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【八人・八体】

★1.八人の男。

『南総里見八犬伝』  里見義実の娘伏姫が自害した時、襟にかけた数珠のうち八つの玉が、八方に飛び去った。その翌年に犬山道節、犬飼現八、犬田小文吾、犬川荘介、二年後に犬塚信乃、犬村大角、六年後に犬坂毛野、はるか遅れて十七年後に犬江親兵衛が、房総から伊豆にかけての各地にそれぞれ誕生した。八つの玉を分け持つ彼ら八犬士は、里見家興隆のために大いに活躍した。

『八つ墓村』(横溝正史)  戦国の頃、落ち武者八人が、鳥取・岡山県境の山村に身を寄せるが、村人たちによって惨殺された。その半年後、名主が乱心して村人七人を殺したあげく自殺し、一時に八人の死者が出た。「落ち武者のたたりだ」と人々は恐れ、八つの墓を立てて明神とあがめた。

*八人兄弟の末子→〔末子〕3の『神道集』巻8−49「那波八郎大明神の事」。

★2.八人の乙女。

『古事記』上巻  アシナヅチ・テナヅチ夫婦には八人の娘がいたが、ヤマタノヲロチが年ごとにやって来て娘を喰い、ついにはクシナダヒメ一人だけになった〔*スサノヲノミコトがヲロチを退治して、クシナダヒメと結婚した〕。

*八人の天女→〔水浴〕1aの『近江国風土記』逸文、『丹後国風土記』逸文。 

★3.八人の美女と見えて実は一人。

『源平盛衰記』巻44「三種の宝剣の事」  八岐大蛇(ヤマタノヲロチ)が、奇稲田姫を呑みにやって来る。素盞烏尊(そさのをのみこと=スサノヲノミコト)は八つの槽に酒を満たし、山の上に奇稲田姫を立たせて、その姿を槽の酒に映す。大蛇が見ると、八つの槽の中に八人の美女がいる。大蛇は八人の美女を呑もうと思って酒を飲み干し、酔って眠る。

★4.一つの身体に付属する八つのもの。

『古事記』上巻  黄泉国へ行ったイザナキが、暗闇の中で櫛に火をともして、妻イザナミを見る。彼女の身体はふくれあがり、蛆がたかり膿が流れていた。頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、陰(ほと)には拆雷、左手には若雷、右手には土雷、左足には鳴雷、右足には伏雷、あわせて八体の雷神(いかづちがみ=みな蛇体であろう)が、イザナミの身体をおおっていた。

 *類似の場面が、『尼僧ヨアンナ』(イヴァシュキェヴィッチ)にある。尼僧ヨアンナに九匹の悪魔が憑依する。そのうちの一匹ザパリチカが、自分の兄弟たちがヨアンナの身体のどこにいるかを、「バラアムは頭、イサアカロンは腕、アマンは胸、グレズィルは腹、ベゲリットは脚、アスモデウスは性器、・・・・・・」と、教会に集まった人々に教える。

『古事記』上巻  高志(こし)のヤマタノヲロチは、身一つに八つの頭、八つの尾があり、その長さは八つの谷、八つの峰にまたがるほどだった。

*蛇の尾が八つに裂けて、蛸になる→〔蛸〕6の『笈埃随筆』(百井塘雨)巻之5「変態」。 

 

 

【白血病】

★1.広島の原爆投下に起因する白血病。

『アトミック・エイジの守護神』(大江健三郎)  ある中年男が、広島の原爆孤児十人を養子にして、共同生活を始める。彼は、孤児たちの何割かが将来白血病で死ぬことを見こして、高額の生命保険を掛ける。何年かの後、孤児たちは四人が死に、六人が生き残っていた。一方、中年男は顔色が悪くなり、食べ物を吐くようになる。孤児たちは「あの人は胃癌らしい」と考え、彼に保険を掛けた。

『モスクワわが愛』(吉田憲二他)  百合子(演ずるのは栗原小巻)はボリショイ・バレー団への入団を許可され、厳しいレッスンに明け暮れる。日本に残した恋人哲也に代わって、モスクワで知り合った彫刻家バロージャが、彼女の心の中で大きな存在になっていた。百合子は『ジゼル』の主役に抜擢されるが、公演間近に白血病で倒れる。母が広島で被爆しており、百合子は原爆二世だったのだ。百合子は嵐の海へ投身しようとして、バロージャに抱きとめられる。彼女は「生きよう」と思う。しかし、その思いは叶わなかった。 

『夢千代日記』(浦山桐郎)  兵庫県・湯村温泉の芸者夢千代(演ずるのは吉永小百合)は広島で被爆し、白血病を発症して、神戸の病院で「余命半年」と診断される。夢千代は入院せず、湯村で死にたいと願う。旅役者の宗方勝と知り合うが、彼は十五年前に父親を殺して指名手配中であり、あとわずかで時効になる身の上だった。宗方は隠岐へ身を隠し、夢千代はその後を追って、二人は結ばれる。宗方は逮捕覚悟で、死の近い夢千代を湯村へ連れ帰る。芸者仲間たちに見守られて夢千代は息を引きとり、宗方は逮捕される。

*ゲンの恋人光子の白血病→〔原水爆〕1の『はだしのゲン』(中沢啓治)。

★2.事故で放射能を浴びたことに起因する白血病。

『クリスマス・ツリー』(ヤング)  十歳のパスカルは父(演ずるのはウィリアム・ホールデン)と一緒に、コルシカ島で夏休みを楽しんだ。ボートに乗っていた時、核弾頭を搭載した飛行機が近くへ墜落する。父は海に潜っていたので無事だったが、ボート上のパスカルは放射能を浴びて白血病になった。医師は「入院すれば余命一年。在宅なら三〜六ヵ月」と宣告する。パスカルは残された日々を、家で父とともに、せいいっぱい幸福に過ごし、やがてクリスマス・イブを迎える。その日、父がプレゼントを買って帰宅すると、美しく飾られたクリスマス・ツリーの下で、パスカルは息絶えていた。

*クリスマス・イヴの死→〔クリスマス〕3の『鉄道員』(ジェルミ)。

★3.原因不明の白血病。

『ある愛の詩』(ヒラー)  ハーバード大学法学部の学生オリバー(演ずるのはライアン・オニール)は大富豪の名家の御曹子、ラドクリフ女子大の学生ジェニー(アリ・マッグロー)は町の菓子屋の娘だった。二人は恋に落ち、身分・境遇の差を乗り越えて結婚する。オリバーの父は結婚に反対し、経済的援助を打ち切る。ジェニーは教師となって家計を支え、オリバーはロースクールを修了して弁護士になる。しかしその直後にジェニーは白血病であることがわかり、二十五歳で死ぬ。

*冷凍睡眠に入り、白血病治療の可能な時代を待つ→〔冷凍睡眠〕1の『未来からの手記』(アモソフ)。

 

 

【鳩】

★1.鳩の教え。

『創世記』第8章  大洪水の後、ノアは箱船から鳩を放ち、地の面(おもて)から水がひいたかどうか確かめた。一度目は、鳩はどこへも降りられずに戻って来た。水がまだ全地の面をおおっていたからである。七日待って再び放つと、夕方、鳩はオリーブの葉をくわえて戻って来た。さらに七日待って放つと、鳩はもうノアのもとに帰って来なかった。

*山鳩の導き→〔鳥の教え〕3の『太平記』巻9「高氏願書を篠村の八幡宮に籠めらるる事」。 

★2.鳩の夢。

『義経記』巻2「義経秀衡にはじめて対面の事」  十六歳の御曹司義経が、金商人(こがねあきうど)吉次に伴われて奥州平泉へ下り、藤原秀衡の館に身を寄せる。秀衡は「過日、『白い鳩が二羽やって来て、我が館の内へ飛び入る』との夢を見たので、源氏の御方がおいでになることを予期していた」と喜んで歓待し、八万騎の郎党を義経に与えた。   

★3a.鴿(はと)が人間に生まれ変わる。

『今昔物語集』巻7−10  僧房の軒にある鴿の巣から、二羽の雛が落ちて死んだ。三ヵ月後、僧の夢に二人の児(ちご)が現れて言う。「私たちは前世で罪を犯したため、鴿の子と生まれ、雛のうちに死にました。しかし常に経を聴聞していた功徳で、今度は人間の身を受けて、某県某家に生まれます」。十ヵ月後に僧がその家を訪ねると、二人の男児が生まれていた。僧が「汝らは鴿の子か?」と問うと、二人は「はい」と返事をした。   

★3b.何度も何度も鳩に生まれ変わる。

『宝物集』(七巻本)巻2  いったん畜生道に生まれると、そこから出ることは難しい。樹の枝にとまる鳩を見て、釈尊が「あの鳩は、いつから鳩なのか?」と弟子に問い、その智慧を試した。弟子は「過去の八万劫、鳩でした。未来の八万劫も鳩でしょう」と答えた。釈尊は仏眼を照らして、「過去八万劫の以前八万劫も鳩だった。未来八万劫以後の八万劫も鳩であろう」と言った→〔犬に転生〕5。   

*何度も狐に生まれ変わり、狐の身を脱することができない→〔狐〕10の『無門関』(慧開)2「百丈野狐」。 

★4.鳩を売る。

『愛と希望の街』(大島渚)  中学三年の正夫は、病弱な母と妹の三人暮らしで、貧しさゆえ高校進学ができない。正夫は駅前で鳩を売る。買った人が油断していると、鳩は逃げて正夫の家へ戻って来る。正夫はその鳩を、また別の人に売る。女子高生の京子が鳩を買ったことが縁で、正夫は、京子の父が重役を勤める企業の採用試験を受ける。しかし同じ鳩を何度か売ったことが問題になり、不合格となる。正夫は小さな町工場に就職し、夜学へ行く。

 

 

【花】

 *関連項目→〔桜〕

★1.人が死に、その血を吸った地面から花が咲き出る。

虞美人草の伝説  項羽の寵姫虞美人が自刃し、彼女の血を吸った土の上に、翌春美しい花が咲いた。人々はこの花を虞美人の生まれかわりと考え、「虞美人草」と名づけた。

『変身物語』(オヴィディウス)巻10  アポロンと美少年ヒュアキントスが、円盤の投げ比べをする。アポロンの投げた円盤を、ヒュアキントスが拾いに行く。円盤は大地に当たってはねかえり、ヒュアキントスの顔を直撃する。ヒュアキントスは死に、彼の血が流れた地面から、真っ赤な花(ヒヤシンス)が生え出た。

『変身物語』(オヴィディウス)巻10  美少年アドニスは、猪の牙に大腿部を突きさされて死んだ。女神ヴェヌスは悲しんで、アドニスの血に神酒(ネクタル)をふりかけた。やがて血の中から、同じ色の花(アネモネ)が現れた。

*ナルキッソスの死体が消え、代わりに水仙の花があった→〔死体消失〕2aの『変身物語』(オヴィディウス)巻3。

*死者の口から花が咲き出る→〔口から出る〕2の『黄金伝説』50「主のお告げ」など。

*墓に咲く花→〔墓〕11aの『女郎花』(能)。

★2.白い薔薇を血で赤い薔薇に変える。

『ナイチンゲールと薔薇の花』(ワイルド)  学生が高慢な少女に恋をし、「赤い薔薇をプレゼントしたい」と思う。学生に同情したナイチンゲールが、自分の胸を白薔薇の木のとげに押しつけて死に、血が薔薇の葉脈に流れこんで、真紅の花が咲く。しかし少女は、「ドレスに似合わない」と言う。学生は怒って、薔薇を道に投げ捨てる。  

★3.女が百合の花に変身する。

『百合』(川端康成)  百合子は子供の頃から、好きな友だちの真似をしていた。彼女は結婚すると、愛する夫の真似をして、髪を切り、眼鏡をかけ、髭を生やし、パイプをくわえ、夫を「おい」と呼び、陸軍に志願しようとした。夫がそれらを許さなかったので、百合子は神様を愛するようになった。神様は「汝、百合の花となるべし」と告げた。「はい」と答えて、百合子は一輪の百合の花になった。 

*女が白百合の花に転生する→〔待つべき期間〕5の『夢十夜』(夏目漱石)第1夜。

★4.殺した女を記念する花。

『牡丹』(三島由紀夫)  南京虐殺の首謀者川又大佐は、五百八十人の女を、楽しみながら殺した。戦後、川又は牡丹園を買い取り、牡丹の木を厳密に五百八十本に限定して、花を育てた。それによって彼は、自らの忘れがたい悪を、世にも安全な方法で顕彰したのだった〔*殺した后の数と同数の仏塔を建てる『今昔物語集』巻4−3と、類似の発想〕→〔妻殺し〕2b

★5.悪の象徴である花。

『紅い花』(ガルシン)  精神病院に一人の男が収容される。彼は病院の庭に、真紅のケシの花が三株生えているのを見る。彼は「あの紅い花の中に世界中の悪が集まっている。紅い花を殺せば、地上の悪を根絶できるのだ」と考え、一株、二株と、花をむしり取る。看視人が彼を咎め、狭窄衣を着せる。夜、彼は狭窄衣を振りほどき、病室を脱出して、最後の一株を引き抜く。翌朝、力尽きて死んだ彼の死体が発見される。

★6.夢に見た花。

『青い花』(ノヴァーリス)第1部  青年ハインリヒは、夢で不思議な青い花を見た。花は彼に向かって首をかしげ、中にほっそりした顔が見える。ハインリヒは、母方の祖父の住むアウクスブルクへ旅立ち、少女マティルデに出会って、花の中の顔は彼女だったことを知る。しかしハインリヒは、マティルデが水死する不吉な夢を見る〔*未完の小説である(第1部だけが完成された)〕。

★7.絵に描かれた花。

『三国史記』巻5「新羅本紀」第5・第27代善徳王前紀  善徳王は、前王真平王の長女である。彼女が王女時代、唐から、牡丹の花の絵と種を贈って来た。王女は絵を見て、「あでやかな花だが、蜂も蝶も描かれていない。きっと香りのない花なのでしょう」と言った。種を植えて咲かせてみると、王女の言ったとおり、香りがなかった。

★8.天から花が降る。

『三宝絵詞』上−1  尸毘(しび)王は鳩を救うために、自分の全身の肉を切り取って鷹に与えた(*→〔鷹〕8)。その時、大地が東西南北上下の六種に震動し、空から花が、雨のごとく降った。大海に浪が上がり、枯れ木に花が咲き、天人が降下して尸毘王を賛嘆した。

*吉事に応じて天が花を降らせる→〔地震〕2aの『三宝絵詞』上−11、『法華経』「序品」第1。

*天使が降りてきて花をまく→〔魂〕6の『ファウスト』(ゲーテ)第2部第5幕。

★9.花に託して、思いを述べる。

『野菊の墓』(伊藤左千夫)  「僕(政夫)」と民子は、山畑へ綿を採りに行った。「僕」は野菊やりんどうの花を摘んだ。民子が「わたし、ほんとうに野菊が好き(*→〔墓〕11a)」と言うので、「僕」は「民さんは野菊のような人だ。・・・僕は野菊が大好きさ」と言った。民子はりんどうの花を見て、「りんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった。・・・政夫さんはりんどうのような人だ」と言った。

*「名前が好き」という表現で、相手への思いを述べる→〔決闘〕11bの『荒野の決闘』(フォード)。 

 

※花からの誕生→〔誕生(植物から)〕2の『親指姫』(アンデルセン)。

※母が花を賜る、花を呑むなどして、子が生まれる→〔口に入る〕1の『十八史略』巻4「南北朝」、→〔申し子〕3aの『文正草子』(御伽草子)。

 

 

【花の精】

★1.桜の精。

『西行桜』(能)  憂き世を厭い孤独を愛する西行法師が、「花見客を呼び寄せてしまうのが桜の咎だ」と詠じて寝た夜の夢に、庵の桜が老翁の姿で現れる。老翁は「憂き世と観ずるのは人の心。非情無心の桜に咎なし」と告げ、舞いを舞って、春の一夜を西行とともに楽しむ。

*墨染桜の精→〔切れぬ木〕1の『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』。

★2.菊の精。

『かざしの姫君』(御伽草子)  菊の花を愛するかざしの姫君は、訪れた少将と契りを交わすが、少将は姫君の屋敷の庭に咲く菊の精だった。内裏の花揃えのために菊は手折られ、姫君は女児を産んで死ぬ。女児は成長後、女御として入内する。

『聊斎志異』巻11−414「黄英」  菊好きの馬子才が知り合った若い姉弟は、菊の花の精だった。姉の黄英は馬子才の妻となって添い遂げたが、弟は酒を飲みすぎ、菊と化して枯れた。

★3.牡丹の精。

『聊斎志異』巻10−412「葛巾」  常大用と大器の兄弟は、葛巾と玉版の姉妹と結婚し、それぞれ男児をもうけるが、姉妹は牡丹の精だった。正体を知られた姉妹は子供を投げ捨てて姿を消す。地面に落ちた子供も消えて、数日後、そこから紫と白の牡丹が芽生えた。

『聊斎志異』巻11−443「香玉」  黄は、白牡丹の精である香玉と夫婦になる。十数年を経て黄は死に、白牡丹の隣に赤い芽に五枚の葉をつけて萌え出る。しかし花は咲かず、何年か後に人の手で切られ、白牡丹もやがて衰えて枯れた。

★4.百合の精。

『集異記』「白百合の精」  書生が美女と契りを結び、再会を約して白玉の指輪を渡す。去って行く美女の姿を書生は見失うが、ふと一本の白百合に目をとめ、掘り起こす。球根の皮をすべてはがすと白玉の指輪が出てくる。書生は悔いて病死する。

★5.杜若の精。

『杜若』(能)  旅僧が、三河の国八橋に咲く杜若を見る。そこへ女が現れ、在原業平が昔この地を訪れた故事と、その恋人二条の后のことを、語り聞かせる。二条の后は死後杜若となり、女は杜若の精であった。女は業平の冠をつけ、二条の后の唐衣を着て舞った。

★6.さまざまな草花の精たち。

『今古奇観』第8話「灌園叟晩逢仙女」  崔玄微という老人が、広い庭にさまざまな草花を植え、独り住んでいる。夜、花々の精が大勢の美女の姿で現れて宴を開き、崔も座に連なる。崔は花々の頼みで、日・月・五星を描いた赤旗を庭に立てて、風の難から花を守る→〔若返り〕1a

 

 

【鼻】

★1.鼻がもとにもどる。

『鼻』(芥川龍之介)  禅智内供の鼻は長さ五〜六寸もあって、顎の下まで垂れ下がっており、彼は苦にしていた。鼻を茹でて脂(あぶら)を取る療治をして、鼻は人並みに小さくなったが、まわりの僧俗は彼を見ると笑い、しかも笑いの中に悪意さえも感じ取られたので、禅智内供は当惑し、不機嫌になる。何日かの後、突然また鼻はもとの大きさに戻り、彼は「これでもう誰も笑うまい」と安堵する。

『鼻』(ゴーゴリ)  三月二十五日朝、八等官コワリョーフの鼻が突然、顔から消えうせた。その朝、床屋がパンを食べようとすると、中から鼻が出てくる。床屋は、それが顧客のコワリョーフの鼻であると知り、関わり合いを恐れて、鼻を河へ捨てる。鼻は、礼服を着て剣を吊った五等官の姿で街に現れ、馬車を乗り回すなどして市中を騒がせる。四月七日朝、突如として、鼻はまたコワリョーフの顔に戻った。

*鼻にソーセージをくっつけて、それをまた取る→〔願い事〕2aの『カレンダーゲシヒテン(暦話)』(ヘーベル)「三つの願い」。

★2.鼻が長くなる。

『源五郎の天昇り』(日本の昔話)  源五郎が拾った太鼓をたたくと、鼻が長くなったり短くなったりする。彼は長者の娘の鼻を長くし、それを「治療してやろう」と言ってもとにもどして、大金を礼にもらう。ある時、源五郎は自分の鼻がどこまで延びるか試す。鼻は天まで届き、天の川の橋杭として、鼻先が欄干に縛りつけられてしまう(長崎県南高来郡)。

『ピノキオ』(コローディ)  ピノキオは人形芝居を見に行き、親方に気に入られて金貨五枚をもらう。その後、悪人に襲われて木に吊るされたところを、空色の髪の妖精に救われる。しかしピノキオは、妖精に対して「金貨はなくした」とか「飲みこんでしまった」など嘘を言い、そのために鼻が長く伸びる。ピノキオが泣くと、多くの啄木鳥(きつつき)が来て、くちばしで鼻を削ってくれる。

★3.大きな鼻の人。

『源氏物語』「末摘花」  光源氏は、故常陸の宮の娘・末摘花(すゑつむはな)と関係を結ぶ。ところが彼女は、象を連想させるほどの大きな鼻の持ち主であり、鼻の先が少し垂れ、赤く色づいていたので、光源氏は驚いた。後に光源氏は自分の鼻に紅を塗り、鏡に映して見る。彼ほどの美しい顔でも、赤鼻が真ん中にあっては、たいそう見苦しいことであった。

『シラノ・ド・ベルジュラック』(ロスタン)第2幕  近衛青年隊のシラノは醜い大鼻の持ち主だったので、仲間たちは、彼の前では「鼻」という言葉を使わないように気をつけていた。ところが新入り隊員クリスチャンが、それを承知の上で、わざと「鼻柱を折る」「鼻息が荒い」「鼻であしらう」などの言葉を連発し、シラノを怒らせる〔*しかしこの直前にシラノは、従妹ロクサーヌが美男クリスチャンを見て好きになり、彼からの求愛を待っていることを知ったので、怒りを抑え、二人の仲を取り持つ〕→〔二人一役〕1

『トリストラム・シャンディ』(スターン)第4巻「スラウケンベルギウスの物語」  常人の数倍もある巨大な鼻の男がフランクフルトへ行く途中、シュトラスブルグを通る。男の鼻が市民の話題になり、男が帰途再びシュトラスブルグを通る一ヵ月後を、彼らは待つ。ところが男は途中で恋人とその兄に出会い、道を変えてスペインへ向かう。シュトラスブルグ市民は、男の鼻見たさに市門を開けたままフランクフルト街道を捜し回り、その間に市はフランス軍に占領されてしまった。

★4.接吻の邪魔になる鼻。

『誰が為に鐘は鳴る』(ウッド)  アメリカ人青年ロバート・ジョーダン(演ずるのはゲーリー・クーパー)は、スペイン内戦に参加して、市長の娘マリア(イングリッド・バーグマンと恋に落ちる。二人がはじめて接吻する時、マリアは「鼻が邪魔になるのではないか?」と心配する。しかしロバートが巧みにリードし、二人は互いの鼻がぶつからないように接吻することができた〔*ヘミングウェイの同名小説の映画化〕。

『鼻の高すぎる王子さま』(ボーモン夫人)  デジール王子は顔の半分をおおうほどの鼻を持っていたが、自分では、それがちょうど良い理想的な大きさだと思っていた。しかし婚約者ミニヨンヌ姫の手に接吻しようとした時、鼻が邪魔をして、口が姫の手に届かなかったので、ようやく王子は、自分の鼻が高すぎることを認めた。

★5.鼻を斬り取る。

『武州公秘話』(谷崎潤一郎)  合戦の最中には、敵を討っても、その首を持って歩くことは難しい。そこで鼻を斬り取っておき、それを証拠として、後に首を捜し出すことがある。武蔵守輝勝は、「法師丸」と名乗っていた少年時、敵将を討ち、首を斬り取る余裕がなかったので、鼻だけを斬り取って逃げたことがあった。また彼は元服後、河内介であった時代、主君織部正(おりべのしょう)則重を襲ってその鼻を切り取った。これは則重を生かしたまま、みじめな容貌にして笑うためであった。

 

※鼻から価値あるものが出る→〔糸〕3の『今昔物語集』巻26−11。 

 

 

【母と息子】

★1.息子が亡母を恋う。

『源氏物語』「桐壺」  桐壺帝は桐壺更衣を偏愛し、二人の間に光源氏が誕生する。しかし光源氏が三歳になった年、病弱な母桐壺更衣はこの世を去った〔*二十歳前後で病死したと考えられる〕。光源氏は亡き母の面影を求め、母によく似た藤壺女御を思慕する。

『古事記』上巻  イザナミは火神カグツチを産んだために傷つき、黄泉国へ赴いた。イザナキの鼻から生まれたスサノヲは、「亡き妣(はは)の住む根の堅州国へ行きたい」と言って泣いた〔*『日本書紀』巻1・第5段一書第6に類話〕。

★2.少年が、母に似た少女を恋し、母の幻影を見る。

『さびしんぼう』(大林宣彦)  高校二年のヒロキ(演ずるのは尾美としのり)は、女子高に通う美少女百合子(富田靖子)にあこがれている。百合子の寂しそうな横顔から、ヒロキは心の中で彼女を「さびしんぼう」と名づける。ある日、ピエロの格好をした不思議な少女が出現し、ヒロキの恋を応援して、やがて消えて行く。ピエロの少女の顔は、どこか百合子に似ていた。大掃除の時に紛失した写真を、母が見つけ出してヒロキに見せる。それは母の十六歳の時の写真で、写っていたのは、あのピエロの少女だった。

『幽霊』(北杜夫)  「ぼく」がまだ幼い頃に父は死んだ。その後まもなく母は家を出た。「ぼく」は松本の高等学校へ進学し、ある時、若い頃の母を知る人から、母の少女時代の写真を初めて見せられた。母の顔は、「ぼく」がひそかな恋心を抱いている名も知らぬ少女に似ていた。その年の夏の終わり、「ぼく」は霧の北アルプスで、母の幻を見た。

★3.息子が母親を創造する。

『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)第2章「無からの創造」  ワナディは黙ったまま座ってタバコを吸い、考えながら夢を見ることを繰り返していた。彼は一人の女が生まれる夢を見た。それは彼の母親で、名をクマリアワといった。彼女は赤ん坊ではなく、十分に成長した女性の姿で生まれた。ワナディは彼の力と知恵のしるしとして、母親クマリアワを作った(ヴェネズエラ、マキリタレ族)。

*ワナディの夢から生まれたクマリアワがワナディを産む、ということだから、〔ウロボロス〕の一種であろう。

 

 

【母と娘】

★1.母と娘とが、同じ一人の男と性関係を持つ。

『有明けの別れ』巻1  左大将は妻との間に姫君をもうけるが、妻の連れ子(継娘)をも犯し、男児を産ませた〔*継娘は左大将に犯された後、左大将の息子とも関係を持ち、女児を産む。彼女は、男装の右大将(主人公)の名目上の妻となって、「対の上」と呼ばれる〕。

『とはずがたり』(後深草院二条)巻1・巻3  後深草院は少年時に、大納言典侍(だいなごんのすけ)から新枕を習い、以後、彼女を人知れず慕っていた。しかし彼女は久我雅忠に嫁し、やがて娘二条を産んだ。後深草院は二条の成長を待ち、院が二十九歳、二条が十四歳の、文永八年(1271)正月に、強引に関係を結んだ。

『北方行』(中島敦)  折毛伝吉は中国へ渡り、大学に籍だけ置いて遊び暮らしている。彼は、白夫人(日本人女性が中国人白雄文と結婚して、白夫人となった。夫は死去し、現在は未亡人)と、その娘麗美の双方と、性関係を持っていた。伝吉は、白夫人の肉の衰えを見て、麗美のみずみずしい肉体を思い描く。そして、いつか読んだ『祝詞(「六月の晦の大祓(みなづきのつごもりのおほはらへ)」)の中の、「母と子と犯せる罪」「子と母と犯せる罪」という言葉を思い出し、「自分は、どちらに当たるのかな」と考えた〔*中島敦の遺稿で、未完の長編小説〕。

 *「母と子と犯せる罪」は、女と関係を持った後に、その娘とも関係を持つ罪。「子と母と犯せる罪」は、女と関係を持った後に、その母親とも関係を持つ罪。

『ロリータ』(ナボコフ)  三十代後半のハンバート・ハンバートは、十二歳の少女ロリータを手に入れるために、彼女の母親シャーロットと結婚する。シャーロットはそのことを知った直後に、手紙を三通書き、それを投函すべく家から走り出、自動車にはねられて死ぬ。

*母が、娘の恋人を誘惑して関係を持つ→〔宴席〕4の『卒業』(ニコルズ)。

★2.母と娘の双方に思いを寄せる男たち。

『盲目物語』(谷崎潤一郎)  浅井長政公の死後、その奥方(お市の方)に、羽柴秀吉が思いを寄せる。その思いは叶わなかったが、後に秀吉は、奥方の姫君お茶々どのを我がものとして(淀君)、親から子にわたる二代の恋を遂げた。盲目の法師である「わたくし(弥市)」は、奥方に十余年間お仕えして幸せだったが(*→〔手ざわり〕2)、落城で奥方御自害の折、お茶々どのが若い頃の奥方そっくりであることを知って(*→〔背中の女〕2)、「この後は、お茶々どのにお仕え申したい」と思う。しかしお茶々どのは「わたくし」を疎み、願いは叶わなかった。  

★3.同名の母と娘が、一人の男に追われる。

『うたかたの記』(森鴎外)  狂王ルードヴィヒ二世は夜会の折に、画工スタインバハの妻マリイを追い、自分のものにしようとするが、スタインバハに押し止められる。数年後、マリイの娘(母と同名のマリイ)が湖で舟遊びをするのをルードヴィヒ二世は見かけ、「マリイ」と叫んで湖水に踏み入り、溺死する〔*娘も失神して舟から落ち、水死する〕→〔蛍〕4

★4.別れ別れになっていた母と娘が再会する。

『まつら長者』(説経)6段目  大和国の故松浦長者の娘さよ姫は、亡父の法要の費用工面のため、身売りして奥州へ下る。さよ姫の母は、娘と別れた悲しみで盲目の物狂いとなり、袖乞いをする。後、奥州から無事に戻ったさよ姫は、母を捜して再会する〔*『さよひめ』(御伽草子)に類話〕→〔開眼〕6。 

★5.母が自分の素性を隠して、娘に会う。

『ウィンダミア卿夫人の扇』(ワイルド)  アーリン夫人は二十年前、ゆりかごの中の娘マーガレットを置き去りにして、愛人のもとへ奔(はし)った。マーガレットは「母は死んだ」と聞かされ、成長して富豪ウィンダミア卿の妻になる。アーリン夫人はウィンダミア卿に近づいて金を得ようとするが、その時、マーガレットが不倫疑惑で窮地にあることを知る。アーリン夫人はマーガレットを救い(*→〔扇〕3)、自分がマーガレットの母親であることを教えないまま、去って行く。

*母親が娘の幸福を願って、娘を家から追い出す→〔愛想づかし〕5の『ステラ・ダラス』(ヴィダー)。

★6.母を呼ぶ娘。

『和漢三才図会』巻第78・大日本国「伯耆(ははき・はうき)」  昔、手摩乳(てなつち)・足摩乳(あしなつち)の女(むすめ)稲田姫が、八岐大蛇(やまたのをろち)に追われて山中へ逃げ入った時、母(手摩乳)がやや遅れた。稲田姫が振り返って、「母来ませ、母来ませ」と言ったので、その地を「母来国」と号し、後に「伯耆」の字を用いた。

 

 

【母なるもの】

★1.神託の「母」を、「大地」と解釈する。

『変身物語』(オヴィディウス)巻1  大洪水後、生き残ったデウカリオンとピュラ夫婦は、女神テミスから「大いなる母の骨を背後に投げよ」との神託を得た。夫婦は、「大いなる母」は大地、「骨」は石のことと解し、石を後ろの方へ投げると、そこから人間が生じた。

*→〔接吻〕5の「母なる大地の伝説」も、神託の「母」を「大地」と解釈する物語。 

★2.夢に見た「母」を、「大地」と解釈する。 

『ローマ皇帝伝』第1巻「カエサル」  カエサルは若い頃、母を手ごめにし辱める夢を見て、たいそう狼狽した。しかし夢占い師たちはこの夢を、カエサルによる世界支配の予告、と見なした。カエサルの身体の下に伏す母とは、万物の母すなわち「大地」に他ならない、と解釈したからである。

★3.大地は、一人の女の身体だった。 

『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)第1章「すべての子宮の母」  昔、大地は一人の女だった。彼女は今も生きているが、その姿は変わり、肉は土、髪は草木、骨は岩、息は風になった。彼女は身体を広げて横たわっているので、われわれは彼女の上で生活していることになる。彼女が動くと地震が起こる。「古き者」が、彼女の肉を取って丸め、命を与えて人間を作った。すべての生き物は大地から生まれたのであり、われわれが見まわすと、あらゆる所に母の一部が見える(カナダ、オカナガン族)。

*二十世紀のSF小説も、神話と同様の発想で書かれることがある→〔地球〕7の『地球になった男』(小松左京)。

 

 

【母の霊】

★1.母の霊が息子を救う。

『感想』(小林秀雄)1  母が死んで二ヵ月ほどたった深夜。「私(小林秀雄)」は酔って水道橋のプラットフォームで寝込み、下の空き地へ墜落した。下は駅の材料置場で、コンクリートの塊りと、鉄材の堆積の間の、石炭殻や雑草に覆われた隙間にうまく落ちた。身体には、かすり傷一つなかった。母が助けてくれたことがはっきりした。後で聞いたが、前の週、向こう側のプラットフォームから墜落した人があり、その人は即死した。

★2.母の霊が娘を救う。

『岩屋の草子』(御伽草子)上巻  海中の大岩の上に捨てられた対の屋の姫君は、入水しようとする。その時、亡き母の「早まるな、しばし待て。常に私が守っている」との声が聞こえ、姫君は入水を思いとどまった。

★3.亡母が動物の姿で現れて、息子を救う。

『あいごの若』(説経)4段目  継母の讒言により(*→〔継子への恋〕1)、愛護の若は縄で縛られて、桜の古木に吊り下げられる。冥土の母が、息子を救うため、閻魔大王にしばしの暇(いとま)を請う。しかし娑婆(しゃば。現世)には、母の霊が宿るべき適当な死骸が見つからない。死後三日になる鼬(いたち)の体があったので、母の霊はそれに宿る。鼬は縄を食い切って、愛護の若を自由の身にする。

月と妻と妹(コーカサス、オセット族の神話)  牙のある少女が、母親と兄たち(七人の兄のうちの六人)を、食い殺した。遠くへ逃げて無事だった末弟が、様子を見に家へ帰ると、牙のある少女が「私のただ一人のお兄さん。食事の用意をするわ」と言って、ひそかに牙を研ぐ。亡母の霊魂が鼠となって現れ、息子(末弟)に「お前の妹は、お前を食おうと牙を研いでいる。逃げなさい」と教える。牙のある少女は怒って鼠を呑み込むが、鼠は少女のお尻から外へ跳び出す→〔呪的逃走〕1

★4.亡母が動物の姿で現れて、娘を救う。

『神道集』巻2−7「二所権現の事」  常在御前は継母によって、千本の剣を底に立てた穴に突き落とされる。しかし亡き母がもぐらと化して、剣を全部抜き捨てたため、常在御前の身は無事だった。

*亡母が亀となって娘を救う→〔亀〕2の『秋月物語』(御伽草子)など。

 

 

【母子婚】

★1.互いに母であり息子であることを知らずに、性関係を結ぶ。

『和泉式部』(御伽草子)  和泉式部は十三歳の時、橘保昌と契りを結んだ。彼女は十四歳の春に子を産み、守り刀とともに五条の橋に捨てる。子は成長して、道命阿闍梨という学僧になった。道命は十八歳の年、法華八講の場で美しい女房(実は母・和泉式部)を見て恋い慕い、一夜をともに過ごす。翌朝、道命の守り刀によって、二人が母子であったことがわかる。

『オイディプス王』(ソポクレス)  オイディプスはスフィンクスの謎を解いてテーバイの人々の難儀を救う〔*→〔謎〕2の『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第5章〕。その少し前、テーバイのライオス王が旅中に殺され、妃イオカステが未亡人となっていたので、オイディプスは請われて新王となり、イオカステと結婚する。しかし彼女は、オイディプスの実の母親だった。

『黄金伝説』45「使徒聖マッテヤ」  不吉な予言のもとに生まれたユダは葦かごに入れて捨てられ、イスカリオテ島の王妃に育てられる。ユダは成長後他国へ行き、果樹園主を殺してその妻と結婚する。果樹園主はユダの実の父、その妻はユダの実の母であった。

『グレゴーリウス』(ハルトマン)第3章  兄妹婚から生まれたグレゴーリウスは、漂泊の後、知らずして母の国に到り、そこの王となって母を妃とした。しかし彼の持つ象牙の板から(*→〔伯母(叔母)〕6)、二人が母子の関係であることがわかる。兄妹婚の上に母子婚を犯した母は、神の怒りを恐れ、グレゴーリウスは懺悔の生活に入るべく、母に別れを告げる。

『宝物集』(七巻本)巻5  幼少時に天台山(比叡山)に上り学問を修めた明達律師が、母に会おうと故郷下野へ下る。母もまた我が子を恋しく思い、下野を出て京へ向かう。二人はある旅宿に行き会って、母子とも知らず関係を持った。

*母子婚寸前に、二人が母子であることが判明する→〔傷あと〕3の『フィガロの結婚』(モーツァルト)。

★2.互いに母であり息子であることを知りつつ、性関係を結ぶ。

『好奇心』(マル)  十四歳の少年ローランは、猩紅熱治療のために保養地のホテルへ行き、ママが付き添う。ホテルでパーティが開かれた夜、ローランは、酔ったママにおやすみのキスをし、二人はそのまま抱き合って性交をする。ママは「二人だけの、一度だけの秘密よ。いつかきっと、美しい貴重な瞬間として思い出すわ」と言う。翌日、パパと兄二人が見舞いに来る。ママとローランは明るく彼らを迎える〔*当初、ローランが浴室で自殺を考えるシーンを撮影したが、編集段階でカットしたという〕。

『故郷へ錦』(落語)  父親を早くなくし、女手一つで育てられた息子がいた。成長して十七歳になった息子は、三十代半ばの母に恋をし、病気になってしまう。母はやむなく一度だけ息子の願いを叶えてやる。床入りの時、息子が金襴の裃を着ているので母が訳を問うと、息子は「故郷へは錦を飾れと言いますから」と答える。

『今昔物語集』巻4−23  天竺の大天は、父が商売のため海外へ行っている間に、妻とすべき美女を求めに出かけたが、得ることができなかった。家へ帰った大天は母を見、「母こそ最高の美女である」と思い、母と結婚した→〔母殺し〕1

*息子は母と知らず、母は息子と知りつつ、性関係を結ぶ→〔系図〕1の『エプタメロン』第3日第10話。

★3.母親との性関係を夢想する。

『ローマ皇帝伝』(スエトニウス)第6巻「ネロ」  ネロは母親アグリッピナとの同衾を欲したが、周囲の反対によって断念した。彼はその代わりに、アグリッピナそっくりの売春婦を、妾の一人として家に入れた。臥輿で母親と一緒に運ばれる時、いつもネロは母子相姦の夢想に耽っていた。その証拠に彼の着物が汚れていた、と断言する人もいる。

★4a.男が誰もいないので、女が自分の産んだ息子と交わる。

女護ヶ島の伝説  昔、大津波が八丈島を襲い、一人の妊婦だけが、舟の艪にすがりついて生き残った。妊婦は男児を産み、後にその男児と母子交合して、子孫を繁栄させた(東京都八丈島。八丈島は、かつては「女護が島」だったと言われる)。

*大洪水で母親と息子だけが生き残り、交わる→〔声〕10の『なぜ神々は人間をつくったか』(シッパー)。

*母が転生して、息子と結婚する→〔系図〕3の『日本霊異記』中−41。

★4b.男が誰もいないので、女が自分の産んだ息子と交わり、さらに孫とも交わる。

『火の鳥』(手塚治虫)「望郷編」  ロミは丈二と結婚して無人星に移住するが、事故で丈二は死に、ロミは男児を産み落としてカインと名づける。ロミは二十年間冷凍睡眠し、成長した息子カインと交わって七人の男児(息子の子だから、孫でもある)を産む。しかし女児が一人も生まれなかったので、ロミは再び冷凍睡眠に入り、七人兄弟の長男ロトの成長を待って夫婦になる。それでも女児は生まれず、結局、七人の末子セブが、宇宙生物ムーピーとの間に女児をもうける。

*転生した人物を介して、孫にあたる男と、祖母にあたる女が、夫婦関係を結ぶ→〔系図〕4の『浜松中納言物語』巻1。

★5.神々の母子婚。

『神統記』(ヘシオドス)  原初の時、まずカオスが生じ、ついで胸幅広いガイア(大地)が生じた。ガイアは彼女自身と同じ大きさのウラノス(天)を産み、母ガイアは息子ウラノスに添い寝して、オケアノス(大洋)、クロノスなど様々な神々を産んだ。

★6.青年が、母親同然の年配の中年女と性交する。

『母』(太宰治)  旅館に泊まった「私」は(*→〔娼婦〕11)、夜中の三時過ぎに眼がさめた。隣室から、中年の女中と若い帰還兵の声が、ひそひそ漏れて来る。「お父さん、お母さん、待っているでしょうね」「お父さんは死にました。お母さんだけです」「お母さんは、いくつ?」「三十八です」。女は息を呑んで、黙ってしまった。しばらくして「あしたは、まっすぐに家へお帰りなさいね」と言った。若い男は「ええ、そのつもりです」と答えた。

 

 

【母殺し】

★1.子供が母を殺す。

『エレクトラ』(エウリピデス)  姉エレクトラと弟オレステスは、アガメムノン王と妃クリュタイメストラの間の子だった。クリュタイメストラが情人アイギストスと共謀してアガメムノン王を殺し(*→〔夫殺し〕1の『アガメムノン』)、エレクトラは農夫に嫁がせられ、オレステスは他国へ難を逃れた。やがて成人したオレステスは帰郷し、父の仇であるアイギストスとクリュタイメストラを討った。クリュタイメストラを殺す時には、姉弟は刀に手を重ねて、母の喉深く刺し通した。

『今昔物語集』巻4−23  天竺の大天は母と結婚し、父の咎めを恐れてこれを殺した。その後、大天は満足して暮らしたが、ある時、母が隣家に出かけたのを、「他の男と密通しているのだろう」と大天は考え、母を殺した〔*物語はここまでで中断している。原典の『大毘婆沙論』では、大天はこの後、前非を悔いて仏門に入ったという〕→〔母子婚〕2

『サイコ』(ブロック)  ノーマン・ベイツが子供の頃、父が家出した。ノーマンは母一人・子一人で育ったが、二十歳の時に母が再婚したので、彼は、母と相手の男に毒入りコーヒーを飲ませて殺し、心中に見せかけた。しかしその罪の意識から、以後、ノーマンの心の中には「母親」が住みつくようになった。

『遠野物語』(柳田国男)11  母一人・息子一人の家へ嫁が来たが、嫁と姑の仲は悪かった。ある日の昼頃、息子が「ガガ(母)は生かしてはおかれぬ。今日はきっと殺すべし」と言って、草刈り鎌を研ぎ始めた。夕方、息子は鎌をふるって、囲炉裏端で泣く母を斬る。母の悲鳴を聞いて里人が駆けつけ、警官が息子を捕らえる。母は「私は恨みも抱かずに死ぬのだから、息子を許してたまわれ」と言い残す。息子は「狂人である」として放免された。

*母殺しの報い→〔飢え〕5の『沙石集』巻1−7。

★2.母殺しの未遂。

『日本霊異記』中−3  武蔵国の吉志の火麻呂が、筑紫の防人として赴任する。妻は武蔵国に留まって家を守り、母が火麻呂に付き添って筑紫へ行き、世話をする。火麻呂は「母が死ねば、喪に服して軍役を逃れ、故郷の妻のもとへ帰れるだろう」と考えて、母を山へ連れ出し殺そうとする→〔土〕5b

★3.母と知らずに殺す。

『絵本大功記』「尼ヶ崎」  武智光秀(=明智光秀)は尾田春長(=織田信長)を本能寺で討つが、光秀の母さつきは、臣下の身で主君を殺すという息子の行為を許さない。真柴久吉(=羽柴秀吉)が旅僧姿で訪れ、湯殿に入ったところを、光秀は竹槍で突く。しかしそこにいたのは母さつきで、さつきは自ら久吉の身代わりとなって命を捨て、「主殺しの逆賊に天罰が報いたのだ」と光秀に諫言する。

★4.母と知らずに殺そうとするが、未遂に終わる。

『変身物語』(オヴィディウス)巻2  カリストはユピテル(ゼウス)によって身ごもり、息子アルカスを産んだ。ユピテルの后ユノー(ヘラ)が怒り、カリストを熊に変えてしまう。息子アルカスは十五歳になる頃、森で母カリストの化身の熊と出くわし、槍で突き殺そうと身構える。ユピテルがこれを制止し、彼ら母子を天に上げて、星(大熊座と小熊座)にした。

 

 

【母さがし】

★1.母を捜し尋ね、再会する。

『クオーレ』(アミーチス)5月「母をたずねて三千里」  イタリアから遠く南米アルゼンチンへ、働きに出た母の消息が途絶えた。父と十八歳の長男は、生計を立てるため働かねばならない。そこで十三歳の次男マルコが、母を捜して単身アルゼンチンへ渡る。マルコは方々を尋ね歩き、病床にある母と二年ぶりに再会する。

『少将滋幹の母』(谷崎潤一郎)  滋幹が五歳の頃に、母は父国経大納言のもとを去った。左大臣藤原時平によって、連れ去られたのだった。それから数年のうちに国経も時平も没し、やがて母は出家した。滋幹は成人後も母を忘れることができず、いつまでも面影を恋い慕う。ある年の春の宵、滋幹は母の住む西坂本を訪ね、尼姿の母と四十年ぶりに再会した。

『母を恋ふる記』(谷崎潤一郎)  七〜八歳の潤一少年が、夜更けに田舎の一本道を歩く。百姓家の老婆を母かと思って慕い寄るが、「お前は私の子供ではない」と言って追い出される。道は浜辺に続き、月が海上に出る。若く美しい鳥追い女が、三味線を弾きつつ歩いて行く。潤一が呼びかけると、その女こそ捜し求める母だった。

*亡母を捜して冥界へ行く→〔冥界行〕5の『大目乾連冥間救母変文』(敦煌変文)など。

★2.母を捜し尋ね、最後の別れをする。

『芦屋道満大内鑑』4段目  白狐が、安倍保名の妻葛の葉に化身して、数年を過ごす。しかし本物の葛の葉が訪れたため、白狐は夫保名や五歳の童子(後の安倍晴明)と別れねばならない。障子に「恋しくはたづね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」の歌を書き残し、白狐は去って行く。保名と葛の葉は、童子を連れて信太の森を尋ね、白狐と対面して、最後の別れをする〔*別れの場面は、→〔目を抜く〕3の『蛇の玉』(昔話)を連想させるところがある〕。

★3.母を捜し尋ねてようやく再会したが、母は冷淡だった。

『続・男はつらいよ』(山田洋次)  車寅次郎は、三十八年前に彼を産んで捨てた母お菊(演ずるのはミヤコ蝶々)が、今は京都のホテルで働いているとの噂を聞き、会いに行く。ところがお菊はラブホテルの、欲深そうな女将になっており、「銭の話ならお断りや」と言う。寅次郎は、心に描いた母親像と現実のお菊との落差に愕然とし、お菊を罵ってホテルを飛び出る→〔言忌み〕1a

『瞼の母』(長谷川伸)  江州番場出身の忠太郎は、五歳の時生き別れになった母を尋ね、江戸柳橋の料理茶屋の女将をしている母を捜し当てる。しかし、母は博徒姿の忠太郎に「人違いだ」と言って、冷淡な態度をとる。

*黒人青年ジョニーは、日本人の母八杉恭子に会いに行き、殺された→〔再会(母子)〕3の『人間の証明』(森村誠一)。

 

 

【腹】

 *関連項目→〔魚の腹〕

★1.怪物・妖怪などの腹に呑みこまれる。

『赤ずきん』(グリム)KHM26  狼が、おばあさんと赤ずきんを呑みこんで満腹になり、眠る。狩人が狼の腹をはさみで切って、おばあさんと赤ずきんを救い出す。赤ずきんは、狼の腹に大きな石をいくつも詰めこむ。狼は死ぬ〔*『赤ずきんちゃん』(ペロー)では、おばあさんと赤ずきんが、ともに狼に喰われてしまって、それで終わりである〕。

『一寸法師』(日本の昔話)  一寸法師は鬼に呑まれるが、針の刀で鬼の腹を刺して、吐き出される。鬼が打手の小槌を残して逃げ去ったので、一寸法師は小槌を用いて人並みの身体になる(埼玉県入間郡。*御伽草子の『一寸法師』では、鬼の口に呑まれた一寸法師は、腹へ降りずに鬼の目から出てくる)。

*自ら大蛇の腹中に飛び込んで刀をふるう→〔蛇退治〕1の 丹波の始まりの伝説。

『閻魔の失敗』(日本の昔話)  神主と軽業師と医者が、地獄の閻魔さんの所へ呼ばれた(*→〔熱湯〕12〔針〕8)。閻魔さんはでっかい口を開けて、三人を呑み込んでしまう。三人は閻魔さんの腹の中であばれ、医者が持っていたはさみで閻魔さんの腹を切る。閻魔さんは痛いので、ころがって泣き出す。三人は閻魔さんの腹から飛び出し、一目散に地獄から逃げて行った(石川県小松市布橋町)。

『狼と七匹の子山羊』(グリム)KHM5  狼が七匹の子山羊を襲い、六匹を呑みこんで満腹になり、眠る。母山羊がはさみで狼の腹を切って六匹を救い出し、代わりに石ころを詰めこむ。狼は泉の水を飲もうとして、腹中の石の重みで泉に落ち、溺れ死ぬ。

『西遊記』百回本第59回  孫悟空がウンカに変身し、羅刹女が飲む茶にまぎれて、その腹中に入る。悟空は腹中で暴れて羅刹女を苦しめ、火焔山の火を消すための芭蕉扇を要求する。しかし悟空は偽物をつかまされ、あおげばあおぐほど、火勢が強くなるのだった。

『西遊記』百回本第66回  孫悟空が熟した瓜に化け、喉の渇いた魔王(黄眉童子)に、弥勒仏祖がその瓜を与える。黄眉童子が瓜にかぶりつくと悟空はその腹中に入り込んで暴れ、黄眉童子は苦しんで降参する→〔文字〕1b

『夏の医者』(落語)  夏の日、腹痛患者の家へ行く途中の医者が、うわばみに呑みこまれる。医者は、下剤である大黄をうわばみの腹の中にまき、うわばみは苦しんで医者を体外へ排泄する。腹痛患者は、夏の萵苣(ちしゃ)を食べ過ぎたのだったが、うわばみもまた「夏の医者は腹にさわる」と言う。

『封神演義』第40回  魔礼寿が背嚢から花狐貂を取り出して中空に投げると、有翼の巨獣と化して人々を呑みこむ。陽ゼンが、わざと花狐貂に呑まれ、その心臓を掴み出して花狐貂を殺す。次いで陽ゼンは花狐貂に化けて魔礼寿のもとに戻り、魔礼寿を倒す。

★2.腹の中あるいは体内に入って病者を治療する。

『パンタグリュエル物語』第二之書(ラブレー)第33章  巨人パンタグリュエルが病臥したので、その治療のため、シャベルをかついだ百姓や籠を持った人足たちが、大きな真鍮の球十七個に入り、パンタグリュエルの口から呑みこまれる。彼らはパンタグリュエルの腹中に降り、汚物の山を掘り起こして籠に入れ、体内を清掃して、再びパンタグリュエルの口から吐き出される。

『ミクロの決死圏』(フライシャー)  人体縮小技術を研究するベネス博士が、某国の手で暗殺されかけ、脳内血管を損傷した。男四人・女一人のチームが潜航艇に乗り、ミクロサイズに縮小されて博士の頸動脈から体内に入り、患部を治療する。チームの一人はスパイだったが潜航艇もろとも白血球に喰われ、残る四人は、博士の涙とともに目から体外に出る。

★3.大仏の腹の中へ入る。

『大仏餅』(落語)  奈良の大仏の片方の目が取れて、腹の中へ落ちてしまった。一人の男が、空洞になった片目の所から大仏の腹の中に入り、目玉を拾って、もとの穴にはめ込む。「穴をふさいでしまっては、外に出られない」と、皆が心配していると、男は大仏の鼻の穴から出て来た。利口な人は目から鼻へ抜ける〔*『大仏餅』の本題(→〔三題噺〕2)に入る前のマクラ〕。

★4.腹を切り裂き、体内に貴重な品を入れて守る。

『茶の本』(岡倉天心)第5章「芸術鑑賞」  細川侯は、雪村筆の達磨絵を秘蔵していた。警護の武士の不注意で屋敷が火事になった時、武士は達磨絵を守ろうと、刀で自らの腹を裂き、絵を布にくるんで体内に押し込んだ。火事が鎮まった後、武士の死骸の腹中に、焼失をまぬがれた達磨絵が見出された。

*『海士(あま)』(能)では、海女が乳房をかき切って、面向不背の玉を体内に押し入れる→〔けがれ〕2

*牟士那(むじな)の腹の中の勾玉→〔玉(珠)〕7の『日本書紀』巻6垂仁天皇87年。

★5.腹中の声。

『ケルトの神話』(井村君江)「悲しみのディアドラ」  コンホヴォル王に仕える語り部の長フェリミの妻は、臨月が近かった。ある夜、妻の腹の中で胎児が叫び声を上げ、その声は屋敷中に響き渡った。ドゥルイド僧カスヴァズが彼女の腹に手を当て、「生まれるのは女の子で、ディアドラ(災いと悲しみを招く者)という名がふさわしい」と予言する。ディアドラは美しく成長し、予言どおり、彼女をめぐる戦争で大勢が命を落とした。

*腹中の声が悪事を暴露する→〔生き肝〕5の『南総里見八犬伝』第9輯巻之3第97回。

『百物語』(杉浦日向子)其ノ60  生涯独身の大叔父が、「所帯を持たなかったのは、姉さんが可哀想だったからだ」と打ち明けた。大叔父が十一歳の夏、腹の中から声が聞こえ、「私は、生まれなかったお前の姉さんだ」と告げた。それからはずっと一緒だ。歌を唄い、語り合い、少しも飽くことがなかった。「ところが近頃、姉さんは弱ってきた。この一月(ひとつき)、一言もしゃべらない」と大叔父は言った。やがて大叔父は、腹の腫物に水がたまって死んだ。

*双子ABのうちAだけが生まれ、Bは生まれずにAの体内にいる→〔人面瘡(人面疽)〕2の『人面瘡』(横溝正史)、→〔双子〕5の『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「畸形嚢腫」。

*生まれなかった兄→〔道連れ〕1の『道連』(内田百閨j。

『和漢三才図会』巻第85・寓木類「雷丸」  ある人が言葉を発するごとに、腹中から小声でこれに応(こた)える者がいた。腹中の声は、漸々(だんだん)に大きくなる。道士が「これは応声虫である。本草書を音読し、腹中の虫が応えない薬物があったら、それを服用せよ」と教えたので、その人は本草書を読み進んだ。雷丸のところに到ると、腹中の虫は応えなかった。急いで雷丸を数粒飲むと、病は癒えた。

*応声虫には別伝もある→〔人面瘡(人面疽)〕3の応声虫(水木しげる『図説日本妖怪大鑑』)。

★6.腹中の蛇。

『かげろふ日記』中巻・天禄2年4月  夫兼家の訪れが途絶えがちになり、私(藤原道綱母)は身の不幸を嘆いて、「出家しようか」とも考える。長精進を始めて一ヵ月近くたった夜、私は、「腹中にある蛇が這い回って肝を食う。これを治療するには顔に水をそそぐと良い」との夢を見た。吉夢とも凶夢とも判断できなかった。

*蛇の夢を見る女→〔宝〕5の『蛇』(川端康成)。

『列仙伝』(劉向)「玄俗」  河間王が腹膜の病気になり、仙人玄俗から薬を買って飲むと、蛇十余匹が身体から出た。玄俗は「王の病気は六代以来のたたりです」と説明した。

 

※脇腹にある穴から光→〔穴〕9の『捜神後記』巻2−7(通巻18話)。

 

 

【針】

★1.針が蛇をしりぞける・退治する。

『古今著聞集』巻7「術道」第9・通巻295話  藤原道長に献上された瓜の一つに毒気がある、と陰陽師安倍晴明が占う。医師丹波忠明が瓜の二ヵ所に針を打ち、武士源義家が短刀で瓜を割る。中には小蛇がとぐろをまいており、針は蛇の左右の眼に立ち、短刀は蛇の頸を切っていた。

『古今著聞集』巻20「魚虫禽獣」第30・通巻694話  昼寝する女を、垂木(たるき)の上から大蛇が狙う。しかし女が着物に大きな針をさしていたため、大蛇は女に近づくことができなかった。その間、女は「美しい男に言い寄られる」との夢を見ていた〔*目覚めた女は「夢にもあらず、うつつにもあらで」と言うので、通常の夢とは異なっていたのだろう〕。

『蛇婿入り』(日本の昔話)「苧環型」  女が、毎夜通って来る男の正体を知ろうと、長い糸をつけた針を男の着物に刺す。翌朝見ると、糸は戸の節穴を抜けて外へ出ていた。女は、男が蛇であると察し、糸をたどって山の岩穴へ行く。奥から針を刺されて瀕死の蛇と、その母蛇との問答が聞こえる(福島県南会津郡桧枝岐村)→〔立ち聞き(盗み聞き)〕1

*瓢箪を沈めようとする蛇が、針に刺さって死ぬ→〔瓢箪〕6の『蛇婿入り』(日本の昔話)「水乞型」。

*針で鬼を苦しめる→〔腹〕1の『一寸法師』(日本の昔話)。

★2a.針と出産。

『うつほ物語』「俊蔭」  俊蔭女が仲忠を産んだ時、召使の老婆の見た夢は、「鷂(はしたか)が糸をつけた針をくわえて来て俊蔭女の前に落とし、行者が現れてその針を俊蔭女の着物の衽(おくみ)に縫いつける」というものだった。夢合わせする人に問うと、「それは、上達部の子を産み、その子によって幸福になる吉夢だ」と解釈した。この夢合せは適中した。

『ケルトの神話』(井村君江)「銀の腕のヌァザとブレス王」  ダーナ神族の王ヌァザ・アーガトラムは、水に縁のある神であり、病を治す力があった。病人は、神殿のヌァザ像の傍らで一晩眠れば病気が治り、子を望む女は、そばの泉に針を投げ入れて願えば子供が授かる、と信じられていた。

★2b.難産と針。

『聴耳草紙』(佐々木喜善)1番「聴耳草紙」  屋根の上で二羽の烏が鳴く。爺が聴耳草紙を耳に当てると、「長者の一人娘が、産み月になっても子が生まれぬので苦しんでいる」「それは、古暦と縫い針を煎じて飲ませれば、すぐ生まれる」と話し合っていることがわかる。爺の処方で長者の娘は男児を安産し、爺は莫大な礼をもらう。

★2c.針三本を金(かね)の鳥居に見立てて寄進し、難産が安産になった。

『金(かね)の鳥居』(日本の昔話)  妻が難産で苦しんでいる時、夫が「金の鳥居を寄進しますので、安産させてやって下さい」と神さんに祈り、妻に向かって「こうやって神さんをだましているうちに、早く産んでしまえ」と言う。まもなく妻は安産し、夫は針を三本持って、神さんへお礼参りに行った(岡山県真庭郡八束村花園)。

★3.僧の誕生と針。

『今昔物語集』巻12−34  性空聖人は生まれた時、左の掌を握りしめていた。父母が不思議に思ってその掌を開くと、一本の針を握っていた。性空聖人はこの針を長年大事に持っていたが、高齢になり死期を悟ったので、死の少し前に、懇意な僧に針を与えた。

『明惠上人伝記』  明惠上人の父は平重国である。重国は常に法輪寺に参詣し、子息誕生を祈っていた。ある夜の夢に童子が現れ、「汝に子を授けよう」と告げて、一本の針で重国の右耳を刺した。それからまもなくして、明惠上人が生まれた。

★4.針の入った飯。

お菊と小幡の殿様の伝説  妙義の中里の娘お菊が、小幡の殿様の侍女となり、寵愛される。他の侍女や奥方がお菊を憎み、殿様のご飯の中に針を入れる。お菊はそれを知らずに殿様にご飯を出したので、殿様は怒る。お菊は蛇・百足の入った樽に入れられ、池へ投げ込まれて死んだ(群馬県甘楽郡妙義町中里)。

★5.飲みこんだ針を体外へ出す。

とげ抜き地蔵の伝説  正徳五年(1715)のこと。毛利家の女中が、誤って針を飲みこんだ。高岩寺の地蔵尊の姿を写した護符を飲ませると、針は無事に体外へ出た(東京都豊島区巣鴨)。

*雀が草を食べて、針を体外へ出す→〔草〕2の雀の宮の伝説。

★6.針の呑みくらべ。

『潜確類書』巻21  唐の沙門千霊が、福建省の苦竹(くちく)山へ行った時、鬼穴に棲む鬼が入山を拒んだ。千霊は「鉄の針を呑んだ者が、この山に留まろう」と提案し、千霊と鬼は針を呑み合う。千霊は針を呑むことができたが、鬼は呑めなかった。負けた鬼は、山から逃げ去った。

★7a.身体に針を刺して、文字を刻む。

『流刑地にて』(カフカ)  流刑地では、囚人の処刑は以下のように行なわれる。機械につけられた多くの針が、その下に横たわる囚人の身体を刺して、判決文を刻み込む。長い針が文字を書き、短い針から水が出て血を洗い流す。囚人は判決を目で読むのではなく、身体の傷口で解読する。十二時間かけて判決文が刻まれ、最後に機械が囚人をグサッと刺し貫いて、穴の中へ放り込む。

★7b.身体に針を刺して、絵模様を彫る。

『刺青』(谷崎潤一郎)  江戸の刺青(ほりもの)師清吉は、光輝ある美女の肌に、己れの魂を彫り込みたいと願っていた。春の朝、十六〜七歳の理想的な美女が訪れたので、清吉は二階座敷の仕事場へ彼女を連れて行く。清吉は麻酔剤で美女を眠らせ、その背中に針を刺し、色を注ぎ込んで、一昼夜かけて巨大な女郎蜘蛛の形象(かたち)を彫り上げる。蜘蛛の八本の肢(あし)は、美女の身体を抱きしめているかのごとくであった。

★7c.針を刺される痛みに耐えて、仏法を得る。

『今昔物語集』巻5−10  昔、仏法を求める天竺の国王に、仙人が「九十日間、一日に五度、針で身体を突かれる痛みに耐えるならば、法文を教えよう」と言った。国王は「地獄で火に焼かれ刀で斬られる苦に比べれば、百千万億分の一にも及ばない」と考え、針の痛みを耐え忍ぶ。九十日の後、仙人は八字の法文「諸悪莫作、諸善奉行」を、国王に授けた。その時の国王は今の釈迦仏、仙人は今の提婆達多である〔*『三国伝記』巻1−4の類話では、一日に五十度、針を身体に刺す〕。

★8.針の山。

『閻魔の失敗』(日本の昔話)  神主と軽業師と医者が、地獄の閻魔さんの所へ呼ばれた。三人は、針の山へ連れて行かれる。軽業師が神主と医者に、「わしの左右の肩に乗らっせ」と言う。軽業師は、足の親指と次の指との間に小石を一つはさんで、ひょいひょいと針の上を飛んで歩いた(石川県小松市布橋町)→〔熱湯〕12〔腹〕1

★9.針の穴。

『宝物集』(七巻本)巻6  人間界に生を受けるのは、きわめて有り難き(=稀な、あるいは困難な)ことである。仏が、たとえを用いて仰せられたことには、それは、大海の底に針を一つ置き、梵天から糸を降ろして針の穴を貫くようなものである。

『マタイによる福音書』第19章  イエスは弟子たちに言った。「金持ちが天の国に入るのは難しい。それよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」〔『マルコ』第10章・『ルカ』第18章に同記事〕。

*→〔象〕6aの「大象が狭い窓から出る」(『沙石集』巻10本−10)や、→〔冥界の穴〕3の「柱の穴をくぐり抜けると極楽往生できる」(『東海道中膝栗毛』6編下「京」)などと類似する発想である。

*金持ちが天国へ行くと、大歓迎される→〔天国〕1の『天国へ行った水のみ百姓』(グリム)KHM167。

 

※針で自らの両眼を突き刺す→〔盲目になる〕2の『オイディプス王』(ソポクレス)・『春琴抄』(谷崎潤一郎)。

※針で眼を突いて見せるが、それは義眼だった→〔入れ目〕3の『針』(遠藤周作)。

※千人針も、「針は魔よけになる」という考え方からできたものであろう→〔千〕11の千人針(松谷みよ子『現代民話考』6「銃後ほか」第2章の2)。

 

 

【鍼(はり)】

★1.人を生かす鍼。病気を治す鍼。

『史記』「扁鵲列伝」第45  ある国の太子が病死した直後、名医扁鵲(へんじゃく)が、その国に立ち寄った。太子が死去してまだ半日もたっていない、と聞いた扁鵲は、鍼(はり)を打って太子を蘇生させた。扁鵲は「私は死人を生き返らせることはできない。太子は当然生きているはずの者であり、私はただ、起き上がらせただけだ」と言った。

『日本書紀』巻24皇極天皇4年4月  鞍作得志(くらつくりのとくし)は虎を友として術を学んだ。虎は針を授けて、「これを用いれば治らぬ病気はない」と言ったが、そのとおり、針で治らぬ病気はなかった。鞍作得志は常に針を柱の中に隠していた。後に虎が柱を割り、針を取って逃げた。

『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「座頭医師」  盲目のハリ師琵琶丸は、多くの人の病気を、ハリ一本打つだけで治し、治療費を受け取らなかった。しかし、針恐怖症の少女が痙攣の発作を起こしてしまい、ブラック・ジャックが鎮静剤を飲ませて症状を抑えた。琵琶丸は「お前さんに借りができたね」と言い、ブラックジャックの足にハリを打つ。「お前さんは腸が弱そうだ。何度か切っているだろう。もう一生、腸は大丈夫だよ」と言って、琵琶丸は去って行った。

★2.人を殺す鍼。

『禁断の死針(しにばり)(野村胡堂)  盲目の若い按摩・佐(さ)の市が、五十歳ほどの浪人に呼ばれて揉み療治をする。浪人の身体の刀傷を手さぐりした佐の市が、その由来を問うと、浪人は「二十年前、磯見要(いそみかなめ)という侍を斬り殺した時に、受けた傷だ」と答える。偶然にも佐の市は、磯見要の息子だった。佐の市は「お肩が凝っております。鍼を一本打っておきましょう」と言い、浪人の首筋に「頂門の死針」を打ち込んで、父の敵(かたき)を取った。

『不知火検校』(森一生)  旅人が癪(しゃく)を起こして苦しんでいるところへ、盲目の按摩・杉の市(演ずるのは勝新太郎)が通りかかる。杉の市は「鍼を打てば楽になる」と言い、旅人の首筋に鍼を打ち込んで殺す。杉の市は、旅人の持っていた二百両を奪って立ち去る〔*杉の市は数々の悪事をはたらき、師匠の不知火検校をも殺して二代目を名乗るが、最後には捕らえられる〕。 

 

 

【パン】

★1a.十二人の使徒にパンを与える。 

『マタイによる福音書』第26章  最後の晩餐の席で、イエスは賛美の祈りを唱えてパンを裂き、十二人の使徒に与えながら言った。「取って食べなさい。これはわたしの身体である」。また、杯を与えて言った。「この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血である」〔*『マルコ』第14章にほぼ同文の記事。『ルカ』第22章・『コリントの信徒への手紙』1・第11章に小異ある記事〕。

★1b.一人の裏切り者にパンを与える。 

『ヨハネによる福音書』第13章  最後の晩餐の席で、イエスは十二人の使徒に向かって、「あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」と言った。「わたしがパン切れを浸して与えるのが、その人だ」。イエスはパン切れを浸して、イスカリオテのユダに与える。ユダがそれを受け取ると、サタンが彼の中に入った。ユダはすぐ出て行った。夜であった。

★2a.パンを盗む。 

『レ・ミゼラブル』(ユーゴー)第1部第2編  ジャン・ヴァルジャンは、寡婦になった姉とその子供七人を養っていた。一七九五年の冬、ジャンは仕事を得られず、一家には一片のパンすらなかった。日曜日の晩、彼はパン屋の格子とガラスを叩き破り、パンを盗もうとして捕らえられる。ジャンは小銃で密猟をしていたことも問題にされ、五年の懲役刑を受けた。彼は繰り返し脱獄を試みては失敗し、そのたびに刑期は延びて、合計十九年、獄中にいた。

★2b.パンを踏む。 

『パンをふんだ娘』(アンデルセン)  高慢な娘インゲルは、沼地の中の細道を通る時、新しい靴をぬらさないように、パンを泥の中に投げ入れ、その上を踏んで渡ろうとする。するとパンはインゲルとともに沈み、インゲルは沼の底へ、さらに地獄へと落ちて行った。

*餅を食べずに、その上を踏んで歩く→〔餅〕1bの餅が白鳥に化した伝説。

★3.パンを凶器として用いる。 

『礼遇の資格』(松本清張)  国際協力銀行副総裁の原島栄四郎は五十七歳の時、バーのマダム敬子と結婚した。敬子は、原島より三十一歳年下の二十六歳だった。何年か後、敬子は米人青年ハリソンを愛人とした。原島は、敬子の好物であるフランスパンの硬いバゲットで、ハリソンを殴打して殺す。原島は凶器のフランスパンを蒸し器でふかし、やわらかくして、何も知らぬ敬子に食べさせた→〔未亡人〕8

*松本清張は、餅を凶器として用いる小説も書いている→〔食物〕2aの『凶器』。

★4.パンを、消しゴム代わりにする。

『善女のパン』(O・ヘンリー)  眼鏡の中年男がミス・マーサのパン屋に来て、いつも安い古パンを買って行く。マーサは男を気の毒に思い、ある日、古パンにたっぷりバターを塗りこんで、男に渡す。男は、食べるために古パンを買うのではなかった。彼は建築の製図家で、鉛筆の下書きを古パンのかけらで消していたのだ。マーサがバターを塗ったばかりに、完成目前の設計図は、いっぺんにだめになってしまった。

★5.大勢にパンを与えても、食べきれずに残る。

『マタイによる福音書』第14章  大勢の群集がイエスに付き従い、夕暮れ時になった。イエスの手元には、五つのパンと二匹の魚しかなかったが、彼は天に祈り、パンを裂いて弟子たちに渡した。弟子たちはそのパンを群集に与え、すべての人が食べて満腹した。残ったパンくずを集めると、十二の籠にいっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

『列王記』下・第4章  一人の男が、初物のパン・大麦パン二十個と、新しい穀物を袋に入れて、神の人エリシャのもとに持って来た。エリシャは召使いに「人々に与えて食べさせなさい」と命じ、召使いがそれを百人の人々に配ったところ、彼らは食べきれずに残した。

★6.パンと石。

『ドイツ伝説集』(グリム)241「石になったパン」  ほどこしを請われた修道女がそれを拒否し、「たとえ私がパンを持っていても、そんなものは石になればいい」と言う。たちまち修道女のパンは石になる。ほどこしを請われた修道士が、胸に隠したパンを「これはただの石だ」と言う。修道士がパンを食べようとすると、石になっていた。これらの石は、教会に保存されている。

『マタイによる福音書』第4章  イエスは荒野で四十日四十夜断食し、空腹を覚えた。悪魔が来て「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と言った。イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と答えた〔*『ルカ』第4章に類話〕。

*多数の凡庸な人間にはパンが必要→〔接吻〕3の『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)第2部第5編。 

★7.パンの古びかたで、日数の経過を示す。

『ギルガメシュ叙事詩』  ギルガメシュが眠り込んだのを見て(*→〔眠る男〕2)、ウトナピシュティムは妻に毎日パンを作らせ、ギルガメシュの枕元に置いた。六日経って、最初のパンはくさり、第二のパンは悪くなり、第三は湿り、第四は皮が白くなり、第五は色が変わり、第六は焼きたてだった。ウトナピシュティムがギルガメシュを起こすと、ギルガメシュは「眠ったと思ったら、あなたが私を起こした」と言う。ウトナピシュティムは枕元のパンを示し、六日が経過したことを教える。

 

 

【半牛半人】

★1.牛面人身。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第1章  ミノス王が、ポセイドンに捧げるべき牡牛を自分のものにした。ポセイドンは憤り、ミノス王妃パシパエに、牡牛への恋情を起こさせる。パシパエは牡牛と交わり、牛頭人身の怪物ミノタウロスを産んだ。

『くだんのはは』(小松左京)  「僕」は中学三年生の時、太平洋戦争終結の日に、ある屋敷に隠されている、牛の顔をした十三〜四歳の娘をかいま見た。それは「くだん(件)」だった。「くだん」は牛面人身の怪物で、歴史上の大凶事が始まる前兆として生まれ、凶事が終わると死ぬ。そしてその間、異変についての一切を予言するという。それから二十二年。先日生まれた「僕」の長女に角があった。これも大異変の前兆なのだろうか?

『史記』「三皇本紀」  炎帝神農氏は、身体は人間だが頭は牛だった。火の徳があって王になったので、「炎帝」という。彼は鋤を作り、人々に農耕を教えた。それゆえ、号を「神農氏」という。

★2.人面牛身。

『件(くだん)(内田百閨j  「私」は「件(くだん)」として生まれた。「件」は顔が人間、身体が牛の化け物で、未来の吉凶を予言して生後三日で死ぬという。しかし「私」は何も予言できぬまま、一日、二日と経過する。集まった人々は「これはよほど重大な予言をするのだろう」と言い、ついには予言を聞くのが恐くなって、皆逃げ去る。「私」は、「予言をしなければ死なないのかもしれぬ」と思う。

*火事を予言する「くだん」→〔火事〕8aの「くだん」(水木しげる『図説日本妖怪大全』)。

★3.腰から上は牛、下は人。

『日本霊異記』下−26  生前の貪欲ゆえ冥府に召された田中真人広虫女は、死後七日目に蘇生した。腰から上は牛になっており、額に角が生え、両手は牛の足で、下半身は人間だった。彼女は草を食って反芻し、裸で糞土に坐し、五日を経て死んだ。

 

 

【半犬半人】

★1.犬頭人身。

『南総里見八犬伝』第2輯巻之1第12回  伏姫と八房が富山にこもって、数ヵ月を経たある春の日。伏姫が、たまり水に映る自分の姿を見ると、身体は人で頭は犬となっていた。驚いて見直すと人の姿に戻ったので、心の迷いであろうと伏姫は思った。しかしその頃から、伏姫には懐妊の兆候が現れた。

*犬と人間の交わりの結果、犬頭人身の子供が大勢誕生する→〔犬婿〕4bの『高丘親王航海記』(澁澤龍彦)「蜜人」。

*姑を虐待した嫁が、犬頭人身の体になる→〔虫〕8aの『今昔物語集』巻9−42。

★2.人面犬身。

人面犬(水木しげる『図説日本妖怪大鑑』)  文化七年(1810)六月八日、江戸、田所町の紺屋の裏で、牝犬が子犬三匹を産んだ。その中の一匹が、人間そっくりの顔をした人面犬だった。興行師がその人面犬を東両国で見世物に出したところ、毎日、押すな押すなの大盛況となった。人面犬はほどなくして死んだが、その後も三〜四日は、線香を焚きながら興行していたという。

人面犬(日本の現代伝説『ピアスの白い糸』)  ある女性が犬に襲われて重傷を負い、数日後に死んだ。その数週間後から、死んだ女性の顔をした犬が、近所でたびたび目撃されるようになった〔*人面犬の話は、この他にも種々の形が流布している。人面犬が話題になった一九八〇〜九〇年代以前にも、『小平市の武蔵野美術大学に近い玉川上水あたりに、太宰治の顔をした犬が出没する』などという話があったという〕。 

 

 

【反魂】

★1.死者の魂を現世に呼び戻す。

『ガリヴァー旅行記』(スウィフト)第3篇第7〜8章  「私(ガリヴァー)」は、飛ぶ島ラピュータからイギリスへ帰る途中、魔法使いの島を訪れた。島の族長が、歴史上の人物の亡霊を呼び出して、「私」と対面させた。「私」は、アレクサンダー大王、ハンニバル、ホメロス、アリストテレスなどをはじめとして、古代から近代までのおびただしい数の亡霊と語り合った。

『漢書』「外戚伝」第67上  孝武帝は、寵愛した李夫人の病死後も、彼女を思慕してやまない。方士少翁が「李夫人の魂を招く」と称し、夜、燈燭を連ね帷帳をめぐらして、中に李夫人の美しい姿、また、坐すさま歩むさまを現出する。帝は別の帳の中からそれを望見するが、近づいて見ることはできないのだった。

『南総里見八犬伝』第9輯巻之5第100回  蟇田素藤は八百比丘尼妙椿に反魂の法を行わせ、亡き側室の朝貌・夕顔と対面しようとした。しかし妙椿が煙の中に映し出したのは、里見義成の娘浜路姫の姿だった。

*国司が反魂香を入れた箱を開けると、赫野(かくや)姫の姿がほのかに見えた→〔箱を開ける男〕5の『神道集』巻8−47「冨士浅間大菩薩の事」。

★2a.魂を呼び戻す反魂香と間違えて、反魂丹(解毒剤の一種)を焚き、煙だらけになる。

『反魂香』(落語)  長屋の浪人島田重三郎が反魂香を焚いて、三浦屋の高尾太夫の霊と語り合う。隣の男が「亡妻に逢いたい」と思い、真似をするが、間違えて越中富山の反魂丹を焚き、煙だらけになる。

★2b.亡妻の魂が反魂丹に感応した、と思い込む。

『坐笑産(ざしょうみやげ)「反魂香」  「亡妻に逢いたい」と願う男が、薬種屋で反魂香と間違えて反魂丹を百文買い、墓前で焚く。すると墓石が、ずしずしずしと動く。男は「効験があった」と喜び、「もう百文買おう」と、銭を取りに家へ帰る。老母が男を見て「おぬし、今の地震にどこで遭った?」。

 

 

【半死半生】

★1.半死半生の人。 

『半人前』(星新一『妄想銀行』)  半人前の死神がエヌ氏の命を危険にさらすものの、力不足でどうしても死なせることができない。実力のある死神と交替しない限り不死だ、と知ったエヌ氏は、半人前の死神に「ずっとそばにいてくれ」と頼む。以来エヌ氏は、たえず怪我や病気に苦しみつつ、死なないことを喜ぶが、時々わけのわからない気分になる。

★2.半死半生の動物・植物。

『聴耳頭巾』(日本の昔話)  村の長者が五〜六年前に土蔵を建てた時、屋根板に蛇が釘で打ちつけられ、半死半生のままでいる。そのため村の長者の娘が長患いをする。また、町の長者が五〜六年前に離れ座敷を作った時、庭の楠木を伐り倒し、その切り株が雨だれに打たれて死にきれずにいる。そのため町の長者の旦那が大病になる(岩手県上閉伊郡土淵村)→〔鳥の教え〕8

『古今著聞集』巻20「魚虫禽獣」第30・通巻695話  六十余年以前に建立された薬師堂の屋根を葺き替えた時、大きな蛇が釘に打ちつけられたまま、生きているのが発見された。蛇の下の裏板は、油でみがいたように光っていた。

『西鶴諸国ばなし』(井原西鶴)巻1−2「見せぬ所は女大工」  京の御屋敷の奥方が、背骨に大釘を打ちこまれる夢を見、目覚めると畳に血が流れていた。屋敷内を調べると、比叡山の札板に、守宮(やもり)が釘で打ちつけられ、まだ生きて動いていた。それを焼却して後、災いはなかった。

*狭い所へ押し込められて半死半生の虱→〔虱〕3の『古今著聞集』巻20「魚虫禽獣」第30・通巻696話など。 

★3.健康な人 ―― 半身不随の人 ―― 死んだ人。

『呂氏春秋』巻25「似順論・別類」  魯の国の公孫綽という者が、「私は死人を生き返らせることができる」と豪語した。「どのようにして?」と問われて、彼は「私は以前から、偏枯(半身不随の人)を治してきた。偏枯を治す薬を倍量与えれば、死んだ人も生き返るはずだ」と答えた。

 

※たたりのため、いつまでも半死半生で苦しみ続ける→〔堕胎〕3の『蕨野行』(村田喜代子)。 

 

 

【半身】

★1.大砲に吹き飛ばされて、身体が左半身と右半身に分かれる。

『まっぷたつの子爵』(カルヴィーノ)  メダルド子爵は戦場で大砲に吹き飛ばされて、身体が左右に引き裂かれ、悪半身と善半身に分かれる。悪半身の悪行と善半身の善意は、ともに人々を苦しめる。悪半身と善半身は、羊飼いの娘パメーラと結婚しようとし、決闘をして相討ちで倒れる。両半身は包帯で一つにまかれ、メダルドは善悪の入り混じった、もとの身体にもどる。

*双子の一方が善良、他方が邪悪→〔双子〕3aの陸地と動植物などの起源譚(北アメリカ・ヒューロン族の神話)。

★2.股裂きの刑を受けて、身体が左半身と右半身に分かれる。

『腰抜け二挺拳銃』(マクロード)  気弱な歯医者ピーター(演ずるのはボブ・ホープ)と恋人カラミティ・ジェーン(ジェーン・ラッセル)が、インディアンに捕らわれる。インディアンたちは二本の木を曲げ、ピーターの右足を一方に、左足を他方に縛りつけて、股裂きの刑を行なおうとする。ジェーンもその後に火あぶりにされる運命である。ピーターはジェーンに言う。「天国へ行ったら二人の夫が待ってるぞ。二人とも僕だ」〔*木に縛られた靴がぬげ、ピーターは空中に飛ばされて命拾いする〕。

★3.刀で斬られて、身体が上半身と下半身に分かれる。

『胴斬り』(落語)  男が夜道で侍の試し斬りに遭い、上下に真っ二つにされる。幸い命に別状なかったので、上半身は風呂屋の番台にすわり、下半身は麩を踏む職人となって働く。上半身は下半身に「脚に灸をすえてくれ」と頼む。下半身は上半身に「水や茶をあまりガブガブ飲むな」と言う〔*下半身が上半身に「女湯の方ばかり見るな」と言うオチもある〕。

★4.前生の悪事の報いで、身体の半分を切り取られる。

『酉陽雑俎』巻15−581  景乙の病妻が、「わたしの身体の半分が切り取られ、東の農園へ行ってしまいました」と訴える。乙は驚いて農園へ行くと、怪しい物が竹の器をさげており、その中に妻の半身があった。乙は驚愕して倒れたが、怪しい物は逃げ、妻の半身も消え失せたので、乙は家へ引き返す。妻の身体には、眉間から胸にかけて赤い傷跡があり、次のように語った。「わたしは前生、人の後妻になり、子に乳をやるのを惜しんで死なせました。そのため告発され、冥界の裁きで、身体の半分を切断して戻されたのです。あなたがいなければ、わたしは死んでいました」。

★5.丸い子供を二つに切り分ける。

『南島の神話』(後藤明)第1章「南島の創世神話」  原初女神が夫なしに男女の双生児二組を産み、彼らは二組の夫婦となった。末子の男児と姉との間には、手も足もなく丸い子供が生まれた。姉は我が子を小刀で真っ二つに切って、一半を川の源(=山)へ、他の半分を河口(=海)へ投げた。この二つの半身が、この世の最初の人間、山の民と海の民になった(ニアス島〔=スマトラ島の西にある島〕)。

*ゼウスが球状人間を、縦に真二つに切り分ける→〔人間を造る〕3の『饗宴』(プラトン)。

★6.半身の人の国。

『和漢三才図会』巻第14・外夷人物「一臂」  明代の百科全書『三才図会』によれば、一臂国は、西海の北にある。その国の人は、一目・一孔・一手・一足の半体で、二人が一組となり、肩を並べてはじめて歩くことができるのだという。

★7.半身の仏画。

『今昔物語集』巻4−16  二人の女がそれぞれ、同じ仏師に仏の絵像を注文する。二人の女は貧しく、画料が少なかったので、仏師は丈六の仏の絵像を一幅だけ描いた。二人の女は、「この絵像は自分のものだ」と言って争う。すると、絵像は腰から上が二つに分離して、半身の仏画になった。

 

 

【ハンセン病】

 *関連項目→〔病気〕

★1.隔離されるハンセン病患者。

『いのちの初夜』(北條民雄)  昭和初期、二十三歳の尾田高雄は癩病と診断され、初夏の午後、一人で病院まで行き入院した。その夜、彼は外へ出て縊死しようとするが死にきれず、病室へ戻る。同病者の佐柄木が、重症患者たちの姿を尾田に示して「あの人たちは、もう人間じゃない。生命だけがびくびくと生きているのです。あなたも癩者に成りきって、さらに進む道を発見して下さい」と言う。二人が話し合ううちに、入院第一日の夜は明けて行く。

『蒼白の兵士』(ドイル)  南アフリカの戦地からイギリスへ帰った青年ゴドフリイに、癩病の症状が表れた。癩病者は癩病院に隔離され、一生そこから出られないので、父親のエムズウォース大佐は息子の病気を隠し、広い屋敷の離れにひそかにゴドフリイを住まわせる。世間に対しては、「ゴドフリイは世界一周の旅に出て、当分不在」と説明した。友人ジェイムズがこれを疑い、ホームズに調査を依頼する。ホームズはジェイムズから話を聞き、大佐邸を訪れて、真相をおおよそ察知する→〔病気〕5 

『ベン・ハー』(ワイラー)  ユダヤの名家の青年ベン・ハー(演ずるのはチャールトン・ヘストン)は無実の罪におとされ、母と妹は地下牢に幽閉された。地下牢で四年余り過ごすうちに母と妹は癩病に侵され、癩者の谷へ追いやられる。ベン・ハーは二人を探し、谷から連れ出す。折しも、イエス=キリストが十字架を背負って刑場に向かうところであり、彼らはその姿を見送った。キリストは十字架上で息絶え、雷が轟き嵐が起こる。その時母と妹は、互いの身体から病いが消えたことを知る。

★2.ハンセン病の王。

『癩王のテラス』(三島由紀夫)  十二世紀末のカンボジア。若き王ジャヤ・ヴァルマン七世は、宮殿のテラスの南に、大寺院を建立することを命ずる。その夜、王の腕に癩の兆候である赤痣があらわれた。寺院が出来上がるにつれ、王の病気は進行する。三年後、寺院が完成した時、すでに王は盲目で、死を目前にしていた。寺院の頂に若々しい王の肉体が出現し、瀕死の王に「癩を病むお前は『精神』だ。『肉体』は不死だ」と宣告する。

★3.ハンセン病者の戸籍から抜け出る。

『砂の器』(松本清張)  昭和六年(1931)生まれの本浦秀夫は、昭和二十年の空襲で役所の戸籍原簿が焼失したことを利用し、「和賀英良」と名乗って戸籍を創作した。本浦秀夫の父は癩病であり、才能豊かな秀夫は将来のために、癩病者の戸籍から抜け出る必要があった。やがて和賀英良(=本浦秀夫)は、作曲家として脚光を浴びる。しかし彼の過去を知る元巡査三木謙一が訪ねて来たので、和賀英良は三木謙一を殺した。

★4.レプラ(ハンセン病)を恐れる者はレプラになる。

『ゲスタ・ロマノルム』132  三人の医者が、腕の良い若い医者をねたんだ。三人は「あいつをやっつけよう」と話し合い、若い医者が通る道に待ち構えて、次々に十字を切る。十字を切ったわけを若い医者が聞くと、三人は「お前はレプラだ」と言う。古代ギリシアの名医ヒポクラテスが、「レプラを恐れる者はレプラになる」と述べたように、若い医者は恐怖のあまり、本当にレプラになってしまった。

*三人から「お前は病気だ」と言われる→〔三人目〕3の『デカメロン』第9日第3話など。

*危難を心配するのは危難の前兆→〔運命〕4の『徒然草』第146段。

★5.ハンセン病の起源。

『聴耳草紙』(佐々木喜善)35番「癩病」  飛騨の工匠(たくみ)が一日に七つの観音堂を作った時、ドンコロ(木の切れ端)や切り屑たちに魂を吹き込み、人間の姿にして働かせた。七堂完成後、ドンコロたちの「このまま人間にしておいて下さい」との嘆願を、飛騨の工匠は聞き入れ、次のように言った。「お前たちは、もともと木だから、人間の姿をしていても、いつかは腐る。それはドス(癩病)といって、他人からうつるものではない。自分から出て自分で腐るのだ」。この時から癩病ができ、癩病になる家筋もできた。

*昔、癩病は遺伝病と考えられていた→〔恋わずらい〕4の『対髑髏』(幸田露伴)。

★6.『法華経』が癩病を治す。

『今昔物語集』巻7−25  唐の時代。僧徹という僧が山中で、穴居する一人の癩病者に出会った。僧徹は病者を寺へ連れ帰り、衣食を与え、『法華経』を教えて読誦させる。全巻の半ばほどまで習い終えた時、病者の夢に人(仏菩薩の化身か?)が現れ、残りの後半部を教える。病者が夢から覚めると、病は全快していた。その後この者は、他の病人たちを治療・救済する人となった。

*血を用いて癩病を治す→〔子殺し〕3の『摂州合邦辻』「合邦内」、→〔血の力〕2の『アーサー王の死』(マロリー)第17巻第10〜12章。

 

※癩病になった画家→〔画家〕1の『月と六ペンス』(モーム)。

※呪われて癩病になる→〔呪い〕3の『しんとく丸』(説経)。

※仏罰を受けて癩病になる→〔神仏援助〕4cの『譚海』(津村淙庵)巻の5(弁才天)。

※癩病者の膿を吸う→〔九百九十九〕4の『元亨釈書』巻18。

※癩病者のふりをする→〔顔〕2の『史記』「刺客列伝」第26(予譲)。  

 

 

【犯人さがし】

★1a.誰もいないと油断して、犯人が犯行をしゃべってしまう。

『本朝桜陰比事』巻1−4「太鞁の中はしらぬが因果」  百両が紛失し、容疑者が十人いた。お上が彼らに、「各自の女房(または姉妹など)とともに、一日一組ずつ、大きな唐太鞁に棒を通したものを担いで、遠方の松原を回って来い」と命ずる。八日目に担いだ夫婦が、「かかる迷惑、何の因果か」「少々の難儀。百両のため」と話し合う。唐太鞁の中には小坊主が隠れており、夫婦の会話を聞いてお上に報告する。

★1b.犯人の不安な心理。

『大岡政談』「大岡殿頓智の事」  長屋住まいの独身男が五十両を貯め、漬物桶の糠味噌の中へしまっておいたが、盗まれてしまった。大岡越前守が、長屋の住人を白洲へ集め、「糠味噌に触れた手のにおいは、なかなか消えぬ。今から一人一人の手を嗅ぎに行く」と告げる。一人の男が手をそっと鼻へあてたので、越前守は「その者が盗人だ」と言う。

★2.「犯人だ」と指摘されないようにしたつもりが、かえって犯人であることを明らかにしてしまった。

『夢渓筆談』「霊鐘」  囚人たちの中の一人が盗みをした。賢者の知事が、「帷(とばり)の中に霊験あらたかな鐘がある。これを一人ずつなでよ。盗人がなでれば鐘が鳴る」と言い聞かせ、ひそかに鐘に墨を塗っておく。帷から出て来た囚人たちの手にはみな墨がついていたが、一人だけ手が白かった。この男が盗みの犯人で、鐘が鳴るのを恐れて手を触れなかったのである。

『聊斎志異』巻10−401「臙脂」  賢者・施愚山公が、殺人の容疑者数人に手を洗わせ、土地神の祠へ追い入れる。公は容疑者たちに、「殺人犯の背中には、神様が印をつけるから、すぐわかる」と言う。殺人犯の男は、印をつけられないように、祠の中では背中を壁にぴったりつけ、出て来る時には背中を手でおおった。手を洗う水には煤煙(すす)が混ぜてあり、祠の壁には灰が塗ってあったので、犯人の背中には煤煙と灰がついた。

★3.犯人を一人に絞り込めず、逆に、末広がりに広がって行く。

『包囲』(星新一『ボッコちゃん』)  男が「私」を駅のホームから突き落とそうとした。「二人の人物から、あなたを殺すよう頼まれた」と男は言う。「私」は二人の人物の名前と住所を手帳に書き、そのうちの一人に会いに行く。その人物もまた「二人から、あなたを殺すよう頼まれた」と答える。「私」は、その二人の名前と住所を手帳に書き、会いに行く。やがて「私」は手帳を一冊書きつぶしたが、誰が「私」を殺したがっているのか、まだ捜し出せない。

★4.殺人の実行犯と被害者の接点を作らず、誰が犯人か、つきとめられないようにする。

『沼の主のつかい』(日本の昔話)  百姓の孫四郎が、みぞうけ沼の草を毎日刈るので、沼の主である女は、姿を隠すのが日ましに難しくなった。孫四郎を捕って食いたいが、そうすると沼に主がいることがわかって、これも困る。そこで女は、「富士の裾野の高沼にいる妹に食わせよう」と考え、孫四郎を富士まで行かせた(岩手県江刺郡)→〔書き換え〕3

*犯人と被害者の接点を作らないのは、交換殺人でも同様である→〔交換〕11の『見知らぬ乗客』(ヒッチコック)。

★5a.犯人さがしを命ずる人物が、やがて自分自身が犯人であったことを知る。

『オイディプス王』(ソポクレス)  テーバイの国が、疫病に襲われた。神託によれば、先王ライオスを殺した下手人をつきとめて罰することが、この災厄から逃れる唯一の方法である。現王オイディプスが、事件の再調査と犯人の探索を市民に約束する。しかし調べが進むうちに、オイディプスは自らが諸々の災厄の原因であったことを悟る。

★5b.自分自身が犯人であることを知っている裁判官が、それを隠して裁判を行なう。 

『こわれがめ』(クライスト)  村長アーダムが、ある夜、村娘の部屋に侵入して迫るが、娘の婚約者が来たので逃げる途中、瓶をこわした。娘の母親は、瓶をこわしたり騒いだりしたのを、すべて婚約者のしわざと思い、翌日訴え出る。アーダムは裁判官として、自分自身が真犯人であるところの事件を裁くはめになる。

 

※一車輌に乗る十二人の中から犯人を絞り込もうとするが、十二人全員が犯人だった→〔共謀〕4の『オリエント急行殺人事件』(クリスティ)。

 

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