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『賀茂』(能) 播州室(むろ)の明神に仕える神職が賀茂神社に参詣して、白木綿に白羽の矢を立てた川辺の祭壇を見る。水汲みの二人の女が、その由来を説明する。「昔、秦(はだ)の氏女(うじにょ)が水を汲んでいた時、川上から白羽の矢が流れ来て、水桶に止まった。矢を持ち帰り、庵の軒にさして置くと、氏女は懐妊して男児を産んだ。後に矢は雷となって天に昇った。母と子と矢が、賀茂三所の神である」。
『猿神退治』(日本の昔話) 村の鎮守が毎年一人ずつ娘を食う。人身御供になる娘の家には、白羽の矢が立つ。今年白羽の矢が立った家で皆が泣いている所へ、旅のばくち打ちが通りかかる。ばくち打ちは「鎮守様なら村人を守るはず。これは化け物に違いない」と考え、猛犬「天地白」を使って化け物を退治する(福島県南会津郡)。
*神が矢に姿を変えて、女と結婚する→〔川の流れ〕1の『山城国風土記』逸文、→〔厠〕1の『古事記』中巻。
『蛙の王女』(ロシアの昔話) 王が三人の息子に命ずる。「各自、別々の方向へ矢を放ち、自分の矢が落ちた屋敷の娘を妻とせよ」。長男の矢は貴族の邸の真向かいに落ち、彼はそこの姫君を妻とした。次男の矢は商人の邸の玄関にささり、彼はそこの娘を妻とした。末子のイワン王子の矢は、きたない沼に落ち、蛙がその矢をくわえていた。イワン王子は、蛙を妻とした→〔蛙女房〕4。
『ヴィルヘルム・テル』(シラー)第3幕第3場 代官ゲスラーの命令で、ヴィルヘルム・テルは息子の頭に載せたりんごを弓で射抜く。しかし矢を二本持っていた理由を問われ、テルは「もし息子に矢が当たったら、第二の矢でゲスラーを射るつもりだった」と答えて、捕らえられ連行される。テルは途中で脱出し、ゲスラーを待ち伏せして、弓で射殺す。
『十訓抄』第10−56 高倉院の御代、御殿の上の鵺(ぬえ)を源頼政に射させるよう、ある人が奏上した。五月闇(さつきやみ)の中、頼政はみごとに鵺を射当てたが、蟇目矢(ひきめや)のほかに征矢(そや)を持っていたのは、もし失敗した時には、このことを奏上した人を射るためだった。
吉備津彦と温羅の伝説 百済の王子温羅(うら)が日本に来て、岡山の鬼の城に住んだ。温羅は身長約四メートルで、鬼のごとき姿だった。四道将軍の吉備津彦と温羅が戦ったが、双方の矢が途中で喰い合って落ち、勝負がつかない。住吉大明神が童姿で現れ、吉備津彦に「一度に二本の矢を射よ。一本は喰い合い、一本は温羅に当たる」と教え、吉備津彦は温羅を退治することができた(岡山市吉備津)。
『変身物語』(オヴィディウス)巻1 クピードは、アポロンとダフネ(=ダプネ)を射るために、矢筒から二本の矢を取り出す。一本は恋心をかきたてる金の矢で、もう一本は恋を去らせる鉛の矢である。クピードは金の矢でアポロンを射、鉛の矢でダフネを射る。たちまちアポロンは恋心を抱いてダフネを追い、ダフネはこれを嫌って逃げる。
『常山紀談』巻之16 重病の毛利元就が子供たちを集める。そして彼らの数ほどの矢を取り寄せて、「多くの矢をたばねて折ろうとしても、折り難い。一本ずつに分けて折れば、たやすい。兄弟心を同じくして相親しむべし」と遺言した〔*一般には、三人の息子に三本の矢を折らせる、という形で伝えられる〕。
『乱』(黒澤明) 戦国武将・一文字秀虎(演ずるのは仲代達矢)は、引退して子供たちに国を譲ろうと考え、三人の息子(太郎・次郎・三郎)に、「三本の矢を一度に折ってみよ」と命ずる。太郎と次郎が試みるが、折れない。秀虎は「このように兄弟三人力を合わせれば、国は安泰だ」と教訓する。しかし三郎(演ずるのは隆大介)は、父秀虎の単純な考えを不満に思い、三本の矢を無理やり折ってしまう。
*→〔分割〕4の『イソップ寓話集』53「兄弟喧嘩する農夫の息子」が原型であろう。
『椿説弓張月』前篇巻之1第1回 鎮西八郎為朝が自らの弓の腕前を誇ったので、少納言信西は弓の名手二人に為朝を射させ、「矢を受け止めてみよ」と言う。二人の名手は、二本ずつ矢を放つ。為朝は最初の二本を左右の手で握り、三本目を上衣の袖に受け、四本目は口でくわえて鏃(やじり)を噛み砕いた。
『元朝秘史』巻1 アラン・ゴア(チンギス・ハンの遠祖である女)は、五人の男児を産んだ。彼女は、五人の息子たちに一本ずつ矢を与えて折らせ、ついで、五本の矢の束を折らせた。一本の矢はたやすく折れたが、五本の矢の束は折れなかった。アラン・ゴアは息子たちに、兄弟団結の意義を教えた。
『三国志演義』第46回 諸葛孔明は周瑜に向かって、「三日で十万本の矢を調達する」と豪語する。一日目・二日目は孔明は動かず、濃い霧のたちこめた三日目の夜更け、二十隻の船で、揚子江北岸の曹操の陣へ押し寄せる。曹操の陣から射かけられるおびただしい矢を、各船の幔幕や藁束で受け止めてから、孔明は引き上げる。各船に五〜六千本ずつ、計十万本余の矢が孔明の手に入る〔*類話である→〔藁人形〕4の『南総里見八犬伝』第9輯巻之35下第161回では、二〜三万本の矢を得る〕。
『東海道名所記』巻4「岡崎より池鯉鮒まで三里八町」 昔、日本武(やまとたけ)の尊(みこと)が東夷を滅ぼそうと、都を出発して岡崎あたりまで下って来られた。そこで多くの矢を作らせられたので、以後、その地を「矢はぎ(矢作)」と言うようになった。
『和漢三才図会』巻第74・大日本国「摂津」 神武天皇が長髄彦(ながすねひこ)と戦った時、天皇の軍は矢が尽きて退却した。大和の国神・椎根津彦(しいねつひこ)が、すぐに持っている箱から数万の矢を出し、天皇の軍は気力を得て、逆賊を射て退けた。椎根津彦はさまざまな物資を調達・供給したので、天皇は「汝はどうして自在神力の術があるのか?」と問う。椎根津彦は「我は天祖のはじめの子、蛭子(ひるこ)命の大神である。天下の富持神である」と言った〔*西宮の恵比寿神である〕。
*イザナキとイザナミの子・蛭子(水蛭子)→〔子捨て〕4の『古事記』上巻、→〔足が弱い〕1の『日本書紀』巻1。
『高館』(幸若舞) 平泉に身をよせる義経を討つべく、頼朝が軍勢を派遣する。弁慶は敵軍を相手に奮戦するが力尽き、衣川の真砂に長刀を突き立て、真言を唱えつつ、立ったまま死ぬ。敵勢は、弁慶が生きていると思い、遠くから矢を射かける。弁慶の身体に多くの矢が刺さるさまは、蘆を束ねて板戸を突くごとくであった。
『マハーバーラタ』第6巻「ビーシュマの合戦と死の巻」 パーンドゥ一族とクル一族の大戦争が始まって十日目。クル軍の総大将ビーシュマは、パーンドゥ家のアルジュナが次々に放つ矢を全身に射込まれて、ついに倒れる。しかし隙間もなく刺さった矢のために、ビーシュマの身体は地面に触れない。ビーシュマは無数の矢の床に横たわって、静かに死を待つ。
『弓と禅』(ヘリゲル)8「暗中の的」 夜の真暗闇の中で、阿波研造師範は二本の矢を射た。電燈をつけて見ると、甲矢(はや)は、的の黒点の中央に当たっていた。乙矢(おとや)は、甲矢の筈(はず)を砕いてその軸を少しばかり裂き割り、甲矢と並んで黒点に突き刺さっていた。呆然とする「私(ヘリゲル)」に、師範は言った。「甲矢の方は、大した離れ業でもないでしょう。しかし、甲矢に当たった乙矢 ―― 。この『射』は“私”の功ではありません。“それ”が射たのです」→〔無心〕4。
*「第一の矢」が、自分の射た矢ではなく他人の射た矢、という場合もある→〔弓〕1aの『アイヴァンホー』(スコット)第13章。
★11b.後続の矢が次々に前の矢に刺さり、多数の矢がつながって一直線に空中に並ぶ。
『名人伝』(中島敦) 弓の名手紀昌が、百本の矢の速射を試みる。第一矢が的に当たれば、続いて飛び来った第二矢は、第一矢の括(やはず)に誤たず突き刺さる。第三矢以降も同様で、後矢の鏃(やじり)は必ず前矢の括に喰い込むゆえに、地に堕(お)ちることがない。瞬くうちに、百本の矢は一本のごとく相連なって宙に並んだ。
『アンズーの神話(ズーの神話)』(古代アッカド) 怪鳥アンズー(=ズー)が、エンリル神のすきを見て、主神権の象徴である天命の書板を奪って逃げる。ニンギルス(=ニヌルタ)神がアンズーに向けて葦の矢を放つが、アンズーが「葦の矢よ、もとの茂みへ帰れ」と言うと、矢は戻って来る。
『黄金伝説』95「聖クリストポルス」 異教徒の王が聖クリストポルスを柱に縛りつけ、四百人の兵士に命じて矢を放たせる。矢はすべて空中で止まり、一本が向きを変えて王の眼にささる→〔血の力〕1。
『黄金伝説』122「聖サウィニアヌスと聖女サウィナ」 皇帝アウレリアヌスが聖サウィニアヌスを杭に縛り、矢を射させるが、矢はすべて空中に静止した。翌日、皇帝がサウィニアヌスを嘲ると、矢が飛んできて皇帝の眼をつぶした→〔血の力〕1。
『今昔物語集』巻2−25 阿闍世王が、盗みをした男を殺そうと弓で射る。王は弓を三度射るが、矢は男の身体に当たらず、くるりと回って王の方に向かって落ちた。王が驚き恐れて男に問うと、男は盗みの理由を語る。男は「殺されたい」と願って、法を犯し盗みをはたらいたのだった→〔自殺願望〕3。
『今昔物語集』巻9−20 継母のために家を追われた伯奇は川に身を投げて死に、鳥と化して父母の前に姿をあらわす。継母が「悪心ある怪鳥だ」と言って父に射させるが、矢は鳥の方には行かず、継母の方へ飛んでその胸に突きささる。
『法句譬喩経』巻4「利養品」第33 優填(ウテン)大王が、仏に帰依し斎戒する夫人を縛って射殺そうとする。しかし王が矢を放つと、矢は王の方へ戻って来る。数度試みても同じなので、王は恐れて夫人のいましめを解いた。
『古事記』上巻 葦原中国平定のために高天原から派遣された天若日子は、「自分がこの国を得よう」と考え、高天原へ何の報告もせぬまま八年間が過ぎた。雉の鳴女(なきめ)が飛来した時、天若日子は弓で射る(*→〔あまのじゃく〕2)。矢は雉を貫いて、高天原まで届いた。高木神が矢を投げ返し、「もしも天若日子が邪心をもって射た矢ならば、天若日子に当たれ」と言った。矢は天若日子の胸に刺さり、彼は死んだ〔*『日本書紀』巻2神代下・第9段一書第1に類話〕。
『黄金のろば』(アプレイユス)巻の4〜5 女神ヴェヌスが息子のエロス(クピード)に、「美女プシュケを、世界で一番卑しい人間と結婚させよ」と命ずる。ところがエロスは、愛の矢を射ようとして誤って自分の身を矢先で傷つけてしまい、エロス自身がプシュケを恋するようになる。
※矢をはね返す『観音経』→〔経〕1の『太平記』巻3「赤坂の城戦の事」。
※矢を防ぐペンダント→〔装身具〕4の『ピーター・パン』(バリ)。
『源氏物語』「薄雲」 光源氏三十二歳の年、最愛のひと藤壺(入道后の宮)は、女の厄年である三十七歳を迎えた。その年の正月以来、藤壺は病悩が続き、三月には重態に陥り、光源氏に見取られて崩御した。
『源氏物語』「若菜」下〜「御法」 紫の上は、厄年である三十七歳の正月下旬に発病して、重態となった。四月頃には、六条御息所の死霊が出現して、紫の上は一時息が絶え、死去の噂も立った。六月になって小康を得たが、その後も病気がちのまま、紫の上は数年後に没した。
*春琴は三十七歳で顔に火傷を負った→〔火傷(やけど)〕1の『春琴抄』(谷崎潤一郎)。
『小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』(河竹黙阿弥) 大磯の遊女十六夜(いざよい)と極楽寺の僧清心は、心中しようと稲瀬川に身を投げる。その時十六夜は、名よりも年は三つ増しの厄年十九歳、清心もまた厄年の二十五歳だった〔*しかし二人は心中に失敗する〕。
『曾根崎心中』 平野屋の手代徳兵衛と天満屋の遊女お初は、曾根崎の森で心中する。その時、徳兵衛は二十五歳の厄年、お初も十九歳の厄年だった。
*厄年の清十郎(二十五歳)は刑死、厄年より三つ若いお夏(十六歳)は乱心→〔下宿〕3の『好色五人女』巻1「姿姫路清十郎物語」。
『母のない子と子のない母と』(壺井栄)11 迷信深い田舎では、親の厄年に生まれた子は「鬼っ子」だというので、七夜のうちに村の四つ辻などへ捨てるならわしがあった。あらかじめ拾い親が決まっており、すぐにその辺のかげから出て来て子供を抱き上げ、家へ帰る。そのあとを追うようにして、産みの親が子供をもらいに行き、それでもう「鬼っ子」ではなくなる。捨てる代わりに、「捨吉」「捨次」など、「捨」の字の名をつけてすませることもあった。
*無事成長を願って子を捨てる→〔子捨て〕7の『聞書抄』(谷崎潤一郎)その5。
『春琴抄』(谷崎潤一郎) 盲目ながら美貌の春琴は琴の師匠をし、同居する弟子の佐助が事実上の夫だった。春琴は三十七歳の時、ある夜、何者かによって顔面に熱湯をかけられ、火傷を負った。医師の手当てを受けた後も、春琴は終日頭巾をかぶって顔を人に見せず、とりわけ佐助に顔を見られることを恐れた。
*三十七歳は女の厄年→〔厄年〕1の『源氏物語』。
*『春琴抄』の発想源になった小説→〔像〕9の『グリーブ家のバーバラ』(ハーディ)。
『夏祭浪花鑑』「釣舟三ぶ内の場」 一寸徳兵衛の女房お辰は、主人筋にあたる玉島家の若君磯之丞を、大阪から備中玉島まで連れて行くよう依頼される。しかし、「お辰は美貌だから、磯之丞との間に間違いが起こるかもしれぬ。そうなったら、お辰の夫徳兵衛に顔向けできない」と危ぶむ人がいたので、お辰はその場にあった鉄弓(火箸の類)で自分の顔を焼き、醜い傷をつける。
*同様の状況で、美男のばあいは自分の性器を切断する→〔去勢〕1の『閹人あるいは無実のあかし』(澁澤龍彦『唐草物語』)。
美人の出ない村の伝説 宇検村石原に、村一番の美女がいた。彼女はその美貌ゆえに、琉球王の侍女として沖縄へ行かねばならなかった。美女はそれをいやがり、自分の顔を火箸で焼いて傷つけ、沖縄行きを免れた。美女は「今後この村には、私のような美女が生まれないように」と太陽に祈り、以来、村には美人が生まれないようになった(鹿児島県大島郡宇検村石原)。
*美女ゆえ、他国の王に嫁がねばならない→〔肖像画〕2の『うつほ物語』「内侍のかみ」など。
★3.地蔵菩薩や阿弥陀如来が、人の身代わりになって火傷を負う。
『さんせう太夫』(説経) さんせう太夫の息子三郎が、安寿とつし王(厨子王)姉弟の顔に、焼き金を十文字に当てる。その後、姉妹は「山へ行って仕事をせよ」と命ぜられる。山道を登る途中、安寿とつし王は、互いの顔につけられた焼き金のあとが消えたことに気づく。膚守りの地蔵菩薩を見ると、二人の身代わりとなって、白毫(びゃくがう=眉間にある毛)の所に焼き金を受けていた。
*『山椒大夫』(森鴎外)では、現実に焼き金を当てられるのではなく、焼け火筋(ひばし)を当てられる夢を見る→〔額の傷〕1。
『沙石集』巻2−3 金持ちの主人が、赤く焼けた銭を女童(めのわらわ)の片頬に当てて罰した。その後で主人は持仏堂へ行き、本尊である金色の阿弥陀立像を拝む。すると阿弥陀像の頬に、銭の形が黒くついていたので、主人は驚く。女童を呼んで頬を見ると、少しの傷もなかった。阿弥陀像の銭形は、金箔を何重に貼っても隠すことができなかった。
『チート』(デミル) 実業家夫人エディスは、日本人富豪の鳥居(演ずるのは早川雪洲)によって、左肩に焼きゴテを当てられた(*→〔金貸し〕2)。エディスは拳銃で鳥居を撃って傷を負わせ、エディスの夫が「私が撃った」と言って罪を引き受ける。エディスは法廷で左肩をあらわして、焼き印の跡を裁判官や大勢の傍聴人たちに見せる。傍聴人たちは鳥居を罵り、エディスと夫は無罪になる〔*日本で「国辱映画だ」と非難の声があがり、後に、「日本人富豪鳥居」から「ビルマ人富豪ハカ・アラカウ」へ、設定が変更された〕。
『戦争と平和』(トルストイ)第2部第1篇 ロストフ家の少女ナターシャは、従姉ソーニャへの愛を証明するために、定規を火で焼いて肩の下に押しつけ、赤い傷あとを作った。
『月女のヤケドの跡』(アルゼンチンの民話) 昔は、女が男に命令していた。ある時、男たちは、女にだまされていたことに気づき、女たちを殺した(七歳以下の女児は見逃してやった)。月も女だったが、たいへん強いので、殺すことはできなかった。男たちは、地上に降りた月を捕らえて、火に入れた。その時の火傷のあとが、今も月にはある。
『今昔物語集』巻7−46 恵如禅師(隋代の人)が三昧定に入り、七日後に眼を開くと、脚が焼けただれてひどく痛んだ。入定の間、恵如は閻魔王から招かれて冥府で仏事を営み、亡き両親を見た。一人は亀になっており、一人は地獄の熱鉄の湯の中にいた。その時、地獄の猛火が飛んで、恵如の脚に当たったのである。火傷は銭ほどの大きさで、百日余りで治った。
*冥府で受けた傷のあと→〔傷あと〕8の『沙石集』巻2−5。
※性器に火傷を負う→〔火〕1aの『古事記』上巻(イザナミ)。
*関連項目→〔ホテル〕
『牛方と山姥』(日本の昔話) 牛方が山姥に追われて、木に登る。下の沼に牛方の影が映り、山姥は、沼の中に牛方がいると思って捜し回る。その間に牛方は逃げて一軒の家に入りこむ。ところが、やがて帰って来た家の主は、先程の山姥だった(新潟県南蒲原郡)。
『黒塚(安達が原)』(能) 熊野東光坊の祐慶と同行の山伏とが、廻国行脚して奥州安達が原に到る。日が暮れたので彼らは、庵に一人侘び住いする女に宿を請う。女は実は黒塚に棲む鬼女であり、大勢の旅人を殺し死骸を閨の内に隠していた。女は「閨の内を見るな」と禁じ、山へ薪を取りに出かける→〔部屋〕2b。
『注文の多い料理店』(宮沢賢治) 二人の紳士が山奥で猟をした帰り、「山猫軒」という西洋料理店に入る。いくつも扉があって「帽子や靴を取れ」「ネクタイピンや眼鏡を置け」「身体にクリームを塗れ」などの注文が書いてある。二人の紳士は、料理されるのは自分たちであることを悟る。
*古寺に宿ると、鬼たちがやって来た→〔空間移動〕1aの『宇治拾遺物語』巻1−17。
*お菓子の家を見つけるが、それは魔女の住み家だった→〔森〕2の『ヘンゼルとグレーテル』(グリム)KHM15。
*化け物が出る宿を訪れる・泊まる→〔化け物屋敷〕1の『狗張子』(釈了意)巻7−2「蜘蛛塚のこと」など。
『神霊矢口渡』4段目「頓兵衛住家の場」 落人となった新田義峯が妻の台(うてな)を連れ、矢口の渡(わたし)まで来て、渡し守頓兵衛の家に一夜の宿を請う。頓兵衛は、足利方からの褒賞を目当てに、寝所の義峯を殺そうとする。しかし、頓兵衛の娘お舟が義峯に一目惚れし、「この世ではならぬが、未来(来世)で添うてやろう」との言葉を頼みに、義峯を逃がしてその身代わりとなる→〔子殺し〕7。
『本朝二十不孝』(井原西鶴)巻2−2「旅行の暮れの僧にて候」 熊野参詣の旅僧が、岩根村の勘太夫の家に足休めし、饗応を受けて立ち去る。旅僧が大金を所持していたことを、その家の九歳の娘小吟が父に教え「殺して金を取れ」とささやく。父は旅僧を追いかけて殺し、百両を奪う(*同じ西鶴の『新可笑記』巻1−4「生肝は妙薬のよし」では、逆に、宿を借りた僧がその家の娘を殺す→〔五月〕1)。
*旅人がしびれ薬を飲まされ、財布をねらわれる→〔三題噺〕1の『鰍沢』(落語)。
石の枕の伝説 昔、浅草の一つ家に住む姥が旅人を欺いて泊め、石の枕に寝させて、上に吊るした大石の縄を切って落とし、殺しては金品を奪っていた。しかし姥の悪行を悲しんだ娘が、ある夜、自ら旅人の身代わりとなって石の枕に伏した。姥は知らずに自分の娘を殺し、悔いて池に身を投げた。その池を姥ヶ池という(東京都台東区)。
『エプタメロン』(ナヴァール)第4日第4話 二人の修道僧が肉屋の家に一夜の宿を借りる。夜更けに肉屋夫婦が「明朝、肥った坊主を殺して塩づけにしよう」と話し合う。彼らは飼っている豚を「坊主」と呼んでいたのだが、修道僧たちは、自分たちが殺されるものと思って逃げ出す。
『三国志演義』第4回 董卓に追われる曹操は、陳宮とともに故郷へ向かう途中、父の知人の家に一夜の宿を借りる。屋敷の裏手で刀を研ぐ音がし、「縛って殺すのがよかろう」という声が聞こえたので、曹操と陳宮は剣を抜いて飛び出し、居合わせた八人を斬り殺す。後で厨を見ると、一頭の豚が縛られてころがっていた。
『手打ち半殺し』(日本の昔話) 富山の薬売りが、爺婆の住む家に宿を借りる。夜更けに「明朝は手打ちにするか、半殺しにするか」と相談する声が聞こえる。薬売りは震え上がるが、手打ちは「蕎麦」、半殺しは「かい餅(牡丹餅)」のことであった(富山県氷見市。「半殺しにするか、本殺し(餅)にするか」という形もある)。
『霊を鎮める』(イギリスの民話) 貧しい農家の息子が家を出てオーストラリアへ移住し、金脈を掘り当てた。彼は大金を得て帰国し、夜、我が家へたどりつくが、顔つきがすっかり変わっていたので、年老いた両親は、それが自分たちの子供だとは気づかなかった。息子は「明日の朝、お金を見せてびっくりさせてやろう」と考え、旅人のふりをして一夜の宿を請う。両親は金欲しさに、眠る旅人(息子)を殺し、死体を家の裏手に埋めた→〔成仏〕1。
*フランスにも同様の物語がある→〔ホテル〕5の『誤解』(カミュ)。
*母親が、自分の娘と知らずに生き肝を取る→〔生き肝〕1の安達ヶ原の鬼婆の伝説。
『今昔物語集』巻31−14 四国の辺地を行く三人の修行者が、一軒の家に道案内を請う。家主の六十歳余の僧が三人に食物を与え、その後に、僧の部下である法師が笞で百度ほど修行者を打つ。二人は打たれて馬になってしまい、一人はその場を逃れる。
*宿の魔女が、旅人を動物に変えてしまう→〔魔女〕4の『オデュッセイア』第10巻など。
『ギュルヴィたぶらかし(ギュルヴィの惑わし)』(スノリ) スウェーデン王ギュルヴィが「ガングレリ(旅に疲れた男)」と名乗ってアースガルズまで旅をし、壮麗な館に宿を請う。彼はそこで三人の神と問答をし、アース神族や巨人族に関するさまざまな神話を聞く。しかし問答が終わった時、大音響とともに館は消え失せ、ギュルヴィはただ一人、平原に立っていた〔*館は、アース神たちがギュルヴィに見せた幻にすぎなかった〕。
*→〔四季の部屋〕3の『鶯の浄土(鶯の里)』(日本の昔話)でも、男が宿を請うた立派な屋敷が消え失せ、男は谷底あるいは野原などに一人立っていた、という終わり方をする。
『沓掛時次郎』(長谷川伸) 旅人(たびにん)沓掛の時次郎は、ある親分の所で一宿一飯の恩を受けたため、親分に敵対する六ツ田の三蔵を斬り殺した。三蔵は「身重の妻おきぬと、幼い太郎吉のことを頼む」と言い遺して、息絶える。時次郎は、おきぬと太郎吉の面倒を見ながら旅をするが、おきぬは難産で死んでしまった。時次郎は「太郎吉を博徒にはしたくない」と考え、「鋤鍬持って五穀をつくろう」と思い定める。
*殺した男の娘の成長を見守る→〔伯父(叔父)〕4の『冬の華』(降旗康男)。
『さまよえるオランダ人』(ワーグナー) さまよえるオランダ人は七年ぶりに陸地に上がり、ノルウェーの船長ダーラントに出会って、彼に宿を請う。オランダ人はダーラントに宝石を与え、「お宅に娘さんがあるなら、私の妻にしたい」と言う(*→〔さすらい〕2)。ダーラントはオランダ人が大金持ちだと知って喜び、家へ招く。ダーラントの娘ゼンタは、父が連れて来た男を一目見て、さまよえるオランダ人であると知る。ゼンタは彼を悪魔の呪いから救うべく、結婚しようと決意する。
『砂の女』(安部公房) 昭和三十年(1955)八月、男(学校教師仁木順平)が海辺の村に昆虫採集に出かけて、砂穴の底の民家に泊まり、そのまま、そこに住む寡婦と同棲する。男は何度か脱出しようとするが成功せず、砂穴の生活にしだいに順応して行く。翌年には寡婦が妊娠し、男は五月頃には「逃げ出す必要はないのだ」と考えるようになる。
*旅の男が、十七歳の寡婦と一夜の歓を尽くす→〔一夜妻〕1の『遊仙窟』(張文成)。
『高野聖』(泉鏡花) ある夏の日、青年僧が飛騨から信州へ山越えをして道に迷い、一軒家に宿を請う。その家には美しい女が白痴の夫と一緒に住んでおり、女は青年僧を水浴に誘うなどして誘惑する。しかし青年僧は女に触れることなく、翌朝出発する→〔魔女〕4。
『沼』(つげ義春) 鳥を撃ちに来た青年が、沼の近くで出会った少女の住む離れ家に泊まる。少女は鳥籠に蛇を飼っており、「蛇がたびたび籠を抜け出て首をしめに来るのが、死ぬほど心地良い」と言う。青年はその夜眠る少女の首をしめ、悶えるさまを見るが、翌朝には少女と別れ、また猟をする。
『伊賀越道中双六』6段目「沼津」 呉服屋十兵衛は、街道で旅人の荷物かつぎをする老人平作と出会い、彼の家に一泊する。ところが平作は、十兵衛が二歳の時に別れた実の父親であり、その家の娘お米は妹だった。しかもお米は和田静馬の恋人、十兵衛は静馬の父の仇沢井股五郎の縁者であり、兄妹ながら敵どうしになるのであった。
『歌行燈』(泉鏡花) 能役者恩地源三郎と鼓の名人雪叟が、桑名の旅籠湊屋に泊まる。呼ばれた芸妓お三重は、実は、かつて源三郎の甥喜多八が芸競べをして憤死させた宗山(*→〔わざくらべ〕1a)の娘お袖であった。源三郎がうたい、雪叟が鼓を打ち、お三重が舞う。折しも、外には、勘当され流浪の門付けとなった喜多八がたたずみ、叔父の謡に合わせてうたう。
『源氏物語』「玉鬘」 筑紫からほぼ二十年ぶりに上京した玉鬘一行は、母夕顔の消息を尋ねるすべもないまま、長谷寺へ参詣する。椿市の宿で、はからずも一行は夕顔の侍女だった右近に巡り合い、玉鬘は光源氏の邸へ引き取られる。
『曾我物語』(真名本)巻10 曾我十郎の愛人だった遊女・大磯の虎は、十郎の討ち死に後、廻国修行の旅に出る。彼女は天王寺に参籠して、往藤内(敵討ちの場に居合わせ曾我兄弟に殺された)の妻と巡り合う。松井田に宿って、その宿の女房が亡き京の小次郎(曾我兄弟の異父兄)の妻と知る。十郎にゆかりの人々と出会う奇縁に、彼女は驚く。
『二人比丘尼色懺悔』(尾崎紅葉) 年若い行脚の尼が、同じく年若い尼の住む庵に一夜の宿を請い、お互いの発心の由来を語り合う。主の尼は俗名を若葉といい、夫小四郎が討死にしたのを機に、出家したのであった。客の尼は、小四郎の伯父の娘・芳野で、小四郎とは幼ななじみの許嫁であった。主(あるじ)の尼が「小四郎の妻」、客の尼が「小四郎の許嫁」という奇遇に、二人はたいそう驚いた。
『望月』(能) 信濃の住人安田友春は望月秋長に討たれ、安田の妻と子は放浪の旅に出た。二人が守山で兜屋という宿に泊まると、偶然にも、宿の主は安田の旧臣小沢友房であった。安田母子と小沢は、思わぬ巡り合いに涙を落とす。折しもそこへ、敵望月が宿を借りにやって来た。安田母子と小沢は力を合わせて、望月を討った。
『八島』(幸若舞) 山伏姿で奥州へ下る義経・弁慶らの一行が、佐藤信夫の里に到り、ある家に宿を請う。意外にもそこは、義経の身代わりとなって命を捨てた佐藤継信・忠信兄弟の家だった。兄弟の母尼・妻子を前に、弁慶は佐藤兄弟の最期の有様を物語り、義経も自らの名を明かした〔*『接待』(能)に類話〕。
*双子の兄と妹が再会する→〔双子婚〕1の『ニーベルングの指環』(ワーグナー)「ワルキューレ」。
★2.旅人が人(あるいは動物)を殺した後、一軒の家に宿を借りるが、そこは旅人が殺した人(あるいは動物)の家族の家だった。
『今昔物語集』巻29−9 旅の法師が、山中で道連れになった男を金杖(かなづえ)で打ち殺し、持物と衣を奪う。ところが、その夜法師が宿を借りたのが、偶然にも殺された男の家だったため、その妻が法師の悪事を察知し、隣人たちに訴える。隣人たちは法師を捕え、犯行現場へ連れて行って射殺した。
『詩語法』(スノリ)第47章 オーディンとロキとヘーニルが、旅に出る。滝のそばで鮭を食うかわうそに、ロキが石を投げつけて殺す。彼らは鮭とかわうそを背負って一軒の家に宿を請うが、その家の主フレイズマルは、殺されたかわうそオッタルの父親だった。オーディンらは縛られ、賠償を要求される。
『処女の泉』(ベルイマン) 豪農テーレ(演ずるのはマックス・フォン・シドー)の一人娘が遠方の教会へ出かける。森の中で娘は、三人兄弟に襲われる。娘は暴行され殺されて、衣服も剥ぎ取られる。その夜三人兄弟は、娘の家とは知らずにテーレの屋敷に宿を請う。三人兄弟が娘の血ぞめの衣服を持っていたため、テーレは彼らの悪事を察知し、刀をふるって三人を殺す。
★3.旅人が人を傷つけた後、一軒の家に宿を借りるが、そこは旅人が傷つけた人の家族の家だった。
『手負山賊(ておひやまだち)』(狂言) 山賊が旅僧を襲い、逆に旅僧の持つ剃刀で斬られて、谷底へ突き落とされる。夜になり、旅僧は一軒の家に宿を借りるが、そこの女主人は山賊の妻であった。山賊は手傷を負いながらも家へ帰り、奥の間にいる旅僧を見る。旅僧は逃げ出し、山賊と妻が後を追う。
★4.旅の娘が不良青年に暴行されかかったが、その晩、娘が旅館へ行くと、旅館の若旦那は昼間の不良青年だった。
『男はつらいよ』(山田洋次)第23作「翔んでる寅次郎」 夏の北海道。不良青年(演ずるのは湯原昌幸)が旅の娘(桃井かおり)を口説いて、暴行に及ぼうとする。娘の悲鳴を聞いて寅次郎が駆けつけ、青年を追い払う。その夜、寅次郎と娘は一軒の旅館に宿を求めるが、思いがけないことに、旅館の若旦那は昼間の不良青年だった。娘が「警察へ行く」と言うので、若旦那は寅次郎と娘を懸命にもてなす。
『常陸国風土記』筑波の里 諸神の処を巡行する祖神(おやがみ)が、福慈(ふじ)の神に宿を請うが、物忌みのため断られる。恨んだ祖神の呪いによって、福慈の岳は常に雪降り、人の登らぬ山となった。宿を貸した筑波には、人が参り集い栄えた。
『貧乏人とお金持ち』(グリム)KHM87 神さまが見すぼらしい姿で旅をし、宿を請う。大きな家に住む金持ちは宿を断り、古い小屋に住む貧乏人夫婦は心をこめて神さまをもてなす。神さまは貧乏人夫婦に、「生きている間は健康で食事にことかかず、死後は天国へ行く」という恵みを与え、小屋を立派な邸宅に変えてくれる。
*ユピテル(ゼウス)とメルクリウス(ヘルメス)が宿を請う→〔旅〕2aの『変身物語』(オヴィディウス)巻8。
『日本書紀』巻1神代上・第7段一書第3 神々がスサノヲを、「底根の国に去れ」と言って天上から追放する。時に長雨が降っており、スサノヲは青草を結んで笠蓑とし、神々に宿を請う。神々は拒絶し、スサノヲは激しい風雨の中、留まり休むことを得ず、苦しみつつ下って行った。
蘇民将来と茅の輪の伝説 兄の蘇民将来は貧しく、弟の巨旦(こたん)将来は富裕だった。夕暮れに旅人が訪れた時、巨旦将来は門を閉ざして中へ入れず、蘇民将来は粟飯でもてなし、一夜の宿を貸した。喜んだ旅人は「私はハヤスサノヲノ神である」と告げ、「世話になった礼に」と言って、疫病を免れる方法を蘇民将来に教えて立ち去った(広島県芦品郡新市町)→〔輪〕2b。
『備後国風土記』逸文 昔、北の海(=朝鮮半島)にいた武塔(むた)の神が、南の海にいる神の娘を妻問いに行く途中、日が暮れたので宿を求めた。その地には蘇民将来兄弟二人がおり、富裕な弟は宿を断ったが、貧しい兄が粟飯でもてなし、一夜の宿を貸した。それから何年も経た後に、武塔の神は八柱の子(みこ)を連れて戻り、「吾は速須佐雄能神(ハヤスサノヲノカミ)」と告げて、疫気(えやみ)を免れる方法を蘇民将来に教えた→〔輪〕2a。
『あらくれ』(徳田秋声)2〜3 冬の夕暮れ、お島の養家に旅の六部が宿を請うた。翌朝六部は「思いがけぬ幸いが、この一家を見舞うだろう」と告げて、立ち去る。二〜三日後、外に積んだ楮の中から多くの小判が発見され、以後養家は富裕になった。しかし真相は、六部はその晩急病で落命し、死んだ彼の懐にあった小判を、養父母が自分のものにしてしまった、ということらしかった。
『大歳の客』(日本の昔話) 大歳の夜に乞食僧が、貧しい爺婆の家を訪れて宿を請う。一晩泊めてやって翌朝起こしに行くと、乞食僧は蒲団の中で黄金に変わっていた〔*隣の爺婆が真似をして、乞食僧を無理やり泊めると、翌朝、糞や腐乱死体に変わっていた、という展開をするものもある〕。
*大雪の夜、旅の僧(実は鎌倉幕府の執権北条時頼)が、宿を請う→〔雪〕2の『鉢木』(能)。
*親鸞上人が宿を請う→〔経〕11の『和漢三才図会』巻第66。
『屋上の狂人』(菊池寛) 讃岐地方の某小島。勝島家の長男義太郎(二十四歳)は、今日も屋根の上へすわって海上を凝視し、「金毘羅さんの天狗さんの正念坊さんが、雲の中で踊っとる。緋の衣を着て天人様と一緒に踊りよる。わしに『来い来い』言うんや」などとわめいている。両親は困り果て、巫女に祈祷を頼む。義太郎の弟・中学生の末次郎(十七歳)が、「兄さんは今のままが幸せなんじゃ。僕が一生、兄さんの世話をする」と言って、巫女を追い払う。屋根の上の義太郎は夕日に顔を輝かせて、「雲の中に金色の御殿が見える」と喜ぶ。
*讃岐の源太夫は木に登って西の海へ呼びかけ、阿弥陀仏の声を聞く→〔呼びかけ〕6の『今昔物語集』巻19−14。
『屋根を歩む』(三島由紀夫) 人妻である愛子は、ある日の午後、恋人と安ホテルの一室にいるところを、屋根の修理に来た職人黒川に見られてしまう。黒川は、愛子の家に出入りする顔見知りの屋根職人だった。以後、愛子は、自宅の屋根の上を誰かが歩く幻聴に悩まされる。夜、夫との行為中に、「あっ、屋根に人が」と叫んでしまったこともあった→〔口封じ〕5。
*木に登った人に、性交を見られてしまう→〔木登り〕3cの『武道伝来記』巻4−3「無分別は見越の木登」。
★2b.屋根から見た情事の話がきっかけで、男女が関係を持つ。
『寝敷き』(松本清張) ペンキ職人の源次は、屋根の上で作業をしている時に、隣家の情事や屋外の情事をしばしば目撃した。彼はそれらの目撃談を、世間話の一つとして、仕事先の奥さんやお手伝いさんに聞かせる。源次のたくみな語り口に、彼女たちは強い刺戟を受け、それがきっかけで源次と関係を持つことがあった〔*一度か二度の関係で終わるのが常であったが、処女だった季子は源次につきまとい、結婚を迫ったので、源次は季子を殺した〕。
『屋根裏の散歩者』(江戸川乱歩) 下宿屋「東栄館」に止宿する遊民の郷田三郎は、天井裏へ上がり、他の下宿人たちの部屋を上から覗いて回るのを楽しみとしていた。日頃虫の好かぬ遠藤という男が、大きな口を開けて眠っているのを見て、郷田は天井の節穴からモルヒネの液を垂らす。モルヒネは遠藤の口に入り、遠藤は寝床で死んでしまった〔*郷田はモルヒネの瓶を部屋に落としておき、遠藤が自殺したように見せかける。しかし明智小五郎が、郷田の犯行だと見破る〕。
『下の国の屋根』(日本の昔話) 大嘘つきの話にも、いろいろと珍しいのがある。ある村で井戸を掘ったが、水が出ないので、毎日毎日掘り下げて行くと、くすぶった藁が出て来た。それを取り除けてなお掘ろうとしたら、下から大声で怒鳴られた。「上の国のやつらは何をするか。それは、おれの家の屋根の藁だ」と、非常に怒られた。
*井戸の底が異郷に通ずる→〔井戸〕5の『ホレのおばさん』(グリム)KHM24など。
『半日閑話』(大田南畝)巻15「信州浅間嶽下奇談」 信州浅間ケ嶽の辺で、百姓が井戸を二丈余りも深く掘ったところ、水は出ず、屋根があって、その下に五〜六十歳の人が二人いた。二人は、三十三年前の浅間焼けの時、土蔵に避難したが、山崩れのためそのまま閉じ込められた。土蔵には米三千俵、酒三千樽があったので、二人はそれで命をつないでいたのであった。
『イスラーム神秘主義聖者列伝』「イブラーヒーム・アドハム」 聖者イブラーヒームは、かつてはバルフの王だった。ある晩、彼が寝床にいると天井が揺れ、知り合いの男が屋根の上にいることがわかった。行方不明の駱駝を捜しているのだという。イブラーヒーム「何という無知な男だ。屋根の上に駱駝などいるものか」。男「迂闊な王よ。あなたは黄金の玉座の上と豪奢な服の中に、神を求めている。屋根の上で駱駝を捜すことが、どうして不思議なことでしょうか」。この言葉によって、イブラーヒームの心中に恐れが生まれた。
『酉陽雑俎』巻11−423 五月は屋根へ上がることを忌む。五月には、人は蛻(ぜい。=ぬけがら)になっており、屋根へ上がると、影を見て、魂が体外へ去ってしまうからだ、という。
*魂が屋根の上から、自分や他の人々を見下ろす→〔自己視〕4aの『勝五郎再生記聞』(平田篤胤)所引『北窓瑣談』、→〔自己視〕4bの『聊斎志異』巻12−487「李象先」。
*死者の魂は、四十九日までの間は屋根の棟に留まっている→〔魂呼ばい〕1の『大菩薩峠』(中里介山)第30巻「畜生谷の巻」。
『茨木』 渡辺綱は羅生門で茨木童子と闘い、その片腕を斬り取って屋敷へ持ち帰った。茨木童子は片腕を取り戻すべく、渡辺綱の叔母真柴に化けて、綱の屋敷へやって来る。綱の油断に乗じて、茨木童子は片腕を取り返し、屋根の破風を破って虚空へ飛び去った。
『暗夜行路』(志賀直哉)後篇 妻直子の過ち(*→〔暴行(人妻を)〕2)に拘泥し続ける時任謙作は、別居して京都を立ち、鳥取県の大山の寺に止宿する。半月ほどを経たある夜、彼は頂上登山の一行に加わるが、体調不良のため途中の山腹に一人残る。彼は不思議な陶酔感の中で永遠を思い、夜明けの光景に感動を受ける。
『ツァラトゥストラはこう言った』第1部「序説」 ツァラトゥストラは三十歳になった時、故郷を去り山奥に入った。彼はそこで智恵と孤独とを楽しみ、十年の間飽くことがなかった。しかしある朝、彼は自らの思想を人々に語るべく、世間へ下ることにした〔*以後、ツァラトゥストラは山ごもりと下山を何度か繰り返す〕。
『魔の山』(マン) 二十世紀初頭。二十三歳のハンス・カストルプは、アルプス山麓、海抜五千フィートの高地にある国際サナトリウム「ベルクホーフ」を訪れて従兄を見舞う。ところがハンスの肺にも異常が発見され、彼はそのまま「ベルクホーフ」に留まって療養生活に入る。病状は好転も悪化もせず、ハンスは生と死の中間にあって次第に時間の観念を失い、七年が経過する。第一次大戦が勃発し、眠りを破られたハンスは、下界へ降りて戦場に赴く。
『法華経』 釈尊は、無数の修行者や信者たちとともに霊鷲山に滞在していた時、最高の教えである『法華経』を説いた。
『マタイによる福音書』第4〜7章 イエスが多くの病人を癒したので、諸地方からおびただしい群衆が来てイエスに従った。イエスは群衆を見て、山に登り、座について「心の貧しい人たちは幸いである。天国は彼らのものである」に始まる長い説教をした。
『創世記』第7〜8章 洪水が四十日間、地上をおおい、ノアの箱船は大地を離れて浮かんだ。水は地上にみなぎり、山々を覆った。人も、家畜も、這うものも、空の鳥も、すべて息絶えた。やがて風が吹き、雨はやみ、百五十日の後には水が減って、第七の月の十七日に箱船はアララト山の上に止まった。水はますます減り、第十の月の一日には山々の頂が現れた。
『イスラーム神秘主義聖者列伝』「イブラーヒーム・アドハム」 ある偉大な方から「完全の域に達した人間とは、どのような人か?」と問われて、聖者イブラーヒームは、「山に向かって『動け』と語りかければ、山が動き出す人だ」と答えた。途端に山が動き出したので、イブラーヒームは言った。「山よ。お前に言ったのではない。だが、命令を出してやろう。静まれ」。すぐに山は静止した。
『行人』(夏目漱石)「塵労」39〜40 「モハメッド(マホメット)は、『向こうの山を自分の足元へ呼び寄せて見せる』と宣言して、群集を集めた。彼は山に、「こっちへ来い」と三度命令する。しかし山は動かない。モハメッドは「私が呼んでも、山は来たくないようだ。それなら私が行くよりしかたがない」と言って、山の方へ歩いて行った」。Hさんは一郎にこの話をして、「なぜ君は、山の方へ歩いて行かない」と問うた→〔三者択一〕1b。
二子山(高木敏雄『日本伝説集』第2) アマンジャクが「富士山を取り崩そう」との大望を抱いた。夜のうちに富士山を少し崩し、土を天秤で運んで相模灘へ棄てた。棄てた土からできたのが、伊豆の大島である。翌晩は仕事を始めるのが遅かったため、箱根山まで土を運んだところで夜が明けた。そこに棄てた土が、同じ形の二つの山になった。これが箱根の二子山である(相模国足柄上郡曾我村)。
『列子』「湯問」第5 九十歳近い愚公が、往来に邪魔な二つの山を崩して道を開くべく、家族とともに工事を始めた。ある人が「貴方の年では不可能だ」と笑うと、愚公は「私の死後も子々孫々が掘り続ければ、山はこれ以上高くならないのだから、いつかは平らになる」と答える。天帝は愚公の志に感じ、二つの山を他所へ移した〔*海の水を汲みつくそうとする大施太子の物語と類想→〔海〕6の『三宝絵詞』上−4〕。
『子不語』巻8−186 私(『子不語』の著者・袁枚)の友人・沈永之が雲南駅道に任ぜられ、鳳凰山の八十里を開いて道路を通じた時のこと。ある日、一人の美女が山中の洞穴から走り出た。作業中の男たち数千人が後を追って洞穴の外へ出、美女を眺めていたが、年をとった連中は動かなかった。すると急に山が崩れ、洞穴から出なかった者は圧死した。沈永之はこの話をして、「人間は色を好まなければいけないね。こんなこともあるのだから」と言った。
*→〔鼠〕2の『太平広記』巻440所引『宣室志』では鼠、→〔胸騒ぎ〕1の『日本霊異記』中−20では僧たち、→〔鷲〕4の『イソップ寓話集』296「農夫と助けられた鷲」では鷲のおかげで、建物や壁が崩れる前にそこから逃れ、圧死を免れる。
『十八史略』巻1「春秋戦国」 晋の文公(重耳)が亡命時代、飢えに迫られた時、供をした介子推は自分の腿の肉を文公に与えた。しかし文公が帰国して即位した後、介子推には恩賞の沙汰がなかった。介子推は怨んで綿上の山中に隠れた。文公は自らの過ちを悟り、介子推を山から出すために、山を焼く。介子推は山から出ず、そのまま焼死した。
*山を焼いたために、山姥が死んだ→〔山姥〕5の山姥と山焼きの伝説
若草山の山焼きの伝説 昔、東大寺と興福寺が、しばしば寺領の境界争いをしたため、宝暦十年(1760)に奈良奉行所が仲裁に入り、両寺の緩衝地帯として、毎年山を焼くようになった。あるいは、江戸時代に牛鬼という妖怪が若草山に出没したので、付近の農民や旅人が山を焼いたのが、山焼き行事の起こりだともいう(奈良市・若草山)。
*野焼き→〔火攻め〕4の『伊勢物語』第12段。
※女人禁制の山→〔女人禁制〕1の『かるかや』(説経)「高野の巻」など。
※山を棒軸として、海を攪拌する→〔海〕8の『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」。
※雪山→〔雪〕8の『銀嶺の果て』(谷口千吉)など。
『古事記』上巻 アマテラスとタカギ(タカミムスヒ)の命令を受けて、天孫ニニギノミコトは地上へ降臨することとなった。八尺(やさか)の勾玉・鏡・草薙の剣を持ち、アメノコヤネ、フトダマ、アメノウズメ、イシコリドメ、タマノオヤなどの神が随伴した。ニニギノミコトは高天原の御座を離れ、天の八重のたな雲を押し分けて、筑紫の日向の高千穂の峰に天降った。
『三国遺事』巻1「紀異」第1・古朝鮮〔王儉朝鮮〕 天帝桓因(ファンイン)の庶子である桓雄(ファンウン)は、つねに下界(人間世界)に思いをよせていた。桓因は息子桓雄の気持ちを察し、下界を治めさせることにする。桓雄は部下三千を率いて太伯山(テベクサン)頂上の神檀樹の下に降り、そこを神市(シンシ)と呼んだ。これが桓雄天王で、彼は天下を治め人間を教化した。
『日向国風土記』逸文 ニニギノミコトが日向の高千穂の二上の峰に天降った時、空は暗くて昼夜の区別がなかった。大鉗(おほはし)・小鉗(をはし)という二人の土蜘蛛の勧めにしたがって、ニニギノミコトは多くの稲穂を揉んで籾とし、四方に投げ散らした。すると空は晴れ、日も月も照り輝いた。
*岩山の麓に宇宙船が降り、地球人類と接触する→〔宇宙人〕4の『未知との遭遇』(スピルバーグ)。
『日本書紀』巻1・第8段一書第4 高天原を追われたスサノヲは、子(みこ)イタケルノカミを連れて新羅の国へ天降り、曾尸茂梨(そしもり)という所にいた。スサノヲは「この地にはいたくない」と言い、土で造った舟に乗って東方へ渡り、出雲の国の簸(ひ)の川上(=斐伊川上流)にある鳥上峯(とりかみのたけ)に到った。
*スサノヲが、高天原から直接出雲へ降下する→〔箸〕2の『古事記』上巻。
『北野天神縁起』 筑紫へ流罪となった菅原道真は、無実を訴える祭文を書き、高山に登って七日の間、天道に祈った。祭文は雲を分けて昇天し、帝釈宮を過ぎて梵天にまで到達した。道真は七日七夜、蒼天を仰ぎ、身を砕き心を尽くして、天満大自在天神となった。
『史記』「秦始皇本紀」第6 始皇帝二十八年。始皇は封禅の儀式を行うため、まず泰山に登って石を立て土盛りし、天を祭った(封の祭り)。下山時に風雨に遭って樹下に休み、その樹に五太夫の位を与えた。次いで麓の小山梁父山に登り、地を祭った(禅の祭り)〔*「封禅書」第6に類話〕。
『史記』「封禅書」第6 元封元年。漢の武帝は侍者一人だけを供に連れて泰山に登り、封の祭りをした。次いで麓の東北の粛然山で禅の祭りをした。風雨の災いが起こらなかったので、方士たちが「蓬莱の神々にまもなくお会いになれましょう」と奏上した。
『出エジプト記』第19〜31章 神がシナイ山の頂きに降り、モーセを召した。イスラエルの人々を麓に残して、モーセは山に登り、神から十戒を受けた。モーセはまた、四十日四十夜、山で神の言葉を聞き、神の指で書かれた石の板二枚を授けられた。
『春雨物語』「樊噌(はんかい)」 腕自慢の大蔵は、心も豪胆であることを仲間に示すべく、恐ろしい神が住むという伯耆大山に一人登る。夜になり、社の賽銭箱を証拠に持ち帰ろうとすると、賽銭箱は空に飛び上がり、大蔵は隠岐島まで連れて行かれる〔*後、大蔵は盗賊になり、最後は和尚となって大往生する〕。
*王が山に登る→〔国見〕2の『日本書紀』巻3神武天皇31年など、→〔国見〕3の『日本書紀』巻8仲哀天皇8年9月、→〔国見〕4の『古事記』下巻(雄略天皇)など、→〔国見〕5の『三国史記』巻23「百済本紀」第1・第1代始祖温祚王前紀。
『類推の山』(ドーマル) 「私」は、世界各地の古代神話に出てくる山の象徴的意味を研究した。山は、神性が人間に啓示される通路であり、その頂上は永遠の世界に通ずるのだ。現在も、地球上のどこかにそのような山があるはずだが、おそらく周囲の空間の歪曲によって、山は不可視だろう。しかし麓には近づき得る。計算上では、山は南太平洋上にある。「私」・妻・登山家・言語学者・画家など八人の男女は、「不可能号」という名のヨットで船出し、大洋の中に陸地を発見する。そこは山の麓であり、「私」たちは登山を開始する〔*この小説は未完である〕。
★1.山は、死者の世界との接点である。山へ登って、死者と出会う。
『現代民話考』(松谷みよ子)5「死の知らせほか」第2章の2 中年男が、亡くなった妻を偲びつつ、恐山の湯に入っていた。黄昏時、窓の外を愛しい妻が通って行く。声をかけるのは禁忌だったが、男は妻を、この世の名前で呼んでしまう。すると妻は、何とも形容できない恐ろしい眼をして、真正面から男をにらんだ。男は恐怖でうつぶし、しばらくして顔をあげると、妻はもういなかった。男は下山後、ブラブラ病になって死んだ(青森県)〔*→〔冥界行〕6の『古事記』上巻、イザナキ・イザナミ神話の現代版の趣がある〕。
『今昔物語集』巻14−7 越中の国・立山には地獄があり、百千もの熱湯が湧き出ている。諸国修行の僧が立山へ登った時、若い女が現れ、「私は生前の罪で、死後地獄に落ちたが、毎月十八日には観音が身代わりに苦を受けて下さるので、こうして出て来ることができた」と告げ、供養を願った。
*立山の地獄で死者に出会う→〔衣服〕9bの『善知鳥(うとう)』(能)など。
『源氏物語』「若菜」上 明石の入道の娘・明石の君は、光源氏と結婚して姫君を産んだ。姫君は東宮妃となって皇子を産んだ。これで、明石の入道の曾孫が将来の帝となることが、確定的になった。明石の入道は、現世における宿願が達成されたので、娘・明石の君と、妻・明石の尼君にあてて、「極楽浄土で再会しよう」との別れの手紙を送る。入道は僧一人と童二人だけを供として、深い山の峰へ入って行った。
*山に老人を捨てて、そのまま死なせる→〔親捨て〕に記事。
『キリマンジャロの雪』(ヘミングウェイ) 小説家ハリーは妻といっしょに、アフリカへサファリ(狩猟旅行)に出かける。ちょっとした掻き傷から菌が入って、ハリーの右脚が壊疽になり、彼は簡易ベッドに横たわって死を待つ。夢の中でハリーは小型機に乗せられ、空高く舞い上がる。前方に、キリマンジャロの白い頂上が見える。そこが彼の目指す所だ。妻がハリーの名を呼ぶが、すでに彼の息は絶えている。
『現代民話考』(松谷みよ子)7「学校ほか」第1章「怪談」の17 死んだ人は、七ヶ宿(しちがしゅく)から蔵王山に登って行く。蔵王には三途の川があり、賽の河原がある。流れに沿って登り、いちばん奥どまりに立っている地蔵さんの所まで行く。この世で楽しい思いをした人は笑って登り、悲しい思いをした人は泣き泣き登る。河原に死者の足跡を見つけることができる。死者の泣き声は、七ヶ宿の里の人に聞こえる(宮城県)。
『山の音』(川端康成)「山の音」 八月上旬の深夜、六十二歳の尾形信吾は、雨戸を開けて涼んでいて、家の裏山が鳴る音を聞いた。地鳴りのような深い底力のある音だった。音がやんだ後、信吾は「死期を告知されたのではないか」と、寒けがした。かつて信吾の妻の姉も、死ぬ前に山が鳴るのを聞いたのだった〔*しかし小説の最後まで、信吾は病気にもならず、死にもしない〕。
*山を崩されると死ぬ男→〔体外の魂〕1の『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」。
『逆矛(さかほこ)』(能) イザナキ・イザナミ二神が、天の逆矛(天の沼矛)を青海原へさし下ろして、大八洲国を造り成した。はじめ、国は荒れた葦原だった。二神が矛を振ると、疾風が起こって葦原をなぎ払った。その葦を引き捨てて置いたものが、山になった。これを「あしびき(葦引き)の山」と言う。
『和漢三才図会』巻第56・山類「富士山」 伝えによれば富士山は、孝霊天皇五年(B.C.286)に初めて出現した。一夜のうちに地が裂けて、江州(おうみ)の琵琶湖ができた。その土が大山となったのが、駿州の富士である。しかしこれは妄説(でたらめ)であろう。駿州と江州は相去ること百有余里、どうして土が運ばれようか。
『沼の主のつかい』(日本の昔話) 沼の主が孫四郎に、毎日黄金一粒ひり出す駒を与えた(*→〔書き換え〕3)。孫四郎の弟が、もっと黄金を出させようと、一斗の米を駒に食わせる。駒は精がついて、一声高くいななくと、飛んで行って陸中と秋田の国境の山にくっついた。これがいまの駒が嶽だ(岩手県江刺郡)。
一もっこ山の伝説 天狗が「榛名富士を一晩で作ろう」と考え、もっこでどんどん土を上げた。ところが、「もう一もっこ」という時に鶏が鳴き、朝になったので、天狗は残念がり、その場へもっこの土を投げた。それが榛名富士の傍にある一もっこ山である(群馬県渋川市行幸田)。
『近江国風土記』逸文 タタミヒコは夷服(いぶき)の岳の神であり、その姪アサヰヒメは浅井の丘にいた。二つの岳と丘が高さを比べ争った時、浅井の丘が一晩のうちに高さを増したのでタタミヒコが怒り、剣でアサヰヒメを斬った。アサヰヒメの頭は江(琵琶湖)の中に落ちて竹生島となった。
山の背比べの伝説 富士山の女神と八ヶ岳の男神が高さを争い、阿弥陀如来が二つの山の頂上に樋をかけると、水は富士山の方へ流れ落ちた。富士の女神は負けた悔しさに八ヶ岳の頭をたたいたので、頭が八つに割れ、権現・編笠・旭岳・西岳・阿弥陀・赤岳・横岳の八つの峰ができた(山梨県北巨摩郡大泉村)。
下田富士と駿河富士の伝説 下田富士と駿河富士は仲の良い姉妹だった。ところが年頃になると、姉の下田富士は自分の醜さを恥じ、妹の駿河富士との間に屏風(天城山)を立てた。美しい駿河富士は姉を気遣い、背伸びをして姉の様子を見ようとしたが、姉は卑屈になり、いっそう身を縮めた。こうして駿河富士は日本一の高山になり、下田富士は低い山になってしまった(静岡県下田市本郷)。
言語の分裂(メラネシア、アドミラリティ諸島の神話) 大昔、永遠に続く夜に乗じて、チャウォム山脈はひそかに成長していた。山の背にいる蛇がそれに気づいて、成長を禁じる。突然、昼になり、山はもう大きくならなかった。山は蛇に言う。「私はお前(蛇)を天に登らせようとしたが、お前はそれを禁じた。今後、私の言葉とお前の言葉は、別のものになる。私たちの子孫も皆、別々の言葉を話すだろう」。
『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」 宇宙の創造主は、太陽と月がメール山(須弥山)のまわりを巡るように軌道を定めた。ヴィンディヤ山がこれに嫉妬し、伸び上がって太陽と月の道筋をさえぎろうとした。アガスティヤ聖仙がヴィンディヤ山に、「今から南へ行くので道をあけてくれ。帰って来るまで背伸びを待って欲しい」と頼み、南へ行ったきり帰らなかった。それでヴィンディヤ山は背伸びを中止し、現在にいたっている。
『山姥』(能) 善光寺参詣の旅人たちが上路(あげろ)の山を越えようとすると、にわかに日暮れとなり、皆困惑する。女が現れ「宿を貸そう」と言って、旅人たちを庵へ案内する。女は「自分は山姥である」と告げ、白髪朱顔の姿をあらわし、深山の光景を語り、山廻りのさまを見せて、いずこともなく去って行く。
『牛方と山姥』(日本の昔話) 一人の牛方がたくさんの塩鯖を牛の背に積んで売りに行く途中、峠で山姥に出会う。山姥は、塩鯖を食い、牛を食い、「今度は貴様を食う」と言って、牛方を追いかける(新潟県南蒲原郡)→〔宿〕1。
『天道さん金ん綱』(日本の昔話) 母が三人の子に留守番をさせて寺参りに出かけた後に、山姥が母に化けて帰って来る。山姥は三人の中のいちばん小さい子を抱いて寝間に入り、がりがりと食ってしまう。残る二人の子は逃げて木に登る〔*類話である『狼と七匹の子山羊』(グリム)KHM5では、狼が母山羊に化けてやって来て、子山羊たちを食う〕。
山姥(『水木しげるの日本妖怪紀行』) 男が山仕事を終え、「今日はこれが食べたい」「あれが欲しい」などと思いながら帰ると、留守宅には、いつも望みの物が用意されていた。米櫃の米は、使っても使っても減らなかった。ある日、男は早く帰り、障子の破れ目から中をのぞく。部屋に白髪頭の山姥がいて、せっせと掃除をしていた。男が驚いて声をあげると、山姥は窓から外へ飛び去った。以来、男の家は見る見るうちに衰えた(高知県土佐山郡土佐山村)。
*白髪の山姥ではなく、うら若い天女が炊事をするのをのぞき見る、白水素女の物語がよく知られている→〔のぞき見(部屋を)〕4の『捜神後記』巻5−1(通巻49話)。
*山姥が宝物を授ける→〔嫁くらべ〕1の『花世の姫』(御伽草子)。
『焼棚山(やいだなやま)の山んば』(松谷みよ子『日本の伝説』) 焼棚山の奥に住む山んばは、時々、伊那谷に下りて、村人の仕事を手伝った。ある時、村の子供二人がわらび取りに出かけて行方不明になり、村人は「山んばに食われたのではないか」と疑う。何日か後、山んばが下りて来たので、村人は、毒入りの酒と、囲炉裏の燠火(おきび)をくるんだ団子を、「土産だ」と言って与える。山んばは喜んで、山へ帰って行く。その夜、山火事が起こり、村人は「団子の燠火から火が出たんだろう」と話し合う。それ以来、山んばは現れなくなった(長野県)。
山姥と山焼きの伝説 山姥が山を歩いていた時、急に産気づき、岩屋に入ってお産をした。ちょうど蕎麦をまく時期で、その日村人が山焼きをしたため、山姥は焼け死んでしまった。その後、村に災難が続いたので、村人は岩屋から山姥の頭骨を取り出して、祀った(高知県香美郡香北町西川)。
『金太郎』(日本の昔話) 相模の国・足柄山に、山姥とその子金太郎が住んでいた。金太郎は赤ん坊の時から力持ちで、八〜九歳の頃には大きなまさかりを玩具にし、熊・鹿・猿たちと相撲ごっこをして遊んだ。源頼光の家来・碓井の貞光が金太郎を見込んで都へ連れて行き、武士とした。
『嫗(こもち)山姥』 坂田蔵人(くらんど)時行は、自分が討つべき父の敵(かたき)を、妹白菊が先に討ってしまったと聞き、恥じて切腹する。時行は「我が魂を、汝の腹へおさめよ」と妻八重桐に言い、自らの臓腑をつかみ出して、八重桐の口へ入れる(*近松門左衛門の原作浄瑠璃では、切腹した切り口から焔のかたまりが飛び出て、八重桐の口に入る)。八重桐は身ごもり、足柄山に住んで山姥と呼ばれ、怪童丸(後の坂田金時)を産む。
『山姥』(歌舞伎舞踊) 源頼光の命令で勇者を捜す三田の仕(つごう)は、足柄山で山姥と怪童丸(七歳)に出会う。山姥は、昔、都にいた頃、坂田蔵人時行の子を身ごもり、時行の死後、足柄山に分け入って怪童丸を産み落としたのだった。三田の仕は怪童丸と力くらべをしてその非凡な力量を認め、「坂田金時」と名乗らせて、頼光の家来とすべく都へ連れて行く。山姥は、我が子の出世を喜びつつも、二度と逢えぬ別れに涙して、山奥へ姿を消す。
*関連項目→〔夜〕
『アルゴナウティカ』第1歌 アルゴ船のイアソン一行は、ドリオネス人たちの島に寄港し、手厚く歓待された後、出航する。しかし逆風で、再びその島へ吹き戻された。真夜中だったので、イアソンたちは、そこが同じ島とは気づかない。ドリオネス人たちも「敵が攻めてきた」と誤解して、同士討ちとなった。
『三国志演義』第93回 諸葛孔明は、蜀の陣地を空にしておいて、魏軍が夜襲するようにしむける。魏軍が左右から攻めこみ、闇の中で同士討ちとなったところを、蜀軍が外から攻撃して、魏軍を打ち破った。
『親指小僧』(ペロー) 木樵りの七人の息子が人食い鬼の家に迷いこみ、食われそうになる。皆が眠った真夜中に、末子の親指小僧が自分たちの頭巾と人食い鬼の七人娘の金冠を、取り替えておく。人食い鬼がやって来て頭巾を手さぐりし、それが自分の娘たちとは知らず、包丁で喉をかき切る。
『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』(鶴屋南北)「五人切の場」 薩摩源五兵衛は、芸者小万と笹野屋三五郎に百両を騙し取られたので、彼らを殺すべくその寝所を襲う。暗闇の中で源五兵衛は、誤って別の芸者およびそこに居合わせた男たち、計五人を次々に斬り殺す。その間に小万と三五郎は逃れ出る〔*その場は逃れたが、後に小万は源五兵衛に殺される。三五郎は自害する〕→〔金が人手を巡る〕1。
『五十年忌歌念仏』(近松門左衛門)中之巻 清十郎は、主家の娘お夏と通じている現場を発見され、また手代勘十郎の悪計により、「七十両を着服した」との濡れ衣を着せられて、店を追放される。その夜、清十郎は店に忍び入り勘十郎を殺そうとするが、誤って同輩の源十郎を刺し殺す。
『曾我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)』(河竹黙阿弥)序幕「逢州殺しの場」 御所の五郎蔵はもとは武士だったが、現在は侠客となっている。彼は、妻さつきに愛想づかしされたことを怒り(*→〔愛想づかし〕1)、彼女を殺そうと、夜更けに待ち伏せる。そこへ、さつきの朋輩である花魁逢州がやって来る。五郎蔵は、逢州をさつきと見誤って斬り殺す〔*逢州は、五郎蔵の主人の愛人だったので、五郎蔵は面目なさに切腹する。さつきも、逢州の死に責任を感じて自害する〕。
『ひらかな盛衰記』「大津の宿」 木曾義仲討死後、妾の山吹御前と一子駒若丸は家臣鎌田らとともに落ちのびて、大津の宿に身を休める。その夜、源氏の討手が宿を襲う。暗闇の中、泊り合わせた船頭権四郎の孫槌松が駒若丸と取り違えられ、首を討たれる。
*早野勘平は、闇夜に猪と誤認して斧定九郎を撃ち殺した→〔仇討ち(父の)〕4の『仮名手本忠臣蔵』5段目「山崎街道」。
*衣服を取り替えたため、闇の中で人違いされる→〔衣服〕5の『東海道四谷怪談』(鶴屋南北)「浅草裏田圃」。
『デカメロン』第9日第6話 青年ピヌッチョとアドリアーノが、ある親爺の家に泊まる。三つの寝台に、親爺と女房、その娘、ピヌッチョとアドリアーノが、それぞれ寝る。夜中にピヌッチョが娘の寝台に入りこむ。女房が、飼い猫の様子を見に起きたあと間違えてアドリアーノの寝台に入り、彼と交わる。娘の所からもどったピヌッチョは親爺の寝台に入り、隣にいるのを友人と思って娘との首尾を語る〔*『カンタベリー物語』「親分の話」に類話〕。
『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)3編上「日坂(にっさか)」 巫女(いちこ)の母娘と同宿した弥次郎兵衛と喜多八の二人は、ともにその娘に目をつける。まず喜多八が夜這いするが、闇の中なので間違えて母親と交わる。その後へやって来た弥次は、喜多八を娘と間違え、夜着の上からもたれかかる〔*この他に、2編下「蒲原」では喜多八が、巡礼娘と思って六十歳の老婆のふとんへ入り込み、5編上「四日市」では弥次郎兵衛が、宿の女中をねらって石地蔵に夜這いする〕。
*男女ともに、相手を間違えて交わる→〔身代わり〕3の『大経師昔暦』「大経師内」。
『懺悔話』(谷崎潤一郎) 学生時代からの友人木村の話。「二年前のこと。ある待合(まちあい)で、『電燈をつけず部屋を真っ暗にする、互いに一言も言葉を交わさない』という条件を守れば、お金は一文もいらない、という女を紹介された。一夜を共にした翌朝、僕は待合を出た所で、人力車で帰る女と出くわし、その顔を見た。二十七〜八歳の美人だった。後に、彼女が某華族の未亡人であることを、僕は知った」。
『変身物語』(オヴィディウス)巻10 ミュラは、父王キニュラスを恋した。彼女は自らの正体を隠すために、暗闇の中で父王との逢瀬を重ねた→〔木に化す〕1。
『今昔物語集』巻3−15 天竺の燼杭(ジンコウ)太子は、醜貌のため、妻を持っても昼は姿を見せない。不審に思った妻が、乳母に命じて太子の姿を火で照らさせると、夫の容貌は鬼神のごとくであった。妻はその夜のうちに実家に逃げ帰った。
*醜貌の男が「美男子」と称して婿入りする→〔顔〕7の『宇治拾遺物語』巻9−8。
★6.「二度と恋人の姿を見ない」との誓いを守るために、闇の中で密会する。
『パルムの僧院』(スタンダール) ファブリスは殺人罪で収監され、毒殺されかかる。監獄の長官コンチ将軍の娘クレリアがファブリスに恋し、ファブリスの叔母ジーナと協力して、彼を脱獄させる。その折にコンチ将軍の命が危険にさらされたため、クレリアは自責の念から「二度とファブリスの姿を見ない」と、聖母マリアに誓う。以後ファブリスとクレリアは、誓いを守る方便として、暗闇の中でだけ密会する。
★7.闇の中では盲目の人は、目の見える人よりも、かえって有利である。
『暗くなるまで待って』(ヤング) 盲目の人妻スージー(演ずるのはオードリー・ヘップバーン)が留守番をしていると、三人の男が、麻薬を隠した人形を捜しにやって来る。三人の間の仲間割れで二人は死に、残った一人の男が、夜、部屋へ押し入る。スージーは家中の電球を割って、暗闇に隠れる。男はマッチをつけてスージーを捕らえようとするが、スージーにガソリンをかけられたため、男はマッチを捨てる。男は冷蔵庫を開け、内部の電灯で部屋を明るくする。スージーは隙を見て、台所の包丁で男を刺し殺す。
『盗み心』(日本の昔話) 白昼、男が知人の家へ行くと中は真っ暗だったので、出来心で鉈を盗み、懐に入れる。ところが目が慣れると、それほど暗くなく、男の盗みは家の人に見られていた。そこへ客が来て「ああ、暗い」と言うので、男は「鉈を懐に入れると、すぐ明るくなる。私も今試してみた」と言って鉈を客に渡し、その場をごまかした。
★9.歌舞伎の「だんまり」。闇の中で、何人かが無言のまま手探りで絡み合う。
『小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』(河竹黙阿弥) 遊女十六夜(いざよい)と僧清心は、稲瀬川へ入水心中する。しかし十六夜は俳諧師白蓮の船に救われ、清心も死に切れず岸に這い上がる。闇の川端で、白蓮、十六夜たちと清心はすれ違い絡み合うが、互いに相手を誰と知らずに別れる。
『東海道四谷怪談』(鶴屋南北)「砂村隠亡堀」 直助は、佐藤与茂七と間違えて別人を殺した後、隠亡堀で鰻を取る。そこへ民谷伊右衛門が釣りに来る。入相の鐘が鳴り、お岩と小仏小平の死骸を打ちつけた戸板が流れ寄る。非人姿の佐藤与茂七が現れ、闇の中で直助や伊右衛門とすれ違い、探り合ううち(*茶屋女あるいは小平女房が絡むばあいもある)、与茂七の持つ塩冶浪士の廻文状が直助の手に入り、直助の持つ鰻掻きの柄が与茂七の手に入る。
*西洋近代劇の「だんまり」→〔無言〕6の『検察官』(ゴーゴリ)第5幕「だんまりの場」。
※醜貌ゆえ闇の中でのみ活動する→〔橋を架ける〕1の『俊頼髄脳』(一言主神)。
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