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【身分】

★1.王族・貴族の青年と、町娘・村娘との身分違いの恋。

『アルト・ハイデルベルク』(フェルスター)  カールスブルク公国の皇太子カール・ハインリヒは、一年間の予定でハイデルベルクの大学に遊学する。彼は青春を謳歌し、町娘ケーティと恋をするが、大公の病気のため四ヵ月で宮廷に呼び返される。二年を経て、大公となり妃も決まった彼は、ハイデルベルクを訪れてケーティと再会し、永遠の別れを告げる。

『ジゼル』(アダン)第1幕  アルブレヒト伯爵が狩りに出て、村娘ジゼルに目をとめる。アルブレヒトはジゼルに近づくために身分を隠し、村人の装いをして「ロイス」と名乗り、二人は恋仲になる。しかし恋敵の森番ヒラリオンがアルブレヒトの正体を暴き、「アルブレヒトには、クールランド公爵の娘バティルダという婚約者がいる」と教える。ジゼルは、胸がはりさけて死ぬ。

『セヴィラの理髪師』(ボーマルシェ)  アルマヴィヴァ伯爵は身分を隠し、学士や騎兵に変装して、ロジーヌに求愛する。ロジーヌの後見人である老医師バルトローも、彼女をねらっていたが、アルマヴィヴァは、バルトローの魔の手からロジーヌを救い出す。ロジーヌの愛を勝ち得、彼女と結婚の約束をする時になってはじめて、アルマヴィヴァは自分が伯爵であることを明かす。

『ルイザ・ミラー』(ヴェルディ)  ワルター伯爵の息子ロドルフォは、身分を隠し「カルロ」と名乗って、領内の村娘ルイザと恋仲になる→〔愛想づかし〕4

★2.裕福な家庭の青年と女中との、身分違いの恋。

『大津順吉』(志賀直哉)  「私(大津順吉)」は、文科大学の学生である。父は鉄道会社の取締役で、「私」の家には何人かの女中がおり、書生もいた。「私」は、「私」付きの女中である十七〜八歳の千代を恋し、求婚する。「私」が千代に接吻すると、千代は気を失う。「私」と千代は、事実上の夫婦になった。しかし父は「私」たちの結婚を認めず、千代を実家へ帰してしまう。「私」は激しく怒り、鉄亜鈴を自室の床にたたきつける〔*「私」と千代のその後については、→〔予言〕7の『過去』〕。

★3.上流貴族の男と中流貴族の女の契り。

『狭衣物語』巻1  狭衣は、大臣の息子、天皇の甥という、高貴な生まれの青年だった。ある時彼は、悪法師に誘拐された飛鳥井の女君を救う。女君は中納言の娘だったが、両親と死別し、今は乳母を頼りに暮らしていた。狭衣は女君と契りを結びつつも、自分の身分を隠し、「検非違使別当の子の少将」と思わせようとする。しかし女君は狭衣の正体を察し、身分の差を嘆く〔*女君は不幸な境遇のまま死に、狭衣は後に即位して帝となる〕。

★4.斜陽貴族の青年と、新興ブルジョアジーである村長の娘との、身分違いの恋・結婚。

『山猫』(ヴィスコンティ)  一八六〇年のシチリア島。山猫の紋章で知られる名門の当主サリーナ公爵(演ずるのはバート・ランカスター)は、革命騒ぎにも動ずることなく、大貴族としての生活を貫いていた。しかしすでに貴族の時代が去ったことを、彼は実感していた。彼がかわいがる甥タンクレディ(アラン・ドロン)は、成金である村長の娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)を気に入り、結婚したいと望む。平民の娘との縁組みには反対者が多かったが、政界官界での出世を目指すタンクレディには、資産家の娘との結婚が必要だ、とサリーナ公爵は考え、積極的に縁組みを進めるのだった。

★5.上流階級の男と、労働者階級の女との、身分違いの恋・結婚。

『ステラ・ダラス』(ヴィダー)  紡績工場で働くステラは、上流階級の青年スティーブン・ダラスにあこがれ、彼に近づき、結婚する。しかし、育ちの違いゆえ、二人の行動様式や趣味嗜好は大いに異なり、結婚生活はうまく行かない。やがて彼らは別居し、二人の間に生まれた娘ローラは、ステラのもとで育つ→〔愛想づかし〕5

『釣りそこねた恋人』(O・ヘンリー)  画家で百万長者で旅行家で詩人のカーターが、デパートの売り子メイシイをデートに誘う。メイシイは、カーターを「食料品店の店員などであろう」と考える。カーターは「結婚したら船に乗って、美しい絵や彫刻、宮殿や塔のある町に行こう。ヨーロッパを見終えたら、インドの寺院や日本の庭園を訪れよう」とプロポーズする。メイシイは「新婚旅行にコニーアイランドの遊園地へ連れて行くつもりなのだ」と思い、別れる。

★6.男性貴族と海女の、身分違いの契り。

『海士(あま)(能)  藤原淡海大臣が身分をやつして讃岐志度の浦へ下り、賤しい海士(=海女)と契って男児をもうける。海士は、男児を淡海大臣の世継ぎとすることを条件に、海底の龍宮へ面向不背の玉を取りに行く。海士は命を捨てて玉をもたらし、男児は房前の大臣となる。

*海女が身投げし、貴族の娘に生まれ変わって結婚する→〔転生する男女〕1の『あま物語』(御伽草子)。

★7.良い家柄の・身分ある男だと思ったら、そうではなかった。

『食道楽』(三島由紀夫)  戦後間もない頃。歌子は戦前は裕福に暮らしていたが、今は未亡人となり、闇商売で生計を立てている。歌子は会社社長の宮島と知り合い、交際を始める。二人は、戦前の良き時代の軽井沢の高級ホテルの思い出や、料理の数々についての話題で、意気投合する。実は、宮島は戦後の成り上がり者で、前身はホテルのコックなのだった。そのことを知って歌子は呆然とするが、それでも宮島の求婚を受け入れた。

★8.王族の娘と男性取材記者の、身分違いの恋。

『ローマの休日』(ワイラー)  ローマ滞在中の某国王女アン(演ずるのはオードリー・ヘップバーン)は公式行事の連続に飽き、ひそかに街に出る。彼女は通信社のアメリカ人記者ジョー(グレゴリー・ペック)と出会い、ローマ市内観光の楽しい一日を経験するが、その日が終われば二人は別れねばならず、アンは再び王女としての、ジョーは記者としての、日常にそれぞれ戻る。

★9.伯爵未亡人とセールスマンの結婚。彼らの飼い犬どうしの結婚。

『皇帝円舞曲』(ワイルダー)  二十世紀初め。アメリカ人セールスマンのヴァージル(演ずるのはビング・クロスビー)が、オーストリアの伯爵未亡人ジョアンナ(ジョーン・フォンテーン)と恋仲になる。オーストリア皇帝は「貴族の女が、貧しい庶民の家へ嫁いでも幸せになれまい」と言って、二人の結婚を許さない。ところがジョアンナの愛犬シェヘラザードが、ヴァージルの飼犬バトンズの子供を三匹産んでしまう。子犬たちを見た皇帝は、ヴァージルとジョアンナの結婚を許可する。

★10.将校の未亡人を思慕する、無学な人力車夫。

『無法松の一生』(稲垣浩)  日露戦争(1904〜05)頃の九州小倉。虚弱な少年敏男が竹馬遊び中に堀に落ちて泣いているのを、人力車夫の無法松(演ずるのは阪東妻三郎)が助ける。それが縁で無法松は、敏男の父吉岡大尉やその妻よし子の知遇を得る。まもなく吉岡大尉は急病で死に、以後、無法松は、未亡人となったよし子と一人息子敏男に、献身的に尽くしてあれこれと世話をする。敏男が成長して熊本の高等学校へ入学した後に、無法松は病死する。遺品の中には、彼が敏男のために貯めた五百円の預金通帳があった〔*無法松が未亡人に恋心を打ち明ける場面があったが、映画封切り前の検閲でカットされた〕。

★11.身分・境遇の異なる双子。

『古都』(川端康成)  苗子と千重子は双子だったが、苗子は北山杉の村で育ち、千重子は京都の呉服問屋の娘として育った。二人は二十歳の時に偶然めぐり合い、千重子の家では、苗子を引き取ろうとまで考えた。しかし苗子は、ただ一晩、千重子の家へ泊まりに来て、千重子と一緒に寝ただけで、「これがあたしの一生のしあわせどしたやろ」と言って、北山杉の村へ帰って行った。

*双子の一方は王位につき、他方は監獄に入れられる→〔双子(別々に育つ)〕1の『仮面の男(鉄仮面)』(デュマ)。

★12.貴族にあこがれる、成金の町人。

『町人貴族』(モリエール)  成金の町人ジュールダンは、自らが貴族であるかのごとくよそおって暮らしている。彼は、娘リュシールと恋人クレオントの結婚を、「クレオントが貴族でない」との理由で、許さない。クレオントの従僕が「ジュールダンの亡父の友人」と称して訪れ、「あなたの父上は商人ではなく、貴族でした」と言って、ジュールダンを嬉しがらせる。クレオントはトルコの王子に変装して、リュシールに求婚する。ジュールダンは大喜びで、二人の結婚を認める。

*貴族が、自分の娘と平民の青年の恋を許さない→〔教え子〕4の『新エロイーズ』(ルソー)。 

★13.社会制度の変化により、身分を失った人。

『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)(河竹黙阿弥)  徳川幕府の瓦解により、幕臣船津幸兵衛は武士の身分を失った。明治維新後、彼は商売を始めるが、「士族の商法」の例にもれず、失敗した。今は裏長屋に住み、手内職で筆を作って売り歩き、かろうじて日々の暮らしを立てている。家族は二人の娘、お雪・お霜と、乳飲み子の幸太郎。妻は幸太郎を産んでまもなく死に、お雪は泣き悲しんだ余り、盲目になった→〔心中〕5

*太平洋戦争に負けて、日本の華族(貴族)制度は廃止された→〔舞踏会〕1の『安城家の舞踏会』(吉村公三郎)、〔麻薬〕1の『斜陽』(太宰治)。 

 

 

【未亡人】

★1.未亡人と独身青年の恋。

『愛染かつら』(野村浩将)  高石かつ枝(演ずるのは田中絹代)は十八歳で結婚したが、翌春、夫は風邪がもとで死んでしまった。その時かつ枝は妊娠しており、夫の死後、彼女は娘敏子を産んだ。生活のために、かつ枝は敏子を姉夫婦に預け、看護婦となって津村病院で働く。病院の職員たちは、彼女を独身の娘だと思う。病院長の息子津村浩三(上原謙)が、かつ枝を恋する。二人の身分境遇の差や、彼女が子持ちの未亡人であることなどで、浩三の父母は反対したが、最後には二人は結ばれる。

★2.未亡人が独身青年を誘惑し、もてあそぶ。

『青年』(森鴎外)  未亡人坂井れい子は、亡夫・法科大学教授坂井恒の遺産を管理して、派手な暮らしをしている。彼女は、美青年小泉純一を自宅に招いて誘惑し、二度ほど関係を持つ。年末、れい子は「二十七日に箱根へ参ります。一人で参っておりますので、お暇ならいらっしゃい」と純一を誘う。純一が迷ったあげく大晦日に箱根へ行くと、れい子は、愛人である画家の岡村と一緒にいた。純一は不快になり、元日の朝、東京へ帰る。

★3.未亡人の再婚話。 

『秋日和』(小津安二郎)  美貌の未亡人秋子(演ずるのは原節子)は、適齢期の娘アヤ子(司葉子)と二人で暮している。秋子の亡夫の友人三人が、「アヤ子ちゃんに良縁を捜そう」と話し合う。アヤ子は母秋子のことが気がかりで結婚に踏み切れないのだから、まず秋子を再婚させる必要がある。そこで三人のうちの一人、妻を先年亡くした平山が、喜んで候補者になり話を進める。アヤ子は母が平山と再婚すると信じて、自分も結婚する。しかし秋子は、いつまでも亡夫とともに生きたいと考え、再婚話を断る。

★4.未亡人と寡夫の恋。

『男と女』(ルルーシュ)  アンヌ(演ずるのはアヌーク・エーメ)の夫は映画のスタントマンで、撮影中に事故で死んだ。彼女は子持ちの未亡人となった。ジャン=ルイ(ジャン・ルイ・トランティニャン)はレーサーで、かつてレース中に大怪我をし、妻は悲観して自殺した。彼は子持ちの寡夫となった。彼らの子供が同じ寄宿学校に入ったことから、二人は知り合い、恋愛関係になる。しかしホテルでの行為中も、アンヌは死んだ夫のことが忘れられない。アンヌはジャン=ルイに別れを告げ、列車に乗る。ジャン=ルイは車で先回りし、アンヌを駅で出迎える。

★5.未亡人と妻帯者の恋。

『慕情』(キング)  一九四九年の香港。未亡人である女医スーイン(演ずるのはジェニファー・ジョーンズ)は、パーティで新聞記者マーク(ウィリアム・ホールデン)と知り合う。二人は恋仲になるが、マークには別居中の妻がいた。妻は、マークからの離婚の申し出に応じない。スーインとマークの恋は、周囲からは不倫と見なされ、やがてスーインは勤務先の病院を解雇される。マークは朝鮮戦争の現地取材に派遣され、爆撃を受けて死ぬ。 

★6.社交界で何人もの男をあやつる未亡人。

『真珠夫人』(菊池寛)  処女のまま未亡人となった瑠璃子は、自邸の客間をサロンとして大勢の若い男を招き、彼らの心をもてあそんだ。「男は妾を持つことも、芸妓や娼婦と遊ぶことも許されている。同じことが女にも認められるべきだ」と述べて、瑠璃子は自分の行ないを正当化した。しかし彼女は、誰にも身をまかせることはなかった。純情な青年・青木稔は、瑠璃子に求婚するが断られ、ナイフで彼女を刺す。瑠璃子は、かつて心ならずも別れた恋人・杉野直也を呼び、彼に見取られて死んでいった。 

『人間ぎらい』(モリエール)  青年貴族アルセストは、虚偽に満ちた社交界を嫌いつつ、社交界の花形・二十歳の美しい未亡人セリメーヌを恋している。セリメーヌが何人もの男たちに恋文めいた手紙を送り、裏ではその男たちを愚弄していることを知っても、アルセストはセリメーヌを思い切れず、「誰もいない砂漠で、二人一緒に暮らそう」と言う。しかしセリメーヌには社交界を捨てる意志などなく、彼女はアルセストの申し出をあっさりと拒否する。

★7.亡夫の莫大な遺産を得た未亡人。再婚すれば、その遺産を失う。

『トレント最後の事件』(ベントリー)  実業家マンダースンが殺害され、画家トレントが素人探偵として事件の真相を究明する。マンダースンの若く美しい妻、今は未亡人となったメイベルに、トレントは恋心を抱くが、彼女が亡夫から得た莫大な遺産に妨げられて、トレントは愛を打ち明けることができない。しかしメイベルは、再婚すれば亡夫の遺産をすべて失うのだった。そのことを知ったトレントは、その場でメイベルに求婚し、メイベルもそれを受け入れた。  

『メリー・ウィドウ』(レハール)  ポンテヴェドロ公国の未亡人ハンナの財産は、国家財政を左右するほど巨額で、彼女が外国人と再婚して富が流出するのを防ぐため、公国公使が、書記官ダニロ伯爵にハンナと結婚するよう命ずる。ダニロはハンナを愛しているが、財産目当てと思われるのがいやで、求婚しない。ところが前夫の遺言で、ハンナは再婚すれば全財産を失って無一文になることを知り、ダニロは喜んでハンナと結婚する。しかし遺言には続きがあり、財産はすべて新しい夫のものになるのであった。

★8.名士の未亡人。

『礼遇の資格』(松本清張)  国際協力銀行副総裁だった原島栄四郎が、殺人の容疑で取調べを受けた(*→〔パン〕3)。彼の妻敬子は、偽証をして夫を救おうとする。その理由を問う取調官に、敬子は答える。「主人を刑務所に入れては困ります。あの人は老齢なので、そう長くはありません。わたしは、国際協力銀行副総裁の未亡人になりたいのです。それは、良い地位の人と再婚するための、有利な資格になりますから」。

★9.戦争未亡人。

『日本の悲劇』(木下恵介)  春子(演ずるのは望月優子)は戦争で夫を失った(戦死ではなく、空襲による死)。戦後、春子は闇屋になったり、温泉宿の女中をしたりして懸命に働き、息子・清一と娘・歌子を育てる。苦労して清一を医科大学までやったが、清一は勝手に、金持ちの開業医の養子になってしまった。歌子は、妻子ある中年男に思いを寄せられ、駆け落ちした。春子は生きる望みを失い、白昼、列車に飛び込んで自殺した。 

★10.未亡人になるかもしれぬ人妻。

『男はつらいよ』(山田洋次)第34作「寅次郎真実一路」  寅次郎が酒場で知り合った証券マン富永が、遠距離通勤と長時間勤務に堪えかね、蒸発してしまう。心配する妻ふじ子(演ずるのは大原麗子)を、寅次郎は慰め励まし、一緒に富永捜しの旅に出ようとする。その話を聞いた博が、「万が一のことがあったら、奥さんの悲しみはどれほどか」と、余計なことを言う。寅次郎は、ふじ子が未亡人になった時のことをあれこれ考え出す〔*後に寅次郎は「俺の心は汚い」と反省する。富永は無事だったので、寅次郎は彼をふじ子のもとへ送り届ける〕。 

 

※未亡人を、亡夫の弟が恋する→〔兄嫁〕3の『乱れる』(成瀬巳喜男)。

※未亡人と幽霊の恋→〔冥婚〕5の『幽霊と未亡人』(マンキーウィッツ)。

 

 

【見間違い】

★1.身体の一部分を、金や貴重品などと見間違う。

『サイラス・マーナー』(エリオット)第12章  小屋に独居する世捨て人サイラス・マーナーは、蓄えた金貨を盗まれたことを諦められず、「いつか金が戻って来るのではないか」と期待する。大晦日の夜、小屋に入りこんで眠る少女エピーの金髪を、視力の衰えたサイラスは黄金と見間違え、手で触れてようやく金貨でないことを知る〔*サイラスはエピーを自分の娘として育て、やがて人間や神への信頼を取り戻す〕。

『福富草子』(御伽草子)  福富の織部は放屁の芸で長者になった。隣人の乏少の藤太が真似をして殿様の前で芸をするが、失敗して粗相する。笞杖で打たれ藤太が血だらけで帰って来るのを見た妻は、赤い小袖を褒美にもらってきたと思い、「今まで着ていた古着はもういらぬ」と言って焼き捨てる〔*これをきわめて悲惨な形にしたのが、「赤い帯」だと思ったら「腸」だったという→〔原水爆〕1の『現代民話考』(松谷みよ子)6「銃後ほか」第6章の3〕。

*禿げ頭を薬罐(やかん)と見間違う→〔禿げ頭〕5aの『鹿の子餅』「盗人」。

*禿げ頭を瓢箪(ひょうたん)と見間違う→〔禿げ頭〕5bの『清兵衛と瓢箪』(志賀直哉)。 

★2.複合体(動物+器物、複数の動物)を、一体の化け物と見誤る。

『今昔物語集』巻28−29  博士の紀長谷雄が学生(がくしょう)たちと作文(さくもん)の会をしていた時、塗籠(ぬりごめ)から、背丈二尺ほどの怪物が現れた。頭は黒くて角が一つあり、胴体は白くて足が四本という異様な姿だったので、皆恐れた。しかしそれは、白犬が半插(はんぞう)に頭を入れて、抜けずにいたのであった。

『武道伝来記』(井原西鶴)巻5−4「火燵もありく四足の庭」  深夜、炬燵の櫓が庭を走るので「化け物だ」と皆が騒ぐ。一人が槍で仕留め蒲団をめくると、犬が中にもぐっていたのだった。その場は大笑いですんだが、後に「犬を突いて手柄にした」と世間で噂されたため、武士の面目をかけて大勢が斬り合った。

『ブレーメンの音楽隊』(グリム)KHM27  ブレーメンの町への旅の途中で日が暮れて、宿と食事を求めるろば・犬・猫・鶏が、泥棒の家を見つける。動物たちは「泥棒どもを追い払おう」と相談し、ろばが窓枠に前足をかけ、その上に犬・猫・鶏が次々に乗って一斉に鳴く。泥棒たちは「化け物が来た」と思って逃げ去る。ろば・犬・猫・鶏は、泥棒の残したご馳走を平らげて、ぐっすり眠る。   

*二つの身体が連結したシャム双生児を、巨大な蟹のような化け物と見誤る→〔蟹〕9の『シャム双生児の秘密』(クイーン)。

*雨の夜、人間を怪物と見誤る→〔雨〕3の『夷堅志』(宋・洪邁)「雨夜の怪」など。

★3.人の行動を見て、その意図するところを取り違える。

『今昔物語集』巻9−20  継子伯奇をおとしいれるべく、継母が懐に蜂を入れておき、「蜂にさされた」と言って倒れる。そして伯奇に蜂を取らせ、そのさまを父に遠望させる。父は、倒れた継母の懐に伯奇が手を入れるのを見て、「伯奇が継母を犯している」と思い込む。伯奇は父親から疑われたので、家を出て河に投身する〔*逆に、継子が継母をおとしいれる形にしたのが→〔継子への恋〕2の『本朝二十不孝』巻4−3「木陰の袖口」〕。

『サセックスの吸血鬼』(ドイル)  ファーグスンの夫人が、自分の産んだ赤ん坊の首に噛みつき、血を吸った。ファーグスンは、夫人の血だらけの唇を見て、「吸血鬼である夫人が赤ん坊を襲った」と考える。実は、夫人にとって継子にあたる、背骨に障害を持つ少年が、健康な赤ん坊に嫉妬して、毒矢を赤ん坊の首に刺したため、その毒を夫人は吸い取っていたのだった〔*→〔誤解による殺害〕1の『パンチャタントラ』第5巻第2話の変型〕。

『高瀬舟』(森鴎外)  夕方、喜助が仕事から帰って来ると、病気の弟が自殺しようとして死にきれず、剃刀を喉へ深く差し込んだまま苦しんでいた。弟が、「剃刀をうまく抜いてくれたら、おれは死ねるだろうと思う。どうぞ手を貸して抜いてくれ」と請うので、喜助は剃刀の柄をしっかり握って引く。その時、近所の婆さんが入って来て、「あっ」と言って駆け去った。役人が来て、喜助を役場へ連れて行った→〔安楽死〕1

『呂氏春秋』巻17「審分覧・任数」  孔子が遠くから見ていると、弟子の顔回が米を炊きながら一口つまみ食いをした。孔子は見て見ぬふりをした。これは実は煤が鍋に入ったのを、食物を捨てるのは良くないのでつまんで食べたのだった。それを知った孔子は、「信頼すべき目も信じられぬか」と嘆息した。

★4.自殺しようとする人を見るが、遠方からなので、そのことがわからない。

『大菩薩峠』(中里介山)第36巻「新月の巻」  剣客の仏頂寺弥助と書生の丸山勇仙は、中有に迷う亡者のように諸国を放浪する。秋の晴れた日、飛騨の小鳥峠で松茸の土瓶蒸しを食べ酒を飲むうち、二人は死にたくなって、仏頂寺は切腹し丸山は硫酸を飲む。宇津木兵馬と芸妓福松が遠方から一部始終を見るが、仏頂寺と丸山が飲めや唄えのあげく良い気分で寝てしまった、としか見えない。しばらくして兵馬は様子を見に行き、二人が自殺したことを知る。 

『武蔵野夫人』(大岡昇平)第13章「秋」  人妻の道子と大学生の勉は恋し合う仲だったが、道子は「呼ぶまで家に来てはいけない」と禁じる。晩秋のある日、勉は道子の家の裏手へ行き、ベランダにいる道子を、繁みに隠れて見る。道子がコップに白い粒をたくさん入れ、サイダーを注いだので、勉は「何かの薬だろうか?」と思う。実は道子は自殺するために、多量の睡眠剤をサイダーに溶かしていたのだった。  

★5.大勢が、目前で起こっていることの意味を取り違える。

『英雄伝』(プルタルコス)「ファビウス・マークシムス」  ハンニバルのカルタゴ軍とローマ軍の戦闘中、ローマの執政官パウルスが落馬した。左右の者は、彼を助けようと馬から降りた。指揮官らが下馬したのを見たローマ騎兵は、「徒歩で闘え」との命令が出たと勘違いして、皆馬を捨てる。その結果、ローマ軍は大敗北した。

『本膳』(落語)  名主(なぬし)の家に祝事があり、村人たちが招かれる。誰も本膳の食べ方を知らないので、手習いの師匠が上座につき、皆は師匠の真似をする。ところが、師匠がうっかり飯粒を鼻の頭につけたので、村人たちはそれが本膳の作法だと思って、めいめい飯粒を鼻につける。師匠が里芋を箸ではさみそこねて転がすと、またその真似をする。師匠は「よせ」と隣の男をひじで突く。皆次々に隣を突く。

*毒蛇を殺そうと一人が剣を抜いたら、戦争になってしまった→〔誤解による殺害〕4の『アーサーの死』(マロリー)第21巻第4章。

★6.水だと思ったら、水銀(みずかね)だった。

『今昔物語集』巻2−23  天竺の国王が、樹提伽長者の家を訪れる。三重の門を過ぎて庭にいたると、一面の水なので、国王は「水の中には降りられない」と思う。長者は、「水銀を地に敷いているのが、水に見えるのです」と言い、先に立って庭へ入った。そこで国王も一緒に入った。

*深い淵だと思ったら、水晶だった→〔問答〕2の『コーラン』27「蟻」。

★7.信じられないものを見た時、それを「目の錯覚」と考える。

『スーフィーの物語』17「粘土の鳥はなぜ空を飛んだか」  幼子イエスが粘土で作った鳥が、空に向かって飛び立って行った(*→〔曜日〕4)。ユダヤ教の長老たちがこれを見て驚き、一人が「この技術を学びたいものだ」と言った。しかし別の長老は、「これは技術などではない。われわれの単なる眼の錯覚だ」と断じた。

 

※人間を人形に、人形を人間に見間違える→〔人形〕2の『瓜盗人』(狂言)など。

※白米を、水の流れに見せかける→〔食物〕2aの白米城の伝説。

※滝の絵を見て、そうめんだと思う→〔麺〕1dの『つる』(落語)。

※見間違いによる誤射→〔誤射〕1〜4の『寝園』(横光利一)、『二十四孝』(御伽草子)「ゼン子」、『日光山縁起』下など。

※月の光を、別のものと見間違える→〔月の光〕4の石見国布引山(高木敏雄『日本伝説集』第21)など、→〔月の光〕5の『懶惰の歌留多』(太宰治)「に」。

 

 

【耳】

★1.耳から誕生する。

『ガルガンチュア物語』第一之書(ラブレー)第6章  母ガルガメルが出産時に脱肛を起こしたので、産婆が強力な収斂剤を施す。そのため括約筋が締まり、子宮が上に口を開け、そこから胎児ガルガンチュアは飛び出して上昇静脈幹に入りこみ、やがて母の左耳から外へ出た。

★2.耳からさまざまなものが出る。

『北野天神縁起』  善相公清行が、重病の本院大臣時平の見舞いに赴く。時平の左右の耳から青龍(菅原道真の霊魂)が頭をさし出し、「我は怨敵に復讐しようとしているのに、汝の息子浄蔵が病降伏の祈りをしている。それを制止せよ」と告げる。清行は浄蔵にこの由を知らせ、浄蔵は祈りをやめる。時平はたちまち死んだ。

『太平広記』巻327所引『述異記』  馬道猷の前に霊鬼たちが現れ、その中の二人が道猷の耳に入って、彼の魂を耳から外へ押し出した。履物の上に落ちた魂は、道猷の目にはひきがえるのような形に見えた。霊鬼が耳の中にとどまっているため、道猷の耳は腫れあがり、彼は翌日死んだ。

*耳から魂が出て行くのを感じる→〔人魂〕1aの『和漢三才図会』巻第58・火類「霊魂火(ひとだま)」。

『日本書紀』巻11仁徳天皇67年(A.D.379)10月  鹿が突然野中より走り出、役民らの中に入って倒れ死んだ。不思議に思い鹿の傷を探していると、百舌鳥が耳から出て飛び去った。耳の中を見たところ、ことごとく喰い裂かれていた。その場所を百舌鳥耳原というのは、この事件によってである。

『聊斎志異』巻1−2「耳中人」  譚晋玄は導引の修行に励むうち、耳の中から「会ってもいいぞ」との声が聞こえるようになる。ある日、彼がその声に応ずると、三寸ほどの小人が耳から出てくる。その時、隣家の男が声をかけたため、小人はうろたえて姿を消した。晋玄も狂気となり、半年ほどしてようやく癒えた。

★3.耳の穴を抜けて別世界へ行く。

『玄怪録』2「耳の中の国」  八月十五日の夜、薛君冑の耳から、背丈二〜三寸の童子が二人出てきた。童子たちは「兜玄国から来ました。兜玄国は我々の耳の中にあります」と言う。薛君冑が一人の童子の耳の穴をのぞくと、中に別天地がある。彼は童子の耳の穴に飛び込んで、兜玄国へ行く。薛君冑は兜玄国で役人となって数ヵ月を過ごした後に、故郷が恋しくなり、再び童子の耳を通ってもとの家に戻る。その間にこの世では七〜八年がたっていた。 

★4.耳が聞こえないと、思索や瞑想に好都合な場合がある。

『Xの悲劇』(クイーン)第1幕第1場「ハムレット荘」  ドルリイ・レーンはシェイクスピア劇の名優だったが、聴力を失って引退した。非凡な推理力を持つ彼は、警察に協力して、いくつかの難事件を解決する。耳が聞こえないことは、精神の集中にはかえって好都合だった。目を閉じるだけで音のない世界に入れ、外部の騒音に煩わされずにすむからである。

『吾輩は猫である』(夏目漱石)9  近所の寺に、八十歳ばかりの和尚がいる。夕立の時、寺内へ雷が落ちて、和尚のいる庭先の松の木を割いてしまった。ところが和尚は泰然として平気であった。それもそのはず、和尚は耳が聞こえないのだった〔*迷亭が語る話。禅定に入っていたために、激しい雷鳴が聞こえなかった、という物語もある→〔落雷〕5の『大智度論』巻21〕。

★5.耳が聞こえないゆえの悲劇。

『名もなく貧しく美しく』(松山善三)  秋子(演ずるのは高峰秀子)と道夫(小林桂樹)は、聾唖者どうしで結婚した。二人の間に生まれた赤ん坊は、冬の夜、蒲団から這い出て土間に落ちる。就寝中の秋子と道夫は聾者ゆえ、赤ん坊が泣いても目覚めず、赤ん坊は死んでしまう。夫婦は嘆き悲しむが、まもなく二人目の子供が授かり、無事に成長する。ある日のこと。かつて秋子が世話をした戦災孤児が、立派な青年となって訪ねて来た。秋子は喜んで大通りに飛び出し、トラックにはねられて死ぬ。秋子には、クラクションの音が聞こえなかったのだ。

★6.耳が聞こえない聾者にとって、音は存在するのだろうか?

『叫べ、沈黙よ』(ブラウン)  「聞く者が誰もいない森の奥で木が倒れたら、それは無音だろうか?」という議論がある。空気の振動はある。しかし音は存在するのだろうか? 人妻マンディーとその愛人が、コンクリートの部屋に閉じ込められ、助けを求めて何日もドアを叩き、叫び続けた末に餓死した。マンディーの夫は、最近、耳の病気で聾者になったので、何も聞こえず気づかなかったというのだ。彼は本当に聾者なのだろうか?   

*「木が倒れたが、音はなかった」という話とは逆に、「音がしたが、木は倒れなかった」という現象→〔天狗〕8の天狗倒しの伝説。

 

※耳を洗う→〔けがれ〕1bの『唐物語』17。

※福耳→〔売買〕6の『沙石集』巻9−23。

 

 

【耳を切る】

★1.敵の耳を切り取る。

『マタイによる福音書』第26章  祭司長や長老たちから送られた大勢の群衆が、剣と棒を持ってイエスを捕らえに来る。その時、イエスとともにいた者の一人が剣を抜き、大祭司の従者に切りかかって、その片耳を切り落とした〔*『マルコ』第14章も「片耳」、『ルカ』第22章・『ヨハネ』第18章では「右耳」を切り落としたとする〕。

★2.職人の耳を切り取る。

『五重塔』(幸田露伴)  谷中の感応寺五重塔の建立を、江戸で名高い棟梁の源太親分が請け負う。しかし、世渡り下手で「のっそり」とあだ名される貧しい大工十兵衛の強い願いにより、源太は仕事を彼に譲る。しかも十兵衛は、源太からの援助の申し出を一切謝絶したため、源太の子分清吉が怒り、釿(ちょうな)をふるって普請場の十兵衛に襲いかかる。十兵衛は避けきれず、左耳を削ぎ落される。

『夜長姫と耳男(みみお)(坂口安吾)  「夜長ヒメの気に入るミロクボサツ像を造ったタクミには、機織り娘エナコを与える」と長者が約束する。「オレ(耳男)」は「女などいらぬ」という意志を示し、エナコは怒って「オレ」の左耳を切り落とす。「オレ」が「平気だ」と言うので、夜長ヒメはエナコに命じて、「オレ」の右耳も切り落とさせる→〔十三歳〕1

★3.不義の男女の耳を切り取る。

『ボール箱』(ドイル)  ジム・ブラウナーはメアリと結婚して、仲むつまじく暮らした。メアリの姉セアラがジムに言い寄ったが、ジムは相手にしなかった。そのことでセアラはジムを恨み、アレックという男をメアリに近づけて、ジムとメアリの夫婦仲を割(さ)く。ジムは怒りのあまり、アレックとメアリを殺して、二人の耳を片方ずつ切り取る。ジムは「すべてセアラの責任だ」と思い知らせるべく、二つの耳をボール箱に入れて、セアラに送りつけた〔*しかし手違いで、ボール箱は別人の所へ届いた〕。

*不義の男女の髪を切り取る→〔髪を切る・剃る〕2の『好色一代男』(井原西鶴)巻3「口舌の事触」など、→〔目印を消す〕2の『デカメロン』第3日第2話。

★4.手柄の証拠として耳を切り取る。

『南総里見八犬伝』第9輯巻之29第147回〜巻之30第148回  犬江親兵衛は、絵から抜け出た虎を退治し、証拠に虎の片耳を切り取る。しかしその耳はいつのまにかなくなり、絵の中に戻ってしまう。後に虎の身体全体も絵に戻って耳とつながったが、耳には刀傷が残った。

『平家物語』(延慶本)巻9−21「越中前司盛俊被討事」  猪俣小平六則綱が越中前司盛俊を討ち取ったところへ、人見四郎が駆けつけ、盛俊の首を横取りする。則綱はとっさに首の左耳を切り取って、後の首実験の折の証拠とする。

*鼻を斬り取って証拠とするばあいもある→〔鼻〕5の『武州公秘話』(谷崎潤一郎)。

★5.刃物を使わずに、耳をもぎとる・食い切る。

『鬼婆に耳から食われた話』(日本の昔話)  小僧が山姥に追われて、寺へ逃げこむ。和尚は小僧を裸にして、全身にお経を書く。山姥は小僧を捜すが、山姥の目には小僧が見えず、代わりに地蔵様が立っている。ところが片方の耳にお経が書いてなかったので、山姥は耳だけ食い切って行く。小僧は命拾いする(新潟県南魚沼郡)〔*「小僧の耳にお経が書いてなかったので、鬼婆は耳から小僧を食ってしまった」、つまり耳から食い始めて、小僧の全身を食ってしまった、と語るものもある(福島県いわき市)〕。

『耳なし芳一のはなし』(小泉八雲『怪談』)  和尚が芳一の全身に般若心経を書きつつも、耳に書くのを忘れてしまう。平家武士の亡霊が芳一を呼びに来るが、経文のおかげで芳一の姿は見えない。両耳だけが宙に浮かんでいるので、亡霊は主君に報告するため、耳をもぎとって帰って行く。

★6.自分の耳を切り落とす。

『明惠上人伝記』  明惠上人は、仏道に専心するために、我が姿を変えて人間世界を離れよう、と思う。しかし、眼をつぶせば経が読めない。鼻を削げば鼻水で経を汚す。手を切れば印(いん)を結べない。耳ならば、切り取っても聞こえなくなるわけではないので、上人は剃刀で右耳を切り落とした〔*建久七年(1196)、上人が二十四歳の時のこと〕。

*ゴッホも自分の片耳を切り捨てた→〔絵の中に入る〕2の『夢』(黒澤明)第5話「鴉」。

*耳たぶなら、なくなっても困らない→〔交換〕3aの『耳の値段』(安部公房)。

★7.自分の耳を切って人に与える。

『撰集抄』巻1−8  四十歳余りの法師が、行賀(ぎゃうが)僧都のもとを訪れて訴える。「背中に悪瘡をわずらい、苦痛はなはだしく死期が近い。医師から『貴い聖人の左耳を取って来たら、治療できる』と言われた」。行賀は、ためらうことなく、剃刀で自らの左耳を切って、法師に与える。後、行賀の夢に十一面観音が現れ、「いつぞやいただいた耳を、今お返し申し上げる」と告げる。目覚めた行賀が手さぐりすると、左耳がもとどおりついていた。

 

 

【未来記】

★1.未来に起こることを文字で記した書物。

『捜神記』巻3−1(通巻49話)  後漢の永平年間。魯国の相となった鐘離意は、かつて孔子が乗った車を修理させ、また、孔子廟へ入って孔子遺愛の調度品を磨いた。その時下僕の張伯が玉璧七個を見つけ、一つを盗んだ。鐘離意が講堂内の甕を開けると絹布に書かれた文書があり、「後世、我が車を保存し我が調度を磨くは鐘離意。玉璧は七個、張伯その一を隠す」と記してあった。

『捜神記』巻8−5(通巻231話)  孔子が、少年に捕らえられた麒麟を見いだすと、麒麟は口から書物三巻を吐き出した。書物は幅三寸長さ八寸、各巻二十四字ずつから成り、「やがて劉邦が帝位につく」と記してあった。

『捜神記』巻8−6(通巻232話)  孔子が『春秋』『孝経』を完成させた時、空から白虹が降り、径三尺の黄玉に変じた。黄玉には、「劉邦が天下を治める」という内容の文字が刻まれていた。

『太平記』巻6「正成天王寺の未来記披見の事」  かつて聖徳太子が、百代に渡る世の治乱を見通して未来記を書き残した。それから七百余年後の元弘二年(1332)八月三日、楠木正成が天王寺に詣でて、未来記を披覧した。「日西天に没ること三百七十余箇日、西鳥来たって東魚を食らふ。その後海内一に帰すること三年」という文面から、正成は、北条幕府の滅亡と後醍醐帝の復帰・親政を読み取った。

『百年の孤独』(ガルシア=マルケス)  ジプシーのメルキアデスが、マコンドの町とブエンディーア家の草創から終末までの百年間の予言を羊皮紙に書き記す。百年後に、ブエンディーア家の最後の生き残りアウレリャーノが予言を解読して、一族の終末の時が来たことを悟る。彼が解読を終えた瞬間に、暴風によってマコンドの町は消滅する。

*翌年の人事を記した紙→〔川の流れ〕3の『更級日記』。

*生きている人の名前が刻まれた墓石→〔墓〕7の『炎天』(ハーヴィー)など。

★2.未来の新聞。

『ブラウンローの新聞』(H・G・ウェルズ)  一九三一年十一月十日夜。サセックス・コート四十九番に住むブラウンローは、同住所オハラ氏宛の、一九七一年十一月十日付けの新聞を受け取った。国家も戦争もなく、出生率が千人に七人という世界のありさまが、そこには記されていた。おそらく、四十年後にオハラ氏は一九三一年の新聞を受け取るのであろう。 

★3.未来記の、実現した所までを読み、あとは見ずにおく。

『太平広記』巻147所引『定命録』  張嘉貞は若い頃、官職名を書き連ねて封じた巻物二巻を、占いの老人にもらった。以後、一つの官職の任期が終わるごとに巻物を一行ずつ開くと、すべて当たっている。やがて嘉貞は重病になるが、まだ一巻が開けずに残っていたので見ると、全部「空」の字が書いてあり、嘉貞は死んだ。

『平家物語』巻2「座主流」  任安元年(1166)、僧明雲は天台座主に就任し、宝蔵中の方一尺の箱を開けて巻物一巻を見た。それは、開祖伝教大師が未来の座主の名をかねて記しておかれたものであり、新任の座主は、自分の名のある所まで見て、それより奥は見ずに巻き戻すならわしだった。

★4.未来の予見とその対策。

『保元物語』上「官軍召し集めらるる事」  鳥羽院の死後、その子・後白河天皇に対して、崇徳院と左大臣頼長が謀叛をくわだてた。後白河天皇は対策を講じるために、鳥羽院の遺命を記した日記を披見すべく、使者を美福門院(鳥羽院の后)のもとへ遣わす。鳥羽院は、かねて謀叛を予見しており、日記には御自筆で、内裏へ召集すべき武士たちの名前が書いてあった。

★5.未来が記してあるかもしれないページを開くと、すべてが消え失せる。

『塀についた扉』(H・G・ウェルズ)  ウォレスは五〜六歳の頃、緑色の扉を開けて魔法の庭園を訪れた(*→〔扉〕3b)。そこで憂い顔の婦人が見せてくれた本には、ウォレスの誕生以来、彼の身に起きたすべてのことが描かれていた。ウォレスは夢中でページをめくり、緑色の扉を開ける直前の彼自身の姿を見出し、その先を知ろうとページをめくった。すべては消え失せ、ウォレスは灰色の道路上に立っていた。  

★6.未来が見えるテレビ。

『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)「しずちゃんをとりもどせ」  のび太がタイムテレビで、未来の自分としずちゃんの暮らしを見る。のび太としずちゃんの間には「ノビスケ」という子供が生まれているはずなのに、代わりに「ヒデヨ」という、出木杉にそっくりの男の子がいる。ドラえもんが「未来は変わることがあるから」というので、のび太は落ち込む〔*実は、のび太としずちゃん夫婦が、火星基地に出張中の出木杉夫婦の子を一時的に預かっていただけだった〕。

★7.未来に起こることを描く幻像や絵画。

『青い花』(ノヴァーリス)第1部第5章  ハインリヒは旅の途中で洞窟の隠者に出会い、未知の言語(プロヴァンス語)で書かれた本を見る。いくつかの挿絵には、さまざまな人々に混じってハインリヒ自身の姿もある。彼の過去と現在を表す両親や隠者の絵姿とともに、彼が詩人となって皇帝の宮廷に列し、愛らしい娘を得る未来も描かれていた。 

『失楽園』(ミルトン)第11巻  神は、禁を侵したアダムとイヴを、エデンの園から追放する。それに先立って、大天使ミカエルがアダムを高山の頂上に連れて行く。大天使は、カインによるアベルの殺害や大洪水など、未来に起こる出来事を、幻の形でアダムに見せる〔*次の第12巻では、大天使ミカエルは言葉によって、その後の出来事、イエス=キリストの誕生と死、世界の終末までの歴史を、アダムに語り聞かせる〕。

*地球の生命の歴史をパノラマ視する→〔地球〕8の『午後の恐竜』(星新一)。

*未来の自分自身の姿を見る→〔自己視〕2aの『クリスマス・キャロル』(ディケンズ)、→〔自己との対話〕1bの『詩と真実』(ゲーテ)第3部第11章。

★8.宇宙の過去から未来まで、風景を見るように、すべて一望できる。どのようにしても、いささかもそれらを変えることはできない。

『スローターハウス5』(ヴォネガット)  トラルファマドール星人がビリーに説明する(*→〔空飛ぶ円盤〕2)。「われわれは、きみたちがロッキー山脈をながめるのと同じように、すべての時間を見ることができる。全宇宙がどのように滅び、消えてしまうかも知っている。それは、いささかも変えることができない。琥珀の中に捕らえられた虫のように、われわれは各瞬間瞬間の中に閉じ込められている。不快な瞬間は見ず、楽しい瞬間に心を集中すべきなのだ」。

*いわゆる「ラプラスのデモン」も、これと同様の考え方であろう→〔予言〕8の『確率の哲学的試論』(ラプラス)「確率について」。

*われわれが現在送っている人生は、本当の人生ではなく、実は、すでに終わった人生を回顧・再体験しているのだとしたら、われわれの未来はすべて決定済みである→〔死〕10の『かいま見た死後の世界』(ムーディー)2「死の体験」。

 

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