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【雨音】

★1.雨音を楽しむ。

『芭蕉』(能)  唐土(もろこし)・楚国の傍らの山にある某寺には、芭蕉が植え置かれている。昔、その寺は瓦葺きで、雨の音が聞こえなかった。そこで住職は、軒近くに芭蕉を植え、芭蕉の葉が雨を受けて「ほろほろはらはら」と音をたてるのを寵愛したのだった〔*後、芭蕉は女人の姿となって、山の庵の僧が読誦する『法華経』を聴聞した〕→〔成仏〕4

★2.雨音で、人のいるのを察知する。

『絵本太閤記』  蜂須賀小六が日吉丸に「三日以内に名刀村正を盗み出したら、お前にやろう」と告げる。雨の夜、笠をかぶった日吉丸が忍び込む隙を伺っているようなので、蜂須賀小六は一晩中眠らず、雨音に耳をすませる。実は日吉丸は、雨だれの下に笠だけを置き、自分自身はぐっすり眠っていた。明け方に蜂須賀小六が疲れてまどろんだ時、日吉丸は盗みに入り、刀を手に入れた。

★3.雨音と思ったら、そうではなかった。

『更級日記』  私(菅原孝標女)が四十歳の頃。石山寺に参籠したところ、一晩中、雨がひどく降っている。「旅の宿での雨は、いやなものだ」と思い、蔀戸(しとみど)を押し上げて外を見たら、有明の月が、谷の底まではっきり見えるほど澄みわたっていた。雨のように聞こえたのは、木の根を伝って水が流れる音だったのだ。

*木の葉の散る音を、時雨の雨音かと思う→〔歌〕1の『今鏡』「打聞」第10「敷島の打聞」。 

 

 

【雨乞い】

★1.王、僧、呪術師などが、天や龍神に祈って雨を呼ぶ。

『黄金伝説』109「聖ドナトゥス」  旱天が三年続き、聖ドナトゥスが雨乞いをする。たちまち大雨が降って人々はずぶ濡れになるが、ドナトゥスだけは少しも濡れなかった。

『江談抄』第1−17  大僧都空海は、神泉苑で請雨経法を七日修して雨が降らず、二日のばして九日にすると、龍が神泉苑の池を破って昇天し、たちまち雨になった。大僧都元杲も七日間雨が降らず、九日目に雨が降った。少僧都元真は、七日間雨が降らず、二日のばしてもとうとう降らなかった。阿闍梨仁海は、寛仁二年(1018)六月四日に請雨経法を始め、五日間雨が降った。

『今昔物語集』巻14−41  弘法大姉が神泉苑で請雨経の法を七日間行なうと、天竺阿耨達智池に住む善如龍王が祈雨の壇上に現れ、にわかに黒雲が出て雨となった。

『西遊記』百回本第87回  天竺鳳仙郡の郡侯が天の祭りをないがしろにしたので、玉帝が怒り、十丈の米の山を雛鳥が食い尽くし、二十丈の粉の山を狆がなめ尽くし、金の錠前を小さな灯火が溶かすまで、雨を降らさぬようにする。孫悟空が天宮へ雨乞いに行き、「人々が善を行えばよい」と教えられる。鳳仙郡の人々は読経し念仏を唱え、たちまち慈雨が降りそそいだ。

『三国志演義』第29回  日照りに苦しむ民を救うため、于吉が天から三尺の雨を請い受けて、大雨を降らせる。しかし、彼は妖術使いとして孫策に首をはねられた。

『捜神記』巻1−25  民が雨乞いの泥人形を作るのを見た呉王孫権が、そのことを葛玄に相談する。葛玄は呪文を書いて氏神の社に貼り、たちまち大雨が降って水が地に溢れる。王は「この水の中に魚はいるか」と問い、葛玄が再び呪文を書き水中に投げると、数百匹の大魚が現れる。

『捜神記』巻8−2(通巻228話)  商の代に七年間の大日照りが続いたので、湯王は桑林で神を祀り、爪と髪を切り、自らを生贄として捧げる心で祈願した。するとたちまち大雨が降り、国中がうるおった。

『捜神記』巻20−1(通巻449話)  日照りが続き人々が龍の住む洞穴に祈ったが、龍が病気であったために、十分な雨が降らなかった→〔恩返し〕1

『日本書紀』巻24皇極天皇元年(642)7月〜8月  七月二十七日、百済大寺の南庭で、仏菩薩像、四天王像を安置して衆僧に大雲経を読ませ、蘇我大臣蝦夷が手に香炉を取り、香を焚いて雨を願った。二十八日、微雨があった。八月一日、天皇が南淵の川上で跪き四方を拝し、天を仰いで祈ると、雷鳴がして大雨が降り、五日間続いた。

『日本書紀』巻30持統天皇2年(688)7月  七月二十日、百済僧道蔵に命じて雨乞いをさせると、午前を過ぎぬうちに、天下にあまねく雨が降った。

『列王紀』上・第18章  イスラエルに旱魃が続く。バアル神を拝む預言者四百五十人と、主なる神に仕えるエリヤ一人とが、それぞれカルメル山上で雨を呼ぶ。バアルの預言者たちが祈ってもまったく雨は降らず、エリヤの祈りによって大雨が降る〔*エリアは民に命じてバアルの預言者たちを捕らえさせ、殺した〕。

*三蔵法師と虎力大仙が、雨乞いの術くらべをする→〔わざくらべ〕2の『西遊記』百回本第45回。

★2.女性の力で雨を呼ぶ。

『義経記』巻6「静若宮八幡宮へ参詣の事」  百日の日照りで、百人の高僧が雨を請うが降らない。ある人が「百人の美しい白拍子が舞えば、龍神も納受し給うだろう」と言ったので、白拍子が九十九人まで舞うが効験がない。百人目に静御前が舞うと、たちまち雷雲が起こり、三日間大雨が降った。

『夜叉ケ池』(泉鏡花)  日照りの折には、村一番の美女を裸体(はだか)に剥(む)き、仰向けに黒牛の背に載せて、夜叉ケ池まで送る。そこで牛を屠(ほふ)って村人がその肉を共食すれば、三日の雨が降り注ぐという(美女を殺すことはしない)。鐘楼守萩原晃の妻百合が雨乞いの生贄として選ばれ、彼女はこれを拒否して鎌で自害する→〔水没〕1

*美女が一角仙人と交わり、雨を降らせる→〔誘惑〕4の『今昔物語集』巻5−4。

*女性の裸身が雨を呼ぶ→〔彗星〕1の『子不語』巻7−179。

*女性が裸になって太陽神を呼ぶ、という物語もある→〔性器(女)〕1の『古事記』上巻(アメノウズメ)。

★3.龍が体をばらばらにされる、という犠牲をはらって雨を降らせる。

『今昔物語集』巻13−33  龍エン寺の僧の法華講説を、龍が毎日聴聞していた。日照りが続いたので、天皇の命令で、僧は龍に雨を請う。龍は『法華経』聴聞の礼に、命を棄てて大梵天王に逆らい、雨の戸を開いて三日三晩大雨を降らせる。後、山の池に、寸断された龍の死骸が見出された。

『雑談集』巻9−4「冥衆ノ仏法ヲ崇ル事」  昔、南都で祈雨の法華八講を行じた時、小龍が老翁の姿となって現れ、「大龍の許しを得ずに、我が命を棄てて雨を降らそう」と告げた。やがて雨が降り、雷が鳴って、三つに切られた龍が天から落ちて来た。

*河童が命を棄てて、雨を降らせる→〔河童〕6の『河童の雨ごい』(日本の昔話)。

★4.龍の作り物をばらばらに引き裂いて、雨を乞う。

『金枝篇』(初版)第1章第2節  中国では、雨の神を表す巨大な龍を紙か木で作り、人々が行列して龍をあちらこちらへ引き回す。それでも雨が降らないと、龍は罵られ、ばらばらに引き裂かれる。

★5.地上で水をまけば、天から雨が降る。共感呪術。

『金枝篇』(初版)第1章第2節  旱魃の際、セルビア人たちは一人の娘を裸にして、頭から脚の先まで草葉や花でおおい、顔まで隠れるようにする。この娘はドドラ(Dodola)と呼ばれ、娘たちの一団とともに村中を歩く。ドドラは踊り、娘たちは歌い、家々の主婦がバケツの水をドドラにかける。身に葉をまとったドドラは草木の霊を表し、彼女を水浸しにすることは、雨の模倣である。

★6.石を持ち上げて雨を乞う。

『酉陽雑俎』巻14−541  荊州永豊県の東郷里に、長さ九尺六寸で人間に似た形の臥石が一つある。日照りの折には、この石を持ち上げた。少し持ち上がった時には、少し雨が降り、高く持ち上がった時には、大雨が降った。

 

※和歌を詠んで雨を乞う→〔歌の力〕1の『醒睡笑』巻之8「秀句」10など。

※縄で雲を引き寄せて、雨を降らせる→〔雲〕4の『子不語』巻12−290。

 

 

【天の川】

★1.天の川が出現して、男女の間を隔てる。

『天稚彦草子』(御伽草子)  天上世界の鬼が、息子天稚彦(天稚御子)と彼を慕い天へ上って来た妻との、月に一度の逢瀬を許す。ところが妻はそれを「年に一度」と聞き違える。鬼は瓜を打ちつけ、そこから天の川が流れ出る。天稚彦と妻は、彦星・七夕(織姫)となって、年に一度だけ、七月七日に逢うことになった。

『牽牛星と織女星』(中国の民話)  牛飼い男が、地上に降りた織女を捕らえて、妻にする。織女は男女二児を産んだが、三年後、西王母が来て、織女を天へ連れて行く。牛飼いがあとを追うと、西王母は、牛飼いの前に天の川を作って、織女との間を隔てる。織女は「毎月七日に逢いに行くわ」と叫ぶ。牛飼いは「毎月七日」を「七月七日」と聞き違え、そのため、年に一度しか逢えなくなった〔*牽牛星のそばに小さな星が二つあるのは、織女との間の二児だ〕。

『牛郎と織女の物語』(中国の神話・伝説)  牛郎星(わし座のアルタイル)と織女星(こと座のベガ)は互いに愛し合い、男の子と女の子を一人ずつ授かった。しかし西王母が、髪飾りで空を引っ掻いて広い天の川を作り、牛郎と織女を両岸に引き離した。西王母は、年に一度だけ七月七日に二人が逢うことを許し、その日には、たくさんの鵲(かささぎ)が天へ飛び立ち、二人のために天の川に橋を架ける。

*一年に一度、「女護が嶋」の女と「男の嶋」の男の交わり→〔性交〕11の『椿説弓張月』後篇巻之1第17回。

★2.冬の夜の天の河。

『雪国』(川端康成)  駒子は島村に「一年に一度来る人なの?」と問い、「一年に一度でいいからいらっしゃいね」と言った。冬の夜、二人は天の河を見上げる。裸の天の河は夜の大地を素肌で巻こうとして、すぐそこに降りて来ている、と思えた。火事騒ぎの混乱の中(*→〔狂気〕2)、島村は駒子のそばへ寄ろうとするが、男たちに押されてよろめく。踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて、天の河が島村の中へ流れ落ちるようであった。

★3.母乳がほとばしって天の川になる。

『天の川は聖母マリアの乳の川』(アルゼンチンの民話)  聖母マリアが幼な子イエスにお乳を飲ませていた。幼な子は歯が生え始めていて、おっぱいを噛んだ。聖母があわてて幼な子を胸からはずすと、お乳がほとばしり、天に乳の川ができた。

『ギリシアの神話―英雄の時代』(ケレーニイ)第2部第1章の2  女神ヘラが眠っている時に、ヘルメスが赤ん坊のヘラクレスを天上の彼女の部屋へ連れて行き、乳を吸わせた。ヘラはあまりの痛さにヘラクレスをはらいのけると、乳がほとばしって、天の川が生じた。

★4.灰が天の川になる。

星を作った少女(アフリカ、ブッシュマンの神話)  大昔、天には星が一つもなく、夜空には月が光っているだけだった。一人の少女が「広い空に、お月さまだけではかわいそう」と考え、家のいろりの灰をつかんで、繰り返し空へ投げ上げる。灰は風に吹かれて昇り、ひとすじの帯のように空に広がった。これが天の川の始まりだ。次に少女は木の根をいくつも空へ投げ、それが星になった。

*土が天の川になる→〔太陽と月〕5の『天体で遊ぶイエス』(ブルガリアの民話)。

★5.天の川は、天上界に架けられた橋。

天上にかかった光の橋  昔、ズラミスとサラミという夫婦がいた。死後、二人は天に昇って別々の星となったため、逢うことができなかった。そこで二人は、天上界にあるかすかな光のもやを集め、千年かけて光の橋(天の川)を完成させた。ズラミスとサラミは、光の橋を両端から渡ってシリウス星のところで出会い、仲睦まじく暮らした(フィンランドの伝説)。    

★6.天の川に沿って走る銀河鉄道。

『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)  丘の上にいたジョバンニは、気がつくと軽便鉄道の車室に座っており(*→〔旅〕3a)、前の席にカムパネルラがいた。もうすぐ十一時で、白鳥の停車場に着く手前だった。天の川の左岸沿いの線路を、列車は南へ南へと進んで行く。白鳥座の北十字、アルビレオの観測所、鷲(わし座)の停車場、蠍の火(さそり座)を経て、南十字(サウザンクロス)へは次の第三時頃に着いた。さらに進んで石炭袋の近くまで来た時、カムパネルラの姿が消えた〔*第1次稿〜第3次稿では、石炭袋を過ぎて、マジェラン星雲の見える所まで行く〕→〔乗客〕4。    

★7.地上の人間が天の川へ招かれる。

『剪燈新話』巻4「鑑湖夜泛記」  元の天暦年間(1328〜1329)のこと。初秋の夕暮れ時、成令言が鑑湖(浙江省にある湖)に舟を浮べ、天の川を仰いでいた。すると舟が自然に動き出し、次第に速力を増して、人間世界ではない所へ着いた。そこは、すがすがしい光に満ち、ぞっとするほどの寒さだった。冠をつけ白絹の衣を着た織女が出迎え、「ここは天の川です。人の世から八万里以上離れております」と教えた→〔女神〕1a

 

※天の川の白水素女→〔天人女房〕2の『捜神後記』巻5−1(通巻49話)。

※海は、天の川とつながっている→〔星に化す〕6aの『荊楚歳時記』など。

 

 

【あまのじゃく】

★1.あまのじゃくが鶏の鳴き真似をする。

岩の掛橋(高木敏雄『日本伝説集』第3)  羅石明神が越後と佐渡の間に橋を掛けようと、ある夜、多くの眷属に石運びを命じた。夜明けまでに完成するはずだったが、眷属の中に怠け者で仕事嫌いのアマンジャクがいて、まだ夜半過ぎにもならないのに鶏の啼き真似をした。明神は騙されてたちまち姿を隠し、眷属どもも散り失せて、橋は出来上がらなかった(越後国柏崎)。

『夢十夜』(夏目漱石)第5夜  神代に近い昔。「自分」は軍(いくさ)をして負け、捕虜になった。「自分」は「死ぬ前に一目、思う女に逢いたい」と願い、敵の大将は「夜が明けて鶏が鳴くまでなら待つ」と言う。闇の中、女が白馬に乗って駈けて来る。天探女(あまのじゃく)が「こけこっこう」と鶏の鳴き真似をし、女は「あっ」と言って、馬もろとも岩の上から深い淵へ落ち入った。

★2.あめのさぐめが「鳥を射よ」と言う。

『古事記』上巻  高天原から葦原中国へつかわされた雉の鳴女(なきめ)が、天若日子の門にある湯津楓(ゆつかつら)の上にとまって、「なぜ八年間も何の報告もしないのか?」と問う(*→〔矢が戻る〕2)。天佐具女(あめのさぐめ)が「この鳥は鳴く声が良くないので、射殺(いころ)しておしまいなさい」と勧める。天若日子は矢を射て雉を殺したが、矢は雉の胸を貫いて、高天原まで到った〔*『日本書紀』巻2・第1段本文および一書では「天探女」と表記する〕。

★3.鳥が、あまのさぐめの正体を暴く。

『瓜姫物語』(御伽草子)  あまのさぐめが瓜姫をつかまえて木の上に縛りつけ、自分が瓜姫の代わりに守護代の嫁になろうとする(*→〔留守〕1)。夜、嫁迎えの輿に乗せられて木の下道を通る時、鳥が「ふるちご(瓜姫)を迎へとるべき手車にあまのさく(さぐめ)こそ乗りて行きけれ」と囀る。人々は松明(たいまつ)を掲げ、木の上に瓜姫を見出す。あまのさぐめは輿から引き出され、罰せられる→〔血〕6c

★4.あまのじゃくが、空の星を取ろうとする。

『あまんじゃくの星取り石』(松谷みよ子『日本の伝説』)  夜、あまんじゃくが二上山のてっぺんへ登り、跳びはねて星を取ろうとしたが、届かない。あまんじゃくは石をたくさん集めて積み上げ、その上に乗って背伸びをして、ほうきを高く上げる。「ああ、もうちっとじゃ」と言った時、一番鶏(どり)が鳴いて、星は見えなくなった。あまんじゃくは悔しがって地団駄を踏み、積み上げた石はガラガラと崩れて転げ落ちた。今でもそのあたりは、山のてっぺんから谷底まで、大小の石がごろごろしている。「あまんじゃくの星取り石」とは、このことだ(岡山県)。

*空の星を取ろうとする物語→〔星〕1aの『醒睡笑』巻之1「鈍副子」16、→〔星〕1bの『星を売る店』(稲垣足穂)。

★5.人の言葉に、わざと逆らう性格。

『赤い部屋』(江戸川乱歩)  ひねくれた強情者の盲人按摩がいた。人が親切心からいろいろ注意してやると、「それくらいのことはわかっている」と言って、必ず相手の言葉に逆らったことをした。ある日、その按摩が下水工事の穴の側を通るのを見て、「私」は「ソラ危ない。左へ寄れ」と、本当のことをわざと冗談めかして言った。按摩は、からかわれたと思い、反対の右の方へ寄り、穴に落ちて死んだ〔*「私」は退屈しのぎのため、法律に触れぬ殺人法をいくつも考案し、何の恨みもない大勢の人間を殺した〕→〔泳ぎ〕6b

『吾輩は猫である』(夏目漱石)10  苦沙弥先生の性格を、姪の女学生雪江さんは、よく心得ていた。「天探女(あまのじゃく)でしょう。叔父さんはあれが道楽なのよ」と、雪江さんは苦沙弥の妻君に言う。「何かさせようと思ったら、裏を言うと、こっちの思いどおりになるのよ。此間(こないだ)も蝙蝠傘(こうもり)を、わざと『いらない』って言ったら、『いらないことがあるものか』って、すぐ買って下すったの」〔*その後、苦沙弥は『いらないなら傘を還(かえ)せ』と言い、雪江さんは『ひどいわ』と言って泣く〕。

★6.父の言葉に逆らう息子。

『山鳩の孝行』(日本の昔話)  昔、あまのじゃくな童(わらべ)がいた。父が「山へ行け」と言えば川へ行き、「田へ行け」と言えば、畑へ行った。父は病気になり、「死んだら山に埋めてもらいたい」と思うが、童は反対のことをするだろうから、「川っぷちに埋めてくれ」と遺言して死んだ。ところが童は、それまでの行ないを反省して、今度は言われたとおり、川っぷちに父を埋めた。雨が降ると、水が出て墓が流れそうになる。童は気がかりで、「てて(父)っぽっぽ、ててっぽっぽ」と鳴く山鳩になった(岩手県和賀郡)。

『酉陽雑俎』続集巻4−974  昆明池の中に塚があり、「渾子」と呼んでいる。昔、渾子という名の息子がいた。つねに父の言葉に逆らい、東と言えば西、水と言えば火と言った。父は病気が重くなり、小高い丘に埋葬してほしかったので、「わしが死んだら、必ず水中に葬ってくれ」と、いつわりの遺言をする。父の死後、渾子は涙を流し、「私は、今日だけは父の命令に逆らえない」と言って、父の言葉どおり水中に葬った。

★7.「してはいけない行為だ」という、ただその理由だけで、人はその行為を犯し続けている。

『天邪鬼(あまのじゃく)(ポオ)  「私」はある人物を巧妙に殺し、その財産を相続した。「私」が自分から白状しないかぎり、「私」が犯人だとはわかるまい、と「私」はつぶやいた。そうつぶやいたとたん、「私」は自らの犯行を大声でしゃべらずにはいられなくなった。「身の破滅を招く行為だとわかっているゆえに、それをしてしまう」という、「天邪鬼」根性の発作が起こったのだ。「私」は大通りで、はっきり明晰な言葉で話し、逮捕された。

★8.天逆毎姫(あまのさこのひめ)。

『和漢三才図会』巻第44・山禽類「治鳥(じちょう)」  ある書に言う。服狭雄尊(そさのおのみこと)は猛気が胸・腹に満ちあまり、それが吐物となり口外に出て、天狗神となった。人身獣首の姫神で、鼻が高く、長い耳と長い牙を持つ。左にあるものを「右」と言い、前にあるものを「後」と言い、自ら「天逆毎姫」と称する。天の逆気を呑み、独りで孕んで児を産み、天魔雄神(あまのさかおのかみ)と名づけた。

 

 

【雨宿り】

★1.雨宿りが縁で、男女が契りをかわす。

『雨やどり』(御伽草子)  按察大納言の姫君は初瀬観音参詣の帰途、五条辺で雨にあい、近くの家の門に雨宿りする。そこは右大将の息子中納言の乳母の家であり、訪れた中納言が姫君を見そめ、契りを結ぶ→〔取り替え子〕1a

『木幡の時雨』  八月、中納言は初瀬詣での途中、木幡の里で時雨に遭って一軒の小家に雨宿りする。そこには故奈良兵部卿右衛門督の姫君が物忌みに来ており、中納言は姫君と契りを結び、数日滞在する。

『今昔物語集』巻22−7  内大臣高藤は十五〜六歳の頃、鷹狩りに出て一軒の家に雨宿りをする。彼は、食事の世話などをしてくれた美しい娘を寝所に呼び、一夜の契りをかわす。二人の間に生まれた女児は、後に宇多院の女御となり、醍醐天皇を産んだ。

『小夜衣』上巻  冷泉院の皇子兵部卿宮は、山里に祖母尼と暮らす按察使大納言の姫君の噂を聞き、心を寄せる。山里を訪れた兵部卿宮は、激しい五月雨に遭って姫君の邸に雨宿りし、姫君と契りを交わす〔*後に兵部卿宮は帝、姫君は中宮になる〕。

『十訓抄』第10−43  稲荷詣での和泉式部が時雨にあい、田を刈る童に「あを(蓑の類)」を借りて、雨をしのいだ。翌日、童が「時雨する稲荷の山のもみぢ葉はあをかりし(*「あを借りし」と「青かりし」の掛詞)より思ひそめてき」と記した文を持って、和泉式部のもとを訪れる。和泉式部は「あわれ」と思って、童を奥へ呼び入れる〔*『古今著聞集』巻5「和歌」第6・通巻201話に同話〕。

『大和物語』第173段  良岑宗貞は、五条あたりで雨にふられ、とあるさびれた家に雨宿りを頼んだ。彼はその家の娘と歌をよみかわすなどの後、一夜をともにすごした。

*傘がきっかけで、男女が契りを交わす→〔笠(傘)〕2の『しぐれ』(御伽草子)、→〔笠(傘)〕3aの『ボク東綺譚』(永井荷風)。

★2.雨宿りをもっと大がかりにしたのが、光源氏の「須磨」「明石」の物語である。

『源氏物語』「須磨」「明石」  光源氏が須磨の海辺で禊ぎをし、無実を訴える歌「八百よろづ神もあはれと思ふらむ犯せる罪のそれとなければ」を詠ずると、たちまち大暴風雨が起こる。何日も風雨は続き、落雷もあって光源氏は生きた心地もない。そこへ明石の入道が舟で迎えに来て、源氏は入道の館に落ち着く。源氏は、入道の娘明石の君と契りを交わし、姫君(後の明石女御)をもうける。

★3.雨宿りの最中の、男女の情交。

『日本霊異記』下−18  宝亀二年(771)夏六月、丹治比(たぢひ)の経師(きやうじ)が、寺の堂内で『法華経』を書写していた。外では女たちが、墨に浄水をそそいでいた。雨が降り出したので、女たちは雨を避けて堂内に入る。狭い堂内に男女一緒にいるうちに、経師にみだらな心が起こり、彼は一人の女の裳をまくり上げて背後から交接する。男根が女陰に入ると同時に、仏罰を受けて二人は死んでしまった。

★4.男女が雨宿りで出会うが、契りをかわすまでにはならない。

『伊豆の踊子』(川端康成)  秋の伊豆を一人旅する二十歳の「私」は、天城峠で驟雨に遭い、茶店に駆けこむ。そこには、これまで二度ほど見かけた旅芸人一行が休んでおり、その中に十七歳ほどに見える踊子(実際は十四歳)もいた。「私」と踊子たちとは、下田まで数日間、行動をともにする→〔道連れ〕2

『常山紀談』巻之1−13  若き日の太田道潅が鷹狩りに出て雨に降られ、小家へ蓑を借りに行くと、若い女が無言で山吹の一枝を折って差し出した。「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の古歌をふまえて、蓑のないことを示したのだった。

『定家』(能)  北国から京へ上った僧が時雨にあい、近くの亭に入って雨宿りをする。女が現れて「これこそ定家の時雨の亭(ちん)」と教え、定家と式子内親王との恋を語る。女は「自らは内親王の霊である」とあかして消える。

*西行が遊女の家に雨宿りする→〔僧〕2の『撰集抄』巻9−8。

『ピグマリオン』(ショー)の言語学者ヒギンズと花売り娘イライザも、雨宿りがきっかけで出会う。『ピグマリオン』の幕切れでは、二人の別れが暗示され、『ピグマリオン』にもとづくミュージカル『マイ・フェア・レディ』では、二人の結婚が暗示される→〔識別力〕3

★5.雨宿りする男が、情交の対象になりえぬ老婆に出会う。

『羅生門』(芥川龍之介)  ある日の暮れ方、失業して行き場のない下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。彼は楼の上で一夜をすごそうと思って梯子を登り、死人の髪を抜く老婆と出会った。餓死するか盗人になるか迷っていた下人は、老婆の着物を剥ぎ取って、盗人になる道を選んだ〔*原話の『今昔物語集』巻29−18では雨は降らない〕。

★6.雨宿りで男が出会う女は、生身の人間でなく、妖怪の類であることもある。

『雨月物語』巻之4「蛇性の婬」  紀の国三輪が崎の青年豊雄が、知人の家で雨やみを待っていると、美女が来て軒で雨宿りをする。豊雄は女に傘を貸し、その縁で二人は親しくなる。女は某役人の未亡人で「真名子(まなご)」と名乗るが、その正体は蛇だった。真名子は豊雄の美貌に執着し、豊雄が大和の石榴市(つばいち)へ逃げればその後を追い、豊雄が三輪が崎へ帰って結婚すれば、真名子は新妻富子に憑依する→〔初夜〕2

★7.風雅な雨宿り。

『撰集抄』巻8−19  殿上人たちが東山へ桜狩り(花見)に出かけたところ、急に雨が降って来た。皆があわてる中、藤原実方中将は、桜の木のもとに身を寄せて「桜狩り雨は降りきぬ同じくは濡るとも花のかげに宿らん」と詠んだ。彼の装束はすっかり濡れてしまったが、人々は「風雅なふるまいだ」と賞賛した。これを聞いた藤原行成は、「歌は面白し。実方は痴(をこ)なり」と言った。

 

※通夜の家に雨宿りする→〔葬儀〕4の『通夜』(つげ義春)。

 

 

【雨】

 *関連項目→〔火の雨〕 

★1.不吉な雨。

『彼岸過迄』(夏目漱石)「雨の降る日」  或る年の十一月の雨の午後遅く、紹介状を持った客が、高等遊民・松本恒三の家を訪れた。客間で応対している間に、松本の末娘・二歳の宵子が、夕飯を食べていて急に意識を失い、死んでしまった。宵子の葬儀を済ました後、松本は、「おれは雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男がいやになった」と、家族に言った〔*田川敬太郎が田口要作の紹介状を持って訪問した日も、雨だったので、会ってもらえなかった〕。

『武器よさらば』(ヘミングウェイ)第19・24・41章  看護婦キャサリンは「雨がこわい。雨の中で自分が死んでいる姿が時々見える」と言う。雨の夜、フレデリック中尉はキャサリンと別れて前線へ行く。雨の夜、二人は憲兵に逮捕されそうになって逃げる。そして雨の夜に、キャサリンはフレデリックの子を死産して死ぬ。

★2.人を死にいたらせる雨。

『雨の朝パリに死す』(ブルックス)  小説家を目指すチャーリーは、美貌のヘレン(演ずるのはエリザベス・テーラー)と結婚する。しかし原稿不採用が続き、チャーリーの心はすさみ、酒びたりになる。夫婦仲も悪くなって、ともに女友達・男友達を作る。真冬の朝ヘレンが帰宅するが、ドアにチェーンキーがかかっており、チャーリーは酔って寝ているので、彼女は家に入れない。ヘレンは氷雨に打たれ、身体をこわして死ぬ。

『浮雲』(成瀬巳喜男)  富岡(演ずるのは森雅之)とその愛人ゆき子(高峰秀子)は、戦中から戦後にかけ、何度も別れてはまた縒りを戻す。富岡は妻帯者で、他の女とも浮気をする。ゆき子も米兵や義兄と関係を持つ。富岡は屋久島の営林署に赴任し、病身のゆき子はせがんで彼に同行する。医者は、一年中雨が降り続く多湿の島での生活を、懸念する。ゆき子は宿舎で寝たきりとなり、激しい風雨の日、富岡が森林を巡回中に、息を引き取る。

*英雄ヤマトタケルも、氷雨に打たれて病み、死んでゆく→〔剣を失う〕3の『古事記』中巻。 

*雨に打たれて病む子供、雨に打たれて煙突から落ちる掃除夫→〔落下する人〕1の『おばけ煙突』(つげ義春)。

*雨女を吸い込むと風邪をひく。死ぬこともある→〔息〕8の『百物語』(杉浦日向子)其ノ80。  

★3.雨の夜の怪物。

『夷堅志』(宋・洪邁)「雨夜の怪」  夜遊びに出た七〜八人の学生たちが、驟雨に遭う。彼らは酒屋で単衣(ひとえ)の衾(よぎ)を借り、衾の四隅を竹でささえて、大勢がその下に入って走る。松明(たいまつ)を持って夜廻りする男がこれを見、驚いて逃げる。翌日、夜廻りは府庁に「昨夜、大雨の中、一つの怪物が現れた。上は四角で平らだった。下に二〜三十の足があり、ぞろぞろ歩いた」と報告した。  

『平家物語』巻6「祇園女御」  五月雨の夜に白河院が、祇園に住む愛人(祇園女御)のもとへ出かける。御堂のそばに発光体が現れ、頭は銀の針のごとく、左右の手に槌のような物と光る物を持っていた。供をしていた平忠盛が組みつくと、それは化け物ではなく、御燈(みあかし)当番の老法師が油瓶と火を持ち、藁束を笠代わりにかぶっていたのだった。

★4.雨の夜に、狸が人間を妖怪と見間違う。

『夜窓鬼談』(石川鴻斎)上巻「驚狸」  小糠雨の夜、目黒村の村長が行人坂を歩く。笠をかぶった子供が、片手に徳利、片手に通い帳を下げて、村長につきまとう。老眼の村長は、左手に傘と燈籠を持ち、右手に眼鏡を持って、子供を見る。子供は叫び声をあげ、狸に変じて逃げ去る。燈籠の火が眼鏡のレンズに反射して巨眼に見え、狸は村長を妖怪と思ったのだった。

★5.雨漏り。

『古事記』下巻  仁徳天皇は国見をして人民(おほみたから)の貧窮を知り、三年間、課税と夫役(ぶやく)を免除した。そのため皇居は破損し、いたるところで雨漏りがした。しかしそれを修理することもなく、器で雨を受け、天皇は雨が漏らない部屋へ移動した〔*『日本書紀』巻11仁徳天皇4年(A.D.316)では、雨が天皇の衣服や夜具をぬらしたことを記す。器で雨を受けたとか、天皇が雨を避けて移動した、などの記述はない〕→〔国見〕2

★6.雨を牢に入れる。

『古事談』巻1−74  白河院が一切経を金字で書写し、その供養を法勝寺で行なおうとしたが、雨のために三度も延期になった。四度目の供養日もまた雨が降ったので、白河院は怒り、雨を器に受けて獄舎に置いた。

★7.雨を予知する。

『孔子家語』巻之9「七十二弟子解」  朝、近くへ出かける孔子が、好天なのに従者に蓋(かさ)を持たせた。午後になって雨が降り始めたので、弟子の巫馬期が、「朝には雲もなく日が照っていたのに、どうして雨が降るとわかったのですか?」と問うた。孔子は「昨夜、月が畢宿(ひつしゅく。おうし座のヒアデス星団)にかかっていた。『詩経』に「月、畢にかかり、滂沱たらしむ」とあるから、雨が降ると知ったのだ」と説いた。

★8.雨の日は、屋外で働く職人や商人は仕事にありつけず、賃金を得られない。

『雨』(広津柳浪)  雨が十日以上も降り続き、紺屋の手間取り職人吉松(きちまつ)は生活に困窮する。彼は恋女房お八重とともに、六畳一間の貧民長屋で雨の止む日を待つ。そこへお八重の母親お重が、金の無心に訪れる。吉松は、親方から預かった客の着物を質に入れ、金を作ってお重に渡す。客の着物に手をつけては世間に顔向けできず、吉松とお八重は長屋から姿を消す。二人の行方も生死も不明であった。

 

※雨の中の男女→〔誘惑〕5の『雨』(モーム)。 

※黄金の雨となったゼウス→〔箱舟(方舟)〕3の『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章。 

※雨の日の物語・雨の夜の物語→〔物語〕1の『源氏物語』「帚木」など、→〔物語〕2の『古屋の漏り』(日本の昔話)。

※日が照っているのに雨が降る→〔狐〕12bの『夢』(黒澤明)第1話「日照り雨」。

 

 

【蟻】

★1.人間が蟻に変ずる。蟻が人間に変ずる。

『イソップ寓話集』(岩波文庫版)166「蟻」  今の蟻は、昔は人間だった。彼らは勤勉だったが、隣人の収穫を羨望し、盗み続けたので、ゼウスがその貪欲に怒り、蟻にしてしまった。姿は変わっても心は変わらず、今でも蟻は、畠から他人の大麦や小麦を集めて、貯えている。

『変身物語』(オヴィディウス)巻7  オイノピア(アイギナ)島を疫病が襲い、人々は死に絶える。アイアコス王が、父であるゼウスに、「樫の木を這う蟻たちと同じ数の市民を与えよ」と願う。蟻たちはにわかに大きくなり立ち上がって、大勢の男たちになる。王は彼らを「ミュルミドン(蟻男)」と名づける〔*後にミュルミドンは、アキレウスに従ってトロイアに遠征する〕。

★2.蟻の恩返し。

『イソップ寓話集』(岩波文庫版)235「蟻と鳩」  泉に溺れる蟻に、鳩が木の葉をちぎって落としてやり、蟻は葉に這い上がって助かる。その時、鳥刺しが、もち竿で鳩を捕らえようとするので、蟻が鳥刺しの足に噛みつく。竿がそれて、鳩は逃げ去る。

『捜神記』巻20−8(通巻456話)  川中の葦の茎にしがみつく蟻を、船に乗る男が見つけ、陸に上げてやる。その夜、男の夢に蟻の王が現れて礼を述べる。十年後、無実の罪で男は牢に繋がれるが、蟻が足枷を噛み切ってくれたので、牢から逃げ出せた。

★3.蟻の教え、蟻の助け。

『蟻』(小泉八雲『怪談』)  中国の台州に住む男が、ある女神を信仰していた。朝、女神が現れ、男の両耳に油のようなものを塗って、「蟻の言葉を聞け」と教える。男は、家の土台石の上にいる二匹の蟻に耳を寄せる。蟻たちは、「ここは宝物が埋めてあるので、地面が冷たい。もっと暖かい所へ行こう」と話し合っていた。男が石のまわりを鍬で掘ると、金貨の詰まった壺がいくつも出て来る。男は大金持ちになった。

*虫の会話を聞く→〔虫〕6の『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第9章。

『黄金のろば』(アプレイユス)巻の6  女神ヴェヌスが、息子エロス(クピード)の妻となったプシュケを憎み、大麦・小麦・粟・小豆・豌豆などを混ぜ合わせて一山にし、「夕方までにこれを一粒ずつ種類別に選り分けよ」と命ずる。プシュケが途方にくれていると、蟻たちが彼女に同情し、きれいに選り分けてくれた。

★4.勤勉な蟻。

『イソップ寓話集』(岩波文庫版)112「蟻とセンチコガネ」  夏の盛りに、蟻が大麦小麦を集め貯えているのをセンチコガネが見て、「皆がのんびりしている季節に汗水流すとは、ご苦労なことだ」と言った。冬になって、センチコガネが食物を請いに来た時、蟻は「君もあの時苦労していたら、今餌に困ることもなかったろうに」と言った。

*夏の間、歌って暮らした蝉→〔蝉〕3の『イソップ寓話集』(岩波文庫版)373「蝉と蟻」。

★5.蟻の国。

『南柯太守伝』(唐代伝奇)  淳于汾は、いつも屋敷の南の槐の木陰で酒を飲んでいたが、ある日、夢で大槐安国へ行った(*→〔夢オチ〕1)。目覚めて槐の根元の洞を掘ると、寝台を一つ置けるくらいの穴があって、土を積んで城郭や宮殿の形が作ってあり、何万もの蟻がいた。周辺にもいくつか穴があり、それらは辺境の南柯郡や隣国などであった。

★6.蟻の大群が、不特定多数の人々を襲う。

『アリの帝国』(H・G・ウェルズ)  人間が未開状態から現代の文明を築いたように、蟻もまた進化する。アマゾン川上流地域に、体長二インチ(五センチ強)以上もある新種の蟻の大群が出現し、人の住む集落を襲い出す。二十匹に一匹の割りで巨大蟻がいて、全体を統率しているように見える。蟻は毒を持ち、刺された人間は死んだ。ブラジル政府は駆除方法を求めて、五百ポンドの賞金を提示する。やがて蟻は南米全域に広がり、数十年後にはヨーロッパにも向かうであろう。 

*鳥の大群が、不特定多数の人々を襲う→〔鳥〕4の『鳥』(デュ・モーリア)。

★7.蟻を踏みつぶさない。

『今昔物語集』巻1−30  帝釈天が阿修羅王との合戦に負けて逃げ帰る道に、多くの蟻がいた。帝釈天は「このまま逃げれば、蟻たちを踏み殺してしまう。そんなことをすれば死後は悪処に生まれるだろう。仏道を成就することもできないだろう」と考え、阿修羅王のいる方へ引き返した。阿修羅王は、「帝釈天が反撃して来た」と誤解し、逃げて行った。 

 

※蟻に糸をつけて曲がりくねった穴をくぐらせる→〔糸〕2の『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第1章など。

 

 

【あり得ぬこと】

★1a.「枯れた植物が芽吹く、根づく」という、あり得ぬことを想定し、それが実現する。

親鸞の伝説  親鸞が一本の枯竹の杖を、根を上にして大地に突き刺し、「もし南無阿弥陀仏の教えが後世に広まるならば、この杖も必ず根をおろし芽を吹くであろう」と言った。その竹は逆さのまま根づき、現在の鳥尾野の竹林になった。今でも、枝が下を向く竹が発生し、これを「親鸞上人の倒枝杖(さかさだけ)」と呼ぶ(新潟県新潟市)。

『タンホイザー』(ワーグナー)第3幕  タンホイザーは、愛の女神ヴェヌスとの歓楽の生活(*→〔洞穴(ほらあな)〕2)を悔い、神の赦しを求める。しかしローマ法王が、「ヴェヌスブルク(ビーナスの丘)を訪れた者は、我が持つ杖に新緑の芽が出ぬごとく、永遠に救われない」と宣告する。タンホイザーを愛する乙女エリーザベトが、ひたすら彼の救済を祈り、死んで行く。タンホイザーも彼女の柩の傍で死ぬ。法王の杖に新緑が芽吹く。

★1b.「調理した食物が芽吹く、根づく」という、あり得ぬことを想定し、それが実現する。

『宇治拾遺物語』巻15−1  難を避け身を隠す皇太子(後の清見原天皇=天武天皇)が、山城国田原で、焼き栗と茹で栗を「思うこと叶うべくは生い出て木になれ」と言って埋めた。やがて皇太子は帝位につき、焼き栗・茹で栗は、形も変わらず生え出て、木となった。

お菊と小幡の殿様の伝説  小幡の殿様の侍女お菊は、無実の罪で殺された(*→〔針〕4)。母が悔しがり、「もしお菊が無実だったら、炒り胡麻から芽を出してやる」と言って、炒り胡麻をまいた。すると何本もの芽が出た(群馬県甘楽郡妙義町中里)。

★1c.「馬に角が生え、烏の頭が白くなる」という、あり得ぬことを想定し、それが実現する。 

『平家物語』巻5「咸陽宮」  燕の太子丹は、秦国に十二年間捕らわれていた。丹は「故国へ帰り、老母に会いたい」と訴えるが、始皇帝は「馬に角が生え、烏の頭が白くなる時まで待て」とあざ笑う。丹が天地に祈ると、角ある馬が宮中にやって来て、白い頭の烏が庭木に止まった。始皇帝は驚き、丹を燕に帰した。

*「太陽が東へ沈む」ということを想定し、それが実現する→〔太陽〕5aの『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第2章。

★1d.「人の死体が川をさかのぼる」という、あり得ぬことを想定し、それが実現する。

『へたも絵のうち』(熊谷守一)「生いたち」  「私(熊谷守一)」の故郷の村(岐阜県恵那郡付知村)の昔話。京都の偉い坊さんが村へ布教に来た時、村の男が「言動が気にくわぬ」と言って坊さんを殴り殺し、死体を川までかついで行ってタンカをきった。「偉そうなことばかり言って、自分では何もできないじゃないか。くやしかったら川上に向けて流れてみろ」。すると坊さんの死体が、どんどん上流へのぼって行く。これは大変だというので、川岸の岩の上に祠を作り、霊人様として祀った。この祠は、「私」の若い頃にはまだあった。 

*死者の血が、竹竿を上へ昇る→〔血〕5の『捜神記』巻11−28(通巻290話)。

★2.あり得ぬはず、と安心していたことが意想外の形で現実化する。

『マクベス』(シェイクスピア)第4〜5幕  スコットランド王となったマクベスに、三人の魔女が「女が産んだ者にマクベスを倒す力はない」「バーナムの森が動き出さぬ限りマクベスは滅びぬ」と教える。マクベスは「天から迎えが来るまでは、安らかに王座を保つことができる」と安堵する。しかし、イングランドの兵が木の枝をかざして攻め寄せる有様は、あたかも森そのものが動くかのように見えた。月足らずで母の胎内から引きずり出されたマクダフが現れ、マクベスを斬り殺した。

★3.あり得ぬことを妄想し、幻視する。

『奇怪な再会』(芥川龍之介)  中国人女性尨@(けいれん)は軍人牧野の妾になるが、愛人金(きん)を忘れることができなかった。易者に「東京が森や林にでもなったら、その人に逢えるかもしれぬ」と言われた尨@は、金の身代わりのようにして飼っていた犬に死なれてから、心を病む。縁日の植木屋の前で、尨@は「とうとう東京も森になったんだねえ」と嬉しそうにつぶやく。

『三尺角』(泉鏡花)  深川の木挽(こびき)・十七歳の与吉は、一昨日の朝から、丈四間半、小口三尺の四角な樟(くすのき)を、大鋸で挽いていた。いつしか与吉は、深い森林の底にいるような気持ちになり、「大変だ」と叫んで、作業小屋から飛び出す(*→〔生命〕3)。「材木が化けた。小屋の材木に葉が茂った。枝ができた」と、大声で呼ばわって与吉は歩き回り、その声は、恋の病で死に瀕する娘お柳の耳にも届いた→〔恋わずらい〕6

★4.身体が二つなければあり得ないこと。

『笑林』26「鼻を噛み落とす」  甲と乙が喧嘩して、甲が乙の鼻を噛み切った。役人が甲を罰しようとすると、甲は「乙が自分で自分の鼻を噛み切ったのです」と言う。役人「鼻は口よりも高い所にある。噛めるはずがない」。甲「乙は踏み台に乗って噛みました」。

『ナスレッディン・ホジャ物語』「おお神さま(アッラー)!」  夜の庭に怪しい人影があったので、ホジャは弓で射て、見事に土手っ腹に矢を命中させる。翌朝見ると、人影と見えたのは、洗濯紐に吊るした自分の法衣だった。ホジャはひれ伏して神さまに礼を言い、「これがありがたがらずにおれようか。もし、あの土手っ腹に穴を開けた法衣の中にわしが入っておったら・・・・」と妻に説明する。

『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)「ミュンヒハウゼン男爵自身の話」  ある時「ワガハイ(ミュンヒハウゼン男爵)」は、馬で沼を跳び越えるのに失敗して、首まで沼に沈んでしまった。「ワガハイ」は自分の手で自分の髪をつかんで上へ引っ張り、左右の膝で馬の腹をしっかりとはさみ、ワガ腕力にて、ワガ身と馬を沼から引き上げた。

*棺桶の中の死人が、その棺桶をかつぐ→〔棺〕4の『片棒』(落語)。

★5.あり得ぬもの。

『徒然草』第88段  ある人が、小野道風(894〜966)書写の『和漢朗詠集』を秘蔵していた。別の人が、「藤原公任(966〜1041)撰の『和漢朗詠集』を小野道風が書写したというのは、時代が矛盾するのではないか?」と問うと、その人は「だからこそ世に稀な物なのだ」と答えて、いよいよ珍重した。

*源頼朝の幼い頃の髑髏→〔髑髏〕1dの『再成餅(ふたたびもち)』「開帳」。

★6.あり得ぬ不幸。

『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版・第40巻24ページ  サザエがトランプ占いをして、「7が三枚そろった。幸運だわ」と喜ぶ。カツオが「じゃあ不幸は?」と聞くと、サザエは「13が五枚そろった時」と答える。「そんなことありっこないじゃないか」と言うカツオに、サザエは真剣な顔で「あってたまるか」と言い返す。

 

 

【アリバイ】

★1a.空間の操作。犯行時刻に、犯人が現場から遠く離れた場所にいるように見せかけて、にせのアリバイを作る。

『完全殺人事件』(ブッシュ)  リッチレイは、イギリスに住む伯父を遺産目当てに殺す。犯行日の前後、リッチレイは自分によく似た男を雇ってフランスの諸地方を旅行させ、アリバイ工作をする。

『樽』(クロフツ)  パリに住むボワラックは、月曜日に近郊のレストランの電話を借りて、自宅と事務所に電話するふりをする。彼は火曜日の同時刻には遠方のカレーにいて、「パリ近郊のレストランから」と偽って、自宅と事務所に電話する。レストランの給仕は、ボワラックが電話を借りたのが月曜か火曜か記憶があいまいであり、ボワラックは「火曜はパリ近郊にいた」と皆に信じさせることに成功する→〔樽〕4a

『点と線』(松本清張)  昭和三十二年(1957)一月二十日午後、安田辰郎は羽田から飛行機で福岡へ行き、その夜香椎の海岸で人を殺した。翌二十一日、彼は飛行機で羽田へ戻り、すぐに札幌行きの飛行機に乗り継ぐ。警察の調べに対し安田は、「二十日は北海道出張で、十九時十五分上野発の急行に乗り、翌二十一日九時九分青森着。九時五十分発の青函連絡船に乗り、十四時二十分函館着」と答える。当時は列車と船による移動が一般的だったので、警察は飛行機の利用に思いいたらず、安田のアリバイをくずすことができない。

*電話を使ったアリバイ・トリック→〔取り合わせ〕3の『虚無への供物』(中井英夫)。

*殺人犯そっくりの人形を用いたアリバイ・トリック→〔人形〕3の『カリガリ博士』(ウイーネ)。

*空間を瞬時に移動して、アリバイ作りをする→〔空間移動〕4の『電送人間』(福田純)。

★1b.時間の操作。実際に犯行が行なわれた時刻の数分〜数十分後に、見せかけの犯行時刻を設定して、犯人がにせのアリバイを作る。

『偉大なる夢』(江戸川乱歩)  月明かりの夜、五十嵐新一青年と南京子は、五十嵐老博士が何者かに襲われ、遠方の窓から救いを求めて倒れる姿を見る。実はそれは、別人が老博士に変装していたのであり、本物の老博士は、それより十数分前に、新一青年の手で瀕死の重傷を負わされ、倒れていた。そうとは知らぬ京子は、「老博士が襲われた時、新一青年は自分の傍にいたのだから、絶対に犯人ではない」と考える〔*犯人あるいは共犯者が、被害者に変装する点で→〔死因〕2bの『英草紙』第8篇「白水翁が売卜直言奇を示す話」と同様〕。    

『皇帝の嗅ぎ煙草入れ』(カー)  イヴ・ニールの寝室に、前夫がよりを戻すために忍び入る。前夫は窓のカーテンの隙間から向かいの家を見て、「老人が嗅ぎ煙草入れを眺めている」と言う。数分後、再び前夫は窓外を見て「老人が殺されている」と言い、そのさまをイヴに見せる。実は、前夫は老人を殺しておいてからアリバイ工作のためイヴの所へ来たのだが、イヴは前夫の言葉の暗示により、生きている老人を見たように思いこみ、「たった今、何者かが老人を殺したのだ」と錯覚する。

*録音機・蓄音機を使って犯行時刻をごまかし、アリバイ工作をする→〔録音〕3aの『アクロイド殺人事件』(クリスティ)など。

*時計を遅らせてアリバイ工作をする→〔時計〕4の『化人(けにん)幻戯』(江戸川乱歩)。

★1c.犯罪者のアリバイを作ってやる商売。

『ある商売』(星新一『エヌ氏の遊園地』)  エム氏はアリバイ業を営んでいた。誰かが犯罪を行なう場合に、「その時間にはこの場所で、ずっと一緒にいた」との証人になってやるのだ。利用客は多く、十分にもうかる商売だった。ある夜エム氏は、どこかへ泥棒に出かける男に、「事務所で一晩中トランプをしていた」とのアリバイを作ってやる。完璧を期すために、エム氏が男の身になって、仲間二人と事務所で一晩中トランプをするのだ。その間に、男はエム氏の留守宅に侵入し、金庫をこじあけて大金を盗んで行った。

★2.真のアリバイを証明しようとする。

『幻の女』(アイリッシュ)  ヘンダースンは妻と喧嘩して夜の街へ出、バーで出会った名も知らぬ女を誘って食事をし、劇場でショーを見て別れる。帰宅すると妻が殺されており、彼は逮捕され死刑の判決を受ける。ヘンダースンにはアリバイがなく、その夜行動をともにした「幻の女」だけが、彼の無実を証言することができる。収監されたヘンダースンに代わって、親友ロンバードが「幻の女」を捜すが、実はロンバードこそ、ヘンダースンの妻を殺した真犯人であり、彼は口封じのため「幻の女」を殺そうとする〔*→〔濡れ衣〕4の『逃亡者』(デイヴィス)と類似の設定〕。

★3.無実の人のアリバイを、嘘を言って否定する。

『証言』(松本清張)  四十八歳の石野は、西大久保に愛人を住まわせていた。ある夜、愛人宅を出たところで、石野は顔見知りの杉山とすれ違う。同時刻に向島で殺人事件があり、杉山が容疑者として逮捕される。石野が証言すれば、杉山のアリバイは成立するのだったが、石野は愛人との生活を隠すため、「自分は西大久保には行ってない。だから杉山にも会わなかった」と嘘を言う。

★4.ある事件のアリバイを証明すると、別の事件の犯人であることがバレてしまう。

『死刑台のエレベーター』(マル)  ジュリアン(演ずるのはモーリス・ロネ)はビルの一室で殺人を犯した後、エレベーターに一晩閉じ込められる。翌朝、彼はエレベーターから脱出したが、遠方で起こった殺人事件の犯人と間違えられ、逮捕されてしまう。アリバイを証明すれば、自らの犯した殺人が露見する恐れがあるので、ジュリアンは何も言えない。しかし警察の追及に堪えられず、とうとう彼は「エレベーターの中にいた」と言う。ところが警察は「バカバカしい」と言って、取り合わない。

★5.目撃者の愚かな錯覚から、犯人の意図せぬアリバイが成立してしまう。

『断崖の錯覚』(太宰治)  「私」は恋人の雪を、断崖から百丈(三百メートル)下の海に突き落とした。その直後に、山の木こりが来て崖下をのぞき、「女が浪さ打ちよせられている」と言った。木こりは(不思議なことに他の人々も)、「私」が雪を突き落とした、とは考えないようだった。とすると、波打ち際の雪の死体と、山を散歩していた「私」の間には、百丈もの距離があるので、自動的に「私」のアリバイが成立してしまった。

★6.警察の捜査圏から、空間的にも時間的にも外へ出てしまう。

『捜査圏外の条件』(松本清張)  昭和二十五年(1950)、東京の銀行に勤める「自分」は、「同僚の笠岡を殺さねばならぬ」と決意した(*→〔密会〕3)。「自分」は銀行をやめ、遠い山口県へ引越し、笠岡とまったく無関係な人間になって、七年間待つ。昭和三十二年(1957)、「自分」は東京へ出て、飲み屋街で笠岡を見つけ、毒入りのビールを飲ませて、周囲に気づかれぬまま立ち去る。しかしその時、笠岡は昔を思い出して、七年前の流行歌「上海帰りのリル(*→〔歌の力〕4)」を口ずさんだのだ。飲み屋の女中がそれを捜査官に告げ、警察は、「自分」と笠岡が七年前に同僚だった事実を知った。

 

※複数の殺人犯たちが互いのアリバイを証明しあって、捜査を攪乱する→〔共謀〕4の『オリエント急行殺人事件』(クリスティ)。

 

 

【泡】

★1.泡から女神が生まれる。

『神統記』(ヘシオドス)  クロノスが父ウラノスの性器を大鎌で切断して、海へ投げた。海に漂う性器の回りに白い泡(精液であろう)が湧き、その中に美しい乙女アフロディーテ(ヴィーナス)が誕生した。

★2.泡から子供が生まれる。

泡子塚の伝説  西行が旅の途中、醒ヶ井の茶屋に立ち寄った。その折、西行に恋した茶屋の娘が、西行の飲み残した茶の泡を飲んで懐妊し、男児を産んだ。旅の帰途、このことを聞いた西行は男児を見て、「もしも我が子ならば、もとの泡に還れ」と念じた。男児はたちまち泡となってしまった(滋賀県坂田郡米原町醒井。*→〔口に入る〕1の『捜神記』巻11−33の変形)。

★3a.神龍が口から泡を吐く。

『史記』「周本紀」第4  昔、夏后氏が衰微した頃、二匹の神龍が帝宮の庭に現れた。夏の帝王が占うと、「龍が口から吐く沫(あわ。=龍の精気)を請い受ければ『吉』」と出た。龍は沫を吐いて去ったので、匱(はこ)に沫を納めた。夏、殷、周、三代の間、匱を開く者はなかった。周の氏iれい)王の末年に開くと、沫は宮庭に流れ出し、取り除くことができなかった→〔性器(女)〕3

★3b.神がかりした女の口から泡が出る。

『古今著聞集』巻2「釈教」第2・通巻64話  高弁上人の伯母である女房に、春日大明神が乗り移って、上人に向けてさまざまな託宣をした。女房は飛び上がり、天上の梁に尻をかけて坐した。顔の色は瑠璃のごとく青くすきとおり、口から白い淡(泡)を垂らした。淡の芳香は他郷にまで匂ったので、人々が集まって拝んだ。女房は三日間、梁から降りなかった。

★4a.泡から陸地ができる。

泡からできたブオル王国  原初は海だけだった。予言者ノアの舟がやって来て三回廻ったので、海面に泡が現れた。泡は固くなって陸地となり、そこに黒い石が一つ発生した。石は割れ、中から人間の男タヌタウと、女ブキ・キヌミラトが出てきた。二人は結婚して子供を作った。この土地は「ブオル」と名づけられた。「ブラウ=泡」に由来するからである(東南アジア、北セレベスの神話)。

★4b.泡から島ができる。

『日本書紀』巻1・第4段本文  イザナキ・イザナミが結婚して、八つの大きな洲(しま)を産んだ。これによって大八洲国(おほやしまくに)の名ができた。対馬島(つしま)、壱岐島、および所々の小島は皆、潮沫(しほなわ=海水の泡)が固まってできたものである。あるいは、水沫(みなわ=淡水の泡)が固まってできたともいう。 

★5.死んで泡になる。

『人魚姫』(アンデルセン)  人魚は不死の魂を持たないので、三百年の一生を終えると、水の上の泡になってしまい、あの世に生まれ変わることはない。人魚姫は人間の王子に恋し、王子が隣国の姫と結婚した夜、海に飛びこみ、溶けて泡になる。しかしその身体は泡から抜け出て空気の精の世界へ昇る。三百年の後、彼女には不死の魂が授かるであろう。

★6.泡の生滅と人の生死。

『法句経物語』第46偈  一人の比丘が河で水浴し、岸辺で休んでいた。そこは流れの速い所で、多くの泡が出来ては、たちまちに消えていった。比丘はそれを見て、泡が出来ては消える姿と、人間の生死との間に、同じ道理がはたらいていることを悟った。

★7.泡がきっかけで、殺人が露見する。

『泡んぶくの仇討ち』(日本の昔話)  番頭が旅先で主人を殺す。折からの豪雨で水たまりにできる泡に向かい、主人は「仇を討ってくれ」と訴えて息絶える。番頭は「主人病死」と報告し、主人の妻の婿になる。主人の三年目の法要の時、夕立で寺内の水たまりに泡が立つのを見て、番頭は「泡に頼んでも仇討ちなどできぬ」と思い、笑う。主人の妻が「なぜ笑ったのか?」とその夜問う。番頭は油断して三年前の悪事を語る。主人の妻は役所へ訴え出る〔*『大菩薩峠』(中里介山)第36巻「新月の巻」で、もと雇人幸内の霊がお銀様にこの物語を語る〕。

★8.泡の数と人間の数。

『娘奪還』(日本の昔話)  山賊の岩屋の前に不思議な泉水があり、人が一人いたら泡が一つ立つ。二人いたら泡が二つ立つ。山賊にさらわれた娘を救いに、若者がやって来て、櫃に隠れる。山賊の大将が泉水を見ると、今までは泡が二つ(大将と娘)だったのに、今日は泡が三つ立っている。大将は「誰かいるのではないか?」と問い、娘は「私のお腹に赤ちゃんができたのでしょう」と答えてごまかす。大将は喜んで、手下たちと一緒に、お祝いの宴会をする(島根県能美郡広瀬町西比田)→〔美女奪還〕1b

 

※泡を投げつけて魔神を殺す→〔難題〕2の『マハーバーラタ』第5巻「挙兵の巻」。

※死をもたらす泡→〔洗濯〕5の『幕末百話』53。

※海の塩を「テュポンの吹いた泡」と呼ぶ→〔塩〕5aの『イシスとオシリスの伝説について』(プルタルコス)32。

 

 

【合わせ鏡】

 *関連項目→〔鏡〕

★1.二つの鏡で合わせ鏡をする。

『戦争と平和』(トルストイ)第2部第4篇  鏡を二つ向かい合わせに立て、蝋燭をつけて、ナターシャとソーニャが鏡の奥に見入る。そうすれば未来の夫の姿が映る、との言い伝えがあるからである。しかし何も映らなかった。

*将来の夫の姿が、水に映る→〔水鏡に映る未来〕2の未来の夫(日本の現代伝説『走るお婆さん』)。

*未来の妻の姿が、水に映る→〔水鏡に映る未来〕3の『雀の媒酌』(川端康成)。

*前世から定まった縁の夫が、鏡に映る→〔鏡に映る未来〕2の『草迷宮』(泉鏡花)。

★2.十の鏡で合わせ鏡をする。

『佛教の大意』(鈴木大拙)  華厳的宇宙観を理解する助けとして、十面の鏡を、東西南北の八方と上下とに据えつける喩えが、よく用いられる。球状を成す十面の鏡の中心点に、一灯の光を置くと、光は十の鏡面に一つ一つ映る。その中の一鏡を取り上げて見れば、その面には残りの九鏡が、中央の光を自らに映したままにして映っているのみならず、九鏡の九面には、今取り上げて見ている一鏡が、そこに映る光とともに、それぞれ映っている。すなわち、九鏡の一つ一つが一鏡に映っており、その一鏡(九鏡が映っている一鏡)が、また九鏡の一つ一つに映っている。全体が一団となって、互いに映り合っているのである。

★3.球状の鏡の中に入って、自分の姿を映し見る。

『鏡地獄』(江戸川乱歩)  レンズや鏡に異常な嗜好を持つ「彼」は、技師に命じて、直径四尺ほどの、中空のガラス玉を造らせた。玉の外側に水銀を塗れば、その内側は一面の鏡になる。内部に数ヵ所、強い光を放つ小電燈を取り付けて、「彼」は中に入る。自分を包み込んだ鏡面に何が映し出されるか、見ようとしたのだ。その結果、「彼」は発狂した。おそらくそこに、想像を絶する恐怖と戦慄の人外境が現出したのであろう。神の怒りにふれたのか、悪魔の誘いに敗れたのか、「彼」は「彼」自身を滅ぼさねばならなかった。

★4.合わせ鏡をすると、鏡の奥から悪魔が現れる。

『鏡』(星新一『ボッコちゃん』)  十三日の金曜日、真夜中の十二時に男が合わせ鏡をする。互いに映し合う鏡の奥から、小さな悪魔が鏡を一つずつ乗り越えてこちらへ歩いて来る。悪魔が一方の鏡から向かいの鏡へ飛び込もうとする瞬間、男は悪魔をつかまえる→〔悪魔〕4

 

※多くの鏡を用いて作られた迷路の部屋→〔迷路〕6の『燃えよドラゴン』(クローズ)。

 

 

【暗号】

★1a.古代の戦争に用いられた暗号。

『日本書紀』巻3神武天皇元年(B.C.660)正月  道臣命は神武天皇の密命を受け、敵方にわからせず味方にだけ通じるように定めた倒語(さかしまごと)をもって、わざわいを払いのぞいた。倒語が用いられたのは、これが初めである。

★1b.太平洋戦争開戦時の暗号。

『トラ・トラ・トラ!』(フライシャー)  昭和十六年(1941)十二月二日。山本五十六(いそろく)連合艦隊司令長官から、「ニイタカヤマノボレ 一二〇八(ヒトフタマルハチ)」の暗号が、ハワイへ向かう航空艦隊に発信された。「十二月八日(ハワイでは十二月七日。日曜日にあたる)に開戦」との通知だった。爆撃機の編隊は、アメリカ側に気づかれることなく真珠湾上空に到り、指揮官は、「トラ・トラ・トラ!(われ奇襲に成功せり)」と打電した〔*山本五十六は、宣戦布告と同時にアメリカに大打撃を与えて、戦意を喪失させるつもりだった。しかし手違いにより、日本からの最後通牒をアメリカが受け取る五十五分前に、真珠湾攻撃が始まってしまった。日曜日の朝の奇襲に、アメリカは憤激した〕。

★2.数字による暗号。

『813(続)』(ルブラン)  「813」と書かれた紙片があり、それは機密文書の隠し場所を示していた。8+1+3=12なので、廊下に並ぶ十二番目の部屋を意味する、とルパンは推理した。十二はまた、時計を連想させ、文字盤の8、1、3の所を押してから十二点鐘を打たせると、文字盤上の装飾が落ちて、小箱が現れた。

*部屋番号を利用した暗号→〔鍵〕3の『クロスワード・パズル』(三島由紀夫)。

★3.点字を利用した暗号。

『二銭銅貨』(江戸川乱歩)  二銭銅貨が二つに割れて中に紙片があり、「南」「無」「阿」「弥」「陀」「仏」の六文字をいろいろに組み合わせた、意味不明の文字列が書かれていた。それは、点字が六つの点の組み合わせから成ることを応用した暗号で、ある電気工場から盗まれた大金の隠し場所が記されていた〔*しかしそれは犯罪とは無関係のいたずらだった〕→〔にせ金〕2

★4.「e」の字が多用されることを手がかりに、暗号を解読する。

『黄金虫』(ポオ)  サリヴァン島に住むルグランが浜辺で見つけた羊皮紙には、仔山羊の絵と、意味不明の多くの数字・記号が書いてあった。仔山羊は英語で「キッド」ゆえ海賊キッドのことであり、全体は英語の暗号だろうとルグランは推理し、英語でもっとも多く使われる文字は「e」であることを手がかりに、暗号を読み解いて財宝を発見する。

『踊る人形』(ドイル)  キュビットの妻エルシーの所へ、踊る人形の絵を連ねた通信が届く。それは、エルシーの婚約者だった男が、復縁を迫る暗号文だった。男はキュビットを殺し、エルシーは自殺を図る。英語でいちばん多く使われる文字が「e」であることを手がかりに、ホームズが暗号を解読し、踊る人形の絵を描いて男を誘い寄せ、逮捕する。

★5.暗号解読器。

『ロシアより愛をこめて』(ヤング)  国際犯罪組織スペクターが、ソ連の暗号解読器入手と、イギリス情報部のジェイムズ・ボンド(演ずるのはショーン・コネリー)殺害とを計画し、ボンドをイスタンブールへおびき寄せる。ソ連領事館の女性職員タチアナの手引きで、ボンドは暗号解読器を盗み出し、二人はオリエント急行に乗ってロンドンへ向かう。スペクターに雇われた殺し屋グラントが、二人を追う→〔無理心中〕3

★6.暗号による日記。

『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)「大予言・地球の滅びる日」  「暗き天にマ女は怒る。この日○終わり悲しきかな」と記された、不思議な日記が見つかる。のび太たちは「○は地球を意味するから、これは世界滅亡の予言だ」と恐れる。しかしそれはドラえもんの暗号日記で、「暗き天(=点)」は0点、「マ女」はママ、「○」はドラやきのことだった。 

 

 

【暗殺】

★1.王や大臣などの暗殺。

『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第6章  ミュケナイ王アガメムノンは、妃クリュタイムネストラとその愛人アイギストスによって、暗殺された。妃は王に、袖口も首穴もない下着を渡し、王がこれを着ようとしている時に殺害した。そしてアイギストスが、ミュケナイ王となった。

『史記』「呉太伯世家」第1・「刺客列伝」第26  刺客専諸が、酒宴の席上、焼き魚を呉王僚にすすめる。専諸は王の前に到った時、焼き魚の腹中から匕首(あいくち)を取り出し、王を刺した。

『士師記』第3章  エフド(エホデ)が、両刃の剣を上着で隠し、モアブ王エグロンにみつぎ物を持って行く。「申し上げるべき機密がある」とエフドは言い、高殿で王と二人きりになる。エフドは剣で王の肥えた腹を刺し、高殿の戸に錠をおろして去った。

『日本書紀』巻24皇極天皇4年(645)6月  三韓進調の日に蘇我入鹿を謀殺すべく計画が練られる。六月十二日、帝が大極殿に出御し、倉山田麻呂が三韓の上表文を読み上げる。声が震えるので入鹿は不審に思う。中大兄らが躍り出し、剣で入鹿の頭や肩に切りつける。入鹿が驚き立ち上がるところを、佐伯子麻呂の剣が片足をはらう。

『マクベス』(シェイクスピア)第1〜2幕  三人の魔女がマクベスに、「いずれは王ともなられるお方!」と呼びかけ、マクベスはその予言を現実化すべく、スコットランド王ダンカンを殺そうと考える。マクベスの心にはためらいがあり、「もしやりそこなったら?」と、弱気にもなる。しかし妻から「勇気をしぼりだすのです」と強く説得され、マクベスはダンカン王の寝室を襲って刺殺する。

*ブルータスたちがシーザーを暗殺する→〔凶兆〕3の『ジュリアス・シーザー』(シェイクスピア)。

★2a.刃物をふるったり鉄槌を投げたりして暗殺を試みるが、失敗する。

『史記』「留侯世家」第25  張良は大力の士とともに秦の始皇帝をつけ狙い、始皇帝が東方に遊幸した時、重さ百二十斤の鉄槌で撃った。しかし誤って鉄槌を属官の乗る副車に当て、暗殺は失敗した。

『史記』「刺客列伝」第26  荊軻は毒を染ませた匕首(あいくち)を地図の中に隠し、地図を秦王(始皇帝)に献上する時、至近距離から刺そうとした。しかし秦王は身をかわし、暗殺は失敗した。後、高漸離は筑(楽器)の妙技をもって秦王に近づき、鉛を筑の中に仕込んで撃ちかかった。しかし高漸離は眼をつぶされていたため、当たらなかった。

『やみ夜』(樋口一葉)  松川蘭は、衆議院議員・波崎漂(ただよう)を恨み(*→〔車〕2)、高木直次郎に波崎暗殺を依頼する。直次郎は、波崎が演説を終えて人力車で帰宅したところを襲う。人力車を後ろへ引き倒し、波崎の首筋をねらって白刃をひらめかしたが、顔面に僅かな傷を負わることしかできなかった。直次郎はそのまま逃げて行方をくらまし、松川蘭は召使い夫婦とともに屋敷を出て消息不明となった。

*暴君ディオニス王を暗殺しようとして失敗する→〔人質〕3の『走れメロス』(太宰治)。

*予譲が主君の敵(かたき)をつけねらう→〔身代わり(人体の)〕3の『史記』「刺客列伝」第26。

★2b.銃撃して暗殺しようとするが、その瞬間相手が動いたので失敗する。

『ジャッカルの日』(フォーサイス)  パリ解放記念日。モンパルナス駅前広場で行われる式典最中にドゴール大統領を銃撃すべく、アパート六階から殺し屋ジャッカルが狙う。ジャッカルが引き金を引いた瞬間、大統領は退役軍人に勲章を授与してその頬に接吻するため、頭を前に傾ける。銃弾は大統領の頭の後ろ一インチの所を通過し、暗殺は失敗する。

『知りすぎていた男』(ヒッチコック)  コンサート会場で、暗殺者が某国首相をねらう。音楽のクライマックスにシンバルが鳴り響く、その瞬間に狙撃すれば銃声が聞こえず、首相が倒れても暗殺と気づかれないだろうと、暗殺者は計算していた。暗殺計画を知った医師の妻ジョー(演ずるのはドリス・デイ)は、暗殺者が銃を構えるのを見て、大声で悲鳴を上げる。首相が驚いて振り返ったため、発射された銃弾は外れて、首相は命拾いした。

★3.暗殺の未遂。

『戦争と平和』(トルストイ)第3部第3篇  モスクワに乗りこんだナポレオンを暗殺すべく、ピエールは短剣を隠し持ってアルバート広場へ向かう。しかしその時すでにナポレオンはクレムリン宮殿に入っており、暗殺は実行できなかった。ピエールは放火犯と見なされて、フランス兵たちに捕らえられる。

★4.暗殺者を赦す。

『皇帝ティートの慈悲』(モーツァルト)  一世紀のローマ。先帝の娘ヴィテッリアは、父から帝位を奪ったティートを恨み、彼女に思いを寄せる男セストに、ティート暗殺を命ずる。セストは宮殿に放火してティートを刺すが、それは王の衣装を着た別人だった。セストは逮捕され、ヴィテッリアは自らが皇帝暗殺を指示したことを告白する。ティートは寛容と慈悲の心でセストを赦し、ヴィテッリアを后にする。 

★5.暗殺を恐れる人。

『三国志演義』第72回  曹操は常に暗殺を恐れており、左右の者に「わしはよく人を殺す夢を見るから、寝ている時には近づくな」と命じていた。ある時、昼寝中に蒲団を落としたので、近習がかけなおそうと近寄ったところ、曹操は起き上がって近習を斬り殺し、また眠った。しばらくして曹操は目を覚まし、驚いたふりをして「誰のしわざだ?」と尋ねた〔*しかし部下の楊修だけは、曹操の演技を見抜いた〕。

★6.暗殺を事故死として取り扱う。

『Z』(コスタ=ガヴラス)  軍事政権下の某国。反政府運動の指導者である議員Z氏(演ずるのはイヴ・モンタン)が、広場での集会後、二人組の乗る小型トラックに襲われる。Z氏は、棍棒で一撃されて死ぬ。政府は「Z氏はトラックにはねられた」と発表し、交通事故死として処理する。実際は、憲兵隊や警察の上層部が暗殺を計画し、実行したのだった。予審判事が、裁判で真相を明らかにしようとする。しかし、証人たちが次々に病気や事故で死んでいき、事件は闇に葬られた。

 

※つり天井による将軍暗殺計画→〔天井〕2の『伊賀の影丸』(横山光輝)「若葉城の巻」など。

※暗殺の刺客集団→〔待ち合わせ〕5の『十三人の刺客』(工藤栄一)、→〔切腹〕7の『十一人の侍』(工藤栄一)。

※チャーチル首相を暗殺したと思ったら、それは影武者だった→〔影武者〕4の『鷲は舞いおりた』(スタージェス)。

 

 

【安楽死】

★1.自殺をはかった人を安楽死させる。

『高瀬舟』(森鴎外)  喜助は、弟が剃刀で自殺をはかり、死にきれずに苦しむのを見て、請われるままに手を添えて死なせた(*→〔見間違い〕3)。喜助は弟殺しの罪で遠島となり、京の高瀬川を小舟に乗せられて下る。護送の同心・羽田庄兵衛は「果たしてこれが罪であろうか?」と疑念を抱くが、「奉行の判断に従おう」と思う。

★2.不治の病気の人を安楽死させる。

『裁きは終りぬ』(カイヤット)  モーリスは不治の癌におかされたため、愛人である女医エルザの手を借りて安楽死する。しかしモーリスが遺産をエルザに与えたので、モーリスの妹ニコルが「財産目当ての殺人だ」と、エルザを告発する。裁判の席上、ニコルは「モーリスが病気になった後に、エルザは若い愛人を作った」と暴露する。陪審員たちが議論し、「無罪」との意見も出たが、結局「懲役五年」の判決がエルザに下された。 

★3.安楽死専門の医者。

『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「ふたりの黒い医者」  ドクター・キリコは、もと軍医だった。兵士たちが爆弾で身体をふきとばされ、苦しんでいるのを安楽死させて、彼は皆から感謝された。彼は、難治患者の安楽死専門の医者となり、「死神の化身」とあだ名される。ある時、ドクター・キリコに安楽死を依頼した患者を、ブラック・ジャックが手術して治した。しかしその直後に、患者は自動車事故で死んでしまった。ドクター・キリコは哄笑し、ブラック・ジャックは「それでも私は人を治すんだ。自分が生きるために」と叫んだ。

★4.安楽死を願って失敗する。

『子不語』巻6−136  ある男が「安楽に死にたい」と願い、「それには酒と女で健康を害するのが一番だ」と考える。しかし数年間酒色にふけっても、男は死ねなかった。彼は督脈(人体の中央を貫通する血管)が切れ、頭が垂れ下がり、背は丸くなって、煮た蝦(えび)のごとく、這いつくばるように歩いた。人々は彼を「人蝦(ひとえび)」と呼んだ。こういう状態が二十年余り続き、八十四歳でようやく死んだ。

★5.安楽死施設。

『ソイレント・グリーン』(フライシャー)  二〇二二年のニューヨーク。生きる望みを失った老人ソル(演ずるのはエドワード・G・ロビンソン)が、公営の安楽死施設「ホーム」へ行く。ソルは清潔なベッドに寝かされ、大自然の美しい風景の映像を見ながら、彼の好きなベートーベンの田園交響曲を聞きつつ死んで行く。「ホーム」で死んだ人々の遺体は工場へ集められ、加工されて、ソイレント・グリーンと呼ばれる食糧になるのだ→〔人肉食〕8

*安楽自殺クラブ→〔椅子〕7の『眠り椅子』(モーパッサン)。

 

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