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【血】

 *関連項目→〔誕生(血から)〕

★1.災いを招く、あるいは退ける目印としての血。

『出エジプト記』第12章  神の過ぎ越しの夜、羊の血を戸口に塗った家だけは、長子の死を免れた→〔目印〕2a

『捜神記』巻13−8(通巻326話)  始皇帝の代に、「城門に血がつくと城は沈んで湖になる」という童謡がはやる。門番が犬の血を城門に塗りつけると、町はたちまち湖になる→〔水没〕1

★2.拭いても拭き取れぬ血。

『青ひげ』(ペロー)  青ひげが旅に出て留守の間に、若い妻が、入室を禁ぜられた小部屋を開けて、数人の女の死体を見つける。妻は驚いて、血の海となっている床に、鍵を落とす。鍵についた血は、どんなに拭いても洗っても消えない。帰って来た青ひげは、血のついた鍵を見て、妻が小部屋を開けたことを知る。

『マクベス』(シェイクスピア)第2幕・第5幕  マクベスがダンカン王を暗殺した時、マクベス夫人が、剣についた血をダンカン王の護衛たちの顔に塗りつけて、彼らに罪をきせた。後にマクベス夫人は夢遊病を発症し、いくら手を洗っても血のしみが消えない、という動作を繰り返すようになった→〔夢遊病〕6

『まっしろ白鳥』(グリム)KHM46  三人姉妹の長女が、魔法使いの男から見ることを禁じられた部屋を開ける。中には血だらけの器があり、切り刻まれた死体が何人分も入っている。長女は驚き、魔法使いから与えられた卵を器の中に落とす。拾い上げて血を拭くが、拭くそばから卵は血の色になる。長女は魔法使いに殺される。次女も同様にして殺される。

★3.拭き取れぬ血を作る困難。

『カンタヴィルの幽霊』(ワイルド)  イギリスの幽霊屋敷の床の血痕を、屋敷に住むアメリカ人一家が新洗剤できれいに消す。翌朝また血痕があらわれるので、これも消してしまう。何度も血痕を消すうち、血の色が日ごとに変り、朱色・紫色・緑色などになる。幽霊は、本物の血が手に入らなかったので、アメリカ人一家の娘ヴァージニアの絵の具を盗んで用いたのだった→〔成仏〕1

*絵の具を血に見せかける点で→〔映画〕1の『仮面の恐怖王』(江戸川乱歩)に類似。

★4.殺人犯の衣類に残る、被害者の血痕。

『女殺油地獄』「豊島屋」  油屋のお吉が殺されて三十五日の逮夜に、河内屋与兵衛が顔を見せる。皆から犯人と見なされても、与兵衛は白を切る。伯父森右衛門が、殺人事件の日に与兵衛が着た袷を取り出し、「所々に妙なこわばりがある」と言って酒をそそぐ。たちまち血の色が現れて、与兵衛がお吉を殺した動かぬ証拠になる。

『棠陰比事』58「獄吏滌履」  殺人事件の容疑者である僧侶を、獄吏が尋問するが、証拠がない。しかし、僧侶の履に墨が塗ってあることに、獄吏は不審を感じる。履を脱がせて墨を洗い落とすと、血痕があらわれたので、僧侶は恐れ入って白状した。

*犬が血染めの布子をくわえ出す→〔動物教導〕2の『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめかがとび)』(河竹黙阿弥)。

★5.処刑された人の血が、無実であることを示す。

『捜神記』巻11−28(通巻290話)  無実の女が死刑を宣告される。刑場へ行く車には高さ十丈の竹竿が立ち、五色の幟が上がる。見物人にむかって女は、「私に罪があれば血は下へ流れ、罪がなければ上に流れるだろう」と言う。刑が執行されると、緑色の血が竹竿を伝って昇り、頂上まで達すると幟を伝って下った。

*死体の傷口から流れ出る血によって、犯人が誰かわかる→〔傷あと〕10aの『ドイツ伝説集』(グリム)354「ユダヤ人に殺された少女」など。

★6a.河の水が血に染まる。

『古事記』上巻  高天原から出雲国の肥の河上に降り立ったスサノヲは、十拳剣(とつかのつるぎ)をふるって、ヤマタノヲロチの体をずたずたに斬った。そのため、肥の河の水は真っ赤な血となって流れた〔*『日本書紀』巻1・第8段では、本文・一書ともに、「河が血になった」との表現は見られない〕。

*ナイル川の水が血に変わる→〔水〕2aの『出エジプト記』第7章。

★6b.淵の水が血の色に濁る。

濁りが淵(高木敏雄『日本伝説集』第7)  旅の六部が、村の金満家の家に一夜の宿を求めた。六部は宝物(「黄金の鶏」と「一寸四方の箱に収まる蚊帳」)を持っていたので、金満家の主人は宝物欲しさに、翌朝、六部が立った後その跡をつけ、河の淵で彼を斬り殺した。「黄金の鶏」は羽音をたてて飛び去ったが、「蚊帳」は主人の手に入った。六部の流した血で、淵の水は今も赤く濁っている(徳島県那賀郡桑野村)。

★6c.草花や石が血に染まる。

『瓜姫物語』(御伽草子)  あまのさぐめは瓜姫を木に縛り、彼女の代わりに守護代の嫁になろうとして、失敗する〔*昔話の『瓜子姫』では、姫を殺してしまうという展開をするものもある〕。悪事の罰として、あまのさぐめは足・手を引き裂かれ捨てられて、ススキやカルカヤの根もとに倒れ臥して死んだ。その血に染まったために、ススキの根もとは赤く、花の出始めも赤く色づくのである。

『天道さん金ん綱』(日本の昔話)  山姥が、鉄の鎖にすがって逃げた子供たちを追う。山姥は、天から下がった腐れ縄につかまって登るが、蕎麦畑に落ち、石で頭を打ち割って死ぬ。その血に染まって、蕎麦の茎は赤くなった。

『日本書紀』巻1・第5段一書第8  イザナキが、火神カグツチを斬った。その血がほとばしって、草木や砂石を染めた。これが、草木や砂石がその中に火を含むことの起こりである〔*火神の血=火と考え、木を擦り合わせたり石を打ち合わせたりすると、火が得られる理由を説明している〕。

*石の中に火が隠れている→〔火〕2の『王書』(フェルドウスィー)第1部第2章「フーシャング王」。

 

※血が水に変わる→〔水〕2cの『今昔物語集』巻5−11。

※幽霊の血→〔銀行〕4の『墓場の鬼太郎』(水木しげる)。

 

 

【血の味】

★1.血をなめて、その味をおぼえる。

茨木童子の伝説  茨木童子は幼い時捨てられ、床屋に拾われ育てられた。床屋の手伝いをするうち、客の切り傷の血をなめ、その味を知ってからは、わざと傷をつけて血をなめることが習癖になった(大阪府茨木市新庄町)→〔水鏡〕1。 

『仔猫』(落語)  山猟師の娘おなべは七歳の時、飼い猫が足を噛まれて帰って来たので、傷をなめてやり、猫の生き血の味をおぼえた。それ以来おなべは、猫を捕って食うようになった。おなべは船場の大問屋へ奉公に出て、よく働く気立ての良い娘として皆にかわいがられたが、夜になると猫を捕りに出かけた〔*これを知った番頭がおなべに、「あんた、猫かぶってたのか」と言うのがオチ〕。

*血のにおい→〔いれずみ〕1の『日本書紀』巻12履中天皇5年9月18日。

★2.血がしみこんだビスケット。

『湖南の扇』(芥川龍之介)  湖南を訪れた「僕」は、妓館(妓楼)で一枚の褐色のビスケットを見せられた。一週間前に土匪の頭目黄六一(こうりくいち)が斬首され、その血をしみこませたビスケットだという。食べれば無病息災になるというのだが、誰も手を出さない。黄六一の情婦だった芸者玉蘭がビスケットを取り、「わたしは喜んで、わたしの愛する人の血を味わいます」と言って、ビスケットを噛んだ。

*血のしみたビスケットを食べるのは、愛する人の肉を食べる物語(*→〔妻食い〕2の『遠野物語拾遺』296)の変型であろう。

 

※血をなめて鳥の言葉を聞く→〔指〕4の『ニーベルングの指環』(ワーグナー)「ジークフリート」。

 

 

【血の力】

★1.血の力で開眼する。

『黄金伝説』95「聖クリストポルス」  異教徒の王が聖クリストポルスを射殺そうとすると、その矢が眼にささって王は失明する。クリストポルスは首を刎ねられるが、彼の血を眼に塗ると、王の眼はもとどおり見えるようになった。

『黄金伝説』122「聖サウィニアヌスと聖女サウィナ」  矢で目をつぶされた皇帝アウレリアヌスは、聖サウィニアヌスの血を塗って開眼した。

『王書』(フェルドウスィー)第2部第3章「英雄ロスタム」  カーウース王は、北方のマーザンダラーンに住む悪鬼たちに捕らえられ、牢の暗闇の中で失明する。英雄ロスタムが、悪鬼たちの頭目である白鬼〔*「白鬼」は「雪害」を意味する、との解釈がある〕と闘ってこれを殺す。ロスタムが白鬼の血をカーウース王の眼にたらすと、王の眼はふたたび見えるようになった。

★2.血の力で病気が治る。

『アーサー王の死』(マロリー)第17巻第10〜12章  某城の主である婦人が癩病にかかり、王族の処女の血を身体に塗ると回復する。騎士たちとともに通りかかったパーシヴァルの姉が、右腕から皿一杯の血を取って、婦人に与える。婦人は元気になるが、パーシヴァルの姉は血を失ったために死ぬ。城の側には、それまでに血を取られて死んだ乙女たち六十人の墓があった〔*神罰による嵐と雷で、城の婦人と従者たちは滅ぼされる〕。

*寅の「年」「月」「日」「刻」生まれの女の血を用いて、癩病を治す→〔子殺し〕3の『摂州合邦辻』「合邦内」。

『黄金伝説』129「聖十字架称賛」  ユダヤ人たちがキリスト像のわき腹を槍で突くと、血が流れ出す。その血を病人に塗ると、皆たちまち病気が治った。

*男女の血を合わせたものを用いて、破傷風を治す→〔破傷風〕2の『南総里見八犬伝』第4輯巻之4第37回。

★3.血の力で不死身となる。

『ニーベルンゲンの歌』第3歌章  ジーフリト(ジークフリート)は、ある時龍を退治し、その血を全身に浴びた。そのため肌が不死身の甲羅と化し、どんな武器も彼を傷つけ得ないことがたびたび証明された〔*しかし彼の身体には一ヵ所弱点があった〕→〔葉〕2

『火の鳥』(手塚治虫)  火の鳥の血を飲んだ者は、永遠の命を得る→〔不死〕1

★4.血の力で蘇生する。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第10章  外科医アスクレピオスは、ゴルゴンの左側の血管から流れ出た血を人間の破滅に、右側の血管から出た血を救済に用い、死者を蘇生させた。ゼウスは、人間が力を増すことを恐れ、アスクレピオスを雷霆で打った。

『忠臣ヨハネス』(グリム)KHM6  王と花嫁の命を救ったため、忠臣ヨハネスは石に化した(*→〔無言〕1c)。その後、王と花嫁の間に双生児が生まれる。王は、石のヨハネスの言葉にしたがって、双生児の首を切り、血を石に塗る。血の力でヨハネスは生命を取り戻す。ヨハネスは今度はその返礼に、双生児の首を身体に載せ、彼らの血を塗って生き返らせる。

『ペンタメローネ』(バジーレ)第4日第9話  石像と化した弟を救うため、魔法使いの老人の教えにより、兄は自分の二人の子を殺す。その血を石像にかけると、弟は息を吹き返す〔*魔法使いは二人の子も生き返らせる〕。

★5.血の力で誕生した人を、血の力で倒す。

『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)4段目「御殿」  蘇我蝦夷子は晩年まで子がなく、博士の占いにより、白い牝鹿の生血を妻に飲ませて、男児が誕生する。鹿の生血が体内に入った子なので、「入鹿」と名づけた。後に入鹿は逆臣となるが、鹿の血で誕生した入鹿は、また鹿の血ゆえに滅ぶのであった。猟師鱶七(実は忠臣・金輪五郎今国)らが、「爪黒鹿の血」と「疑着(=嫉妬)の相の女の血」(*→〔妬婦〕5)を混ぜたものを笛にそそいで吹くと、入鹿は正気を失って倒れた。

 

 

【知恵比べ】

 *関連項目→〔問答〕

★1.外国と日本の知恵比べ。

『江談抄』第3−1  吉備真備が入唐した折、彼の諸道にすぐれた才能を知って恥ずかしく思う唐人たちが、彼を鬼の出る楼に登らせて殺そうとしたり、難解な『文選』の読法や、囲碁の勝負等で挑む。吉備真備は日本の仏神などの助けによって、それらを切り抜ける〔*『吉備大臣入唐絵巻』に類話〕。

『太平広記』巻228所収『杜陽雑編』  日本の王子が渡唐して、唐第一の碁の名人顧師言と対局する。顧師言は辛くも勝利したが、唐人たちは「顧師言は唐で第三位の名手にすぎない」と、嘘を言う。日本の王子は「小国の第一位は、大国の第三位に及ばぬか」と嘆息する。

『日本書紀』巻20敏達天皇元年5月  高麗から日本へ奉られた国書が、黒い烏の羽に書かれていたので、誰も読むことができなかった。帰化人王辰爾が、湯気で蒸した烏羽に絹布を押しあてて、文字を写し取った。

『白楽天』(能)  唐帝から「日本の知恵をはかれ」との宣旨を受けた白楽天が、海路日本を目指し、筑紫の松浦潟に到る。漁翁(実は住吉明神の化身)が白楽天を出迎え、彼と詩歌の問答をする(*→〔漢字〕3)。漁翁は、「日本では人間のみならず、生きとし生けるもの、すべて歌を詠む」と説き、神体を現して舞う。舞いの手に連れて神風が吹き、白楽天の乗る唐船を漢土へ吹き戻す。

『枕草子』「蟻通し明神」の段  唐土の帝が日本の国を討ち取ろうとたくらみ、「丸く棒状に削った木の本末(もとすゑ)を見分けよ」「二匹の蛇のどちらが雄か雌か見分けよ」「七曲りにまがった玉の穴に糸を通せ(*→〔糸〕2)」などの難題をつきつけ、日本の帝は困惑する。某中将の家に隠れ住んでいた老親(*→〔親捨て〕3)が、これらの難題をことごとく解決したので、唐土の帝は、「なほ日の本の国はかしこかりけり」と感服し、以後は日本への手出しをしなくなった。

 

 

【誓い】

★1a.いかさまの誓い。不義の人妻が潔白を主張し、夫をあざむく。

『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)第24章  トリスタンが巡礼に変装し、愛人である王妃イゾルデを船から岸に運ぶ時、わざと転んで、イゾルデを抱いて伏す恰好になる。その後にイゾルデは、「夫マルケ王と今の巡礼以外に、私の横に寝た者はいない」と神に誓い、それを証拠だてるために熱鉄を握る。イゾルデはまったく火傷を負わなかったので、皆、彼女の貞節を信じる〔*熱鉄・熱湯で身の証しをする物語については、→〔盟神探湯(くかたち)〕に記事〕。

★1b.いかさまの誓い。不義の人妻が潔白を主張するが、夫が嘘を見抜く。

『ジャータカ』第62話  バラモンの若妻が情夫を持ちながらも、「夫以外の男に触れたことがない」と誓い、火の中に入って潔白を証明しようと言う。情夫が見物人をよそおって現れ、「皆さん、バラモンが美女を火に入れようとしている」と訴えて若妻の手をつかみ、止めるふりをする。若妻は「今この男に触れられたので、誓いが破られてしまった」と言う。しかしバラモンは若妻のごまかしを見抜く。

★2.いかさまの誓い。王女の潔白を誓う。

『七賢人物語』「皇帝の息子の語る第八の物語」  エジプト王の息子アレクサンデルとイスラエル王の息子ロドウィークスが、ティトゥス皇帝に仕える。ロドウィークスは皇帝の王女とひそかに関係を結び、ヒスパニア王の息子ギドーがそのことを皇帝に訴えて、ロドウィークスに決闘を挑む。ロドウィークスに瓜二つのアレクサンデルがロドウィークスに扮し、「王女は私によって処女を奪われたこともなく、汚されたこともない」と聖書にかけて誓い、ギドーと決闘してその首を取る。

★3.いかさまの誓い。返さぬ金を「返した」と言う。

『ドン・キホーテ』(セルバンテス)後編第45章  島の太守となったサンチョ・パンサが、十エスクードの借金を返した返さぬのトラブルを裁く。借り手の老人Aが、葦の茎を杖代わりにつき、「宣誓する間、邪魔だから」と言って、貸し手の老人Bにその杖を預け、「AはBに確かに十エスクード返した」と神かけて誓う。宣誓を終えて、AはBから杖を取り戻し、帰ろうとする。しかしサンチョ・パンサは、葦の茎の中に十エスクードの金貨が隠してあることを見抜く。

 

 

【地下鉄】

★1.あこがれの地下鉄。

『地下鉄のザジ』(マル)  田舎育ちの少女・十歳のザジが、母に連れられてパリを訪れる。二日間の滞在中、母はザジを弟(ザジにとっては叔父さん)に預け、愛人とどこかへ行ってしまう。ザジはパリで地下鉄に乗るのが夢だったが、あいにくストライキ中で、地下鉄の駅は閉まっていた。ザジはパリの街でいろいろな騒ぎを起こし、ストライキが終わって地下鉄が動き出す頃には、すっかり疲れて眠り込んでいた。結局ザジは地下鉄に乗れずじまいで、田舎へ帰って行った。

★2.地下鉄構内の殺人死体。

『ブルース=パーティントン設計書』(ドイル)  英国海軍の潜水艇の設計書をスパイが盗み出し、それを取り戻そうとした青年が殺された。青年の死体は、ロンドン地下鉄のオールドゲイト駅の近く、列車がトンネルから出てくる地点の線路わきで発見された。列車から落下したため、頭は無残につぶれていた。しかし、地下鉄の走行中に扉が開いたことはなく、車内に暴行の形跡もなかった。「青年は殺された後、列車の屋根に置かれ、それが落下したのだろう」と、ホームズは推理した。

★3.地下鉄の乗っ取り。

『サブウェイ・パニック』(サージェント)  四人組がニューヨークの地下鉄の先頭車輌を切り離して乗っ取り、乗客たちを人質にする。四人組は人質の命と引き換えに、ニューヨーク市に百万ドルを要求し、札束を手にすると地下鉄を降りて、人質だけを乗せた車輌を走らせる。警察が車輌を追っているうちに四人組は地上へ出る計画だったが、一人は仲間割れで殺され、一人は警官に撃たれ、一人は観念して自ら高圧線に触れて死ぬ。逃げおおせた一人は、もと地下鉄運転士だったため、身元が特定されてしまった。

★4.地下鉄の中では、現実とは異なる時間が流れる。

『追い求める男』(コルタサル)  「地下鉄というのは偉大な発明だよ」と、ジャズ・サックス奏者ジョニー(チャーリー・パーカーがモデル)は言った。「サン・ミシェル駅で地下鉄に乗って、妻や子供やおふくろのことを考え始め、昔住んでいた町にいるような気分になった。町が見え、皆の顔が見えた。その時に考えたことや見たことを話せば、十五分はかかるだろう。ふと気づくと、地下鉄は二つ目の駅で停まっていた。つまり地下鉄内では、二分しかたっていなかったんだ」→〔時間〕5

*列車内で読書し、気づくと二時間数十分もたっていた→〔本〕1の『読書論』(小泉信三)第10章。

★5.地下鉄の路線が、異空間へ入りこむ。

『メビウスという名の地下鉄』(A・J・ドイッチュ)  ボストン市の地下鉄は、いくつもの路線が枝分かれし、交差している。三月四日の夕刻、86号電車が走行中に消えた。路線がメビウスの輪のようになっており、線路の表側を走っていた電車が、裏側へ行ってしまったのだ。86号電車は今、現実世界のすぐ裏側の別次元空間を走っており、いつ、この世に再び現れるか、わからない。他の電車と衝突する可能性もある。五月十七日の夕刻、86号電車は線路上に現れた。さいわい衝突事故もなく、乗客たちは「今は三月四日の夕刻だ」と思っていた。

★6.地下鉄のホームでの出会い。

『また逢う日まで』(今井正)  太平洋戦争末期。空襲警報が鳴り、大勢が地下鉄の構内へ逃げ込む。人々がひしめく地下鉄のホームで、大学生田島三郎(演ずるのは岡田英次)は、はじめて小野蛍子(久我美子)を見た。爆撃機が去って、人々が地上へ出る時、三郎は蛍子の姿を見失うが、何日かたって彼は、再び町角で蛍子とすれ違う。蛍子も三郎のことは覚えており、やがて二人は言葉を交わすようになった。

 

 

【力くらべ】

★1.引っ張り合い。

『首引』(狂言)  鎮西八郎為朝と姫鬼とが、互いの首に綱をかけて引き合う。姫鬼が弱いので、仲間の鬼たちがやって来て加勢する。強力(ごうりき)の為朝が、じりじりと後(あと)じさりして鬼たちを引っ張り、いきなり首から綱をはずして放す。鬼たちは皆、仰向けに倒れる。

『今昔物語集』巻23−22  相撲人恒世の足に大蛇が尾を巻きつけ、川中へ引き込もうとする。恒世が土に五〜六寸も足をめりこませて踏ん張ると、大蛇の胴体はちぎれ、川に血が浮かぶ〔*『宇治拾遺物語』巻14−3に類話〕。

『曾我物語』巻6「弁財天の御事」  朝比奈三郎が曽我五郎の鎧の草摺を掴み、酒宴の席に引き入れようとする。五郎が足を踏ん張ると草摺がちぎれて、朝比奈は後ろに倒れる。五郎は微動だにせず、立っていた。

『日本霊異記』上−3  元興寺の鐘堂に夜ごとに鬼があらわれ、人を殺した。寺の童子(後の道場法師)が待ちかまえ、鬼の頭髪を捕らえて引いた。鬼は外に逃げようとし、童子は内から引く。夜明け方に、鬼は頭髪を引き剥がれて逃げ去った→〔鬼に化す〕2b

『平家物語』巻11「弓流」  屋島の合戦の時、逃げる三穂屋(三保谷)十郎の兜の錣(しころ)を、悪七兵衛景清が追いかけて掴んだ。二人が引き合ううち錣が切れ、三穂屋は逃げ去った。景清はちぎれた錣を差し上げ、「これこそ上総の悪七兵衛景清よ」と名乗りをあげた。

*河童と馬の引っ張り合い→〔河童〕2の『遠野物語』(柳田国男)58。

★2.女どうしの力くらべ。

『日本霊異記』中−4  聖武天皇の御世(724〜749)、三野(美濃)の国片県(かたかた)の郡少川(をがは)の市に、「三野の狐」という百人力の女がおり、往還の商人たちの商品を奪い取るのを仕事としていた。その時、尾張国愛智の郡片輪の里にも力の強い女がおり、「三野の狐」に力くらべを挑んで、鞭をふるってさんざんに打ち懲らしめた。「三野の狐」は、美濃の国の狐を母として生まれた人(*→〔狐女房〕1の『日本霊異記』上−2)の四代目の孫娘である。尾張の女は、元興寺にいた道場法師(*→〔落雷〕4の『日本霊異記』上−3)の孫娘である。

★3.神々の力くらべ。我慢くらべ。

『古事記』上巻  タケミカヅチが高天原から出雲に降下し、オホクニヌシに国譲りを要求する。オホクニヌシの子タケミナカタが力くらべを挑み、タケミカヅチの手を取ると、それは氷柱や剣の刃のごとくであった。タケミカヅチはタケミナカタの手を、若い葦のごとくに掴みひしぎ、タケミナカタは信濃の諏訪湖まで逃げた。

『播磨国風土記』神前郡ハニ岡  大汝命と小比古尼命が、屎をせずに遠く行くのと、粘土をかついで遠く行くのと、どちらが長く我慢できるか、争った。数日後、大汝は堪えきれず屎をし、小比古尼も粘土を岡にほうり投げた。

★4.最強の攻撃兵器と最強の防御装置の激突。

『信用ある製品』(星新一『ようこそ地球さん』)  宇宙人セールスマンが地球を訪れ、「宇宙最高の攻撃兵器」と「宇宙最高の防御装置」を高額で売りつけて、「お客様から苦情が出たことはありません」と保証する。地球人たちは、「宇宙最高の攻撃兵器」を「宇宙最高の防御装置」に向けて、発射実験を行なう。両者の激突で生じた衝撃波によって、一瞬のうちに全人類は死滅した。これでは苦情の出ようがない。

*最強の矛で最強の盾を突く→〔難題〕4の『韓非子』「難一」第36。 

 

※豪傑朝比奈三郎義秀と閻魔大王の力くらべ→〔地獄〕5の『朝比奈』(狂言)。 

※北風と太陽の力くらべ→〔太陽〕1の『イソップ寓話集』46「北風と太陽」。

※産女(うぶめ)から力を授けられる→〔二者択一〕1の産女の伝説。

 

 

【地球】

★1a.地球の自転を停止させる。

『奇蹟を起こした男』(H・G・ウェルズ)  フォザリンゲイは突然、あらゆる奇蹟を起こすことができる超能力を授かった。彼はさまざまな奇蹟を楽しんだ後に、地球の自転を止めてみる。とたんに人間も動物も、慣性の法則で地上から放り出され、全滅してしまった。フォザリンゲイは反省し、すべてを、超能力が授かる前の状態に戻す。だから、この物語を読む読者も、本来なら死んでいたところなのだ。

★1b.地球の自転が遅くなり、つねに同じ面を太陽に向けて公転する。

『地球の長い午後』(オールディス)  遠い未来。月の引力の変化で地球の自転がしだいに遅れ、地球は片面が永遠の昼、片面が永遠の夜になった。それからさらに二十億年後。昼の世界の気温上昇によって、樹木は空へ向けて無限に成長し、月にまで達する。その頃、月は地球から遠ざかり、同じ面を地球に向けて運行する惑星となったが、植物の巨大な束が、この二つの天体を結びつけていた。人類は文字を失うまで退化し、森の中に暮らしていた。

★2.地球を逆回転させる。

『スーパーマン』(ドナー)  悪人ルーサー(演ずるのはジーン・ハックマン)の発射したミサイルが西海岸を直撃して、大地震が起こった。ロイス・レーンは、地割れに呑みこまれて死んだ。スーパーマン(クリストファー・リーヴ)が地球の周囲を自転方向と反対に超高速で飛び、地球を逆回転させる。地球が逆回転すれば、当然時間も逆行する。こうして時間を地震発生前に戻し、スーパーマンはロイス・レーンを救い出した。

★3.地球に接近し、衝突する恐れのある天体。

『ザ・スター』(H・G・ウェルズ)  二十世紀初頭、暗い宇宙空間に新惑星が現れ、太陽系に侵入して海王星と衝突した〔*この当時、冥王星はまだ発見されていない〕。衝突時に生じた熱によって、二つの惑星は白熱光を発する一つの巨星に変身し、しだいに地球に近づいて来る。火山の噴火、地震、洪水などのために、多くの人々が死ぬ。さいわい、巨星は地球に衝突することなく、遠り過ぎて行った。その後、世界の気候は以前より温暖になった。

『地球最後の日』(ワイリー&パーマー)  かつてどこかの恒星を巡る惑星だった二つの星(アルファ星とベータ星)が、何らかの原因で軌道を離れ、宇宙を放浪したあげく、太陽系へ向かって来る。計算の結果、アルファ星は地球と衝突し、ベータ星は地球のすぐそばを通過することが明らかになる。各国はそれぞれ宇宙船を建造し、アルファ星との衝突の直前に地球を脱出して、ベータ星へ向かう。僅かな数の人々が生き残り、ベータ星を第二の地球として新たな生活を始める。

『妖星ゴラス』(本多猪四郎)  直径=地球の四分の三、質量=地球の六千倍、という黒色矮星ゴラスが、太陽系へ向かって来る。このままでは、一九八二年二月に地球と衝突する。ゴラスの爆破は不可能なので、南極に巨大なロケット推進装置を建設し、地球の軌道を変えることとなる。ゴラスの引力により海面が上昇し、多くの都市が水没したが、地球はゴラスとの衝突を免れた。ゴラスが遠ざかった後、今度は北極にロケットを設置し、地球の軌道をもとに戻す仕事が残っていた。

*→〔惑星〕1bの『さよならジュピター』(小松左京)では、ブラックホールの進路を変えて、ブラックホールと太陽の衝突を回避する。

*暗黒星雲が、太陽系内へ侵入する→〔日食〕11の『暗黒星雲』(ホイル)。

*小惑星が地球に衝突する→〔惑星〕5の『アルマゲドン』(ベイ)。

*彗星が地球に衝突する→〔彗星〕2の『ディープ・インパクト』(レダー)など。

★4.人が地球の中心を通り抜ける。

『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第34歌〜「煉獄篇」  イタリアに生まれ育った「私(ダンテ)」は三十五歳の時、詩人ヴェルギリウスに導かれて地獄へ降り、最下層に到る。そこで氷漬けになっている悪魔大王ルチーフェロの腰のあたりが地球の中心で、重力が集まっている。「私」たちはルチーフェロのわき腹の毛を伝って下へ降り、重力が逆転する箇所で身体の向きを変え、今度は地表へ向けての道を登る。「私」たちは南半球へ出、そこから煉獄の山に登る。

『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)「世界の真ん中をつっきった旅」  「ワガハイ(ミュンヒハウゼン男爵)」は、イタリアのエトナ山の火口へ飛び込み、鍛冶の神ヴァルカンの仕事場に着いた。「ワガハイ」はヴァルカンの妻ヴィーナスと仲良くなったので、ヴァルカンは怒り、深い井戸のような所へ「ワガハイ」を突き落とした。「ワガハイ」はどこまでも堕ち、やがて大海原の真ん中にポチャンと出た。そこは南太平洋だった。「ワガハイ」はエトナ山から地球の中心を通って、南太平洋に落ちたのだ。

★5.第二の地球。

『モモ』(エンデ)5章  昔暴君コムヌスが「地球とまったく同じ大きさの、新しい地球を作れ」と命じ、人々はこの大事業に従事した。新しい地球を作る材料は、現在の地球から取るしかないので、新しい地球ができあがるに連れて、古い地球はやせ細っていく。人々は皆新しい地球に移住し、新しい地球が完成した時、古い地球はすっかりなくなってしまった。だから、今われわれがいるのは新しい地球の上なのだ〔*観光ガイドのジジが語る物語〕。

*「第二の地球」がカット・アンド・ペーストならば、→〔地図〕1の『博物館』「学問の厳密さについて」(ボルヘス)の「原寸大の地図」は、コピー・アンド・ペーストの物語である。

『ロストワールド』(手塚治虫)  太古、混沌としていた地球からちぎれて、宇宙の彼方に飛び去ったママンゴ星が、五百万年ぶりに地球に接近する。地球から十数人を乗せたロケットが、ママンゴ星に飛ぶ。ママンゴ星ではまだ恐竜が栄えており、人類発生以前の若い星であることがわかる。十数人の地球人たちは、争ったり恐竜に食われたりしてほとんどが死ぬ。敷島健一少年と、植物から作られた少女あやめがママンゴ星に残り、ママンゴ星のアダムとイブになる。 

★6.地球は生きている。

『火の鳥』(手塚治虫)「未来編」  西暦三四〇四年。人類の滅亡は目前に迫っていた。人工生命の研究をしてきた猿田博士の前に火の鳥が現れ、「地球は生きものです」と告げる。「太陽も星も生きています。それは宇宙生命(コスモゾーン)です(*→〔生命〕1)。宇宙生命も病気になり、死んでいきます。本当なら、ずっとずっと長く生きられるのに。地球は一千年ほど前から病気にかかりました。動物は死滅し、人間の進歩も止まりました」。

★7.人間が地球に変身する。

『オオカミそのほか』(星新一『おかしな先祖』)  「おれ」は狼にかまれ、満月の晩に狼になってしまった。次には蛇にかまれ、満月の晩に「おれ」は蛇になってしまった。どうやら、かまれたものに変身する体質らしい。動物にかまれるだけではない。ベッドに手をはさまれ、「おれ」はベッドに変身した。この前は地面の割れ目に足をはさまれた。つまり地球にかまれたわけだ。満月の晩にはどうなるのだろう。

『地球になった男』(小松左京)  平凡な三十男のサラリーマンである「彼」が、突如、何にでも望むものに変身できる能力を得た。「彼」はゴジラになったり、超巨大な性器になったりした後、どこかの宇宙の、どこかの太陽系の地球になった。あなたのいる地球は、「彼」が変身したものかもしれない。いや、「彼」は地球になるとともに、その上に生じた一切のものになったのだから、犬も猫も、そしてあなた自身も、すべて「彼」なのだ。

*「犬も猫もあなたも、すべて彼=地球」という発想は、大地母神の神話と同様である→〔母なるもの〕3の『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)。

★8.地球の全生命の死滅。

『午後の恐竜』(星新一『午後の恐竜』)  核戦争が始まろうとしており、地球上の全生命の死滅が目前に迫った。その時、生命発生以来の歴史をふり返るパノラマ視現象が、地球全域で発生し、人々を驚かせた。三葉虫をはじめとする古生物がまず現れ、次いで恐竜が現れる。いずれも幻影だから、手で触れることはできない。マンモスが現れ、原始人が現れ、やがて人類の歴史が展開して行く。まもなく現代人たちが現れ、一切が終わるのだ。

*死に瀕した人が、自分の全人生をふり返る→〔死〕10の『かいま見た死後の世界』(ムーディー)。

*人類の未来をパノラマ視する→〔未来記〕7の『失楽園』(ミルトン)第11巻。

*地球の死→〔空間〕7の『狼疾記』(中島敦)。

★9.宇宙の知的生命体が、地球を救うために人類を滅ぼそうとする。

『地球が静止する日』(デリクソン)  宇宙の知的生命体(演ずるのはキアヌ・リーヴス)が地球にやって来たのは、人類を滅ぼして、地球を救うためだった。このまま放置すれば、人類は地球を死の星にしてしまう。多様な生物が生息できる惑星は少ない。人類という一つの種のために、地球を犠牲にするわけにはいかないのだ。しかし、地球人の女性科学者(ジェニファー・コネリー)が「チャンスを与えてほしい。人類は変われるはずだ」と説き、宇宙の知的生命体は、人類には愛すべき一面もあることを理解して、その存続を認めた。

*宇宙連合が、多くの生命を殺戮した地球人類を裁く→〔裁判〕8の『人類裁判』(小松左京)。

 

※宇宙の高みから、地球を見下ろす→〔国見〕7aの『神曲』(ダンテ)「天国篇」第22歌、→〔国見〕7bの『仙境異聞』(平田篤胤)下「仙童寅吉物語」など。

 

 

【稚児】

★1.僧が稚児と契りを結ぶ。

『秋夜長物語』(御伽草子)  比叡山の桂海律師が三井寺の稚児梅若と契りを結ぶが、梅若は天狗にさらわれてしまう。三井寺の僧たちは、桂海が梅若をかどわかしたものと誤解し、三井寺と比叡山との間に戦争が起こる。三井寺は全焼し、その原因は自分にあると思った梅若は、勢多(瀬田)の橋から身を投げる。桂海は西山の庵で梅若の菩提を弔い、後に瞻西上人と名を改める。

『あしびき』(御伽草子)  比叡山で学問修行する若僧侍従の君が、白河の辺りで、奈良の民部卿得業(とくごふ)の子である稚児をかいま見て、契りを交わす。稚児の「いづこの人?」との問いに、侍従の君は「『あしびきの』とこそ申したう侍るに・・・」と言って、山(=比叡山)の僧であることをほのめかす。稚児は継母によって長い黒髪を切られたり、命をねらわれたりするが(*→〔継子殺し〕2)、後には、侍従の君と稚児は高野山の庵室でともに修行に励み、相次いで往生した。

★2.現世の快楽にふける稚児と、来世の応報を想う稚児。

『二人の稚児』(谷崎潤一郎)  比叡山で育ち十代半ばになった稚児・千手丸と瑠璃光丸は、「『悪魔』『地獄の使い』などと言われる『女人』を見たい」と思う。千手丸は下山し、深草の長者の娘婿となって、神崎や江口の遊女たちと歓楽の日々を送る。瑠璃光丸は山にとどまり、煩悩を断つべく法華堂に参籠する。夢に気高い老人が現れ、「前世でお前を慕った女が、比叡山の鳩に転生した。お前とその女は、来世でともに西方浄土に生まれ、極楽の蓮華の上で菩薩の相を現ずるだろう」と告げる。

★3.稚児と姫君の恋物語。

『稚児今参り』(御伽草子)  比叡山の稚児が、内大臣の姫君を見て心奪われ、姫君に近づくべく女装し、女房となって仕える。やがて稚児は正体を明かして恋情を訴え、姫君は稚児の子を身ごもる。ところがその後、稚児は天狗にさらわれてしまい、姫君は稚児を捜して山中をさすらう。山中の庵の尼天狗が、稚児を姫君のもとへ返し(*→〔尼〕5)、稚児は男姿になって姫君を正妻とした〔*姫君は男児、次に女児を産み、女児は女御となって一家は栄えた〕。

 

 

【地図】

★1.原寸大の地図。

『博物館』「学問の厳密さについて」(ボルヘス)  地図学が完璧の極に達した王国があった。地理学者たちは、王国に等しい広さを持ち、寸分違わぬ一枚の王国図を作製した。しかし後代の人々は、この広大な地図を無用の長物と見なして、放棄した。西方の砂漠のあちこちには、裂けた地図の残骸が今でも残っている。そこに住むのは、獣や乞食たちである。

*「原寸大の地図」がコピー・アンド・ペーストであるならば、→〔地球〕5の『モモ』(エンデ)5章の「第二の地球」は、カット・アンド・ペーストの物語である。 

★2.地図上の距離と実際の距離の混同。

『笑顔始』「江戸絵図」  江戸絵図を見て地理に詳しくなった田舎者が、実際に江戸へ行ってきた人に、あれこれ尋ねる。「浅草の観音へ参詣したか?」「参りました」「吉原はどうであった?」「吉原へは行かなかった」「それは残念なことをした。浅草からは二〜三寸の所なのに」〔*実際は浅草の観音から吉原までは二キロほど〕。 

★3.地図に似た田虫の形状。

『ナポレオンと田虫』(横光利一)  ナポレオンの腹は田虫に侵され、患部は径五寸ほどの大きさになっていた。痒さに耐えかねて掻けば、田虫は分裂し、いっそう拡がる。それは、ナポレオンの軍馬が他国の領土を侵蝕して行く地図の姿に相似していた。ナポレオンは周囲の反対を押し切って、ロシア遠征を断行する。数十万の狂人の大軍が、フリードランドの平原を進んで行く。ナポレオンの腹の上では、田虫の版図は径六寸を越して、なおも拡がり続ける。 

*「皇帝であるナポレオンの田虫が拡がるにつれて、領土も拡がる」というのは、「神であるスサノヲが泣くと、山河が乾上る」という神話(*→〔涙〕7の『古事記』上巻)と、類似する発想である。 

★4.地図にも載らぬ島。

『地図』(太宰治)  慶長十九年(1614)、琉球の首里城の王・謝源は、石垣島を五年がかりで攻め、征服した。彼は、蘭人の献上した地図を広げ、自分の新たな領土を確認しようとする。しかしそれは世界地図だったので、無名の小島は記されていなかった。謝源は「地図にも載らぬ小島を苦労して占領したのか」と、屈辱を感ずる。一年もたたぬうち、石垣島の兵が首里を襲う。謝源は残念がる様子もなく、小舟で首里から逃れ去った。

★5.地図を見て、自分のいる場所を知る。

『1,2,3・・・無限大』(ガモフ)1  ハンガリー人貴族の一団が、アルプス登山をして道に迷った。一人が地図を取り出して、長いこと調べたあとで叫ぶ。「今どこにいるかがわかった!」。皆が聞く。「どこだ?」。「向こうに高い山が見えるだろう。われわれは今、あのてっぺんにいる」。

*他人を見て「自分だ」と思う物語を連想させる→〔アイデンティティ〕2の『粗忽長屋』(落語)など。 

★6.地図で見ると、南半球の大陸が倒三角形である理由。

『南半球の倒三角』(松本清張)  「私」は、インド旅行中に出会った日本人白川保雄から、かつて地球には月が二つあった、との仮説を聞いた。そのうちの一つが北半球へ落ち、溶岩状になって南へ流れて行き、諸大陸ができた。だから大陸は北半球に多く、南半球には少ない。さらに、南半球の大陸は南へ行くほど細くなり、三角形を逆さにしたように見えるのだ。「私」はこの話を聞いて、先ほど見た摩崖彫刻「ガンジス河が天から降る(*→〔川〕5)」図を連想した。

*月の一部が無数の隕石となって、地球へ落下する→〔月〕5の『柔らかい月』(カルヴィーノ)。

 

 

【父子関係】

★1.父親のわからない子。

『波』(山本有三)  小学校教員の見並行介は、もと教え子のきぬ子と関係を持ち、結婚した。結婚後一年もたたぬうちに、きぬ子は医学生と駆け落ちする。行介はきぬ子を許し、連れ戻す。きぬ子は男児駿(すすむ)を産み、子癇のために死ぬ。行介は、駿が果たして自分の子かどうか疑い、悩みつつ育てる。駿は小学生、中学生、と成長して行く。行介は「駿は、自分の子でも医学生の子でもない。社会の子供、人類の子供なんだ」と考える。

*複数の男と関係を持ったため、誰が父親かわからない→〔一妻多夫〕6・7a・7bの『神の骨』(川端康成)など。

★2.真の父子かどうかの判定。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章  アムピトリュオンは、双子の赤ん坊イピクレスとヘラクレスの、どちらが自分の子で、どちらがゼウスの胤なのか、知りたく思った(*→〔双子〕6)。そこで赤ん坊の臥床に蛇を投げ込んだところ、イピクレスは逃げ、ヘラクレスは蛇に立ち向かったので、アムピトリュオンは、イピクレスが自分の子であることを知った。 

『シャクンタラー』(カーリダーサ)第7幕  ドゥフシャンタ王が聖者の苦行林を訪れ、一人の少年を見て愛情を感じる。王は「かつて私が、行方知れずのシャクンタラー姫との間にもうけた子ではないか?」と思う。少年の手首から護符の霊草が地面に落ち、王はそれを拾う。少年とその両親以外の者が拾えば霊草は蛇となり、拾った者を噛むはずだったので、ドゥフシャンタ王と少年は父子であることがわかった。 

*老年になってからもうけた子→〔老翁〕5の『棠陰比事』6「丙吉験子」。

★3.真の父子であれば、子の血は父の血と融合し、父の骨に染(し)み込んで行く。

『閲微草堂筆記』「槐西雑志」151「骨肉の鑑定」  親と子の血を取って混ぜ合わせ融合すれば真の親子だ、という鑑定の古法があった。ある男がこれを信用せず、自分の血と息子の血をまぜても融合しないので、「鑑定法は当てにならない」と主張した。しかしその息子は、妻が情夫との間にもうけた子だった。

『大岡政談』「小間物屋彦兵衛之伝」  小間物屋彦兵衛が鈴ヶ森で獄門にかけられたと聞き、夜、息子の彦三郎が刑場へ行って父の骨を捜す。白骨が多くあって、どれが父の骨かわからないので、彦三郎は自分の指を噛んで血をしぼり、骨に染(し)み込んで行くかどうか試す。しかし、どの骨にも血は入らず、流れてしまった〔*実は大岡越前守は小間物屋彦兵衛を処刑せず、某所にかくまっていた〕。

『聊斎志異』巻5−190「土偶」  王氏が亡夫をしのんで土偶を造ると、夫の霊が土偶に乗り移り、王氏を身ごもらせて去って行った(*→〔像〕2)。王氏は男児を産んだが、本当に亡夫の子か疑う人がいたので、男児の指を刺して、その血を土偶に塗る。血は、たちどころに滲(し)みこんで、痕もとどめなかった。他の土偶に塗っても滲みこまず、ひと拭いでふきとれた。

*父の髑髏に血が吸い込まれる→〔髑髏〕1aの『南総里見八犬伝』第6輯巻之5下冊第60回・第7輯巻之2第65回。

★4.息子が父親を見るが、それが父であることを友人たちに言わず、赤の他人のような態度をとる。

『父』(芥川龍之介)  修学旅行に出かける朝。生意気盛りの中学生である「自分」たちは、停車場の待合室に出入りする人々を、遠慮なく品評して笑った。特に能勢五十雄の下す評言が、いちばん辛辣で諧謔に富んでいた。時代遅れの背広姿の老人がいたので、皆は「あいつはどうだい?」と能勢に批評を求める。老人は実は能勢の父だったが、能勢は「あいつはロンドン乞食さ」と言って皆を笑わせた→〔親孝行〕6

★5.母は父の姿を、幼い娘の目から隠す。父は幼い娘を見ても、他人のふりをする。

『父』(太宰治)  三十九歳の小説家である「私」は、家庭も家計も顧みず、今日も遊びに出かける。白昼、「私」は酒に酔い、四十女の前田さんと街を歩く。半病人の妻がマスクをかけて、下の男の子を背負い、お米の配給の列に立っている。傍にいた上の女の子が「私」に気づいたので、妻は「ねんねこ」の袖で、女の子の顔を覆い隠す。前田さんが「お嬢さんじゃありません?」と言い、「私」は「冗談じゃない」と否定した。

★6.父親の遺骸に平気で矢を射込む息子と、射ることができない息子。

『ゲスタ・ロマノルム』45  ある王の妃が四人の王子を産んだが、最初の三人は愛人との間の子で、四人目だけが王の子だった。王の死後、王国の支配権をめぐる争いが起こった時、王の秘書だった老騎士が、「王の御遺骸に、矢をもっとも深く射込んだ王子が、支配権を得るべきです」と言った。第一の王子は遺骸の右手を、第二の王子は口を、第三の王子は心臓を射た。ところが第四の王子は、「御遺骸がこのように傷つけられるとは、痛ましいことです。私は、父上のお身体を射ることなどできません」と嘆いた。国民は、第四の王子をたたえて玉座にすわらせ、他の三王子を追放した。

*「赤ん坊を切って二人で分けよう」という母と、「それなら私はいりません」と言う母→〔裁判〕1の『列王紀』上・第3章。

 

※蛇である父の性質を受け継ぐ子→〔蛇婿〕6の『平家物語』巻8「緒環」など。  

※皮膚の色によって、子供の父親がわかる→〔皮膚〕3の『黄色い顔』(ドイル)など。

※父子関係の解消→〔縁切り〕1の『今昔物語集』巻29−11。

 

 

【父と息子】

★1.父と息子とが、同じ一人の女と関わりを持つ。

『苦の世界』(宇野浩二)その2の1「あわれな老人たち」  「私」の友だちの法科学生・鶴丸は、金がないために、愛人の芸者「あさ顔」を、他の男に身うけされてしまった。東京から名古屋まで、鶴丸は「あさ顔」を送って行く。名古屋駅の改札口に「あさ顔」を迎えに来た男を、鶴丸が遠目に見ると、何とそれは彼の父親(この時すでに五十の坂を越していた)だった。

『源氏物語』「桐壺」「若紫」「紅葉賀」  桐壺帝は、藤壺女御(先帝の四の宮)が十六歳の頃、彼女を後宮に入れる。それから数年後に桐壺帝の息子光源氏が、藤壺女御(*光源氏にとっては継母にあたる)と関係を持ち、光源氏十九歳、藤壺女御二十四歳の年の二月十余日、秘密の子(=後の冷泉帝)が誕生する〔*→〔百足〕4の『夢の浮橋』(谷崎潤一郎)は、そのタイトルも内容も『源氏物語』にもとづいている〕。

『ドン・カルロ』(ヴェルディ)  スペイン王子ドン・カルロは、婚約者フランス王女エリザベッタを一目見ようとして出かけ、フォンテンブローの森で道に迷ったエリザベッタと偶然出会い、言葉をかわす。ところがエリザベッタの結婚相手は、突然、王子ではなくその父王フィリッポに変更されてしまう〔*後、父王フィリッポと王子ドン・カルロは、異端者の宗教裁判を巡って対立する〕。

『初恋』(ツルゲーネフ)  十六歳の「わたし(ヴラジーミル・ペトローヴィッチ)」は、二十一歳の公爵令嬢ジナイーダに恋をするが、彼女には他に愛する人がいるようだった。やがて「わたし」は、自分の父がジナイーダの愛人であることを知った〔*しかし、ほどなく父は四十二歳で急死し、ジナイーダも別の男と結婚した後、出産のため死んだ〕。

*左大将とその息子が、同じ女(対の上)と関係を持つ→〔母と娘〕1の『有明けの別れ』巻1。

*父の処女妻を、息子が奪う→〔処女妻〕2の『夏の夜は三たび微笑む』(ベルイマン)。

★2.父に及ばぬ息子。

『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第1章  クレタ島に幽閉されたダイダロスは、空を飛ぶ翼を作り、息子イカロスとともに脱出する。しかしイカロスは、父の注意にもかかわらず、高く飛びすぎたために、太陽熱で翼の膠が溶けて海に墜死した。

『変身物語』(オヴィディウス)巻2  太陽神の息子パエトンは、父に懇願して、一日だけ父の代わりに黄金作りの馬車に乗って空を駆ける。しかし軌道を踏み外し、天も地も炎に焼かれる。ユピテル(ゼウス)が雷電を投げ下ろし、パエトンは死んでエリダノス川に墜落する〔*『本当の話』(ルキアノス)が「まったくの作り話である」とことわって語るところによれば、その後パエトンは太陽に住み、住民たちの王となった〕。

*パエトンの馬車が地球に近づきすぎ、大地が汗を流した→〔海〕1の『パンタグリュエル物語』(ラブレー)第二之書第2章。

★3.父を尊敬し、慕う息子。

『父ありき』(小津安二郎)  堀川(演ずるのは笠智衆)は早くに妻を亡くした。一人息子(佐野周二)は、中学から大学まで、ずっと寄宿舎や下宿の暮らしだった。大学卒業後は秋田の工業学校の教師として赴任し、東京で働く父とは、さらに遠く離れてしまう。「父と一緒に暮らしたいから、教師を辞めて東京で就職しよう」と息子は考える。しかし父は「教師を続けるべきだ」と諭す。父は息子の縁談を決めた後に、脳溢血で死ぬ。息子は、「父が倒れる前、僕は上京して、たった一週間だけど一緒に暮らした。あの時がいちばん楽しかった」と、新妻に語る。

★4.父が、自分の果たせなかった夢を、息子に託す。 

『巨人の星』(梶原一騎/川崎のぼる)  太平洋戦争下、星一徹は栄光の巨人軍に入団し、右投げ左打ちの三塁手として活躍を期待されるが、徴兵されて肩をこわし、復員後も公式戦に出ることなく引退した。一徹は、自らの叶わなかった夢を息子・飛雄馬に託そうと、まだ小学生の飛雄馬の上半身に大リーグボール養成ギプスをつけて鍛える。飛雄馬は高校中退後、左腕投手として巨人軍に入団し、川上哲治監督の現役時代の背番号16を与えられる。

★5.父の世界と息子の世界。

『生れてはみたけれど』(小津安二郎)  ある会社の課長が、郊外の専務の家の近所へ引っ越して来る。課長の二人の息子は餓鬼大将になって、専務の子供を家来扱いする。ところが父の課長は、専務にお世辞を言って機嫌をとり、専務の子供にさえペコペコする。そのありさまを見た課長の息子たちは、父親の情けなさに抗議する。母親が「お前たち大きくなって、お父ちゃんより偉くなればいいじゃないか」となだめる。

★6.息子が父に反逆する。

『アーサーの死』(マロリー)第21巻第1章〜第4章  アーサー王と異父姉マーゴースとの間に生まれたモードレッドは、父アーサーがフランスへ遠征中に、勝手にイギリスの王となり、また父王の妃グィネヴィアと強引に結婚しようとする(*グィネヴィアはこれを拒否してロンドン塔に立てこもる)。反乱の知らせを受けて帰国したアーサーの軍と、モードレッドの軍とが闘い、アーサーはモードレッドと相討ちをして、二人とも死ぬ。

『サムエル記』下・第13〜18章  ダビデ王の子アブサロムは、妹タマルが異母兄アムノンに辱められたことに憤り、アムノンを殺す。アブサロムは、やがて王と称して父ダビデと敵対する。エフライムの森の決戦で、アブサロムは敗れ死ぬ。

★7.父が敵となって、息子の前に立ちはだかる。

『巨人の星』(梶原一騎/川崎のぼる)  星飛雄馬は巨人軍の投手となって、大リーグボール1号をあみ出した。すると父一徹は中日ドラゴンズの打撃コーチに就任し、米人選手オズマを指導して、大リーグボールを打ち破った。飛雄馬は大リーグボール2号、3号を開発するが、極端な酷使によって左腕筋が断裂し、完全試合を今まさに成し遂げる瞬間、飛雄馬はマウンド上に倒れ臥す。完全試合の成否を審判団が協議する中、父一徹は飛雄馬に言う。「お前はわしに勝ち、この父を乗りこえた。わしら親子の勝負は終わった」。

★8.互いに父であり息子であると知らずに戦う。

『オイディプス王』(ソポクレス)  オイディプスはテーバイのライオス王の子だったが、生まれてまもなく山に捨てられ、コリントス王に育てられた。オイディプスは成長後、旅に出て、三叉路で、ライオス王が数名の供人を連れ車に乗って来るのと出会う。道を譲る譲らぬの争いとなり、オイディプスは相手を実の父と知らず、杖でなぐり殺す。

『王書』(フェルドウスィー)第2部第4章「悲劇のソフラーブ」  イランの英雄ロスタムは、ある時、対立するトゥーラーン国の属国に足を踏み入れ、そこの王女との間に男児ソフラーブをもうけた。ソフラーブは成長後、イランに攻め入る。ロスタムとソフラーブは、互いを父子と知らずに一騎打ちをする。ロスタムは高齢だったが、神に祈って若い時代の力を取り戻す。ソフラーブに致命傷を負わせた後に、ロスタムは自分が息子と闘っていたことを知る。

★9.養父と息子。

『道草』(夏目漱石)  健三は三歳から八歳まで、島田夫婦のもとで養育された。彼らは健三をかわいがって恩を着せ、将来の健三からの恩返しを期待していた。ところがやがて島田夫婦は離婚することになり、健三は実家に復籍した。健三が学業を修め洋行から帰ってまもなく、老いた島田が健三の家をしばしば訪れ、金を無心するようになった。不愉快な数ヵ月の後、健三は手切れ金百円を渡して、ようやく島田との関係を絶つことができた。

 

 

【父と娘】

★1.父が娘を溺愛する。

『ゴリオ爺さん』(バルザック)  製麺業で財を築いたゴリオは、妻の死後、愛情をもっぱら二人の娘にそそぎ、莫大な持参金をつけて姉娘を伯爵に嫁がせ、妹娘を銀行家に嫁がせる。二人の娘は結婚後もゴリオに金の無心を続け、ゴリオは娘たちの幸福を願って貴重な銀器を売り、年金を解約して金を工面する。やがてゴリオは無一文になり、病に倒れるが、娘たちは見舞いに来ず、臨終にも間に合わなかった。

★2.娘の結婚による父との別れ。

『花嫁の父』(ミネリ)  弁護士スタンリー(演ずるのはスペンサー・トレイシー)は妻との間に、一人の娘と二人の息子をもうけていた。二十歳になる娘ケイ(エリザベス・テーラー)に恋人ができ、娘の希望どおりに華やかな結婚式が行なわれる。新婚夫婦は旅行に出かけ、その夜スタンリーは、娘のいない寂しさをかみしめる。そこへケイが旅先から電話をかけて来たので、スタンリーはたちまち元気を回復し、「結婚しても娘はずっと娘だ」と妻に言う。

『晩春』(小津安二郎)  早くに妻を亡くした初老の大学教授曾宮(演ずるのは笠智衆)は、娘紀子(原節子)と二人暮らしをしている。紀子は適齢期をすぎた二十七歳であるが、結婚したがらず、いつまでも父と二人でいたい、と訴える。しかし結局、曾宮に諭(さと)されて、紀子は見合い結婚をする(*→〔結婚の策略〕2)。結婚式の夜、帰宅した曾宮は一人でりんごの皮をむく。その手が途中で止まり、彼はうなだれる。

★3.嫁に行く娘と行かない娘の対比。

『秋刀魚の味』(小津安二郎)  会社重役の平山(演ずるのは笠智衆)は、早くに妻を亡くした。長男は結婚して独立し、家には次男と娘がいる。娘の路子は二十四歳で結婚適齢期だが、平山はまだ路子を手放したくない。ある日平山は、中学生時代の恩師佐久間先生(東野英治郎)に会う。先生は今、場末の中華ソバ屋となって、生計を立てている。先生も奥さんを亡くし、一人娘に家事をさせているうち、娘は婚期を逃して、いまだに独身だった。老父と中年娘の二人暮らしを見た平山は、「路子を嫁にやろう」と決心した。

*貧農の父親が娘を嫁に出さず、田畑の仕事をさせる→〔父娘婚〕5の『土』(長塚節)。

★4.いつわりの父と娘。

『ロリータ』(ナボコフ)  三十代後半のハンバート・ハンバートは、十代前半の少女ロリータと関係を結ぶ。二人は父娘をよそおってアメリカ各地の自動車旅行を続け、モーテルを転々とする。

★5.娘が、父と敵対する立場の青年を、夫や恋人にする。

『歌行燈』(泉鏡花)  能楽界の御曹司恩地喜多八は、按摩宗山と芸競べをして、彼を憤死させた。宗山の娘お袖は、父の死後芸者に売られ、流浪の門付けとなった喜多八に巡り合う。喜多八はお袖に舞を教え、お袖は、父の仇であるはずの喜多八に、恋心を抱くようになる→〔宿の巡り合い〕1

『敵討義女英(かたきうちぎじょのはなぶさ)(南杣笑楚満人)  小しゅんは若侍岩次郎と恋仲になるが、岩次郎が「兄の仇」として狙う舟木逸平とは、小しゅんの父竹筍斎のことだった。小しゅんは「舟木逸平は父の友人で、今宵泊まるから討て」と岩次郎に教え、自分が父の身代わりに座敷に臥して、首を討たれる→〔仇討ち(兄の)〕1

『二都物語』(ディケンズ)  非道なサン・テヴレモンド侯爵兄弟が、医師マネットをバスティーユの独房に十八年間幽閉する。マネットは侯爵兄弟とその子孫を告発するが、後にマネットの娘ルーシーの夫となったチャールズは、サン・テヴレモンド侯爵の息子であった。心ならずもマネットは、愛娘の婿を断頭台に送らねばならなくなる→〔瓜二つ〕1

★6.娘が父を裏切り、夫を助ける。

『御曹子島渡』(御伽草子)  蝦夷が島のかねひら大王の娘あさひ天女は、御曹子義経と夫婦になる。義経の頼みにより、天女は、父王秘蔵の兵法の巻物を蔵から盗み出す。義経は巻物を書写して島を脱出し、怒ったかねひら大王は天女を八つ裂きにして殺す。

 

 

【父の霊】

★1.父の霊。

『アエネーイス』(ヴェルギリウス)第5巻  トロイア陥落後、アエネーアスは部下たちとともに海上を彷徨し、新国家をうち建てるべきイタリアの地に船を向ける。夜、亡父アンキーセスの霊がアエネーアスのもとに現れ、「イタリアの地に上陸したら、巫女シビュラを案内人として地下界に降り、わしに会いに来るがよい」と告げる→〔冥界行〕4。 

『源氏物語』「明石」  三月上巳の日以来、須磨の浦には暴風雨が続き、光源氏のいる寝殿の廊にも落雷があった。十三日の暁近く、光源氏の夢に亡父桐壺院が現れ、「住吉明神の導きのままに、はやくこの須磨の浦を去れ」と告げる。その日、明石入道が舟で迎えに来て、光源氏は明石へ移る。

『今昔物語集』巻10−24  漢代の人賈誼は、息子の薪が幼い頃に死んだ。薪が父賈誼の墓前で学問の成就を願うと、賈誼の霊が現れ、以後十五年に渡って毎夜墓前で薪に学問を授けた。

*父の霊が「仇を討ってくれ」と、息子に請う→〔幽霊の訴え〕3の『ハムレット』(シェイクスピア)第1幕。

★2.父祖の霊。

『大鏡』「師輔伝」  冷泉帝は、もののけにとりつかれており、「行幸などはどうなることか」と、人々が心配した。しかし大嘗会の御禊の折には、立派に行幸された。これは、母方の祖父にあたる九条殿師輔公の霊が、「人の目にあらはれて(人目に見えるくらいまざまざと現れて)」(*「人の目にあらはれで(人の目にはみえないが)」という解釈もある)、冷泉帝の後ろを抱いて御輿の中に付き添っていたのだった。

 

 

【父殺し】

★1.息子が父親を殺す。

『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)  フョードル・カラマーゾフには三人の息子と一人の私生児がいた。秀才の次男イワンは、「神がなければすべてが許される」という虚無的な理論を語り、私生児スメルジャコフが、イワンの理論にそそのかされて父フョードル・カラマーゾフを殺す。それはイワンが心の底で望んでいたことだった。

『今昔物語集』巻3−27  提婆達多が阿闍世をそそのかし、「君は父王を殺して新王となれ。私は仏を殺して新仏となろう」と言う。阿闍世は父頻婆沙羅(びんばしゃら)王を捕らえ、七重の室内に幽閉して殺した(*→〔食物〕8)〔*阿闍世は、母韋提希(いだいけ)をも殺そうとするが、臣下から「劫初以来、王位を得ようと父を殺した息子は一万八千人いる。しかし、母を殺した例は聞いたことがない」と言われて、思いとどまった〕。

*息子が大鎌で、父親の性器を切り取る→〔後ろ〕3の『神統記』(ヘシオドス)。

*息子が道で出会った男を、父親と知らずに殺す→〔父と息子〕8の『オイディプス王』(ソポクレス)。

*息子が母親と交わり、父親を殺す→〔母殺し〕1の『今昔物語集』巻4−23。

★2.息子が、継父になろうとする男を殺す。

『午後の曳航』(三島由紀夫)  十三歳の登は、未亡人である母房子と二等航海士塚崎竜二の情事を、隣室の覗き穴から見て恍惚とする。彼は、海の男竜二を英雄視し、あこがれる。しかし竜二は海を捨てて陸に上がり、房子と結婚して、登の父親になろうとする。父親としてのふるまいをし始める竜二を登は嫌悪し、仲間の少年たち数人とはかって、竜二を殺す。

★3.義父殺し。

『夏祭浪花鑑』「長町裏殺しの場」  団七九郎兵衛の舅(妻お梶の父親)義平次は強欲な男で、遊女琴浦を悪人に売り渡して金を得ようとする。団七はそれを阻止しようと、義平次と激しく争う。義平次が団七の脇差から刀を抜き取って振り回すので、団七は刀を取り戻そうとするうちに、義平次を一太刀斬ってしまう。義平次は「人殺し!親殺し!」と叫び出し、団七は、やむをえず義平次の口をふさいで斬り殺す。

 

 

【父さがし】

★1.父を捜し尋ねる息子。

『宇治拾遺物語』巻14−4  遣唐使が、唐にいる間に妻をもうけて、男児を産ませた。男児がまだ幼いうちに、遣唐使は日本へ帰った。唐土の妻は、「遣唐使某の子」と書いた札を男児の首につけて、海に放つ。男児は大魚の背に乗って日本まで運ばれ、難波の浦にいた父に見つけられる。魚に救われたゆえ、男児は「魚養(うをかひ)」と名づけられた。魚養は成長して書道の名手となった。

『熊野の御本地のさうし』(御伽草子)  天竺摩訶陀(まかだ)国の善財王には千人の后がいたが、そのうちの一人、五衰殿のせんかう女御だけが王子を懐妊する。他の九百九十九人の后が妬んで讒言し、五衰殿の女御は山で斬首される。その折、后は王子を産み落とした。王子は山の動物たちや、ちけん聖に養われ、七歳の時に内裏へ参上して、父善財王と対面する。王は五衰殿の女御の死を悔い悲しむ〔*類話の『神道集』巻2−6「熊野権現の事」では、「五衰殿の善法女御」「喜見上人」とするなど小異がある〕→〔神になった人〕2

『古事談』巻6−49  平珍材が美作から上洛する途中、備後国上治郡に寄宿した。彼は郡司の娘を召し、腰を打たせているうちに男女の関係になって、娘は懐妊した。生まれた子は七歳になった時、郡司に連れられて京の珍材を尋ねて来た。珍材が子を見ると、二位中納言に至るべき相があった〔*『江談抄』第2−26に類話〕。

『山椒大夫』(森鴎外)  厨子王が生まれた年に、父陸奥掾正氏は筑紫の安楽寺へ左遷された。厨子王は十二歳の秋に、姉安寿や母とともに岩代の信夫郡の家を出て、父を尋ねる旅をする。母と別れ、姉を失った後に、厨子王は都で加冠元服し、筑紫の父がすでに死去していたことを知る。

『浜松中納言物語』冒頭欠巻部〜巻1  中納言は少年時に、父式部卿宮を亡くした。父宮は死後数年以上を経て、中納言の夢枕に立ち、「私は九品浄土に往生したいと願っていたが、一人息子である中納言への思いに引かれ、現世に転生して唐帝の第三皇子に生まれた」と告げる。中納言は唐へ渡り、第三皇子と対面する。皇子は七〜八歳ほどで、心のうちには中納言を我が子と知りつつ、言葉に出して親子の名乗りをすることはなかった。

*息子が冥界の父に会いに行く→〔冥界行〕4の『アエネーイス』(ヴェルギリウス)第6巻など。

★2.証拠の品を持って父のもとへ来る息子。

『ジャータカ』第7話  ブラフマダッタ王が、遊園のたきぎ拾いの女と同宿し、女は懐妊する。王は、「男児が生まれたらこれを持って連れて来るように」と言って女に指輪を渡す。生まれた子ボーディサッタは、証拠の指輪を持って母とともに王宮を訪れ、副王の位を得る。

『田村の草子』(御伽草子)  将軍俊仁が陸奥の女に一夜の情をかけ、「もし忘れ形見があらば、これをしるしに尋ねよ」と、鏑矢一すじを与えて帰洛する。やがて生まれた男児ふせり殿は、十歳になって、父が将軍俊仁であることを知る。彼は鏑矢を持って父を尋ね対面し、名を田村丸(元服して俊宗)とあらためる〔*田村丸は父の跡を継いで将軍となり、鈴鹿山の鬼神・大嶽丸や、近江国の悪事の高丸を討伐する〕。

*息子が剣を持って父を尋ねる→〔剣を得る〕3の『英雄伝』(プルタルコス)「テセウス」など。

★3.証拠の品を持って父のもとへ来るにせ息子。

『大岡政談』「天一坊実記」  八代将軍吉宗は紀州和歌山で生まれ、青年時に腰元沢の井を愛して、彼女は懐妊した。吉宗は「男児出生ならば、将来引き取ろう」とのお墨付きと短刀を渡した。それから二十年後、「天一坊」と名乗る僧がお墨付きと短刀を持ち、「自分は将軍の落胤である」と称して、江戸城にある吉宗に対面しようと、やって来る。しかしそれはにせ者だった。 

★4.父と別れて育ちながらも、父が誰かを知っている息子。

『賀茂』(能)  秦(はだ)の氏女(うじにょ)が、川で拾った白羽の矢を庵の軒にさして置き、やがて懐妊して男児を産んだ。男児が三歳の時、人々が「父は?」と問うと、男児は白羽の矢を指して、そちらを向いた。たちまち矢は雷(いかづち)となって天へ昇り、神となった。これが別雷(わけいかづち)の神である。 

『播磨国風土記』託賀の郡賀眉の里  道主日女命が、父親のない子供を産んだ。諸神を集めて酒宴をすると、子供は天目一命に向かって酒を奉った。それで「天目一命が父親である」と知れた。

『ペンタメローネ』(バジーレ)第1日第3話  王女が夫なくして男の双生児を産んだ。双生児が七歳になった時、その父親を明らかにするため大宴会が催される。貴族たちの中に父親はおらず、双生児はボロ服のペルオントに駆け寄り頬ずりをするので、彼が父であるとわかった→〔樽〕3

*息子が父の所まで這って行く→〔口に入る〕1の『捜神記』巻11−33。

*息子が父の膝の上に乗る→〔膝〕1aの前田公と徳田のおりんの伝説。

★5.父を捜し尋ねる娘。

『景清』(能)  平家の武将悪七兵衛景清は、一門滅亡後、盲目の身となって、日向の国宮崎に流された。かつて景清が尾張熱田の遊女に産ませた娘人丸(ひとまる)が、父を捜して宮崎まで旅し、乞食姿で藁屋に住む父景清と対面する。景清は、我が亡き後の供養を頼んで、娘を故郷へ帰す。

 

 

【父娘婚】

★1.互いに父親であり娘であることを知らずに、性関係を結ぶ。

『好色敗毒散』巻1−1「長崎船」  長崎のにわか分限者角左衛門が、難波の色里の太夫に打ち込んで通い続け、ついに身請けする。祝いの酒宴で角左衛門は身の上話を始め、「かつて貧しかった時代に、六歳の娘を手放した。この太夫を見て『娘も生きていればこれぐらいの年恰好』と思ったのが恋の始まりだ」と語る。それを聞いた太夫は、「それなら私は貴方の娘です」と言い、身請けは取りやめになった→〔親孝行〕4

★2.娘が自分の正体を隠して父親と交わり、男児を産む。

『変身物語』(オヴィディウス)巻10  ミュラは父王キニュラスを恋し、暗闇の中、自らの正体を隠して父王との交わりを重ねる。幾夜かの後、キニュラスは燈火で女を照らし、それが娘ミュラであることを知る。憤ったキニュラスは剣を抜いてミュラを追い、ミュラは曠野へ逃げて、男児アドニスを産む(*→〔誕生(植物から)〕1)〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第14章では、娘の名はスミュルナ、父の名はテイアースで、父娘は十二夜の間臥床をともにした、と記す。『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第30歌は、ミュラは死後、地獄の第八圏谷第十濠に堕ち、狂乱状態で裸体のまま走り回っている、と記す〕。

★3.娘二人が、父親を眠らせて交わり、男児を産む。

『創世記』第19章  ソドムの町から逃れたロトと二人の娘は、山の洞穴に住んだ。そこには男がいなかったので、二人の娘は父親ロトにぶどう酒を飲ませて眠らせ、父親と寝て子を得た。父親は、娘が寝に来たのも立ち去ったのも気づかなかった。姉は男児を産み、「モアブ(父親より)」と名づけた。彼は現在のモアブ人の先祖である。妹も男児を産み、「ベン・アミ(私の肉親の子)」と名づけた。彼は現在のアンモン人の先祖である。

★4a.父親が、眠る娘を犯す。

『魚服記』(太宰治)  十五歳の少女スワは炭焼きの父と二人で、本州北端の馬禿山(まはげやま)の小屋に暮らしていた。初雪の降った夜、スワは眠っているうちに父に犯された。スワは「阿呆」と叫んで、小屋から走り出る。滝まで来て、「おど!」と低く言って飛び込んだ。スワは小さな鮒に化し、滝壺へ吸い込まれていった。

★4b.父親が、力ずくで自分の娘を犯す。

『イソップ寓話集』(岩波文庫版)379「娘に恋をした男」  男が自分の娘に恋をした。彼は女房を田舎へやると、力ずくで娘を辱めた。娘は言った。「お父さん、畜生のようなことをしてくれたわ。こんなことなら、百人の男に身をまかせる方が良かった」。

★4c.父親が自分の娘を犯し、娘は女児を産む。

『チャイナタウン』(ポランスキー)  実業家ノア・クロスは、自分の娘・十五歳のイブリン(演ずるのはフェイ・ダナウェイ)を犯し、イブリンは女児キャサリンを産んだ。その後イブリンは、水道電力局の技師モーレイと結婚し、二人はキャサリンをノア・クロスから隠す。ノア・クロスはダム建設の利権をめぐってモーレイと対立し、彼を殺す。さらに、キャサリンを自分の元に引き取ろうとするので、イブリンはキャサリンを連れて逃げる。しかし警察がイブリンをモーレイ殺しの犯人と誤解して、彼女を射殺する。

★4d.父親が自分の娘を愛し、娘は男児を産む。娘は後に、男児を夫とする(父娘相姦の後に、母子相姦が行なわれるわけである)。

『ゲスタ・ロマノルム』244  皇帝が自分の娘を愛し、娘は男児を産んだ。男児は捨てられ、他国の王子として育てられる。成人した王子は、皇帝の娘と、互いに母であり息子であることを知らずに結婚する。後にこのことを知った皇帝・娘・王子は、七年間、贖罪の行(ぎょう)をする。しかし行を終えた後、皇帝と娘はまたしても性関係を持ってしまう。王子はその現場を見て、二人を殺した。

★5.父娘相姦の噂。

『土』(長塚節)  鬼怒川西岸の貧農勘次は、妻お品を破傷風で亡くした(*→〔破傷風〕1)。後には十五歳の娘おつぎと、三歳の弟与吉が残された。与吉はおつぎに抱かれると、おつぎの乳房をいじった。勘次にとって、おつぎは貴重な労働力であり、父と娘は一緒に田畑を耕す。おつぎが二十歳になっても、勘次は嫁に出そうとしない。村人たちは「勘次とおつぎは夫婦のようだ」と言って、父娘相姦の噂までした〔*その後、火事によって勘次の家が全焼するところで物語は終わる〕。

★6.父親が、自分の娘との結婚を望む。

『ペンタメローネ』(バジーレ)第2日第6話  王妃が臨終の床で、「私と同じくらい美しい女とでなければ、再婚しないでほしい」と、王に請う。そこで王は、妃との間に生まれた娘プレツィオーサに結婚を迫る。プレツィオーサは父王を非難し、恐ろしげな熊に変身して(*→〔棒〕1)、父王を脅す。父王がおびえて、ふとんの中に隠れている間に、熊は王宮から逃げ去る。

『ろばの皮』(ペロー)  王妃が臨終の床で、「私よりも美しく賢い女となら、再婚してもよい」と、王に言い遺す。王は新しい妻を捜すが、条件にかなうのは、王と妃との間に生まれた王女だけだったので、王は自分の娘である王女と結婚しようとする〔*類話の『千匹皮』(グリム)KHM65では、妃同様の金髪を持つ美女を捜す〕。王女は宮殿から逃げ去り、ろばの皮をかぶって身をやつし、農家の下女となる。

★7.父娘婚とも双子婚とも解釈できる物語。

『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)第8章「禁断のパートナー」  サニンは独力で生まれ、独力で息子コントロンを産んだ。コントロンは狩りの名手になった。ある日、コントロンの腿に腫れ物ができ、どんどん大きくなったので、コントロンは狩り用のナイフで腫れ物を切開する。中から女の赤ん坊が出てきて、たちまち若い娘になった。コントロンと娘は夫婦になった(アフリカ。マリ、マンディンゴ族)〔*娘はコントロンの子とも、生まれなかった双子の妹とも考えられる〕。

*生まれなかった双子→〔双子〕5の『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「畸形嚢腫」、→〔人面瘡(人面疽)〕2の『人面瘡』(横溝正史)。

*生まれなかった姉→〔腹〕5の『百物語』(杉浦日向子)其ノ60。

★8.養父と養女の結婚。

『哀しみのトリスターナ』(ブニュエル)  孤児である少女トリスターナ(演ずるのはカトリーヌ・ドヌーヴ)は、亡母と関係のあった没落貴族ドン・ロペ(フェルナンド・レイ)に引き取られ、彼の養女となった。やがてドン・ロペは、トリスターナの養父であるとともに、彼女の夫にもなる。トリスターナは、年齢の離れたドン・ロペに愛情を抱くことができず、若い愛人と駆け落ちするが、脚に腫瘍ができたため、「父の家で死にたい」と言って、ドン・ロペのもとへ戻って来る。彼女は片脚切断手術によって死を免れ、ドン・ロペと正式に結婚する。しかし最後には、彼女は夫を死に追いやった→〔夫殺し〕3

 

※父娘相姦を示す謎→〔系図〕2の『ペリクリーズ』(シェイクスピア)。

 

 

【乳房】

★1.人間が乳房に変身する。 

『乳房になった男』(ロス)  「ぼく」はニューヨーク州立大学の比較文学科の教授で、三十八歳になる健康な男性だ。その「ぼく」が突然、巨大な乳房に変身してしまった。全身が性感帯だ。「ぼく」は「乳頭をペニス代わりにして、女性と交わりたい」と願う。でも、ひょっとしたら「ぼく」は、自分を「乳房だ」と思い込んでいるだけかもしれない。これまで教室で、ゴーゴリの『鼻』やカフカの『変身』を熱心に教えてきた。そのため気が狂ったのではなかろうか。しかし医者は、「君は乳房だ」と言う。

★2.乳房を露出して、敵を追い払う。

『赤毛のエイリークのサガ』  幻の地ヴィーンランド(北アメリカ大陸のことか?)を求め、航海を続けるヴァイキングたちが、ある河口に着いて上陸する。原住民スクレーリンギャルとの戦いになって、ヴァイキングたちは敗走する。赤毛のエイリークの娘フレイディースが踏みとどまり、服の下から乳房を引き出して、抜き身の剣でたたく。スクレーリンギャルはそれを見て恐れ、逃げ去った。

★3.乳房を恐れる。

『聊斎志異』巻12−487「李象先」  李象先の前世は僧だった。死んだ時、魂は僧坊の上に出て、その後、一軒の家へ飛んで行った。門に着くと、赤ん坊の身体になっていた。赤ん坊は、母の乳房を恐れた。はじめは目を閉じて乳を吸ったが、三ヵ月余りたつと乳房をこわがって泣きわめき、もう乳を飲まなかった。この赤ん坊が李象先で、彼は山東省の名士である。彼は老人になっても、女の乳房をこわがった。

★4a.乳房を握って安らぎを感じる。

『暗夜行路』(志賀直哉)前篇第二の14  時任健作は自分の出生を知って(*→〔出生〕2c)、惨めな気持ちになった。接するものすべてが、屈辱の種だった。彼は娼家へ上がり、女のふっくらとした重みのある乳房を柔らかく握ってみる。軽く揺すると、気持ちのいい重さが掌に感ぜられ、彼は「豊年だ!豊年だ!」と言った。それは彼の空虚を満たしてくれる唯一の貴重な物、その象徴と感ぜられた。

★4b.乳房をつかんだ手が離れない。

『因果ばなし』(小泉八雲『霊の日本』)  大名の奥方が、重病で死の床につく。奥方は、十九歳の側室雪子を憎み、両手で雪子の乳房をつかんで息絶える。外科医が奥方の両手を手首から切断するが、手は黒ずみ干(ひ)からびても、乳房から離れない。毎晩、丑の刻から寅の刻まで、両手は乳房を締めつけて、雪子を苦しめる。雪子は出家して名を「脱雪」と改め、奥方の位牌を持って諸国を巡礼する。しかし両手は、いつまでも彼女を責めさいなんだ。 

★5.乳房を手術する。

『華岡青洲の妻』(有吉佐和子)  「乳房を切れば、女の命は絶える」と言われ、乳房の病気には有効な治療法がなかった。江戸時代末期、蘭方(オランダ医学)を学んだ華岡青洲は、長年の研究の末、漢方の生薬をもとに麻酔剤「通仙散」を完成させた。文化二年(1805)、彼は、六十歳の乳癌の女性に全身麻酔を施し、手術を成功させる。それは欧米よりも四十年ほど先行する、世界最初の全身麻酔手術であった。

★6.乳房榎。

『怪談乳房榎』(三遊亭円朝)28〜36  練馬の赤塚村に、松月院という寺がある。その寺の榎には、乳房のような瘤がいくつもあり、その先から甘い露が垂れる。乳の出ない女が、この露を乳首につけると、乳が出るようになる。下男に育てられた真与太郎(まよたろう)は、母乳代わりにこの露を飲み、五歳の時に、父菱川重信の敵(かたき)である磯貝浪江を討った。 

★7.母体の死後も乳を出し続ける乳房。

『熊野の御本地のさうし』(御伽草子)  五衰殿の女御は山中で王子を産み落とし、その直後に斬首された。武士たちが首を劒(つるぎ)に刺して持ち帰り、女御の胴体と王子が山中に放置された。年月が経(た)つに連れ、遺骸の手足の色は変わっていったが、乳房は変わることなく、乳を出し続け、王子は亡母の乳を飲んで成長した〔*類話の『神道集』巻2−6「熊野権現の事」では、王子の三年目の誕生日に母の髑髏が水となって消えた、と記すなど小異がある〕。

★8.五百人の子に乳を与える乳房。

『今昔物語集』巻5−6  隣国の五百人の武士が、般沙羅国王の城を取り囲んで攻める。ところがその五百人は、実は、かつて般沙羅国王の后が産み棄てた子供たちだった(*→〔出産〕4)。后は高楼に登って、五百人の武士に「汝らは皆、私の子である。疑うのなら各々口を開け。私の乳が汝らの口に入るであろう」と告げる。后の乳房からは乳がほとばしり、同時に五百人の口に入った。五百人の武士は后を母と知り、畏(かしこ)まり敬って還り去った。

★9.乳房の起源。

女の乳房の起源  昔は、男が乳房を持ち、女がひげを持っていた。ある日、男と女が競走して、女が勝った。すると精霊が「これではいけない」と言って、男がひげを持ち、女が乳房を持つようにした。この変更がなかったら、今にいたるまで、女が子供を産んでも、男が子供を育てねばならなかっただろう(メラネシア、アドミラリティ諸島)。

★10.女の乳房と男の乳首。

『女がた』(森鴎外)  温泉宿へ来た好色な老富豪をこらしめようと、男性俳優が女中に変装して寝間に侍(はべ)る。まもなく老富豪は、「乳がない。けしからん」と怒り出す。俳優の仲間が女中の親戚に扮して、「乳首なら確かに二つあります」と保証する。老富豪「あっても小さい。まるで男じゃ」。仲間「男でも横綱梅が谷のように乳の大きい者もあれば、女でも・・・・・・」。老富豪は、「こんな宿はいやじゃ」と言って帰って行く。

★11.乳房を蛇に噛ませる。

『ゲスタ・ロマノルム』279  ローマのオリンプス帝の妃が、ある貴婦人を憎み、呼び寄せて、「二人の子供に授乳してほしい」と頼む。貴婦人が承知すると、妃は二匹の蛇を見せ、「この二人の子供を、そなたの乳で養いなさい」と命ずる。妃は蛇を貴婦人の胸に置き、蛇は毒牙を乳房に突き立てる。妃は貴婦人に「衣服を着け、帰宅しなさい」と言い、貴婦人は帰宅したが、三日後に蛇の毒で死んだ。

★12.アマゾンの乳房。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第5章  闘う女族アマゾンたちは、槍を投げる邪魔にならぬよう右の乳房を取り除き、子供を養育するために左の乳房だけを残した。他国の男と交わって、生まれたのが女児であれば養育した〔*男児は殺すか不具にした、という。 a =否定辞、mazos =乳で、Amazon は「乳なし」の意〕。

★13.乳房が三つある女。

『パンチャタントラ』第5巻第12話  三つの乳房を持つ王女が、盲人を夫とした。王女は傴僂(せむし)と情を通じ、夫を殺そうと毒蛇を煮る。ところが、毒蛇を煮る蒸気にあたって、夫は眼が見えるようになった。夫は、王女と傴僂が戯れているのを見て怒り、傴僂の体をふりまわして、王女の心臓めがけて投げつける。その衝撃で、乳房の一つが胸の中に入り込み、王女の乳房は二つになった。傴僂は、ふりまわされたために体が真っ直ぐになった。めでたしめでたし。

 

※乳房からほとばしる乳が、天の川になる→〔天の川〕3の『天の川は聖母マリアの乳の川』(アルゼンチンの民話)など。 

※処女の乳房→〔処女〕3の『潮騒』(三島由紀夫)第13章。

※七尺もある乳房→〔星の化身〕1の『捜神記』巻4−2(通巻72話)。

※乳房に、自分と恋人の頭文字を刻む→〔傷あと〕2の『頭文字』(三島由紀夫)。 

※虱の目からは、乳房は大きな山に見える→〔虱〕5の『女体』(芥川龍之介)。

 

 

【チフス】

 *関連項目→〔病気〕

★1.明治・大正の頃には、腸チフス(チブス)は死にいたる伝染病だった。

『一塊の土』(芥川龍之介)  老農婦お住の家では、倅の仁太郎が長患いの末に死に、嫁のお民と幼い広次が残された。お民は仁太郎の死後も家にとどまり、再婚もせず、野良仕事に励む。はじめのうちはお住も喜んでいたが、お民が働いている以上、お住も休むわけにはいかず、年をとるにつれて、お住はだんだん辛くなってきた。お民はお住に、「お前さん、働くのがいやになったら、死ぬよりほかはなえよ」と言った。しかし、お住は死ななかった。丈夫自慢のお民の方が腸チブスに罹患し、発病後八日目に死んでしまった。

『こころ』(夏目漱石)  「先生」は新潟県の富裕な家の一人っ子として育った。しかしまだ二十歳にならない時分に、両親とも腸チフスで死んでしまった。最初に父が罹病し、看護する母に伝染したのである。両親の死後、「先生」は叔父夫婦の世話になった。ところが叔父は「先生」の家の財産を横領し、それをごまかすために、自分の娘と「先生」を結婚させようとした。「先生」は人間不信に陥り、叔父と縁を切って、一人で東京へ出た。

『すみだ川』(永井荷風)  十八歳の長吉は、常磐津の女師匠の一人息子で、「役者か芸人になりたい」と思っている。しかし母はそれを許さず、進学させて月給取りにするつもりである。長吉は幼なじみのお糸とも会えなくなり、前途の希望を失う。彼は「いっそ病気にでもなって死にたい」と考え、大雨で水害にあった地区へ出かけて、泥水の中を歩き回る。その夜から長吉は風邪を引き、腸チフスになって病院へ運ばれる。

『それから』(夏目漱石)7  長井代助と平岡常次郎の学友に、菅沼という男がいた。菅沼は東京近県の出だったが、妹の三千代と二人で東京に家を持ち、菅沼は大学へ、三千代は女学校へ通った。菅沼が卒業する年の春、田舎の母親が遊びに出て来て、チフスに罹患した。すぐ大学病院へ入れたものの、母親は死に、さらに、見舞いに来た菅沼にもチフスが伝染して、彼も程なく死んでしまった。その年の秋、三千代は平岡と結婚した→〔犠牲〕7

*妻をチフスに感染させて死なせる→〔死因〕4の『途上』(谷崎潤一郎)。

★2.昭和になっても、チフスは危険な病だった。

『朝顔』(三島由紀夫)  「私」の妹美津子は、終戦の年の十一月に腸チフスで死んだ。享年十七歳である。初秋の暑い日に、焼け跡の鉛管から出ている水を呑んで、感染したらしい。妹の死後、「私」はたびたび妹の夢を見た。夢の中では、妹は病気が治っている。ある時、妹と会った後に、それが幽霊だったことに気づき、「私」は自分の乗る自動車の運転手に「あれは幽霊だ」と言った。運転手は「そうだ」と答えて、爪で「私」の腕をつかんだ。

★3.浮気の証拠のチフス。

『熱い空気』(松本清張)  大学教授稲村は、妻春子の妹寿子と不倫関係にあった。二人は偽名を使って、熱海のR観光ホテルに宿泊する。ところが後になって、当日、ホテルにチフス患者がいたことがわかった。チフスは法定伝染病なので、警察が宿泊客の調査を始める。家政婦河野信子は(*→〔女中〕5)、稲村の浮気を察知し、彼がR観光ホテルに宿泊したことを警察へ知らせる。それに加えて、寿子がチフスを発症したために、稲村の浮気は妻春子の知るところとなった〔*テレビドラマ『家政婦は見た』第1回の原作〕。

*「浮気の証拠のチフス」は大事(おおごと)だが、「デートの証拠の風邪」くらいであれば、見過ごされてしまう→〔風邪〕4の『殿方ご免遊ばせ』(ボワロン)。

 

※医師がチフスに感染する→〔鏡が割れる〕1の『父と子』(ツルゲーネフ)。

 

 

【地名】

★1.地名の起源。

『古事記』上巻  スサノヲノミコトはヤマタノヲロチを退治した後、クシナダヒメとともに住む宮を造ろうと、出雲国の中の適地を方々捜した。ある所へ来ると、心がすがすがしくなったので、その地に宮を造った。以後、そこを「須賀」と言う。

*稲田姫(クシナダヒメ)が「母来ませ」と言ったので「伯耆(ははき・はうき)」→〔母と娘〕6の『和漢三才図会』巻第78「伯耆」。

『古事記』中巻  崇神天皇の軍と建波邇安王の軍が、山城の和訶羅河(木津川)を挟んで挑(いど)み合った。それゆえそこを「伊杼美(いどみ)」と言い、今は「伊豆美(いづみ)」と言う。建波邇安王が死に、敗走する兵たちは攻められて苦しみ、屎が出て褌にかかった。それゆえそこを「屎褌(くそはかま)」と言い、今は「久須婆(くすば)」と言う。

『古事記』中巻  ヤマトタケルは相武(さがむ)の国造(くにのみやつこ)たちを斬り殺し(*→〔袋〕4)、死体に火をつけて焼き払った。それゆえその地を「焼津」と言う。また、足柄の坂を登った時、自分の身代わりに海に沈んだオトタチバナヒメを偲び(*→〔船〕8)、ため息をついて「吾妻はや」と呼びかけた。それゆえその国を「東(あづま)」と呼ぶ。また、病み疲れて三重の村に到り、「我が足は三重に曲がって、ひどく疲れた」と言った。それゆえその地を「三重」と言う。

『竹取物語』  天にいちばん近い山に、多く(「富」)の兵(「士」)が登り、かぐや姫の遺した「不死」の薬を燃やした。その煙は今でもつきることなく(「不尽」)立ち昇っている。それゆえ、その山を「ふじ」と言う。

『遠野物語』(柳田国男)68  昔、八幡太郎義家が似田貝村を通った時、兵糧の粥がたくさん置きっ放しになっており、義家は「これは煮た粥か」と尋ねた。これが似田貝村の名の起こりである。

『とはずがたり』(後深草院二条)巻5  土佐のある岬で僧が修行し、そこに二人の小法師がいた。ある時、小法師たちは小舟に棹さして、南に向けて船出する。師僧が行く先を問うと、小法師は「補陀落世界へ」と答え、観音・勢至の二菩薩と化す。岬に一人取り残された師僧は足摺りをして泣き悲しみ、以来そこを「足摺岬」という〔*二条が西国へ旅した折に聞いた伝説〕。

*淵に落ちたので「オチクニ」、今では「オトクニ」→〔醜女〕2の『古事記』中巻。

*柴を伐って死体を覆ったので「柴原(さいげん)」→〔殉死〕1bの『三国史記』巻17「高句麗国本紀」第5。

*荒ぶる神が往来の人を殺したので「死野」→〔名付け〕11の『播磨国風土記』神前の郡。

*大蛇の血で池に赤い波が立ったので「丹波」(丹=赤)→〔蛇退治〕1の丹波の始まりの伝説。

*百舌鳥が鹿の耳から出たので「百舌鳥耳原」→〔耳〕2の『日本書紀』巻11仁徳天皇67年10月。

★2.呪力を持つ地名。

『一挙博覧』(鈴木忠侯)巻之1・31  桑原の地は、昔、菅家(菅原道真)が領有していた所である。延長の霹靂(*→〔落雷〕1の『北野天神縁起』)の折も、その後も、この桑原には一度も落雷がなかった。これによって京中の児女子は、今でも、いかづちの鳴る時に「くわばらくわばら」と言って、まじないをするのである。

重源上人の雷封じの伝説  桑原村の西福寺で、雷が誤って境内の井戸へ落ちた(*→〔へそ〕4)。住職の俊乗房重源上人が、石で井戸に蓋をしたため、雷は外へ出られない。雷は「二度と桑原には落ちません」と誓い、重源上人は井戸の石をのけてやる。雷は昇天し、以後八百年間、桑原の地には落雷がない。これがもとで、「桑原桑原」と唱えて雷をよけるようになった(大阪府和泉市桑原町)。

★3.不吉な地名。

『三国志演義』第63回  劉備の軍師ホウ統が、劉璋の軍と戦うために、兵を率いて出発する。山中の間道を通る時、ホウ統は胸騒ぎを覚えて、「ここは何という所か?」と問う。兵は「落鳳坡といいます」と答える。ホウ統は「私の呼び名は『鳳雛』。落鳳とは不吉な地名だ」と、後退しようとするが、待ち伏せしていた敵軍から、多くの矢を射かけられて死んだ。

*泉の名前、村の名前を嫌う→〔泉〕5の盗泉の水の故事。

★4.近代の地名。

『硝子戸の中』(夏目漱石)23  「私(夏目漱石)」の父は区長をしていたことがあったので、夏目家の定紋が「井桁」に「菊」であるのにちなみ、「喜久井町」という町を作った。また、自宅の前から南へ行く時に登らねばならぬ長い坂に、「夏目坂」という名をつけた。

★5.地名が人の心に及ぼす力。

『武蔵野夫人』(大岡昇平)第4章「恋ヶ窪」  大学生の勉は、フランス語教師秋山の家に寄宿していた。秋山の妻道子と勉は、従姉弟どうしだった。二人はしばしば連れ立って散歩に出た。ある時、遠くまで脚をのばし、勉が「ここはなんて所ですか?」と、水田の農夫に聞いた。農夫は「恋ヶ窪さ」と答えた。その地名を聞いた時、道子は、勉への恋心を自覚した〔*二人は肉体的に結ばれることなく、やがて道子は自殺する〕。

★6.地名の誤解。

『男はつらいよ』(山田洋次)第23作「翔んでる寅次郎」  寅次郎が、北海道で出会った娘(演ずるのは桃井かおり)に、「ねえちゃんは、家はどこだ?」と尋ねる。娘は「田園調布」と答える。寅次郎は、「田園地帯か。おとっちゃん、百姓?」と聞く。娘は「違うけど」と言って笑う。

 

※人名(僧の名前)がそのまま地名になる→〔僧〕4の東尋坊の伝説。

※海の名前(ヘレスポントス)の起源→〔海〕10の『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第9章。

※島の名前(八丈島)の起源→〔島〕7の為朝の蛇退治の伝説など。

 

 

【血文字】

★1.血文字で辞世の和歌を記す。

『あいごの若』(説経)5段目  十五歳の愛護の若は、母を亡くし父にも見捨てられて絶望し、きりうが滝に投身する。その時、若は左指を食い切り、岩のくぼみに血をため、柳を筆として小袖に恨み言を記し、「神蔵やきりうが滝へ身を投ぐる語り伝へよ杉の群立ち」の歌を残した。

『伊勢物語』第24段  宮仕えに出た夫が三年ぶりに家へ戻るが、妻がすでに別の男と結婚したと知って、去る。妻は夫のあとを追い、力尽きて清水のそばに倒れ、指の血で岩に「あひ思はで離れにし人をとどめかね我が身は今ぞ消え果てぬめる」と書いて死ぬ。

★2.血文字で、強い怒り・恨みの心を表す。

『南総里見八犬伝』第6輯巻之4第57回  文明十一年(1479)五月十六日未明、犬坂毛野は、父や兄たちの仇・馬加大記一族を、対牛楼で皆殺しにした。その時毛野は壁に、仇討ちの趣意と自らの姓名など五十余文字を、敵の血で書き留めた。

『緋色の研究』(ドイル)  ジェファースンは、恋人ルーシーを死にいたらしめた二人の男、ドレッバーとスタンガスンを殺し、恨みをはらした(*→〔一夫多妻〕6)。ドレッバーを毒殺した時、多血質のジェファースンは興奮の余り、おびただしい鼻血を出す。彼はその鼻血で、壁に「RACHE(復讐)」と書いた。スタンガスンを刺殺した時も、ジェファースンは床に「RACHE」の血文字を残した〔*ジェファースンは、ホームズによって逮捕された直後に、動脈瘤が破裂して死んだ〕。

『保元物語』下「新院御経沈めの事」  讃岐国に配流された崇徳院は、指先から血をしたたらせて五部の大乗経を三年間で書写し、「都近くの社寺に納めたい」と願うが拒否された。院は髪も剃らず爪も切らず、生きながら天狗の姿になって「我、日本国の大魔縁とならん」と祈り、舌先を食い切って流れる血で大乗経の奥に誓文を記した。

*蛇の血文字→〔蚊帳〕4の『絵本百物語』第27「手負蛇(ておひへび)」。

*牛の涎(よだれ)文字→〔牛〕3の布引観音の伝説など。 

★3.墨がないので血で長大な文章を記す。

『カター・サリット・サーガラ』「『ブリハット・カター』因縁譚」  かつてシヴァ神が語った物語をカーナブーティが口誦し、それを大詩人グナーディヤが七年間で七千頌の「ブリハット・カター」となした。墨がなかったため、グナーディヤは自らの血で「ブリハット・カター」を書き記した。しかしサータヴァーハナ王がこの物語を軽んじたので、グナーディヤは六千頌を焼き捨て、一千頌のみを残した。

 

 

【茶】

★1.素人が茶の湯を始める。

『茶の湯』(落語)  根岸に住む隠居が、茶の湯を始めようと思うが、子供の頃に習ったきりだから、何もかも忘れている。「茶碗の中へ入れる青い粉・・・・・・何だったかな?」と首をかしげると、小僧の定吉が心得顔に青黄粉(あおぎなこ)を買って来る。茶筌でかき回しても泡が立たないので、椋(むく)の皮を茶釜に放り込み、盛んに泡だてる。茶席に招かれた近所の人たちは、青黄粉と椋の皮を煎じたものを飲んで生きた心地もなく、口直しに羊羹を食べて一息つく。

『不審庵』(太宰治)  黄村(おうそん)先生が茶の湯を始めた。今年の夏、「私」は茶会に招かれ、黄村先生の弟子の文科大学生二人と一緒に、先生の家へ行った。壊れかけの七輪が三畳間に置いてあり、煤(すす)けたアルミニュームの薬罐(やかん)がかかっている。ふんどし一つの黄村先生が、茶筌で薄茶を懸命にかき回すが、どうしても泡が立たず、茶会は失敗に終わった。数日後、黄村先生から「茶の湯は要(い)らぬ事で、喉が渇いたら、水甕の水を柄杓でごくごく飲むのが一ばん」という手紙が来た。

*黄村先生を主人公とする作品は、他に→〔山椒魚〕3の『黄村先生言行録』、→〔歯〕8の『花吹雪』がある。

★2.おかしなお茶会。

『不思議の国のアリス』(キャロル)  三月兎の家の前のテーブルで、三月兎と帽子屋がお茶を飲んでいた。二人の間にヤマネ(眠り鼠)がすわっていて、ぐっすり眠り込んでいる。アリスも席に着き、彼らの会話に加わる。「答えのないなぞなぞ(*→〔謎〕5)」や「時間のわからない時計(*→〔時計〕12)」に呆れ、すっかり頭が混乱して、アリスはその場を立ち去る。ふり返ると、三月兎と帽子屋が、ヤマネをお茶のポットに押し込もうとしていた。「あんなばかげたお茶会に出たのは、生まれてはじめてだわ」とアリスはつぶやく。

★3.朝茶は縁起が良い。

朝茶の由来の伝説  大蛇が、一人暮らしの老人を呑もうと、様子をうかがう。ところが、老人が「今日も朝茶でも飲むか」と独り言をいったのを、大蛇は「蛇(じゃ)を呑む」と聞き違える。「この老人は毎朝、蛇を呑んでいるのか」と、大蛇は恐れて逃げ帰る。以来、「朝茶は縁起が良い」「朝茶は難を逃れる」などと言われるようになった(埼玉県秩父郡大滝村)。

★4.マテ茶。

『マテ茶の木の起源』(アルゼンチンの昔話)  年老いた男と娘が、農場で寂しく暮らしていた。イエス様が聖パヴロや他の聖人たちと一緒に訪れ、男は一行をもてなして家に泊めた。男が「年をとったので、働いて娘を育てるのがたいへんだ」と打ち明けると、聖パヴロは「明日、褒美をあげよう」と言う。翌日、聖人の一行が去った後、男は具合が悪くなって「娘よ」と叫んだが、娘は「カア」と呼ばれるマテ茶の木に変っていた。男の死後、娘が一人残されてはかわいそうなので、皆の役に立つ木に変えられたのだ。

★5.ほうじ茶と法事。

『ほうじの茶』(落語)  芸のできない幇間(たいこもち)の一八は、不思議な茶を持っていた。茶を焙じると、一八の代わりの幇間が現れ、舞や浄瑠璃やバイオリン演歌や、いろいろな芸を見せてくれる。若旦那が感心し、真似をして茶を焙じるが、現れたのは幇間ではなく、亡父の霊だった。「茶屋遊びばかりして、先祖の供養がおろそかになっておる」と、若旦那はさんざんに怒られた。お茶をしっかり火で炙(あぶ)らなかったので、焙じ(法事)が足りなかったのだ。

★6.片葉の茶。

片葉の茶の伝説  天女が、星野という男(「星野行明」という猟師とも、「星野日向守」という武将ともいわれる)に羽衣を取られ、やむなく彼と夫婦になって、男児が生まれる。男児が三歳になった時、天女は羽衣を取り戻して天へ帰る。その時、天女は「片葉の茶を残しておくので、子供に飲ませてやって下さい」と、星野に頼んだ。まもなく星野の家の庭に片葉の茶が繁りはじめ、それを飲ませると、子供は病も知らず成長した(愛知県豊川市行明町)。

 

 

【仲介者】

★1.仲介者が、君臣・父子などの仲を隔てる。

『北野天神縁起』  菅原道真配流の宣旨を取り消させようと、宇多院は、わが子醍醐帝のいる清涼殿へむかう。しかし取り次ぎの蔵人頭菅根は、道真に対して恨みを含むところがあったので、院の来訪を帝に知らせなかった〔*『江談抄』第3−28に類話〕。

『牛人』(中島敦)  魯の大夫叔孫豹は、庶子の豎牛(じゅぎゅう)を信頼して、家政一切をまかせた。叔孫豹が一室に病臥するようになると、外部との連絡は、すべて豎牛が受け持った。豎牛は、嫡子である孟丙や仲壬の言葉を叔孫豹に取り次がず、讒言を重ねて、孟丙を殺し仲壬を国外へ追う。叔孫豹のために膳部の者が運ぶ食事は、すべて豎牛が食べ、叔孫豹は餓えて死んだ〔*→〔乗っ取り〕1aの『銀の仮面』(ウォルポール)を連想させる〕。

『史記』「李斯列伝」第27  趙高は、二世皇帝胡亥と丞相李斯の間を裂こうと、胡亥が暇な時には李斯の諌言を取りつがず、胡亥が酒と女を楽しんでいる時にかぎって、李斯を目通りさせた。胡亥は李斯に対して怒りの思いを抱くようになった。

『パンチャタントラ』第1巻・主話  ジャッカルのダマナカが、獅子王ピンガラカと牡牛サンジーヴァカの双方に、「相手がおまえに害意を持っている」と偽りの告げ口をして、両者の仲を裂いた。獅子王と牡牛は闘い、獅子王の爪の一撃で牡牛は死んだ。獅子王は牡牛の死を悲しむが、ダマナカは「そのような悲しみは、王様にふさわしくない」と言う。獅子王は悲しみを棄て、ダマナカを大臣に任命した〔*『パンチャタントラ』を翻案した『カリーラとディムナ』第1章では、山犬ディムナが同様の悪事をする〕。

『水鏡』下巻  光仁天皇の第四子・他戸(おさべ)親王は、政争に巻き込まれて東宮の座を失い、「死去した」との風聞が流れた。後、他戸生存の噂が立った時、光仁天皇は「他戸をもう一度東宮にしたい」と願って、使者に他戸生存を確かめに行かせる。しかし藤原百川が「他戸が復帰したら世が乱れる」と考え、使者を脅す。使者は他戸に会いながらも、「他戸生存は誤報でした」と光仁天皇に報告する。

★2.仲介者が男女の仲を裂く。

『藍染川』(能)  太宰府の神主と契りを結んだ京の女が、子を連れて筑紫へ神主を尋ね行く。神主の妻は夫に知らせずに、「対面せぬ。京へ帰れ」との偽手紙を作って女に渡す。女は悲嘆して藍染川に身を投げる。

『オセロー』(シェイクスピア)  将軍オセローがキャシオーを副官に任命したため、イアーゴーはオセローを恨む。オセローが妻デズデモーナに贈ったハンカチをイアーゴーは手に入れ、それをキャシオーに持たせるなどして、イアーゴーは、デズデモーナとキャシオーが不義をはたらいているかのように、オセローに思わせる。オセローはイアーゴーの言葉にふりまわされて判断力を失い、デズデモーナを扼殺する。

『千一夜物語』「『ほくろ』の物語」マルドリュス版第261〜262夜  美少年「ほくろ」は、離縁されたばかりの美人妻と結婚することになった。美人妻の先夫は、結婚の妨害を老婆に依頼する。老婆は、「ほくろ」と美人妻の双方に「相手はらい病だ」と嘘を告げる。しかし二人は互いに美しい裸身を示し合って老婆の嘘を知り、結婚した。

『戦国策』第17「楚」(4)210  楚の懐王のもとに美女が贈られ、寵愛される。王の夫人が、その女に「王様は汝の鼻がお嫌いゆえ、鼻を隠せ」と教え、王には「あの女は王様の体臭を嫌って鼻を隠している」という。美女は鼻斬りの刑に処せられる〔*和尚と小僧型の昔話『鼻が大きい』は、これと同型〕。

*逆に、仲介者たちが策を用いて、仲の悪い男女を結びつける→〔立ち聞き(盗み聞き)〕7の『空騒ぎ』(シェイクスピア)。

★3.結婚の使者。

『十二夜』(シェイクスピア)  オーシーノウ公爵が、オリヴィア姫への求愛の使者として小姓シザーリオを送る。しかし小姓シザーリオは実は女(本名ヴァイオラ)であり、ひそかにオーシーノウ公爵を恋している。一方オリヴィア姫は、小姓シザーリオ(ヴァイオラ)を女とは知らず、一目惚れする〔*最後には、オリヴィア姫はヴァイオラの双子の兄セバスチァンと結婚し、ヴァイオラはオーシーノウ公爵と結ばれる〕。

『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)第12・16章  イングランドのマルケ王の花嫁にイゾルデ姫を迎えるべく、騎士トリスタンが使者としてアイルランドへ赴く。ところが、トリスタンがイゾルデ姫を伴ってイングランドへ戻る船中で、二人は誤って媚薬を飲み、恋に落ちる→〔処女〕4

『日本書紀』巻13安康天皇元年2月  安康天皇が弟大泊瀬皇子(後の雄略天皇)のために、大草香皇子の妹幡梭皇女を娶ろうと考える。大草香皇子はこれを承諾し、家宝の押木珠縵(おしきのたまかづら)を天皇に献上すべく、使者の根使主に託す。ところが根使主は珠縵を横取りし、「大草香皇子が求婚を拒絶した」と天皇に報告する。天皇は怒り、大草香皇子を殺して、幡梭皇女を大泊瀬皇子に与える〔*『古事記』下巻の同記事では、妹の名を若日下王とする〕→〔装身具〕2

『ばらの騎士』(R・シュトラウス)  オックス男爵が新興貴族ファニナルの娘ゾフィーと近々結婚するので、青年伯爵オクタヴィアンが使者として、婚約のしるしの銀のばらを届ける。ところがゾフィーとオクタヴィアンは、互いを一目見て心ひかれる。やがてオックス男爵の不品行が明るみに出て、結局、ゾフィーとオクタヴィアンが結婚することになった。

★4.人間が神様のもとへ使者を送る。

『カメレオンとトカゲ』(アフリカの昔話)  人間がカメレオンを使いに出し、「死なない方法」を神様に問う。神様は、「モロコシの餅を焼いて死体の上に載せれば、人は生き返る」と教える。ところがカメレオンは足が遅いので、せっかくの教えが、なかなか人間のもとへ届かない。人間は待ちきれずに、もう一度、今度はトカゲを使いに出す。神様は、「二度も使いをよこした」と怒り、「人が死んだら、地面に穴を掘って埋めよ」と教える。足の速いトカゲは、カメレオンを追い越して帰り、人間はトカゲの教えどおりに死体を埋める。人間は「辛抱」を知らなかったために、生き返ることができなくなった(中央アフリカ共和国、マルギ人)。

 

 

【蝶】

★1.蝶は死者の魂、もしくは死者の化身である。

『朝顔の露の宮』(御伽草子)  朝顔の上と露の宮を葬った塚の内から若君一人が生まれ出たが(*→〔土葬〕2)、父母なくしては育つこともかなわず、まもなく露と消えた。その魂は胡蝶と化して花々に戯れ、「父よ母よ」と明け暮れ嘆いた。

『現代民話考』(松谷みよ子)5「死の知らせほか」第2章の9  「私」の姉は昭和六十三年(1988)に死去した。姉は、国連に勤務する人の妻で、ウィーンの外交官夫人のような美しい姿のまま、亡くなった。火葬後、お寺の庭でお経をあげていた時、姉の息子が持つ花束の中から、黒いアゲハ蝶が飛び立った。三十人ほどがその場にいたが、蝶を見たのは三〜四人だった(栃木県)。

『蝶』(小泉八雲『怪談』)  高浜青年の婚約者アキコは、婚礼直前に肺病で死んだ。高浜はアキコの墓の隣地に家を建てて住み、一生独身をとおす。数十年後、年老い臨終の床についた高浜の部屋へ、大きな白い蝶が舞いこむ。看病していた甥が追い払うと、蝶はアキコの墓石の前まで飛んで姿を消す。蝶はアキコの魂であった。

『発心集』巻1−8  大江佐国は生前花を愛し、「他生にもまた花を愛する人たらん」の詩を作った。死後ある人の夢に、「佐国は蝶になった」と見えたので、佐国の子は前栽の花を手入れし、集まる蝶の世話をした。

*女が蝶に生まれ変わる→〔一妻多夫〕4の『ちょうと三つの石』(小川未明)。

★2.亡魂が、蝶の前段階の毛虫になるばあいもある。

『狗張子』(釈了意)巻5−5「宥快法師、柳岡孫四郎に愛着して毛虫となること」  宥快法師は美少年孫四郎との仲を、孫四郎の父甚五郎に裂かれた。宥快はこれを怒って自ら絶食死し、道連れに孫四郎をも取り殺した。宥快の亡魂は無数の毛虫となって、甚五郎の家に湧き出る。それらは日を経て蝶となり、群がり飛んだ。

*死体に多くの蛆がわき、それが何千もの蝶になる→〔虫〕2cの蝶化身(水木しげる『図説日本妖怪大鑑』)。

★3.夢を見る人と蝶。

『安芸之助の夢』(小泉八雲『怪談』)  夏の午後、安芸之助は庭の杉の木の下で、「常世の国王の婿となって、二十三年を過ごす」との夢を見る。うたた寝をする安芸之助の顔の上を、一匹の蝶が飛び、それが蟻によって木の下の穴へひきずりこまれる有様を、彼の友人二人が見た。木の下には蟻の国があった〔*原拠である『南柯大守伝』(唐・李公佐)には、蝶は出てこない〕。

『荘子』「斉物論篇」第2  昔、荘周(荘子)は、夢で胡蝶となった。楽しく飛びまわって、自らが荘周であることを忘れたが、ふと目覚めて見ると自分は、まぎれもなく荘周である。これは、荘周が蝶になった夢を見たのだろうか? それとも今、蝶が荘周になった夢を見ているのだろうか?

 *「『われわれ=夢』かもしれないことを示唆するのに、もっともぴったりした言葉『蝶』を、荘子は選んだのだ」とボルヘスは言う。「『荘子は虎になった夢を見た』とか、『タイピストになった夢を見た』とか、『鯨になった夢を見た』では、ナンセンスであり、的はずれであろう(『詩という仕事について』2「隠喩」)」。

*「私」は人なのか? 石なのか?→〔石〕13の『ユング自伝』1「幼年時代」。

『七話集』(稲垣足穂)5「荘子が壺を見失った話」  路ばたの青い壺に見覚えがあるので、荘子は「昔、夢の中で見た壺か? それとも友達の家にあった壺か?」と、思い出そうとする。その時、壺の中から白い蝶が一つ、ひらひらと飛び出して行った。しばらくして荘子はそれに気づいたが、蝶も壺もどこへ行ったのか見当たらなかった。

★4.人の死と蝶。

『西部戦線異状なし』(マイルストン)  第一次大戦も終わりに近いある日。ドイツ兵ポールは前線の塹壕にいたが、銃声が止み、つかの間の静寂が訪れる。ポールは一匹の蝶を見つけ、つかまえようと、手をのばして塹壕から身を乗り出す。その時フランス兵がポールを狙撃し、彼の手は蝶に届くことなく地面に落ちる〔*レマルクの原作には、この場面はない〕。

『捜神後記』巻8−2(通巻88話)  葛輝夫(かつきふ)という人が、妻の実家に泊まった。真夜中頃、二人の男があかりを持って、縁先まで近づいて来る。輝夫が杖で打ちかかると、二人とも蝶に変わってひらひら舞った。そのうちの一匹が輝夫の腋の下にぶつかり、輝夫は倒れて死んだ。

★5.蝶の精。

『胡蝶』(能)  吉野山中に住む僧が都へ上り、古宮の梅を見ていると、一人の女が言葉をかけてくる。女は「私は人間ではありません。胡蝶です」と言い、「『法華経』を読誦してほしい」と願って、姿を消す。僧が読経すると、夜の夢に胡蝶の精が現れる。胡蝶の精は「私は『法華経』の功徳で、成仏することができました」と礼を述べて、舞う。

★6.蝶が口に入って身ごもる。

『キリシタン伝説百話』(谷真介)100「雪の三タ丸屋(サンタマルヤ)」  二月の中ごろの、ある日の夕暮れ時、精霊が蝶の姿に身を変えて、処女丸屋(*→〔処女〕1)の口のなかに飛び込んだ。丸屋はたちまち身ごもり、家を追われてあちらこちらさまよった果てに、ベレンの国に到った。大雪の夜、丸屋は農夫の家の牛馬小屋で、赤子を産み落とした。この赤子が、イエス・キリスト様である。

 

※魔女の魂が蝶の姿をとる→〔眠りと魂〕3の『金枝篇』(初版)第2章第2節。

 

 

【長者】

★1.貧しい男が長者になる。

『炭焼き長者』(日本の昔話)「初婚型」  縁遠い娘が、占い師から「お前は、遠い田舎にいる炭焼き五郎という人と縁が結ばれている」と教えられ、炭焼き五郎の小屋を訪ねて嫁になる。五郎は、嫁の持つ小判を見て、「こんなものは炭窯のそばにごろごろあって、毎日掻きのけるのに骨が折れる」と言う。嫁が見に行くと、窯のまわりは小判の山だった。嫁は小判の値打ちを五郎に教え、二人はりっぱな屋敷を建てて栄華な暮らしをした(鹿児島県薩摩郡下甑村手打)→〔宝を知らず〕1

『文正草子』(御伽草子)  常陸国に住む身分低い文太は、塩屋に奉公して薪を取る仕事をし、塩竈二つを与えられて塩を焼く。文太の塩は美味でよく売れ、文太は長者となって名も「文正つねおか」と改める。後に、文正(文太)の娘の一人は入内し、一人は関白家に嫁ぎ、文正自身は大納言になって百歳の長寿を保った。

『藁しべ長者』(日本の昔話)  金持ちが貧しい男に、「藁しべ一本をもとでに長者になれたら娘をやろう」と言う。男は藁しべを、芭蕉葉・味噌・剃刀・脇差と次々に交換し、脇差を殿様に売って大金を得、金持ちの娘を嫁にもらう(長崎県壱岐郡志原村。*他にも、小刀で鱶(ふか)を殺して船主から米俵をもらう、刀が大蛇を斬って殿様から千両もらう、などいろいろな形がある。*→〔交換〕5aの『今昔物語集』巻16−28が文献にのる古形)。

*だんぶり(とんぼ)に教えられて、酒泉と黄金を発見する→〔眠りと魂〕1の『だんぶり長者』(日本の昔話)。

*貧しい粉ひきの息子が猫の助力で侯爵になる→〔遺産〕2の『長靴をはいた猫』(ペロー)。

*貧しい少年が猫を売って大金持ちになる→〔売買〕1の『ウィッティントンと猫』(イギリスの昔話)。  

*貧しい男が鼠一匹を資本に大金持ちになる→〔交換〕5aの『カター・サリット・サーガラ』の「『ブリハット・カター』因縁譚」・挿話2。

★2.石油成金。

『ジャイアンツ』(スティーブンス)  テキサスの大牧場主ベネディクト家に、東部から美しい娘レズリー(演ずるのはエリザベス・テーラー)が嫁いで来る。牧場で働く貧しい青年ジェット(ジェームズ・ディーン)は、レズリーを憧れの目で見る。ジェットは牧場内の僅かな土地を与えられ、そこに石油を掘り当てて、大金持ちになる。二十年ほど後、初老の億万長者となったジェットは、豪華なホテルを建て、落成パーティーに、各界の名士たちとともにベネディクト一家をも招く。ジェットは酔いつぶれ、客たちへの挨拶もできず、誰もいなくなった会場で一人、レズリーへの思いを語り続ける。

★3.長者の財力。

『うつほ物語』「吹上」上  紀伊国牟婁郡の長者・神南備種松は、莫大な財宝の持ち主だった。彼は外孫の涼に、国王にも劣らぬ暮らしをさせるべく、吹上の浜に四面八町の広大な邸を造営した。三重の垣に二つの陣を据え、東の陣の外には春の山、南の陣の外には夏の陰、西の陣の外には秋の林、北には冬も枯れぬ松の林を設けた。

『だんぶり長者』(日本の昔話)  奥州のだんぶり長者は、とほうもない大金持ちだった。屋敷には三千人の家来がおり、一日に百石のご飯を炊いた。米をといだ白水が米代川(よねしろがわ)へ流れ出たので、今でも米代川は白く濁っている。だんぶり長者は子宝にも恵まれ、美しい姫君があって、後に都の尊い方のお妃になった(秋田県鹿角郡)。

★4a.長者が、広い土地に黄金を敷きつめる。

『今昔物語集』巻1−31  須達長者は貧窮時代に釈尊に供養し、その功徳でたちまち三百七十の蔵に七宝が満ちた。長者は、ギダ太子が所有する東西十里・南北七百余歩の景勝地に、厚さ五寸の黄金を敷きつめ、これを対価としてその土地を買い取り、釈尊と弟子たちのために祇園精舎を建立した。

★4b.長者が、遠い町まで小判を並べる。

『遠野物語拾遺』133  昔、上郷村に、「仁左衛門長者」という長者と、「羽場(はば)の藤兵衛」という長者がいた。ある時、羽場の藤兵衛が「おれは米俵を横田の町まで並べて見せる」と言うと、仁左衛門長者は「そんだら、おれは小判を町まで並べて見せよう」と言った〔*しかし後に仁左衛門長者は没落した〕。

★4c.大金持ちが、町に銀貨を敷きつめる。

『空飛ぶトランク』(アンデルセン)  昔、お金持ちの商人がいて、町の大通り全部と、おまけに小さな横町まで、銀貨を敷きつめることができるほどだった。しかしそんなことはせず、もっと違ったお金の使いみちを知っており、一シリング出すと一ダラーに増えて戻って来るのだった〔*やがて商人は死に、息子は短期間で遺産を使い果たしてしまった〕→〔飛行〕12

 

 

【長者没落】

★1.長者の家が没落する。

『しんとく丸』(説経)  河内の国高安の郡の信吉(のぶよし)長者は、四方に四万、八方に八万の蔵を持っていた。しかし息子しんとく丸が盲目の癩病者となったのを、後妻の言にしたがって捨てた報いで、信吉長者自身も盲目になり、身内にも逃げられて、物乞いをする身の上になった〔*後に信吉はしんとく丸に再会し、開眼する〕。

福田の森の伝説  洞川の村に福田という長者がいたが、他村の生まれゆえ、村づきあいをしてもらえなかった。飢饉がおこると、いくら金があっても誰も食物を分けてくれず、長者一家は飢えて死に瀕する。やむなく有り金すべてを壺に入れて山に埋め、「朝日さすみつ葉うつぎのその下に小判千両のちの世のため」と石に彫り込んで、家内の者は小判をくわえて死んだ。その地が今の福田の森である(奈良県吉野郡天川村洞川)〔*→〔願い事〕3の『変身物語』巻11(ミダス王)や、→〔二者択一〕1の産女(うぶめ)の伝説と同類の物語〕。

枡伏せ長者の伝説  貧しい男が長者になるが、有縁無縁の人々がむらがって物を乞うので、男は煩わしがり、「昔の貧しい生活が良かった」と考える。旅人が「一升枡を池で洗って伏せ、枡の底を叩けば、お金をなくすことができる」と教える。そのとおりにすると男はたちまち貧乏になり、飢え死にしてしまった(愛媛県松山市)。

『まつら長者』(説経)初段  大和国壺坂の松浦長者京極殿は、八万宝の宝に飽き満ち、高麗・唐土まで知られる大長者だった。しかし、妻と四歳の一人娘さよ姫を残して病死し、一代で作った財産だったので、たちまち貧者の家となってしまった→〔身売り〕4。 

*太陽を招き返す→〔扇〕4の湖山長者の伝説。

*百足の来る道を切る→〔百足〕5の銭亀家の白百足の伝説。

*餅を弓の的にする→〔餅〕1aの大原長者の伝説。

*餅を踏んで歩く→〔餅〕1bの餅が白鳥に化した伝説。

*箸を捨てる→〔箸〕4の箸墓の伝説。

*長者の息子が貧乏になる→〔無理心中〕1の『法句譬喩経』巻4「喩愛欲品」。

★2.子を授かることと引き換えに、長者が財を失う。

『神道集』巻6−33「三島大明神の事」  伊予の国の長者・橘朝臣清政は四方に四万の蔵を立て、朝は五百人の侍女、夕は三千人の女官が世話をした。清政は、大和の長谷寺の十一面観音に、全財産と引き換えに子授けを願い、奥方が美しい若君(玉王)を産んだ。しかし四万の蔵からは宝が消え、数万人の家来も去って行った。清政夫婦と若君は、山の木の実や磯のわかめを取って、命をつなぐことになった。

*逆に、子供の身体と引き換えに、天下を取ることを願う→〔交換〕4aの『どろろ』(手塚治虫)。

★3.第二次世界大戦後の農地改革で、長者が没落する。

『小原庄助さん』(清水宏)  大地主だった杉本左平太(演ずるのは大河内伝次郎)は、時世の変化のため財産を相当減らしたが、昔どおり朝寝・朝酒・朝湯の暮しを続け、「小原庄助さん」と呼ばれていた。庄助さんは「他人に損かけるより、自分が損した方がいいさ」と言って、村人たちの世話をした。やがて庄助さんの富も底をつき、家屋敷を売り払うことになる。庄助さんは「一から出直そう」と、新天地を求めて、妻と一緒に村を出て行く〔*映画の終わりには、『終』でなく『始』というエンドマークが出る〕。

 

 

【長寿】 

 *関連項目→〔不死〕

★1.百年〜数百年以上生きる長寿の男。

『因幡国風土記』逸文  仁徳天皇五十五年(A.D.367)春三月、大臣武内宿禰(たけしうちのすくね)は年齢三百六十余歳で因幡国に下向し、亀金の地に二つの履を残して行方知れずとなった〔*『日本書紀』によれば、巻7景行天皇25年(A.D.95)以前から、成務、仲哀、応神を経て巻11仁徳天皇50年(A.D.362)以後まで、五代に渡って在官した〕。

*武内宿禰は転生して北条義時となった→〔転生先〕2の『古今著聞集』巻1「神祇」第1・通巻24話。 

『菊慈童(枕慈童)』(能)  周の穆王に仕える少年が、王の枕をまたいだために追放される。少年は山の庵に住み、経文の書かれた菊の葉の露を飲んでいたので、七百年たっても年をとらず少年のままだった。

『西鶴諸国ばなし』巻1−6「雲中の腕押し」  元和年間(1615〜24)、箱根山に住む百余歳の短斎坊の庵に、常陸坊海尊が訪れて「弁慶は美僧で、義経は醜男だった」などの昔話をした。そこへ海尊と旧知の猪俣小平六が来て、海尊と猪俣は腕相撲に興じる。短斎坊は両者へ力づけのかけ声をかけたが、やがて三人の姿は消えた。

『捜神記』巻1−6  彭祖は、夏の時代から殷の末にかけて七百歳生きた。

『捜神記』巻1−18  魏の正始(240〜248)年間、薊子訓(けいしくん)は長安の東覇城で銅人形をさすりつつ、「これを鋳た時にいあわせたが、あれからもう五百年近くたった」と言っていた。

『パンタグリュエル物語』第二之書(ラブレー)第2章  ガルガンチュワは五百二十四歳に達した時、妃バドベックとの間に、王子パンタグリュエルを儲けた〔*ガルガンチュワは、息子パンタグリュエルが成人した後も壮健であった〕。

『風流志道軒伝』巻之1(平賀源内)  風来仙人は、元暦年中(1184〜85)に生まれ五百余歳であったが、髪は黒く顔色は玉のごとく、三十歳過ぎには見えなかった。

『本朝神仙伝』「役の行者の事」第5  役の優婆塞は謀叛の疑いで捕らわれたが、後に赦される。彼は老母を鉄鉢に乗せて海に浮かび、何処にか去った。それから百余年を経て、僧道照が高麗に渡り説法をしていた時、日本語を話す人がいるので、見ると役の優婆塞だった。

『本朝神仙伝』「都良香の事」第24  都良香は菅原道真に官位を追い抜かれ、怒って辞職し、山に入って消息を絶った。百余年の後、ある人が山の窟で都良香に会ったが、顔色は昔と変わらず、壮年のごとくだった。

★2.千年以上生きる長寿の男。

『カリオストロ』(アレクセイ・トルストイ)  魔術師カリオストロは何千年も生きていた。ロシアに現れて、「フェニックス伯爵」と名乗っていたこともあった。彼の従僕マルガドンは、「私はナイル河の上流で生まれ、アメンホジリス王の御代に捕虜となり、主人(カリオストロ)に売り渡されました」と言った。年齢を問われて、マルガドンは「三千八百四十二歳です」と答えた。

『荘子』「在宥篇」第11  黄帝が空洞山に広成子を訪れ、至道の精と長生の法を問う。黄帝は「至道の精は極め難い。外に情報を求めず内に精神を守れば、肉体は長生きする。私は千二百歳になるが、身体は衰えていない」と答えた。

『柳毅伝』(唐代伝奇)  柳毅は龍王の娘を妻とした。龍の寿命は一万年なので、妻はそれを柳毅と半分ずつにしようと言う。おかげで柳毅は、五千年の長寿の身となった。ある時、柳毅は従兄弟に、一粒で一年寿命を延ばす丸薬を、五十粒(五十年分)与えたことがあった→〔手紙〕4

*一千年以上生きて、愛する女を捜し続ける男→〔人柱〕7の『イアラ』(楳図かずお)。

*七千年生きる男→〔四十歳〕1の『蛤の草子』(御伽草子)。

★3.二百年生きる長寿の女。

『落窪物語』  落窪の姫君に仕える女童(めのわらわ)あこきは、姫君と道頼少将の結婚成就のために奔走した。あこきは典侍(ないしのすけ)となり、二百歳まで生きた。

*八百年以上生きる女→〔人魚〕5aの八百比丘尼の伝説。

★4.一千年生きる長寿の女。

『洞窟の女王』(ハガード)  紀元前のアフリカ。白人の女王アッシャは神官カリクラテスを恋したが、彼が他の女を愛したので、アッシャはカリクラテスを殺した。アッシャは、洞窟の奥の火柱の焔を浴びて不老の身体となり、カリクラテスの生まれ変わりの男と逢える日を待ち続ける。二千年以上を経て、カリクラテスの生まれ変わりである青年レオが訪れる。アッシャはレオと二人で永遠の生を享受するために、一緒に火柱の焔を浴びようとする。しかし、先に焔を浴びたアッシャは、たちまち醜い老婆と化して死んでしまった。

*老衰しつつ千年生きる女→〔年数〕2の『変身物語』(オヴィディウス)巻14。

★5.長寿をもたらす食物。

『西遊記』百回本第24〜26回  人参果は三千年に一度花開き、三千年に一度実を結び、さらに三千年たってようやく熟する。形状は赤子のごとくで、人がその匂いをかげば三百六十歳まで、一個食べれば四万七千年生きられる。孫悟空が人参果を盗み食いして咎められ、怒って人参果の木を打ち倒す。しかし観音菩薩が、甘露に浸した楊柳の枝で木を生き返らせる。

★6.長寿をもたらす人肉。

『西遊記』百回本第27回  三蔵法師は釈迦の第二の弟子金蝉長老の生まれ変わりで、彼の肉を食べれば、不老長生が得られる。妖怪白骨夫人が、美女、老婆、老人と、三度変身して三蔵を食おうとするが、孫悟空に見破られ、打ち殺される〔*その後も様々な妖怪が、不老長生を得るために三蔵を食おうとねらう〕。

★7.長寿をもたらす王。

『ラーマーヤナ』第6巻「戦争の巻」第128章  ラーマは魔王ラーヴァナを倒した後、王位について一万年間コーサラ国を治めた。ラーマが国を治めるようになってから、人々は一千年間生存するようになり、一千人の息子に恵まれ、健康で苦悩はなかった。

★8.超長寿者の意識。

『虚無回廊』(小松左京)  遠藤秀夫の分身である人工実存が、SS(*→〔多元宇宙〕7)を調査するために、地球から派遣された。”老人”と呼ばれる知的生命体と出会い、その個体寿命が一億年を超えると知って、遠藤(人工実存)は思う。「かりに私が一億年以上存在して、厖大な経験をし、厖大な記録と情報を整理しながらたくわえ続けるとしたら、『私』が『私である』という自己意識は、保存されつづけるだろうか?」〔*『虚無回廊』は作者の死によって未完に終わった〕。

 

※長生き競争→〔遺産〕3の『三角館の恐怖』(江戸川乱歩)。

※自分は長命だ、と悟る男→〔性交と死〕4の『短命』(落語)。

※亀の寿命は一万年→〔亀〕6の『再成餅(ふたたびもち)』「万年」。

 

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