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【目】

 *関連項目→〔片目〕〔一つ目〕〔三つ目〕〔入れ目〕〔盲目〕

★1.目の呪力。

『イシスとオシリスの伝説について』(プルタルコス)17  オシリスが、テュポン(セト)によって殺された。妻イシスが、夫オシリスの遺骸を納めた棺を開いて泣く。そのありさまを、背後からビュブロス王の子供が見る。イシスがふり返って子供をにらむと、子供はその眼に耐えられず、死んだ。

『宇治拾遺物語』巻1−9  宇治殿(藤原頼通)が倒れて病気になった時、霊が一人の女にとりついて、「(霊が)ちょっと見つめて、宇治殿を病気にした。しかし心誉僧正の護法童子に追われたので、(霊は)逃げた」と言った。まもなく宇治殿の病気は治った。

『源氏物語』「明石」  三月上巳以来、光源氏のいる須磨では暴風雨が続いた。三月十三日の夜は都でも雷と雨風が騒がしく、朱雀帝の夢に亡父桐壺院が現れて、にらみつけた。目と目を見合わせたためであろうか、朱雀帝は眼病になり苦しんだ〔*翌年の七月二十余日、朱雀帝は光源氏召還の宣旨を下した〕。

『源氏物語』「若菜」下  四十七歳の光源氏は、妻女三の宮と柏木が密通したことを知る。朱雀院五十の賀の試楽の夜、酒宴の席で光源氏は酔ったふりをしつつ柏木を見やり、彼の若さを諷する。柏木は恐怖し、病みついてまもなく死ぬ〔*『無名草子』では明確に「にらみ殺し給へる」と記す〕。

*邪視→〔部屋〕6の『千一夜物語』「『ほくろ』の物語」マルドリュス版第250〜253夜。

*邪視の害を防ぐ「マノ・フィカ」→〔手〕6aの『東西不思議物語』(澁澤龍彦)27「迷信家と邪視のこと」。

*相手を見つめて催眠状態に陥れ、死に追い込む→〔催眠術〕3の『予言』(久生十蘭)など。

*にせの仏をにらみつけて、その正体を暴(あば)く→〔仏〕5の『今昔物語集』巻20−3。

★2.蛇ににらまれると、動けなくなる。

『今昔物語集』巻29−39  女が、宗像(むなかた)神社の北の築垣(ついがき)にむかってしゃがみこみ、小用をする。蛇が、築垣の穴から女の陰部を見て欲情し、女をじっと見つめる。女は身動きできなくなり、そのまま何時間もたつ。女を救おうと、男たちが穴の口に刀を立て、女の身体をかかえて後方へ運ぶ。蛇は女の後を追って刀に突進し、真っ二つに裂ける。

*乙女が尿をして蛇に魅入られ、動かなくなる→〔尿〕3cの『岩かげのアカマター』(沖縄の民話)。

★3.目と鏡は、密接な関係がある。

『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)2段目「芝六住家」  蘇我蝦夷子が、宮中から八咫の鏡を盗んで土中に埋めた。そのため天智天皇は盲目になった。後に鏡が発見され、天皇の目は開いた。

 

※星は、空に輝く眼→〔星〕5の『星三百六十五夜 冬』(野尻抱影)。

※百の目を持つ怪物アルゴス→〔眠る怪物〕1の『変身物語』(オヴィディウス)巻1。

※絵に描いた動物に瞳を点ずる→〔瞳〕1の『水衡記』など。

※絵に描いた動物の目をつぶす→〔絵から抜け出る〕2の『古今著聞集』巻11「画図」第16・通巻385話など。

※目の網膜や角膜に映像が残る→〔残像・残存〕1の『イギリス製濾過機』(ロバーツ)など、→〔残像・残存〕2の『白い幻影(まぼろし)』(手塚治虫)。

※網膜の血管が見える→〔幻視〕4の『網膜脈視症』(木々高太郎)。

 

 

【目の左右】

★1.右目と左目が、異なるものを見る。

『S・カルマ氏の犯罪』(安部公房)  朝、目を覚ますと、「ぼく」は自分の名前を忘れていた。勤務先の受付の名札によれば、「ぼく」の名前は「S・カルマ」のようである。事務所には別の「ぼく」がいて、仕事をしていた。右眼で見ると、「ぼく」に生き写しの男である。しかし左眼で見ると、一枚の紙片にすぎなかった。それは、「N火災保険・資料課 S・カルマ」と印刷された「ぼく」の名刺だったのだ。

『るしへる』(芥川龍之介)  悪魔「るしへる」は、「はらいそ(極楽)」に住むべき安助(あんじょ=天使)だった。しかしDS(でうす)への反逆の心を起こしたため、仲間たちとともに「いんへるの(地獄)」へ堕ち、悪魔となった。悪魔の族(やから)は、性は悪であるが、善を忘れてはいない。右の眼(まなこ)は「いんへるの」の無間の暗(やみ)を見るといえども、左の眼は「はらいそ」の光を麗(うるわ)しみ、常に天上を眺めているのである。

★2.左目が太陽となり、右目が月となる。

『玄中記』  北方に鐘山があり、山上に人間の首の形をした石がある。石首の左目は太陽となり、右目は月となる。左目を開くと昼になり、右目を開くと夜になる〔*口を開くと春・夏になり、口を閉じると秋・冬になる〕。

★3.左目を洗うと(あるいは左手に鏡を持つと)太陽神が生まれ、右目を洗うと(あるいは右手に鏡を持つと)月神が生まれた。

『古事記』上巻  黄泉国から帰ったイザナキが、筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原で禊ぎをした。左目を洗う時に、太陽神アマテラスが誕生した。次に右目を洗う時に、月神ツクヨミが誕生した〔*鼻を洗う時には、スサノヲが誕生した〕。

『日本書紀』巻1・第5段一書第1  イザナキが「天下を治めるべき尊い御子を生もう」と言い、左手に白銅鏡(ますみのかがみ)を持つと、大日霎尊(おほひるめのみこと=アマテラス)が生まれ出た。右手に白銅鏡を持つと、月弓尊(つくゆみのみこと)が生まれ出た〔*首を巡らして後ろを見ると、スサノヲが生まれ出た〕。 

 

 

【目を閉じる】

★1.異郷へ行くには目を閉じる必要がある。

『今昔物語集』巻16−15  蛇の化身である美女が男を池の辺に導き、「しばらく目を閉じて眠り給え」と教える。男が眠り入るとまもなく「目を開け給え」と言われ、見るとそこは龍宮の門前だった。帰る時も同様に、目を閉じて池の辺に戻った。

『剪燈新話』巻4「龍堂霊会録」  魚の頭・鬼の身体をした使者が、「龍王様のお迎えです」と聞子述に告げる。聞子述は「龍王様は水の世界のお方。行ける道理はありますまい」と言うが、使者は「眼を閉じていれば、すぐ着きます」と促す。風の音と水の音がしばらく続いた後、聞子述が眼を開くと、眼の前に水晶宮が高くそびえていた→〔龍王〕1

『捜神記』巻4−4(通巻74話)  男が泰山を通る時、府君に召される。目をつむって開けると府君の宮殿に来ており、河伯の嫁となった娘への手紙を託される。黄河の川中まで舟を漕ぎ出し、目をつむって開けると河伯の前におり、もてなしを受ける。

『丹後国風土記』逸文  神女が水の江の浦の嶼子(浦島)に、「蓬山(とこよのくに)へ行きましょう」と言い、目をつむらせる。たちまち二人は海中の広く大きな島に着く。そこで三年を過ごし、ふたたび神女が嶼子に目をつむらせると、嶼子は郷里の筒川の里に帰り着く。

『梵天国』(御伽草子)  帝が玉若中納言に、「梵天国王の判をいただいて来い」と難題を出す。玉若は、妻(=梵天国王の姫君)の教えにしたがい、金色の馬に乗って両目を閉じる。馬は虚空へあがり、玉若を梵天国まで連れて行く〔*しかし玉若の留守中に、妻は羅刹国の「はくもん王」にさらわれる〕。

*爺が目を閉じて小さな鼠穴を抜け、地下の鼠の家へ行く→〔穴〕1の『鼠の浄土』(日本の昔話)。

*目を閉じて水中に入り、広大な宮殿に到る→〔手紙〕4の『酉陽雑俎』巻14−545、『柳毅伝』(唐代伝奇)。

*目を閉じているため、本当に異郷へ向かっているかのごとく思いこまされる→〔木馬〕1の『ドン・キホーテ』(セルバンテス)後編第38〜41章。

★2.死ぬ時も目を閉じる。

『勝手にしやがれ』(ゴダール)  自動車泥棒の常習犯である青年ミシェル(演ずるのはジャン・ポール・ベルモンド)は、警官を射殺して指名手配される。愛人パトリシア(ジーン・セバーグ)がミシェルの居所を通報し、ミシェルは路上で警察に撃たれて倒れる。駆け寄るパトリシアを見て、ミシェルは「最低だ」とつぶやき、左手で自分の両目を閉じ、死んでゆく。

★3.死顔の目を閉じてやる。

『凝視』(松本清張)  殺された人間は、たいてい瞳を据(す)えてカッと眼を剥(む)いているものである(*→〔残像・残存〕1の『死者の網膜犯人像』)。ところが、居直り強盗に出刃包丁で刺殺された沼井トミ子は、両眼を閉じて死んでいた。これは、犯人がトミ子の目蓋を撫で下ろし、閉じてやったのだ。犯人は、かつて、生前のトミ子にじっと見つめられたことがあった。死んでもなお「凝視」するトミ子を、犯人は恐れたのである。

 

 

【目を抜く】

★1.自らの両目を抜き取って、他の人や子供に与える。

『幸福な王子』(ワイルド)  町の広場に立つ王子の像が、自分のサファイアの目を抜き取って、一つを戯曲家志望の貧しい青年に、もう一つをマッチ売りの女の子に与えるよう、つばめに依頼する。盲目になった王子のために、つばめは一日中、王子の肩にとまって、異国で見た珍しい事物の話をする。

*目を布施する→〔物乞い〕5の『ジャータカ』第409話。

★2.砂男が子供の目玉を抜き取る。

『砂男』(ホフマン)  子供が夜更かしをすると、砂男が来て、子供の目に砂を投げこむ。血まみれになって飛び出る目玉を、砂男は袋に入れて持ち帰り、自分の子供に食べさせる〔*→〔不眠〕1の『ドラえもん』「ねむれぬ夜に砂男」でも、ドラえもんが砂男伝説の説明をする〕。

★3.蛇が自らの両目をくり抜く。

『蛇の玉』(日本の昔話)  正体が蛇であることを知られた妻が(*→〔蛇女房〕1)、片目をくり抜いて夫に与え、「これをお乳代わりにしゃぶらせて、子供を育てて下さい」と言い残し、湖に去る。しかし殿様がその玉を奪ったので、夫は困って湖の辺に行き、妻を呼んで事情を話す。妻はもう一方の目もくり抜いて夫に渡し、水の中へ姿を消す(福島県平市)→〔鐘〕3。  

龍泉寺の白蛇の伝説  白蛇の正体を見られた妻が(*→〔呼びかけ〕7)、目玉を一つえぐって子供に与え、去って行く。子供は目玉をしゃぶって育つが、やがて目玉をしゃぶり尽した。白蛇は再び姿を現し、もう一つの目玉も子供に与える(奈良県吉野郡天川村)→〔鐘〕3。  

★4.男が蛇の両目をくり抜く。

『蛇が大臣を呑みこむ』(中国の昔話)  石の下敷きになった蛇を、男が救う。蛇は老人に変身し、「恩返しがしたい」と言って、男と義兄弟になる。王女が病気になり、立派な珠があれば治るというので、老人は「私の目玉を一つ与えよう」と言う。男は小刀で老人の片目をくり抜き、王女の病気を治して、大臣になる。そのうち王女は、もう一つ珠が欲しいと望む。男は蛇の残りの目玉を、また小刀でくり抜く。怒った蛇は、大きな口を開いて男を呑みこむ(河北省)。 

★5.両眼が抜け出た夢を見る。

『源平盛衰記』巻1「清水寺詣の事」  若き日の平清盛が、清水寺へ千日詣でをする。千日目の夜、彼は「両眼が抜け出て宙を巡り、消え失せた」との夢を見る。清盛は「これは良い夢か悪い夢か」と札に書いて、清水寺の大門に立て、人々に問う。ある人が「眼が抜けるとは、目が出ること。すなわち、目出たい夢である」と解き、清盛は大いに喜ぶ〔*この後まもなく、清盛は出世の階段を昇り始める〕。

*しゃれこうべは目の穴だけが残り、目は抜け出てしまったので、「めでたい」→〔髑髏〕9の『一休ばなし』巻2−4。 

 

 

【冥界行】

★1.地下の冥界へ下る。

『イナンナの冥界下り』(シュメールの神話)  天上界に住む女神イナンナが地下の冥界へ下る。冥界の七つの門を通り抜ける時、彼女は身につけている装飾や衣服を次々にはぎとられ、ついに素裸になる。イナンナは、冥界の女王である姉エレシュキガルに対面する。エレシュキガルはイナンナに死刑を宣告し、イナンナは倒れて死体となる。しかし他の神がイナンナを生き返らせ、イナンナは冥界から出て地上に昇る〔*アッカドの神話中にも類話があり、そこではイナンナはイシュタルと名を変える〕。

*→〔星の化身〕2の『星の銀貨』(グリム)KHM153では、貧しい女の子が野原を歩き、帽子や衣服を次々に与えて丸裸になる。  

『神曲』(ダンテ)「地獄篇」  三十五歳の「私(ダンテ)」は詩人ヴェルギリウスの霊に導かれて、肉体を持ったまま地獄界へ足を踏み入れる。「私」とヴェルギリウスは地獄の門をくぐり、第一圏谷の辺獄(リンボ)から、次第に地下界の奥深くへ降りて行き、最下層の第九圏谷、氷の国コキュトスに到る。そこには三つの顔を持つ悪魔大王ルチーフェロがおり、胸から下が氷漬けにされていた→〔氷〕7

『ニコデモ福音書』(新約聖書外典)第17〜27章  イエス・キリストは、十字架にかけられてから復活するまでの間に冥府へ下り、青銅の扉を砕いて、中にいるアダム以下の人々を救い出し天国へ導いた。

『歴史』(ヘロドトス)巻2−122  エジプト王ランプシニトス(ラムセス三世)は生きたままの身で、地下の冥界へ下った。彼は冥界でデメテル(イシス)とさいころ勝負をし、黄金の手巾を土産にもらい、地上へ帰った。

*冥府を訪れて椅子にすわる→〔椅子〕1の『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第1章。

*エレベーターで地下の冥界へ降りる→〔エレベーター〕4の『地獄へ下るエレベーター』(ラーゲルクヴィスト)。

★2.船で冥界へ行く。

『オデュッセイア』第11巻  オデュッセウスと部下たちは、魔女キルケの指示にしたがい、世界を取り巻く大河オケアノスを航海して、流れの果てに到る。彼らはそこで陸地に上がり、羊を屠って生贄とする。死者たちの霊が、生贄の血を飲もうと集まって来る。オデュッセウスは予言者テイレシアスの霊から将来の運命を聞き、亡母の霊と語る。彼は亡母を抱こうと三度試みるが、影か夢のごとく手をすり抜ける。

★3.六道を見る。

『北野天神縁起』  日蔵上人は、承平四年(934)八月朔日に金峯山笙の岩屋で頓死し、十三日に蘇生した。その間に彼は、三界六道を見、荘厳な大城に住む菅原道真や地獄で苦を受ける醍醐天皇に会った。

★4.冥界の父に会いに行く。

『アエネーイス』(ヴェルギリウス)第6巻  アエネーアスは、巫女シビュラの案内で地下の冥界に降り、父アンキーセースと再会する。アエネーアスは三度、父を抱擁しようと試みるが、そよ風のごとく父の影は逃げて、アエネーアスの腕は空(くう)を抱く。父アンキーセースは、アエネーアスの子孫がローマを建国することと、その後のローマの歴史を、語り聞かせる。

『天狗の内裏』(御伽草子)  源義経は、まだ「牛若丸」と名乗っていた十三歳の年に、天狗の導きによって九品浄土に昇り、父義朝を訪ねた。義朝は大日如来となっており、義経と仏法奥義の問答をした後、「平家を討つことが我への供養」と述べて、義経の前世と将来を語り聞かせる。そして、義経は三十二歳で死ぬ運命であることを告げ、死後に赴く浄土の荘厳を見せる。

★5.冥界の母に会いに行く。

『大目乾連冥間救母変文』(敦煌変文)  目連(=大目乾連)尊者は亡母を捜し求め、刀山剣樹地獄・銅柱鉄床地獄などを経て阿鼻地獄に到り、四十九の長釘で鉄床に打ちつけられた亡母を見出す。亡母はさらに地獄から餓鬼道へ落ちたので、目連は盂蘭盆会を営んで亡母の苦を救った〔*亡母は現世の黒犬に転生し、犬の皮を脱いで女人の身を取り戻して、トウ利天へ昇った〕。

『仏説盂蘭盆経』  目連が神通力で亡母の有様を見ると、亡母は餓鬼道に生まれ変わり、飢えて骨と皮になっていた。目連は餓鬼道へ赴き、鉢に飯を盛って、亡母に与える。亡母は左手で飯をかかえこんで隠し、右手で飯を取るが、それがまだ口に入らないうちに火や炭になってしまい、食べることができなかった。目連は悲しんで号泣し、現世へ駆け戻って、このことを仏に告げた→〔成仏〕2

*目連の母はトンビになった、という話もある→〔天国〕2の『トンビになった目連の母親』(中国の昔話)。

『ハッサン・カンの妖術』(谷崎潤一郎)  「予(小説家谷崎潤一郎)」は、魔法使いハッサン・カンの弟子ミスラ氏と知り合い、彼の導きによって、魂を無色界から涅槃界の高みまで送った。やがて魂は色界・欲界、さらにその下層の須弥山世界へと降下し、そこで「予」は、亡母が美しい鳩となって舞うのを見た。「予」は亡母を成仏昇天させるために、善人となることを誓った。

★6.冥界の妻に会いに行く。

『古事記』上巻  妻イザナミは火神を産んで火傷し、黄泉国へ去る。夫イザナキはイザナミを追って黄泉国へ行き、「ともに地上へ還ろう」と説く。イザナミは「黄泉神(よもつかみ)と相談するから外で待て。私を見るな」と禁じ(*→〔待つべき期間〕1bの『祝詞』「鎮火(ほしづめ)の祭」では、「七日待て」と言う)、御殿の内に入る。イザナキは待ちかねて、暗闇の中、櫛の歯に火をともして御殿に入り、蛆(うじ)や雷神(=蛇体であろう)におおわれた妻の身体を見る。イザナミは「私に恥をかかせた」と怒って、逃げる夫イザナキを追う。

*『日本書紀』巻1・第5段一書第6では、イザナミは「私は今から寝ようとするところです」と言う→〔眠る女〕5

*→〔山と死〕1の『現代民話考』(松谷みよ子)5「死の知らせほか」第2章の2は、イザナキの黄泉国訪問神話の現代版の趣がある。

*イザナキの黄泉国訪問は、ギリシア神話のオルフェウスの冥界行とよく似ていると言われる→〔毒蛇〕1の『変身物語』(オヴィディウス)巻10。

*ギリシア神話の現代版→〔鏡〕4の『オルフェ』(コクトー)、→〔憑依〕9bの『黒いオルフェ』(カミュ)。

『捜神記』巻2−14(通巻45話)  妻を亡くして数年になる人が、道士から死者と会う術を習い、妻と語らう。道士の教え通りに、暁を知らせる太鼓が鳴るとすぐ外へ出るが、着物の裾が戸口にはさまってちぎれる。後に見ると、妻の棺の蓋に夫の着物の裾がはさまっていた。

『毘沙門の本地』(御伽草子)  天大玉姫は、夫の金色太子が他国へ行ったまま約束の三年が過ぎても戻らないので、悲嘆して死ぬ。帰国した太子は、姫が大梵王宮の黄金の筒井に生まれ変わったとの夢想を得て、金泥(金麗)駒に乗り天空を駆け、兜率の内院の彼方まで行ってようやく姫と再会する。

*夫が冥府で暴れ、妻を取り戻す→〔火葬〕6の『田村の草子』(御伽草子)。

 

 

【冥界にあらず】

★1.現世の人を眠らせ、「冥界で目覚めた」と思いこませる。

『デカメロン』第3日第8話  修道院長が人妻を手に入れるため、その夫に薬を飲ませ仮死状態にして、牢獄へ入れる。目覚めた夫は、「ここは煉獄だ」と聞かされ、それを信じる。後に夫は解放され、妻は院長の子を産む。夫は、「冥界から蘇生したのも子が授かったのも、神様のお恵みだ」と思う。

★2.現世にいるのに、「ここは冥界だ」と強弁する。

『辰巳の辻占』(落語)  男が辰巳(洲崎遊郭)の女郎の心を試すため、身投げ心中を持ちかける。暗闇の中、女郎は身代わりに大きな石を海に投げ込んで帰ってしまう。男も後を追って身投げしようと思うが、こわくなり、同じく石を投げ込んで帰る。茶屋の前で二人はバッタリ出会い、女郎は「おや。しばらくぶり」と挨拶する。男「何がしばらくだ」。女郎「娑婆(現世)で会って以来じゃないか」。

★3.心中をはかり、「冥界へ来た」と思い込む。

『おぼえ帳』(斎藤緑雨)2  日本橋芳町(よしちょう)でのこと。男女がモルヒネを飲んで心中をはかるが、量が少なかったので、ただぐっすりと眠っただけだった。やがて目覚めた女が、「もう、あの世へ来たのだ」と思い、男を揺り起こして言う。「ちょいとお聞きよ。ここへも豆腐屋が来るよ」。 

 

 

【冥界の穴】

 *関連項目→〔穴〕

★1.死者が穴を通って、天上界あるいは地下界へ行く。

『国家』(プラトン)第10巻  戦士エルの魂が身体を離れ、ある霊妙不可思議な場所へ到着する。そこには、大地に二つの穴が並んで口をあけ、上の方にも、天に二つの穴があいていた。前者は地下界への往路と復路、後者は天上界への往路と復路である。死者たちの魂は上か下かどちらかの穴(往路)へ入り、それぞれ一千年間の賞罰を受けた後に、また穴(復路)から出て来るのである→〔裁判〕9

*天界への道と地獄への道→〔冥界の道〕3の『天界と地獄』(スウェーデンボルグ)。

『今昔物語集』巻17−19  浄照が死んだ時、恐ろしい様子をした二人の者が来て、浄照を黒い山の中にある一つの穴に押し入れた。穴の中を落ちて行く間、激しい風が吹きつけて、堪え難かった。遥か下方に落ちて、浄照は閻魔の庁に到った→〔地獄〕2

★2.冥府の死者が穴を通って、現世に戻って来る。

『続古事談』巻5−49  能定という男が死後四日を経て蘇生し、冥府での体験を語った。能定は地獄へ送られたが、不動明王の化身である童子が「能定の寿命はまだ尽きていない」と閻魔王に告げ、救い出してくれた。大きな穴の口まで連れて行かれ、中へ押し入れられる、と思ったら、能定はこの世に生き返っていたのだった。

★3.現世にある穴が、極楽あるいは冥府へ通じる。

『黄金のろば』(アプレイユス)巻の6  ラケダイモーン(=スパルタ)の片田舎タイナロス岬に、「閻王(ディース)の息抜き穴」と言われる洞窟がある。プシュケは洞窟へ入り、荒れ果てた路を歩き、三途の河を渡って、冥王の宮殿に到る。彼女は、冥王の妃ペルセポネから、美の小箱をもらって地上へ戻る。

『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)6編下「京」  大仏殿方広寺の柱に、四角に切り抜いた穴があり、くぐり抜ければ極楽往生できるといわれる。弥次郎兵衛が四つん這いになって穴をくぐろうとするが、肥っているので途中でつかえる。後戻りしようとしても、脇差の鍔が横腹につかえて動けない。喜多八が参詣の人たちの力を借り、弥次郎兵衛の身体を足の方から引き抜く〔*結局、穴をくぐり抜けられなかったわけである〕。

*「柱の穴をくぐり抜けて極楽往生」は、→〔針〕9の「針の穴を通って天の国に入る」(『マタイによる福音書』第19章)と、類似する発想である。

『聊斎志異』巻4−142「ホウ都御史」  ホウ都県城外に「閻羅王の法廷」と伝えられる深い洞窟がある。洞窟内で使われる刑具はすべてこの世のもので、枷や鎖などが古くなると、外へ投げ出される。それを新品と取り替えておくと、翌朝にはなくなっている。

*穴へ入って地獄極楽を見巡る→〔穴〕2の『富士の人穴』(御伽草子)。

 

 

【冥界の川】

 *関連項目→〔川〕

★1.舟で川を渡って冥府にいたる。

『狩人グラフス』(カフカ)  狩人グラフスは、ドイツの深い森でカモシカを追ううちに、岩からころげ落ちて死んだ。彼は三途の川の舟に乗せられたが、渡し守が舵を取り間違えた。グラフスの国の美しい景色に、渡し守が見とれていたせいかもしれない。渡し守が方向を間違えたばかりに、舟はあの世へ行き着くことができず、グラフスを乗せたまま、今でもこの世の国々の水辺をさまよっている。

*冥府の河に自分の姿を映す→〔水鏡に映る自己〕2aの『変身物語』(オヴィディウス)巻3。

★2.生きた人間が意識を失い、舟で冥府の川を運ばれる。

『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第3歌  「私(ダンテ)」は生きた人間の身体のまま、詩人ヴェルギリウスの霊に導かれて、死者の国へ降りて行く。白髪の老人カロンが舟を漕ぎ、大勢の裸体の死者たちを乗せてアケロンの川を渡り、地獄へ運ぶ。カロンは「私」を見て、「汝は生者ゆえ通さぬ」と怒るが、ヴェルギリウスが「これは神の意志だ」とカロンに命ずる。「私」は恐ろしさに昏倒する〔*「私」は意識をなくした状態で運ばれる〕。

★3.渡し守が眠っている間に、生きた人間が舟に乗って冥府の川を渡る。

『オルフェオ』(モンテヴェルディ)  オルフェオが、死んだ妻エウリディーチェを追って冥府へ降りようとする。三途の川まで来ると、渡し守カロンテが、「生きた人間を舟に乗せることはできない」と拒む。オルフェオは妻への想いを歌い上げ、それを聞いてカロンテは眠ってしまう。その隙にオルフェオは舟に乗って、冥府にいたる〔*『変身物語』(オヴィディウス)巻10は、妻の連れ戻しに失敗したオルフェウスがもう一度冥府の川を渡ろうとして、カロン(=カロンテ)にとどめられた、と記す〕。

★4.渡し守の交代。

『黄金(きん)の毛が三本はえてる鬼』(グリム)KHM29  地獄の入口の手前に大きな川があり、舟をこぐ渡し守が「長い年月、渡し守をしているが、いつまでたっても替り番が来ない」と嘆く。地獄の鬼の黄金の毛を取って帰って来た少年が、「次に舟に乗った客に、棹を渡してしまえばいい」と教える。慾ばりの王様が舟に乗ったので、渡し守は棹を渡し、仕事から解放される。王様はそれ以来ずっと渡し守をしている。

*縊死した人の霊は、次に縊死する人が来なければ、いつまでもその場を離れられない→〔首くくり〕2の『閲微草堂筆記』「ラン陽消夏録」47「身代わりを待つ幽霊」。

★5.舟に乗るのではなく、橋を歩いて冥府の川を渡る。

『日本霊異記』上−30  冥府の使い二人が、膳臣(かしはでのおみ)広国を冥府へ連行し、長い道のりを歩いて行く。大河(おほかは)にかかる金(こがね)で塗り飾った椅(はし)を渡ると、そこは度南(となん)の国であった。広国は、亡妻や亡父が苦を受けるありさまを見てから(*→〔釘〕5)、現世へ帰った。

*深い河にかかった椅を渡る→〔冥界の坂〕1の『日本霊異記』下−22。

『日本霊異記』下−9  冥官三人が、藤原広足を冥府へ連行する。前方に深い河があり、黒い水が、流れることなく静かに淀んでいた。橋代わりに若木を河に浮かべたが、両端とも岸に届かない。先導する冥官が、「汝、この河に入り、私の後をついて来い」と命じ、広足は冥官の足跡を踏むようにして、河を渡った。

★6.冥界にある忘却の川。

『国家』(プラトン)第10巻  死者たちの魂は、それぞれが次の生涯でどのような運命を選ぶか決めた後、「忘却(レーテー)の野」まで行き、「放念(アメレース)の河」の水を飲む。飲んだとたん、彼らは一切のことを忘れてしまう。ただ戦士エルの魂だけは、河の水を飲むことを禁じられた。死後の世界のありさまを人間たちに報告する使命が、彼にはあったからである→〔流れ星〕3

『神曲』(ダンテ)「煉獄篇」第28〜33歌  ヴェルギリウスに導かれ、「私(ダンテ)」は煉獄を経て地上の楽園に到る。泉から、悪を忘却させるレテ川と善を想起させるエウノエ川が流れ出ており、マテルダ夫人が「私」の身体を両方の川に浸し、水を飲ませて、「私」を新生させる。

*現世にある忘却の川→〔川〕3の『団子婿』(日本の昔話)。 

★7.精霊界から霊界へ移転する途中の大河。

『私は霊界を見て来た』(スウェーデンボルグ)第1章の7  「私(スウェーデンボルグ)」が精霊界で、眼前に広がる野原をながめていると、精霊界の周囲の山脈が「私」の方へ迫って来た。山の向こうへ抜ける口が開き、そこを通って、「私」は大きな河の上空を飛んで行った。河幅は、東洋のガンジス河や揚子江よりはるかに広く、水はゆったり流れていた。河を越え、やがて眼下に海が見えて、前方の小さな星が、巨大な光のかたまりになった。「私」は気を失い、眼を開けると、赤茶けた色の広漠たる世界に来ていた。ここが霊界なのだ。

★8.冥界の川の手前で引き返す。

『現代民話考』(松谷みよ子)5「死の知らせほか」第1章の2  ある男が落馬して死んだが、一日ほどして生き返り、語った。「流れの速い大河の向こうに、近年亡くなった知り合いたちが並んで、手招きする。その中に叔父がいて、「お前の来る所でないぞ」と叫び、こわい顔でにらむ。迷っていると、後ろから呼び声がするので、振り返ったとたん息を吹き返した。あの大河こそ、三途の川であったろう」。男はその後二十年も長生きし、明治の中頃に没した(山形県)。

*川の向こうに死者が見える→〔川〕2の『ムーンライト・シャドウ』(吉本ばなな)。

 

※三途の川沿いに、山を登って行く→〔山と死〕4の『現代民話考』(松谷みよ子)7「学校ほか」第1章「怪談」の17。

※三途の川の水を汲む→〔熱湯〕11の『檜垣』(能)。

※死者が三途の川へ落ちるとどうなるか→〔逆さまの世界〕9の『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』(落語)。

※冥界の海→〔船〕11の『今昔物語集』巻7−5。

 

 

【冥界の坂】

★1.冥界への出入口には、坂道がある。

『古事記』上巻  黄泉国から逃げ帰るイザナキは、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到って、その坂本にある桃子(もものみ)三つを取り、追って来る八柱の雷神・千五百の黄泉軍に投げつけて退散させた。そして、千引の石(ちびきのいは)を置いて坂をふさいだ〔*『日本書紀』巻1神代上・第5段一書第6は「一説には、泉津平坂(よもつひらさか)は特定の場所ではなく、死に臨んで息が絶える時のことだと言う」と記す〕。

『日本霊異記』下−22  他田舎人蝦夷(をさだのとねりえびす)が死んだ時、冥府からの使い四人が、彼を広い野へ連れて行った。けわしい坂があり、そこを登ると大きな建物があった。さらに路があり、その先は深い河で、椅(はし)がかかっていた。椅の向こうには、三つの分かれ道があった→〔冥界の道〕2、→〔秤(はかり)〕3

『日本霊異記』下−23  大伴連忍勝(おほとものむらじおしかつ)が死んだ時、冥府からの使い五人が彼につきそい、道を急がせた。けわしい坂があり、そこを登ると三つの大きな道があった(*→〔冥界の道〕2)。彼は冥府の王に裁かれ、煮えたぎる釜に入れられた後に(*→〔釜〕3)、許されて、来た道を戻り、坂を降ったと思うと生き返っていた。

*冥界の登り坂と下り坂→〔冥界の道〕4の『耳袋』(根岸鎮衛)巻之9「蘇生奇談の事」。 

『変身物語』(オヴィディウス)巻10  オルフェウスは、妻エウリュディケを冥府から連れ帰る時、「アウェルヌス湖の谷あいを出るまでは後ろを見てはならぬ」と禁ぜられる。靄に包まれた、けわしい暗い坂道を二人はたどるが、もうすぐ地表というところで、オルフェウスは振り返ってエウリュディケを見てしまう。

*タルタロス(地獄)の坂で巨岩を運ぶ→〔繰り返し〕1の『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第9章。 

★2.胸坂(むなさか)。

『古事記』上巻  高天原の高木神が、葦原中国の天若日子めがけて、矢を投げ下ろした。矢は、天若日子の高胸坂(たかむなさか)に命中し、天若日子は死んだ〔*高胸坂の「坂」は、黄泉比良坂(よもつひらさか)と同類のものであろう。天若日子は「胸」に致命傷を受け、「坂」の向こうの冥界へ行ったので、「胸坂」という表現になったのである〕。 

 

 

【冥界の時間】

 *関連項目→〔時間〕〔異郷の時間〕

★1.冥界の一日は、人間界の一年に相当する。

『今昔物語集』巻7−48  震旦の人、張ノ法義は、ある時、山で不思議な僧に出会い、「俗世で犯した罪を懺悔(さんげ)すべし」と教えられ、湯を浴び僧衣を着て懺悔した。十九年後、法義は死んで冥府へ連れて行かれたが、山で会った僧が現れ、閻魔王に「法義は十分に懺悔しているから」とかけあい、七日間の猶予を請い取ってくれた。おかげで法義は蘇生することができた。冥府の七日は、人間界の七年に相当するのだった。

『日本霊異記』上−5  推古天皇三十三年(625)、大部屋栖野古(おほとものやすのこ)が死んで冥界へ行き、聖徳太子に会った(*→〔蘇生者の言葉〕2)。太子は屋栖野古に、「八日後、汝は剣難に遭うだろう」と告げた。これは、八年後の蘇我入鹿の乱のことである〔*この時、聖徳太子の子・山背大兄王は殺された〕。冥界の八日は、人間界の八年に当るのだった〔*実際は蘇我入鹿の乱は十八年後の皇極天皇2年(A.D.643)。「十八日」「十八年」が本来の形か〕。

*他化自在天の一日一夜は、人間界の千六百年→〔異郷の時間〕4の『今昔物語集』巻3−24。

*極楽の三日は、人間界の三年→〔極楽〕3の『今昔物語集』巻15−19。

★2.逆に、冥界の一年が人間界の一日に相当する。

『酉陽雑俎』続集巻1−880  冥府の鬼が、李和子から酒を御馳走になった返礼に(*→〔酒と水〕2)、「寿命を三年貸しましょう」と言う。しかし、それから三日後に李和子は死んだ。冥府の三年は、人間世界の三日に相当するのであった。

★3.冥界の三年は、人間界の三十年。

『幽明録』17「閻魔の慈悲」  王某は妻を亡くし、遺児二人を育てていたが、彼もまた死んで冥府へ召されてしまった。閻魔が王某を憐れみ、「遺児の養育のために、特別に三年の寿命を与えよう」と言う。王某が「子供を一人前にするには、三年では足りません」と訴えると、冥官が「冥府の三年は、人間界の三十年に当たるのだ」と教える。王某は蘇生し、三十年生きて死んだ。

★4.冥界で「しばしの間」を過ごすうちに、人間界では六年が経過した。

『勝五郎再生記聞』(平田篤胤)  多摩郡中野村の百姓の子・勝五郎は、文政五年(1822)、八歳の時、自分の前世を語り出した。彼は前世で死んでから六年目に現世に再生したのだったが、その間、冥界で白髪黒衣の翁とともにいて、「しばしの間と感ぜられた」と言った。

★5.地獄で苦を受ける時間の長さ。

『往生要集』(源信)巻上・大文第1「厭離穢土」  殺生の罪を犯した者は等活地獄へ堕ちる。人間世界の五十年が、四天王天の一日一夜に相当し、四天王天における天人の寿命は五百年である。その天人の五百年を等活地獄の一日一夜として五百年間、等活地獄では苦を受けねばならない〔*→〔地獄〕1aに記すように、地獄は八つに分けられる。等活地獄より下の地獄では、苦を受ける期間はさらに長くなる〕。  

『日本霊異記』下−35  地獄で苦しむ物部古丸(こまろ)の訴えが二十年も放置されていた(*→〔釜〕2)ことを知って、桓武天皇が「この世の人間が地獄へ行って苦を受ける場合、二十余年たったら許されるか?」と施皎(せきょう)僧都に問う。施皎は「二十余年ではまだ苦の受け始めです。人間世界の百年をもって、地獄の一日一夜となすのです」と答える。天皇は古丸を憐れみ、大法会を催して、古丸の霊(たま)の苦を救った。

★6.冥界の時間経過だけ述べて、人間界の時間経過には言及しないこともある。

『ギリシア哲学者列伝』(ラエルティオス)第8巻第1章「ピュタゴラス」  ピュタゴラスは、「魂は、ある時はこの生き物の中に、ある時はあの生き物の中に繋がれて、『必然の輪』を経巡(へめぐ)るのだ」と言った。彼はまた、一つの書物の中で、「自分はハデス(冥界)で二百七年間暮らした後に、この世にもう一度生まれ変わって来た」とも述べている。

 

 

【冥界の食物】

★1.冥界の食物を口にすると、現世に戻れなくなる。

『古事記』上巻  イザナミは火の神を産んだために、身体を焼かれて黄泉の国へ去った。夫イザナキが連れ戻しに行くが、その時すでにイザナミは黄泉の国の竈(かまど)で煮炊きした物を食べており、現世に戻れなくなっていた〔*『日本書紀』巻1・第5段一書第6に同様の記事〕。

『デメテルへの讃歌』  女神デメテルの娘ペルセポネは、草原で花を摘んでいたところを、冥王ハデスにさらわれた。ハデスはペルセポネに、ざくろの実を食べさせる。そのため彼女は、巡り行く年を三つに分けた一季(冬)を、冥界のハデスの館で暮らさねばならなくなった〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第5章に同様の記事。『変身物語』(オヴィディウス)巻5では、プロセルピナ=ペルセポネはざくろの実を七粒食べたため、一年のうち六ヵ月を冥界で暮らすことになった、と記す〕。

*イザナミもペルセポネも、ともに冥界の食物を口にするのだが、イザナミは冥界の火で煮炊きした物を食べ、ペルセポネは生のざくろを食べた、という違いがある。

*「火食」の起源→〔火〕3の『封神演義』第1回。

★2.冥界の食物を口にしない。

『ドイツ伝説集』(グリム)533「ヴィルテンベルクの城に仕える騎士ウルリヒ」  騎士ウルリヒは狩りに出て道に迷い、馬に乗った死者の一行(五百人の騎士と五百人の婦人)に出会う。彼は一行の宿泊地までついて行くが、死者の一人である婦人がウルリヒに、「料理をすすめられても、いっさい手をつけないように」と禁ずる→〔十字架〕2b

『山の音』(川端康成)「蝉の羽」  六十二歳の尾形信吾は、死んだ知人から、ざるそばを御馳走になる夢を見る。目覚めてから「死人に出されたものを食うと死ぬのだろうか?」と思うが、どうも食べないで目が覚めたようであった。 

*冥府では権官(ごんかん=仮りの役人)だから、食事をしてはいけない→〔冥府往還〕1の『今昔物語集』巻9−31。

★3.死者が人間界の食物を食べる。

『太平広記』巻325所引『甄異記』  夏侯文規は、死後一年して家に現れた。彼は「北海大守」と称し、従者が数十人いた。家人が食事を用意すると食べ尽くして去ったが、後に見ると、器の中はもとどおり食物が満ちていた。

*冥府の使いの鬼などが、人間界の食物を食べる→〔死神〕2の『広異記』17「冥土への身代わり」など。

*北斗星と南斗星が、人間界の酒食を口にする→〔北斗七星〕5の『捜神記』巻3−6。

★4.死者が人間界の食物を食べない。

『雨月物語』巻之1「菊花の約(ちぎり)」  九月九日の夜、義兄弟の赤穴(あかな)宗右衛門が遠方から帰って来たので、丈部(はせべ)左門は酒を暖め、肴を並べて勧める。赤穴は酒肴の臭(にお)いを嫌い、袖で顔をおおう。彼は「自分は死霊であり、仮に人間の姿をしているだけだ」と告げ、しばらく語り合った後、「これで永遠の別れだ」と言って姿を消した。

★5.鬼道(=餓鬼道)では、人間界の一食を得れば、一年間満腹する。

『今昔物語集』巻9−36  隋の時代。ある人が冥府の鬼(き)と交際を結び、鬼道の食事について聞かされた。「鬼たちは常に飢餓に苦しんでいる。だが、もし人間界の一度の食事を得たならば、一年間満腹する。それで多くの鬼たちは、人間の食物を盗んで食っているのだ」。

 

 

【冥界の道】

 *関連項目→〔道〕

★1.冥界へ到る途中の道。

『宝物集』(七巻本)巻2  人は死ねば、一人で中有(中陰。死後四十九日までの間)の闇に向かうのだ。水が少したまった、広い野のような所を、四〜五歳の子となって、ただ一人行くのである。炎の燃える所もあり、狼・狐が現れる所もある。生前に逢い見た人の姿などは、まったく見えない。声すら聞くこともない。

『冥途』(内田百閨j  夜、暗い土手の下の一膳飯屋に「私」は腰をかけている。時々、土手の上を淋しげに人が通る。「私」の隣りには四〜五人の客がいて、何か話し合っている。その中の一人が父であることに「私」は気づいて呼びかけるが、「私」の声は通じない。客たちは店を出て土手に登り、去って行く。「私」は長い間泣き、土手を後にして畑の道へ帰って来た。

★2.冥界の三つの分かれ道。

『日本霊異記』下−22  他田舎人蝦夷(をさだのとねりえびす)が死んで冥府へ赴くと、三つの分かれ道があった。一つの道は広く平坦だった。一つの道は草が少し生えていた。一つの道は藪(おどろ)で塞がっていた。冥府の王が、草の生えた道を歩くよう指示した。蝦夷は、熱い鉄の柱や熱い胴の柱を抱かされた後、許されて、死後七日して生き返った。

『日本霊異記』下−23  大伴連忍勝(おほとものむらじおしかつ)が死んで冥府へ赴くと、三つの分かれ道があった。一つの道は平坦で広かった。一つの道は草が生え荒れていた。一つの道は藪(おどろ)で塞がっていた。冥府の王が、平坦な道を歩くよう指示した。忍勝は、煮えたぎる釜の中に入れられた後、許されて、死後五日して生き返った。

★3.天界・楽園へいたる道と、地獄へいたる道。

『アエネーイス』(ヴェルギリウス)第6巻  アエネーアスが巫女シビュラとともに地下の冥界を進んで行くと、道は二つに分かれた。右の道はエーリュシウムへ向かい、左の道は地獄へ通じている。シビュラの指示で、アエネーアスは右の道をたどる。エーリュシウムは「幸運の杜(もり)」と呼ばれる楽園で、正しく人生を送り、祝福された人たちの霊が住んでいた。アエネーアスは、ここで亡父アンキーセースと再会する→〔冥界行〕4

『天界と地獄』(スウェーデンボルグ)\−74  多くの霊が、左ないし北に向かう道を進んで行くのを、「私(スウェーデンボルグ)」は見た。遠方に一つの大きな石があり、そこから道は左右に分かれた。左の道は細く狭く、西から南に通じて天界の光の中に入っていた。右の道は広く、下方へ曲がりくねり、地獄へ通じていた。善霊たちは左の道へ、悪霊たちは右の道へ進んで行った。

*天上界へ通じる穴と地下界へ通じる穴→〔冥界の穴〕1の『国家』(プラトン)第10巻。

★4.この世へ戻る道と、戻らぬ道。

『マハーバーラタ』第6巻「ビーシュマの合戦と死の巻」  この世を去ったヨーギン(ヨーガの実践者)がたどる道は、二つある。一つは、火、光、昼、白月、太陽が北へ向かう六ヵ月であり、ヨーギンはこれらに導かれてブラフマンのもとに達する。そこは再生のない至高の世界である。もう一つは、煙、夜、黒月、太陽が南へ向かう六ヵ月であり、ヨーギンは月光に達する。この道は再生につながり、現世に回帰して生死を繰り返すのである〔*クリシュナがアルジュナに語る『バガヴァッド・ギーター』の一節〕。

『耳袋』(根岸鎮衛)巻之9「蘇生奇談の事」  男が急病で死に、広い原の二すじ道に出る。一つは登り坂、一つは下り坂で、下りは險岨ゆえ登り坂を行く。紅衣の僧に出会って「思い残すことはないか?」と問われ、「両親に会いたい」と答えると、「それなら帰してやろう」と言われ、蘇生した。

 

 

【冥婚】

★1.この世の男と冥界の女との結婚。

『怪談牡丹灯籠』(三遊亭円朝)6〜16  お露は萩原新三郎を恋い慕って死に、新三郎は、カランコロンと下駄の音をさせて通うお露を死霊と知らずに、契りを重ねる。隣家の伴蔵がのぞき見ると、骨と皮ばかりの女が新三郎に抱きついている。やがて新三郎は、死霊に取り殺される。

『捜神記』巻16−24(通巻399話)  ある男が「美女が通って来る」と言って様子がおかしいので、知人が、「それは化け物だから殺せ」と勧める。男が美女に切りつけると彼女は腿に傷を負って逃げ、その足跡は大きな墓の所まで続いている。棺の中には美女の死体があり、腿に傷があった。

『ファウスト』(ゲーテ)第2部第3幕  ファウストは、幽冥界から連れて来られた古代ギリシアの美女ヘレナと結婚する。ファウストはヘレナと抱き合い、恍惚として時空の感覚を失う。二人の間には息子オイフォリオンが生まれるが、オイフォリオンは空を飛ぼうとして墜死し、ヘレナは冥府に戻った〔*ヘレナの美でファウストを堕落させようとしたメフィストフェレスの企ては、成功しなかった〕。

*この世の男が、墓に葬られている娘と結婚する→〔墓〕12の『捜神記』巻16−20(通巻395話)など。

*現世の男が冥界の女と結婚しようとして失敗する→〔椅子〕1の『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第1章。

★2.人間界の男が、冥界の女を生き返らせようと試みるが、できなかった。

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(程小東)  若者寧(ニン)は旅の途中で美女小倩(シウシン)と出会うが、彼女は幽霊だった。彼女の墓から骨壺を堀りおこし、生家に戻せば、生き返って人間になれる。しかし地獄の千年魔王が、小倩を花嫁にしようとさらって行く。寧は道士燕(イン)とともに地獄へ乗り込み、千年魔王と戦って、小倩をこの世へ連れ戻す。その時すでに夜が明けており、朝日の光に当たったため、小倩は生き返ることができず、寧に別れを告げて消えていった〔*原拠の『聊斎志異』巻2−49「聶小倩」では、小倩は寧の妻となって一男を産み、何年か後に黄泉へ帰ったと記す〕。

*人間界の男の失策により、冥界の女の蘇生が不可能になった→〔待つべき期間〕4bの『捜神記』巻16−21(通巻396話)。

★3.人間界の夫が、幽霊になった妻との共寝を恐れて逃げる。

『今昔物語集』巻10−18  漢の代、霍将軍は妻が死んだので御殿を造って妻を葬り、毎日食物を供えて礼拝する。一年後のある夜、妻が生前の姿のまま現れ、将軍を捕らえて共寝をしようとする。将軍は逃げ出すが、妻の手で腰を打たれ、夜中に死ぬ。

★4.現世の男と冥界の女が、ともに転生することによって結婚が可能になる。

『毘沙門の本地』(御伽草子)  金色太子は肉身のまま天界・地獄界を旅し、大梵王宮に転生した亡妻天大玉姫と再会する。太子は現世の人、姫は冥界の人ゆえ、そのままでは添い遂げることができないので、大梵王のはからいで、二人は福徳山に毘沙門天王・吉祥天女となって顕れ、永遠の契りを結ぶ。

『火の鳥』(手塚治虫)「太陽編」  霊界の存在である狗族の娘マリモが、狼頭人身の少年ハリマを慕う。しかしハリマは本来の人間の姿に戻ったので(*→〔狼〕2)、ハリマと霊界との縁が断ち切られ、マリモは泣き悲しむ。それから一千年以上の長い年月、ハリマとマリモは何度も転生し、二十一世紀の初め頃に、人間の少年スグルと少女ヨドミとなってめぐり会う。「光」一族と「シャドー」たちとの戦争によって、スグルもヨドミも死に、肉体を捨てる。彼らは霊界でともに狼の姿になる。空に火の鳥が現れ、スグルとヨドミを招く。

★5.人間界の女が死んで、冥界の男と結婚する。

『幽霊と未亡人』(マンキーウィッツ)  未亡人ルーシー(演ずるのはジーン・ティアニー)が借りた海岸ぞいの屋敷には、四年前に死んだグレッグ船長(レックス・ハリソン)の幽霊が住んでいた。一緒に暮らすうち、二人の間に恋愛感情が芽ばえ始めたので、グレッグ船長はルーシーに「生きた人間の男とつきあえ」と告げて、去る。しかしルーシーは、女たらしの既婚者にだまされそうになり、人間の男への関心を失う。長い年月がたち、老いたルーシーを、グレッグ船長が迎えに来る。肉体を抜け出たルーシーは若い頃の姿に戻り、グレッグ船長と手を取り合って、屋敷から出て行く。

★6.冥界の男神と現世の女神との結婚。

『イシスとオシリスの伝説について』(プルタルコス)19  女神イシスの夫オシリスは、テュポン(セト)によって殺された。イシスは死後のオシリスと交わって、ハルポクラテスを産んだ。この子は早産で、下半身が虚弱だった〔*オシリスの死体の上に、鷹の姿でうずくまるイシスを描いた古画があるという。イシスは死体から精液を吸い上げたのである〕。

★7.死者の霊が生者の夢にあらわれて、情交を求める。

『幽明録』40「幽霊の欲情」  ある身分高い人が亡くなった後、県令の王奉先が夢でその人に会った。王奉先が「あの世でも欲情はありますか?」と問うと、その人は「私の家の侍女に某日のことを聞け」と答えた。王奉先は目が覚めてから侍女の所へ行き、尋ねてみる。侍女は「その日は、殿様がおいでになった夢にうなされました」と言った。 

★8.生前関わりのなかった男女を合葬し、冥界での夫婦とする。

『三国志』魏書・武文世王公伝第20「ケ哀王沖伝」  曹操の息子・曹沖(=倉舒)は十三歳の時、病気にかかって死んだ。曹操は悲しみ、甄(しん)氏の亡くなった娘を曹沖のために娶(めと)って、合葬した〔*魏書・袁張涼国田王ヘイ管伝第11「ヘイ原伝」では、曹操は、倉舒をヘイ原の娘と合葬したいと望んだが、ヘイ原は『合葬は礼に外れる』と言って断った、と記す〕。 

 

 

【冥府往還】

★1.現世と冥府を往還して働く。

『江談抄』第3−39  小野篁は、現世で朝廷の臣として仕えると同時に、冥府で閻魔庁の第二の冥官を勤めていた。藤原高藤が頓死した時、小野篁が高藤の手を取って引き起こし、高藤は息を吹き返した。高藤は小野篁を拝み、「私は死んで閻魔庁へ行った。すると、この君が第二の冥官として坐しておられた」と述べた〔*『今昔物語集』巻20−45では、大臣良相が病死し、閻魔王宮の臣となっている小野篁に出会う。小野篁は大臣良相を現世に返し、『このことは秘密に』と言う〕。

『今昔物語集』巻9−31  県令である智感という男が、冥府の権官(ごんかん。仮りの役人)に任ぜられ、裁判所の書記を三年間勤めた。彼は毎日、昼は現世で県令として仕事をし、夜は冥府へ行って裁判に従事した。智感が冥府の酒食を口にしようとすると、冥官が「君は権官だから、食べてはいけない」と言って止めた。

*→〔夜〕2cの『今昔物語集』巻4−26の無着菩薩は、昼は現世にいて、夜は兜率天へ昇った。

★2.数日おきに死んだり生き返ったりして、現世と冥府を往還する。

『聊斎志異』巻3−96「閻羅」  莱蕪(山東省)の李中之という人は、数日おきに死んで、三〜四日して生き返ることを繰り返した。死んでいる間のことを尋ねても、彼は極秘にして、人に漏らさなかった。同県の張生という者も、数日に一度死んだ。張生は「李中之は閻魔だ。私が冥府へ行くと、彼の属官になる」と人に語った。先頃、李中之は曹操を裁判して、笞叩き二十にしたのだという。

*一日おきに生きたり死んだりするが、死んでいる間は「無」だ、という男の物語もある→〔死〕5の『死んでいる時間』(エイメ)。

★3.当人が気づかないうちに、現世と冥府を毎日毎夜往還している。

『続夷堅志』「腋の下の腫れもの」  死後三日たって蘇生した男が寺参りに行き、そこで出会った僧に、「私は冥府であなたを見た」と告げる。「獄卒が鉄の棒であなたの腋の下を突き、血が流れていた。あなたは経文のとばし読みをしたため、罰を受けていた」。僧は腋の下に腫れものができており、夜になると痛むので、「自分は知らなかったが、毎夜冥府に呼び出されて責苦を受けていたのだ」と悟った。

*地獄で魂が受けている罰が、現世の肉体に病気としてあらわれる→〔地獄〕8の『聊斎志異』巻1−23「僧ゲツ」。

*肉体は現世にとどまっているが、魂は一足先に地獄に堕ちている→〔魂〕7の『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第33歌。

 

 

【迷路】

★1.複雑な迷路とその脱出法。

『三国志演義』第84回  諸葛孔明が八〜九十もの大石をたくみに配置して石陣を作り、八つの門(休・生・傷・杜・景・死・驚・開)を開けておく。陸遜が数十騎の供を連れ、死門から中に入ると、風が起こり砂石が飛んで、出口がわからなくなった。このままでは陸遜は死んでしまうので、黄承彦(諸葛孔明の舅)が陸遜を助けて、生門から外へ出してやった。

『水滸伝』百二十回本第47〜48回  祝家荘の道は複雑な迷路になっており、入ったら出られない。宋江ら梁山泊軍は、「白楊の木のあるごとに道を曲がればよい」との情報を得て、祝家荘軍を打ち破る。祝家荘軍は白楊の木をすべて切り倒したが、目印となる根株は残っていた。夜はそれが見えないので、梁山泊軍は昼間に攻め込んだ。

★2.長い糸や紐を持って、迷路へ入る。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第15章〜摘要第1章  クレタのミノス王が、工人ダイダロスに命じて迷宮を作らせ、牛頭人身の怪物ミノタウロスをその奥に幽閉する。テセウスが迷宮に踏みこむ時、彼に恋心を抱く娘アリアドネが、糸玉を手渡す。テセウスは糸の端を扉に結びつけ、糸玉を持って奥まで行く。ミノタウロスと闘ってこれを殺した後、テセウスは糸をたどって、無事に外へ出て来る〔*『変身物語』(オヴィディウス)巻8に類話〕。

*『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第1章には、人ではなく蟻が、体に糸をつけて迷路を通り抜ける物語がある→〔糸〕2

『即興詩人』(アンデルセン)第1部の2  少年アントニオは画家フェデリゴに連れられて、ローマ郊外のカタコンベ(地下共同墓地)へ行く。降り口に、長い糸のはしを結びつけ、ろうそくに火をともして、二人は地下旅行をする。しかし彼らは糸を見失い、迷路に踏み迷いそうになる。

『妖怪博士』(江戸川乱歩)「少年探検隊」〜「怪物」  小林芳雄たち少年探偵団十一人が、奥多摩の鍾乳洞探検に出かける。鍾乳洞の手前の山小屋に、怪人二十面相が猟師の爺さんに変装して待ちかまえている。百メートル以上もある長い紐の端を、入口の尖った岩に結びつけ、少年たちは紐の玉を持って洞窟の迷路へ踏み込む。ところが二十面相が鋏で紐を切ってしまったので、少年たちは紐をたどって帰ることができなくなった→〔こうもり〕5

★3.迷路から出られなくなって、死んでしまう人。

『幽霊塔』(江戸川乱歩)  徳川末期の富豪・渡海屋市郎兵衛は、屋敷の地下に、箱根細工のごとく複雑な道筋をたどらねば出入りできない秘密室を作り、財宝を隠した。ところが渡海屋自身、複雑すぎる迷路のため出方がわからなくなり、財宝を抱いて死んでいった〔*五十年後、渡海屋の子孫にあたる北川光雄とその恋人野末秋子が、財宝を発見した〕。

★4.惑わし神や狐などのために、道に迷う。

『今昔物語集』巻27−42  三条帝の代、岩清水八幡宮に行幸があった時のこと。供奉(ぐぶ)した左京属邦利延は、惑わし神のために、一人で長岡の寺戸、乙訓川、桂川のあたりを何度も繰り返し巡り歩いた。

『仙境異聞』(平田篤胤)上−3  ある日、寅吉少年が稲荷の前を通ると、たちまち夜になり、一すじの道が幾すじにも見えた。寅吉少年は「狐が迷わそうとしているのだ」と気づき、稲荷の社に向かって「馬鹿をするな」と大声で叱った。すると、もとのごとく昼になり、道も一すじになった。

『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)「家がだんだん遠くなる」  のび太が誤って「捨て犬ダンゴ」を食べる。のび太は家を出たとたん犬に追われ、通行人に道案内を頼まれ、交番であべこべの方角を教えられる。ついにはマンホールに落ちて自宅の所番地を忘れ、のび太は捨てられた犬のごとく、家に帰れなくなる。

『猫町』(萩原朔太郎)  「私」は方向感覚が悪く、歩きながらの瞑想癖もあり、かつて、長く住んでいた家のまわりを、塀に添って何十回もぐるぐると廻り歩いたことがあった。目前にある門の入口が見つからなかったのだ。家人は「狐に化かされたのだ」と言った→〔異郷訪問〕9

*泥棒が逃げようとして、同じ所をぐるぐる巡る→〔泥棒〕6の『発心集』巻1−9。

★5.目隠しをして俥に乗せられ、迷宮の中を行くごとく、方々へ引き回される。 

『秘密』(谷崎潤一郎)  刺激と歓楽を求めて夜の街をさまよう「私」は、浅草の映画館で、かつて関係を持ったT女と再会する。T女は私に目隠しをし、俥に乗せ、一時間ほど方々をぐるぐる回って、彼女の家へ連れて行く。それから「私」は毎晩のように、T女のもとへ通う。ある時、僅かな間、目隠しをはずして外の景色を見、それを手がかりに「私」はT女の家を探し当て、彼女が金持ちの後家であることを知る。謎が解けると同時に、「私」はT女への関心を失った。 

★6.多くの鏡を用いて作られた迷路の部屋。

『燃えよドラゴン』(クローズ)  少林寺の修行者リー(演ずるのはブルース・リー)は、南シナ海の要塞島へ乗り込み、首領ハンと闘う。ハンは鏡の迷路の部屋へ逃げる。いくつも見えるハンの姿の、どれが実体でどれが鏡像か、区別がつかない。その時リーの耳に、師の言葉が聞こえる。「敵と見えるものは、幻想にすぎない。幻想を打ち砕けば、敵を倒すことができる」。リーは、次々と鏡面を砕いて行く。ハンの姿が現れ、リーはハンを打ち倒す。

★7.都市の地下に広がる迷路のような下水道。

『地下水道』(ワイダ)  一九四四年、ドイツ軍占領下のワルシャワ。抵抗運動の組織はドイツ軍に包囲され、数十人の男女隊員が地下水道を抜けて脱出を試みる。懐中電灯やマッチの火を頼りに、汚水と悪臭の中を彼らは進む。隊員たちは、しだいに離ればなれになる。ある者はマンホールから外へ出てドイツ兵に射殺される。ある者は発狂する。隊長はようやく出口を見つける。しかし隊員を導く役目の従兵は、「自分一人助かればよい」と考え、隊員たちを置き去りにしてきた。隊長は従兵を射殺し、再び地下水道の中に入って行く。

『レ・ミゼラブル』(ユーゴー)第5部第1〜3編  一八三二年六月、パリの共和主義者たちが蜂起し、軍隊と衝突する。青年マリユスも暴動に加わり、銃撃されて意識を失う。ジャン・ヴァルジャン(彼の養女コゼットとマリユスは恋人どうし)がマリユスを背負って、パリの地下に広がる下水道へ逃げ込む。暗黒の下水道をさまよった後に、ようやく出口が見つかるが、そこには鉄格子がはめられていた。戦場の死体から金品を盗む悪人テナルディエが現われ、三十フランと引き換えに、鍵で鉄格子を開けてくれたので、ジャン・ヴァルジャンたちは外へ出ることができた。

*犯罪者ハリー・ライムは、ウィーンの地下の大下水路に逃げ込んだ→〔偽死〕1の『第三の男』(グリーン)。

★8.門も壁も階段もない迷路・迷宮。

『ふたりの王とふたつの迷宮』(ボルヘス)  アラブ王がバビロニア王の宮廷を訪ねた時、無数の階段と入口と壁のある迷宮に案内され、からかわれた。アラブ王は日暮れまで迷宮をさまよい、屈辱を感じた。後にアラブ王はバビロニアを攻め、バビロニア王を捕らえて砂漠へ連れ去った。アラブ王は「私が持つ迷宮は、階段もなく、門もなく、回廊もなく、壁もない」と言って、バビロニア王を砂漠の真ん中へ置き去りにした。

 

 

【眼鏡】

★1.不思議な眼鏡。

『なまけもの』(辰巳ヨシヒロ)  売れないマンガ家の「ボク」は、片方のつるがとれた丸メガネを、骨董店で買った。メガネをかけると、街の人々が狼や豚や狸や狐に見える。一人だけ、人間の姿をしている青年がいたが、彼は「ボク」の目の前で都電に飛び込んで自殺した。「ボク」は思い切って、鏡に映る自分の姿を見る。そこには、猿に似た異様な獣が映っていた。後に「ボク」は動物園へ行って、それが「ナマケモノ」という動物であることを知った。

*眉毛や睫毛をかざして人を見ると、動物に見える→〔眉毛・睫毛〕1の『狼の眉毛』(日本の昔話)など。

★2.遠眼鏡(とおめがね)を覗いて美女を発見する。

『押絵と旅する男』(江戸川乱歩)  青年が浅草の凌雲閣の十二階へ登り、舶来の遠目がねで観音様の境内をながめる。人ごみの間に、この世のものとは思えぬ美しい娘が見えたので、青年は驚いて思わず遠目がねをはずしてしまう。もう一度見ようと目がねを当てるが、どうしてもその娘を探し出すことができない。それから青年は毎日凌雲閣へ通い、一ヵ月後に、娘が生身の人間ではなく、八百屋お七の覗きからくりの押絵であることを知った→〔絵の中に入る〕3

★3.顕微鏡を覗いて美女を発見する。

『ダイヤモンドのレンズ』(オブライエン)  「私」は、百四十カラットのダイヤモンドで作ったレンズを顕微鏡に取り付け、ガラス板の上に載せた一滴の水を見る。レンズは、一つの原子の内部までも見通す強力なもので、「私」は風の精(シルフ)ともいうべき美しい乙女を発見した。「私」は乙女に「アニミュラ」という名前をつけ、夢中で彼女の姿を覗き続ける。しかし「私」の不注意によって、やがて水滴は蒸発し、最後の原子の消滅とともにアニミュラは死んでしまった。

★4.釣り竿を遠眼鏡に見せかける。

『彦市ばなし』(木下順二)  彦市が釣り竿を眼に当てて、「これは面白い。どんな遠い所でも見える。薩摩では火事がある。江戸では相撲をやっている」と大声を出す。天狗の子が「見せてほしい」と言うので、彦市は「お前の持っている隠れ蓑と交換だ」と言い、隠れ蓑を奪って姿を消す。天狗の子はだまされたと知り、「おとっちゃんにいいつけてやる」と、泣いて去って行く。

★5.三つの眼鏡。

『めがね泥』(落語)  深夜、眼鏡屋の小僧が手習いをしているところへ、三人の泥棒が来て、一人が表戸の節穴からのぞく。小僧は「将門眼鏡(物が七つに見える)」を節穴に当てがい、泥棒は「小僧が七人も習字をしている」と驚く。二人目がのぞく時には、小僧は拡大鏡を当て、小僧を大男に、筆を太い棒に見せる。最後に親分がのぞくと、小僧は拡大鏡を逆さに当てたので、親分は「ここへ入るのはよそう。奥まで行くうちに夜が明けそうだ」。

*平将門は本人+影武者六人で、つねに七人連れだった→〔影武者〕2の『俵藤太物語』(御伽草子)。

★6.美貌を損なうので、眼鏡をかけない。

『眼鏡』(ポオ)  二十二歳の美青年アメリカ人である「私」は、視力が弱いけれども、美貌を損なうので眼鏡はかけない。ある夜「私」は劇場で、パリから来た絶世の美女を見て一目惚れし、結婚を申し込む。すると美女は「私」のことを調べ、眼鏡を贈ってくれた。「私」は眼鏡をかけ、美女が実は厚化粧の老婆だったことを知る。彼女は「私」の曾曾祖母にあたる八十二歳の大金持ちの女性で、アメリカにいる「私」を探して跡取りにしようと考え、パリからやって来たのだった。

*近眼なので、老婆が美女に見える→〔空襲〕2の『防空壕』(江戸川乱歩)。

 

※眼鏡をかければクラーク・ケント、眼鏡をはずすとスーパーマン→〔一人二役〕5aの『スーパーマン』(ドナー)。

 

 

【女神】

★1a.処女神である織女。

『剪燈新話』巻4「鑑湖夜泛記」  天界の織女が、成令言を天の川へ呼び寄せて告げた(*→〔天の川〕7)。「わたくしは天帝の孫娘。生来、貞淑な女性として一人で暮らしております。それなのに、下界の愚民どもは『七夕の密会』という話を作り出し、『牽牛の妻だ』などと申して、わたくしの純潔な節操をはずかしめています」。そして「他にも天界の神々の尊厳を傷つける様々なでたらめが、下界に流布しています。どうか、愚民どもの誤りを正して下さい」と訴え、『瑞錦』という天界の織物を二反、成令言に与えて下界へ帰した→〔異郷の時間〕3

★1b.織女の起源。

『兎園小説』(曲亭馬琴)第2集「銀河織女に似たる事」  南亜米利加に「アマソウネン」という所がある。この所の山に女ばかりが住んで、一年に一度、河を渡って男に逢う。河の名を蛮語で「リヨデラタラタ」と言い、紅毛語で「シリフルリヒール」と言う。「シルフル」は銀、「リヒール」は河である。唐人の言う「銀河織女」は、「アマソウネン」のことを聞き伝えたのであろうか。

★2.流行の女神。

『れいの女』(星新一『ご依頼の件』)  毎年一度、五十歳ぐらいの上品な女性がデパートへやって来て、いくつかの商品を万引きする。今年はスカーフと、六角形のグラスを取って行った。デパート側は女性をつかまえたりせず、そのまま帰らせる。そして、万引きされたスカーフの色彩や模様にもとづく服・水着・クッションとか、グラスの形を真似た六角形の家具・花瓶などを、大量に作る。それらは大変よく売れる。このようにして毎年毎年、新しい流行が生まれるのだ。

*星新一の母方の祖母の兄である森鴎外も、これに似た作品を書いている→〔神〕10の『流行』(森鴎外)。

★3.死の女神。

マウイの冒険譚(ニュージーランド・マオリ族の神話)  死の女神「ヒネ・ヌイ・テ・ポ」が眠っている所へ、英雄マウイがやって来る。マウイは、女神の股間から体内に這い込み、ムリランガの顎骨(*→〔骨〕6)で道を切り開いて進む。女神を目覚めさせずに身体を通り抜けることができたら、女神は死に、人間は永遠の生を得るのだ。しかし一緒について来た小鳥が笑ったため、死の女神は目を覚まし、マウイを二つに噛み切って殺した。人間は不死になれなかった。

*女の死神→〔死期〕4aの『百年の孤独』(ガルシア=マルケス)。

★4a.男装の女神。神は完全な存在だから、男女両方の性質をあわせ持つことをあらわす。

『古事記』上巻  スサノヲは根の堅洲国に去る前に、姉アマテラスに挨拶しようと、天に昇る。アマテラスは、「弟スサノヲは我が国を奪おうと思って、やって来るのだろう」と考え、髪を解いて男の髪型に結い直し、弓矢を帯して待ち構えた。アマテラスは大地を蹴散らし、おたけびをあげて、スサノヲと対決した〔*『日本書紀』巻1・第6段本文に同記事〕。

★4b.女神アマテラスの子孫である神功皇后も、戦いに臨んで男装をした。

『日本書紀』巻9神功皇后摂政前紀〔仲哀天皇9年4月〕  神功皇后は新羅征討にあたり、海に臨んで髪を解き、「霊験あるならば、髪が二つに分かれよ」と言って、頭を海に入れてすすいだ。すると髪は二つに分かれた。神功皇后は、分かれた髪をそれぞれに結い上げて男の髪型にし、「私は女であるが、男の姿となって出陣する」と群臣に語った〔*同年12月の「一云」にも、「神功皇后は男装して新羅を討った」と記す〕。

*少女ジャンヌ・ダルクは神の啓示を受け、男装して戦場に出た→〔処刑〕3の『裁かるるジャンヌ』(ドライヤー)。

 

 

【目印】

★1.神が人々に災いを与えるが、助けるべき人間には目印をつける。

『エゼキエル書』第9章  神が六人の男を呼び、偶像を崇拝するイスラエルの人々を罰するよう命ずる。六人のうち、書記の筆入れを腰につけた一人の男が、まず正しい人々を選別し、彼らの額にしるしをつけた。その後に他の五人が、しるしのない者たちを、老若男女を問わず殺し尽くした。

*神がカインの額にしるしをつける→〔さすらい〕2の『創世記』第4章。

*冥界の裁判官たちが、死者の前あるいは後ろにしるしをつける→〔裁判〕9の『国家』(プラトン)第10巻。

『蒙求』438所引『続斉諧記』  費長房から「九月九日に災いがおこる」と教えられた桓景一家は、費長房の指示通り、かわはじかみを赤い袋に入れ、それを肘にかけて高山に登り、菊酒を飲む。夕方家に帰って見ると、鶏・犬・牛・羊の家畜がみな死んでいた〔*重陽の節句の起源説話〕。

*茅(ち)の輪を、助けるべき人間の目印とする→〔輪〕2aの『備後国風土記』逸文、→〔輪〕2bの蘇民将来と茅の輪の伝説。

★2a.病気などの災いから救う家の戸口に、目印をつける。

『出エジプト記』第12章  神がエジプトの国を巡る、過ぎ越しの夜、イスラエルの民はモーセの教えに従って、羊の血を戸口に塗りつけた。この目印のない家では、ファラオ(=パロ)の初子(=長子)から家畜の初子にいたるまで、すべて命を絶たれた。死人が出なかった家は一軒もなかった。

『捜神記』巻15−4(通巻362話)  伯文の霊が、息子の佗に丸薬を渡し「来春疫病が流行するから、これを門の戸に塗れ」と教える。翌春果たして疫病が広がり、どの家にも白昼に幽鬼が現れたが、佗の家にだけは、幽鬼は入ろうとしなかった。

『半七捕物帳』(岡本綺堂)「かむろ蛇」  安政五年(1858)、江戸にコロリ(コレラ)が流行した時、「コロリの疫病神をはらうには、軒に八つ手の葉を吊るして置くと良い」と言われた。八つ手の葉は天狗の羽団扇に似ているから、という理由であった→〔葉〕6b

★2b.逆に、病気の災いを与える家に、目印をつける。

『宇治拾遺物語』巻4−15  ある男が夢の中で、怪しい人から「この家は、永超僧都に魚を奉った家だから、印をつけない」と言われた。村の他の家々には印がつけられ、その年の疫病で多くの人が死んだ。

★3.病人の出た家に目印をつける。

『黄(きいろ)い紙』(岡本綺堂)  明治時代には、コレラ患者の出た家には黄色い紙を貼る決まりだった。ある旦那の囲いものだった女がコレラになり、黄色い紙を二枚示して、「一枚は自家(うち)に、もう一枚は柳橋の某家に貼ってほしい」と警察に頼んだ。柳橋には旦那の新しい愛人の家があったが、彼女もコレラになり、囲いものの女と同じ日に死んでしまった。

★4.特定の人の身体や衣服に目印をつけておき、後にその人をさがす。

『江談抄』第3−20  勘解相公有国を闇討ちする計画があった。有国は暗がりの中で油を用意して立っていた。闇討ちする人の直衣の袖に油をかけ、翌朝その人を知ろうとしたのである。

『十八史略』巻6「五代」  趙匡胤の軍が南唐と戦った時のこと、戦闘に力をつくさない兵士を見ると、匡胤は督戦するふりをして近づき、その士卒がかぶっている笠に刀傷をつけた。翌日、彼はくまなく兵士たちの笠を調べ、刀傷のある数十人を斬り捨てた。

★5.犯罪者の身体や衣服に目印をつけて、捕らえる。

『M』(ラング)  小学生の少女たちばかりをねらう連続殺人鬼がいた。青年が、街を歩く一人の男を殺人鬼であると知って、後をつける。青年は自分の掌にチョークで「M」の字を書き、殺人鬼の背後から肩をたたく。殺人鬼のコートに「M」の字がつく。町の労働者・浮浪者・前科者たちの一団が、「M」の字を目印に殺人鬼を追いつめる→〔処刑〕7

『西鶴諸国ばなし』巻5−4「闇(くら)がりの手形」  旅の宿で大勢の賊に犯された女が、奉行に訴え出、宿場中の男を集めさせる。「何人かの背中に鍋炭の手形がついているはず」との女の言葉に、奉行は男たちの肩を脱がせて犯人を見きわめ、賊十八人を処刑した。

*女(太陽)が、自分を抱く謎の男(月)の背中に黒い煤をぬる→〔月の模様〕4の太陽と月(北米、エスキモーの神話)。

★6.特定の物に目印をつけておき、後に、その物に関わる人物をつきとめる。

『今昔物語集』巻10−34  聖人が通力をもって国王の后を山奥の庵に運び、犯してからまた王宮へ送り返す。后は掌に墨を塗っておき、庵の障子に手形をつける。国王の命を受けた使者達が方々の山を捜し、墨の手形がついた庵をつきとめる。

*紙幣に目印→〔紙幣〕2の『エーミールと探偵たち』(ケストナー)など。

★7.ある人物の衣服や持ち物の特徴を目印にして、その人を捜す。

『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)(河竹黙阿弥)「笹目が谷柳原」  百両を懐に帰る十三郎に、「夜道は物騒だから」と、与九兵衛が提灯を持たせる。与九兵衛の意を受けた非人たちが、提灯を目印に十三郎を襲おうとするが、それ以前に十三郎は提灯を紅屋与吉に貸していた。

『史記』「佞幸列伝」第65  漢の孝文帝が天に上ろうとする夢を見る。後から押し上げてくれる者がいたため、上ることができた。ふり返って見ると、その男の衣服にほころびがある。帝は目覚めてから、ほころびを手掛かりとして、夢で見た男を捜し出し寵愛した。

★8.身を守るための目印が、敵にとっては、ねらうべき目印になる。

『ニーベルンゲンの歌』第15〜16歌章  ジーフリト(ジークフリート)暗殺をたくらむハゲネが、味方のふりをしてジーフリトの妃に近づく。妃は、夫の衣裳の背中の一ヵ所に絹糸で十字の印を縫いつけ、「そこが不死身の夫の唯一の急所だから、戦場で夫を守護してほしい」とハゲネに請う。ハゲネはジーフリトを狩りに誘い出し、槍で十字の印を突き刺して、ジーフリトを殺す。

★9.無意味な目印。

『醒睡笑』巻之1「鈍副子」25  田舎者主従が上京し、宿で休息した後、都見物に出かける。主人が「同じような家並みゆえ目印をしておけ」と命じ、従者は宿の門柱に唾をつけ、さらに念を入れて、屋根に鳶が二羽とまっているのを覚えておく。夜になって宿に帰ろうとするが、唾の跡は見えず、鳶もいない。

『百喩経』「船上から鉢を落とした喩」  旅人が船で海を渡る時、鉢を水中に落とし、「今は水にしるしをつけるだけにして、後日取りに来よう」と考える。二ヵ月後、彼は師子国に到り、河を見て、「同じ水だ」と思って鉢を捜す。

★10a.船に目印をつける。

『船につけたしるし(その1)』(イギリスの昔話)  アイルランド人が船に荷を積む手伝いをするが、出帆の間際に、シャベルを海へ落とした。彼は船着場から船長に叫ぶ。「落としたあたりの船尾の手すりに、刻み目を入れておいたから、見つかると思うよ」。

『呂氏春秋』巻15「慎大覧・察今」  楚人が長江を舟で渡る時、剣が水に落ちた。楚人はあわてて舟に印を刻み、「ここから私の剣が落ちた」と言った。舟が止まった後に、楚人は目印の所から川に飛び込んで剣を探した。 

*動く目印→〔禿げ頭〕3の『サザエさん』(長谷川町子)。

★10b.船に目印をつけても安心できない。

『船につけたしるし(その2)』(イギリスの昔話)  AとBが小舟を借りて釣りに出かけ、よく釣れる場所を見つけた。明日もここで釣りをしようと決めて、Aは舟の底に目印をつける。岸に戻ってそのことを聞いたBは、「このまぬけ野郎」とののしる。「明日借りる時は、別の舟かもしれないじゃないか」。 

★11a.空につけた目印。

『ピーター・パン』(バリ)4  ピーター・パンは、ウェンディ、ジョン、マイケルを連れて空を飛び、ネバーランドの島を目指す。ピーターが「そら、あそこだ」と言う方向をウェンディたちが見ると、百万本もの金の矢が、島のある所を指し示していた。それは、太陽がつけてくれた目印だった。

★11b.宇宙空間につけた目印。

『レ・コスミコミケ』(カルヴィーノ)「宇宙にしるしを」  昔、「わし(Qfwfq)」は天の川のへりから身を乗り出して、何もない宇宙空間にしるしをつけた。銀河系が回転して六億年たつと、「わし」は再びそのしるしに出会えるはずだった。ところが、他の惑星系のKgwgkというやつが、「わし」のしるしを消して別のしるしをつけた。ほかの連中も真似をして、いろいろな所にしるしをつけはじめる。今や宇宙は、無数のしるしの連続と堆積に化してしまった。

 

※額の目印→〔額の印〕に記事。

※災いを招く目印としての血→〔水没〕1の『捜神記』巻13−8(通巻326話)。

 

 

【目印を消す】

★1.目印となるものを捨てる、切り落とす。

『三国志演義』第58回  敗走する曹操一行を西涼の軍勢が追い、「赤い袍を来たのが曹操だ」と叫ぶ。曹操が赤袍を脱ぎ捨てると、今度は「長い髯の奴が曹操だ」との声が上がる。刀を抜いて髯を切り落とすと「短い髯が曹操だ」と言われ、曹操は旗の端で頭をくるんで逃げる。

★2.同じ目印を多くの人、場所につけて、本来の目印がどれなのか、わからなくする。

『青いあかり』(グリム)KHM116  魔法を使う小人にさらわれる王女が、道すじに多くのえんどう豆を落としておく。しかし小人がその目印を消すために、すべての往来にえんどう豆をまく。翌朝、王女の家来たちが、えんどう豆を手がかりに誘拐犯の居所を探そうとするが、方々の往来では、子供たちが「ゆうべはえんどう豆の雨が降った」と言って、豆を拾っていた。

『説苑』巻6「復恩」  楚の荘王が臣下とともに宴会をする。明かりが消えた時、美人の袖をひく者がいる。美人はその者の冠の纓を切り、王に訴える。王は「士に恥を与えるのはよくない」と言い、暗闇の中で全員に「纓を切れ」と命ずる〔*『鎌倉三代記』(千竹・鬼眼増補)2段目の松田左近・朝路密会の場に、同じモチーフが見られる〕。

『千一夜物語』「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」マルドリュス版第857夜  盗賊団から派遣された一人がアリ・ババの家を捜し出し、その戸口に白墨で目印をつける。それを知ったアリ・ババの侍女マルジャーナが、まわりの多くの家々にも同じ印を書きつける。盗賊団がアリ・ババの家を襲おうとやって来るが、どの家にも同じ目印がついているので途方にくれ、引き返して行った。

『デカメロン』(ボッカチオ)第3日第2話  王が、妃を犯した犯人を捜して、下僕たちの寝る部屋へ行く。暗闇の中、王は、犯人と思われる馬丁(*→〔心臓〕5a)の髪を片側だけ切り取って、目印にする。王が去った後、馬丁は仲間の下僕たちの髪も自分と同じように切り落とす。王は翌朝、犯人を明らかにすべく下僕たちを召集するが、全員片側の髪が切られていた〔*『ドイツ伝説集』(グリム)404「アギルルフとテウデリント」に類話〕。

『火打箱』(アンデルセン)  兵隊が、魔法の火打箱から出た犬を使って、夜のうちに王女をさらい、朝には城へ戻す。女官が跡をつけて、兵隊の家の戸口にチョークで十字の印をつける。犬がそれを見つけ、町中の家の戸口に十字を書きつける。

 

 

【面】

 *関連項目→〔仮面〕

★1.肉づきの面。

『磯崎』(御伽草子)  磯崎某の妻が夫の新しい愛人を憎み、鬼の面をかぶり、杖をふるって、愛人を打ち殺す。その後、妻が面を取ろうとしても顔から離れず、持った杖も、手にくっついたままになる。妻は、息子の稚児学生に諭されて悪心を止め、しばらく黙坐すると、やがて面も杖も取れた〔*頭部にくっついて取れないという点で→〔頭〕4の『徒然草』第53段、→〔仮面〕1の『鉢かづき』と類縁の発想〕。

*蛙が顔にくっついて取れない→〔蛙〕7の『親不孝なむすこ』(グリム)KHM145。

『鬼婆』(新藤兼人)  南北朝時代。男が戦場へ駆り出されて死に、男の母(演ずるのは音羽信子)と嫁が、芒(すすき)の原に暮らしていた。嫁が愛人をつくったので、母が鬼の面をかぶって嫁を脅す。しかし二度、三度と脅すうち、面が顔について取れなくなる。嫁が木槌で面を叩き割ると、中から現れた母の顔は血にまみれ、鬼さながらだった。嫁は悲鳴をあげて逃げ去る。母は「わしは鬼じゃない。人間じゃ」と叫んで追いかけ、深い穴に落ちて死んでしまった。

『脱殻(ぬけがら)(狂言)  酔って道の真中で眠る太郎冠者に、主人が鬼の面をかぶせる。目覚めた太郎冠者は清水に映る顔を見て、「鬼になってしまった」と嘆き、清水に身を投げる。その時、面が落ちたので、太郎冠者は「鬼の脱殻がある」と、主人に告げる。

★2.顔の肉が面にくっついて取れてしまう。

翁面の伝説  鎌倉時代に西大寺の忍性上人が、癩病患者の収容施設・北山十八間戸(けんこ)を、般若寺近くに建てた。京のお姫様が癩病になり、北山十八間戸に入って阿シュク如来を拝んでいた。京から使者が来て、「この面をつけてお帰り下さい」と、一つの面を姫に渡す。姫は面をかぶって京へ向かい、奈良坂まで来ると、顔の醜い肉が、面にくっついて取れてしまい、もとのきれいな顔になった。この面が、今の奈良坂の奈良豆比古(ならずひこ)神社の翁面だという(奈良市)。

★3.人肉の面。

『百面相役者』(江戸川乱歩)  田舎の芝居小屋の百面相役者が、男・女・老人・若人・貴族・賤民、あらゆる者に変装するのを見て、「僕」は感心する。すると友人Rが、「あの役者は墓をあばいて死者たちの顔の皮をはぎ、それで作ったさまざまな人肉の面を顔につけているのだ」と教えたので、「僕」は驚く〔*しかしそれは、Rが面白半分にデタラメを言ったのだった〕。

★4.凶相の面。

『修禅寺物語』(岡本綺堂)  伊豆の面作師(おもてつくりし)夜叉王は、修善寺の里に幽閉された源頼家から、似顔の面の製作を依頼される。しかし夜叉王の打つ面には死相があらわれ、幾度打ち直しても生きた面ができないので、夜叉王は頼家に面を渡さなかった。短気な頼家が強引に面を受け取って帰ったその夜、北条の刺客が頼家を暗殺した。

★5.愚かな動物が、面をつけた役者を見て、「上手に化けるものだ」と感心する。

『たのきゅう』(日本の昔話)  爺に化けたうわばみが、旅役者たのきゅうの名前を「狸」と聞き違え、「狸なら上手に化けるだろう。化けてみせてくれ」と言う。たのきゅうは芝居で使う面をいくつか持っていたので、女の面をかぶって芸をする。うわばみは感心し、いろいろと話をし始める(高知県高岡郡東津野村)→〔物語〕3b

*能役者が次々に面を付け替えて見せると、狐は「うまく化けるものだ」と感心する→〔わざくらべ〕4のおさん狐の伝説。

 

※鬼の面をかぶって人を脅す→〔鬼に化す〕3の『伯母が酒』(狂言)など。

※ひょっとこの面→〔ひょっとこ〕に記事。

 

 

【麺】

★1a.索餅(そうめん)を供える。

『星の神話・伝説集成』(野尻抱影)「たなばた・うりばたけ」  七夕祭りにそうめんを供えるのは古くからの習慣だが、起源は中国の伝説にある。高辛子という悪童が七月七日に死んで小鬼となり、疫病を流行させた。高辛子は生前に索餅(そうめん)を好んで食べたので、当日これを供えて祀(まつ)り、一般の人々も食べれば、疫病を免れることができるというのである。

『和漢三才図会』巻第105・造醸類「索餅」  帝王・高辛子(黄帝の曾孫)の少子は七月七日に亡くなった。少子の霊は一足なき鬼神となり、人々を瘧病(おこり)にした。その霊はいつも麦餅(索餅)を食べるので、命日になると、これを供えて祭るのである。

★1b.『遠野物語拾遺』296(*→〔妻食い〕2)の異伝。

『星の神話・伝説集成』(野尻抱影)「たなばた・うりばたけ」  故佐々木喜善君が「わたし(野尻抱影)」に報じてくれた物語。昔、東北の或る地方でのこと。旅に出た夫の留守に、村の若者たちから言い寄られるのを厭うた妻が、操を守るために川へ身を投げて死んだ。そこへ夫が帰って来て、悲嘆のあまり、死んだ妻の肉と筋を食べた。この夫妻が、七夕の女夫(めおと)星となったのだが、今でもその地方で七夕にそうめんを食べるのは、妻の身体の筋を記念して供養するのだという。

★1c.初めて食べたそうめん。

『元結素麺』(日本の昔話)  男が他所(よそ)ではじめて素麺を御馳走になり、たいへんに美味しかったので、店へ行って「白き長き細きをくれよ」と注文した。店の者は「元結のことだろう」と思って、男に売った。男は喜んで買って帰り、煮て食べたけれども、前のような味わいはなかった(福岡県京都郡)。

★1d.鰡(ぼら)がそうめんを食べる。

『つる』(落語)  男が横町の甚兵衛さんの家を訪れ、甚兵衛さんが手慰みに描いた絵を見せてもらう。男「変った絵だ。ボラがそうめん食うてる。ボラが尾で立って口を開けているところへ、そうめんがザーッと・・・・・・」。甚兵衛「面白い見方をするなあ。これは鯉の滝登りというて、有名な図柄だ」→〔名付け〕13

★2.麦縄(=冷麦)。

『今昔物語集』巻19−22  夏の頃、某寺で客人たちが麦縄を食べ、いくらか食べ残しが出た。寺の別当が「旧麦は薬になる」と言って、残りの麦縄を折櫃(をりひつ)に入れ、棚に置いてそのまま忘れてしまう。翌年の夏、別当はそのことを思い出し、折櫃の蓋を開けたが、麦縄はなく、小さい蛇がとぐろを巻いていた。何人かがそれを見た。別当は蛇を河に流した。

★3.ラーメン。

『タンポポ』(伊丹十三)  雨の夜、タンクローリーの運転手ゴロー(演ずるのは山崎努)が、さびれたラーメン屋に入る。そこは若い未亡人タンポポ(宮本信子)が、小学生の息子ターボーを育てつつ、一人で切盛りする店だった。ラーメンスープがぬるい、などの問題点をゴローが指摘すると、タンポポは「弟子にして下さい」と懇願する。ゴローはラーメン作りの職人や名人をタンポポに引き合わせ、タンポポは彼らの指導を受け、技術を盗んで、ついに町一番の美味しいラーメンが完成する。新装開店の日。大勢の客が列をつくり、タンポポがいそがしく立ち働く中、ゴローはタンクローリーに乗って去って行く。

*伊丹十三が「ラーメンウェスタン」と言うように、物語の骨格は→〔さすらい〕3の西部劇『シェーン』をふまえている。

 

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