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【前世を語る】

★1.自らの前世を知っていて、それを人に語る。

『勝五郎再生記聞』(平田篤胤)  文政五年(1822)十一月、多摩郡中野村の百姓の子・八歳の勝五郎は、田のほとりで遊びつつ、兄・姉に「前世では誰の子だったか?」と聞いた。兄・姉が「そんなことは知らぬ」と答えると、勝五郎は、「自分は程窪村の九兵衛という人の子で、藤蔵という者だった」と語った。

『奇談異聞辞典』(柴田宵曲)「小児前生を語る」  上総国望陀郡戸崎村の百姓佐兵衛の伜が五歳の時、「我は相模国矢部村の六右衛門の子だったが、七歳の時、馬に踏まれて死んだ」と父母に語った。後、廻国の者を一宿させた折に、佐兵衛がこの話をすると、その者は、「私は六右衛門の知り合いだ。彼の子が馬に踏まれて死んだことも聞いている」と言った(『梅翁随筆』巻3)。

『変身物語』(オヴィディウス)巻15  ピュタゴラスは、霊魂の不滅と転生を説いた。彼は言った。「今も記憶に残っているが、私は前世ではトロイア人エウポルボスだった(*→〔記憶〕8bの『ギリシア哲学者列伝』)。トロイア戦争の時には、私はメネラオスの重い槍を、真っ向から胸に受けたのだ」。

★2.幼い頃は前世を覚えているが、成長すると忘れてしまう。

『豊饒の海』(三島由紀夫)第3巻『暁の寺』  タイの王女ジン・ジャンは物心ついて以来、「自分は日本人の生まれ変わりで、自分の本当の故郷は日本だ」と主張し続けた(1)。本多繁邦は七歳のジン・ジャンに拝謁し、彼女の語ることがらから、「松枝清顕や飯沼勲の生まれ変わりの可能性がある」と思う(3)。しかしジン・ジャンは、十八歳になって本多と再会した時、「幼い頃のことは何も覚えていません」と言って、生まれ変わりとは別の解釈を示した(30)→〔心〕9

『閲微草堂筆記』「槐西雑志」192「幼少のころ」  「私」が友人の袁愚谷(1723〜1783)から直接聞いたところによれば、彼は三〜四歳の頃には、前世の記憶がはっきり残っていた。五〜六歳になると、おぼろげになった。今では、前世で科挙の合格者だったこと、家が長山の近くだったことしか覚えていない。姓名も事柄も全部忘れてしまったという。

★3.自らの前生だけでなく次生も語る。

『子不語』巻13−338  挙人(郷試の合格者)の王鼎実は病気になって、次のように語った。「私の前世は鏡山寺の僧某だった。科挙の及第者を羨む心と、金持ちの暮らしに憧れる心があったので、二度、転生せねばならなかった。私は今生では挙人となり、まもなく死んで、富豪の姚(よう)という家に転生する。罪科なくこの生涯を過ごしたから、輪廻に入らず、すぐ姚家に生まれる」。三日後、王鼎実は死に、その日、姚家では一子が誕生した。

*死んだその日に、ただちに別人に生まれ変わる→〔同日の誕生〕4の『子不語』巻13−317、→〔老翁と若い女〕4の『子不語』巻13−336、→〔転生〕5aの『聊斎志異』巻6−240「餓鬼」など。

★4.催眠術をかけられて、自らの前世を語り出す。

『第二の記憶(前世を語る女 ブライディ・マーフィ)(バーンスティン)  一九五二年から五三年にかけて、「私(アメリカの実業家バーンスティン)」は複数の人物立会いの上で、二十九歳の既婚女性ルースに催眠術を六回施し、彼女がこの世に誕生する以前のことを尋ねた。ルースは「私は一七九八年に、アイルランドで法廷弁護士の娘として生まれた。名前はブライディ・マーフィ。ブライアンという青年と結婚したが子供にはめぐまれず、一八六四年に六十六歳で死んだ」と述べ、「私」の問いに応じて、十九世紀アイルランドでの暮らしぶりを語った〔*ブライディ・マーフィが死んで五十九年後の一九二三年に、ルースは生まれた〕。

『晴れた日に永遠が見える』(ミネリ)  一九七〇年頃のこと。精神医学のシャボー教授(演ずるのはイヴ・モンタン)が女学生デイジー(バーブラ・ストライサンド)に催眠術をかける。デイジーは前世を思い出し、「私は公爵夫人メリンダ。十九世紀のロンドンに生きていた」と言う。デイジーはシャボーに恋するが、シャボーは、デイジーではなく前世のメリンダに恋してしまう。催眠状態では、前世だけでなく来世も、過去のことのように思い浮かぶので、メリンダはシャボーに「私たち二人は生まれ変わって結婚し、二〇三八年には夫婦として幸せに暮らしている」と告げる。それを聞いてシャボーは安心する。

★5.自らの前世を語ることの禁忌。

『カター・サリット・サーガラ』「マダナ・マンチュカー姫の物語」1・挿話1  ダルマダッタ王とナーガシュリー妃が、ある日突然、前生を思い出した。突然に前生を思い出した者がそれを他人に話せば死ぬ、と言われていたが、王と妃は互いの前生を語り合う。妃は某婆羅門の婢女、王は某商人の召使で、二人は前世でも夫婦だった。語り終えた王と妃は、たちまち死んで天国へ赴いた。

 

 

【前世を知る】

★1.自分の前世を教えられる。

『更級日記』  私(菅原孝標女)が三十二歳の時に見た夢。清水寺の礼堂に私が座っていると、別当らしい人が、「汝の前世は当寺の僧で、仏師だった。仏像を多く造った功徳で、現世では良い家柄に生まれた。御堂の東の丈六の仏を造る途中で死んだのだ」と教えた。

『剪燈新話』巻4「緑衣人伝」  大臣賈似道の旧邸近くに住む趙源は、しばしば門外で出会う緑衣の女と親しくなる。素性を明かさぬ女に趙源が繰り返し問うと、彼女は「私とあなたは前世で賈似道様に仕え、恋人どうしだったが、二人の関係が発覚し、ともに死を賜った。あなたはすでにこの世に生まれ変わっているが、私はまだ幽霊のままです」と教える→〔転生する男女〕6

『とはずがたり』(後深草院二条)巻4  ヤマトタケルが東夷を討つため下向途中、伊勢大神宮に参拝した。その折、アマテラスが「汝が前世でスサノヲノミコトであった時、ヤマタノヲロチの尾から取り出して、我に献上した剣である」と神託を下し、草薙剣を授けた。また「危急の時に開けよ」と教えて、錦の袋を与えた〔*『とはずがたり』の作者二条が、熱田神宮を訪れて聞いた草薙剣の縁起〕。

『法華経』「序品」第1  霊鷲山上の釈尊の説法の場で、弥勒菩薩は自分の前世を文殊菩薩から教えられる。弥勒は過去世では「求名」と呼ばれ、善根を積んだ功徳で、生まれ変わるたびに仏に会うことができたのだった。

『法華経』「化城喩品」第7  釈尊が、遠い昔の大通智勝仏の物語をする。弟子たちは、「大通智勝仏の息子の十六王子の一人が、過去世の私(釈尊)であり、お前たちは前世でその説法を聞いていたのだ」と教えられた。

*前世は天童であり、阿修羅を懲すために地上に生まれた→〔転生〕3の『松浦宮物語』。

★2.自分の前世と前々世を教えられる。

『今鏡』「昔語」第9「真の道」  大外記定俊は、越中守であった頃、ある夜の夢で次のように教えられた。「汝は前世で越中の国の、目くら聖の持経者だった。前々世では越中の国の牛だったが、『法華経』一部を背負って山寺に登った功徳で、持経者に生まれ変わり、現世では越中守になっているのだ」。

*自分の前世と前々世を思い出す→〔猫〕9bの『広異記』35「三生」、→〔ミイラ〕2の『木乃伊(ミイラ)』(中島敦)。

*前世と前々世と前々々世を覚えている→〔赤ん坊がしゃべる〕4の『聊斎志異』巻11−439「汪可受」。 

★3.偽りの前世を教えられてそれを信じる。

『鸚鵡七十話』第2話  商人ナンダナが王妃シャシプラバーに恋する。彼の母ヤショーダーが牝犬を連れて王妃に会い、「私と貴女と牝犬は、前世で三人姉妹だった。私は多くの男に愛を与えたので、前世の記憶を維持する能力を得た。貴女は気に入った男だけを愛したので、前世の記憶を失った。もう一人は夫以外の男を愛さなかったので、牝犬に生まれ変わった」と告げる。王妃はこれを信じ、商人ナンダナに愛を与える。 

★4.前世が身分低い者であったことを知る。

『魂の入れ変り』(日本の昔話)  深谷の高橋という百姓の家を、二人の侍が訪れた。藩主の奥方が若君を産み、後産を始末すると「磐城国刈田郡深谷住人高橋某」という名が現れた。それで、若君の前世の「高橋某」とはどのような人か、調べに来たのだった。ところが高橋家は水呑百姓(みずのみびゃくしょう)だったので、侍たちはひどく落胆した。「下賤の生まれ変わりで世に恥ずるから、多言してはならぬ」と金を与え、その家の土一握りを持って帰って行った(宮城県白石市)。 

 

※死後、別の世界(地獄・餓鬼・畜生など)へ行かず、すぐまた人間界に生まれた人は、前世の記憶を持っている→〔転生と性転換〕2の『今昔物語集』巻7−26。

 

 

【戦争】

 *関連項目→〔核戦争〕〔兵役〕

★1.第二次世界大戦。

『史上最大の作戦』(アナキン他)  一九四四年六月六日、連合軍は悪天候をついて、ノルマンディー上陸作戦を敢行した。早朝の大兵団の上陸に先立って、深夜に落下傘部隊が降下する。その報告を受けたドイツ本国の司令部は、これを重大視せず、就寝中のヒトラー総統を起こさなかった。朝になりヒトラーは起床するが、ひどく機嫌が悪いので、将官たちは、ノルマンディーへの戦車部隊派遣を進言できない。激しい戦闘の後に、その日、連合軍はノルマンディーを制圧した。

★2.朝鮮戦争。

『最前線』(マン)  朝鮮戦争勃発から二ヵ月余りの一九五〇年九月、北鮮軍の激しい攻撃に、米軍は劣勢だった。最前線で孤立したベンソン中尉(演ずるのはロバート・ライアン)以下十七人の小隊は、来合わせた他の部隊の二人と合流し、味方の陣地まで退却を開始する。北鮮軍の狙撃、砲撃、地雷原によって、米兵は一人また一人と倒れる。しかしベンソン中尉たちは、北鮮軍の陣取る465高地を果敢に攻撃し、敵を全滅させて高地を奪取する。生き残ったのは三人だけであった。

*朝鮮戦争を取材する新聞記者と、未亡人である女医の恋→〔未亡人〕5の『慕情』(キング)。

★3a.ベトナム戦争。

『プラトーン』(ストーン)  クリス(演ずるのはチャーリー・シーン)は大学を中退してベトナムでの兵役を志願した。彼の配属された小隊(プラトーン)の隊長バーンズは、ベトナムの村人たちを平気で殺す冷酷な男だった。班長エリアスがバーンズを激しく非難し、二人は対立する。エリアスが単身で斥候に出た時、バーンズは彼を銃撃して置き去りにした。エリアスは戦場に取り残され、戦死する。クリスは、バーンズの卑劣な行為を憎む。ベトコンの大部隊との戦闘が行なわれ、かろうじて生き残ったクリスは、バーンズが重傷を負って倒れているのを見、彼を射殺した。

*メコンデルタ地帯から、哨戒艇で川をさかのぼる→〔川の流れ〕6の『地獄の黙示録』(コッポラ)。

*ベトコンが、捕虜の米兵たちにロシアン・ルーレットをさせる→〔ロシアン・ルーレット〕3の『ディア・ハンター』(チミノ)。

★3b.ベトナム戦争の帰還兵。

『7月4日に生まれて』(ストーン)  七月四日(アメリカ独立記念日)生まれの愛国青年ロン(演ずるのはトム・クルーズ)は、海兵隊に志願してベトナムへ派遣される。彼は戦場で重傷を負い、下半身不随となって帰国する。そのころアメリカでは、「ベトナム戦争は誤りだ」との声が高まり、車椅子のロンは必ずしも英雄視されなかった。彼は酒におぼれ、娼婦を買う。やがてロンは「自分たちは政府に騙されて、戦地へ送り込まれたのだ」と考えるようになり、「即時停戦、兵士帰還」を求める反戦デモの先頭に立つ。 

『ランボー』(コッチェフ)  ランボー(演ずるのはシルベスター・スタローン)は、特殊部隊グリーンベレーの一員としてベトナムで戦った。彼は戦場では英雄だったが、故国アメリカへ帰還すると、ベトナム戦争を批判する人々の冷たい目にさらされ、就職さえ思うにまかせなかった。田舎町を通りかかったランボーは、「犯罪をおかす可能性あり」と見なされ、逮捕される。ランボーは警察署から脱出し、山に逃げ込んで警察や軍隊と闘う。夜には町へ戻り、ガソリンスタンドや銃砲店を爆破する。軍隊時代の上官の説得によって、ランボーはようやく投降する。

★4.未来の二百年戦争後の理想世界。

『われら』(ザミャーチン)  二百年戦争によって、地球人口の八割が失われた後、緑の壁で囲まれた単一国が誕生した。単一国の国民は、D−503号、I−330号などの名前を与えられ(男性は子音+番号、女性は母音+番号)、時間律法表に従って規則正しい生活を送る。何百万人が一人の人のように起床し、同一時間に一つになって仕事を始める。単一国に「個人」は存在しない(*→〔ガラス〕6)。みな「われら」として、思考し行動するのだ→〔手術〕2b

★5.戦争の記憶・記録を消去することの是非。

『白い服の男』(星新一『白い服の男』)  未来社会。「私」は、世界平和最高会議直属の特殊警察機構に勤務している。純白の制服と腕章の鳩マークは、平和の象徴だ。人類社会から戦争を根絶するには、「戦争」という概念そのものを消さねばならない。子供の戦争ごっこ、古新聞の戦争の写真など、どんな些細な物でも、「私」たちが厳しく取り締まる。図書館では専門家たちが、書物から戦争の記述をすべて削除し、書き改めている。平和の維持が、他の何よりも優先するのだ。

『戦争はなかった』(小松左京)  昭和四十三年(1968)、中年男の「彼」は、人々が誰一人、大東亜戦争(太平洋戦争)を覚えていないことに気づき、驚愕する。何者かが、人々の心から大東亜戦争の記憶を消し、その記録も破棄したらしい。しかしそれでは、この社会から重要なものが欠落してしまうのではないか。「彼」は、「戦争はあった、多くの人々が死んだ、日本は敗けた」と書いたプラカードを持って、日比谷の街頭に立つ。精神病院の医局員をよそおった憲兵が来て、「彼」をどこかへ連れ去った。

★6.世界から戦争をなくす方法。 

『宇宙怪人』(江戸川乱歩)  怪人四十面相(*→〔顔〕9の『怪奇四十面相』)と外国の悪人仲間たちが、香港で会議を開く。「世界各国の政府や軍隊は、戦争で何百万もの罪のない人間を殺してきたが、少しもこりることなく、あいかわらずまた戦争をやろうとしている。やつらの目を覚ますには、宇宙の星の世界から、大軍勢が高度な科学兵器をもって攻め寄せてくる恐ろしさを、教えてやればいい。そうすれば、狭い地球の上で喧嘩をしている場合ではない、と悟るだろう」。四十面相たちは、世界各地に空飛ぶ円盤を飛ばせ(*→〔空飛ぶ円盤〕3)、異形の宇宙怪人(人間が変装している)を出現させて、人々を驚かせる。

*「戦争を回避せよ」との、宇宙からの警告→〔惑星〕1aの『2010年』(ハイアムズ)。

『鉄腕アトム』(手塚治)「ZZZ総統の巻」  ZZZ総統は考える(*→〔双子〕3b)。「昔は、人間は何の苦労もなくのんびりと暮らしていた。今では、人間はりこうになり過ぎ、戦争を繰り返して、やがて地球を破壊してしまうだろう。人殺し機械を作る学者や、悪賢い政治家たちの頭脳を、赤ん坊並みに退化させてしまう以外、地球に平和をもたらす方法はない」。ZZZ団は、世界をリードする学者や政治家を次々に襲って毒ガスを浴びせ、彼らを廃人にする〔*しかし鉄腕アトムがZZZ団の基地をたたきつぶし、総統を捕らえた〕。

*戦争をなくすもう一つの方法→〔無性の人〕2の『人間ども集まれ!』(手塚治虫)。

★7.戦時中の興奮と連帯感を懐かしむ。 

『号外』(国木田独歩)  加ト男(加藤男爵)は日露戦争中、国家の大難を挙国一致で喜憂することに、生活の意味を見出していた。しかし戦争が終わると、彼は生きる張り合いをなくしてしまった。加ト男の飲み友達である「自分」にも、似た思いがある。銀座を歩いても、戦時中は、通りがかりの赤の他人にさえ、言葉をかけてみたい気がした。今ではまた、以前の赤の他人どうしの往来である。戦争でなく、他に何か、戦時のような心持に万人(みんな)がなって暮らす方法はないものか、と「自分」は考えた。

 

※戦争による記憶喪失→〔記憶〕2aの『ABC殺人事件』(クリスティ)など、→〔記憶〕2bの『心の旅路』(ルロイ)。

※戦争による性機能喪失→〔不能〕1の『チャタレイ夫人の恋人』(ロレンス)など。

※クリスマス中の休戦→〔クリスマス〕5の『キリシタン伝説百話』(谷真介)15「戦場の降誕祭(クリスマス)」。

※戦争終結までの年数→〔年数〕5の『イリアス』第2歌。

※烏の戦争→〔烏(鴉)〕4の『烏の北斗七星』(宮沢賢治)。

 

 

【洗濯】

★1a.洗濯する乙女の所へ、竹や剣が流れ寄る。

『異苑』巻5−4  昔、乙女が豚水(とんすい)で洗濯をしていて、節の三つある大きな竹を見た。竹は乙女の足の間へ流れ入り、押しやっても離れない。竹の中から泣き声が聞こえるので、割ってみると小さな男児がいた。この子は成長して才能を発揮し、武芸にも秀(ひい)で、後に夜郎県の竹王となった。

*竹林に生えた竹の中から、小さな子が現れる→〔竹〕1aの『竹取物語』など、→〔竹〕1bの『竹の子童子』(昔話)。

布留の明神の伝説  昔、布留川の上流から、一口(ふり)の剣が流れて来た。触れるものは、石でも木でもスッスッと切った。川端で一人の女が洗濯をしており、剣は女が洗濯する布にまとわりついて留まった。その剣を神として祀ったのが、布留の明神、すなわち現在の石上神宮の始まりである。地名の「布留」もここからきている(奈良県天理市)。

*剣ではなく鉾が布留川を流れ下り、布にかかる→〔川の流れ〕3の『東海道名所記』巻4「ごゆより赤坂まで十六町」。

★1b.洗濯する乙女の前に、男が現れる。

『オデュッセイア』第6巻  女神アテナが、パイエケスの王女ナウシカアの夢枕に立ち、「あなたは婚礼も近いのだから、夜が明けたら衣裳を洗いに出かけなさい」と告げる。ナウシカアは侍女たちを連れ、車に多くの衣類を積んで、川辺へ洗濯に行く。洗濯が終わると、彼女たちは食事をし、皆で毬(まり)遊びに興じる。川辺で眠っていたオデュッセウスが目をさまし(*→〔眠る男〕2)、ナウシカアの前に姿を現す。

『古事記』下巻  「引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかゐこ)」という美しい童女(をとめ)が、美和河で衣を洗っていた。そこへ雄略天皇がやって来て、童女に名を問い、「汝は結婚せずにおれ。近いうちに宮中に召し入れよう」と告げて、帰って行った→〔処女妻〕5b

★2.洗濯する婆の所へ、桃が流れて来る。

『桃太郎』(日本の昔話)  婆が川で洗濯をしていると、川上から桃が流れて来る。家へ持って帰り、切ろうとした時、桃は割れて桃太郎が生まれる。桃太郎は一杯食べれば一杯だけ、二杯食べれば二杯だけ大きくなり、一つ教えれば十まで覚えて、力持ちの少年に成長する(青森県三戸郡)。

*洗濯する婆のへそを、雷がねらう→〔へそ〕4の重源上人の雷封じの伝説。

★3.男が洗濯する。

『濯(すす)ぎ川』(新作狂言)  入り婿である男が、妻の言いつけで、川へ行って洗濯をする。妻と姑(しうとめ)がやって来て、「早く洗濯をすませて、粉(こ)を挽け」「水を汲め」と、次々に仕事を命ずる。男は、川へ落ちた妻を助けて恩を着せ(*→〔契約〕3)、一家の主人としての権威を取り戻そうとするが、妻に一喝され、「許いてくれい」と悲鳴を上げて逃げて行く。

★4.亡霊が洗濯する。

『フランス田園伝説集』(サンド)「夜の洗濯女」  夜、沼や池のほとりで、幻の洗濯女たちが叩く洗い棒と、濯ぎ洗いの音が聞こえる。彼女たちは、嬰児殺しの母親の亡霊である。叩いたりしぼったりしているものは、濡れた洗濯物のように見えても、本当は子供の死体なのだ。それぞれ自分の子を洗う。何度も罪を重ねた母親は、複数の子を洗う。洗濯女を見つめたり、邪魔したりするのは禁物だ。一人前の男でも、洗濯女につかまると、靴下のように水の中で叩かれ、しぼられてしまう。

★5.洗濯石鹸の泡。

『幕末百話』53  幕末にコロリが大流行して、大勢が死んだ。神奈川の茶店の婆さんが、「コロリは、浦賀へ来た黒船が置いて往った魔法です。異人が海岸で何か洗い、真っ白なアブクがいっぱい出た。アレが魚の腹へ入り、江戸の人の口に入った。ソノ白いのが魔法のタネなんです」と、詳しく話した。今から考えると馬鹿々々しい。石鹸(しゃぼん)なのだ。

 

 

【千里眼】

★1.遠方の光景を見る。

『デイヴィドソンの不思議な目』(H・G・ウェルズ)  デイヴィドソンがロンドンの技術学校の実験室にいた時、雷のために磁場が変化し、彼の網膜にねじれが生じた。彼は身のまわりのものが見えなくなり、代わりに、八千マイル離れた南極近くの島とそこに停泊する船を見た。ウェイド学長はこの現象を「空間のよじれ」で説明し、「紙上の離れた二点も、紙を折り曲げれば重なる」と言った。

*→〔空間〕5の『「タルホと虚空」』(稲垣足穂)でも同様に、紙を折りたたんで、月と地球を重ねあわせる。

★2.遠方の火事を見る。

『シャルロッテ・フォン・クノープロッホ嬢への手紙』(カント)  一七五六年の九月の終わりの土曜日、スヴェーデンボリ(スウェーデンボルグ)氏は、イエーテボリのカステル氏邸に招かれた。十五名の同席者があった。夕方の六時、スヴェーデンボリ氏は五十マイル(約八十キロ)彼方のストックホルムの大火災を幻視して、顔面蒼白になった。彼は、「友人の家は焼け落ち、私の自宅にも危険が迫っている」と、火事の様子を語り、午後八時になって、「幸い、自宅の三軒手前で鎮火した」と言った。その言葉はすべて事実に合致することが、後にわかった〔*カントは、別の所では「一七五九年」と記している。また、イエーテボリとストックホルムの間の距離は、地図で見ると三百キロ余り〕。

*火事を幻視する→〔幻視〕2の赤池の鯉右衛門の伝説、→〔幻視〕3の『現代民話考』(松谷みよ子)4「夢の知らせほか」第1章の1など。

*遠方の火事のにおいをかぐ→〔識別力〕1bの『遠国(おんごく)の火事』(日本の昔話)。

★3.遠方の火事を知って、これを消す。

『今昔物語集』巻11−12  智証大師円珍が比叡山千光院に住んでいた折、散杖を持仏堂の香水にひたして、西空に三度そそぎかけた。不思議がる弟子に円珍は、「宋の青竜寺の金堂の妻戸に火がついたので、消すために香水をかけた」と説明した。

『神仙伝』巻9「成仙公」  新年宴会の折、成仙公は杯の酒を東南の方角に吹き出し、「臨武県の火事を消し止めた」と言った。人をやって調べさせると、臨武県に酒のにおいのする雨が降って、火事が消えたことがわかった。

『捜神記』巻2−2(通巻33話)  壺山に隠棲していた樊英は、ある日、弟子に「成都の町が火事だ」と言って、口に水を含んで吹き出した。後に成都から来た人が「その日火事があったが、にわかに大雨が降って火事を消した」と語った。

『遠野物語拾遺』67  附馬牛(つくもうし)村・東禅寺の開山無尽和尚が、ある日、長柄の柄杓で井の水を汲み、天に向かってまき散らすと、黒雲が空をおおい、南をさして走った。衆徒たちはそのわけを知らず、不思議に思った。後に紀州の高野山から、「過日、当山出火の節は、和尚の御力によって早速に鎮火し、誠に忝(かたじ)けない」との礼状が来た。

★4.天眼通。

『今昔物語集』巻4−22  仏法を嫌う夫が、『法華経』十余行を習った妻の両眼を、えぐってしまった。妻は山寺で養われ、ある夜、『法華経』の「妙法」の二字が日月となって、両眼に入る夢を見る。以来、彼女は天眼通を得て、上は欲界六天のさまざまな快楽から、下は等活、黒縄より無間にいたる八大地獄(*→〔地獄〕1aの『往生要集』)の底まで、ありありと見えるようになった。

★5a.水の中に顔を入れ、何百里も離れた場所を見る。

『百物語』(杉浦日向子)其ノ12  長崎奉行の用人福井某が、江戸に残した病身の母を心配していた。出島のカピタンが彼のために、水を満たした鉢を用意する。福井某が顔を水に入れると、なつかしい江戸の家が見え、母が縫い物をしている。母と目が合ったところで彼は息が尽き、水から顔をあげた。後に聞くと江戸の母は、「庭木の上に、息子の顔が現れるのを見た」と言った。

★5b.月面の井戸の中から鏡を通して、遠い地球の町や家を見る。

『本当の話』(ルキアノス)  「私」は月世界を訪れた。月面にそれほど深くない井戸があり、その上に大きな鏡がかかっている。井戸の中へ入って鏡を眺めると、地球上の町がよく見える。「私」は、自分の家の者たちや自分の故国(くに)中を眺めわたしたが、向こうからも「私」が見えたかどうかは、わからない。

★6.透視。

『日本霊異記』上−14  ある夜、難波の百済寺の僧義覚が、自室で『般若心経』を百遍ほど唱え、その後に目を開くと、四方の壁が抜け通って、庭の中があきらかに見えた。不思議に思い、寺の境内を巡って外から室を見ると、壁も戸も閉じている。そこでもう一度『般若心経』を唱えたところ、壁も戸も消えて、室の内部をはっきりと見通すことができた〔*その夜、一人の僧が義覚の室をのぞき見た〕→〔のぞき見(僧を)〕1

 

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