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【百足】

★1.百足が蛇を殺す。

『子不語』巻8−183  私(『子不語』の著者・袁枚)の舅父(おじ)が、温州(浙江省)の雁蕩山で、蜈蚣(むかで)が大蛇を殺すのを見た。長さ数丈の大蛇が、体長五〜六尺の蜈蚣に追われて、渓流に飛び込む。蜈蚣は口から赤い丸薬を吐いて、水中に落とす。水は沸騰し、大蛇は死んで浮き上がる。蜈蚣は大蛇の脳をついばみ、水中の丸薬を口に収めて、空高く飛び去った。 

『池北偶談』(清・王士偵)「キョウ蛇」  広西地方にいるキョウ蛇は、不思議に人の姓名を知っており、それを呼ぶ。呼ばれて答えると、その人はただちに死ぬ。それで、この地方では箱の中に百足を入れておき、夜、人の名を呼ぶものがあると、返事をせずに百足を放す。百足は戸外に潜むキョウ蛇を食い殺して、また箱に戻って来る。

『独醒雑志』「報寃蛇(ほうえんだ)」  旅人がたわむれに杖で蛇を打つ。その後、旅人は身体の具合が悪くなる。宿の主人が「その蛇は報寃蛇というもので、今夜来てあなたを咬むでしょう」と言い、竹筒を貸し与える。夜、蛇が来たので、旅人が竹筒を開けると、百足が這い出して蛇を殺す。

★2.百足と蛇が戦い、人間が蛇の見方をする。

『今昔物語集』巻26−9  加賀国の男七人の乗る船が風に吹かれ、沖合の島に漂着する。蛇の化身である男が来て、「明日、宿敵と戦うので助けて欲しい」と請う。翌日、海上から長さ十丈ほどの百足が現れ、島からは同じほどの長さの大蛇がこれを迎え撃ち、噛み合う。七人の男たちは多くの矢を百足に射かけ、刀で百足の足を斬って殺す。蛇の化身は礼を述べ、七人は家族とともにこの島に移り住んだ。

『俵藤太物語』(御伽草子)  大蛇の化身である美女が俵藤太秀郷に、「琵琶湖に住む私たちの一族は、三上山の大百足に苦しめられている」と訴え、「大百足を退治してほしい」と請う。三上山をゆるがしてやって来る大百足を、俵藤太は強弓で二度射るが、二度ともはね返される。三度目に矢先に唾をつけて射ると、唾は百足にとっては毒になるので、矢は大百足の眉間から喉をつらぬき、殺すことができた。

『日光山縁起』下  有宇中将は死後に神となり、下野国の日光権現となった。日光権現は中禅寺湖の領有をめぐって、上野国の赤城大明神としばしば戦った。日光権現は、孫にあたる小野猿丸が弓の名手だったので、助力を請う。赤城大明神は大百足の姿で湖水を渡って攻めかかり、日光権現は大蛇の姿で迎え撃つ。猿丸は強弓で大百足の左眼を射抜き、大百足は深手を負って退却する。

★3.百足の多くの足。 

『百足の使い』(日本の昔話)  寒い日に、百足と蚤と虱が「酒を買って来て飲もう」と、相談する。蚤は飛び跳ねるので酒瓶を割る恐れがあり、虱は足が遅い。そこで百足が酒屋まで出かけるが、なかなか戻って来ない。蚤と虱が見に行くと、百足は足がたくさんあるものだから、まだ庭のすみでわらじをはいている途中だった(長崎県西彼杵郡伊王島)。

★4.百足が人を殺す。

『夢の浮橋』(谷崎潤一郎)  「私(乙訓糺・おとくにただす)」は六歳で生母を失った。「私」が九歳の時に父は再婚し、「私」には十二歳年上の継母ができた。「私」は成人後、継母と関係を持つようになった。父は「私」に、「妻をめとり、夫婦で母に仕えよ」と遺言して死んだ。「私」は妻をめとったが、三年後、妻の不注意により、継母は百足に胸を刺され、三十五歳で死んだ。妻が故意に、眠る継母の胸に百足を置いたのかもしれなかった。

★5.大百足が家の中に現れる。

『異苑』42「むかでと老婆」  秋の夕暮れ時、胡充という人の家に三尺ほどの大百足が現われ、胡充の妻と妹の前に落ちた。女中が百足を外へつまみ出したが、外へ出たとたん、女中は一人の老婆と出会った。老婆はぼろぼろの着物を着て、両目とも瞳がなかった。翌年春、胡充の一家は流行病にかかり、次々に死んでいった。 

銭亀家の白百足の伝説  ある夜、財産家の銭亀さんの家に大きな白百足が現れ、皆が恐れ騒ぐうちに姿を消した。これは裏山の毘沙門様から来たのだろうというので、銭亀さんは、毘沙門様に通ずる道筋に一メートルほどの段を掘り、「道切り」をした。それから白百足は姿を見せなくなったが、銭亀さんの家には不幸が重なり、財産も人手に渡ってしまった(兵庫県佐用郡佐用町)。

 

※オホナムヂは、呉公(むかで)の部屋に入れられ(*→〔難題求婚〕4の『古事記』上巻)、スサノヲの頭の呉公を取らされる(*→〔虱〕2の『古事記』上巻)。

 

 

【無限】 

★1.無限に小さくなるが、ゼロにはならない。

『縮みゆく人間』(マシスン)  スコットは身長六フィート以上ある成人だったが、ある日、殺虫剤を浴び、さらにその後、放射能を帯びた波をかぶるという事故にあう。その相乗作用で、彼は一週間に一インチずつ身長が縮んで行く。身体はどんどん小さくなり、ついには木の葉の上に坐るほどになる。その時、彼は悟る。いくら小さくなっても、決してゼロにはならないことを。存在には無限の次元がある。新しい世界、極微の世界で、彼は生き続けるのだ。

*無限に距離が縮まるが、ゼロにはならない→〔競走〕5bのアキレスと亀の故事。

*無限に尾が分割されるが、ゼロにはならない→〔尾〕4の『無門関』(慧開)38「牛過窓櫺」。

*無限に柿が分割されるが、ゼロにはならない→〔分割〕13の『思い出す事など』(夏目漱石)15。

★2a.無限に近い膨大な情報を、一つの刻み目に収める。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(村上春樹)27「百科事典棒」  百科事典の内容を、楊枝一本に刻むことができる。文字を、Aは01、Bは02、のように二桁の数字で表す。コンマやピリオドも同様に数字化する。そして百科事典の全文章を数字にして並べ、いちばん前に小数点を置く。すると、0.1732000631・・・・・・という具合に、とてつもなく長い数字列ができる。その数字列にぴたり相応した楊枝のポイントに、刻み目を入れる。たとえば0.3333・・・・・・なら、楊枝の前から三分の一のポイントだ。こうすれば、どんな長い情報も、楊枝の1つのポイントに刻みこめる。  

★2b.大海を一毛に、須弥山を芥子粒に、無量劫を一念に収める。

『臨済録』「勘弁」4  ある時、臨済禅師は『維摩経』の句を引いて(*→〔空間〕2)、「一本の髪の毛が大海を呑みこみ(毛呑巨海)、一粒の芥子の中に須弥山を収める(芥納須弥)と言うが、これは不可思議な神通力なのか、それとも本体のありのままなのか?」と、問答を仕掛けた〔*「毛呑巨海」は「一毛大海」とも言う〕。

『無門関』(慧開)47「兜率三関」の頌(じゅ)に、「一念普観無量劫(いちねんあまねくかんずむりょうごう)」の句がある。一刹那(一瞬)のうちに、無量(無限)の時間を体験するのである。

*われわれの人生も、実は一瞬のうちに数十年を体験しているのかもしれない→〔死〕10の『かいま見た死後の世界』(ムーディー)2「死の体験」。

★3.無限の情報を、一巻の書物に収める。

『バベルの図書館』(ボルヘス)  無限ともいうべき大きさの図書館がある。その厖大な蔵書の中では、文字のあらゆる可能な組み合わせが実現されている。すなわち、言語で表現し得る一切のことがら(過去も未来も、真実も虚偽も)が、書かれているのだ。もっとも、広大な図書館は無用の長物だ、との意見もある。無限に薄いページが無限数ある「一巻の書物」で充分だ、というのである。

*無限のページを有する本→〔本〕5の『砂の本』(ボルヘス)。

★4.無限の時間。無限の繰り返し。

『この人を見よ』(ニーチェ)「ツァラトゥストラ」  一八八一年八月のある日、「わたし(ニーチェ)」は、シルヴァプラーナの湖畔の森を散歩していた。ピラミッド型にそそり立つ巨大な岩のそばに立ち止まった時、「わたし」は、「無限の時間の中ではすべてのことがらが無限回繰り返される」という、永劫回帰の思想を受胎した。「わたし」はそれを一枚の紙片に走り書きし、「人間と時間を超えること六千フィート」と添え書きした。

★5.無限の時間と無限の空間。

『天体による永遠』(ブランキ)  宇宙は、時間的にも空間的にも無限である。一方、物質を構成する元素の種類は有限なので、無限の反復(時間的にも空間的にも)が、不可避となる。宇宙においては、無限回の繰り返しとともに、無限数の複製が存在する。われわれの地球とまったく同じ地球が無数にあり、微妙に違う地球が無数にあり、大いに異なる地球が無数にある。一人一人の人間は、宇宙の無限の彼方に、無数の瓜二つの自分、無数の変種(ヴァリアント)の自分を持っているのだ→〔分身(多数)〕2。 

★6.無限の極小世界と無限の極大世界。

『火の鳥』(手塚治虫)「未来編」  火の鳥が、山之辺マサトの意識を肉体から離脱させ、極小の世界へ連れて行く。素粒子は太陽のように見え、惑星のようなものがいくつもまわっている。その惑星に住む生物の細胞の内部にも、また太陽があり惑星がある。マサトは「僕にはわけがわからない」と頭をかかえる。火の鳥は次に、マサトを極大の世界へ導く。何千もの銀河系が、大宇宙を構成している。しかし大宇宙は一つの粒子にすぎず、いくつも集まって細胞のようなものをつくっている。その細胞がまた、数多く集まって一つの「生きもの」となっている。それは宇宙生命(コスモゾーン)だ(*→〔生命〕1)。極大のものから極小のものまで、みな「生きて」活動している。 

★7.無限の空間を想定すれば、何でも起こり得る。

『ユング自伝』2「学童時代」  「私(ユング)」は、十一歳でバーゼルのギムナジウムに入った。数学の授業が、「私」には理解できなかった。先生が、平行線の定義を「無限遠で交わる」と言った時、「私」は侮辱されたと感じた。これは、素人の心をつかむためのばかばかしいトリックにすぎない、と「私」は思った。 

★8.無限の空間の彼方に、自分の姿を見る。

『似而非(えせ)物語』(稲垣足穂)  「無限」を知るためには双眼鏡を執(と)ればよい、そこには自分自身のうしろ姿が映るであろう〔*すでに私たちの大望遠鏡においては、そのことが行なわれている。私たちが現に見ている遠方の星の中のある者は幽霊星だ。それは二重に見ている、すでに一度見たところの星である〕。 

★9.無限の速度の原理。

『タキポンプ』(エドワード・ペイジ・ミッチェル)  「私」は『無限の速度の原理』を発見せねばならず(*→〔難題求婚〕5)、友人の科学者リバロールに教えを請う。彼は説いた。「秒速aメートルの列車に乗る人が、秒速bメートルで前方へ歩けば、その人は秒速(a+b)メートルで移動したことになる。長さが何キロメートルにもなる列車が秒速aメートルで走り、走る列車の屋根の上を、また別の列車が秒速bメートルで走り、その列車の中の人が秒速cメートルで歩けば、彼は秒速(a+b+c)メートルで移動したことになる。無限の数の列車を積み重ねて走らせれば、無限の速度を得ることが可能だ」(*「タキポンプ」は「速く送る」の意)。 

 

※無限に進化する宇宙と神→〔宇宙〕2の『神への長い道』(小松左京)。

※無限の階層構造を持つ神界→〔神〕6の『小桜姫物語』(浅野和三郎)。

 

 

【婿選び】

★1.大勢の男を集め、理想の婿を選ぶ。

『詩語法』(スノリ)第3章  アース神たちが、巨人の娘スカジに「われわれの足だけを見て、その中から夫を選べ」と言う。スカジはいちばん美しい足に目をとめ、それを光の神バルドルと思って、その持ち主を夫に選ぶ。ところがそれは海の神ニョルズの足であった。

『露団々(つゆだんだん)(幸田露伴)  米国の大富豪「ぶんせいむ」が、一人娘「るびな」の花婿募集の新聞広告を出す。世界中から求婚者が集まり、「ぶんせいむ」は彼らを様々に試験する。「るびな」には相思相愛の青年「しんじあ」があるが、「しんじあ」は、試験に勝ち抜いての結婚というやり方を嫌い、求婚競争に加わらない。実は「ぶんせいむ」は、「しんじあ」の心を試そうとして婿選びの広告を出したのであり、結局「ぶんせいむ」は、「るびな」を「しんじあ」と結婚させることになった。

『殿集め』(落語)  某大家(たいけ)の妙齢の娘が清水の舞台から飛び降りるというので、大勢が見物に来る。しかし娘は舞台上から人々を見回しただけで、飛び降りずに帰ってしまい、皆不思議がる。娘は供の者に「あれだけ殿御を集めても、良い男はないものじゃなあ」と言う。

『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」  ダマヤンティ姫の婿選びの儀式に、神々がナラ王そっくりに変身して現れ、瓜二つの五人の中から、姫は本物のナラ王を見出さねばならない。姫は、ナラ王への一途な愛を神々に訴えかけ、心を動かされた神々が本来の姿に戻ったので、姫はナラ王の首に花輪をかける。

*強弓を引ける男を婿に選ぶ→〔弓〕2の『オデュッセイア』第21巻など。

★2.婿にしたい男に毬を投げる。

『西遊記』百回本第9回  陳光蕋(こうずい)は科挙の試験に合格し、帝から「状元」の称号を賜って、長安の街を三日間練り歩く。ちょうど、宰相の一人娘温嬌が婿選びのため、刺繍をした毬を楼上から道行く人に投げる折であり、温嬌は陳光蕋を一目見て、彼に向け毬を投げ下ろす。二人は結婚し、玄奘(三蔵法師)が生まれる。

『西遊記』百回本第93〜95回  三蔵法師一行が天竺国の街に入った時、国王の公主(=娘)が婿選びの儀式を行なっているところで、公主は楼の上から刺繍をした毬を三蔵に投げつける。実は公主の正体は妖精で、三蔵を夫として彼の元陽真気を奪い、太乙上仙になろうとしたのだった。しかし孫悟空がこれを見破り、妖精を退治した。

★3.心ひかれる美男に果物を投げるのは、婿選びの変形であろう。

『蒙求』44「岳湛連璧」  晋の潘岳(=安仁)はたいへんな美男だった。若い頃、洛陽の道を行くと、出会う女性たちが手をつないで彼を取り巻き、果物を投げ与えた。潘岳は車を果物いっぱいにして、帰って来た〔*『唐物語』26では、「道で出会う女が恋慕のあまり、橘の枝を折り取って投げつけた。女たちが皆そうしたので、橘の実が車いっぱいになった」と記す〕。

★4.花束を投げたら爆弾と間違えられた、ということもある。 

『会議は踊る』(シャレル)  ウィーン会議のために訪れたロシア皇帝アレクサンドル一行の馬車に、街の娘クリステルが歓迎の花束を投げる。それが爆弾と誤認されて、現場は大騒ぎになる。クリステルは、罰として鞭で尻を二十五回打たれることになるが、執行直前にアレクサンドルが来て、クリステルを赦免する〔*アレクサンドルはウィーン会議出席の合間に、クリステルとのデートを楽しむ。しかし「ナポレオンが流刑地エルバ島を脱出した」との急報があり、アレクサンドルはクリステルに別れを告げて、ロシアへ帰る〕。

*帝の馬車に扇を投げる、という物語もある→〔扇〕2の『夜明け前』(島崎藤村)第2部第11〜12章。

 

 

【夢告】

★1.夢の中に神仏などが現れ、直接言葉で意志を伝え、指示を与える。したがって夢解きをする必要がない。

『古事記』中巻  ある夜、熊野の人・高倉下(たかくらじ)が夢を見る。高天原の神々が、地上で苦戦するカムヤマトイハレビコ(後の神武天皇)を助けるため、太刀を降ろす相談をする、との内容であった。「高倉下の倉の棟に穴を開け、太刀を落とし入れるから、天つ神の御子(=カムヤマトイハレビコ)に奉れ」という夢告があり、翌朝、高倉下が倉の中を見ると、太刀があった〔*『日本書紀』巻3神武天皇即位前紀戊午年6月に類話〕。

『古事記』中巻  疫病で多くの人民が死に、崇神天皇が憂えて神床に寝た夜、大物主大神が夢に現れ「意富多多泥古(おほたたねこ)に我を祭らせれば、国は安らかになろう」と告げた。早速、駅使(はゆまづかい)を四方に走らせて意富多多泥古という人を捜し求め、河内国美努村に彼を見出した〔*『日本書紀』巻5崇神天皇7年2月・8月に類話〕。

『古事談』巻3−107  解脱房の母の夢に、「貞慶」と名乗る聖人があらわれ、「汝の腹中に宿りたい」と請う。母は懐妊し、解脱房を産む。解脱房は幼時より奈良で修行し、出家後「貞慶」と称したので、母は懐妊時のことを思い出して驚いた。

『荘子』「外物篇」第26  宋の元君の夢に、髪を乱した人が現れて「河伯の所へ使いに行く途中で漁師の余且に捕まった」と告げる。目覚めた元君は余且を捜し、翌日余且は出頭して「幅五尺の白亀が網にかかった」と報告する→〔亀〕3b

『日本書紀』巻11仁徳天皇11年10月  茨田堤(まむたのつつみ)に、築いてもすぐ壊れる所が二ヵ所あった。天皇の夢に神が現れ、「武蔵の人強頸(こはくび)と河内の人茨田連衫子(まむたのむらじころものこ)を河佰(かはのかみ)に奉れば、壊れる箇所を塞ぐことができる」と告げた。そこで二人を捜し求めて、人身御供とした。強頸は泣き悲しんで水に沈んだ。しかし衫子は抵抗した→〔瓢箪〕6

『日本書紀』巻19欽明天皇即位前紀  欽明天皇が若い頃、夢に人が現れ「秦大津父という者を寵愛されれば、壮年になって必ず天下をお治めになるでしょう」と告げた。天皇は使者を遣わして捜し求め、山背国紀郡深草里にその人を見出した。

★2.二人が同じ夢告を得る。

『宇治拾遺物語』巻8−4  紀友則の夢に、死んだ藤原敏行が現れて冥界での苦を訴え、四巻経の書写供養を三井寺の僧某に依頼してくれ、と請う。友則が三井寺の僧某を訪れると、その僧も友則と同じ夢を見ていた〔*『今昔物語集』巻14−29の類話では、橘敏行とする〕。

『黄金伝説』3「聖ニコラウス」  ローマの三人の将軍が、讒訴により死刑を宣告される。三人は聖ニコラウス(=サンタ・クロース)に加護を願う。その夜、皇帝と執政官の夢枕に聖ニコラウスが立ち、「将軍たちを釈放せよ」と告げる。皇帝と執政官は互いの夢を話し合い、将軍たちを釈放する。

『グレゴーリウス』(ハルトマン)第5章  ローマ教皇の崩御後、神が二人の高僧の夢枕に立ち、「岩の上に十七年間すわり続けているグレゴーリウスを、次の教皇にせよ」と告げた。一人に告げただけでは疑う者がいるかもしれないので、神は二人の男に夢告したのである。

『ダフニスとクロエー』(ロンゴス)巻1  ダフニスが十五歳、クロエーが十三歳の時、捨て子だった彼らをそれぞれ拾い育てたラモーンとドリュアースが、ある夜同じ夢を見た。肩に翼があり弓と矢を持つ少年が、「ダフニスを山羊飼いに、クロエーを羊飼いにせよ」と告げる夢で、ラモーンとドリュアースは互いの夢を語り合い、それに従った。

『盛久』(能)  鎌倉由比ガ浜での処刑前夜、捕われの盛久の夢に老僧(清水観音の化身)が現れ「我、汝が命に代はるべし」と告げる。刑場で刀の折れる奇瑞があり、盛久は頼朝のもとへ召される。頼朝も盛久と同じ夢を見ており、盛久は赦免され。

★3.三人が同じ夢告を得る。

『日本書紀』巻5崇神天皇7年8月  八月七日、倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかむあさぢはらまくはしひめ)、大水口宿禰(おほみくちのすくね)、伊勢麻績君(いせのをみのきみ)の三人が、共に同じ夢を見て奏上した。「昨夜(きぞ)の夢に一人の貴人があらわれ、『大田田根子命(おほたたねこのみこと)を大物主大神を祀る祭主とし、市磯長尾市(いちしのながをち)を倭大国魂神を祀る祭主とすれば、天下は平らぐだろう』と誨(おし)えました」。天皇は喜び、大田田根子命と市磯長尾市を祭主にした。

★4.「七年後の死」の夢告。

『苔の衣』  大納言と西院の上との間には男児二人があったが、女児がないのを残念に思い、夫妻は石山寺に参籠する。西院の上の夢に気高い女房が現れ、「子は授かるが、その成長を見届けることはできぬ」との意味の歌を詠んで、花の枝を与える。翌年姫君が生まれ、姫君七歳の時に、西院の上は病死する。

★5.いつわりの夢告。

『ささやき竹』(御伽草子)  鞍馬の西光坊が、左衛門尉の十四歳の姫に愛欲の心を起こす。彼は呉竹の節を抜き、隣室に眠る左衛門尉夫婦の枕に押し当てて、「我は鞍馬の多聞天なり。汝の娘を長櫃に入れて鞍馬山へ登せよ」とささやく。夫婦は、二人ともに同じ夢告を得たことを不思議に思い、姫を櫃に入れて鞍馬山へ送る→〔僧〕1

 

 

【無言】

★1a.無言の行。

『玄奘三蔵(げんぞうさんぞう)(谷崎潤一郎)  玄奘三蔵は天竺に渡り、さまざまな苦行者たちを見る。その中に、十年以上も無言で趺坐し続ける仙人がいた。玄奘三蔵は釈迦牟尼佛の霊跡を訪れての帰途、数年を経て再び無言の仙人を見る。微動だにせぬ仙人が膝上に組む両手の指の爪は長く伸び、手の肉の中へ分け入って、掌の表から裏へ突き抜けていた。

*憤激した人の指が、掌から手の甲へ突き抜ける→〔指〕7の『大鏡』「為光伝」。 

『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴)第6輯巻之5下冊第61回  犬飼現八が巳の刻頃に犬村角太郎(後の大角)の草庵を訪れた時、角太郎は瞑目・結跏趺坐して無言の行の最中であり、現八の呼びかけに応じない。不義の疑いで離別された妻雛衣が潔白を訴えに来ても、無視する。真昼になってようやく角太郎は解行し、現八を招じ入れる。

★1b.二〜三人が、無言の行くらべをする。

『百喩経』「夫婦が餅を食べるとき約束をした喩」  夫婦が三枚の餅を一枚ずつ食べ、残りの一枚は、ものを言わない方が食べることにする。泥棒が入って家財を盗み出すが、夫婦は無言のままであるので、泥棒は夫の目の前で妻を犯す。妻はたまりかねて「泥棒」と叫び、夫は「餅はおれのものだ」と喜ぶ。

『無言の行』(落語)  三人が夜中まで無言の行をする。一人が「ものを言わずにいるのは大変だ」と言うと、もう一人が「そら、お前はものを言った」と指摘して、二人が失格する。最後の一人が笑って、「黙っているのはおれだけだ」と言う。

★1c.無言のまま、なしとげねばならぬ仕事。

『忠臣ヨハネス』(グリム)KHM6  王が、黄金の屋根の国の王女を花嫁として迎える。しかし二人には命の危険が迫っており、二人を救うためには、誰かが無言のまま、王の乗る馬を殺し、王の婚礼下着を燃やし、王女の乳房から血を三滴吸い出さねばならない。王の忠臣ヨハネスがこれをやり遂げるが、王は怒ってヨハネスに死刑を宣告する。ヨハネスが、自分の行動のわけを申し開きすると、彼は石になってしまう。

『橋づくし』(三島由紀夫)  陰暦八月十五日の深夜。料亭の娘「満佐子」、芸者「小弓」「かな子」、女中「みな」の総勢四人が、月に願いをかけて、銀座周辺の七つの橋を渡る。無言のまま七つの橋を渡り終えれば、願いが叶うのである。しかし「かな子」は腹痛のため、途中で脱落する。「小弓」は知り合いに呼び止められ、「満佐子」は警官に不審尋問されて、ともに口を開かざるを得なくなる。結局「みな」一人だけが、無言で橋々を渡り終えた。

★2a.妻が無言のまま試練に耐え抜く。 

『十二人兄弟』(グリム)KHM9  王女の十二人の兄たちが、烏になってしまった。兄たちを人間に戻すためには、王女は七年間、無言でいなければならない。ある国の王が、王女を見そめて妃にする。しかし妃は、まったく口をきかず、笑いもしない。そのため王の母が妃を嫌って、とうとう妃は火刑に処せられる。ちょうどその時、七年の歳月が終わり、十二羽の烏が飛んで来て、次々に人間の姿になった。

『野の白鳥』(アンデルセン)  白鳥になった十一人の兄王子たちを救うため、エリサはトゲのあるイラクサを摘んで、十一枚の着物を編まねばならない。しかもその仕事が出来上がるまで、何年かかろうと一言も口をきいてはいけない。王がエリサを見そめて妃にするが、エリサは終始無言である。夜、エリサは寝室をぬけ出して、墓地へイラクサを摘みに行く。王はエリサを魔女だと思い、火刑に処す。その時、エリサは十一枚の着物を編み終わり、十一人の兄たちは人間の姿に戻る。

★2b.無言でいなければならない妻が、声を発してしまう。 

『杜子春伝』(唐代伝奇)  杜子春は道士から「決して口をきくな」と命ぜられる。彼は地獄で拷問を受け、女に転生して結婚し、男児をもうけるが、その間、一言も発しなかった。夫が男児を抱いて杜子春に話しかけてもまったく無言なので、ついに夫は怒り、男児を石にたたきつける。杜子春は思わず「あっ」と声をあげる。もし無言のままでいたならば、道士は霊薬を完成させ、杜子春も仙界の人となれたはずであった。

★2c.声が出ない妻。 

『マリアの子ども』(グリム)KHM3  マリアから「開けてはならぬ」と禁じられた扉を少女が開け、しかも「開けていない」と嘘を言ったため、罰で口がきけなくなる。少女は王妃になり、子供を三人産むが、マリアが三人ともさらってしまう。王妃は、子供を食ったものと見なされ、火刑に処せられる。王妃が「死ぬ前に罪を告白したい」と思うと、声が出るようになり、「マリア様、私は扉を開けました」と叫ぶ。雨が降って火を消し、マリアが三人の子を返す。

★3.無言の人。 

『西鶴諸国ばなし』(井原西鶴)巻3−2「面影の焼残り」  十四歳の娘が病死し、火葬されて黒木のようになるものの、焼け残って蘇生する。乳母の夫が娘を家に運んで医者に見せると、やがてもとの身体になるが、無言のままだった。占い師が、「親類が娘を死者として扱い、仏事をしているからだ」と教えたので、男は娘の生存を両親に知らせる。両親が位牌をこわすと、娘はものを言い出した。

*生まれつき無言の人→〔生き肝〕1の『今昔物語集』巻4−40。

★4.無言の霊。対話不可の霊。 

『無言』(川端康成)  先輩作家大宮が脳出血で倒れ、しゃべれなくなった。「私(三田)」が見舞いに行き、語りかけても、大宮は終始無言である。帰途、「私」の乗ったタクシーの中に、若い女の幽霊が現れる。幽霊は無言であり、「私」には見えないが、運転手は「旦那の横に坐っている」と言う。「私」が「何か話してみようか」と言うと、運転手は「幽霊としゃべるとたたられる。とりつかれるからやめなさい」と止める。

★5.対話不可の人。

『異苑』88「話しかけられない人」  ある所に「劉」という姓の人がいた。この人と話をすると、必ず災難に遭うか病気になるか死ぬかするので、皆、劉を避けた。一人の士人が恐れずに劉と話をしたが、まもなく士人の家は火事になり、家財一切を失った。

★6.驚愕のあまり、言葉を発することも身体を動かすこともできない。

『検察官』(ゴーゴリ)第5幕「だんまりの場」  市長や地主など町の有力者たちが、「行政視察の検察官だ」と誤解して丁重にもてなした男は、実は一文無しの下級官吏にすぎなかった。それを知った市長たちは、呆れ、怒り、互いに責任をなすりつけ合う。そこへ、本物の検察官が到着したとの報告が届く。市長たちは驚愕して、その場に柱のごとく突っ立つ。約一分半ばかり、皆化石したかのように動かず、言葉を発せず、幕となる。

*歌舞伎の「だんまり」→〔闇〕9の『小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』(河竹黙阿弥)など。

 

※無言でいなければならぬという禁忌→〔禁忌(言うな)〕に記事。

※無言の問答→〔問答〕1aの『今昔物語集』巻4−25など、→〔問答〕1bの『カター・サリット・サーガラ』「『ブリハット・カター』因縁譚」など。

 

 

【虫】

★1.虫が身体から出る。

『聊斎志異』巻5−175「酒虫」  大酒飲みの劉氏が、ラマ僧から「体内に酒虫がいる」と言われ、治療を受ける。首から五寸ほどの所に美酒を置いてしばらく待つと、口から長さ三寸ばかりの赤い虫が出、酒の中に落ちる。その後、劉氏は酒が飲めなくなり、身体が痩せ家も貧しくなった。

*三尸の虫→〔不眠〕4の『東海道名所記』巻6「山科より京まはり宇治まで」。

*昼寝する男の顔の上や口のあたりを、だんぶり(とんぼ)が飛びまわる→〔眠りと魂〕1の『だんぶり長者』(日本の昔話)。

★2a.人間が死んで、一匹の虫に生まれ変わる。

『三宝絵詞』「序」  舎衛国の女が鏡を見て、「私の顔は美しい」と誇った。女は命尽きて虫になり、自分の尸(かばね)の頭(かうべ)に住んだ。

『沙石集』巻9−25  天竺の優婆塞(うばそく)は善を修めた功徳で、死後、天に生まれるはずだった。しかし彼は、妻に心を残して死んだために、虫となって妻の鼻の中に生まれた。妻が鼻をかむと虫が出たので、妻は虫を踏み殺そうとする。聖者がこれを見て、「この虫は汝の亡夫だ」と教え、虫のために法を説く。虫は法を聞いて死に、天に生まれた。

★2b.人間が死んで、多くの虫に化す。

お菊虫の伝説  寛政七年(1795)に、播州姫路城下に不思議な虫が発生した。女が後ろ手に縛られ、木にくくりつけられたような形だったので、世人は「皿屋敷のお菊の亡霊が虫になった」と言いはやした〔*お菊虫の実体は、木の枝に細糸でからみついた蝶の蛹(さなぎ)である。姫路では昭和の初め頃まで、土産物として売っていたという〕。

 *→皿屋敷伝説など

実盛虫(高木敏雄『日本伝説集』第22)  昔、斎藤実盛が逃げる時、稲の株につまづいたため敵に追いつかれ、首を討たれた。その恨みゆえに実盛は、死後、稲を喰い荒らす虫となった。これが実盛虫である(出雲国松江)。

『発心集』巻8−8  重病の老尼が「隣家の橘の実を食べたい」と望むが、隣人は一つも与えなかった。尼はこれを恨み、極楽往生の願いを捨てて、死後、多くの白い小虫と化す。隣人が橘の実を食べようとすると、実の袋ごとに五〜六分(一〜二センチ)の白い虫がいた。毎年このようであったので、隣人は橘の木を切ってしまった。

★2c.人間の死体に多くの蛆がわく。

蝶化身(水木しげる『図説日本妖怪大鑑』)  蔵王山麓に、蝶を愛する女が住んでおり、いつも山に蝶を追って暮らしていた。月日が流れ、女は病んで、誰にも見取られずにあばら家で死んでいった。女の死体は放置され、多くの蛆がわき、それが何千という蝶になる。ある日、旅人が宿を求めてあばら家の戸を開けると、蝶の大群は一斉に外へ飛び立って行った。あとには女の黒髪と骨が残った。

*死者の魂が無数の毛虫になり、やがて多くの蝶になる→〔蝶〕2の『狗張子』(釈了意)巻5−5「宥快法師、柳岡孫四郎に愛着して毛虫となること」。 

★3.虫が死んで、天上界に生まれる。

『今昔物語集』巻6−31  一人の比丘が『華厳経』を読み奉ろうと思い、手を洗うために水を掌に受ける。その水が落ちた所に、多くの虫がいた。虫は水に触れて死に、みなトウ利天に生まれて天人となった。

★4.虫好きの人。

『堤中納言物語』「虫めづる姫君」  蝶を愛する姫君の住む近所に按察使(あぜち)大納言の姫君が住んでいた。彼女は、かまきり・かたつむりなど、さまざまな虫を採集し、とりわけ毛虫を気に入っていた。右馬佐(うまのすけ)が彼女に関心を持ち、かいま見をするが、「貴女にお似合いの人はなかなかいませんよ」という意味の歌を詠んで、帰って行った。

★5.虫の生態を見て、人間存在について考える。

『虫のいろいろ』(尾崎一雄)  四十八歳の「私」は、数年来の病気(胃潰瘍)のため、一日の大半は横になっている。「私」は、蜘蛛や蚤や蜂など、いろいろな虫の生態に思いを巡らす。「私」が虫を見るように、どこからか「私」の一挙一動を見ている奴があったらどうだろう。宇宙における人間の位置とは? 自由とは? 偶然とは?・・・・。「私」は、額のしわに蝿の足をはさんで捕まえた。妻も子供たちも面白がって笑った。

*人工の極小宇宙を見て、われわれの宇宙も、何者かが実験・観察用に作ったものかもしれないと思う→〔宇宙〕1の『フェッセンデンの宇宙』(ハミルトン)。 

★6.虫の会話を聞く。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第9章  メラムプスは牢に捕らわれていた時、屋根の人に見えない場所で、虫たちが会話するのを聞いた。一匹が「どのくらい梁が喰われているか?」と尋ね、もう一匹が「ほとんど残っていない」と答えた。メラムプスは「すぐに私を他の牢に移してくれ」と請い、彼の移動後、しばらくして牢は崩れ落ちた。

*蟻の会話を聞く→〔蟻〕3の『蟻』(小泉八雲『怪談』)。

★7.姿を変える虫。

『古事記』下巻  韓人(からひと)の奴理能美(ぬりのみ)は、不思議な虫(=蚕)を飼っていた。一度は匐(は)う虫になり、一度は殻(かひこ=繭)になり、一度は蜚(と)ぶ鳥になり、三色(みくさ)に変わるのだ。奴理能美はこの虫を、仁徳天皇の后・石之日売(いはのひめ)に奉った。

*二十世紀の怪獣モスラも、虫、繭、蛾と姿を変える→〔美女奪還〕4の『モスラ』(本多猪四郎)。

★8a.嫁が姑に虫を食べさせる。

『今昔物語集』巻9−42  隋の大業年間(605〜616)のこと。盲目の姑を嫁が憎み、みみずを羹(あつもの)にして食べさせた。息子がそれを知り、ただちに嫁を離別して、実家へ送って行く。その道中、天神が嫁を空に引き上げて罰し、頭を白い狗(いぬ)に変えて、地上へ落とした。嫁は犬頭人身の体で実家に帰り、その後は、市(いち)で物乞いをして暮らした。

『聊斎志異』巻12−458「杜小雷」  益都(四川省)の人・杜小雷は、盲目の母に仕える孝子だった。しかし彼の妻は不孝者で、肉に「くそむし」を混ぜて餃子を作り、姑(杜小雷の母)に食べさせようとした。杜小雷が怒って妻を鞭打とうとすると、妻は豚になってしまった。県知事がこのことを聞き、その豚を縛って邑(まち)の四つの城門に順次さらして、人々への戒めとした。

★8b.女中が女主人に虫を食べさせる。

『捜神記』巻11−19(通巻281話)  広陵(江蘇省)の人・盛彦(せいげん)は、病気で失明した母の世話をしていた。母は気むずかしく、女中たちを鞭打つことがあり、恨んだ女中が、「すくもむし」を丸焼きにして母に食べさせた。それを知った盛彦は、母に抱きついて泣いた。その時、母の目がぱっと開き、そのまま病気は治ってしまった〔*「すくもむし」は眼病の薬になる。もちろん女中はそんなことは知らなかった〕。

 

※虫喰いによる文字→〔文字〕3の『今物語』第35話など。

 

 

【無心】

 *関連項目→〔心〕

★1.無心で行なったことが奇跡を起こす。

『手なし娘』(日本の昔話)  継母が娘をいじめ、父も継母の言いなりになる。娘が十五歳の時、父は娘を山へ連れ出し、両腕を切り落として置き去りにした。長者の若様が娘を見つけ、妻とする。娘は子供を産むが、継母の悪計により(*→〔書き換え〕4)、子供を背負って家を出る。ある時、背負った子供がずり落ちるのを、娘は思わず無い手で支えようとすると、手が生えていた。後に娘は若様と再会する。継母と父は罰せられる(岩手県稗貫郡)。

『ライムライト』(チャップリン)  老芸人カルヴェロが、脚の麻痺で動けない踊り子テリー(演ずるのはクレア・ブルーム)の面倒を見る。医者は「心理的な麻痺だろう」と言う。ある日、カルヴェロは久しぶりで舞台に立つが、彼の芸がまったく観客に受け入れられず、ひどく落胆する。テリーは脚のことも忘れ、懸命にカルヴェロを励ますうちに、いつのまにか立ち上がり歩いている自分に気づく。彼女は歓喜して「私は歩いている!」と叫ぶ。

★2.幼児の心。

『子どもたちが屠殺ごっこをした話』(グリム)  五〜六歳の子どもたちが牛や豚の屠殺ごっこをし、屠殺役の子どもが、動物役の子どもを刃物で殺してしまう。大人たちは、この事件をどう裁こうか困惑する。賢い老人が、「屠殺役の子どもに、りんごと銀貨を見せよ。りんごを取ったら無罪、銀貨を取ったら死刑だ」と提案する。子どもは笑いながらりんごを取ったので、何の罰も受けなかった。

★3.赤ん坊の心。

『紅楼夢』第2回  賈宝玉の満一歳の誕生日。「この子が将来、何に向くか試してみよう」と、父が、この世のありとあらゆる品々(筆や硯などの文具、おもちゃの刀や弓、その他いろいろなもの)を並べた。すると賈宝玉は、文具や玩具には目もくれず、すぐさま手をのばして紅白粉(べにおしろい)、簪(かんざし)、腕輪などをつかんだ。父は「いずれ放蕩者になるのが落ちだ」と言って、ひどく立腹した。

『子連れ狼』(小池一夫/小島剛夕)其之9「刺客街道」  拝一刀は、赤ん坊の大五郎に、「手毬と刀のどちらかを選べ」と命ずる。彼は大五郎に語り聞かせる。「手毬を選べば、裏柳生に殺された母親(*→〔首〕9)のもとへ送ってやる。刀を選べば、父とともに刺客道を行くのだ」。大五郎にはまだ父の言葉は理解できないが、いったん手毬を見た後、大五郎は刀の方へ這い寄った。

★4.無心で矢を射る。

『弓と禅』(ヘリゲル)7「有心と無心」  阿波研造師範の教えによれば、「私(ヘリゲル)」は、的をねらって矢を射てはいけないのだった。自己を忘れ、無心になって、矢が手を離れるのにまかせるべきなのだ。「“私”が射なければ、どうして『射』があり得ましょうか?」と問うと、師範は「“それ”が射るのです」と答えた。「“それ”とは誰ですか? 何ですか?」「尋ねないで、稽古しなさい」→〔矢〕11a

 

 

【無尽蔵】

 *関連項目→〔底なし〕

★1.食物・宝物などがいくらでも出てきて、尽きることがない。

『今昔物語集』巻16−15  観音を信仰する男が、龍王から金の餅を半分に割ったものをもらう。男は餅を少しずつ欠いて使うが、餅は割っても割ってもまたもとどおりになり、一生尽きることがなかった。

『捜神記』巻1−18  後漢の時代。薊子訓(けいしくん)は公卿の家々を訪問する時に、いつも酒一斗と乾肉一切れを土産代わりに持って行った。その酒と乾肉は、数百人が一日かかって飲み食いしても尽きることがなかった〔*→〔無尽蔵〕6aの『捜神記』巻1−21の左慈の話では、無尽蔵に見えて実はそうではなかった〕。

『俵藤太物語』(御伽草子)  秀郷は大百足退治の礼として、龍女から巻絹・俵・赤銅の鍋を得た。巻絹は、衣裳に仕立てるべくいくら裁断しても尽きない。俵からは、米がどれだけでも出てくる(*→〔俵〕1)。鍋の内には、思うままの食物が湧き出るのだった。

『遠野物語』(柳田国男)63  三浦某の妻が小川で赤椀を拾い、ケセネギツ(米・稗などの穀物を入れる箱)の中に置いて、穀物を量る器とした。この椀で量り始めて以来、いつまでたっても穀物は尽きることなく、やがて三浦家は村一の金持ちになった→〔川の流れ〕3

*釜から食物がいくらでも出てくる→〔釜〕1の『ケルトの神話』(井村君江)「かゆ好きの神ダグザ」。

*大勢が猪を毎日食べても、食べ尽くせない→〔猪〕4の『ギュルヴィたぶらかし(ギュルヴィの惑わし)』(スノリ)第38章。 

*食物を大勢に与えても、尽きることがない→〔食物〕1の『黄金伝説』3「聖ニコラウス」。

*掌の金貨が、取っても尽きない→〔掌〕1の『今昔物語集』巻2−10、2−14。

★2.無限に出て来る食物の、とめ方を知らない。

『おいしいお粥』(グリム)KHM103  貧しい少女が、不思議なおばあさんから鍋をもらう。少女が「お鍋や、ぐつぐつ」と言うと、鍋は黍のお粥をこしらえ、「お鍋や、おしまい」と言うと、作るのをやめた。ある日、少女の留守に、母親が「お鍋や、ぐつぐつ」と言ってお粥を作る。とめ方を知らないので、お粥は鍋からあふれ、どんどん出て来る。少女が帰って来てお粥をとめるが、町中がお粥におおわれ、人々はお粥を食べて道を作った。

『海の水はなぜからい(塩挽き臼)』(日本の昔話)  貧しい弟が森の小人たちから得た挽き臼は、右に回すと何でも望みの物を出すことができた。兄がその挽き臼を盗んで塩を出すが、止め方を知らなかったので、塩は無限に出てくる。挽き臼は海底に沈み、今も回り続けている(岩手県上閉伊郡)。

★3.無限に出て来た御飯が、出て来なくなる。

『蛇息子』(日本の昔話)  爺婆が御飯を炊いて、蛇からもらった杓子(*→〔蛇息子〕2b)でかき混ぜると、御飯が山のようにどんどん増えた。太閤さんがそのことを聞きつけ、「唐(から)を攻めに行くのに、そういう宝が欲しい」と言って、杓子を爺婆から買い取る。太閤さんが杓子でグウァーと混ぜると、大きな釜から御飯が出て来る。ところが、敵軍に攻められ、狭い所に追い込められた時、長い杓子が邪魔になるので、杓子の柄を切ってしまった。それからは、御飯を炊いても増えなくなった(兵庫県美方郡温泉町千原)。

★4.酒をどれだけ飲んでも減らない。

『黄金伝説』162「聖女エリサベト」  聖女エリサベトが貧しい人々にビールを与えたが、甕の中のビールは少しも減らず、最初と同じだけの分量が残っていた。

★5.着物の布が限りなく出てくる。

『マハーバーラタ』第2巻「集会の巻」  ユディシュティラはドゥルヨーダナ方との賭けに負けて全てを失い、妻ドラウパディーをも奪われてしまった。ドゥルヨーダナの弟ドゥフシャーサナが、ドラウパディーの着物をはぎ取って、裸にしようとする。すると新しい布が際限なく次から次へと現れ、ドラウパディーの足下に山となって、積み重なった。

★6a.無限に物が湧き出ると思ったら、それはよそから取って来たのだった。

『今昔物語集』巻28−40  老人が、瓜売り達の食べた瓜の種を地面に植え、見るまに葉を繁らせ、たくさんの実をみのらせる。往来の人々にその瓜をふるまって、老人は去る。後で瓜売り達が見ると、籠に入れておいた瓜がすっかりなくなっていた〔*『捜神記』巻1−24に簡略な類話〕。

『捜神記』巻1−21  曹操が百人余りの役人を連れて、遊山に出かけた。神通力を持つ左慈が、徳利一本の酒と一切れの肉を持って行き、役人たちにふるまう。それは、百人が充分に飲み食いできるだけの量があった。曹操が不思議に思って調べると、酒屋の酒と肉がすっかりなくなっていた。

★6b.無限にお金が湧き出ると思ったら、それはよそから取って来たのだった。

『呪われた背広』(ブッツァーティ)  「私」が悪魔に仕立ててもらった背広は、ポケットから一万リラ紙幣を何枚でも出すことができた。最初の日、「私」はポケットから五千八百万リラを出す。その日、強盗が現金輸送車を襲って五千八百万リラを奪い、一人が死んだ。次の日、「私」はポケットから一億三千五百万リラを出す。その日、火事で不動産会社の金庫が焼け、一億三千万リラ以上が灰になり、消防士が二人死んだ。何回かこういうことがあった後、「私」は良心の呵責にたえかねて、背広を焼く。しかし、悪魔は「もう遅い」と言った。「私」の魂は悪魔のものになるのだ。 

★6c.無限にお金が湧き出ると思ったら、それは未来から借りて来たのだった。

『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)「お金がわいて出た話」  のび太がドラえもんからもらった未来小切手帳は、金額を書いてサインすれば何でも買える。のび太は自由に金額を書き込み、いろいろ買い物をする。ドラえもんが「それは、将来手に入れるお金を先に使ってるんだ。君がサラリーマンになって四十三歳の夏にもらうボーナスの分まで、もう使ってしまった」と説明するのでのび太は驚き、買ったものを返しに行く。

*来世で授かる寿命を前借りすることによって、現世の寿命を延ばす→〔寿命〕2bの『閲微草堂筆記』「ラン陽消夏録」54「来世の寿命」。  

★7.際限なく湧き出て良いものと、良くないもの。

『ぞろぞろ』(落語)  正直者の老夫婦が、稲荷前で茶店を営む。吊り下げてある草鞋(わらじ)を一つ抜いて売ると、天井からまた一つ草鞋が出て来る。いくら取っても際限なく、ぞろりぞろりと草鞋は出て来る。「お稲荷さまの御利益だ」というので、これが世間の評判になる。髪結い床の親方がうらやみ、「あたくしにも御利益を」と、稲荷に祈る。店へ帰って、客の髭を剃刀でそると、すぐあとから毛がぞろぞろ・・・。

 

※いくらでも金貨が出てくる袋→〔交換〕2の『影をなくした男』(シャミッソー)。

※いくらでも米や金が出てくる袋→〔袋〕2の『今昔物語集』巻17−47など。

※無限のページを持つ本→〔本〕5の『砂の本』(ボルヘス)。

 

 

【無性の人】

★1.男女の区別ができる以前の存在。

『古事記』上巻  天地の初めの時、高天原に現れた神は、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒ。次にウマシアシカビヒコヂ、アメノトコタチ。次にクニノトコタチ、トヨクモノ。以上の神々は、男女の性のない単独神で、目に見える身体を持たなかった〔*続いて、男神ウヒヂニと女神スヒヂニ、男神ツノグヒと女神イクグヒ、男神オホトノヂと女神オホトノベ、男神オモダルと女神アヤカシコネ、男神イザナキと女神イザナミが現れた〕。

『ブリハド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』  一切は、原人プルシャの姿をとったアートマンのみであった。彼は第二のものを欲し、自己を二等分して、そこから夫と妻が生じた。彼は彼女を抱き、人類が生まれた。彼女は「彼は自身から私を産んだのに、なぜ私を抱くのか? 私は隠れよう」と考え、牝牛になる。彼は牡牛になって彼女を抱き、牛たちが生まれた。同様にして彼らは家畜を作り、さらに、神々をはじめとする一切のものを創造した。

★2.男性器も女性器も持たぬ無性人間。

『人間ども集まれ!』(手塚治虫)  人工授精によって、男でも女でもない第三の性、無性人間が大量生産される。無性人間は労働力となり、また、人間の代わりに兵士となって戦場へ行く。やがて無性人間たちは反乱を起こし、人間を捕らえて次々に去勢する。無性人間の一人が、反乱の犠牲者を弔うため、仏門に入って僧となる。僧は言う。「去勢された人間は怒らなくなる。万物すべて平和に、仏の世界に近づく。なぜ今まで人間は、このことに気づかなかったのでしょう」。 

*平和な世界を作るもう一つの方法→〔戦争〕6の『鉄腕アトム』(手塚治)「ZZZ総統の巻」。

*癌の手術によって、男でも女でもない存在になる→〔癌〕2の『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「めぐり会い」。

★3.男でも女でもないから「神」。

『網膜脈視症』(木々高太郎)  精神病学の教授・大心地(おおころち)先生の患者に、「自分は神だ」と考える男がいた。男は二十一歳の時に遊郭へ行ったが、正常のアクトができなかった。してみると自分は男じゃない。そんなら女かというに、形態は女じゃない。つまり、男でも女でもない。だから神だ、というのである。 

★4.死とともに、性の区別も終わる。

『死面(デス・マスク)(川端康成)  多くの男から愛された「彼女」が死んだ。以前の恋人だった美術家が、「彼女」の顔に石膏をかぶせて死面(デス・マスク)を作る。「彼女」の最後の恋人である「彼」の目には、その死面は女のようにも男のようにも見えた。美術家は、「一般に死面は、これは誰のだと知らずに見ると、性別はわからないものです」と説明した。「あれほど女らしかった『彼女』も、死には勝てませんでした。死とともに、性の区別も終わるんですよ」。 

★5.魂に性はない。

『人間個性を超えて』(カミンズ)第1部第6章  「私(マイヤーズ)」の生きていた当時、おおかたの知的な人士は、肉体を重視する唯物論的見地から、『女性は男性に劣るもの』と考えていた。しかし「私」は死後の経験によって、女性も男性と同じく魂を持ち、神ないしは永遠の霊から生命を吹き込まれていることを、はっきりと認識した。魂は男性でも女性でもなく、そこに性の区別はない。われわれは等しく神の子なのだ〔*マイヤーズの霊からの通信を、カミンズが自動書記した〕。 

*「男」と「女」は、まったく違う存在である→〔人間〕3の『無題』(中島敦)、→〔人間〕4の『女類』(太宰治)。

 

 

【胸騒ぎ】

★1.親子の間に起こる精神感応。

『今昔物語集』巻15−39  「下山すべからず」との母の戒めによって、源信僧都は比叡山に籠もること九年、にわかに胸騒ぎして母のことが気がかりになり、山を下りる。道中、母の手紙を持った使者と出会う。重病の母は死期を悟り、源信との対面を請うていたのだった。

『焚火』(志賀直哉)  「自分」は妻やSさん・Kさんたちと、夜、湖の岸で焚火をする。その時、Kさんが昨冬の不思議な体験を語る。Kさんは東京からの帰り、深い雪をかき分けて夜の山越えをした。家までは遠く、Kさんは疲れて気持ちがぼんやりしてきた。ちょうどその時刻、家では母が、寝ていた家人を起こし、Kさんを迎えに行くように命じていた。母は、はっきりKさんの呼び声を聞いたらしかった。

『二十四孝』(御伽草子)「曾参」  曾参が山へ薪取りに出かけている間に、親友が彼の家を訪れた。留守番をする母は、「曾参よ帰れ」と念じて自分の指を噛んだ。曾参は、にわかに胸騒ぎがしたために、急いで帰宅した。

『二十四孝』(御伽草子)「ユ黔婁」  ユ黔婁は官人として任地に赴くが、十日もせぬうち胸騒ぎがしたので官を捨てて帰り、父の病気を知る。医師の言に従って病父の糞をなめると、味わい良からず、ユ黔婁は父の死ぬことを悲しみ、身代わりになろうと北斗に祈る。

『日本霊異記』中−20  大和国の老母が、遠方に住む娘に関する凶夢を二度見たため、気がかりで僧に読経してもらう。娘は地方官の夫に従って官舎に住んでいたが、二人の子供が「七人の僧が屋根の上で読経している」と言うので、外に出る。直後に、娘のいた所の壁が倒れる〔*→〔鼠〕2の『太平広記』巻440所引『宣室志』、→〔鷲〕4の『イソップ寓話集』296「農夫と助けられた鷲」に類似する。→〔山〕6の『子不語』巻8−186のように、美女のおかげで命拾いするという物語もある〕。

 

 

【夢遊病】

★1a.婚約者が夢遊病であることがわかったので、結婚をとりやめる。

『不幸なる恋の話』(志賀直哉)  文科大学を卒業した翌年の春、「私」は京都の某家にしばらく滞在した。花嫁候補の豊子という娘を、見に行ったのだ。一週間ほどたった日のこと。深夜、廊下に足音がして、豊子の「何よ? 一体何? それ何?」という、上ずった声が聞こえた。寝間着姿の豊子が私の部屋の障子を開け、焦点の定まらぬ眼で「私」を見た。そのうち豊子はハッと我に返り、障子を閉めて帰って行った〔*「私」は豊子との結婚を取りやめた〕。

★1b.婚約者が夢遊病であることがわかったので、結婚する。

『夢遊病の娘(夢遊病の女)(ベルリーニ)  村の美女アミーナはエルヴィーノと婚約していたが、ある夜、彼女は眠ったまま外へ出て、伯爵ロドルフォの泊まっている宿へ行き、伯爵のベッドに寝てしまう。村人たちが騒ぎ、エルヴィーノは怒って「結婚はとりやめだ」と叫ぶ。伯爵は「アミーナは夢遊病だ」と見抜き、彼女の身の潔白を人々に説く。その時アミーナが現れ、皆の見ている中で、夢遊状態のまま狭い橋を渡り、エルヴィーノへの愛の思いを語る。エルヴィーノはアミーナの心を知り、目を覚ました彼女と抱き合う。

★2.夢遊状態で宝石や大金を隠し、その記憶がない。

『月長石』(コリンズ)  フランクリンが「近頃眠れない」と言うので、医師がブランデーにひそかに阿片チンキを混ぜて、フランクリンに飲ませる。阿片の作用で、その夜、フランクリンは夢遊状態になる。彼は恋人レイチェルの部屋にあるダイヤモンド月長石を持ち出し、「安全な銀行に保管してほしい」と言って、従弟ゴドフリーに託す。翌朝、目覚めたフランクリンは、宝石の紛失を知り、「インドのバラモンたちの仕業だ(*→〔分割〕5)」と考える〔*ゴドフリーは月長石を自分のものにしてしまい、三人のバラモンに殺された〕。

『探偵』(黒岩涙香)  中井銀行の頭取・中井金蔵は、離魂病(=夢遊病)だった。ある夜、彼は就寝中に夢遊状態で起き上がり、部屋にあった大金を、地下の秘密の穴蔵まで持って行って保管する。翌朝、目覚めた彼は、大金がなくなっていることに驚き、「賊が侵入して大金を盗んだ」と、警察に届け出た〔*探偵・水嶋浮(うかぶ)が中井の屋敷へ忍び込み、夢遊状態でさまよい歩く中井を見て、事件の真相を察知した〕。

★3.事故死した人を見て、夢遊病者が「自分が殺した」と思い込む。

『夢遊病者の死』(江戸川乱歩)  夏の夜、彦太郎の父親が庭で月を見ていると、隣家の三階から、大きな花氷が頭上に落ちて来た。翌朝、彦太郎は父親の死体を発見する。彦太郎は夢遊病の持病があったので、「自分が父親を殺したのだ」と思い込む。彼は錯乱状態で、自転車に乗って逃げる。炎天下、街中を走り回った彦太郎は、倒れて死んでしまう。

★4.夢遊病者に、殺人・傷害の罪を着せる。

『人面瘡』(横溝正史)  松代は夢遊病者だった。ある夜、松代の妹由紀子が、愛人譲治を道連れに無理心中をはかる。由紀子は包丁で譲治を殺した後、自分の胸を刺して死にきれずにいるところへ、松代が夢遊状態で現れる。由紀子は以前から松代を憎んでいたので、血まみれの包丁を松代の手に握らせる。松代は「自分が譲治を殺し、由紀子を傷つけたのだ」と思い込む。

★5.AがBを夢遊病者に仕立て上げる。Aは殺人を犯し、その罪をBに着せる。 

『二廢人』(江戸川乱歩)  木村と井原は、同じ下宿屋に起居する学友だった。ある朝、木村は井原に「昨晩、君は僕を起こして議論をふっかけたね」と嘘を言う。井原は「自分は早くから床に入り、ぐっすり眠っていたはずだ。自分は夢遊病かもしれぬ」と、不安になる。さらに木村は、他の下宿人の持ち物を盗んで、井原の部屋に放り込んだりする。井原は「自分が無意識のうちに盗んだ」と思い込む。しばらくして木村は、下宿屋の老主人を殺す。皆は「夢遊病者の井原が犯人だ」と見なし、井原自身も「自分が殺したのだ」と思う。

★6.殺人を犯した後、夢遊病となる。

『マクベス』(シェイクスピア)第5幕  マクベス夫人は、夫マクベスをそそのかしてダンカン王を暗殺させた後、夢遊病を発症する。夫人は眠ったまま床(とこ)から出て、侍医や侍女が見る前で、両手をこすり合わせる。「まだ、ここに血のしみが。まだ、血のにおいがする。年寄り(ダンカン王)に、あれほど血があるとは」。侍医は「わしの力の及ばぬ病気だ。しかし夢遊病にかかった人で、最後は安らかに死んだ者もいる」と言う〔*夫人はその後、狂死する〕。

★7.身体は眠っており、その人物と同じ姿をした魂が、身体から抜け出て外をさまよう。このような場合は、夢遊病と区別し難いことがある。

『閲微草堂筆記』「姑妄聴之」212「農婦の夢」  ある男が月夜に村外れで涼んでいた。隣家の若妻が遠くを歩いており、道に迷っているように見える。男が声をかけると、若妻は「私を連れて帰って下さい」と言う。しかし男が駆けつけた時、若妻の姿は消えていた。男は「幽霊を見た」と思い、家へ逃げ帰る。家の戸口に若妻がいて、「夢の中で野原へ出て道に迷いました。あなたに呼ばれて、目が覚めたのです」と言った。

*類話に、→〔夢〕5cの『三夢記』(白行簡)第1話がある。

 

※夢遊病者をあやつって、殺人を犯させる→〔催眠術〕5の『カリガリ博士』(ウイーネ)。

※夢遊病をよそおって、人を殺す→〔暗殺〕5の『三国志演義』第72回。

 

 

【無理心中】

★1.男が愛人や妻と無理やり心中する。

『死の勝利』(ダヌンツィオ)  貴族の青年ジョルジョは、人妻イッポリタを愛人とする。イッポリタは夫と別居し、二人は誰からも妨げられることなく、肉体の歓楽にふける。しかしイッポリタは子供を産めない身体であり、彼らの愛からは何も生まれない。怠惰な生活を続けるうち、ジョルジョはしだいに死を思うようになる。夜、ジョルジョはイッポリタを連れ出し、「人殺し」と叫ぶ彼女を抱きすくめて、断崖から海へ投身する。

『にごりえ』(樋口一葉)  蒲団屋の源七は、銘酒屋の一枚看板お力(りき)に入れあげて家財産を失い、妻子とともに長屋の一室に住む身の上となる。妻は、仕事もせず女のことを思っている源七をなじり、源七は怒って離縁を言い渡す。それからまもなく源七は、湯屋帰りのお力を待ちうけ、刃物を用いて無理心中する。

『法句譬喩経』巻4「喩愛欲品」第32の2・第4話  大長者の息子が、父母の死後、働くことを知らないために数年で遺産を使い果たし、窮乏する。大長者の親友だった長者が自分の娘をめあわせ、財物を贈って援助するが、息子は怠け者で、貧乏から抜け出せない。長者は娘を取り戻し、他の人と結婚させようとするので、息子は怒って、妻を刺し殺し自害する。

*男が毒入りの水を飲み、女にも飲ませる→〔愛想づかし〕4の『ルイザ・ミラー』(ヴェルディ)。

★2.無理心中の未遂。

『ベルサイユのばら』(池田理代子)第6章  アンドレは、オスカルの養育係のばあやの孫であり、オスカルより一歳年上だった。オスカルは貴族、アンドレは平民で、身分は異なっていたが、二人は互いを「おまえ」と呼び合う親友だった。アンドレはオスカルへの報われぬ愛に苦しみ、無理心中を考える(*→〔地獄〕7)。アンドレは毒入りワインを用意して、オスカルと一緒に飲もうとする。しかしオスカルがワインを口にする直前、アンドレは「飲むな」と叫んで、グラスを叩き落とす。

★3.殺人を無理心中に見せかける。 

『ロシアより愛をこめて』(ヤング)  国際犯罪組織スペクターは、宿敵ジェイムズ・ボンド(演ずるのはショーン・コネリー)に屈辱的な死を与えるために、次のような筋書きを作る。「イギリス情報部のボンドは、ソ連領事館の女性職員タチアナ(ダニエラ・ビアンキ)を愛人とした。タチアナが『情事を撮影したフィルム(*→〔ホテル〕4)を公けにする』と言ったので、ボンドは女を殺して自殺した」。スペクターに雇われた殺し屋グラントが、ボンドとタチアナを殺して、無理心中に見せかける計画であった。しかしボンドは格闘の末にグラントを殺し、スペクターのたくらみは失敗した。

 

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