともども旦那寺の吉祥寺に避難し、半月余りを過ごすうち、寺小姓吉三郎と恋仲になった。その後、自家に戻ったお七は、「また火事があれば吉三郎に逢える」と思い、放火して捕らえられる。お七は市中引き回しの末、鈴が森で火刑になる。人は皆、結局は煙になるというものの、お七の最期はとりわけ哀れだった。
『裁かるるジャンヌ』(ドライヤー) フランス、オルレアンの十九歳の少女ジャンヌ・ダルクは、男装してイギリス軍と闘い、捕らえられて裁判にかけられる。彼女は「自分は神から遣わされた者だ」との信念を捨てなかったため、火刑の宣告を受け、柱に縛りつけられる。焔の中で、ジャンヌは「イエス様」と叫んで意識を失う。この時になってようやく、群集は「聖女を火刑にしたのだ」と、怒りをあらわす。
*火刑にされる王妃→〔無言〕2aの『十二人兄弟』(グリム)KHM9など。
『間諜X27』(スタンバーグ) 第一次大戦下、オーストリアの女スパイ「X27」(演ずるのはマレーネ・ディートリッヒ)は、敵国ロシアのスパイであるクラノウを愛してしまい、捕虜になった彼を逃がしてやる。そのため「X27」は、反逆者として銃殺刑を宣告される。兵たちに銃撃を号令する役目の若い将校が、「女を殺すなんて。これが戦争か。虐殺ではないか!」と叫ぶ。別の将校が銃撃命令を下し、「X27」は何発もの銃弾を浴びて倒れる。
*空砲による銃殺刑だったはずが、実弾が発射される→〔横恋慕〕6の『トスカ』(プッチーニ)。
ギロチンの伝説 フランスの医師ギロチン(ギヨタン)は、大量に人々を処刑する首切り器械(すなわちギロチン)を発明したが、後にギロチン自身がギロチンにかけられて死んだという〔*事実ではないらしい〕。
*ギロチンで処刑される夢→〔夢と現実〕6の『夢判断』(フロイト)。
『断頭台の秘密』(リラダン) 外科教授ヴェルポーが、ギロチンで処刑される男に、「首が切断された後も自我を持ち得るかどうか、確かめる実験に協力してほしい」と依頼する。処刑が執行され、首が落ちた瞬間、教授は「左眼を開けたまま、右眼で三度瞬(まばた)きしてくれ」と言う。首は左眼を開いて教授を見つめ、右眼を閉じた。「あと二度、瞬いてくれ」と教授は叫ぶ。睫毛がかすかに上がったが、顔面は一秒一秒と硬直し、動かなくなった。
*胴体から離れても動き、ものを言う首→〔動く首〕に記事。
★5b.フランスでは、二十世紀の半ばを過ぎてもなお、ギロチンによる処刑が行なわれていた。
『暗黒街のふたり』(ジョヴァンニ) ジーノ(演ずるのはアラン・ドロン)は銀行強盗の主犯として逮捕され、十年の刑期を終えて出所した。保護司ジェルマン(ジャン・ギャバン)に見守られて、ジーノは更生への道を歩む。しかし警部ゴワトローは「ジーノはまた悪事をはたらく」と決めつけ、執拗に監視し、不当な理由で拘留する。ジーノは怒りを爆発させ、ゴワトローの首をしめて殺す。ジーノは裁判にかけられる。女性弁護士が「残虐なギロチンを使って、それで文明国と言えるのか」と陪審員たちに訴える。しかしジーノは、ギロチンで処刑された。
『河童』(芥川龍之介)12 河童の国に滞在する「僕」は、河童の国の処刑について質問する。裁判官のペップが答える。「河童の国の処刑は文明的で、絞首刑などは行ないません。電気を用いることも、ほとんどありません。たいていは、犯罪の名を言って聞かせるだけです」。僕「それだけで河童は死ぬのですか?」。ペップ「死にますとも。我々河童の神経作用は、あなたがたのよりも微妙ですからね」。
『M』(ラング) 小学生の少女たちを何人も殺した男がいた。精神異常者ゆえ、逮捕されても施設に入れられ、恩赦によって何年か後にはまた社会へ出て来る可能性が高い。それでは納得できないという、町の労働者、浮浪者、前科者たちの集団が男を捕らえ、模擬裁判をして死刑の判決を下し、殺そうとする。その寸前に警官隊が踏み込み、法のもとに男を保護し、裁く。殺された少女の母親が「私たちの子供は生き返らない」と言う。
★8a.絞首刑執行から絶命までの一瞬に、意識の中では長い時間が経過する。
『アウル・クリーク橋の一事件』(ビアス) 一人の男が橋上で絞首刑になる。身体が橋から落ちた時、首に巻かれた綱が切れて、彼は川に落ちる。彼は懸命に泳いで岸辺にたどり着き、そこから丸一日歩いて、妻の待つ家に帰る。妻を抱きしめようとした瞬間、彼は首筋に激しい打撃を感じ、一切が暗黒になった。橋の横木にぶら下がる彼の死体は、ゆるやかに揺れていた。
★8b.銃殺刑執行から絶命までの一瞬に、意識の中では長い時間が経過する。
『隠れた奇跡』(ボルヘス) ヤロミール・フラディークは、ユダヤ人であるとの理由でゲシュタポに逮捕され、銃殺刑を宣告された。彼は、創作途中の詩劇『仇敵たち』を完成させるために、あと一年を与え給え、と神に祈る。神はその願いを聞き入れた。銃弾が発射されてから身体に届くまでに、彼の意識内では一年間が経過したのである。彼は頭の中で詩劇を完成させ、死んでいった。
『処刑は3時におわった』(手塚治虫) ナチス親衛隊のレーバー中尉が、銃殺刑になる。彼は新発明の時間延長剤を飲んでいたので、平然としていた。この薬を飲むと一秒が一分以上に感じられ、銃弾が発射されても、身体に届くまでに、縄をといて逃げることができるのだ。しかしそこに大きな誤算があった。身体の方も、一秒の動きに一分かかってしまうのだ。銃弾はゆっくりと、レーバーの身体に食い込んでいった。
*一刹那に無限の時間を体験する→〔無限〕2bの『無門関』(慧開)47「兜率三関」。
※針による処刑→〔針〕7aの『流刑地にて』(カフカ)。
※電気椅子→〔椅子〕6の『倅(せがれ)の質問』(エリン)など。
*関連項目→〔童貞〕
『キリシタン伝説百話』(谷真介)100「雪の三タ丸屋(サンタマルヤ)」 昔、るそんの国の貧しい大工の娘に、丸屋という美しい娘がいた。丸屋は幼い頃から、「どうしたら、人々の魂を救うことができるだろう」と考えていた。ある時丸屋は、天の神様のお告げを聞き、「私は嫁に行かず、一生びるぜん(処女)を通します」と誓いを立てた→〔蝶〕6。
『ギリシア哲学者列伝』(ラエルティオス)第9巻第7章「デモクリトス」 ヒッポクラテスが若い娘を連れて、デモクリトスのところへ訪ねて来た。最初の日には、デモクリトスは「こんにちは、娘さん」と挨拶したが、次の日には「こんにちは、奥さん」と挨拶した。実際その娘は、夜の間に処女を失ってしまっていたのである。
『潮騒』(三島由紀夫)第13章 歌島屈指の金持ち宮田照吉の娘・海女の初江と、漁師の久保新治が関係を持った、との噂が流れる。夏の浜辺で、海から上がった老若の海女たちが乳房くらべに興じる。初江の乳房は、まぎれもなく、男を知らぬ処女の乳房であることを、誰もが認めた。
『デイジー・ミラー』(ジェイムズ) ヨーロッパ滞在中のアメリカ娘デイジー・ミラーは、複数の男友達と遊びまわり、社交界から爪はじきされる。デイジーに心ひかれる青年ウィンターボーンは、彼女がふしだらな女なのか無邪気なだけなのか、判断に苦しむ。デイジーは夜遊びの結果マラリヤに感染して急死するが、その後、男友達から、彼女がまったくの純潔の身であったことを、ウィンターボーンは知らされる。
『陰火(紙の鶴)』(太宰治) 「おれ」は処女でない妻をめとって、三年間それを知らずにいた。「おれ」が妻に問うと、妻は「たった一度」と囁(ささや)いた。しばらくして「二度」と訂正し、それから「三度」と言い、やがて「六度ほど」と言って泣いた。翌日、「おれ」は気をまぎらすために、さまざまなことをした。友人のアパアトへ行き、将棋を何番もさし、鼻紙を折って鶴を作った。
『業苦』(嘉村礒多) 圭一郎は十九歳の時、二歳上の咲子と結婚するが、「彼女は処女でなかったのではないか?」と疑い続け、果して咲子が或る男と二年間も醜関係を結んでいたことを知って、懊悩する。以来、彼は異性を見るたびに、「処女か否か」をまず考えるようになる。やがて圭一郎は薄幸の処女千登世と出会い、駆け落ちする。
『とりかへばや物語』 権大納言家の姫君は、尚侍(ないしのかみ)となって帝に寵愛された。彼女はかつて男装していたことがあり(*→〔男装〕6)、その折、宰相中将に本性を見破られて、男児を産んでいた。そうした事情を知らぬ帝は、尚侍を我がものとした夜、彼女が処女でなかったことを残念に思った〔*しかし帝の彼女への愛は深く、二人の間に生まれた子は次代の帝になる〕。
『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)第16〜18章 マルケ王の妃と定められたイゾルデは、愛の媚薬を飲んだため騎士トリスタンと関係を持ち、処女でなくなった。彼女は、マルケ王との初夜の床に、身代わりとして側近のブランゲーネを送りこみ、王を欺いた。
『予告された殺人の記録』(ガルシア=マルケス) 花嫁アンヘラはバヤルドと結婚式をあげたその夜のうちに、「処女でない」との理由で実家に送り返された。一家の名誉のため、アンヘラの兄弟である双子が、彼女を犯した男サンティアゴを刺し殺した。
*花嫁が処女でなかったので、殺してしまう→〔初夜〕3の『本陣殺人事件』(横溝正史)。
『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」 少女クンティー(プリター)が、好奇心から子授けのマントラを試すと、太陽神スーリヤが現れる。スーリヤはクンティーを抱いて子種を授け、その後にクンティーを再び処女に戻して、天界へ帰る〔*クンティーは、生まれた赤ん坊カルナの処置に困り、川へ捨てる。クンティーは後にパーンドゥ王の妃となって、ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナを産む〕。
『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」 ドラウパディーは、ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァたち五人兄弟共通の妻となる。一日目はユディシュティラとの結婚式、二日目はビーマとの結婚式、というように五日間に渡って結婚式が行なわれ、そのたびごとにドラウパディーは処女を回復した。
※処女か否かを映す鏡→〔鏡に映る真実〕2の『千一夜物語』「処女の鏡の驚くべき物語」マリュドリュス版第720〜731夜。
※処女を神域へ送る→〔神に仕える女〕1の『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第6章。
『南総里見八犬伝』第2輯巻之1第12回 伏姫が八房とともに富山に入って一年が過ぎた。ある秋の日、伏姫は山道で、牛に乗る十二〜三歳の少年に出会う。少年は伏姫に「御身(おんみ)はすでに懐妊して五〜六ヵ月」と告げる。伏姫が「私には夫はいない」と言うと、少年は「八房と御身と心が通い合い、交わることなくして身ごもったのだ」と教える。
『ルカによる福音書』第1〜2章 天使ガブリエルが処女マリアを訪れ、「あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい」と告げた。マリアが「わたしは男の人を知りませんのに」と言うと、天使は「精霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。生まれる子は聖なる者・神の子と呼ばれる」と教えて去った。やがてマリアはイエスを産んだ。
『ギリシア哲学者列伝』(ラエルティオス)第3巻第1章「プラトン」 プラトンの父はアリストン、母はペリクティオネである。アリストンは、娘時代のペリクティオネを無理やり自分のものにしようとしつつ、思いとどまっていた。その頃アリストンは、夢でアポロン神の幻を見た。それでアリストンは、子供が生まれるまではペリクティオネに触れず、清らかなままにしておいた。こうして生まれたのがプラトンである。
『マタイによる福音書』第1章 マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、身ごもっていることが明らかになった。天使がヨセフに「恐れずマリアを迎えなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む」と夢告した。ヨセフはマリアと結婚し、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。
『ヤコブ原福音書』(新約聖書外典)第19〜20章 イエスを懐胎し出産したマリアが本当に処女なのかどうか、サロメは疑う。サロメはマリアの身体に指を入れる。その指は火で燃え落ちそうになった。
『美しい星』(三島由紀夫) 「自分の故郷は金星だ」と信ずる大杉暁子は、同じく「金星人」と自称する美青年竹宮と出会い、ともに内灘の砂丘へ円盤を見に行く。やがて妊娠した暁子は、「自分と竹宮との間には何事もなく、自分は処女懐胎したのだ」と考える→〔宇宙人〕5。
『わが女学生時代の罪』(木々高太郎) 女学生の「私(木村りみ子)」は処女でありながら妊娠し、女児を出産した。「私」は同学年で同姓同名の木村里美子と、深い同性愛関係にあったが、里美子は富田銀二とも肉体の交渉を持った。そのため富田銀二の胤(たね)が、里美子を媒介として、「私」の胎内に入ってしまったらしかった〔*後に富田銀二は、「私」と女児の存在を知る。「私」は富田銀二から逃れるため病院に入院し、精神病学の教授・大心地(おおころち)先生から精神分析を受ける〕。
*関連項目→〔一夜妻〕
『エレクトラ』(エウリピデス) アイギストスはアガメムノン王を殺した後、「アガメムノン王の娘エレクトラが、将来もし貴族と結婚したら、生まれた子供が王の仇を討とうとするかもしれぬ」と恐れ、エレクトラを農夫の妻にする。しかし農夫は身分をわきまえ、エレクトラに触れない〔*エレクトラの弟オレステスがアイギストスを討ち、双子神ディオスクロイが出現して「エレクトラを王族ピュラデスに与えよ」と命ずる〕。
『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)第30章 トリスタンは、白い手のイゾルデが王妃イゾルデと同じ名前ゆえに心引かれ、彼女と結婚する。しかし初夜の床でトリスタンは王妃イゾルデへの愛の誓いを思い起こし、白い手のイゾルデを処女妻のままにしておく→〔立ち聞き(盗み聞き)〕2。
『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』下之巻「酒屋」 酒商茜屋の半七は女舞芸人三勝と深い仲になり、お通という子もできる。半七はお園を妻に娶るが、共寝をしようとはせず、結婚後三年たってもお園は処女妻のままだった。
『浜松中納言物語』巻5 中納言は吉野の姫君とともに暮らすが、彼女と関係を結ぶことはなかった(*→〔待つべき期間〕4a)。式部卿宮が、美貌の姫君の存在を知って盗み出し、姫君が処女であることに驚く。姫君は、式部卿宮の胤を宿す〔*河陽県の后の霊が、かつて契りを交わした中納言に、「私は吉野の姫君(河陽県の后の異父妹にあたる)の胎に宿り、やがて女児として生まれる」と、夢告する〕。
『ウジェニー・グランデ』(バルザック) ウジェニーは、将来の夫と定めた従兄シャルルに裏切られたため、裁判所長ボンフォンの求婚を受け入れる。「処女妻のままでいること」という条件づきであったが、財産目当てのボンフォンは喜んでそれに従う。しかしボンフォンは、結婚後数年で死んだ。
『真珠夫人』(菊池寛) 成金の荘田(しょうだ)勝平が、唐沢男爵を金銭的に窮地に追いつめる。男爵の娘瑠璃子は父を救うため、恋人の杉野直也と別れて、荘田勝平の後妻になる。勝平は四十五歳、瑠璃子は二十歳になるかならぬかの年齢だった。瑠璃子は結婚後も「しばらくは父と娘のようでありたい」と言って、性交渉を避ける。一ヵ月ほどして、勝平は強引に瑠璃子を抱こうとする。しかし彼の先妻の息子勝彦が、瑠璃子を守って勝平と格闘する。心臓の弱い勝平は、倒れて死んでしまう。瑠璃子は、処女のまま未亡人になった。
『夏の夜は三たび微笑む』(ベルイマン) 中年の坂を越えた弁護士フレデリックは、十六歳のアンを新しい妻として迎えた。アンはフレデリックとの性交を、「もう少し待って」と言って先延ばしし、二年以上がたつ。夏の白夜、フレデリックが亡妻との間にもうけた息子ヘンリックが、アンと関係を持ち、二人は駆け落ちする。失意のフレデリックは、マルコルム伯爵の妻と過ちを犯しそうになるが、結局、かつて愛人だった女優デジレと縒りを戻す。
*お静は夫(慎之助)と枕を共にせず、姉(お遊様)と夫の仲を取り持とうとする→〔姉妹と一人の男〕2の『蘆刈』(谷崎潤一郎)。
『とりかへばや物語』 権大納言家の姫君は男装して中納言となり、右大臣家の四の君を妻とした。中納言の友人宰相中将が四の君をかいま見て心奪われ、強引に契りを結んだが、意外なことに四の君は処女であった。宰相中将は、「妻を処女のままにしておくとは、中納言は変わった男だ」と思った。
『夕暮まで』(吉行淳之介) 四十過ぎで妻子もある佐々は、二十二歳の杉子とつきあうようになった。杉子はあらゆる性戯に応じたが、性交を拒み続けた。処女のままで純白のウェディングドレスを着たい、というのだ。しかし佐々との体験で杉子の身体は成熟し、彼女は、どこかの若い男と性交渉を持つ。杉子は佐々とも性交するが、その後、ガス自殺をはかって失敗する。佐々は杉子と別れる決心をし、彼女に「もとの生活に戻れるよ。そして、家庭をつくればいい」と言う。
*処女でありながら、性的に無垢ではない娘→〔兄妹〕3の『金色の眼の娘』(バルザック)。
『今昔物語集』巻10−6 美貌の上陽人は、十六歳で玄宗皇帝の女御となり、後宮に入る。しかし他の女御たちの妨げによってか、国政の繁多のためか、帝は上陽人を忘れ、彼女は一度も召されぬまま、六十歳になる。ようやく帝は上陽人を思い出すが、彼女は白髪の身を恥じて、召しに応じなかった。
『古事記』下巻 雄略天皇は、美しい童女(をとめ)赤猪子(あかゐこ)に(*→〔洗濯〕1b)、「やがて召すゆえ、結婚せずにおれ」と言いつつ、彼女のことを忘れてしまう。八十年後、「待ち続けた心の内を述べよう」と赤猪子が参上するが、天皇は彼女を見ても思い出せず、「どこの老婆か」と問うた→〔神〕9b。
『義経記』巻2「鏡の宿吉次が宿に強盗の入る事」 少年時代の義経は鞍馬寺の稚児で、遮那王(しゃなおう)と呼ばれた。彼は十六歳の時、鞍馬を出て、金商人(こがねあきうど)吉次に伴なわれ、奥州めざして旅立つ。近江の鏡の宿(しゅく)に宿をとった夜、盗賊団が押し入るが、賊たちは、被衣(かづき)をかぶった色白の義経を、遊女だと思った。義経は太刀を抜き、吉次と力を合わせて、数人の賊を斬り殺した。
『義経記』巻3「弁慶義経に君臣の契約申す事」 御曹司義経は被衣をかぶり女房装束を着て、清水寺で通夜していた。彼を追って来た弁慶が、経を読む義経の後ろ姿を男か女かはかりかね、太刀の尻鞘で脇を突いて、「稚児か?女房か?」と問う。義経は「狼藉なるぞ、退(の)き候へ」と言い、義経と弁慶は太刀を抜いて激しく打ち合う→〔決闘〕9。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第13章 アキレウスが九歳になった時、「彼なくしてトロイアは攻略できぬ」と言われた母テティスは、戦場へ行かせないためにアキレウスを女装させ、乙女としてリュコメデスに預けた。しかし、オデュッセウスがこれを見破った。
『スリュムの歌』 トール神の武器である槌を、巨人族の王スリュムが盗んだ。トールは花嫁姿に変装して、スリュムの館へ行く。スリュムは花嫁を見て、「燃えるような恐ろしい眼だ」と怪しむが、花嫁の侍女に扮したロキが、「巨人の国を恋い焦がれて、眠れなかったからです」とごまかす。トールは槌を取り戻して、巨人たちを殴り殺す。
『南総里見八犬伝』第6輯巻之4第57回 犬坂毛野は少年時代から女田楽の一員となり、父粟飯原胤度の仇・馬加(まくわり)大記に近づく機会を狙っていた。十五歳の年、毛野は美貌の女田楽師旦開野(あさけの)として馬加の館に入り込み、馬加一族を皆殺しにした。
『マハーバーラタ』第4巻「ヴィラータ王の巻」 ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナら五兄弟と、彼らの共通の妻ドラウパディーは、正体を隠してヴィラータ王の庇護をうけた。王妃の弟キーチャカがドラウパディーに言い寄るので、ドラウパディーは「夜、踊り場で逢いましょう」と答える。ビーマが女装をして暗闇で待ち受け、ドラウパディーだと思って抱こうとするキーチャカを殺す。
*ヤマトタケルの女装→〔酒〕2の『日本書紀』巻7景行天皇27年12月。
『春雨物語』「天津処女」 良峯宗貞の好色ぶりを聞いた仁明天皇が、女衣をかぶって、後涼殿の端(はし)の間(ま)の簾のもとに潜む。宗貞は「女がいる」と思って衣の袖を引くが返答がないので、「山吹の花色衣ぬしや誰問へど答えず口なしにして」と歌を詠みかける。天皇は衣を脱ぎ、二人は顔を見合せる。驚いて逃げる宗貞を天皇は召し寄せ、ご機嫌であった。
『平治物語』上「主上六波羅へ行幸の事」 藤原信頼が反乱を起こして内裏を占拠し、二条天皇を一室に幽閉する。二条天皇は女房姿になり、車で内裏を脱出しようとはかる。怪しんだ兵たちが弓筈で車の簾をあげて中を見ると、十七歳の二条天皇はまばゆいほどの美女に見え、兵たちはそのまま車を通した。
『少年探偵団』(江戸川乱歩)「怪少女」〜「意外また意外」 大鳥時計店所蔵の「黄金の塔」をいただく、と怪人二十面相が予告する。明智小五郎の命令で小林芳雄少年が女装し、十五〜六歳のおさげ髪のお手伝い千代となって、大鳥時計店に住み込む。二十面相が老支配人に変装して、「黄金の塔」を金めっきのにせものと取り替えるが、千代(小林少年)はそれをまたもとへ戻し、二十面相は知らずににせものを盗んで行く。
『ハックルベリー・フィンの冒険』(トウェイン)11 「僕(ハックルベリー・フィン)」は女装して一軒の家を訪れる。奥さんから名を聞かれて、最初は「サラ・ウィリアムズ」と名乗るが、次には「メアリー」と言ってしまう。男の子だと見破られたので、「ジョージ・ピーターズ」と偽名を使うが、奥さんは「今度はエレグザンダーだなんて言わないでよ。さあ行きなさい。サラ・メアリー・ウィリアムズ・ジョージ・エレグザンダー・ピーターズ」と言って、「僕」を追い出す。
『ムーンライト・シャドウ』(吉本ばなな) 高校生の柊(ひいらぎ)は、恋人ゆみこを交通事故で亡くしてから、彼女の形見のセーラー服を着て、登校するようになった。柊の親も、ゆみこの親も、泣いてとめたが、柊はとりあわなかった。二ヵ月ほど過ぎたある朝、柊の夢にゆみこが現れ、彼の部屋のクロゼットからセーラー服を持ち去った。目覚めると、セーラー服はなくなっていた。以後、柊は男姿に戻った。
*逆に、恋しい男の形見の服を着る→〔男装〕7の『井筒』(能)。
『お熱いのがお好き』(ワイルダー) ミュージシャンのジェリー(演ずるのはジャック・レモン)はギャング団に追われ、相棒のジョーとともに、女装して逃げる。ところが金持ちの老人オスグッド三世が、ジェリーに一目惚れし、求婚する。困ったジェリーは、「私は本物の金髪じゃないし、煙草も吸うし、子供も産めないの」と言って断る。オスグッド三世は「それでも構わない」と言う。ジェリーはかつらを取って叫ぶ「おれは男だ!」。オスグッド三世は少しも動ぜず「誰でも欠点はある」。
★6.男児を女装で育てると健康に成長する、との俗信があった。
『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』(河竹黙阿弥)「割下水伝吉内」 八百屋久兵衛の家では、なかなか子供にめぐまれなかった(生まれてもすぐ死んでしまった)。ようやく男児が生まれたので、無事成長を願って女姿で育て、名前も「お七」とつけた。しかし「お七」は五歳の時に誘拐され、後に「お嬢吉三」と呼ばれる盗賊になった。
『南総里見八犬伝』第2輯巻之3第16回〜巻之4第17回 犬塚番作・手束夫婦は、結婚後十四〜五年のうちに男児三人が生まれたが、一人も育たなかった。夫婦は子のないのを悲しみ、滝の川の弁才天に祈って、あらたに男児をもうけた。無事成長を願って男児は「信乃」と名づけられ、十一歳まで女装で育てられた〔*信乃は後に「孝」の珠を得、八犬士の一人として活躍した〕。
*女児を男の子として育て、無事成長を願うということもある→〔男装〕2の『富士額男女繁山(ふじびたいつくばのしげやま)』(河竹黙阿弥)。
『雪之丞変化』(市川崑) 雪之丞(演ずるのは長谷川一夫)は商家の息子だったが、悪人土部三斎(どべさんさい)の陰謀で、父母は無実の罪に問われて自殺した。雪之丞は歌舞伎の女形となり、役者修行をしつつ、父母の仇討ちの機会をうかがう。土部三斎の娘波路が雪之丞の舞台を見て、彼の美貌に一目惚れする。雪之丞はそれを利用して、土部三斎に近づく。雪之丞の計略で土部三斎の手下が仲間割れし、その巻き添えで波路は死んでしまう。土部三斎は娘の死を悲しみ、雪之丞と対決する気力も失せて、毒をあおる。
『頼朝の死』(真山青果) 将軍源頼朝が、御所の少女小周防(こずほう)を恋慕する。頼朝は、妻・尼御台(北条政子)の目をはばかって、被衣(かずき)をかぶり女姿に変装して、深夜、御所の土塀を乗り越え、小周防のもとを訪れようとする。警護の武士畠山重保が三度誰何(すいか)しても答えなかったので、重保はそれが頼朝とは知らず、「曲者である」として斬りつける。頼朝は深手を負って、まもなく死んだ。
*女装した皇帝を、臣下がそれと知らず刺し殺す→〔両性具有〕4の『陽物神譚』(澁澤龍彦)。
『続玄怪録』5「冥土の大工」 大工の蔡栄は幼い頃から、つねに自分の食事の一部を土地神に供えて拝み、その功徳で死を免れることができた。蔡栄が病気になった時、冥府の役人が現れて、「すぐに化粧をして、女の着物を着よ」と命じ、「誰か来たら、『蔡栄は不在で、どこへ行ったかわかりません』と言え」と教えた。まもなく冥府の将軍がやって来たが、蔡栄を見つけることができず、「別の大工を代わりに冥府へ連れて行こう」と言って、帰って行った。
*死を免れる衣服→〔衣服〕3bの『宇治拾遺物語』巻2−11。
『パミラ』(リチャードソン) 田舎の貧しい家に生まれ育った「わたし(パミラ)」は、十二歳にならないうちに、大地主B家の奥様付きの小間使いになる。奥様は「わたし」が十五歳の時に亡くなった。奥様の息子である新しい御主人は二十五〜六歳の青年だったが、美貌の「わたし」に目をつけ、妾にしようとする。御主人に迫られ、恐ろしさのあまり、「わたし」は失神したことが何度かあった。「わたし」が気を失うと、御主人はそれ以上の手出しはしなかった。やがて御主人は「わたし」の純潔と淑徳を認め、十六歳になった「わたし」と正式に結婚した。
『悲の器』(高橋和巳) 「私(正木典膳)」は国立大学法学部長で、著名な知識人である。妻が癌で病床に臥したため、「私」は、戦争未亡人の米山みきを家政婦として雇い入れ、やがて内縁関係になった。妻はそのことを察知し、睡眠剤を多量に飲んで死んだ。先輩教授の令嬢・栗谷清子が「私」に好意を寄せ、「私」は彼女と婚約する。米山みきは怒り、慰謝料請求の訴えを起こす。新聞雑誌は「私」を指弾した。「私」は職を辞し、栗谷清子とも別れる。米山みきは、いずれ安アパートで縊死する運命だ。「私」は誰からも理解されぬまま、この社会との戦いを続けるだろう。
*大学教授と病妻→〔不倫〕8の『夜の河』(吉村公三郎)。
*雇い主が小間使いを妊娠させて捨てる→〔裁判〕4の『復活』(トルストイ)。
*裕福な家庭の大学生が、女中と性関係を結ぶ→〔身分〕2の『大津順吉』(志賀直哉)。
『好人物の夫婦』(志賀直哉) 晩秋から初冬にかけて、細君が祖母の看病に大阪へ出かけ、家を留守にした。その間、家は良人(おっと)と、十八歳くらいの女中・滝の、二人だけになった。春、滝に悪阻(つわり)の症状が出た。良人は独身時代には女中に手をつけたことが一度ならずあったが、今回は潔白だった。細君は良人を疑いながらも、何も言い出せない。良人が「俺じゃないよ」と言うと、細君は安堵して泣いた。
『ハウス・バイ・ザ・リヴァー』(ラング) 小説家スティーヴンは妻の留守中に、若い家政婦エミリーを抱いて接吻しようとする。エミリーは抵抗し、大声をあげる。隣家に声が聞こえてはまずいので、スティーヴンはエミリーの口をふさぎ、誤って窒息死させてしまう。スティーヴンは大きな布袋にエミリーの死体を入れ、家の側を流れる川へ棄てる→〔物語(小説)〕3。
★5.家政婦が、雇われ先の家庭の秘密をあばき、家族の不和を煽(あお)り立てて楽しむ。
『熱い空気』(松本清張) 家政婦河野信子は、中年の大学教授稲村の家に雇われた。一家は、神経質な稲村、見栄っ張りの妻春子、粗暴な三人の子供、嫁を嫌う姑、という家族構成であった。信子は、子供をあやつって姑の耳に大火傷をさせたり、稲村の浮気をあばいたりして(*→〔チフス〕3)、家族が崩壊して行くありさまを見つつ楽しむ。しかし最後には、信子は、子供のいたずらによって、火のついた竹矢を耳に射込まれてしまった〔*テレビドラマ『家政婦は見た』第1回の原作〕。
『小間使の日記』(ブニュエル) 小間使セレスティーヌ(演ずるのはジャンヌ・モロー)が、田舎のモンテイユ家(モンテイユ氏・妻・妻の父・下男ジョセフ・下女たち)に奉公する。近くに住む少女が森で強姦され、殺された。セレスティーヌは「ジョセフが犯人だ」と確信し、ジョセフと寝て問い質(ただ)すが、彼は口を割らない。そこでセレスティーヌは、ジョセフの靴の金具を取り外して、殺人現場に置く。その金具が証拠となって、ジョセフは逮捕された〔*セレスティーヌは隣家の富裕な老人と結婚する。一方、ジョセフは証拠不十分で釈放された〕。
※旅館の女中→〔娼婦〕11の『母』(太宰治)。
『東海道四谷怪談』(鶴屋南北)「浪宅」 民谷伊右衛門は妻お岩を捨て、伊藤喜兵衛の孫娘お梅の婿になる。お岩は毒を盛られて、憤死する(*→〔妻殺し〕3)。新婚初夜の床で、伊右衛門はお梅の身体を抱き寄せる。その時お梅の顔がお岩に変わり、恨めしげに伊右衛門を見つめて笑う。驚いた伊右衛門は刀を抜き、お岩の首を打ち落とす。しかし打ち落とされた首を見ると、それはお梅だった。
『日本霊異記』中−33 富家の美しい娘万子(よろづのこ)に、一人の男が多くの品を贈り求婚する。二人は閨に入るが、その夜、閨の内で「痛や」という声が三度あがる。万子の父母は、「まだ性交に慣れぬから痛むのだろう」と誤解し、助けに行かず寝てしまう。翌朝、閨の戸を開けると、万子の身体は頭と一本の指だけを残し、すべて喰われていた。
『酉陽雑俎』続集巻2−893 通行の人に湯茶を提供していた百姓王申は、一人の旅の女に好意を持ち、十三歳になる息子の嫁に迎える。その夜、王申の妻が、息子が「食われてしまう」と叫び訴える夢を見た。妻は夫とともに寝室の扉を開けて見る。中から怪物が飛び出し、息子は脳骨と髪が残っているだけだった。
*新婚初夜の花嫁を誘拐する→〔誘拐〕5の『ルスランとリュドミラ』(プーシキン)第1歌。
『雨月物語』巻之4「蛇性の婬」 美青年豊雄は、蛇性の真女子(まなご)から逃れ(*→〔雨宿り〕6)、もと采女であった富子と結婚する。初めの夜は何事もなくすぎたが、二日目の夜、豊雄にむかって富子が「古き契りを忘れ、このような人を寵愛なさるとは」と言うその声は、まぎれもなく真女子の声であった〔*道成寺の法海和尚が真女子を調伏するが、富子は病んで死んでしまった〕。
『本陣殺人事件』(横溝正史) 大地主一柳家の当主賢造は、神経質で潔癖症だった。彼は、婚約者が処女でなかったことを知り、そのような女を妻とすることに堪えられず、祝言の夜に花嫁を殺して自殺する。しかも彼は自殺の理由を隠すため、自身が賊に殺されたかのような状況を作り上げた→〔死因〕2a。
*新婚初夜の心中→〔にせ心中〕2の『盗賊』(三島由紀夫)。
『哀蚊(あわれが)』(太宰治) 一生独身だった婆様は、幼い「私」をかわいがり、「私」はいつも婆様の部屋にいた。ある秋、「私」の姉様が婿養子をとった祝言の夜、婆様は「私」に哀蚊の話をした。「秋まで生き残されてる蚊を哀蚊と言うのじゃ・・・・・・。なんの、哀蚊はわしじゃがな」。「私」は夜中に目覚め、廊下の遠い片隅に幽霊を見た。幽霊は白くしょんぼり蹲(うずく)まって、姉様と婿様が寝ている部屋をのぞいていた。
『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)4編上「赤坂」 弥次郎兵衛と喜多八が泊まった宿で、ちょうどその夜、亭主の甥の婚礼があった。弥次郎兵衛・喜多八は、ふすまを隔てたすぐ隣が新婚夫婦の閨なので、隙間からのぞこうとするうちに、ふすまが倒れてしまう。弥次郎兵衛はすばやく自分の寝床へ逃げ戻る。喜多八は「手水(ちょうず)へ行くつもりが、寝ぼけて方向を間違えました」と、花婿に謝ってその場をごまかす。
『初夜』(三浦哲郎) 「私」は心優しい娘志乃と結婚したが、新婚初夜に避妊した。「私」は兄・姉たちの不幸な運命を思い(*→〔末子〕1の『忍ぶ川』)、自分の中にも宿命的な因縁の血が流れているのではないか、と恐れた。その危険な、病んだ血を、子供に与えることがこわかったのだ。二〜三年して父が病死した。兄・姉の場合とは異なる、父の尋常平凡な死に方は、「私」を安堵させた。「私」は慎重に日を選んで、志乃との第二の初夜を迎え、志乃は「私」の子を身ごもった。
★6.初夜権。花婿・花嫁の結婚に際して、まず最初に領主(あるいは族長・呪術師など)が花嫁と寝所をともにし、それがすんでから花嫁を花婿に引き渡す。
『フィガロの結婚』(モーツァルト) アルマヴィーヴァ伯爵は、封建的な風習である初夜権を廃止して、領民たちを喜ばせる。しかし伯爵はすぐにそれを後悔し、従僕フィガロと侍女スザンナの結婚に際して、初夜権の復活をもくろむ。いったん廃止宣言した初夜権を大っぴらに行使することは、さすがの伯爵にもできず、伯爵はスザンナを口説き、二人は夜の庭園で逢引きすることになった→〔妻〕8。
『地もぐり一寸ぼうし』(グリム)KHM91 王様の三人のお姫様が、深い井戸の底に閉じ込められている。長女の膝の上に、龍が九つの頭を載せて眠っており、長女は龍の頭の虱を取らされている。同様に、次女は七つ頭のある龍、末娘は四つ頭のある龍の虱を、取らされている。阿呆のハンスが、地もぐり一寸ぼうしに教えられて、三人のお姫様を救いに行く。ハンスは、眠る龍の首をすべて山刀で切り落とす。彼は三人をお城へ連れ帰り、末娘を妻として与えられる〔*→〔酒〕1のヤマタノヲロチを殺す話と、→〔虱〕2のスサノヲの虱を取る話を、合わせたような物語である〕。
『古事記』上巻 スサノヲがオホナムヂ(オホクニヌシ)を部屋に呼び入れて、頭の虱を取らせる。ところがスサノヲの頭を見ると、虱ではなくて多くの呉公(むかで)がいた。オホナムヂは、椋の木の実と赤土を口に含んで吐き出す。スサノヲは「呉公を噛み砕いているのだな」と思い、満足して眠る。その隙にオホナムヂは、スサノヲの娘スセリビメを背負い、宝物を盗んで逃げ去る。
*髪の毛の中には、虱や呉公だけでなく、蜘蛛がいることもある→〔蜘蛛〕4aの髪の毛の中のクモ(ブルンヴァン『消えるヒッチハイカー』)。
『古今著聞集』巻20「魚虫禽獣」第30・通巻696話 宿で虱(しらみ)に食われた男が、柱を削り、中へ虱を押しこんで蓋をした。翌年、男は同じ宿に泊まり、虱のことを思い出して柱の中を見ると、虱が半死半生でいた。虱は男の腕に食いつき、やがてそこが瘡になって男は死んでしまった。
『聊斎志異』巻8−304「蔵蝨」 男が一匹の蝨(しらみ)をつぶして紙に包み、樹の穴に詰めて立ち去る。二〜三年して再びそこを通ると、紙包みがまだあった。男は紙包みを開き、つぶれた蝨を掌に載せる。すると掌がかゆくなり、蝨がふくらんでくる。男は蝨を払い捨てたが、掌が腫れて、何日か後に死んだ。
『虱』(芥川龍之介) 元治元年(1864)冬、加賀藩の侍が船に乗って、長州征伐に向かう。船中には多くの虱がいて、皆閉口した。その中で森権之進は、「虱がいれば身体をかくので、暖かくなってよく眠れる」と言い、他人の虱まで貰って自分の身体に飼った。一方、井上典蔵は虱をつかまえて食い、「油臭い、焼米のような味だ」と言った。ある時、森が人から貰った虱を、井上が食ってしまったので、二人はあやうく斬り合いになるところだった。
*蟹を養う爺と、蟹を喰う婆→〔蟹〕8の『聴耳草紙』(佐々木喜善)75番「ココウ次郎」)。
『女体』(芥川龍之介) 夏の夜、支那人の楊某が、寝床の縁を這う虱に気づき、「虱の世界はどんなだろう?」と思う。すると彼の魂は、虱の体へ入ってしまった。楊は前方に、白く高い山が美しい曲線を描くのを見る。それが妻の乳房だと知って、楊は驚嘆した。彼は虱になってはじめて、妻の肉体の美しさを如実に観ずることができたのだ。しかし芸術の士にとって、虱のごとく見るべきものは、女体の美しさだけではない。
『名人伝』(中島敦) 天下第一の弓の名人を志す紀昌は、一匹の虱を毛髪につないで窓にかけ、終日にらみ暮らす。しだいに虱は大きく見えるようになり、三ヵ月後には、蚕ほどになった。三年たつと、馬のように見えた。紀昌は表へ出る。人は高塔だった。馬は山、豚は丘、鶏は城楼と見えた。紀昌は家へ戻り、弓で窓の虱を射る。矢はみごとに虱の心臓を貫いて、しかも毛髪は断(き)れなかった。
※病人が治るか死ぬかを教える虱→〔生命指標〕3の『酉陽雑俎』続集巻2−898。
『小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』(河竹黙阿弥) 遊女十六夜(いざよい)と僧清心は入水心中をはかるが、失敗する。十六夜は俳諧師白蓮に救われて妾になった後、剃髪して諸国行脚に出る。清心は岸に這い上がり、通りかかりの寺小姓求女を誤って殺す。やがて旅先で十六夜・清心は再会し、二人とも悪人となって渡世を送る。しかし白蓮は清心の兄、求女は十六夜の弟だったことがわかり、十六夜・清心は、因果の恐ろしさを知って自害する。
『桜姫東文章』(鶴屋南北) 僧自久と稚児白菊丸は衆道の関係になり、身投げ心中をはかるが、自久は気後れして生きのびる。十七年後、自久は高僧清玄となり、白菊丸の生まれ変わりの桜姫と出会う。二人はいったん離れ離れになり、また再会し、清玄は思いを遂げようと桜姫と争ううち、刃物が喉にささって死ぬ。清玄は幽霊となって、安女郎に身を落とした桜姫につきまとう。
『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』(菅専助) 四十歳近い帯屋長右衛門は、彼を慕う信濃屋の娘・十四歳のお半と旅先で過ちを犯し、お半は身ごもる。帯屋では、長右衛門の継母とその連れ子が勝手な振る舞いをし、長右衛門・お絹夫婦を陥れようと、悪だくみをする。長右衛門とお半の過ちが表沙汰にならぬように、お絹は手を尽くすが、長右衛門は自分自身に愛想をつかし、桂川でお半と心中する。
『心中天の網島』(近松門左衛門) 紙屋治兵衛と遊女小春は逢瀬を重ねるが、治兵衛の妻おさんからの手紙の訴えにより、小春は心ならずも治兵衛と別れ、死ぬ覚悟を定める。いったんは小春の心変わりを怒った治兵衛は、後に小春の真情を知る。二人は網島の大長寺へ行き、心中する。治兵衛はまず小春を刀で刺し殺し、その後に首をくくる。
『曾根崎心中』(近松門左衛門) 醤油商平野屋の手代徳兵衛は、遊女お初と相思相愛の仲である。ところが平野屋主人が、姪に銀二貫目をつけて徳兵衛と結婚させようとし、徳兵衛の継母がその金を受け取る。徳兵衛は縁談を断るべく、継母から銀二貫目を取り返すが、今度はそれを友人九平次にだまし取られてしまう。せっぱ詰まった徳兵衛は、お初とともに曾根崎の天神の森へ行き、刃物で心中する。
『みじかくも美しく燃え』(ヴィーデルベリ) 一八八九年の夏、伯爵であるスパーレ中尉は妻と二人の子供を捨て、サーカスで綱渡りをする美女エルヴィラと駆け落ちした。スパーレ中尉は脱走兵として手配され、二人は田舎の宿に隠れる。やがて所持金が底をつき、食べるものにも困るようになる。「覚悟を決めましょう」とエルヴィラは言い、ある朝、二人は拳銃を持って森へ入って行く。二発の銃声が聞こえる。
『心中宵庚申』(近松門左衛門)下之巻「八百屋」〜「道行思いの短夜」 八百屋の養子半兵衛は妻千代と睦まじく暮らすが、姑が千代を嫌い、離縁しようとする。しかしそれでは姑が世間から非難されるので、半兵衛自身が、姑の目の前で千代に離縁を言い渡す。その宵、二人は家を出て心中する。
『卍』(谷崎潤一郎) 柿内孝太郎・園子夫婦と徳光光子は、彼らの異様な性関係(*→〔同性愛〕3)が新聞にスキャンダルとして暴露されたため、光子を真中に三人枕を並べて、睡眠薬による心中をはかる。しかし園子だけが生き残った。園子は、「これは偶然でなく、光子と孝太郎が示し合わせて、私一人を置き去りにしたのではないか」と思う。
『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)』(河竹黙阿弥) 船津幸兵衛は貧窮に迫られて(*→〔身分〕13)、娘二人・息子一人とともに一家心中しよう、と思いつめる。娘二人は「私どもも父様といっしょに、少しも早う死にとうござります」と言う。まず子供三人を刺し殺し、その後に切腹するつもりだったが、悲嘆の極限で幸兵衛は発狂し、家を飛び出て川へ身を投げる〔*しかし、日頃信仰する水天宮さまのおかげで幸兵衛は死なず、義捐金を得て生活の目途(めど)がつく。盲目だった娘お雪も、開眼する〕。
『人間失格』(太宰治)「第二の手記」 東北生まれの「自分(大庭葉蔵)」は、東京の高等学校に進学し、画学生の堀木から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想を教えられる。「自分」は銀座のカフェの女給ツネ子とともに、鎌倉の海に入水する。ツネ子は死に、「自分」だけが助かる〔*「自分」は高等学校を追放され、漫画家になり、以後も何人かの女性と関係を持つ〕。
『白昼の通り魔』(大島渚) 村の娘シノ(演ずるのは川口小枝)は、村会議員に当選した源治から心中を迫られ、一緒に山で首を吊る。源治は死んだが、シノは縄が切れて失神しただけだった。倒れているシノを、村の男英助(佐藤慶)が犯す。これがきっかけで、英助は「白昼の通り魔」になる。彼は都会へ出て大勢の女を襲い、何人かを死傷させる。英助の妻・中学教師マツ子は「死のう」と思い、シノを誘って服毒する。マツ子だけが死んで、シノはまた生き残る〔*シノは、たくましい民衆の象徴、と言われる〕。
『拐帯行』(松本清張) 森村隆志は会社の金を持ち逃げし、恋人の西池久美子とともに九州を旅行して心中しようと考える。二人は列車内で上品な中年夫婦を見、九州の温泉宿でも偶然また出会って、彼らの安定した生活をうらやむ。二人は人生をやり直そうと考え、心中をやめて警察に自首する。しかし幸福な中年夫婦と見えたのは、六百万円の横領犯とその愛人であり、彼らは服毒自殺していた。
★7b.心中をとりやめるカップルと、心中の名所で事故死するカップル。
『陽気な恋人』(三島由紀夫) 熱海のホテルに滞在する神田定一と上村綾子のカップルは、傍若無人ともいうべき陽気な振る舞いで、ホテルの客たちを驚かせる。錦ヶ浦に投身自殺するつもりだった青年と少女は、この幸福そうなカップルを見て感銘を受け、「生きよう」と決心する。実は神田定一と上村綾子は、盗んだ金で遊んでいたのであり、彼らは心中名所・錦ヶ浦の断崖でふざけているうちに、誤って海に落ちる。
『二階』(松本清張) 英二と裕子は恋人どうしだったが、事情があって別れた。十数年後、英二は病気療養者、裕子は看護婦として、思いがけぬ再会をする。病気回復の見込みのない英二は、裕子とともに睡眠薬を飲んで心中する。それを知った英二の妻幸子は、裕子の死体を夫から引き離して部屋の隅に置き、自分が夫の横に寝て睡眠薬を飲む。幸子は遺書にこう書いた。「夫と私は心中します。看護婦さんも一緒に死んでくれるそうです」〔*→〔取り合わせ〕2の、無関係な男女の死体を並べて心中に見せかける『点と線』と、逆の形〕。
※心中をはかるが、二人とも助かってしまう→〔下宿〕3の『おせつ徳三郎』(落語)。
※心中をはかって助かるが、「あの世へ来た」と思い込む→〔冥界にあらず〕3の『おぼえ帳』(斎藤緑雨)。
※心中をとりやめる→〔教え子〕5の『煤煙』(森田草平)。
※心中に見せかけた殺人→〔母殺し〕1の『サイコ』(ブロック)、→〔密通〕9の『半七捕物帳』(岡本綺堂)「津の国屋」。
※女性どうしの心中→〔同性愛〕3の『果実』(三島由紀夫)。
※身体の心中と、心の心中→〔写真〕3の『今戸心中』(広津柳浪)。
『ヴォルスンガ・サガ』19〜20 英雄シグルズは、龍(強欲な男ファーヴニルが変身したもの)を殺し、その心臓を炙る。心臓の血をなめると、鳥たちの言葉がわかるようになる。「龍の心臓を食べれば、誰よりも賢くなる」との鳥の教えに従って、シグルズは心臓の一部を食べる。
『ペンタメローネ』(バジーレ)第1日第9話 子を望む王が、物知り老人の教えで、海の龍の心臓を生娘に料理させる。心臓を煮る香りが立ちのぼると、生娘は身ごもり、部屋の家具もふくらむ。王の妃は心臓を食べる。四日後に、妃と生娘はともに男児を産んだ。
『トビト書』(旧約聖書外典) サラはこれまでに七人の夫と結婚式をあげたが、夫たちは皆、その夜、まだ夫婦関係を結ぶ前に、悪魔アスモダイオスによって殺された。天使ラファエルがサラを救うべく、旅の青年トビヤを彼女の家へ導く。トビヤはサラと結婚式をあげ、ラファエルの教えにしたがって、魚の心臓と肝臓を香の灰の上でいぶす。その匂いで悪魔は逃げ去り、トビヤとサラは、皆に祝福されて夫婦になる。
*黄金の鳥の心臓と肝臓を食べる→〔枕〕5の『二人兄弟』(グリム)KHM60。
『デカメロン』第4日第1話 公爵タンクレディは、娘が近侍の青年と恋人関係になったことを知り、青年を殺す。公爵は青年の心臓を金の大盃に載せ、娘に送りつける。娘はそれに毒液を注いで飲み、死ぬ。
『デカメロン』第4日第9話 騎士が妻の愛人を殺してその心臓を料理し、何も知らぬ妻に食べさせる。料理を食べおわった後で、それが愛人の心臓であることを知らされた妻は、高所から身を投げて死ぬ。
『王女の誕生日』(ワイルド) 王女の十二歳の誕生祝いの余興に、森の醜い侏儒(小人)が踊りを見せる。王女は喜び、「もっと踊りを見たい」と言って、侏儒を宮殿にとどめ置く。侏儒は、生まれて始めて宮殿で鏡を見て、自分の醜さに驚いて倒れる。侍従が王女に「侏儒は心臓が破れたので、もう踊れない」と説明すると、王女は「これから私の所へ遊びに来るものは、心臓のないものにしてね」と言う。
『雪の女王』(アンデルセン) 悪魔の鏡が地上に落ちてこなごなになり、かけらの一つが少年カイの心臓にささる。カイは、あらゆるものの悪い点・醜い所ばかりを見るようになる。やがてカイは、雪の女王にさらわれる→〔接吻〕1。
「お前見たな」(松谷みよ子『現代民話考』7「学校ほか」第1章「怪談」の2) 医科大学の学生寮でのこと。夜中に一人の学生が、部屋から抜け出て行く。友達が不審に思って後をつけると、その学生は死体の血を吸っていた。友達は驚き、急いで部屋に帰って寝たふりをする。しばらくして戻って来た学生は、寮生たち一人一人の胸の鼓動を調べ、「おまえ見たな」と友達に言った(福島県)。
*夜、寄宿舎を抜け出て、死体を食いに行く→〔人肉食〕2bの『死屍(しかばね)を食う男』(葉山嘉樹)。
『デカメロン』(ボッカチオ)第3日第2話 馬丁が王に変装して妃を犯した。王は犯人をつきとめようと、下僕たちの寝る部屋へ行き、彼らの心臓の鼓動を調べる。馬丁は眠ったふりをしていたが、その動悸が激しいので、王は「この男が犯人だ」と思う〔*『ドイツ伝説集』(グリム)404「アギルルフとテウデリント」に類話〕→〔目印を消す〕2。
『ゲスタ・ロマノルム』40 ある騎士が奥方の不貞の噂を聞き、神父に「真実を知りたい」と言う。神父は奥方とよもやま話を始め、奥方の手を取って脈搏に触れる。神父が、不貞の相手として噂されている人物のことを話題にすると、奥方の脈搏は速くなった。話題を夫(騎士)のことに移すと、脈搏は静まった。
『告げ口心臓』(ポオ) 「わし」は同居する老人を殺し、死体を床下に隠す。警官が来たので、「わし」は死体の真上の位置に椅子を置き、質問に答える。老人の心臓の鼓動が「わし」の耳の中で聞こえ、その音がどんどん大きくなる。警官にも当然聞こえているのに、わざと知らぬ顔をしているのだと「わし」は思い、叫ぶ。「そうとも、おれが殺したんだ。これは床下の老人の心臓の音だ」〔*→〔動物教導〕2の『黒猫』に類似〕。
『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版・第45巻38ページ カツオが大通りを歩いていて、あまり美人ではない一組の岡さんに出会う。カツオは胸苦しさと激しい動悸を感じ、「ボク、彼女を愛してたんだ。知らなかった!」と思う。すると岡さんが「息苦しいでしょ! 排気ガスの一番ひどい交差点よ」と言ったので、カツオは「だろうな。好みのタイプじゃないもん」と、納得する。
※心臓や生き肝は、難病を治す薬になる→〔生き肝〕に記事。
※心臓を身体から取り出して、杉の花の上に置く→〔体外の魂〕2の『二人兄弟の物語』(古代エジプト)。
※英雄の心臓が、空の星になる→〔惑星〕3aの金星になったクェツアルコアトル。
*関連項目→〔ロボット〕
★1.本物の人間たちの中に混じっていても、見分けがつかない人造人間。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(ディック) 核戦争後の地球は死の灰に汚染され、多くの人々が他の惑星に移住する。異星環境下でも作業できるアンドロイドが大量に生産され、次々に新型が開発されるにつれて、外見はもとより内臓や血液も人間そっくりになり、アンドロイドが地球に侵入しても、人間と区別がつかない。擬似記憶を移植されて、自分を「人間だ」と思うアンドロイドがいる。逆に、「自分はアンドロイドかも知れぬ」と疑う人間もいる〔*『ブレードランナー』(スコット)の原作〕。
『撰集抄』巻5−15 伏見の前中納言師仲卿が、西行に語った。「私は四条大納言公任の流れを受けて、人を造った。今、それは卿相となっているが、誰であるか明かせば、造った者も、造られた者も、溶け失せてしまう。それゆえ、口外しないのである」(*西行も人を造ったが、うまくできなかった→〔人造人間〕3)。
『未来のイヴ』(リラダン) 完璧な美女アリシャは凡庸で俗悪な魂を持っていたので、恋人のイギリス貴族エワルド卿は失望する。アメリカの発明家エディソンが、アリシャそっくりで、しかも高雅な魂を持つ人造人間ハダリーをつくり、エワルド卿に与える。しかし船火事が起こり、ハダリーは焼けてしまった。
『フランケンシュタイン』(メアリ・シェリー) 科学者フランケンシュタインが、死体を素材として人造人間をつくる。本来善良な心を持っていた人造人間は、醜怪な姿ゆえ人々に恐れられ迫害されたため、人類を憎悪し何人かを殺す。フランケンシュタインは人造人間を殺すべく、北極の氷原に追いつめるが、力尽きて死ぬ。人造人間も最北の果てに姿を消し、自らを火葬する。
『フランケンシュタイン』(ホエール) 死体からつくられた人造人間(演ずるのはボリス・カーロフ)は、怪物のごとき容姿だったが、湖畔で出会った少女は、彼を見ても恐がらなかった。少女は怪物に花を手渡し、二人は花を水に浮かべて遊ぶ。花がなくなったので、怪物は花の代わりに少女を浮かべようと、湖へ投げ入れる。少女は水死する。怪物は山の風車小屋に立てこもり、群集に火をかけられて焼け死ぬ〔*同類の物語を落語の形で語るのが、→〔放生〕4の『後生鰻(うなぎ)』〕。
『撰集抄』巻5−15 山ごもりする西行が、「語り合える友がほしい」と思い、死人の骨をとり集め、反魂の秘術を行なって、人を造った。それは、姿は人に似ていたが、色が悪く心もなく、声は吹き損じた笛のようだった。打ち砕こうかと思ったが、それでは殺人に等しいので、高野の奥の、人も通わぬ所に棄て置いた。もし誰かが見たら、「化け物だ」と恐れるであろう(*本物の人間そっくりに、うまく造れることもある→〔人造人間〕1)。
『ロストワールド』(手塚治虫) 豚藻博士はふとって醜かったので、誰も嫁に来ない。そこで豚藻博士は植物から人間の少女を造り出し、妻にしようと考える。しかし豚藻博士は、ママンゴ星で恐竜に食われてしまった。植物から造られた少女あやめは、敷島健一少年とともにママンゴ星に住む(*→〔地球〕5)。遠い未来、彼らの子孫である動植物人が、地球人と握手することになるであろう。
『巨人ゴーレム』(ヴェゲナー) 皇帝がユダヤ人を迫害する。ユダヤのラビ(律法学者)が、皇帝に対抗するために、粘土をこねて巨人ゴーレムを造る〔*巨人といっても、映画の画面では、通常の人間より頭一つ分背が高いだけの大きさである〕。星型の大きなボタン(裏に呪文を記した紙が入っている)をゴーレムの胸にはめると、ゴーレムは動き出す。ゴーレムは自らの意志を持ち、造り主に従わず、家に火を放って街で暴れる。しかしゴーレムに抱き上げられた少女が、胸の星型ボタンを取り、ゴーレムはその場に倒れる。
『幻獣辞典』(ボルヘス他)「ゴーレム」 十七世紀、ラビが教会堂の鐘を鳴らすなどの雑用をさせるために、人造人間ゴーレムをつくる。舌下に貼りつけた護符の力で、ゴーレムは昼間だけ生きていた。ある夜、ラビが護符をはがすのを忘れたため、ゴーレムはユダヤ人街に出て行き、人々を殴り倒して暴れまわる。ラビはゴーレムをつかまえ、護符をはがす。ゴーレムは倒れ、土塊だけが残った。
※瓶(びん)の中の人造人間→〔瓶(びん)〕1の『ファウスト』(ゲーテ)第2部第2幕。
※美貌の人造人間→〔両性具有〕1の『メトロポリス』(手塚治虫)。
※動物を人間に改造する→〔島〕6cの『モロー博士の島』(ウェルズ,H・G・)。
※人間の心を改造する→〔改心〕3の『時計じかけのオレンジ』(キューブリック)。
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