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【蚊】

★1.沖縄に蚊がひろがった起源。

『蚊(がじゃん)の話』(沖縄の民話)  沖縄の人が唐へ行き、珍しい合唱の声を聞いた。唐の人が「蚊の歌だ」と教えたので、沖縄の人は、箱にたくさん蚊を入れてお土産にした。ところが、那覇へ帰った後、歌箱に耳を当てたが歌は聞こえず、箱を振っても音がしない。「変だ」と思って箱を開けてみたら、たくさんの蚊が、みんな逃げてしまった。それから沖縄に蚊がひろがった。

*箱から災いが出てひろがるというのは、パンドラの箱の物語と同じである→〔妻〕1の『仕事と日』(ヘシオドス)。

★2.奈良に蚊が多いわけ。

文武王の伝説  昔、文武王という、人間の生き血を吸うことが好きな王様がいた。家来たちは王子と相談して、文武王を生駒山の岩屋に入れ、戸を閉めてしまった。家来たちは王子に、「けっして戸を開けてはいけません」と言ったが、三十日ほどすると、王子は「もう良いだろう」と、戸を開けた。とたんにブンブとうなりをあげて、幾万もの蚊が飛び出した。文武王が蚊に化したのだ。それで、今でも奈良には蚊が多い(奈良県・生駒山)。 

★3.酒呑童子が死後、蚊になる。

(高木敏雄『日本伝説集』第22)  大江山の酒顛(酒呑)童子の頭が、竹薮へ投げ棄てられた。酒顛童子の亡念により、頭の肉は腐って蚊となった。蚊が人を刺すのは、酒顛童子が祟るのである(出雲国松江)。

★4.蚊に刺されても、追い払わない。

うちわまきの伝説  唐招提寺では、五月十九日に「うちわまき」の行事が行なわれる。鎌倉時代の高僧で唐招提寺中興の祖である覚盛和上が、ある夏、法要をつとめていて、たくさんの蚊に刺された。弟子たちがうちわで蚊を払おうとすると、和上はそれをとめて、「蚊に我が血を与えるのも菩薩行である」と諭した。この和上の仏心に感じた尼僧が、和上の死後、うちわを供えて遺徳をしのんだ。これが慣例となって、今に伝えられている(奈良市)。 

★5.蚊を封じ込める。

弘法大師の蚊封じの伝説  水無月の炎暑に、旅の弘法大師が一夜の宿を請うが、誰も貸さない。摂津国東畑村の者が気の毒に思い、弘法大師を家へ招く。しかし蚊帳もない家なので、主は恐縮する。そこで弘法大師は咒文を唱え、永く蚊を封じた。今もこの家は、暑熱の時も蚊帳を垂れず、安らかに寝ることができる。隣家に蚊の群がることは、どこも同じである(『摂津名所図会』巻6)。 

 

 

【貝】

★1a.男が、貝の中から現れた美女と結婚する。

『蛤の草子』(御伽草子)  天竺に、母一人・子一人で暮らす「しじら」という四十男がいた。ある日彼は、海に出て蛤を釣り上げる。蛤は見るまに大きくなり、内部から金色光が三すじさして貝が開き、十七〜八歳の美女が現れる。美女は「夫婦になろう」と言うので、しじらは家に連れ帰る。美女は観音に仕える天人「童男童女身」で、親孝行なしじらに富と長寿を与えるためにやって来たのだった〔*美女は使命を果たした後、しじらと添い遂げることなく、白雲に乗って去った〕。

*貝の女神→〔蘇生〕1の『古事記』上巻。

★1b.田螺の中から現れた少女が、男のために食事を作る。

『捜神後記』巻5−1(通巻49話)  独身男の謝端は、村の中で三升入りの壺ほどの巨大な田螺を見つけ、持ち帰って甕(かめ)に入れておいた。その日以降、謝端が朝、耕作に出かけた後に、甕から少女が現れ、竈(かまど)に火を入れて、食事を作るようになった。謝端は帰宅すると食事の用意がしてあるので驚き、隣家の人に礼を言う。隣人は「あなたは内緒で奥さんをめとり、炊事をさせているのに、なぜ私に礼を言うのですか」と笑う→〔のぞき見(部屋を)〕4

★1c.男が、貝を女に変えて交わる。

マヴツィニムの神話(コッテル『世界神話辞典』アメリカ)  原初には、創造神マヴツィニムだけが存在した。彼は貝を女に変え、最初の人間となる子供を産ませた。マヴツィニムは子供を女から取り上げてしまったので、女は悲しんで沼地へ戻り、再び貝になった(ブラジル。シングー河の住民カマユラ・インディアン)。 

★2a.貝が動物に転生し、さらに人間に転生する。

『沙石集』巻2−8  高野山の検校・覚海が、「前世を知りたい」と弘法大師に祈り、次のような示現を得た。「汝は、はじめは天王寺の西の海の蛤だった。子供が蛤を拾い、寺の前で遊んでいた。蛤は仏法を聞いたために、犬に生まれ変わった。その後も、仏法に触れた縁によって、犬 → 牛 → 馬 と転生し、次いで非人に生まれ、承仕法師に生まれて、今生で検校となったのだ」。

*人間が、貝に生まれ変わりたいと望む→〔兵役〕11の『私は貝になりたい』(橋本忍)。

★2b.貝から他の生類に転生できるかと期待したが、できなくなった。

『古今著聞集』巻20「魚虫禽獣」第30・通巻692話  東大寺の春豪上人が、海人から蛤を買い取って海へ放生した。その夜の夢に多くの蛤が現れ、「我らは蛤としての生を終え、畜生道から脱け出るはずだったが、放生されたため、出離の機会を失った。これからも蛤の身でいなければならないのが悲しい」と訴えた。上人は、目覚めてからH泣すること限りなかった。 

★2c.人間に食われることを悲しむ貝もいる。

『古今著聞集』巻20「魚虫禽獣」第30・通巻709話  宮内卿業光が、食用の螺(にし=巻貝)をたくさん枕元に置き、酒に酔って寝た。夢に、小さな尼が大勢あらわれ、泣き悲しんで何事かを訴える。明け方、目覚めると、枕元の螺の中に、幾人かの小さな尼が混じって見えた。業光は驚いて、以後は螺を食べなくなった。右近大夫信光も、蛤について同様の夢を見て、蛤を食べずに皆、放生した。

★3.貝が気を吹き出す。

蜃気楼(鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』)  「蜃」とは大蛤のことである。大蛤は海上に気を吹き出して、楼閣城市のかたちをなす。これを「蜃気楼」と名づける。また「海市(かいし)」ともいう。 

★4.螺(ほら)貝が龍になる。

『絵本百物語』第15「出世螺」  深山には、ほら貝があって、山に三千年、里に三千年、海に三千年の年月を経て、龍となる。これを「出世のほら」という。遠州浜名湖の、湖と海とがつながるあたりにある「今切(いまぎれ)の渡し」も、ほらの抜けた跡であるという。 

★5.珍しい貝。

『聊斎志異』巻9−384「蛤(こう)」  東海に珍しい二枚貝がある。貝は腹が減ると殻を開き、中から小さな蟹が這い出して来る。貝と蟹は、赤い綫(糸)でつながれていて、蟹は貝から何尺か離れて食べ物をあさる。ある人がその綫を切ったら、貝も蟹も死んでしまった。

★6a.猿が、貝に手をはさまれる。

『今昔物語集』巻29−35  猿が海辺の溝貝を食おうとして、手をはさまれた。溝貝は砂地の底へもぐりこみ、潮が満ちて来て猿は溺れそうになる。これを見ていた女が、貝の口に木をねじこんで開き、猿の手を抜いてやった〔*猿は命を助けられた恩返しに、鷲を五羽捕って女に与える〕。

★6b.猿田毘古神(サルタビコノカミ)が、貝に手をはさまれる。

『古事記』上巻  天孫降臨の先導をした猿田毘古神は、後に阿耶訶(あざか)という所(三重県松阪市のあたり)で漁をした。その時、猿田毘古神は、ひらぶ貝に手をはさまれて溺れ、海の底に沈んで行った。 

★6c.人が、貝に指をはさまれる。

『赤貝丁稚』(落語)  商家の丁稚が、進物として届いた赤貝をつついて、指をはさまれる。ひどく痛むので医者に行ってわけを話すと、医者は「なるほど。でも、まだ指で幸いだった」。

*女性器を見て、赤貝だと思う→〔蛸〕1bの『赤貝猫』(落語)。

★6d.少年が、貝に足をはさまれる。

『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「青い恐怖」  島の漁師の息子・太一が、磯で魚をとっていて、大きなシャコ貝に左足をはさまれる。貝は、砂と岩の間に埋まっているので、掘り出すことができない。まもなく満潮になって、このままでは太一は溺れ死ぬ。ブラック・ジャックが太一を発見し、メスで貝柱を切断して、シャコ貝の口を開ける。

 

 

【開眼】

★1.唾による開眼。

『舜子変』(敦煌変文)  継母に憎まれ、井戸に埋められそうになった舜は、他郷へ逃れ、十年ほどがたつ。舜は市場へ米を売りに行って、零落した盲目の父瞽叟と再会する。彼が舌で父の眼をなめると、父の眼は開いた〔*『三国伝記』巻7−5の類話では、重花(舜の前名)が父の眼を押拭い天を仰いで涕泣すると、たちまち父の両眼は開いた、とする〕→〔継子殺し〕4

『ヨハネによる福音書』第9章  イエスが地に唾を吐いて泥を作り、それを盲人の目に塗って、「シロアムの池に行って洗え」と言った。盲人の目は開いた。

*盲人の両目に唾をつけて開眼させる→〔唾〕4の『マルコによる福音書』第8章。

★2.尿で眼を洗って開眼。

『歴史』(ヘロドトス)巻2−111  ペロス王は神罰を受け盲目となった。十年の後、「夫以外の男を知らぬ女の尿で眼を洗えば、開眼する」との神託を得て、后の尿で試みるが、効果がない。そこで次々と多くの女について試み、ようやく眼が見えるようになった王は、それ以前の女をすべて殺した。

★3.歌の徳で開眼。

『今物語』第32話  石清水八幡の袈裟御子が、病んで眼のつぶれた娘を若宮の神前へ連れて行き、「奥山にしをる枝折は誰がため身をかきわけて産める子のため(奥山の枝を折って道しるべとしたのは、自分のためではない。かわいい我が子のためだ)」の歌を詠ずる。すぐに娘の病は治り、眼も開いた。

 *「奥山に・・・」の歌は、→〔道しるべ〕3の、老母を山へ捨てる物語をふまえている。

『三国伝記』巻10−6  盲鶏を憐れんだ修行者が、「鶏の鳴く音を神の聞きながら心つよくも目を見せぬ哉」の歌を短冊に書いて鶏の頸に付けると、鶏の眼は開いた。

★4.仏の力で開眼。

『今昔物語集』巻2−38  盲目の乞食児に仏が前世の因縁を解き、頭を撫でると両眼が開いた。

『今昔物語集』巻13−18  盲僧妙昭は長年『法華経』を信受し、ついに開眼した。

『今昔物語集』巻13−26  太宰府官人の妻が失明し、後世のために『法華経』を読誦する。四〜五年後、夢に貴僧が両眼をなでると見て、開眼した。

『三宝絵詞』上−13  盲目の老夫婦が深山へ入って仏道修行し、孝子施無が両親の世話をする。しかし施無は誤って弓で射られ、死んでしまった。帝釈天がこれを憐れんで施無を蘇生させ、老夫婦も開眼させた〔*前半部は→〔誤射〕2の『ラーマーヤナ』第2巻「アヨーディヤー都城の巻」第63〜64章と同様の展開〕。

『日本霊異記』下−11  盲目の女が薬師如来像に開眼を祈ると、如来像の胸から、桃の脂のごときものが出た。それを食べて、女の眼は開いた〔*『今昔物語集』巻12−19に類話〕。

『日本霊異記』下−12  盲目の男が何年もの間、千手観音の日摩尼手の名を唱えた。すると不思議な二人の人が来て、男の眼を治した〔*『今昔物語集』巻16−23に類話〕。

『日本霊異記』下−21  僧長義は片方の眼が見えなくなり、五ヵ月が過ぎても治らなかった。「悪業の報いであろう」と恥じ悲しんだ彼は、大勢の僧を招いて『金剛般若経』を三日三夜読誦せしめ、開眼した〔*『今昔物語集』巻14−33では両眼がつぶれた、とする〕。

『満仲』(幸若舞)  多田満仲が、息子の美女御前を斬るよう家来に命ずる。しかし家来はひそかに美女御前を逃がし、美女御前は比叡山で修行して僧円覚となる。数年の後、円覚が帰郷すると、母親は美女御前の死を悲しんで、盲目になっていた。円覚は仏神に祈って母を開眼させ、自らがかつての美女御前であることを明かす。

*盲人が身投げをしたが無事で、眼も開いた→〔投身自殺〕2の『壺坂霊験記』。

★5.何も書いてない白紙を仏と信じて開眼。

『宝物集』(七巻本)巻4  唐の僧弼(そうひつ)は二十五歳で重病をうけ、盲目になった。山寺へ行って、拝むべき本尊を請うたところ、沙弥が僧弼を馬鹿にして、「これが本尊だ」と言って白紙を一枚与えた。僧弼は「仏様だ」と信じて一心に拝み、やがて開眼した。

★6.宝珠などの呪具で開眼。

『しんとく丸』(説経)  陰山長者の娘・乙姫は、信吉(のぶよし)長者の息子しんとく丸と夫婦約束をしたが、しんとく丸は盲目の癩者になってしまった。乙姫が、しんとく丸の病気平癒を祈って東山清水寺にこもると、観世音が「寺の一番外の階段に鳥帚(とりぼうき)があり、それで身体をなでれば病は治る」と夢告する。乙姫は鳥帚で盲目のしんとく丸を開眼させ、しんとく丸もまた鳥帚を用いて、盲目の乞食となった父・信吉長者を開眼させる。

『まつら長者』(説経)6段目  陸奥・安達の郡の池に棲む大蛇が、さよ姫の読経によって成仏し、その恩返しに、龍宮世界の如意宝珠をさよ姫に与えた。さよ姫は故郷大和へ帰り、盲目の母を尋ねあて、両眼を如意宝珠でなでると母の眼は開いた。

*膚守りの地蔵菩薩で、母の両眼をなでると開眼→〔再会(母子)〕1の『さんせう太夫』(説経)。

★7.天使の教えにより開眼。

『トビト書』(旧約聖書外典)  トビヤは天使ラファエルと一緒に旅をする途中で、大きな魚を捕まえる。ラファエルは、魚の胆汁と心臓と肝臓を取り出してしまっておくよう、トビアに命じる。旅を終えて帰宅した後、トビアはラファエルの教えにしたがい、魚の胆汁を盲目の父トビト(*→〔盲目になる〕4a)の両眼に塗って、開眼させた〔*魚の心臓と肝臓は、悪魔退治に用いた〕→〔心臓〕2

 

※血を塗って開眼→〔血の力〕1の『黄金伝説』95「聖クリストポルス」など。

※虫を食べて開眼→〔虫〕8bの『捜神記』巻11−19(通巻281話)。

 

 

【開眼手術】

★1.手術をうけて開眼する。

『即興詩人』(アンデルセン)第2部の6・13・14  即興詩人アントニオは旅の途中、乞食の群れの中にいた盲目の美少女ララと出会う。アントニオは彼女に銀貨を与え、その額に接吻する。後にララは手術を受けて開眼し、ヴェネツィア市長の姪となる。彼女は名前を「マリア」と改め、アントニオと再会して結婚する。

『街の灯』(チャップリン)  浮浪者チャーリーが金を工面して、貧しい盲目の花売り娘(演ずるのはヴァージニア・チェリル)に開眼手術を受けさせる(*→〔盲目の人〕1)。開眼した娘は、繁華街に花屋を開く。ある日、たまたま通りかかったチャーリーの憐れな姿を見て、娘は一輪の花と小銭を与える。その時の掌の感触で、娘は、目の前にいるのが、手術代を手渡してくれた恩人であることを知る。

★2.開眼手術後の幻滅。

『虚勢』(太宰治)  貞一は幼い頃盲目になり、責任を感じて実母は死んだ。貞一は父と継母のもとで育ち、二十一歳になって開眼手術を受ける。眼の開いた貞一が見たものは、醜い風采の父、気持ちの悪い顔をした継母、汚らしい東京の街だった。貞一は父母を罵り、「もとの盲目にもどりたい」とまで言う。しかし、怒った父が硫酸を貞一の眼にかけようとすると、貞一は「いやです。せっかく治ったのに」と言って逃げ去った。

『田園交響楽』(ジッド)  牧師である「私」は、十五歳ほどの盲目の少女をひきとり、「ジェルトリュード」と名づけて教育する。「私」の息子ジャックがジェルトリュードを恋するが、彼女と「私」は深い信頼と愛情で結ばれていた。ジェルトリュードは手術を受けて開眼し、美しい世界を見、ジャックを見、「私」を見る。彼女が慕い、心に思い描いていたのはジャックの顔であり、老いた「私」の顔ではなかった。ジェルトリュードは小川に身を投げて死んだ。 

 

 

【外国語】

★1.外国語の発生。

『創世記』第11章  世界中の人々は、同じ言葉を使って話していた。シンアルの平野に住みついた人々は、「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」と言って、れんがで高い塔を造り始めた。主(しゅ)は、「これでは、彼らが何を企てても、やめさせることができない。彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」と考え、言葉を混乱(バラル)させ、彼らを全地に散らした。こういうわけで、この町は「バベル」という名で呼ばれた。

*後代のニムロドの伝説によれば、シンアル(シナル)の王ニムロド(ニムルド)が、天への襲撃を可能にする高い塔の建設を命令した。これを知った神は、シンアルの言葉を混乱させる。塔建設の作業中に、ある者がモルタルを求めると、相手は煉瓦を手渡した。こうしたことから紛争が起こり、人々は敵対する党派に分裂した(コッテル『世界神話辞典』西アジア)。

食人から始まった言語(南オーストラリア、ナリニェリ族の神話)  意地悪な老女ウルルリ(*→〔火〕5)が死んだので、喜んだ人々が方々からやって来た。最初にラミンジェラル族が来て、ウルルリの死体の肉を食べると、すぐにはっきりした言葉を話し始めた。次に東方の部族が来て腸の中身を食べ、少し違った言葉を話した。最後に北方の部族が来て腸や残りの物をむさぼり食い、ラミンジェラル族の言葉とははるかに異なった言葉を話した。

*大昔は、山も蛇も同じ言葉を話していた→〔山の背比べ〕3の言語の分裂(メラネシア、アドミラリティ諸島の神話)。

★2.知らない外国語を話せるようになる。

『使途行伝』第2章  五旬祭の日、イエスの弟子たちが集まっていると、激しい風のような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れて、弟子たち一人一人の上にとどまった。一同は精霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。エルサレムには、天下のあらゆる国々から人々が来ていたが、皆、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて驚いた。

★3.外国語だから、何を言っているかわからない。

『現代民話考』(松谷みよ子)2「軍隊ほか」第12章  太平洋戦争終了後、ルソン島の日本人捕虜収容所。夜勤の米兵と情婦の性交を、日本人捕虜たちがのぞき見た。米兵が気づいて、日本人捕虜たちに謝罪を要求する。一人が「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げると、米兵は「OK」と言った。皆は声をそろえ、「また見せて下さい」と言った。日本語のわからない米兵は、満足げにうなずいた。 

*外国語だから、何が書いてあるかわからない→〔謎〕8の『謎のカード』(モフェット)。

★4.獣の声が外国語に聞こえる。

『モルグ街の殺人』(ポオ)  パリのモルグ街で母娘二人が殺された時、近辺にはフランス人、イタリア人、イギリス人、スペイン人、オランダ人などがいた。彼らは一様に、「外国人の声を聞いた」と証言したので、殺人犯は外国人かと思われた。しかしそれは、オラン・ウータンの声であった→〔密室〕1

★5.外国語の流入。

『夜明け前』(島崎藤村)第2部第12章  帝への献扇事件後(*→〔扇〕2)、裁断が下るまでの間、青山半蔵は五十日近く謹慎し、文明開化の世相を夢のようにながめた。芸人の歌う流行唄(はやりうた)も、すっかり変わった。「待つ夜の長き」では旧弊で、「待つ夜のロング」と言わねばならない。「猫撫で声」は「キャット撫で声」だ。少女たちは洋書と洋傘を携え、いそいそと英語教師のもとへ通うという。それを聞いて半蔵は胸がいっぱいになった。

 

 

【改心】

 *関連項目→〔心〕

★1.悪心から善心への転換。

『今昔物語集』巻2−19  夜、盗人が宝物塔から盗み出すべき宝をよく見るため、消えかけた燈明を掻き上げて明るくする。その光で仏像が輝き、盗人はたちまち改心して、何も取らずに去った。この功徳で、盗人は転生後に仏弟子となった。「天眼第一」といわれた阿那律が彼である。   

『レ・ミゼラブル』(ユーゴー)  四十六歳で出獄したジャン・ヴァルジャン(*→〔パン〕2a)を、ミリエル司教は罪人扱いせず、善き人間となるよう説く。しかしその日ジャン・ヴァルジャンは、これまでの習性から、通りかかりの少年の銀貨を奪ってしまう。直後に彼は自分のしたことに気づき、「ああ。おれはみじめな男だ」と叫ぶ。これを契機に彼は心を入れ替え、以後は自らを犠牲にしても、苦境にある人を救う善行ひとすじの生き方をつらぬく。ジャン・ヴァルジャンは六十四歳で、彼が育てた娘コゼットとその夫マリユスに看取られて死ぬ。

*冷酷・強欲な老人が、一夜のうちに心を入れ替える→〔クリスマス〕1aの『クリスマス・キャロル』(ディケンズ)。

*琴の音を聞いて改心する→〔琴〕3cの『琴の音』(樋口一葉)。

★2.宗教的回心。

『使途行伝』第9章  ユダヤ教の信者サウロが、キリスト教徒を捕らえ弾圧すべくダマスコへ向かう途中、天からの光に打たれ、イエスの声を聞く。サウロは三日間、目が見えなかったが、イエスの弟子アナニヤが手を当てると回復した。サウロは回心し、「イエスは神の子である」と人々に説き始める(第22章26章に類話)。

★3.人為的に、悪心を改造して無害な人格にする。

『時計じかけのオレンジ』(キューブリック)  暴力とセックスに明け暮れる不良少年アレックスが、殺人を犯して収監された。彼は暴行や強姦の映画を、嫌悪感を感じるまで見続ける、という療法を受ける。こうして心を改造するのだ。やがて釈放されたアレックスは、破壊衝動や性衝動を覚えるたびに、吐き気に苦しむ無力な人間に変わっていた。反体制運動のグループが、アレックスを「人格改造療法の犠牲者」と位置づけ、政府批判に利用しようとする。政府はアレックスに今後の生活保障を約束し、世論操作のための協力を依頼して、彼をもとの人格に戻す。

★4.改心するが、予期せぬ結果に終わる。

『警官と讃美歌』(O・ヘンリー)  浮浪者ソーピーは、冬の三ヵ月間の食事とベッドを求め、「刑務所へ入ろう」と考える。彼は様々な軽犯罪を犯して逮捕されようと努力するが、うまくいかない。夜になり、教会から聞こえる讃美歌に、ソーピーは心打たれ、「真人間になって働こう」と決心する。その時、警官が彼を挙動不審と見て逮捕し、彼は禁固三ヵ月の刑を受ける。

★5.改心の逆。悪心を起こす。

『小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)(河竹黙阿弥)  僧清心は女犯の罪で追放され、稲瀬川へ入水をはかるものの、死にきれず岸に上がる。闇の中、通りかかった寺小姓求女と争ううち、清心は彼を殺してしまう。清心は罪滅ぼしに自害しようとするが、「しかし待てよ」と考え直す。「一人殺すも千人殺すも、取られる首はたった一つ。同じことなら悪人として世を渡り、栄耀栄華に暮らすが得」と、清心は心を変える。

 

 

【怪物退治】

 *関連項目→〔猿神退治〕〔蛇退治〕

★1.英雄が怪物を退治する。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第3章  怪物キマイラ(キメラ)は獅子の頭、龍の尾を持ち、胴に山羊の頭があって、そこから火を吐いた。イオバテス王が、キマイラとベレロポン(ベレロポンテース)を闘わせて、彼を殺そうとはかる。しかしベレロポンは、有翼の馬ペガサスに乗って天を駆け、矢でキマイラを射殺した〔*『イリアス』第6歌に類話〕→〔手紙〕3

『ギルガメシュ叙事詩』  神と人間の混合体であるギルガメシュと、粘土から造られたエンキドゥとが友情を結び、杉の森の怪物フンババ(フワワ)を退治に行く。太陽神シャマシュがギルガメシュたちに味方をし、強い風をフンババに吹きつけて、動けなくする。ギルガメシュとエンキドゥは斧と剣をふるってフンババを斬り殺し、杉の木を切り払う。

『変身物語』(オヴィディウス)巻4  ペルセウスがメドゥサを退治し、翼のついたサンダルをはいて、エチオピア上空を過ぎる。折しもその下では、美女アンドロメダが海の怪物への生贄として、岩に縛りつけられていた。これを見たペルセウスは、空を飛んで怪物と闘い、剣でさし殺して、アンドロメダと結婚する〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章に簡略な記事〕。

*武者たちが、土蜘(つちぐも)の糸に苦しみつつ、討ち果たす→〔糸〕6の『土蜘』(能)。

★2.女が怪物を退治する。

『エイリアン』(スコット)  男五人・女二人の搭乗する宇宙貨物船に、不死身の宇宙生物エイリアンが侵入し、乗員は次々に殺される。ただ一人生き残った女性航海士リプリー(演ずるのはシガニ―・ウィーヴァー)はシャトルで脱出し、母船を爆破する。しかしエイリアンもシャトル内に乗り移っており、リプリーに襲いかかる。リプリーはハッチを開き、気圧差を利用してエイリアンを宇宙空間へ吹き飛ばす。

*女が蛇を退治する→〔蛇退治〕4の『捜神記』巻19−1(通巻440話)。

★3a.二十世紀の怪物退治。化学兵器を用いる。

『ゴジラ』(香山滋)  太平洋上の水爆実験で生活環境を失ったゴジラが、日本列島に上陸する。砲弾も高圧電流も、ゴジラには歯が立たない。化学者芹沢が、自らの開発した「オキシジェン・デストロイヤー」を用いて、東京湾沖に潜むゴジラを攻撃する。これは水中の酸素を一瞬のうちに破壊して、生物を窒息死させ、溶かしてしまう薬剤であった。ゴジラは「オキシジェン・デストロイヤー」の気泡に包まれて死に、溶け去った。

★3b.二十世紀の怪物退治。爆発物を呑み込ませる。

『ジョーズ』(スピルバーグ)  海水浴場に人喰い鮫が現れ、四人が犠牲になる。漁師クイント、海洋学者フーパー、警察署長ブロディ(演ずるのはロイ・シャイダー)の三人が漁船に乗って、鮫退治に出かける。沖で遭遇した鮫は、体長八メートル、重さ三トンの怪物だった。船は鮫の体当たりを受けて沈没しかけ、フーパーは海に沈み、クイントは鮫に喰われる。絶体絶命のブロディは、圧搾空気のボンベを鮫の口に投げ入れ、銃撃して、巨大な鮫を爆破する。

『大怪獣バラン』(本多猪四郎)  北上川上流の部落で祀られている婆羅陀魏(ばらだぎ)山神の正体は、中生代の恐竜バランだった。東京からの調査隊が訪れたことを契機に、バランは活動を始める。部落を破壊した後、翼を広げて空を飛び、バランは東京沖へ現れた。強力な火砲もバランには通じないので、パラシュートつきの特殊火薬をヘリコプターから投下し、呑みこませる。バランは内部爆発を起こして吹き飛んだ。

*二十世紀の猿神退治→〔猿神退治〕2の『キングコング』(クーパー他)。

★4.幽霊退治。 

『ゴーストバスターズ』(ライトマン)  四人のゴーストバスターズが、ニューヨークの街に出没する幽霊たちを退治していた。彼らの前に、強力な悪霊が現れる。古代メソポタミアの「門の神」が、美しいチェリストのディナ(演ずるのはシガニー・ウィーヴァー)にとりついたのだ。ディナに片思いの税理士ルイスには、「鍵の神」がとりつく。「門の神」と「鍵の神」が人間の身体を借りて交わる時、破壊神ゴーザが出現するのである。ゴーストバスターズはニューヨークの街と市民を守るため、強力な光線銃で破壊神ゴーザと闘い、これを滅ぼした。

★5.乱暴者が三つの怪物を退治に出かけるが、三つめの怪物は彼自身だった。

『おんにょろ盛衰記』(木下順二)  「おんにょろ(仁王)の熊太郎」と呼ばれる乱暴者がいて、皆に恐れられていた。彼は「村に三つの難儀がある」と聞き、退治に出かける。「おんにょろ」は、一の難儀「のて山の虎狼」、二の難儀「淵の大うわばみ」を退治し、「三の難儀は何だ?」と村人を問い詰める。村人が「三の難儀はお前だ」と言うので、「おんにょろ」は怒り、混乱して、わめきながらどこかへ走り去った。

★6.怪獣対怪獣。

『キングコング対ゴジラ』(本多猪四郎)  テレビ番組「世界驚異シリーズ」の企画で、南太平洋ファロ島の魔神キングコングを取材すべく、探検隊が派遣される。探検隊はキングコングを捕らえ、船で日本へ運ぶが、折しも、北極海の氷山の中からゴジラが現れて、日本の仙台付近に上陸した。キングコングは闘争本能によってゴジラの存在を感知し、闘いを挑む。二大怪獣は、東北および関東地方を移動しつつ、激しく闘う。富士山上で最後の決戦が行なわれ、二大怪獣は取っ組み合って、ともに海へ転げ落ちる。ゴジラは水底に没し、キングコングが海面に姿を現す。キングコングは悠々と泳いでファロ島へ帰って行く。

『ゴジラの逆襲』(小田基義)  太平洋での水爆実験が蘇らせたのは、ゴジラだけではなかった。古代の暴龍アンギラスも、長い眠りから目覚めて活動を開始する。ゴジラとアンギラスは大阪へ上陸し、市街地で格闘する。大阪城をはじめ多くの建造物が破壊され、市中は火の海となった。ゴジラはアンギラスの頸にかみついて殺し、海へ帰って行く〔*後にゴジラは、北海道近海の雪におおわれた島で目撃される。自衛隊機が島を爆撃して雪崩を起こし、ゴジラを雪に埋める〕。

 

※怪物の方が強く、大勢の人間が死ぬ→〔片足〕3の『白鯨』(メルヴィル)。

※酒をかけて怪物を退治する→〔酒〕1の『捜神記』巻11−8(通巻270話)。

 

 

【蛙】

★1.愚かな蛙。

『江戸の蛙と京の蛙』(日本の昔話)  江戸の蛙が京都見物に出かけ、京都の蛙が江戸見物に出かけて、途中で出会う。二匹は互いの旅の目的地を見るために山に登り、手を取り合って二本足で立ち上がる。しかし蛙の目玉は背中についているので、江戸の蛙は江戸を見、京都の蛙は京都を見てしまう。二匹は「江戸も京も同じだ。わざわざ行くこともない」と言って、引き返す(宮城県本吉郡。*自分の故郷を見てそれを行く先の目的地と考える点で、→〔鏡に映る自己〕5・6・7aの、自分の姿を映してそれを他者だと思う物語と類似する)。

『蛙の人まね』(日本の昔話)  仁佐平(にさったい)という山村に住む蛙が、伊勢参りする博労の馬に乗って、一緒について行く。そのうち、蛙は「自分も人間のように歩いてみたい」と考え、馬から下りて二本足で歩き出す。しばらく行くと、前方に仁佐平のような景色が見える。「おかしいな」と思ってさらに歩くと、そこは自分が住んでいた所だった。蛙の目は後ろについているので、立って歩いたら後戻りしてしまったのだ(岩手県二戸郡爾薩体村二佐平)。

★2a.巨大なガマガエル。 

『絵本百物語』第9「周防大蟆(すはうのおほがま)」  周防の国・岩国山の奥に、体が八尺ほどもある巨大なガマガエルがいる。昼間に虚空を仰いで口を開けば、虹のごとき気を吐く。この気に触れる鳥類虫等は、皆ガマの口に入ってしまう。ガマは夏には蛇を喰らう。

*越(えつ)の国の蝦蟇(がま)が、口から白虹を吐く→〔虹〕5bの『和漢三才図会』巻第3・天象類。 

『音菊天竺徳兵衛(おとにきくてんじくとくべえ)  船頭徳兵衛は風に吹き流され、五年間、天竺を巡った後に、日本へ帰った。彼は父吉岡宗観〔*実は朝鮮国王臣下・木曾官(もくそかん)〕から、蟇(がま)の妖術を授けられ、「この妖術を用いて日本国を奪い取ろう」と、暴れまわる〔*徳兵衛が石にむかって呪文を唱えると、石は蟇に変じて跳び歩く。また徳兵衛は、巨大蟇の背に乗って見得をきったり、蟇の体が割れてその中から現れたりする。普通の蟇を妖術で巨大化させたとも、徳兵衛自身が巨大蟇に変身したとも、両様に解釈できる〕。

★2b.巨大になろうとするヒキガエル。 

『イソップ寓話集』(岩波文庫版)376「自分を膨らませる蟾蜍(ひきがえる)」  ヒキガエルの赤ん坊が、牛に踏み殺された。赤ん坊の兄たちが、「四足のでかい奴に潰された」と、外出から戻った母ヒキガエルに報告する。母ヒキガエルは自分の体を膨らませながら、「そいつは、こんなにも大きかったかい?」と尋ねる。子供たちは、「あいつの大きさに近づく前に破裂するよ」と言って止める。

 *『それから』(夏目漱石)6では、長井代助が、日本をイソップのヒキガエルにたとえる。彼は友人平岡に言う。「日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから奥行きを削って、一等国だけの間口を張っちまった。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ」。 

★3.毛の生えた蛙が家に現れたら、誰かが死ぬ。

『蛙』(ゲーザ)  「毛の生えた蛙が夜中に家に現れたら、誰かが死ぬ」と、「私」たちの田舎では信じられていた。ある夜、「私」は台所でその蛙を見た。「私」は斧をふるって、蛙を切り刻んだ。しかし翌朝見ると、蛙の死体は消えており、台所も汚れておらず、昨夜の殺戮の痕跡は何もない。「私」は夢を見たのだろうか? その日から二週間後、妻は死の床に横たわっていた。

*毛の生えた蛸を家で飼って、平和な暮らしと長寿を得る→〔蛸〕7の『海』(星新一『つねならぬ話』)。

*双頭の蛇を見ると、死ぬ→〔蛇〕4aの『太平広記』巻117所引『賈子』。

*山の主の蛙に遇ったために、死ぬ→〔地震〕8bの蛙(高木敏雄『日本伝説集』第11)。

★4.蛙の行動を見て、悟りを得る。

『赤蛙』(島木健作)  修善寺を訪れた「私」は、桂川で赤蛙を見た。赤蛙は川の中州から対岸へ渡ろうとして、何度も急流に流され、ついに渦巻に呑みこまれた。赤蛙の行動は、本能的な生の衝動以上の、明確な目的意志を持っているように見えた。「私」は自然の神秘を感じ、俗悪な社会と人生をしばらく忘れることができた。

『小野道風青柳硯』2段目  雨が小止みになり、小野道風が傘を片手に柳のかげにたたずむと、一匹の蛙が柳の葉の露を「虫か」と思い跳び上がる。失敗を何度も繰り返すうちに、ついに蛙は枝に跳びつく。これを見ていた道風は、「及ばぬ芸も、度重なる念力かたまる時は、ついに成らずということなし」と悟る。

★5a.蛙の形をした霊・魂。

『雑談集』(無住)巻6−6「霊之事」  法師が、地頭のために財産を騙し取られたまま、病死した。法師の霊は地頭の妻に取りつき、「家族を皆殺しにする」と言うので、地頭は詫びる。法師の霊は「鎌倉で、浜の大鳥居に打ちこんだ釘と石を見せよう」と言い、妻は三〜四寸の釘と大石を、口から吐き出した。霊は「我が姿を見せよう」とも言い、妻は蛙を吐き出した。

『ヨハネの黙示録』第16章  世界の終末の時、龍の口、獣の口、偽預言者の口から、蛙のような形の三つの悪霊が出る。悪霊たちは、ハルマゲドンと呼ばれる場所に全世界の王たちを集め、神との戦いの日に備える。

*ひきがえるのように見える魂→〔耳〕2の『太平広記』巻327所引『述異記』。 

★5b.蛙の形をした子供。

『三国遺事』巻1「紀異」第1・東扶余  東扶余国の夫婁(ブル)王が山川を祀り、「子供が授かるように」と祈った。帰途、鯤淵(コンヨン)まで来た時、王の乗る馬が、大きな石にむかって涙を流した。石をひっくり返すと、金色の蛙の形をした子供がいる。王は「天の授けである」と喜び、その子供を「金蛙(キムワア)」と名づけて育てた。「金蛙」は長じて太子となり、王となった。  

*蛙の形をした化け物→〔瓶(びん)〕1の『ガラス瓶(びん)の中の化け物』(グリムKHM99)。

★6.蛙と月。

『捜神記』巻14−12(通巻351話)  ゲイが西王母から不死の薬をもらったが、妻の嫦娥がそれを盗んで月へ逃げた。嫦娥は月でヒキガエルになった〔*中国では、ヒキガエルを月の精と考える〕。

月に貼り付いた蛙の話(北アメリカ・アラパホ族の神話)  太陽と月は兄弟だった。兄の太陽はヒキガエルを妻とし、弟の月は人間の女を妻とした。結婚後、太陽は美しい義妹(人間の女」)に魅せられ、月は醜い義姉(ヒキガエル)に悪態をついた。人間の女はかわいい赤ん坊を産み、皆が喜んだが、ヒキガエルはすねてそっぽを向いた。月が軽蔑の目でヒキガエルを見ると、ヒキガエルは「馬鹿にするのもいいかげんにして」と叫んで、月の胸に飛びついた。そのまま、今でも貼り付いている。

月の中のかえる(カナダ・インディアンの神話)  昔、月は太陽と同じくらい明るく輝いていた。月が星たちを招いて大宴会をした時、月の妹である蛙が、「お客が多すぎて、私の居場所がない」と文句を言った。兄の月は、「お前なんか、どこか適当な所にぶら下がっていればいい」と笑う。蛙は怒り、「ほんとに、どこにいてもいいのね?」と言って、兄の顔に貼り付いた。以来、月の顔には、蛙が黒い影のようにしがみつき、月は明るさを失ってしまった。

★7.蛙が顔にくっついて取れない。 

『親不孝なむすこ』(グリム)KHM145  息子が鶏の丸焼きを食べようとした時、年老いた父親がやって来た。息子は、鶏を父に与えるのを惜しんで隠す。すると鶏は大きなひきがえるに化け、息子の顔に跳びついて、くっついたまま離れなくなった。以来、息子はひきがえるを毎日養わなくてはならない。そうしないと、ひきがえるは息子の顔の肉を食べるのだ。息子は落ち着くことができず、そこらじゅうをふらふら歩き回った。

*面が顔にくっついて取れない→〔面〕1の『磯崎』(御伽草子)など。 

 

※牡丹餅が蛙に変わる→〔餅〕10の『ぼたもち蛙』(日本の昔話)。

※蛙を殺す草と、蛙を生かす草→〔草〕3の『宇治拾遺物語』巻11−3など。 

※藤原道綱母は、自らの身を蛙にたとえた歌を詠んだ→〔あだ名〕2の『かげろふ日記』中巻(天禄2年6月、12月)。 

 

 

【蛙女房】

 *関連項目→〔魚女房〕〔狐女房〕〔熊女房〕〔猿女房〕〔鶴女房〕〔蛇女房〕

★1a.蛙女房が正体を知られて、夫のもとを去る。

『蛙の女房』(日本の昔話)  親もとの法事に行く妻のあとを、夫がつける。山中の池に妻は飛びこみ、たくさんの蛙が読経するかのごとく鳴くので、夫は「妻の正体は蛙なのだ」と気づく。夫が「一つおどかしてやろう」と石を池に投げると、蛙たちは逃げ去った。翌日帰宅した妻は、「法事の最中に屋根から石が落ちて来たので、お経どころではなく、途中で止めてしまいました」と語る。そのうちに妻は、どこかへ行ってしまった(新潟県佐渡郡畑野村)。

★1b.蛙女房が、歌を残して去って行く。

『曾我物語』巻5「鶯・蛙の歌の事」  良定が「忘れ草」を捜しに住吉を訪れたが、恋しい女に逢えず、呆然と立ちつくした〔*『古今集註』(毘沙門堂本)「水にすむ蛙(かわづ)」の注に記す類話では、「前年、紀良定が住吉の浦で美女に逢い、来春の再会を約束した」との事情説明がある〕。良定の前を蛙が這って行くので、その跡を見ると、「住吉の浜のみるめもわすれねばかりそめ人にまたとはれけり(かりそめに知った人から再び訪問された)」という歌であった。

*蛙女房に水を見せてはいけない→〔禁忌(見るな)〕3の『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」。

★2.男が蛙と交わり、病んで死ぬ。

『忠五郎のはなし』(小泉八雲『骨董』)  足軽の忠五郎が、ある晩、川辺に立つ女から「夫婦になってほしい」と請われ、水中の屋敷へ連れて行かれる。女は「私たちの結婚を誰かにもらしたら、お別れです」と口止めする。忠五郎は毎夜女のもとへ通うが、朋輩に問われて女との逢瀬を打ち明けてしまい、翌日死んだ。女の正体は、大きな蝦蟇だった→〔性交と死〕1

★3.蛙女房が人間の男と添い遂げ、子孫も繁栄する。

『聊斎志異』巻11−417「青蛙神」  薛崑生は頭も良く容姿も美しかったので、蛙の神が愛娘の「十娘(じゅうじょう)」を彼の妻として与えた。蛙族と人間とでは生活習慣が異なり、夫婦は喧嘩と仲直りを繰り返した。ある時、薛崑生がふざけて蛇を見せたため、十娘は怒って実家へ帰ってしまう。薛崑生は後悔し、「十娘が他家へ嫁ぐ」と聞いて、悲嘆のあげく病気になる。十娘は薛崑生のもとへ帰って来て、以後は夫婦は仲むつまじく、十娘は男児二人を一挙に産んだ。彼らの子孫は繁栄し、「薛蛙子(せつあし)の家」と呼ばれた。

★4.王子が蛙を妻としたが、その正体は人間だった。

『蛙の王女』(ロシアの昔話)  イワン王子は蛙を妻とした。しかし蛙は、本当は人間の娘「賢女ワシリーサ」だった。父親よりも賢かったので、父親が怒り、三年の間、彼女に蛙の姿でいるよう命じたのである。それを知らぬイワン王子は、三年たたないうちに、蛙の皮を見つけて燃やしてしまう。ワシリーサは嘆き、「もう少し待てば、私は永久にあなたのものになれたのに」と言い、地の果ての国へ去った→〔糸と男女〕5。 

 

 

【蛙婿】

★1.ヒキガエル婿。

『親指姫』(アンデルセン)  親指姫は年寄りのヒキガエルにさらわれ、その息子の花嫁にされそうになる。姫は川の睡蓮の葉の上に置かれるが、魚が茎を噛み切ってくれたので、ヒキガエルのもとを逃れることができた。

★2.蛙婿の正体は人間の王子だった。

『蛙の王様』(グリム)KHM1  姫が泉に落とした黄金のまりを、蛙が取ってくれた。蛙はその返礼に、姫と一緒のベッドに寝たいと言うので、姫は腹を立て、蛙を壁にたたきつける。その途端、蛙は王子に変身し、「魔女の呪文で蛙にされていたが、姫のおかげで救われた」と語る。姫は王子と結婚する。

 

 

【顔】

 *関連項目→〔醜女〕〔醜貌〕

★1.顔が前後逆向きになる。

『今昔物語集』巻9−35  ある男が人を殺した。その人の霊が怒って男を取り殺そうとするので、男は霊に「追善供養をするから」と約束して、許しを請う。霊は「もし約束を破ったら、お前は死ぬ時に、顔が前後逆向きになるだろう」と言う。男は約束どおり追善供養をしたが、それでも、顔が背中の方を向いて死んでしまった。

*地獄で、頭を前後逆につけられる→〔占い師〕3の『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第20歌。

★2.顔を傷つけ、人相をわからなくする。

『大岡政談』「小間物屋彦兵衛之伝」  小間物屋彦兵衛は、強盗殺人の濡れ衣を着せられ、拷問に耐えかねて「自分がやった」と言ってしまう。大岡越前守は不審を感じ、牢内で病死した別の罪人の顔の皮を剥いで、彦兵衛の身代わりに獄門にかける。後に真犯人がつかまり、彦兵衛は無事に赦免された。

『恐怖の谷』(ドイル)第1部  秘密結社スコウラーズに追われるエドワーズは(*→〔合言葉〕2)、「ダグラス」と変名して身を隠す。しかしある夜、暗殺者が彼に襲いかかった。エドワーズと暗殺者が格闘するうち、暗殺者の持つ散弾銃が暴発する。暗殺者は顔面に散弾を浴びて倒れ、誰の顔か識別できなくなった。エドワーズは自分の衣服を死体に着せて、殺人現場を立ち退く。「エドワーズの死体」があれば、もうスコウラーズに追われる心配はないのだ。

*首を切断して、死体の身元をわからなくする物語もある→〔首のない人〕1の『今昔物語集』巻10−32など、〔首のない人〕2の『エジプト十字架の謎』(クイーン)など、〔首のない人〕3の『棠陰比事』127「従事函首」。

『史記』「刺客列伝」第26  晋の予譲は、主君智伯の敵(かたき)である趙襄子を暗殺しようと、つけねらった。そのため予譲は、身体に漆を塗って癩病者をよそおい、また、炭を飲んで唖になり、顔を見分けのつかぬように変えた〔*『戦国策』第18「趙(1)」225では、さらにあごひげをなくし、眉をけずり、顔を傷つけた、とする〕。

『南総里見八犬伝』肇輯巻之2第4回  神余光弘は山下定包の陰謀によって討たれた。神余光弘の家来・金碗八郎は、主君の仇を討つために、予譲の故事にならい、顔にも身体にも漆を塗り、瘡だらけの皮膚となって正体を隠した〔*金碗八郎は里見義実と協力して山下定包を討った〕。

★3.動物の顔に人間の身体。

『夏の夜の夢』(シェイクスピア)第3〜4幕  鋳掛屋(いかけや)や指物師(さしものし)や機屋(はたや)たちが、ピュラモスとシスビー(*→〔誤解による自死〕1の『変身物語』巻4)の芝居を上演しようといって、夜の森で稽古をする。そこへ妖精パックがやって来るが、ピュラモス役の機屋のボトムを見て、「ひどいピュラモスだ」と呆れ、ボトムの頭部を驢馬に変えてしまう〔*後にパックは、ボトムの頭をもとにもどしてやったので、彼は無事にピュラモス役を演じることができた〕→〔最初の人〕1

『ペンタメローネ』(バジーレ)第1日第8話  トカゲ姿の守護妖精が、農夫の娘レンゾッラを美しく育て上げ、王様と結婚させる。ところがレンゾッラに感謝の気持ちがなかったため、妖精はレンゾッラを呪い、顔を山羊に変えてしまった〔*レンゾッラは悔い改め、妖精の接吻により、もとの顔にもどる〕。

*牛の顔に人間の身体→〔半牛半人〕に記事。

*象の頭を持つ神→〔象〕4の『ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナ』。

*獅子の頭に人間の身体→〔契約〕1の『バーガヴァタ・プラーナ』。

★4.死顔。

『源氏物語』「御法」  八月十四日の暁に、紫の上は臨終を迎えた。夕霧は、かつて野分の折にかいま見た紫の上の姿(*→〔のぞき見〕1)を、ふたたび拝する機会は今以外にないと思い、人々の騒ぎにまぎれて几帳を引き上げ、大殿油をかかげて、紫の上の死顔に見入った。顔の色はたいそう白く、光るようであった。 

『死顔の出来事』(川端康成)  妻が死に、「彼」は旅から帰った。死顔が苦しそうにこわばっているので、「彼」は妻の唇を閉じ、額をこすって、表情を和らげてやる。妻の母が部屋に入って来て、「あなたが帰ったので、死顔が安らかに変わった」と言って泣いた。

*死顔の微笑→〔笑い〕6bの『微笑の儀式』(松本清張)。

『水滸伝』第24〜26回  蒸し団子売り武大が胸の病で死んだと言うので、納棺を行なう役人・何九叔が、おおいの布をとって武大の死顔を検(あらた)める。その顔色はどす黒く、目・鼻・口から血がにじみ出て、唇には歯形がついていた。「毒にやられて死んだ身体だ」と、何九叔は思った→〔骨〕7b

★5.目・耳・鼻・口のない顔。のっぺらぼう。

『異苑』巻1−3  一人の老婆が涙を流して泣いていたが、見ると、顔に孔竅(目・耳・鼻・口)がないのっぺらぼうだった。男が刀を抜いて老婆を追いかけると、老婆は紫色の虹のようなものに変じ、長く弧を描いて上空に消えた。

『荘子』「応帝王篇」第7  中央の帝渾沌が、南海の帝シュクと北海の帝忽をもてなした。シュクと忽は、「人間は誰にも七竅(二つの目+二つの耳+二つの鼻孔+一つの口)があるが、渾沌にはそれがない。歓待の礼に七竅を作ってやろう」と相談し、一日に一つずつ穴をあけた。七日たつと、渾沌は死んだ。

*枕が、のっぺらぼうの妖怪に化す→〔枕〕7の『太平広記』巻368所引『集異記』。 

*のっぺらぼうに二度出会う→〔坂〕2の「むじな」(小泉八雲『怪談』)。

★6.美男美女の顔を、魔物が奪い取る。

『顔の取り替え』(アイヌの昔話)  若い娘である「わたし」は、年老いたおばさんに連れられ、嫁入り先へむけて旅をする。道中で一晩寝ると、おばさんは、美しい「わたし」の顔になっており、「わたし」は、しわだらけのおばさんの顔になっていた。おばさんは、「わたし」の夫となるべき人と結婚式をあげ、寝室へ入る。しばらくすると夫が「これは若い娘ではない」と怒って、とび出して来る。夫は刀を抜き、逃げるおばさんの首を切り落とす。「わたし」はもとの美しい顔に戻り、夫は「わたし」を抱きしめた。 

『宝物集』(七巻本)巻6  唐土に美貌の僧がいた。僧坊で寝ていると、夢に恐ろしげな魔王が現れて、「汝の顔を我にくれよ」と言う。僧は思わず「承知しました」と答えてしまう。目覚めて見ると僧は、夢に見た魔王の顔になっていた。人々が僧の顔を見て恐れたので、僧は人にまじわることなく、一つの伽藍にこもって、諸法の空なることを悟った。 

★7.美貌を鬼に奪い取られた、との嘘。

『宇治拾遺物語』巻9−8  目鼻を一所に取り寄せたような醜貌の若者が、「天下の美男子」と称して、長者の娘の婿になる。婿は素顔を見られぬよう、夜のみ通う。ある夜、婿の仲間が鬼に扮して天井へ上がり(*→〔呼びかけ〕5)、「この家の娘は、わしが目をつけていたのだ。お前が婿になるとは、けしからん。お前の美貌を吸い取ってやる」と言う。婿は顔をかかえて「あらあら」と悲鳴をあげ、その後に素顔を皆に見せる。皆は、「婿は美貌を奪い取られ、鬼の顔になってしまったのだ」と信じる。

★8.絵の名手が、妻の顔に絵の具を塗って、美しく描きかえようと試みる。

『金岡』(狂言)  高名な絵師金岡が、内裏の美しい上臈を見て恋焦がれる。金岡の妻が「あなたは絵師だから、私の顔の上に、その上臈の美貌を描けばよい」と提案する。金岡は、妻の顔に紅(べに)おしろいを塗り、美しい顔を描こうと試みるがうまくいかず、「下地は黒き山烏。何と絵どれど、狐の化けたに異ならず」と言って、妻を突き倒し、逃げて行く。妻は「やるまいぞ、やるまいぞ」と後を追う。

★9.多くの顔を持つ人。

『怪奇四十面相』(江戸川乱歩)「二十面相の改名」  獄中の怪人二十面相が、新聞社に投書する。「世間ではわたしを二十面相と呼んでいるが、わたしの顔はたった二十くらいではない。その倍でも、まだ足りないくらいだ。わたしはこれから、四十面相と名のることにする。二十面相を卒業して四十面相になったのだ。わたしは脱獄し、改名の手始めに、『黄金のどくろ』の秘密をあばくという大事業に乗り出す」。新聞社はこれを記事にし、世間の人々は仰天する→〔金(きん)〕7

『七つの顔』(松田定次)  花形歌手・清川みどりが誘拐され、ダイヤの首飾りが盗まれた。正義と真実の使徒・藤村大造(かつて彼は、「日本ルパン」との異名をとる怪盗だった。演ずるのは片岡千恵蔵)が、「風采の上がらない探偵・多羅尾伴内」「奇術師」「老巡査」「新聞記者」「手相見」「片目の運転手」の六通りに変装して事件を捜査し、解決する。藤村は、彼を慕い求愛するみどりに別れを告げ、オープンカーを運転して去って行く。

*三つの顔を持つ悪魔→〔氷〕7の『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第34歌。

*多くの頭(顔・首)を持つ怪物→〔頭〕7の『今昔物語集』巻2−34など。

★10.山腹の岩が、人の顔に見える。

『人面の大岩』(ホーソーン)  少年アーネストが住む村から、何マイルも離れた高山の山腹に、巨大な人面の形状をした岩が見えた。「いつの日か、その時代の最も偉大な人物たるべき運命を持った子供が生まれ、成長すれば人面岩そっくりの顔になる」との言い伝えが、村にはあった。アーネストは、偉大な人物の出現を何十年も待ち続け、白髪の老人になった。ある日、村人たちは、夕日に照らされたアーネストの顔を見て、「人面岩そっくりだ」と気づく。しかしアーネストは、彼よりももっと思慮深く、もっと人面岩に似た人物がやがて現れることを念じて、家路についた。

*顔の美しさを誇った女の死後→〔虫〕2aの『三宝絵詞』「序」。

 

 

【画家】

★1.世間に認められぬ天才画家。

『月と六ペンス』(モーム)  ロンドンの株式仲買人ストリックランドは、四十歳で職を捨て妻子を捨てて、絵を書き始めた〔*ゴーギャンがモデル〕。彼は、恩人の妻を奪う(*→〔病気〕13b)などのことをした後、タヒチ島へ渡る。島の娘アダと結婚して、ようやく安住の地を得たストリックランドは、数々の傑作を描く。晩年、彼は癩病に侵される。彼は自分の住む小屋の壁一面に、エデンの園を思わせる巨大な絵を描き、「自分の死後は小屋もろとも、この絵を焼き払え」と妻に遺言して、死んで行く。

『モンパルナスの灯』(ベッケル)  画家モジリアニ(演ずるのはジェラール・フィリップ)の絵は世間に受け入れられず、しかも彼は健康を害していた。画商モレルは「モジリアニが死ねば、彼の絵は高額で売れる」と考え、モジリアニの死ぬ日を待っていた。ある夜モレルは、モジリアニが路上に倒れるのを目撃し、彼を病院へ運んで臨終を見届ける。モレルは直ちに、安アパートのモジリアニの部屋へ行き、彼の絵を買い占める。モジリアニの死を知らぬ妻ジャンヌは、涙を浮かべて感謝の言葉を述べる。

★2.天才画家が廃人となるが、彼の魂は永遠の美を見る。

『金と銀』(谷崎潤一郎)  天才画家青野は、展覧会に出品する「マアタンギイの閨」の絵を描くうちに、「人間が見ることを許されぬ美の世界を開示しようとする自分は、神罰を受けて死ぬのではないか」と予感する。ある夜青野は、彼に嫉妬する画家大川に襲われ、脳髄を損傷する。その結果、青野は白痴の廃人となったが、彼の魂は初めて憧れの芸術の世界へ高く舞い上がり、永遠の美の姿を見た〔*マアタンギイは、阿難尊者を邪淫の闇へ陥れた妖女〕。

★3.贋作画家。

『帰ッテキタせぇるすまん』(藤子不二雄A)「贋作屋」  只野完作は抽象画ばかり描いて、まったく売れない画家だった。喪黒福造が、只野に模写の才能があることを見抜き、名画の贋作をさせて売りさばく。贋作を承知で買う客も多く、只野は高収入を得るが、「喪黒にピンハネされているのではないか」と疑ったため、喪黒は只野を見捨てて去る。もとの貧乏に戻った只野は、一万円札でタバコを買って、つり銭を得ようとする。それは絵で描いた一万円札だったので、たちまち見破られてしまった。

『真贋の森』(松本清張)  東大で日本美術史を専攻した「俺」は実力がありながら、権威主義の指導教授に嫌われ、学界から追放された。「俺」は、売れない画家・鳳岳を指導して、浦上玉堂の贋作を描かせる。それを学界の権威者たちに「真作である」と鑑定させ、その後に贋作であることを暴露して、空疎なアカデミズムを嘲笑してやろう、と考えたのである。しかし鳳岳が「自分だって玉堂くらいの腕はある」と画家仲間に言ったことから、計画は破綻した。

*にせの美術品や宝物を偽造する→〔にせの宝〕に記事。

★4.盲目になった画家。

『その妹』(武者小路実篤)  貧しい青年画家・野村広次は戦地に召集され、盲目になって帰還した。彼は絵を断念し、小説で身を立てようとするが、それも、文字を書き取ってくれる援助者が必要で、一人では何もできない。妹静子は、兄広次が何とか生活していけるように、身売り同然にして相川三郎に嫁ぐ(*→〔風呂〕8)。広次はそれをとめることもできず、「俺は力がほしい」とつぶやく。

 

 

【鏡】

 *関連項目→〔合わせ鏡〕〔水鏡〕

★1a.直接見てはいけないものを、鏡に映して見る。

『変身物語』(オヴィディウス)巻4  メドゥサの住みかのまわりには、彼女を見たため石に変わった人間や獣たちの姿があった。ペルセウスは直接メドゥサに目を向けず、左手に持った青銅の盾を鏡がわりにして、メドゥサを映し出して見る。メドゥサの熟睡中をねらって、ペルセウスは彼女の首を斬り取った〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章に類話〕。

★1b.鏡に映すだけでも致命的なことがある。 

『ゲスタ・ロマノルム』139  アレキサンダー大王の軍が、ある町を包囲したが、市壁の上にいる怪獣バジリスクの視線によって、兵たちは死んでしまった。アレキサンダーは賢者たちの教えに従い、市壁に向けて鏡を立てた。バジリスクが鏡を見ると、視線が反射して自分に戻り、バジリスクは死んだ。

★2.鏡が鬼を退治する。

『皇帝』(能)  楊貴妃の病気を治すため、鐘馗大臣の霊の教示によって、玄宗皇帝が枕頭に明皇鏡を立てる。鏡に鬼神の姿が映し出されるので、鐘馗の霊が利剣をふるって鬼神を追い詰め、斬り殺す。楊貴妃の病気は平癒する。

『常陸国風土記』久慈の郡河内の里  古古の邑の東の山に石の鏡がある。昔、魑魅が群れ集まり、鏡をもてあそび見て、ひとりでにいなくなった。土地の人は、「疾鬼も鏡に向かえば自ら滅ぶ」と言う。

★3.地獄の審判の鏡。

『チベットの死者の書』第2巻  死んでバルドゥ(中有)の状態にある「汝」が、「私は生前悪いことをしなかった」と嘘をつくならば、ヤマ(閻魔)王は、カルマ(業)を映す鏡を見るであろう。鏡には、「汝」の善行と悪行のすべてが映し出される。嘘をついた「汝」の身体は切り刻まれ、ヤマ王に食われる。「汝」は何度も蘇生して繰り返し食われ、非常な苦しみを味わうであろう〔*しかしすべては空(くう)であり幻影なのだから、恐れることはない〕。

★4.鏡は異郷への入り口である。

『オルフェ』(コクトー)  詩人オルフェ(演ずるのはジャン・マレー)の妻ユリディスが、オートバイにひかれて、冥府へ連れ去られた。オルフェはユリディスをこの世に取り返そうと、大きな姿見の前に立ち、冥府の王女から得た手袋をはめて両手を突き出す。オルフェの身体は鏡面を通り抜け、冥府へ到る道を彼は歩く。オルフェは「世界中の鏡がここに通じているのか?」と案内の男に問い、男は「多分そうだろう」と答える→〔禁忌(見るな)〕1

『鏡の国のアリス』(キャロル)  ある雪の日の午後。アリスは部屋のマントルピースの上に上がり、鏡を通り抜けて、向こう側の世界へ行く。アリスはそこで、白の女王やトイードルダムなど、奇妙な人々に出会う→〔記憶〕5〔夢〕4

*皿が人間の前生を映す→〔前世〕3の『カター・サリット・サーガラ』「ナラヴァーハナダッタ王子の誕生」3・挿話3。

★5.鏡を水中に沈める。

『土佐日記』2月5日  土佐より京への船旅の途中、にわかに強風がおこり、船が沈みそうになる。住吉明神に幣をささげても風波はやまぬので、ただ一つある鏡を海に投ずると、ようやく海は静かになった。

『肥前国風土記』松浦郡  勅命で任那へ赴く大伴狭手彦が、都から下って来て肥前国松浦の或る村に到り、弟日姫子と結婚した。別れる日に、狭手彦は鏡を彼女に与える。弟日姫子が悲しみ泣きつつ栗川を渡る時、緒が切れて、鏡は川に沈んだ。それで「鏡の渡り」と名づけられた〔*『和歌童蒙抄』巻3所引の風土記は、女が鏡を抱いて川に沈んだ、と記す〕。

★6.鏡面に文字を書く。

『モロッコ』(スタンバーグ)  外人部隊の兵士トム(演ずるのはゲーリー・クーパー)は酒場の歌手アミー(マレーネ・ディートリッヒ)を愛し、一緒に暮らそうと思う。しかしフランスの富豪がアミーに求婚したので、トムは「富豪と結婚する方が彼女は幸せだろう」と考え、アミーの部屋の化粧台の鏡に、口紅で「気が変わった(I changed my mind.)」と書き残して去る〔*後に二人は再会し、トムの「あの金持ちと結婚するのか?」との問いにアミーは、"Of course. I don't change my mind."と答える〕。

★7.半鏡。鏡を二つに割って、夫婦が半分ずつ持つ。

『今昔物語集』巻10−19  震旦の蘇規は遠方へ赴く時、鏡を二つに割って、家に残る妻と半分ずつ持ち、「もしどちらか一方が不義をしたら、半鏡がもう一人の所へ飛んで行くだろう」と言った。後、他郷にある蘇規の所へ妻の半鏡が飛んで来て、彼の半鏡とぴったり合わさったので、蘇規は妻の不義を知った。

*指輪を二つに折って、男女が半分ずつ持つ→〔指輪〕7の『熊の皮をきた男』(グリム)KHM101。

*飛ぶ鏡→〔飛行〕14aの『神道集』巻2−6「熊野権現の事」など。

★8.鏡に執念が残る。

『鏡と鐘』(小泉八雲『怪談』)  遠江の無間山の寺の鐘を鋳造する材料として、村人たちが青銅の鏡を喜捨する。しかし、いったん鏡を奉納したあとで、それを後悔する女が一人いた。女の執念は鏡に残り、その鏡だけはどうしても炉の火に溶けない。村人たちは女を白眼視し、女は恥じて自殺する。遺書には、「私が死ねば、鏡は溶けて鐘ができるだろう。もし鐘をつき破る者があらわれたら、我が霊の一念で、多くの財宝を授けよう」とあった。

★9.鏡の反射。

『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)「ビデオ式なんでもリモコン」  ビデオ式なんでもリモコンは、人や物の動きを速くしたり遅くしたり、戻したり止めたりできる。のび太がリモコンを使い、しずちゃんのスカートが風でめくれた瞬間をもう一度見るなど、いろいろな悪さをする。皆が怒ると、のび太はリモコンを皆に向けて停止ボタンを押す。しかしそれをドラえもんが鏡で反射させたので、のび太自身が動けなくなる。

 

 

【鏡が割れる】

★1.鏡が割れるのは、死の予兆。

『小栗(をぐり)(説経)  照手姫の家には、七代伝わる唐鏡があった。ある夜、照手姫は「鷲が唐鏡を三つに蹴割る。一つは奈落へ沈み、一つは微塵に砕け、残りの一つを鷲が掴む」との夢を見た。照手姫は夢を夫の小栗に語るが、小栗はこれを無視して、毒殺された。

『父と子』(ツルゲーネフ)27  老母アリーナが、化粧用の小鏡を落としてこわした。彼女はこれを「悪い前兆」と思う。何日か後、若い医師である息子バザーロフが、チフスで死んだ患者を解剖中に感染し、高熱を発して死んだ。

 

 

【鏡に映らない】

★1.幽霊は鏡に映らない。

『無言』(川端康成)  逗子・鎌倉間のトンネルをタクシーが抜ける時、若い女の幽霊が出る。運転手が何だか妙な気がして振り返ると、いつのまにか乗っている。そのくせバックミラーには映らない。「私」がタクシーに乗った時にも幽霊が出た→〔無言〕4

*死に近い人の顔が、鏡や水に映らない→〔水鏡に映る自己〕4の『高丘親王航海記』(澁澤龍彦)「鏡湖」。

*死に近い人の首が、鏡や水に映らない→〔首のない人〕5の『異苑』38「首のない姿」など。

★2.吸血鬼は鏡に映らない。

『吸血鬼ドラキュラ』(ストーカー)「ジョナサン・ハーカーの日記(続)」  イギリスの弁理士ハーカーが、トランシルヴァニアのドラキュラ伯爵の城を訪れ、滞在する。朝、ハーカーが髭を剃っている時、後ろから「おはよう」とドラキュラ伯爵が声をかける。ところが髭剃り鏡には、伯爵の姿が映っていなかった。伯爵は「鏡は人間の虚栄の玩具だ」と言って、髭剃り鏡を窓外へ投げ捨てた。

★3.影を取られたため、鏡に映らない。

『ホフマン物語』(オッフェンバック)第2幕  詩人ホフマンが、高級娼婦ジュリエッタに求愛する。彼女は「鏡に映るあなたの生き写しの影が欲しい」と望み、ホフマンは承諾する。その後でホフマンが鏡を見ると、自分の姿が映らないので愕然とする〔*しかしジュリエッタはゴンドラに乗って去り、ホフマンは彼女を得られない〕。  

 

 

【鏡に映る遠方】

★1.遠くて見えないものも、手もとの鏡に映しとれば見ることができる(実際には、不可能なことである)。

『仮名手本忠臣蔵』7段目「一力茶屋」  一力茶屋の座敷で大星由良之助が、息子力弥の届けた密書を読む。別棟の二階にいたお軽がそれを見て、「誰からの恋文だろう?」と思うが、遠いので読めない。そこでお軽は、自分の持つ手鏡に書状の文面を映し取って読む。お軽の簪(かんざし)が下に落ち、由良之助は、密書を見られたことを知る→〔口封じ〕2

『国性爺合戦』3段目「楼門」  老一官は「甘輝将軍と会見しよう」と、獅子が城へ赴くが、軍兵たちにはばまれる。楼門上に姿を現した甘輝将軍の妻・錦祥女にむかって、老一官は「私は汝の父だ」と呼びかける。錦祥女は、遠方の老一官の顔を手鏡の面に映し取り、肌身離さず持っていた父の姿絵と見比べる。

★2.鏡が、遠くの国にいる人の姿を映し出す。

『琴のそら音』(夏目漱石)  陸軍中尉である夫が日露戦争(1904〜05)に出征して満州にいる間に、日本で留守を守る新婚まもない妻が、肺炎で死んだ。満州の夫が、ある朝ふと懐中鏡をのぞくと、自分の顔でなく、日本の妻のやつれた姿が映ったので驚いた。後から調べると、妻が息を引き取ったのと夫が鏡を見たのが、同日同時刻だった〔*友人の津田君が「余(靖男)」に、実話だと言って語った物語〕。

『松浦宮物語』巻3  藤原の宮の時代。弁少将(橘氏忠)は、遣唐副使として唐へ渡る。彼は唐の幼帝の母后(ケ皇后)と契りを交わし、前世からの二人の縁(*→〔転生〕3)を教えられる。日本へ帰る弁少将に、母后は形見の鏡を贈る。帰国した弁少将が、泊瀬寺へ詣でて鏡を開き見ると、唐土で物思いに沈む母后の姿が見えた〔*母后からは、弁少将の姿は見えないようであった〕。

★3.鏡が、はるかな天界や地獄界の有様を映し出す。

『野守』(能)  旅の山伏が春日の里へ来て、土地の翁に「野守の鏡」のいわれを問う。翁は「『野守の鏡』とは、野の番人が姿を映した水(*→〔水鏡〕2の『俊頼髄脳』)だとも言い、野を守る鬼神が持つ鏡だとも言う」と教える。やがて翁はその本体である鬼神の姿を現し、手に持った大鏡に、上は非想非々想天、下は地獄の有様・罪人の呵責まで映して見せ、大地を踏み破って奈落の底へ消える。

 

 

【鏡に映る自己】

★1.若い女が、自分の美しい顔を、窓ガラスに映して見る。

『尼僧物語』(ジンネマン)  修道院の尼僧たちは、徹底的な自己放棄の生活を送らねばならない。一人の若い尼僧が、虚栄心の誘惑に負けて、自分の姿を窓ガラスに映して見た。他の尼僧が慈悲の心から、若い尼僧の行為を告発する。若い尼僧は、自らの罪を大勢の前で懺悔した。

★2.男も、自分の顔を鏡に映して見ることがある。

『彼と六つ上の女』(志賀直哉)  親からもらう小遣いが少なく、本屋への支払いに窮する「彼」は、六歳年上の女から金を用立ててもらい、帰宅した。「彼」は外へ出る時、帰った時、手鏡で自分の顔を見る癖があった。それは、どうかすると我ながら自分の顔を美しく思うことがあるからだ。しかしその日、手鏡に映る「彼」の顔は醜かった。「彼」は荒(すさ)んだ気分で、それを見つめていた。

★3.鏡に映る自分を見て、みじめな姿に驚く。

『酒とバラの日々』(エドワーズ)  アルコール依存症のジョー(演ずるのはジャック・レモン)は、四年間に五度も仕事をクビになっていた。ある日、ジョーは酒場へ入ろうとして、ウィンドーに映る自分を見る。最初は「浮浪者だ」と思った。しかしそれは間違いなく彼自身だった。ジョーは愕然として家へ帰り、同じくアルコール依存症の妻に、「酒を断ち、生活をやり直そう」と説く〔*二人は一時的に禁酒に成功するが、すぐまた酒浸りの生活に戻ってしまう〕。

*鏡を見て自分の醜さを知り、倒れる→〔心臓〕4の『王女の誕生日』(ワイルド)。

★4.日本人が鏡に映る自分を見て、黄色人種のみすぼらしさを実感する。

『倫敦消息(『ホトトギス』所載)(夏目漱石)  ロンドンの街を散歩すると、逢う奴も逢う奴も皆、背が高くて立派で、何となく肩身の狭い心地がする。並外れて低い奴だと見えても、すれ違うと「自分」より二寸ばかり高い。「向こうから妙な顔色の一寸法師が来たな」と思ったら、それは「自分」が姿見に映っていたのだった。白人の世界では、黄色人種の皮膚の色は「人間を去る三舎色(人間とは思えない色だ)」と言わざるを得ない。

*白色人種の美しさ→〔皮膚〕2の『三四郎』(夏目漱石)。 

★5.鏡に映るのが自分の姿と悟らない。

『古事記』上巻  天の岩屋戸にこもるアマテラスに、アメノウズメが「あなた様より、もっと貴い神様がいらっしゃいました」と告げ、神々が鏡を見せる。不思議に思って戸から身をのりだすアマテラスを、タヂカラヲが外へ引き出す〔*『日本書紀』巻1では、第7段一書第2が、鏡を日神尊の石窟にさし入れた、とする点で『古事記』に近い〕。

★6.複数の人間が一つの鏡に各自の姿を映しつつ、それを他人だと思う。

『通路の人影』(チェスタトン)  劇場横の通路で女優が殺され、直後に、セイモア卿とカトラー大尉とブラウン神父が、怪しい人影一つを目撃した。セイモア卿は「背の高い女のような男だ」と言い、カトラー大尉は「チンパンジーのような猫背の奴だ」と言い、ブラウン神父は「ずんぐりした太い形だ」と言う。薄暗い通路の奥に鏡があり、三人は鏡に映った各自の姿を見たのだが、それに気づいたのはブラウン神父だけだった〔*殺人犯は別におり、人影は事件とは無関係だった〕。

『農夫と女房と鏡』(イギリスの民話)  農夫が畑で手鏡を拾い、自分の顔を映して、「おいらのじい様かひいじい様の写真だ」と思う。農夫は手鏡を大事に机の引出しにしまう。女房があやしんで手鏡を取り出すが、彼女もこれを写真だと思い、「何だろね、あの人は。こんな婆さんといい仲になるなんて」と呆れる。

*「写真を見てくれ」と言われたが、それは鏡だった→〔写真〕8の『ドウエル教授の首』(ベリャーエフ)。

『松山鏡』(落語)  松山村の孝行な男が、鏡を見て「亡父だ」と思い、毎日拝む。妻が鏡をのぞくと女の顔が映るので、「夫は愛人をこの中に隠しているのだ」と誤解して、夫と喧嘩する。隣村の比丘尼が仲裁に入って鏡を見、「愛人は反省して坊主頭になっている」と言う〔*『神道集』巻8−45「鏡の宮の事」では、夫・妻・三人の息子・息子たちの嫁が、それぞれ鏡をのぞき、騒ぎになる。『鏡男絵巻』(御伽草子)では、妻が怒るのみ〕。(*→昔話の『松山鏡』は、これとは異なる物語)。

*夫妻が酒に映る姿を見て、自分だと気づかない→〔酒〕3dの『宝物集』(七巻本)巻5。

★7a.鏡に映る自分の顔を、「亡母だ」と思う。

『松山鏡』(日本の昔話)  越後国の松山には、鏡がなかった。父が都で鏡を買って来て、母に与える。何年か後、病いを得た母は、鏡を形見として娘に与え、「これを見れば私に逢える」と言い遺す。娘は自室で鏡を見て、そこに映る自分の顔を亡母と思って懐かしむ。継母が「娘が部屋にこもって私を呪っている」と誤解し、父に訴える。父は娘に「鏡に映ったのは汝自身の顔」と教え、継母は自分の邪推を詫びて、継母と娘は和解する。(*→落語の『松山鏡』は、これとは異なる物語)。

★7b.本当に死者の姿が鏡に映る物語もある。

『和漢三才図会』巻第67・大日本国「相模」  昔、猟人がいた。妻が臨終の時、一つの鏡を夫に授け、「もしわたしが恋しくなったら、この鏡をごらんなさい」と言った。妻の死後、夫が鏡を見ると、亡妻の姿が生きていた時とそっくりに映っている。夫はその鏡を神として祭った。模(かたち)を相(み)るという意味から、当国を「相模」と呼ぶようになった。

 

 

【鏡に映る真実】

★1.鏡が、動物の正体を映し出す。

『古鏡記』(唐代伝奇)  昔、黄帝が鋳た古鏡は、所有者が変わり、はるかな歳月を経てもなお、さまざまな不思議な力を発揮した。人間に化けた狐・亀・猿などを古鏡で照らすと、彼らは堪えきれず、正体をあらわして死ぬのだった。

『西遊記』百回本第61回  牛魔王と闘う孫悟空に、天界から托塔李天王とナタ太子が加勢する。ナタ太子が火輪児を牛の角にかけて、真火を吹きつける。牛魔王は変身して逃れようとするが、李天王の照妖鏡に本相を映し出されているために身動きできず、降参する。

『捜神後記』巻9−4(通巻98話)  男が畑仕事をしているところへ、二人の女が現れた。二人とも美しかったが、雨が降ってきても女たちの服は濡れなかった。小屋の壁にかけてあった鏡を見ると、二頭の鹿が映っている。男は刀で鹿に切りつけて殺し、干し肉を作った。

★2.鏡が、乙女の真の姿を映し出す。

『水晶の珠』(グリム)KHM197  王女が魔法をかけられたため、他人の目からは、しわだらけで鼠色の醜い顔にしか見えない。しかし鏡には、本来の美しい処女の姿が映し出される。若者が王女を救いに訪れ、魔法使いを退治する(*→〔卵〕1)。若者は王女をもとの姿に戻して、結婚する。

『千一夜物語』「処女の鏡の驚くべき物語」マルドリュス版第720〜731夜  「三つ島の老人」がゼイン王子に、十五歳の処女を連れて来るよう命じ、魔法の鏡を与える。ゼインがエジプトやシリアで十五歳の娘たちを大勢集め、鏡を向けると、全裸の姿が映し出され、鏡の面が曇って、誰一人処女がいないことが明らかになる。ゼインは驚きあきれるが、バクダードまで旅をして、ようやく正真正銘の処女を一人見つけ出す〔*「三つ島の老人」は、彼女をゼインの花嫁として与える〕。

★3.鏡が、人の内臓や骨を映し出す。

『太平広記』巻231所引『原化記』  唐の時代。蘇州の太湖で、漁師の船の網に小さな鏡がかかった。漁師たちが鏡をのぞくと、彼らの骸骨と五臓六腑が映ったので、皆へどを吐いて気を失った。最後に残った一人は、鏡をのぞかず湖に捨てた。

★4.鏡が真実を告げる。 

『白雪姫』(グリム)KHM53  白雪姫の継母である妃は、不思議な姿見を持っていて、「鏡よ鏡。国中でいちばん美しい女は誰?」 と問うと、鏡は「お妃様が国一番の美女」と答えるのだった。ところが、白雪姫は成長するにつれてどんどん美しくなり、彼女が七歳になった頃のある日、鏡は妃に、「白雪姫はお妃様よりはるかに美しい」と告げた。妃は白雪姫に嫉妬し、殺そうと考えた。 

★5.逆に、鏡が偽りを映し出す。

『虚像の姫』(星新一『かぼちゃの馬車』)  醜い姫が、魔法の鏡に映る美しい顔を見て、「自分は美女だ」と思い込んでいた。美男の王子が、呪いの鏡に映る醜い顔を見て、「自分は醜男だ」と思い込んでいた。高慢な姫は、美男の王子を「自分の夫にふさわしい」と考える。謙虚な王子は、醜い姫を「自分の妻にふさわしい」と考える。二人は結婚し、それぞれ自分の鏡をのぞき込みながら、いつまでも平和に暮らした。

『椿説弓張月』続篇巻之4第38回  尚寧王(琉球国王)は、娘寧王女(ねいわんにょ)に譲位しようとするが、曚雲国師(その正体は大ミズチ)が反対する。曚雲は幻術をもって、尚寧王の妃廉夫人と、忠臣毛国鼎が戯れるさまを鏡に映し出し、「寧王女は、廉夫人が毛国鼎と密通して産んだ子だ」と言う。尚寧王はこれを真に受け、「廉夫人、毛国鼎、寧王女の首を刎ねよ」と命ずる。

★6.鏡が醜いものを強調して映す。

『雪の女王』(アンデルセン)  悪魔が作った鏡は、良いもの・美しいものを、ほとんど見えぬほど縮小して映し、役立たないもの・醜いものをはっきりと、いっそうひどく映し出す。その鏡が地上に落ちて、無数の破片になり、人間の目や心臓に入る。人々は、ものごとの悪い所ばかりを見るようになる。

 

 

【鏡に映る未来】

★1.鏡に将来の吉凶が映る。

『小栗(をぐり)(説経)  照手姫の家に七代伝わる唐鏡は、めでたいことのある折は、表が正体に拝まれ、裏に鶴亀が舞い、千鳥が酌を取る。悪いことのある折は、表裏かき曇り、裏に汗をかく→〔鏡が割れる〕1

『更級日記』  私(菅原孝標女)が二十代半ば過ぎの頃、母が一尺の鏡を初瀬に献じて、私の将来を僧に占わせた。「鏡の片面には伏して泣く人の姿が映り、もう片面には美しい御殿と花・鳥が映る」との夢を、僧は見た。二十数年後、私が五十一歳の十月に、夫橘俊通が没した。「二つの未来のうち、伏して泣く姿の方が実現したのだ」と、私は思った。

★2.鏡に将来の夫が映る。

『草迷宮』(泉鏡花)31  丑の年・丑の月・丑の日に、未婚の女が身を清めて一間に閉じこもり、「丑童子・斑の御神」と念じて鏡に見入る。丑時(午前二時前後)になるとその鏡に、前世から定まった縁の人の姿が見える。

*将来の夫が合わせ鏡に映る→〔合わせ鏡〕1の『戦争と平和』(トルストイ)第2部第4篇。

*将来の夫が水に映る→〔水鏡に映る未来〕2の未来の夫(日本の現代伝説『走るお婆さん』)。

 

※鏡と魂→〔魂と鏡〕に記事。

※鏡と目→〔目〕3の『妹背山婦女庭訓』2段目「芝六住家」。

※罎(びん)に映った顔→〔瓶(びん)〕3の『凶』(芥川龍之介)。 

※マジック・ミラー→〔ホテル〕4の『影男』(江戸川乱歩)「断末魔の牡獅子」〜「隠形術者」など。

 

 

【鍵】

★1.はじめて見た「鍵」というもの。

『もたらされた文明』(星新一『悪魔のいる天国』)  ピル星からの宇宙探検隊は、地球を訪れて「鍵」というものをはじめて見た。探検隊は鍵をピル星へ持ち帰り、「地球では、物を盗まれないように戸に鍵をかけるのだ」と、皆に説明する。戸締りも鍵も知らなかったピル星人たちは驚き、「あくせく働いて物を買わなくても、『盗む』という方法があったのか」と、目を輝かせた。

★2.日記帳を引き出しに入れ鍵をかける。

『鍵』(谷崎潤一郎)  五十六歳の大学教授である夫が、四十五歳の妻郁子との日々の性交渉のありさまを日記に書き、性生活についての自分の望みや妻への不満をも書き入れる。夫は日記帳を入れた抽出(ひきだし)の鍵を、わざと書棚の前に落としておく。それは、妻が日記を盗み読み、自身の肉体のすばらしさを自覚して、もっと性的に奔放になってくれるように、と期待してのことだった〔*郁子は自身の本性を自覚し、やがて夫の死を願うようになる〕→〔死因〕4

★3.ホテルのルーム・キー。

『クロスワード・パズル』(三島由紀夫)  ある年の一月末、男女のカップルがホテルに泊まり、女が「301」の部屋の鍵を持ち帰ってしまった。美男のボーイである「僕」が鍵の返却を要求すると、女からは、別のホテルの「217」の鍵が送られて来て、「2」と「17」の間に口紅で線が引いてあった。「僕」はそれが二月十七日を意味すると気づき、その日、女と逢った。「僕」は三月一日にも逢瀬を期待したが、それは叶わなかった。

★4.鍵を海へ捨てる。

『グレゴーリウス』(ハルトマン)第4章  贖罪の場を求めるグレゴーリウスは、悪意を持つ漁師によって、海に浮かぶ孤岩の上へ連れて行かれる。漁師はグレゴーリウスに鉄の足枷をはめて岩につなぎ、足枷の鍵を海中深く投げ捨てる。グレゴーリウスは岩の上に放置され、そこで十七年の歳月を生き通す。

★5.鍵を拾い、それに合う鍵穴を探す。

『鍵』(星新一『妄想銀行』)  男が夜道で一つの鍵を拾った。男はその鍵を持って、多くの建物・多くの扉を訪れるが、鍵を受け入れる鍵穴は見つからなかった。年月が流れ、男の人生は終わりに近づく。男は錠前屋に頼んで、鍵に合う錠を作ってもらい、自室のドアに取りつける。その夜、幸運の女神が訪れ、「私がわざと落としておいた鍵なの。やっと私が入るドアを作っていただけたのね」と言う。しかし男にとって、それはもう遅すぎた。

★6.鍵穴。

『今昔物語集』巻4−1  仏の滅後、経典結集のために千人の羅漢が集まった。迦葉尊者は九百九十九人を法集堂に入れたが、残りの一人・阿難の悟境を疑い、門を閉じて「神通力で入ってみよ」と要求した。すると阿難は、鍵の穴を通り抜けて堂内に入った。羅漢たちは「希有なことだ」と評価し、阿難を結集の長者(編集長)とした。

*イクタマヨリビメの部屋を訪れた男は、戸の鍵穴を抜けて帰って行った→〔糸と男女〕3の『古事記』中巻。

 

 

【書き換え】

★1.数字を書き換える。

『評決』(ルメット)  看護師が患者のカルテに「食後1時間」と記したのを、担当医が見過ごして、患者に全身麻酔を施す。患者は酸素マスクの中に嘔吐し、吐いた物が気管に詰まって植物状態になった。担当医は看護師に、カルテの「1」を「9」に書き換えるよう命じる。「食後9時間」であれば麻酔をしても嘔吐の危険はなく、担当医に過失はなかったことになるのだ。患者の家族は訴訟を起こす。弁護士ギャルヴィン(演ずるのはポール・ニューマン)が(*→〔分割〕7)、看護師を説得して証言を引き出し、勝訴する。

★2.漢字を書き換える。

『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)(鶴屋南北)  芸者小万は、客である薩摩源五兵衛への実意の証として、腕に「五大力(五大力菩薩の略。愛する男への貞操を誓う語)」の彫り物をする。しかし小万の愛人・笹野屋三五郎が、針を加えて「三五大切(三五郎を愛している)」と直してしまう。後に源五兵衛はこれを見て怒り、小万をなぶり殺しにする。

『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)(並木五瓶)第2〜3幕  芸子菊野(「小万」の名で演ぜられることもある)は、三味線の裏皮に「五大力」と書いて薩摩源五兵衛に見せ、彼に真(まこと)を尽くす証とする。しかし、後に笹野三五兵衛が筆を加えて、「五大力」の三文字を「三五大切(三五兵衛を愛している)」の四文字に書き換えてしまう。それを見た源五兵衛は、「菊野は心変わりしたのだ」と思い、菊野を殺す→〔遊女〕2

★3.運び手に死をもたらす手紙(*→〔手紙〕2a)を書き換える。

『魚と指輪』(イギリスの昔話)  領主が、息子の妻になる運命を持つ娘を嫌い、「この手紙の持参人を殺せ」と記した手紙を、弟の所へ持って行かせる。途中で出会った盗賊たちが手紙を開いて気の毒に思い、「この手紙の持参人を我が息子と結婚させよ」と書き換える。

『ドイツ伝説集』(グリム)486「ハインリヒ三世帝の伝説」  コンラート帝が、「この手紙の持参人を殺せ」と記した手紙をハインリヒに持たせ、妃のもとへ送る。ハインリヒが旅の途中で泊まった宿の主が、好奇心から手紙を開封し、「この手紙の持参人に娘を添わせよ」と書き換える〔*『黄金(きん)の毛が三本はえてる鬼』(グリム)KHM29の前半部が、この伝説と類似した展開をする〕。

『遠野物語』(柳田国男)27  旅の男が閉伊川の辺で女から手紙を託され、物見山の沼へ届けに行く。途中で会った六部(旅の修行者)が、「この手紙を持って行けば、汝の身に災いがあるだろう」と言って、手紙を書き換える。男は書き換えられた手紙を持って沼へ行き、そこの女から黄金の出る石臼をもらう→〔妻〕10

『沼の主のつかい』(日本の昔話)  みぞうけ沼の主である女が、伊勢詣りに出かける百姓・孫四郎に手紙を託し、富士の裾野の高沼まで持って行かせる(*→〔犯人さがし〕4)。途中で出会った六部がその手紙を開いて見ると、「この男を取って食え」と書いてあった。六部は手紙を、「この男に黄金の駒を与えよ」と書き換える。孫四郎は高沼の主から、黄金の駒をもらって無事に帰って来る。その駒は一日に米一合を食べて、黄金一粒をひり出した(岩手県江刺郡)→〔山の起源〕3

『ハムレット』(シェイクスピア)第4〜5幕  デンマークの王子ハムレットは、叔父王クローディアスの命令で、親書を携えイギリス王のもとへ向かう。船中でひそかに親書を開き見ると、「ハムレットの首をはねよ」と記してあった。ハムレットは、同行した叔父王の臣下、ローゼンクランツとギルデンスターンが処刑されるように、親書の内容を書き直す。

★4.「赤ん坊が生まれた」と知らせる手紙を、「鬼子を産んだ」「犬を産んだ」などと書き換える。

『カンタベリー物語』「法律家の話」  ローマ皇帝の娘クスタンスは、さまざまな苦難の後、イギリスのアラ王と結婚して男児を産む。アラ王はその時戦地にいたので、クスタンスは手紙で男子出生を知らせる。王の母がクスタンスを嫌い、「恐ろしい鬼子を産んだ」と手紙を書き換える。王は「神が后と子を守るように」との返事を書く。それを再び王の母が「クスタンスと子を追放せよ」と書き直す。

『手なし娘』(グリム)KHM31  手のない娘が王妃となり、美しい男児を産む。それを戦場にいる王様に知らせる手紙を、悪魔が「妃は鬼子を産んだ」と書いた手紙にすりかえる。王様は驚きつつも「妃を大事に世話せよ」との返書を出すが、それをまた悪魔が「妃と子供を殺せ」という返書にすりかえる。王様の老母が妃と男児を憐れんで、彼らを森へ逃がす→〔手〕1。  

『手なし娘』(日本の昔話)  継母のために家を追われた手なし娘が、長者の若様の嫁になって、美しい子供を産む。手なし娘の幸福を知った継母は、旅先の若様への知らせの手紙を、「嫁が鬼の子を産んだ」と書き換える。若様は「大事に育てよ」と返事を出すが、それをまた継母が「嫁と子供を追い出せ」と書き換える。手なし娘は悲しみ、子供を背負って家を出る(岩手県稗貫郡)→〔無心〕1

『ペンタメローネ』(バジーレ)第3日第2話  ペンタは、夫王が他国へ出かけた留守に男児を産む。そのことを知らせる手紙を、嫉妬深い女が途中で「妃は化け物犬を産んだ」と書き換える。夫王は「神の思し召しゆえ悲しむことはない」と返事を出すが、それをまた女が「母子ともに火刑に処せ」と書き換える→〔手〕1

★5.手紙を書き換えて、人の運命を変える。

『史記』「李斯列伝」第27  秦の始皇帝は自らの死期を悟り、子の扶蘇あてに「軍を蒙恬に委嘱し、汝が私の葬儀を行なえ」との書面を作った。しかし趙高が、胡亥(二世皇帝)と李斯を仲間に引き入れて、「扶蘇は不孝者であるゆえ自決せよ。蒙恬は不忠者ゆえ自殺せよ」と、書面を書き換えた〔*同・「秦始皇本紀」第6に簡略な記事〕。

『曾我物語』巻2「橘の事」  北条時政には三人の娘がおり、長女(政子)は二十一歳、次女は十九歳、三女は十七歳だった。源頼朝が十九歳の次女を望み、手紙を送る。ところが、家臣の藤九郎盛長が「次女は悪女(醜女)だから、頼朝公の愛情は長くは続くまい」と考え、手紙のあて先を、美人の評判高い長女に書き換える。頼朝は、次女ではなく長女と結婚することになった〔*手紙を次女あてから長女あてに書き換えた頃、北条家では次女の見た夢を長女が買い取っていた→〔夢の売買〕1〕。

 

 

【書き間違い】

★1a.人名を書き間違えて、不幸を招く。

『黒白』(谷崎潤一郎)  悪魔主義の作家水野は、彼自身を思わせる主人公が殺人を犯す小説『人を殺すまで』を執筆するに際し、殺される男のモデルに、知り合いの雑誌記者児島を選んで、名前を「児玉」と変えた。しかし徹夜で執筆するうち、二〜三ヵ所「児島」と書いてしまい、それが雑誌に載る。水野は「万が一、実際に児島が誰かに殺されるようなことが起こったら、自分が犯人と疑われる」と不安になる。彼の不安は適中し、児島は何者かに殺された。水野は犯人と見なされ、警察に連行される。

『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)「ライター芝居」  シナリオを書いてライターに入れ、点火すると、まわりの人物がそのとおりに動く。ジャイアンとスネ夫が犬をひっぱり、ダックスフントのように胴がのびた「のび犬」を作ろうとしているところへ、のび太が行き、西部劇風のシナリオを使って二人をやっつける。しかしシナリオの「のび太」を「のび犬」と書き間違えたため、のび太の活躍を見ていたしずちゃんは、犬にすがりつき、手を取り合って去って行く。

★1b.外来語を書き間違えて、不幸を招く。

『雪中梅』(末広鉄膓)上編第4〜5回  政治家志望の青年・国野基は、英和辞書『ダイヤモンド』を友人武田猛に贈る手紙に、間違えて「ダイナマイト」と書く。国野基はすぐ誤りに気づいて「ダイナマイト」の文字を墨で消し、横に「ダイヤモンド」と訂正するが、そのことがかえって警察の疑いを招き、彼は国事犯として収監される。

★2.思いがけない事故で、書いた文字が別の字になってしまう。

『剪燈新話』巻3「富貴発跡司志」  何友仁は四十五歳の時、立身出世の神から「日に遇いて康く、月に遇いて発し、雲に遇いて衰え、電に遇いて没す」と記したものをもらった。以後、彼は傅日英、達理月沙という人に会って中央の高官になり、雲石不花という人のために雷州に左遷され、お告げどおりの運命だった。ある時、彼は書類に「雷州の文書係」と書いたが、風で紙がめくれ、「雷」が「電」になってしまった。その夜、彼は病気になり、まもなく死んだ。 

★3.心の中の思いが、書き間違いとしてあらわれる。

『アラカルトの春(献立表の春)』(O・ヘンリー)  ニューヨークのタイピスト、セアラは、連絡の取れない恋人ウォルターを想いつつ、レストランのメニュー作りの仕事をし、文字を打ち違える。セアラを捜すウォルターは、たまたま入ったレストランで「ゆで卵つき、いとしいウォルター」と書かれたメニューを見て、セアラの居所を知る。

『精神分析入門』(フロイト)「間違い」第4章  殺人犯Hは「細菌学者」と称して、科学研究所から病原菌の培養を手に入れ、身辺の人々を殺そうとたくらむ。ある時Hは、培養菌に効力がないことを研究所長に訴える書類を書くが、「二十日鼠やモルモットで実験した」とすべきところ、「人間で実験した」と書いてしまった〔*しかし研究所の医者たちは、この書き間違いの重大性に気づかなかった〕。  

★4.文字を知らないので、当て字を書いてしまう。

『おぼえ帳』(斎藤緑雨)1  女郎が客に金を無心するが、断られる。女郎は「愛想づかしも手管(てくだ)の一つ」と思案し、「もう別れましょう」との手紙を客に送る。ところが文字を知らぬゆえ、「なき縁」と書くべきところを「なき円」と書いてしまった。手紙を読んだ客は、あまりのおかしさに、女郎の言うままの金額を与えた。

★5.書き落とした点を、あとから書き足す。

『今昔物語集』巻11−9  弘法大師が勅命を受けて、大内裏の南面の諸門の額(がく)を書いた。ところが應(応)天門の額を打ちつけてから見上げると、「應」の字の最初の点が書かれていなかった。驚いた弘法大師は、下から筆を投げ上げて点をつける。人々は手をたたいて感嘆した。

*「龍」の字の点を後から打った、という物語もある→〔文字〕5の『かるかや』(説経)、『弘法大師の書』(小泉八雲)。

★6.わざと違った文字を書く。

『太平記』巻12「大内裏造営の事」  かつて大内裏が造営された時のこと。高野大師(弘法大師)は、「小国である日本の天子が、このような大内裏を造るならば、やがては国の財力も尽きるであろう」と案じた。大師は、諸門の額(がく)を書くに際して、大極殿の「大」の字の真ん中を切って「火」という字にし、朱雀門の「朱」の字を「米」という字に変えた→〔文字〕4〔*後に大極殿から火が出て、八省をはじめすべての役所が焼失した〕。

★7.活字の誤植。

『ねじ式』(つげ義春)「あとがき」  漫画の締め切りに追われた「ぼく」は、描く材料がないのに困り、自分の見た夢をヤケクソで描いた。それが『ねじ式』だ。だから、原稿の「××クラゲに左腕を噛まれた(*→〔片腕〕5)」が、誤植で「メメクラゲ・・・・・・」となっていても、気にしなかった。しかし後に『ねじ式』は「芸術作品だ」と騒がれた。

 

 

【架空の人物】

★1.現実には存在しない人物を設定する。

『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(オールビー)  子供のない中年助教授ジョージと妻マーサは、架空の息子を想像して育てている。ある夜マーサは、新任教員ニックと妻ハニーを招き、ジョージから口止めされているにもかかわらず、「明日は息子の二十一歳の誕生日だ」とハニーに語り、酔ってニックを誘惑する。ジョージは怒り、「息子が昨日自動車事故で死んだ、との電報が届いた」と言う。ニック夫妻は、息子が実在しないことを悟って帰り、ジョージとマーサは二人だけの生活を立て直そうと考える。

『群集』(キャプラ)  女性新聞記者アンが、ジョン・ドーという架空の一市民を設定し、「彼は現代社会に抗議して、市庁舎から飛び降り自殺する決意だ」との記事を書く。記事は大反響を呼んだので、新聞社は、ウィロビーという無名の男(演ずるのはゲーリー・クーパー)にジョン・ドーを演じさせる。ジョン・ドー(ウィロビー)はマスコミに登場し、有名人となる。しかし自分が選挙運動に利用されていることを知った彼は、クリスマス・イブの夜、本当に市庁舎から飛び降りようとする。アンが必死に彼を止める。

『三角関係』(星新一『妖精配給会社』)  「おれ」と「僕」が、「あたし」をめぐって争い、「おれ」は「僕」に決闘を挑む。「僕」はあきらめて身を引くが、「あたし」も「おれ」と別れて去って行く。取り残された悲しみで泣く「おれ」に、医者が言う。「あなたは船の難破で孤島に一人漂着し、淋しさから頭の中で女性を作りあげ、さらに変化を求めて若い男を作った。しかしやっと全快したようだ」。

『ショーシャンクの空に』(ダラボン)  終身刑の囚人アンディ(演ずるのはティム・ロビンス)は、刑務所長の不正蓄財を手助けする(*→〔トンネル〕5)。アンディは、架空の人物スティーブンスを書類上に創作し、刑務所長の手に入る賄賂を、スティーブンスの銀行口座に振り込ませる。こうしておけば、仮に賄賂の受け取りが発覚しても、警察はスティーブンスを追い、刑務所長は無事なのである。しかし後にアンディは脱獄してスティーブンスになりすまし、刑務所長の貯めた大金をすべて自分のものにした。

『まじめ(Being Earnest)が肝心』(ワイルド)  田舎に住むジャックは、架空の弟「アーネスト」を作り上げ、「ロンドンにいる弟アーネストがしょっちゅう不始末をしでかすので、様子を見に行かねばならない」と言って、頻繁にロンドンへ出かける口実とする。ジャックはロンドンでは「アーネスト」と名乗って羽を伸ばし、グウェンドレンという娘と知り合う→〔名前〕9

*架空の娘を作り上げ、恋文を何通も男に送る→〔にせ手紙〕3の『いたづら』(志賀直哉)。

*孤独な娘が架空の恋人を想像し、彼から自分に宛てた手紙を書く→〔恋文〕4の『葉桜と魔笛』(太宰治)。

*架空のスパイをでっち上げ、それによって本物のスパイの存在を隠蔽する→〔隠蔽〕7の『北北西に進路を取れ』(ヒッチコック)。

*第一の人物を抹殺して、本来存在しない第二の人物になる→〔一人二役〕2aの『有明の別れ』など。

*第二の人物を造るが、後に抹殺する→〔一人二役〕2bの『あなただけ今晩は』(ワイルダー)。

★2.空想家が出会う現実の女性。

『虹を掴む男』(マクロード)  空想好きのウォルター(演ずるのはダニー・ケイ)はいつも白昼夢を見ており、その中で彼は、勇敢な船長、天才外科医、戦闘機のパイロットなどになって大活躍する。ある日ウォルターは、白昼夢に出てくる美女そっくりのロザリンド(ヴァージニア・メイヨ)と知り合い、それとともに悪漢一味に追われるようになる。現実と白昼夢の両世界に生きるウォルターは、ロザリンドも空想の産物ではないかと疑ったが、彼女は現実の存在であり、ウォルターは悪漢一味を退治して、ロザリンドと結婚する。 

※小松左京や筒井康隆は架空の人物→〔仮想世界〕3の『星新一の内的宇宙(インナー・スペース)』(平井和正)。 

 

 

【核戦争】

 *関連項目→〔原水爆〕

★1.第三次世界大戦。

『世界大戦争』(松林宗恵)  戦後十六年(昭和三十六年)。日本は復興し、人々は平和な生活を享受できるようになった。しかし世界情勢は緊迫し、ついに第三次世界大戦が勃発して、ミサイルが主要都市をねらう。東京は、避難しようとする人々で大混乱になる。運転手の田村茂吉(演ずるのはフランキー堺)は、妻と子供三人の五人家族である。彼らは避難せず、家族そろって最後の食卓を囲む。長女の結婚、次女のスチュワーデスになりたいとの夢、長男の大学進学。田村一家の願うささやかな幸福は、水爆によってすべて無に帰した。

*核戦争に備えて地下の洞窟で暮らす→〔箱船(方舟)〕2の『方舟(はこぶね)さくら丸』(安部公房)。

*核を使わぬ第三次世界大戦→〔相打ち〕4の『秘密兵器』(ブッツァーティ)。

★2a.一人の男の狂気が核戦争を引き起こす。

『博士の異常な愛情』(キューブリック)  アメリカ空軍のリッパー将軍が発狂し、爆撃機編隊にソビエトへの水爆投下を命ずる。アメリカ大統領がソビエト首相に電話して、事情を説明し、爆撃機の撃墜を依頼する。しかし一機が水爆を投下した。自動的にソビエトからは、報復のため多数の水爆が発射された。撒き散らされる死の灰で、人類滅亡は必至である。ストレンジラブ博士(演ずるのはピーター・セラーズ)が、「選ばれた人間が地下深くに避難し、生き残るべきだ」と大統領に説く。地球上のあちらにもこちらにも、キノコ雲が立ち昇る。

★2b.核戦争への恐怖で一人の男が発狂する。

『生きものの記録』(黒澤明)  初老の工場経営者・中島(演ずるのは三船敏郎)は、原水爆戦争と核実験の死の灰を恐れ、「もう日本には住めない。南米なら安全だろう」と考えて、家族ともどもブラジルへ移住しようとする。家族は大反対し、中島が工場を処分したり南米の土地を買ったりせぬよう、彼を準禁治産者にする。中島は「皆は工場に執着しているのだ」と思い、放火して工場を全焼させる。中島は精神病院に収容され、「地球を脱出して安全な星に来たのだ」と喜ぶ。彼は窓外の夕陽を見て、「おお。地球が燃えているぞ」と叫ぶ。

★3.核戦争を起こし、その混乱に乗じて世界を征服しようとする。

『月光仮面』(川内康範/桑田次郎)「ドラゴンの牙の巻」  ドラゴン閣下率いる陰謀組織が、S国の水爆ロケットの進路を狂わせてA国へ打ち込むことによって、第三次世界大戦をひき起こそうとたくらむ。その混乱に乗じて、世界を征服しようというのだ。名探偵祝十郎が、「原水爆戦が始まったら地球の最期だ。ドラゴン、わからんのか。お前らも地球上にいるんだぞ」と説くが、ドラゴンは聞き入れない。祝十郎に代わって月光仮面が現れ、ドラゴンと格闘して縛り上げる。

★4.来たるべき核戦争への、心の準備。

『走れ、走りつづけよ』(大江健三郎)  「僕」の従兄は東大の学生時代、「走れ、走りつづけよ!」と五ヵ国語で記した格言を部屋の壁に貼り、国際的に活躍するエリートを目指していた。しかし従兄は、先祖からの狂気の遺伝により、ホテルの壁伝いに米国人女優の部屋への侵入を試み、墜落して下半身不随になった。従兄は言った。「このような身体になってしまったからこそ、まもなく起こるであろう核戦争による死を、冷静に受け入れることができるのだ」。

*→〔病気〕6bの『古今著聞集』巻2「釈教」第2・通巻51話の、病気の苦痛があるゆえに菩提を求める、というのと同様の考え方。 

★5.核爆弾テロ。

『サンダーボール作戦』(ヤング)  国際犯罪組織スペクターが、NATO(北大西洋条約機構)の爆撃機から原爆二発を盗む。スペクターは、イギリス政府に「一週間以内に一億ポンドを支払え」と要求し、「さもなければ、イギリスかアメリカの主要都市に原爆を落とす」と脅迫する(*→〔時計〕3)。政府から原爆奪還を命じられたジェイムズ・ボンド(演ずるのはショーン・コネリー)が、スペクターのナンバー2・ラルゴと戦い、原爆を取り戻す。

★6.核戦争後の世界。

『渚にて』(クレイマー)  一九六四年一月、夏のオーストラリア。人々は平穏に暮らしていた。しかし北半球では第三次世界大戦が勃発し、核爆発と放射能のために、すべての生命が死滅した。科学者の計算では、五ヵ月後には、放射能がオーストラリアにも達するのであった。季節が移り、しだいに運命の日が迫って来る。病院の前では、安楽死用の薬の配給が始まった。何百人もの人が、薬を受け取るために整然とした列を作った。

 

 

【隠れ身】

★1.術を使って姿を消す。

『有明けの別れ』巻1  左大臣家の一人娘(主人公)は男装して右大将となっており、隠れ身の術を使うことができた。右大将は姿を隠して、多くの女たちを見てまわった。右大将は、継父に言い寄られ犯される女を見て、身ごもった彼女を救い出し、自分の名目上の妻(対の上)とした。

『酉陽雑俎』巻2−79  玄宗皇帝は羅公遠に隠形の術を学んだが、衣の帯が残ったり頭巾の先があらわれたりして、完全に姿を消すことができなかった。羅公遠は「我が術をすべて教えたら、陛下は人の家にしのびこむだろう」と言い、術を用いて去った。

『ラーマーヤナ』第6巻「戦争の巻」第73章  魔王ラーヴァナの息子インドラジトは魔法の力で姿を消し、無数の矢を猿軍に射かけ、多くの猿たちを殺戮した。ラーマも弟ラクシュマナも矢の雨を全身に受け、意識を失って倒れた。

★2.頭巾・蓑・扇などの呪具を身につけて、姿を消す。

『居杭』(狂言)  「居杭」という男が、目をかけてくれる亭主から、いつも「よう来た」といっては頭をたたかれるのに閉口し、清水の観世音に祈願して頭巾をたまわる。亭主の前で頭巾をかぶると居杭の姿は見えなくなる。居杭はさまざまに亭主をからかう。

『隠れ蓑笠』(日本の昔話)  隠れ蓑と隠れ笠を持つ男がおり、姿を消して方々の宴席に侵入しては、酒を飲む。妻が「うちの旦那は蓑と笠があると、酒ばかり飲んで来る」と言って、男の留守中に蓑と笠を焼いてしまう(宮城県登米郡迫町新田)〔*『彦市ばなし』(木下順二)では、彦市が天狗の子をだまして隠れ蓑を手に入れるが(*→〔眼鏡〕4)、妻が「汚い蓑だ」と思って燃やす〕。

『今昔物語集』巻4−24  龍樹菩薩は在俗の折、仲間二人と相談して、隠形(おんぎゃう)の薬を作った。宿り木を五寸に切って、百日陰干(かげぼし)にして薬を造り、髻(もとどり)にさすと、姿が見えなくなるのであった。龍樹たち三人は姿を消して国王の宮殿に入り、多くの后妃を犯した〔*『龍樹菩薩伝』では龍樹と三人の親友が、薬を瞼に塗って姿を消す。「龍樹菩薩に関する俗伝より」と記す『青年と死』(芥川龍之介)では、二人の青年AとBがマントルを着て姿を消す〕→〔足跡からわかること〕1

『風流志道軒伝』巻之4  浅之進(志道軒)は、風来仙人から得た羽扇を背に負って姿を消し、清国・乾隆帝の後宮に入りこんで、夜な夜な官女の閨に忍ぶ→〔足跡からわかること〕1

*ペルセウスがかぶった帽子→〔帽子〕9の『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章。

*ジーフリト(ジークフリート)が着た隠れ蓑→〔難題求婚〕2の『ニーベルンゲンの歌』第6〜7歌章

*指輪をはめて姿を消す→〔指輪〕1の『国家』(プラトン)第2巻など。

★3.薬を飲んで姿を消す。

『透明人間』(H・G・ウェルズ)  科学者グリフィンは、生物を透明にする薬を開発し、自らそれを飲んで透明人間になった。信頼し得る家族も親友も持たぬグリフィンは、姿を見せず他人を攻撃できることを武器に、恐怖政治によって町を支配しようと考える。グリフィンから協力を依頼されたケンプ博士はこれを断り、町の人々とともに透明人間を追い詰める→〔死体変相〕4d

★4.保護色の衣裳を身につけて、姿を消す。

『影男』(江戸川乱歩)「隠形術者」  速水荘吉・綿貫清二・鮎沢賢一郎など、無数の名を持つ「影男」は、黄色や茶色の壁の日本家屋に侵入する時には黄や茶の薄物を身にまとい、森では濃緑、夕方には鼠色の衣裳を着た。闇夜には、真っ黒より、乾いた血のようなドス黒い赤の方が見えにくいことも、「影男」は知っていた。

*夜、黒い板を背負って逃げるので、消えたように見える→〔にせ幽霊〕1の『甲子夜話』続篇・巻41−9。

★5.隠れている場所をわからないようにする。

『日本書紀』巻21崇峻天皇即位前紀  朝廷の衛士(いくさびと)が、捕鳥部万(ととりべのよろづ。物部守屋の従者)を捕らえようと、取り囲む。万は竹林に隠れ、自分の居場所をごまかすために、縄を竹につないで引き動かす。衛士たちは、動く竹を目指して駆け寄り、「万はここにいる」と言う。万は隠れ場所から矢を放ち、衛士たちを倒す〔*しかし万は逃げ切れず、自刃する〕。 

★6.人から「見えない」と言われてそれを信じ、隠れ身になったと思い込む。

『笑林』4「木の葉隠れの術」  ある男が、「かまきりは蝉をねらう時、葉の後ろに姿を隠す」と、本で読んだ。男は多くの葉を取って来て、一枚一枚、手にかまえ、妻に「俺が見えるか?」と聞く。妻は、最初は正直に「見える」と答えていたが、そのうち面倒になって「見えない」と嘘を言う。男はその葉を持って町へ行き、皆の見ている所で盗みをして捕らえられた。

『宝の笠』(狂言)  都のすっぱ(詐欺師)が、「持ち主がかぶった時だけ、姿が消える隠れ笠だ」と言って、普通の笠を太郎冠者に売りつける。太郎冠者が笠をかぶると、すっぱは「見えぬ見えぬ」と言う。太郎冠者は笠を買って帰り、主人にかぶせる。主人の姿が見えたままなので、太郎冠者はすっぱに騙されたと気づくが、「見えませぬ」と言ってごまかそうとする。

*→〔裸〕4の『はだかの王様(皇帝の新しい着物)』(アンデルセン)は、これらとは逆に、見えないものを「見える」と言う。

★7.姿を見えなくされ、声も出せなくされてしまう。

『現代民話考』(松谷みよ子)1「河童・天狗・神かくし」第3章の3  昭和二十年(1945)頃の話。小学校六年の男児が昼間、鶏をいじめたら、神隠しにあって大騒ぎになった。男児は井戸のそばにしゃがんでいたが、家族にはその姿が見えなかった。男児からは家族の姿が見えるのだが、声を出すことができなかった。二昼夜、そういう状態だった(青森県)。 

*座禅をする人の姿が、目に見えない→〔観法〕5の『雨月物語』巻之5「青頭巾」。

*現世の人間が死者の村を訪れるが、死者の目からは、生きた人間の姿が見えない→〔トンネル〕1bの『地獄穴訪問』(アイヌの昔話)。

 

 

【影】

★1a.影が身体から独立する。

『影法師』(アンデルセン)  学者が南国に滞在中、影が身体から離れ、独立して行動するようになる。学者が故郷の北国へ帰ってから何年かの後、影は肉がつき、衣服を着た姿で訪ねて来る。二人は一緒に旅をするが、主客が逆転し、影は「人間」と認められて王女と結婚する。学者は「影」と見なされて殺される。

『耳食録』1「ケ無影」  三十男のケ乙が一人暮らしの無聊に苦しみ、自分の影に話しかける。影は呼びかけに答えて壁から抜け出し、若者や美女に変身する。ケ乙は影を友人とし妻妾として、楽しく暮らす。数年後、影はケ乙に別れを告げ、数万里彼方の離次の山に去る。以後、ケ乙には影がなくなり、「ケ無影」と呼ばれるようになった。

★1b.影が、身体とは異なった形に変ずる。

『閲微草堂筆記』「姑妄聴之」巻16「異形の影」  ある人が灯下で、自分の影を見た。影は巨大な頭部にザンバラ髪、手足が鳥の爪のように曲がる異様な姿だったので、その人は驚愕した。隣りに住む塾の先生が、「あなたはひそかに邪念を抱いている。羅刹がそれに感応して形を現したのだ」と言う。実際、その人は某氏一族殺害を企てていたところだったので恐れ入り、心を改めた。怪しい影は消えた。

★1c.身体から独立した影、と思ったら、それは他の人間が影のふりをしていたのだった。

『少年探偵団』(江戸川乱歩)「黒い魔物」  月の美しい晩。一人の大学生が上野公園の広場にたたずんでいて、地面に映る自分の影が、少しも動かないことに気づく。大学生が数メートル歩いて見ると、影は大学生の身体から離れ、もとの地面に横たわっている。しかも影は白い歯を見せてケラケラ笑ったので、大学生は逃げ出した〔*これは、インド渡来の宝石をねらう怪人二十面相が、自らの犯行を、黒いインド人のしわざに見せかけるためにしたことだった〕。  

★2.影から逃れようと走る人。

『荘子』「漁父篇」第31  男が自分の影を恐れて逃げる。しかし、どんなに速く走っても、影は身体を離れない。男は「まだ走るのが遅い」と思ってどこまでも疾走し、力尽きて死ぬ。日陰に入って影を消すことを、男は知らなかった。

 *桔(くい)から逃れようと走り続け、桔にからみついてしまう→〔周回〕4の繋驢桔(けろけつ)の故事。

★3.影取り沼。

影とりの池の伝説  新田義貞に仕える武将・小山田高家は、摂津で戦死した。関東の留守宅で悲報を聞いた奥方は、村境の長池に身を投げ、侍女たちもそのあとを追って次々に入水すえる。以来、池からは、すすり泣きの声が聞こえるようになった。女性がその池水に影を映すと、心気もうろうとなって、水底に誘いこまれるという(東京都町田市)。

『なら梨とり』(日本の昔話)  病気の母親が、「奥山のなら梨が食べたい」と言う。親孝行の三人兄弟が山へ行き、沼のほとりの木に登って、なら梨を取ろうとする。影が水に映ったため、太郎と二郎は沼の主に呑まれる。三郎は刀を持って行き、沼の主を切り殺す。太郎と二郎も、沼の主の腹中から救い出され、母はなら梨を食べて病気が治る(岩手県稗貫郡)。

★4a.ふかに影を呑まれる。

『ふかと影』(日本の昔話)  舟が動かなくなり、船頭が「この中に、ふかに影を呑まれた人がいるので、めいめいの手拭いを海に投げ入れよ」と言う。一人の手拭いが沈み、その人がふかに喰われる。

★4b.怪物に影を取られる。

『ラーマーヤナ』第5巻「優美の巻」第1章  羅刹女シンヒカーは、餌物の影を捕えれば、それを食うことができる。空飛ぶ猿ハヌマト(ハヌーマン)は何者かに強く引っ張られ、シンヒカーに影を取られたことを知る。ハヌマトはシンヒカーから逃れようとせず、その口の中へ飛び込む。ハヌマトは鋭い爪でシンヒカーの体を切り裂き(心臓を引き抜いた、とも言う)、致命傷を負わせて外へ飛び出る。

★5.影を踏まれる。

『影を踏まれた女』(岡本綺堂)  陰暦九月十三夜の前夜、十七歳の娘おせきは、いたずらな子供たちに影を踏まれた。おせきは「影を踏まれると寿命が縮まるのではないか」と恐れ、以後、月明かりのみならず日光や燈火さえ避け、影ができないようにした。翌年の九月十三夜、外へ出たおせきの影は骸骨の形に見え、通りかかりの侍が彼女を斬り捨てた。

★6.影で居場所がわかる。

『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)第23章  マルケ王と家来の小人メロートは、王妃イゾルデとトリスタンの密会の現場をおさえるべく、果樹園のオリーブの樹上に登って待つ。トリスタンとイゾルデがそこへ来るが、月に照らされた影を見て、王たちが隠れているのを知り、二人は互いの潔白を示すごとき会話をして別れる。

★7a.長い影と短い影。

『金枝篇』(初版)第2章第2節  アンボンとウリエーズという二つの島は赤道に近いので、正午になると、ほとんど影ができない。このため、島には「正午に家から出てはならない」との掟がある。外に出ようものなら、人は自分の魂である影を、失ってしまうのだ。

『金枝篇』(初版)第2章第2節  マンガイア(南太平洋、タヒチ近くの島)の人々は、戦士トゥカイタワの物語を語る。トゥカイタワの力は、影の長さによって強くも弱くもなる。朝はいちばん長い影が落ちるので、彼の力は最大である。正午に近づくにつれ影は短くなり、彼の力も失せて行く。午後、影が長くなると彼の力も戻る。一人の英雄がトゥカイタワの力の秘密を発見し、力が最小となる正午に彼を殺した。

★7b.夕日によってできる影。

『杜子春』(芥川龍之介)  春の日暮れ、一文無しの杜子春は「いっそ死のうか」と考える。片目眇(すがめ)の老人が現れ、「夕日の中に立ち、お前の影が地に映ったら、頭に当たる所を夜中に掘れ。黄金が埋まっている」と教える。杜子春は大金持ちになるが、三年のうちに財産を使い果たす。再び老人が「影の胸の所を掘れ」と教え、杜子春は大金持ちになり、また三年で財産を失う。

★8.影となった女。姿は目に見えるが実体がなく、手でとらえることはできない。

『饗宴』(プラトン)  オルフェウスは、死んだ妻をこの世に連れ戻そうと、冥府を訪れた。しかし神々は、妻の影(*Penguin Classics の英語訳では "phantom" )を見せただけで、その本体をオルフェウスに返し与えることはしなかった。オルフェウスは目的を果たさずに、冥府から帰った〔*ファイドロスが語る物語。『変身物語』(オヴィディウス)巻10などでは、ふりかえって妻の姿を見たため連れ戻せなかった、とする〕→〔禁忌(見るな)〕2

『竹取物語』  帝がかぐや姫の家を訪れ、彼女の袖をとらえて、強引に連れて行こうとする。するとかぐや姫は、影になってしまった。そのありさまを見た帝は、「やはり、かぐや姫は普通の人間ではなかったのだ」と悟り、宮中に召すことをあきらめた。

★9.木の影(蔭)。

蔭無し桜の伝説  昔、隠岐の国に、木の影がさして耕作不能の所があった。ある人が「これは、出雲の須佐神社の境内の桜の影だ」との夢想を得たので、隠岐から須佐神社に願って、桜の木を伐ってもらった。切り口から芽が出たが、背丈ぐらいになると枯れる。その後また芽が出る、という具合で、茂らず枯れず、大きくならないまま今に至っている。これを「影(蔭)無し桜」という(島根県簸川郡佐田町)。

 

 

【影のない人】

★1.身体から影を奪われる。

『影をなくした男』(シャミッソー)  青年シュレミールは自分の影を、灰色の燕尾服の男(その正体は悪魔)に譲り渡す。彼は影がないために、人々から後ろ指をさされ、子供たちにからかわれ、馬糞を投げられる。太陽や月の光に当たらぬように用心して暮らすが、影のないことを恋人ミーナにも知られ、ミーナの両親はシュレミールの求婚を拒絶する→〔靴(履・沓・鞋)〕1

『バベルの塔の狸』(安部公房)  詩人の「ぼく」が公園のベンチに坐っていると、「ぼく」の日頃の空想から生まれた「とらぬ狸」が現れ、「ぼく」の影をくわえて逃げる。影がなければ、影の原因の肉体も消えるのが当然で、「ぼく」は透明人間になる。「ぼく」は、人間たちの空想の集積であるバベルの塔を訪れるが、気づくと再び公園のベンチに坐っていた。

『ピーター・パン』(バリ)1〜3  ピーター・パンがウェンディたちの部屋を訪れるが、犬のナナに追われて窓から逃げる。ナナは急いで窓を閉め、ピーターの影法師だけがちぎれて残った。翌週の金曜日の夜、ピーターは影法師を取り戻しに来る。しかし影法師を身体にくっつけることができず、ピーターは泣き出す。ウェンディが目を覚まし、針と糸を用いて、影法師をピーターの足に縫いつけてくれる。

★2.影を持たない存在が、影を得ようとする。

『影のない女』(ホフマンスタール)  精霊の王の娘が、人間世界の帝と結婚して妃になるが、彼女には影がない。一年以内に妃が影を得なければ、帝は石にされてしまう定めである。妃は、染物屋の女房の影を買い取ろうと考える。しかしそれは、女房を堕落させ染物屋夫婦の仲を裂くことになるので、妃は影を得ることを断念する。この自制の心によって、妃の身体には影ができ、すでに石になりかけていた帝も、もとの人間の姿に戻った。

★3.仙人には影がない。

『列仙伝』(劉向)「玄俗」  河間王は、仙人・玄俗に病気を治してもらった。老執事が「父の代にも玄俗を見た。彼には影がない」と言うので、王が玄俗を召して日中に見ると、本当に影がなかった。王は玄俗を姫君の婿にしようと考えたが、玄俗は姿をくらましてしまった。

★4.霊体には影がない。

『神曲』(ダンテ)「煉獄篇」第3歌  「私(ダンテ)」は古代ローマの詩人ヴェルギリウスに導かれて地獄へ下り、次いで煉獄の山を登る。太陽が背後で赤々と燃え、「私」の前に影を落とす。しかしともに歩くヴェルギリウスには影ができず、「私」は驚く。ヴェルギリウスの肉体は埋葬されており、ここにいるのは彼の魂だった。

『聊斎志異』巻11−420「晩霞」  水死した阿端と晩霞は、龍宮で恋に落ちるが仲を裂かれ、龍宮の川に身投げしてこの世へもどる。二人は結婚し子供もできるが、幽霊なので影がなかった。

*幽霊と人間の間にできた子供は、影が薄い→〔像〕2の『聊斎志異』巻5−190「土偶」。 

*老年になってからもうけた子供には、影ができない→〔老翁〕5の『棠陰比事』6「丙吉験子」。

*平将門の影武者(分身)六体には影がない→〔夫の弱点〕1の『俵藤太物語』(御伽草子)。

 

*鏡に影(姿)が映らない→〔鏡に映らない〕に記事。

※「自我」と「影」→〔ともし火〕3の『ユング自伝』3「学生時代」。

 

 

【駆け落ち】

★1.結婚を許されぬ男女が、一緒に逃げる。

『西鶴諸国ばなし』巻4−2「忍び扇の長歌」  中小姓程度の身分の男が某大名の姪の姫君を見そめ、その屋敷に奉公する。二年ほどたつうち姫君の方でも男の恋を知り、二人は駆け落ちして、裏長屋に隠れ住む。しかし半年余で見つかり、男は処刑され、姫君も自刃を強要される。姫君は自害を拒否し、「一生に一人の男を持つのは不義にあらず」と言って仏門に入る。

『更級日記』  武蔵国の男が宮中の衛士となり、庭を掃きつつ、故郷の酒壺に浮かぶ瓠(ひさご)を思い浮かべて、独語した。それを聞いた帝の娘が、「私を武蔵へ連れて行き、酒壺の瓠を見せよ」と命ずる。男は皇女を背負い、七日七夜かけて武蔵へ到る。都からの追手に対し、皇女は「私は男とともに武蔵に住む」と宣言する。父帝はそれを許し、武蔵国を男に与えた〔*私(菅原孝標女)が武蔵国で聞いた古伝説〕。  

『史記』「司馬相如列伝」第57  富豪の卓王孫が大勢の客を招き、その中に貧書生の司馬相如がいた。司馬相如は琴の名手だったので、卓王孫の娘で寡婦の文君は彼に心ひかれ、二人は駆け落ちする。二人は酒屋を営んで、生計を立てる。文君が酒売り場を担当し、司馬相如は褌一つになって雇い人たちとともに働く。卓王孫は怒ったり恥じ入ったりしたが、やがて考え直し、文君に奴僕百人・銭百万と衣類や家財を与えた。 

*友人の妻を奪って逃げる→〔兄妹〕5の『門』(夏目漱石)。

★2.駆け落ちした男女が離れ離れになってしまう。

『運命の力』(ヴェルディ)  レオノーラはアルヴァーロと駆け落ちするが(*→〔銃〕5)、夜の闇の中、二人は離れ離れになってしまう。彼らはともに、「もう愛する人には逢えぬ」と絶望する。レオノーラは洞窟に住んで隠者となる。アルヴァーロは修道院に入って神父となる〔*数年後、レオノーラの兄がアルヴァーロに決闘を挑んだことがきっかけで、レオノーラとアルヴァーロは再会する。兄は決闘に負けて致命傷を負う。兄は最後の力をふりしぼり、家名を汚した妹レオノーラを刺殺する〕。 

★3.駆け落ちの未遂。

『戦争と平和』(トルストイ)第2部第5篇  少女ナターシャはアンドレイ公爵と婚約するが、結婚までの間、二人は遠く離れて暮らさねばならなかった(*→〔妻〕5)。妻帯者であるアナトーリが甘言をもってナターシャを誘惑し、ナターシャは「自分はアナトーリを愛しているのだ」と錯覚する。アナトーリの「駆け落ちしよう」という手紙を繰り返し読むうちに、ナターシャは眠ってしまう。従姉ソーニャが手紙を見て、大人たちに知らせる。皆はナターシャの駆け落ちを阻止する。

★4.駆け落ちしようとする二人(人妻とその恋人)のところへ、夫が駆けつける。

『予期せぬ出来事』(アスキス)  人妻フランセス(演ずるのはエリザベス・テーラー)と恋人マークが、駆け落ちすべく空港ラウンジにいるところへ(*→〔飛行機〕5)、フランセスの夫ポール(リチャード・バートン)が駆けつける。ポールは、フランセスを失うようなことになったら、自殺する覚悟だった。フランセスは、「ポールは私なしでは生きていけない。マークは、私がいなくても生きていけるだろう」と考え、夫ポールのもとへ戻る。

★5.駆け落ちの相手に棄てられる。 

『旧雑譬喩経』巻上−20  金持ちの女が、金銀と衣服を持って、男と駆け落ちする。流れの急な川まで来ると、男は「金銀と衣服を、おれが先に向こう岸へ運んでやろう。その後、お前を迎えに戻って来るよ」と言う。しかし男は、金銀と衣服を持ったまま逃げ、戻っては来なかった〔*『パンチャタントラ』第4巻第11話に類話〕→〔二者択一〕6b

★6a.「駆け落ち」と言って娘をだまし、誘拐する。 

『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)(河竹黙阿弥)  材木商・白子屋の娘お熊は、手代忠七と恋仲だったが、彼女は他家から婿を取らねばならなくなる。出入りの髪結い新三(しんざ)が駆け落ちを勧め、雨の夜に二人を連れ出す。ところが途中で、新三は忠七に暴行を加えて置き去りにし、お熊を裏長屋の狭い戸棚に閉じ込める。駆け落ちを勧めたのは、お熊を誘拐するための策略で、新三は白子屋から、多額の身代(みのしろ)金を取ろうとたくらんでいた。

★6b.「娘が誘拐された」と思ったら、実は駆け落ちしていたのだった。 

『黒手組』(江戸川乱歩)  「私」には金持ちの伯父がおり、その娘・富美子が行方不明になって、賊徒「黒手組」から、身代金一万円〔*大正十四年(1925)当時〕を要求する脅迫状が届いた。伯父は一万円を指定場所へ届けるが、富美子は帰って来ない。実は富美子は誘拐されたのではなく、恋人と駆け落ちしたのだった。それを知った伯父の家の書生・牧田が、「黒手組」と名乗って誘拐事件のように見せかけ、伯父から一万円を騙し取ったのだ〔*「私」の友だち明智小五郎が、富美子を駆け落ち先から連れ戻した〕。

*「男が駆け落ちした」と思ったら、実は殺されていたのだった→〔隠蔽〕6の『大いなる眠り』(チャンドラー)。

 

※女が、夫を殺した男と駆け落ちする→〔名付け〕8の『大菩薩峠』(中里介山)第15巻「慢心和尚の巻」。

※男女が駆け落ちしようとするが、女が待ち合わせ場所に来ない→〔待ち合わせ〕1の『愛染かつら』(野村浩将)。

※駆け落ちの予告→〔手紙〕9の『三人の妻への手紙』(マンキーウィッツ)。

 

 

【賭け事】

★1.鬼と賭け事をして勝つ。

『長谷雄草子』(御伽草子)  見知らぬ男が、中納言長谷雄に双六の勝負を挑む。男は絶世の美女を、長谷雄は財宝をそれぞれ賭け物にして、朱雀門の上で双六を打つ。男は形勢不利になり、興奮して鬼の正体を現す。長谷雄はかまわず打ち進め、勝利を収める。

★2a.死神と賭け事をして勝つ。

『午後の出来事』(星新一『おせっかいな神々』)  青年が、見知らぬ黒服の男とトランプのゲームをして勝つ。黒服の男は負けを認め、青年が持っていた演奏会の入場券を取り上げ、破り捨てる。青年は演奏会に行けなくなったので怒る。その夜、演奏会の最中に照明装置が、青年のすわるはずだった席に落ちた。青年は、黒服の男(死神)とのトランプに勝ったから、命拾いしたのだった。

★2b.死神と賭け事をして負ける。

『第七の封印』(ベルイマン)  十字軍の騎士(演ずるのはマックス・フォン・シドー)の前に、死神が現れる。騎士は死神にチェスの勝負を挑み、「私が勝ったら見逃してくれ」と請う。死神は承知して、騎士とチェスをする。死神が勝ち、騎士は負ける。死神は、騎士とその妻、従者、鍛冶屋夫婦など数人を、死の世界へ導く。彼らは手をつないで一列になり、死神に連れられて丘の上を歩いて行く。

★3.神様どうしの賭け事。

博奕を打った神様の伝説  今御門町にある道祖神と、元興寺町の御霊(ごりょう)様が、博奕を打った。道祖神が負け、その氏子は全部御霊神社にとられた。そのため、御霊神社は今でもたくさんの氏子を持っており、道祖神の方はわずかに今御門だけを氏子としている(奈良市・元興寺町)→〔蚊帳〕6

★4a.賭け事に負けて王国を失う。

『マハーバーラタ』第2巻「集会の巻」  クル家の百人兄弟の長男ドゥルヨーダナは叔父シャクニと謀って、パーンドゥ家の五人兄弟の長男ユディシュティラを賽子(さいころ)賭博に招く。賽子の達人シャクニのためにユディシュティラは負け続け、ついに自分の治める王国を失う。ユディシュティラは、四人の弟(ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァ)及び彼ら五人の共通の妻ドラウパディーとともに、追放される。彼らは、森で十二年間の放浪生活を送る。

『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」  魔王カラは、ナラ王がダマヤンティ姫の婿になったことを憎み、ナラ王の弟プシュカラをそそのかしてナラ王と賽子賭博をさせる。ナラ王は賭に負け、王国も財産も失う。彼は着の身着のままで妃ダマヤンティとともに王宮を出て、森をさまよう〔*物語の最後でナラ王はもう一度プシュカラと賭をして、王国を取り戻す〕。

★4b.賭け事に負けて財産を失う。身代をつぶす。

『嵐が丘』(E・ブロンテ)  アーンショー家に拾われた孤児ヒースクリフは、長男ヒンドリーに虐待された。十代の末頃にヒースクリフは家出し、三年後に立派な紳士となって戻って来る。ヒースクリフはヒンドリーを博打に誘い、ヒンドリーは博打に負け続けて、家も土地も失う。ヒンドリーの病死後、その息子ヘアトンは、ヒースクリフの召使にされてしまう。

『本朝二十不孝』(井原西鶴)巻3−2「先斗に置いて来た男」  投機で財を成した八五郎は吝嗇だったが、ある時、加留多(カルタ)の勝負に一度に二十両を賭ける。人々が驚くと、「即座に二倍儲かる商売は他にない」と言って、以後は博奕にふける。しかしその道の玄人の手玉に取られて、身代をすっかり失った。

★5.魔術など超自然的方法で賭け事に勝とうとする。

『スペードの女王』(プーシキン)  トランプの必勝法を知る老伯爵夫人に、その秘密を教えるよう工兵士官ゲルマンが強要し、老伯爵夫人は恐怖の余り死んでしまった。葬儀の夜、老伯爵夫人がゲルマンの枕元に立ち、「3、7、エースの順に賭ければ勝つ」と告げる。その通りにしてゲルマンは途中まで勝つが、最後に引いたエースがスペードの女王に変わり、老伯爵夫人に似た顔で笑う。ゲルマンは発狂する。

『魔術』(芥川龍之介)  「私」は欲を捨てる約束をして、印度人ミスラ君の家で魔術を習う。一ヵ月後、「私」は倶楽部で友人たちと骨牌(トランプ)をし、全財産を賭けた勝負を挑まれたため、魔術を使って勝つ。そのとたん骨牌のキングが笑い、「私」はミスラ君の家にいることに気づく。一ヵ月経過したと思ったのは、ほんの二〜三分間の夢だった。

★6.賭け事に絶対負けぬ法。

『東坡志林』(蘇軾)「道人の戯語」  道人が寺でいろいろなマジナイの秘法を売っており、その中に「賭博に絶対負けぬ法」と記した封筒があった。若者がそれを千金で買い、帰ってから開けて見ると、「賭博をするな」と書いてあった〔*当たり前のことが書いてあった、という点で→〔旅〕6の『古代の秘法』(星新一)と類似の発想〕。

★7.勝っても負けても結果は同じ賭け事。

『遊仙窟』(張文成)  旅人の「私」は、十七歳の寡婦・崔十娘(じゅうじょう)の屋敷に一夜の宿を請い、手厚くもてなされた。「私」は十娘に双六の勝負を挑み、「伏床(ふしど)を賭けましょう」と提案する。「十娘さまが負けたら、私と同じ床で一晩いっしょに寝ていただきます。私が負けたら、十娘さまと同じ床で一晩いっしょに寝ましょう」。十娘は「ずいぶんお上手なお考えですわ」と笑った→〔一夜妻〕1。 

★8.この世でもあの世でも賭け事。

『子不語』巻3−75  賭博好きの李某は、重病で死に瀕しながらも「丁だ、半だ」とわめき、「陰司の賭神と勝負しているのだ」と言った。「紙銭一万を焼けば、俺は生き返らせてもらえるだろう」と言うので、家人はそれを信じて紙銭を焼いたが、李は死んでしまった。ある人が言った。「李は、あの世で博打(ばくち)を打つために、紙銭一万を騙し取ったのだ。もともと娑婆に戻る気はなかったのさ」。 

 

※ロシアン・ルーレットによる賭け→〔ロシアン・ルーレット〕3の『ディア・ハンター』(チミノ)。 

 

 

【影武者】

★1.武将の身代わりとなって、敵の目をあざむく。

『影武者』(黒澤明)  武田信玄が「我が死を三年間秘せ」と遺言する。敵のみならず味方をも欺くべく、信玄に瓜二つの泥棒(演ずるのは仲代達矢)が、影武者に仕立て上げられる。しかし彼は落馬したため側室たちに介抱され、川中島の合戦で受けた刀傷がないことから、にせ者であるとわかり、追放される。

『古事記』中巻  応神天皇の皇子・大山守命は軍備して、弟・宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)を攻め、天下を得ようとした。宇遅能和紀郎子は、舎人を王のごとく変装させ、宇治の山上に絹の幕を張り、呉床に座らせた。百官が舎人に敬礼するので、大山守命はこれを見て、「宇遅能和紀郎子は山上にいる」と思った。

『南総里見八犬伝』第5輯巻之3第45回  犬山道節は、主君の仇である関東管領・扇谷定正をねらう。道節は、狩りから帰る定正の行列を待ちうけ、「名刀村雨(犬塚信乃所持の刀で、網乾左母二郎が盗み、それを犬山道節が手に入れた)を買ってほしい」と言って近づく。道節は刀を献上するふりをして定正を捕らえ、首を取る。しかしそれは定正本人でなく、影武者だった。

*ロボットの影武者→〔二者同想〕4の『2から2を消せば2』(手塚治虫)。

★2.六人の影武者。

『俵藤太物語』(御伽草子)  平将門には、まったく同じ姿の人物が六人、常に影のごとくつきそっており、どれが本物か見分けることはできなかった。寵愛する女房・小宰相の局を訪れる時にも、本物+影武者の七人連れであった。俵藤太秀郷が、本物と影武者の見分け方を知り、将門を討った→〔夫の弱点〕1

★3.死んだのは影武者で、本物は生きているかもしれぬ、との期待。

『西郷隆盛』(芥川龍之介)  史学科の学生・本間は、急行列車の食堂車で出会った老紳士から「西郷隆盛は生きている。今、隣の一等車に乗っている」と聞かされる。一等車を見ると、たしかに西郷らしい男がいる。本間は「西南戦争で戦死したのは、よく似た別人だったのだろうか? そんなに似た人間がいるものだろうか?」と問う。老紳士は「よく似た人間は、いる。現に一等車の男は、私の友人だが、西郷そっくりだろう」と答える。歴史学者である老紳士は本間に、史実認定の難しさを説いた。 

『和漢三才図会』巻第65・大日本国「陸奥」  俗に伝えて言う。源義経は、よく似た人が彼の代わりに死に、自らは家を焼いて蝦夷島(えぞがしま)へ遁(のが)れた。蝦夷島の人は義経に服従し、義経はここで天寿を全うした。土地の人は沙古丹(シャコタン)に義経の祠を建てて神とした(*→〔呪文〕4)。この説は正しいと思われる。鎌倉へ送られた首に少々の異があっても、頼朝はしいて詮索しなかっただろう。

*キリストの場合も、弟が身代わりに死んだ→〔処刑〕1bのイスキリの伝説。

★4.二十世紀の政治家にも、影武者が用いられることがある。

『鷲は舞いおりた』(スタージェス)  一九四三年。ドイツ軍が、イギリスの首相チャーチルをベルリンへ誘拐しようと計画する。ドイツの落下傘部隊十六名が、チャーチルの静養地である某村へ降下する。アメリカ軍との戦闘になり、落下傘部隊のほとんどが死ぬ。生き残った隊長が、チャーチルの滞在する建物に潜入し、彼を射殺する。しかしそれは影武者だった。その時、本物のチャーチルはテヘランにいて、ルーズベルトやスターリンと会談していた。

★5.戦時ではなく平時に、敵ではなく女性を欺く影武者もいる。

『会議は踊る』(シャレル)  ウィーン会議の時、宰相メッテルニヒは自分に都合が良いように議事を進めるため、論敵のロシア皇帝アレクサンドルが会議を休むよう、はかりごとをめぐらす。メッテルニヒの依頼を受けたフランスの伯爵夫人がアレクサンドルを誘惑し、会議と同時刻に始まる茶会への招待状を送る。アレクサンドルもメッテルニヒのたくらみは承知の上で、影武者を茶会に行かせ、自身は会議に出席する。 

 

 

【過去】

★1.過去を隠す・消す。

『こころ』(夏目漱石)上「先生と私」5〜6  「先生」は、雑司ヶ谷のKの墓に毎月墓参りする。「先生」を尊敬する「私」が「墓参のお供をしたい」と言うと、「先生」は「あなたに話すことのできない理由があって、他人といっしょにあそこへ墓参りには行きたくない」と答え、過去を隠す→〔下宿〕1a

『欲望という名の電車』(ウィリアムズ)  ハイスクールの女教師ブランチは、生徒との関係をはじめとする性的スキャンダルで、町を追われた。彼女は過去を隠し、ニューオリンズの貧民街のアパートに住む妹のもとに、身を寄せる。しかし妹の夫スタンリーが、上品ぶったブランチを嫌悪し、彼女の過去をあばいて強姦する。以前から心を病んでいたブランチはとうとう発狂し、精神病院に収容される。

『レーン最後の事件』(クイーン)  その昔、シェイクスピアが手紙の中に、「自分は親友セドラーによって、毒殺されつつある」と書き残した。それから三百年。セドラーの子孫である男は、先祖の悪行を隠蔽するため、貴重な歴史資料であるその手紙を捜し出して、焼き捨てようとした〔*シェイクスピア劇の名優だったドルリー・レーンが手紙を守り、イギリス王室の所有となるようにはからった〕。

★2.油断・慢心などにより、ついうっかりと過去の悪事を語る。

『アクハト』(ウガリットの古詩)  ヤトパンが、ダニルウ(ダニエル)王の息子アクハトを殺した。七年の喪の後、アクハトの妹プガトが仇討ちの旅に出かけ、ヤトパンの野営する天幕に立ち寄る。ヤトパンはプガトにむかって、問わず語りに過去の殺人行為を述べる。

『グレティルのサガ』79〜86  木を切る時に膝を傷つけたため動けなくなった豪勇グレティルを、釣針のソルビョルンとその部下たちが殺す。後にソルビョルンが、人々にグレティルを殺した自慢話をすると、そこにグレティルの兄・大船のソルステインがいて、ソルビョルンはその場で斬り殺される。

『太平広記』巻432所引『原化記』  客三十余人が会食した時、人間の変身のことが話題になる。「変身譚の多くは妄説だ」と言う人がいたので、一人の男が「私自身、五〜六年前に一時的に虎に変身して、王評事という人を食ったことがある」と語った。ところが、その会席の主人は、王評事の息子であった。主人は、「父の仇だ」と言って男を殺した→〔虎〕3

『発心集』巻8−10  金峰山(きんぷせん)の礼堂で妻と情交した男が、その罰を恐れるが、何事もなく月日が過ぎて行った。四十余年の後、親しい人が金峰山参詣のため精進するのを男は笑い、かつての過ちを語って、「それでも罰は当たらなかった」と言う。すると、その夜のうちに男の両眼はつぶれてしまった。

*夫が過去に犯した殺人を、妻に語る→〔泡〕7の『泡んぶくの仇討ち』(日本の昔話)・〔夫〕9の『くもりのないお天道さまは隠れているものを明るみへ出す』(グリム)KHM115。

*加害者が過去の悪事を語るのとは逆に、被害者がかつて濡れ衣を着せられた災難を語ると、その場に真犯人が居合わせる、という物語もある→〔偶然〕4の『戦争と平和』(トルストイ)第4部第3篇。

★3a.改心して過去の悪事を白状する。

言うな地蔵の伝説  人を殺した男が、現場に立っている地蔵に、「このことを誰にも言うな」と口止めする。地蔵は「わしは何も言わないが、お前こそ言うなよ」と答える。その後、男は良心にかられて自首する。以来、その地蔵は「言うな地蔵」と呼ばれるようになった(滋賀県伊香郡余呉町小谷。*数年後に男は再びそこを通り、道連れの旅人に過去の悪事を語ると、その旅人は殺された人の子であったため、仇を討たれる、という形もある)。

★3b.乱心して過去の悪事を白状する。

『テレーズ・ラカン』(ゾラ)  ラカン夫人は、一人息子カミーユを姪テレーズと結婚させ、老後の世話を彼らに期待する。しかしテレーズは愛人ローランと共謀してカミーユを殺し、事故による水死に見せかける。テレーズとローランはカミーユの幻影に苦しめられ、しだいに精神状態が異常になり、ある夜、ラカン夫人の前でカミーユ殺しを告白する。だが、その時ラカン夫人は中風で口もきけず身体も動かせぬ状態になっており、二人の犯罪を誰にも訴えることができなかった。

*腹中から声がして、過去の悪事を語る→〔生き肝〕5の『南総里見八犬伝』第9輯巻之3第97回

*発狂して、過去の悪事を触れまわる→〔狂気〕3の『日本永代蔵』巻4−4「茶の十徳も一度に皆」。

★3c.過去の悪事が露見したと思いこみ、問われもせぬのに白状する。

『おせつ徳三郎』(落語)  主人が用事で小僧の定吉を呼ぶ。定吉は、かつて行なった小さな悪事がバレて叱られるものと思いこみ、「店の金をくすねて寿司を食べたことですか? 近所の猫を天水桶に放りこんだことですか? 皆、朋輩にそそのかされてやったことです」と弁解する。

『御神酒徳利』(落語)  占いの名人と誤解された善六が(*→〔占い師〕2)、旅宿で盗まれた巾着のありかを占いでつきとめてくれるよう、依頼される。困っていると、犯人である女中が「占い師様は何もかもお見通しだ」と思いこんで、善六の部屋へ来て盗みを告白し、巾着の隠し場所を教える。    

『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版・第1巻44〜45ページ  お菓子が一つなくなったので、サザエがカツオを呼び、「あんただね」と問い詰める。カツオは「どのことさ。ああ。ハンドバッグに蛙を入れたこと?」と言う。サザエは箒を振り上げてカツオを追いかける。

★4a.過去の犯罪行為の経験が、現在の問題解決に役立つ。

『改心』(O・ヘンリー)  金庫破りの名人ジミー・ヴァレンタインは足を洗い、犯罪者だった過去を隠して正業に従事し、銀行家の娘と婚約する。ところが、五歳の少女が金庫室に閉じ込められ扉がどうしても開かない、という事件が起こる。窒息もしくは恐怖によって少女が死ぬ可能性が高いので、ジミーは金庫破りの前身がばれることを覚悟の上で、ドリルを使って扉を開け、少女を救い出す。

★4b.現在の問題解決が、過去の犯罪行為の経験にもとづくことが露見する。

『輟耕録』(陶宗儀)「女の知恵」  ある男が妻に殺されたらしいのだが、死体に傷跡が認められず、取調べの役人は困惑する。役人の妻・韓氏が、「脳天に釘を打ち込んで殺したのかもしれません」と言うので、死体の髪を分けると、太い釘が打ち込まれていた。役人からこのことを聞いた上官は、韓氏が再婚で、先夫と死別していることを知り、その墓をあばく。すると先夫の頭にも釘が打ち込んであり、韓氏がかつて先夫を殺したことが明らかになった。

『煤煙』(森田草平)32で、女主人公眞鍋朋子が、同様の方法で幼い頃、カナリヤを殺したことを語る。「留針をカナリヤの頭に打ち込んだらすぐ死んだ。血も出ないし、柔らかい毛におおわれて留針もわからない。どうして死んだか、家族には知れずじまいだった」。

★5.秘密の過去が暴かれることを恐れ、人を殺す。

『飢餓海峡』(水上勉)  昭和二十二年(1947)、樽見京一郎は犯罪者仲間二人とともに、北海道から青森へ小舟で逃げた。途中で仲間割れが起こり、樽見一人が生き残って、彼は、質屋から盗んだ五十万円を独り占めする。彼は青森で親切な娼婦八重に出会い、彼女に六万円余りを与えた。十年後、舞鶴で会社社長となっている樽見の家へ、八重が礼を言うために尋ねて来る。樽見は過去の悪事がばれることを恐れ、八重を殺した。

『ゼロの焦点』(松本清張)  室田佐知子は女子大卒業の才能豊かな女性だったが、終戦後の一時期、生活のために、立川でアメリカ兵相手の売春婦をしたことがあった。彼女は後に、金沢の煉瓦会社社長と結婚し、地方の名士となって活躍する。しかし彼女の暗い過去を知る元警官鵜原憲一が、思いがけず金沢へやって来た。室田佐知子は現在の生活を守るために、鵜原憲一を殺した。

*癩病者の子だった過去が暴かれることを恐れ、人を殺す→〔ハンセン病〕3の『砂の器』(松本清張)。

★6.過去を創造する。

『偉大なる存在』(小松左京)  この宇宙には、まれに、造物主にも等しい偉大な存在が誕生することがある。日本のキイ半島山中の掘立小屋に住む老人は、心に思うだけで、一つの宇宙人種族を造り出した。その宇宙人たちは、何万年にもわたる堂々たる歴史を持っていた。つまり老人は、宇宙人種族の現在のみならず、過去をも創造したのだ。地球人科学者たちは、既存の科学の崩壊に直面して、何の対応もできなかった。そのうちに老人は、どこかよその星雲へ行ってしまった。 

*過去の記憶はあるが、その過去は実在しない→〔記憶〕12の世界五分前仮説(ラッセル『心の分析』講義\「記憶」)。

 

※過去を変える→〔時間旅行〕2a〜4に記事。

 

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