前頁

【不眠】

 *関連項目→〔眠り〕

★1.不眠症の人。

『インソムニア』(ノーラン)  夏のアラスカ。殺人事件捜査のため、ロス警察からドーマー刑事(演ずるのはアル・パチーノ)と同僚ハップがやって来る。深い霧の中、殺人犯フィンチを追ううち、ドーマーは誤ってハップを射殺する。ドーマーは誤射を告白できず、良心の呵責に苦しむ。初めて経験する白夜の季節でもあり、ドーマーは何日も眠れない。やがてドーマーは女性刑事エリーとともに、殺人犯フィンチを追い詰めて射殺するが、ドーマー自身も撃たれる。ドーマーはエリーに誤射を告白し、「眠らせてくれ」と言って目を閉じる。

『タクシードライバー』(スコセッシ)  二十六歳の青年トラビス(演ずるのはロバート・デ・ニーロ)は不眠症のため、夕方六時から翌朝六時まで勤務するタクシー運転手となり、ニューヨークの下町を流す。孤独な生活の中で、トラビスは何丁かのピストルを入手し、筋肉トレーニングに励む。ある夜、彼は強盗を射殺し、またある日、彼は大統領候補者の暗殺に失敗する。知り合った少女売春婦を救おうと、数人の男を射殺し、自らも重傷を負う。回復後、彼はまた運転手として深夜の街にタクシーを走らせる。

『田園の憂鬱』(佐藤春夫)  若き詩人である「彼」は都会の喧騒に疲れ、静かな田園地帯での深い眠りを求めて、妻、犬二疋、猫とともに武蔵野の一軒家に移り住む。しかし思いがけない生活の不便、村人との葛藤などで、「彼」の心は休まらない。「彼」は時計の音が気になって眠れなくなる。それで枕時計も柱時計も、とめてしまった。すると今度は、庭の前を流れる渠(みぞ)のせせらぎが、「彼」の就眠を妨げた。

『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)「ねむれぬ夜に砂男」  眠れずに困っている男がいる。ドラえもんが、「砂男が砂をかけると眠くなるという伝説が、ヨーロッパにある」と言って「砂男式催眠機」を出し、男に強力催眠砂をかける。そこへ男の家族が来て、「この人は眠りながら歩いたりしゃべったりしてるの。眠れず困っている夢を見ながらね」と説明する。

*眠れぬ夢→〔夢オチ〕2の『不眠症』(星新一『ボッコちゃん』)。

*不眠症を治すために、催眠療法を受ける→〔催眠術〕7の『顧りみれば』(ベラミー)。  

*眠れぬ男と、昏睡に陥る人類→〔長い眠り〕5の『時の声』(バラード)。

★2.眠ったふり。

『おどりぬいてぼろぼろになる靴』(グリム)KHM133  十二人の王女の靴が、毎朝、ぼろぼろにこわれている。そのわけを知ろうと、何人もの男たちが見張りをするが、皆、王女に酒を飲まされ眠ってしまう。一人の兵隊が酒を飲まず、眠ったふりをして王女たちを油断させ、地下の世界へ行く王女たちのあとをつける。十二人の王女は地下の御殿で、十二人の王子と一晩中踊っていた〔*王女たちの秘密を知った兵隊は、いちばん年上の王女の婿になった〕。

『千一夜物語』「金剛王子の華麗な物語」中の挿話・マルドリュス版第919夜  夜、王が眠りこんだのを見すまして、妃は化粧をし馬に乗って外出する。眠ったふりをしていた王が起き上がり、あとをつけると、野原の一軒家へ妃は入り、七人の黒人たちとたわむれる。

★3.身体は眠っているのに、意識が覚醒している。金縛り状態になる。

『硝子戸の中』(夏目漱石)38  子供の頃の「私(夏目漱石)」は、昼寝をすると、よく変なものに襲われがちであった。目を開いて、ふだんと変わらない周囲を現に見ているのに、身体だけが睡魔のとりことなって、いくらもがいても手足を動かすことができない、ということもあった→〔夢と現実〕1

*金縛りから体外離脱にいたる→〔体外離脱〕2の『火星のプリンセス』(バローズ)、→〔体外離脱〕3の 幽体離脱と魂の浮遊。

★4.眠ってはいけない夜。 

『金枝篇』(初版)第2章第2節  眠っている者の魂は身体から抜け出すが、それには危険が伴う。身体から離れた魂が別人の魂と出会って、二つの魂が争い合うことがある。アルー諸島(ニューギニア南西の群島)では、家で死者が出たら、家人たちはその夜は眠らない。死者の魂はまだ家の中にいるので、眠って夢の中でそれに会うことを恐れるからである。

『東海道名所記』巻6「山科より京まはり宇治まで」  人の身体の中には三尸の虫がいる〔*足部と腹部と頭部に棲むという〕。庚申の夜に人が眠ると、身体から三尸の虫が抜け出して天へ昇る。三尸の虫はその人の悪事を天帝に告げ、人は罰をこうむる。それゆえ庚申の夜は、三尸の虫を天へ昇らせないよう、人は起きているのである。

★5.不眠症にならない人。 

『嘔吐』(サルトル)  一時半、「私(ロカンタン)」はカフェ・マブリーへ行ってサンドイッチを食べる。支配人ファスケル氏が溌剌とした動きで、テーブルの間を歩き廻る。もうすぐ午睡の時間で、二時から四時までカフェには客がいない。客席が空になる時間に、ファスケル氏の頭も空になる。ボーイたちが電灯を消すと、彼は無意識の状態におちて行く。この男は、ひとりになると眠るのだ。

★6.死んでも治らぬ不眠症。 

『ボルヘス怪奇譚集』「不眠症」  男が不眠症に苦しんだあげく、ピストルに弾をこめ、脳天をぶちぬく。男は死んだが、眠ることはできなかった(ビルヒリオ・ピニェーラ)〔*死んで霊となっても意識は消失せず、生前同様の覚醒状態が続いたのである〕。

 

 

【不倫】

★1.夫の不倫の結果、妻が心を病む。

『死の棘』(島尾敏雄)  三十代半ばの「私(トシオ)」は小説家であり、夜間高校の非常勤講師をして、生計を立てている。妻ミホとの間には幼い子供が二人いる。妻は「私」の日記を読み、「私」に十年来の愛人がいたことを知る。その日を境に、狂気の発作が妻を襲うようになる。妻は、「私」と愛人との交渉のすべてを知ろうと、執拗に問う。「女と一緒に行った場所を全部言いなさい」「あなた、あいつを喜ばせていたの?」「あいつと一緒にお風呂に入ったの?」。妻は精神病院に入院し、「私」も付き添いとして、ともに入院する。

★2.夫の不倫の結果、妻が死ぬ。

『幸福(しあわせ)(ヴァルダ)  フランソワとテレーズは仲の良い夫婦で、二人の幼い子供がいる。フランソワは郵便局でエミリという娘に出会い、愛人関係になる。日曜日、フランソワとテレーズは子供二人を連れてピクニックに出かける。フランソワはエミリとの関係をテレーズに打ち明け、二つの愛を持つことの幸福を語る。しかしフランソワがうたた寝をして目覚めると、テレーズは池で溺死していた。数ヵ月後、フランソワはエミリと結婚する。彼らは子供二人を連れてピクニックに出かける。 

★3.夫の不倫相手の女が自殺する。

『わらの男』(ジェルミ)  機械工アンドレア(演ずるのはピエトロ・ジェルミ)は、妻と八歳の息子の三人家族で、アパートに暮らしている。彼は同じアパートに住むOLのリータと親しくなり関係を結ぶが、自分の家庭を捨てるわけにはいかず、やがてリータを避け、逢わないようになる。リータはアパートの五階から飛び降り自殺する。アンドレアは妻にリータとの関係を告白し、妻は息子を連れて家を出る。大晦日の夜、妻と息子は帰って来るが、妻は心の中で「私たちは大事なものを失った。以前の生活にはもう戻れない」と思う。

*夫の不倫相手の女が、堕胎手術をして死ぬ→〔堕胎〕1の『ヘッドライト』(ヴェルヌイユ)。

★4.夫の不倫の結果、妻が夫を殺す。

『柔らかい肌』(トリュフォー)  中年の文芸評論家ピエール(演ずるのはジャン・ドザイ)は、妻と一人娘との三人家族だった。彼は講演に出かけた時、スチュワーデスのニコルと知り合い、愛人関係になる。妻はピエールの不倫に気づき、口論の末、彼らは離婚することになる。ピエールはニコルと結婚しようと思うが、ニコルは彼の求婚を受け入れない。ピエールは妻ともう一度やりなおそうと考え、電話をかける。しかし妻は猟銃を持って家を出た後だった。妻は、ピエールのいるレストランへ向かい、彼を射殺した。

★5.妻と情婦が手を組んで夫を殺す、と見せかけ、実は夫と情婦が共謀して、妻を死に追いやる。

『悪魔のような女』(クルーゾー)  小学校長ミシェルには、妻クリスティーナの他に情婦ニコル(演ずるのはシモーヌ・シニョレ)がいた。妻は、横暴なミシェルに苦しめられていた。情婦は妻に同情し、二人協力してミシェルを浴槽に沈め、殺してしまう。しかしミシェルは生きていた。すべてはミシェルと情婦が、邪魔な妻を死なせるために仕組んだ罠だった。死体のふりをしたミシェルが浴槽の中で動き出し、立ち上がるのを見て、心臓の悪い妻は発作を起こして死んだ。

★6.不倫願望

『七年目の浮気』(ワイルダー)  結婚して七年目のリチャードは、妻と息子を避暑に送り出した留守に、「浮気の一つもしたい」と夢想する。彼は、同じ共同住宅の階上に住むブロンド娘(演ずるのはマリリン・モンロー)と知り合い、娘を部屋に誘う。娘は部屋に泊まるが、夜中に管理人がやって来て邪魔が入り、リチャードにも「妻を裏切ってはならない」との思いがあって、結局、娘は寝室に、彼は居間のソファに寝る。翌朝、友人のトムが避暑地から、妻の伝言を持って訪れたので、リチャードは妻とトムの仲を疑い、あわてて妻のもとへ駆けつける。

★7.上司の不倫。 

『アパートの鍵貸します』(ワイルダー)  保険会社の社員バクスター(演ずるのはジャック・レモン)は、上司たちの秘密の逢引き場所として、アパートの自室を貸していた。彼が好意を寄せるエレベーター・ガールのフラン(シャーリー・マクレーン)は、妻子持ちの部長の愛人だったが捨てられ、バクスターの部屋で睡眠薬自殺をはかる。さいわいバクスターがすぐに医者を呼んだので、フランは息を吹き返す。バクスターは、以後は部長に部屋を貸すことを断り、会社を辞める。部長は妻に家を追い出され、フランとよりを戻そうとする。しかしフランはバクスターのもとへ行く。

★8.病気の妻が死ねば、正式に結婚できる。 

『夜の河』(吉村公三郎)  京染めの店の娘きわ(演ずるのは山本富士子)は、妻子ある大学教授竹村(上原謙)と知り合い、不倫関係になる。竹村の妻は脊髄カリエスで寝たきりで、病状は重かった。ある時、竹村は「もう少しのことだ」と言う。きわは、病妻の死を待ち望むような思いを、竹村の中にも自分の中にも認めたくなかった。やがて病妻は死に、竹村はきわに求婚するが、きわは彼に別れを告げる。

*大学教授と病妻→〔女中〕2の『悲の器』(高橋和巳)。 

 

※妻の不倫については、→〔夫殺し〕〔人妻〕〔密通〕などに記事。

 

 

【風呂】

 *関連項目→〔温泉〕

★1.玄関で風呂に入る。

『玄関風呂』(尾崎一雄)  練炭一つで沸くという風呂桶を、家内が買って来た。「私」たちは借家に住んでおり、風呂桶を据える適当な場所がないので、玄関の一坪のたたきに置いた。「私」も家内も子供たちも、玄関で風呂に入った。暖かい気候になってから、風呂桶を裏庭に移した。深夜一時過ぎに、星空を見上げて風呂に入り、唄をうたっていたら、お巡りさんに叱られた。

★2.五右衛門風呂(風呂の底が釜になっており、下から直に湯を沸かす)の入り方。

『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)初編「小田原」  弥次・喜多の泊まった旅籠の風呂は五右衛門風呂で、湯に浮いている板を底に沈め、その上に乗って入るのであった。それを知らない弥次郎兵衛は、板をフタだと思って取りのけ、風呂底の釜に足をつけて火傷をする。考えた末、彼は下駄をはいて風呂に入る。その後に喜多八も下駄をはいて風呂に入るが、立ったり座ったり、下駄でガタガタやっているうちに、釜を踏み抜いてしまう。

★3.銭湯の男湯と女湯。

『いじわるばあさん』(長谷川町子)朝日文庫版第3巻138ページ  いじわるばあさんが、パートタイムで銭湯の番台に座っている。ばあさんは、やって来た男の客に「千人目だから、女湯ご招待です」と言う。男は喜んで女湯へ入って行き、皆から桶を投げつけられる。

★4.入浴中の妻が、夫の危難を救うため、裸のまま出て来る。

『渋江抽斎』(森鴎外)60〜61  渋江抽斎が大金八百両を某貴人宅へ届ける前夜、にせの使者三人が訪れて「今夜、金を受け取りたい」と言う。抽斎が断ると、三人は刀に手をかけて抽斎を囲む。この時、妻五百(いお)は湯殿で沐浴中だったが、常に身から放さぬ懐剣を口にくわえ、湯を入れた小桶二つを持ち、腰巻だけの裸体で、賊たちの前に現れた。五百は桶を投げつけ、懐剣の鞘を払って、「泥棒」と叫んだ。三人の賊は狼狽して逃げ去った。

★5a.風呂場で丸腰でいるところを、襲って殺す。

『極附幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)(河竹黙阿弥)  旗本水野十郎左衛門は、侠客の長兵衛を、酒宴にかこつけ自邸へ招いて殺そう、と考える。長兵衛は水野のたくらみを察知しつつ、単身、水野の屋敷へ乗り込む。家来がわざと長兵衛の着物に酒をこぼし、着替えを勧めて、湯殿へ案内する。水野は家来とともに湯殿の長兵衛を襲い、槍で長兵衛を突き殺す。

『平治物語』下「義朝内海下向の事、付けたり忠致心替りの事」  平治の乱に敗れた源義朝は尾張の内海へ逃れ、長田庄司忠致の宿所へ身を寄せる。正月三日、忠致は湯屋に湯をわかし、義朝に入浴を勧める。義朝の家来を湯殿から遠ざけ、三人の侍が裸の義朝を襲う。一人が義朝を抱きとめ、二人が左右から刀で突き殺す。

★5b.風呂場なら丸腰だろうと思って襲い、失敗する。

『腰抜け二挺拳銃』(マクロード)  女ながらも拳銃の名手であるカラミティ・ジェーン(演ずるのはジェーン・ラッセル)を、三人の殺し屋がねらう。ジェーンが公衆浴場(=簡単に仕切られた個室がいくつも並んでいる)に入ったので、殺し屋たちは「風呂場なら丸腰だ」と言って、ジェーンの衣服がかかっているカーテンの中へ銃弾を撃ち込む。しかしジェーンは別の個室におり、しかも二挺拳銃を持っていた。ジェーンはたちまち殺し屋たちを撃ち殺した。

★5c.風呂場に閉じ込めて蒸し殺す。

雷休権現(高木敏雄『日本伝説集』第6)  北条の城主丹後守が、娘婿の毛利太万之助を殺そうとたくらみ、御馳走にかこつけて城へ招く。毛利が城に一宿して湯に入っていると、北条は外から錠を下ろし、火を強くして毛利を蒸し殺した。その後、毛利の居城のあった八石山から、怪火が北条の方へ飛んだり、雷が鳴ったりしたので、雷休権現という社を建て、毛利の霊を鎮めた(越後国柏崎八石山)。 

★6.妻が夫を風呂に入れて殺そうとするが、失敗する。

『異苑』86「二つの戒め」  男が出征して十年目にようやく家へ帰る。易者が「家の中でなければ宿泊するな。食事時でなければ入浴するな」と男に忠告する。男は家への帰途、岩かげに野宿するのを避け、岩崩れでつぶされずにすむ。帰宅すると妻が風呂を勧めるが、男は易者の言葉を思い出して、入浴しない。入浴すると髪が濡れるので、それを手がかりに、夜中に妻の情夫が男を殺す手はずだった。

『捜神記』巻3−17(通巻65話)  夫が帰宅の途次、占者から「止まれといわれても止まるな」などの予言をもらい、おかげで道中の危険を逃れる。家では妻が間男と共謀し、夫を風呂に入れて殺そうとする。夫は「洗えと言われても洗うな」との占者の言を思い出し、あやうい命を助かる。

*アガメムノン王も、姦通した妻によって、浴室で殺された→〔夫殺し〕1の『アガメムノン』(アイスキュロス)。 

★7.銭湯での殺人事件。

『柳湯の事件』(谷崎潤一郎)  青年が、銭湯「柳湯」の湯船の底に、何かヌラヌラした物を踏む。それは女体のようであり、青年は、自分の情婦瑠璃子の死体だ、と思う。ところが帰宅すると、瑠璃子は無事で家にいた。その後も「柳湯」の底にはヌラヌラした物があり、青年は「瑠璃子の生霊だ」と考え、両手でつかんで引き上げる。「人殺し」という声があがる。青年は、入浴中の男の急所をつかんで殺したのだった。青年は瘋癲病院へ送られた。

★8.若い娘を風呂に入れて、その身体を点検する。

『その妹』(武者小路実篤)  野村静子は叔父に連れられて、相川三郎の家へ行った(相川は静子を「妻にしよう」とたくらんでいた)。「湯に入れ」と勧められ、静子が入浴していると、そこへ相川の母が入ってきた。風呂から出ると、そこには相川が立っていた。静子は「あっ」と声をあげ、相川はあわてて逃げて行った。相川母子は、静子の「体格検査」をしたのだ。静子の兄広次はそれを聞いて怒り、「西洋だったら、俺は相川と決闘する」と言った→〔画家〕4

★9.男装した娘が、風呂に入る。

『富士額男女繁山(ふじびたいつくばのしげやま)(河竹黙阿弥)  男装して書生妻木繁(つまきしげる)と名乗るお繁は、東京から故郷伊香保へ帰る途中、熊谷で宿をとり、旅客たちの入浴がすんだのを確かめて、一人で風呂に入る。供をして来た人力車夫・御家直(ごけなお)が、余分に祝儀をもらおうと、お繁の背中を流しに行き、その乳房を見とがめる。御家直は「男女姿を変えるのは天下の禁制。訴え出るぞ」とお繁を脅し、一夜の情交を要求する〔*お繁はやむをえず御家直と枕を交わすが、御家直はお繁の父の仇(かたき)だった〕→〔指を切る〕6

 

※人妻の湯殿をのぞき見る→〔のぞき見(人妻を)〕1の『太平記』巻21「塩冶判官讒死の事」。

※自分の妻の湯殿をのぞき見る→〔人魚〕1aの『人魚』(巌谷小波)。

※風呂桶から棺桶を連想する→〔連想〕3bの『風呂桶』(徳田秋声)。 

※風呂と氷→〔氷〕2の『坂道の家』(松本清張)など。 

 

 

【分割】

★1.重い物を、四つに分割して運ぶ。

『ジャータカ』第56話  農夫が土を耕すうちに巨大な金塊を見つけるが、重くて持ち上げることができない。彼は金塊を、腹を満たす分・貯蔵する分・事業の元手の分・人に施す分、の四つに区分けする。分割された金塊は軽くなり、農夫はそれを家に持ち帰ることができた。

★2.重い死体を、二つに切って運ぶ。

『宮本武蔵』(吉川英治)「空の巻」(通夜童子)  十二歳の少年三之助が住む野中の一ツ家に、宮本武蔵が宿を請う。夜中に三之助が刃物を研ぐので、武蔵は「何を斬るのか?」と問う。三之助は、「今朝、父親が死んだ。遺骸を山のお墓へ運ばねばならないが、このままでは重いから、二つに切って持って行く」と答える。武蔵は驚き、遺骸を背負って、山の墓所まで運んでやる〔*この後、三之助は武蔵の弟子となって、「伊織」と名乗る〕。

★3.人体を、いったん四つに切って救出する。

『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「タイムアウト」  トラックに積んだ多くの鉄材が崩れ落ち、幼い子供が下敷きになる。子供は出血がひどく、急いで治療しなければならないが、何本もの重い鉄材に妨げられて、子供の身体を外へ出すことができない。ブラック・ジャックが、子供の身体を腕・脚・胴体の四つに切り分けて、鉄材の下から取り出す。その後ただちに、腕・脚を胴体に縫合する手術を施し、子供の命は救われた。

*大きいものをいったん小さく切って、後でつなぎ合わせる→〔芝居〕5aの『学生歌舞伎気質』(三島由紀夫)。

★4.一まとまりなら強いものも、三つに分割すれば弱くなる。

『イソップ寓話集』(岩波文庫版)53「兄弟喧嘩する農夫の息子」  農夫が、喧嘩をする息子たちに棒の束を渡して、「折れ」と命じる。いくら力を入れても折れないので、父親は束をほどいて棒を一本ずつ息子たちに与える。すると、棒はたやすく折れた〔*→〔矢〕6の『常山紀談』巻之16、「毛利元就三本の矢」の故事の原型〕。

『イソップ寓話集』(岩波文庫版)372「三頭の牛とライオン」  ライオンが三頭の牛を狙う。三頭を一時に相手にしては勝ち目がないので、讒言でもって牛たちを仲間割れさせ、一頭ずつ切り離しておいて、やすやすと平らげた。

★5.神聖な宝石は、分割すると価値がなくなってしまう。

『月長石』(コリンズ)「物語」第1期「ベタレッジの手記」  インドへ出征したハーンカスル大佐は、月神像の額のダイヤモンド月長石を奪い取って、イギリスへ帰還した(*→〔宝が人手を巡る〕1)。バラモンたちが、月長石を取り戻すべく追って来て、大佐の命をねらうので、大佐は「もし私が変死したら、月長石は四つか六つに切り分けられ、売却される手筈になっている」と、バラモンたちをおどす。こうして大佐は、自分の命と月長石を守り通し、平穏に病死した。

★6.大金を子供たちに分配する。

『分配』(島崎藤村)  「私」は早くに妻を亡くし、四人の子供(太郎・次郎・三郎・末子)を育ててきた。過去三十年の文筆生活をふりかえると、家計は楽ではなかった。ところが五十六歳になって(昭和二年)、思いがけず二万円という多額の印税収入が、「私」にもたらされた。今後の人生を思えば、「私」に必要なものは、余生を保障する金よりも、強い足腰の骨だった。「私」は「いっそ、あの金は子供たちに分けよう」と考え、四人に五千円ずつ分配した。

★7.「三」できれいに割り切れる金額。

『評決』(ルメット)  弁護士ギャルヴィン(演ずるのはポール・ニューマン)が、有名病院の医療ミスを問う訴訟を手がける。病院側は裁判を恐れて、「示談金二十一万ドルを支払おう」とギャルヴィンに言う。一見すると中途半端な金額だが、二十一万ドルは「三」できれいに割り切れるのだ。弁護士が、勝ち取った金額の三分の一を報酬として得る慣例をふまえ、病院はこの金額を提示したのだった。しかしギャルヴィンは示談を拒否し、裁判が開始された→〔書き換え〕1

★8.知行を分割する。

『阿部一族』(森鴎外)  阿部弥一右衛門は、主君の許可を得ずに殉死した。それゆえ、弥一右衛門の嫡子権兵衛は、父の跡をそのまま継ぐことができなかった。弥一右衛門の知行・千五百石は、細かに割(さ)いて、弟たち四人へも配分された。一族の知行を合わせれば、前と同じ千五百石だが、本家の権兵衛は小身者になったのである。弟たちも、これまでは千石以上の本家によって、大木の蔭に立っているように思っていたが、今はどんぐりの背比べになってしまった。

*親の遺産を、二分割、三分割する→〔遺産〕2の『カター・サリット・サーガラ』「愚者物語」第32話。

★9.天下を三分割する。

『三国志演義』第37〜38回  劉備・関羽・張飛の三人が、諸葛孔明の草盧を訪ねる。一度目、二度目は不在で会えず、三度目にようやく対面できる。劉備は「乱れた天下を安んずる策を御教示願いたい」と請い、諸葛孔明は、魏・呉・蜀の三国が鼎立する天下三分の計を示す。「曹操は天の時を得て北にあり、孫権は地の利を得て南にあります。劉備様は人の和を得て、荊州を足がかりに西蜀を取るならば、やがて中原(ちゅうげん)を手中に収めることも可能になりましょう」。

★10.夫婦で苦と楽を分割する。

『苦楽をわかつ』(グリム)KHM170  役人が仕立て屋に、「女房を殴ってはならぬ。夫婦で苦楽を分かち合い、仲良く暮らせ」と命ずる。仕立て屋は、女房を殴ることを禁じられたので、代わりに、いろいろな家財道具を女房に投げつける。役人がこれを咎めると、仕立て屋は答える。「投げた物がぶつかれば、私は面白く女房は難儀。ねらいが外れたら、女房は面白く私は苦痛。このようにして私は、女房と苦楽を分かち合いました」。

★11.役割を分担して、難題を解決する。

『オデュッセイア』第12巻  セイレンたち(*→〔誘惑〕1)の島に船が近づいた時、オデュッセウスは自分の身体を帆柱に縛らせ、部下たちの耳に蝋を詰めさせた。セイレンの歌声を聞く人間と、船を漕ぐ人間とを分割することによって、オデュッセウスはセイレンたちの歌声を聞き、なおかつ船も無事に島を通過することができた。

★12.多くに切り分けて、分量をごまかす。

『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版・第40巻裏表紙  晩ご飯がトンカツだと知ったカツオは、「食べやすいように切っとこうか」と言って、家族一人一人の皿のトンカツを、五〜六切れずつに切る。波平が「気がきいとるな」と感心する。実はカツオは、各皿から目立たないようにトンカツを一切れずつ取り、自分の夜食用に隠していた。

★13.無限の分割。

『思い出す事など』(夏目漱石)15  一個の柿を今日は半分食い、明日は残りの半分の半分を食い、次の日はまたその半分の半分を食い、・・・・というようにして行くと、想像の論理を許すなら、この柿は、生涯食っても食い尽くせない。われわれの意識も、日ごとか月ごとにその半ばずつを失って、しだいに死に近づいて行くのであるなら、いくら死に近づいても死ねない、という非事実な論理に愚弄されるかもしれない。

*実際に漱石が経験した「死」は、「しだいに近づいて行く」というようなものではなかった→〔死〕2。 

*牛の尾を無限に分割する→〔尾〕4の『無門関』(慧開)38「牛過窓櫺」。

*分割の終局→〔識別力〕5cの『手紙 三』(宮沢賢治)。

 

 

【焚書】

★1.独裁体制・全体主義体制を維持するため、体制にとって不都合な思想を記した書物を焼き棄てる。

『華氏451度』(ブラッドベリ)  未来社会では、人々は超小型ラジオを耳にはめ、巨大なテレビ画面に没頭して、幸せに暮らしていた。人を思索に導く書物は危険視され、焼き棄てられた。焚書官モンターグは、書物を隠し持つ家を捜し、火炎放射器で書物を焼く職務に従事していた。しかし本を読む少女クラリスに出会い、モンターグは読書の喜びを知った。妻ミルドレッドの密告によって、モンターグは逮捕されるが、彼は火炎放射器で焚書局の上司を焼き殺し、逃亡する→〔記憶〕9

『史記』「秦始皇本紀」第6  始皇帝三十四年、丞相李斯が「史官の所蔵する書籍のうち、秦の記録でないものはみな焼き捨てるべし。また、天下にある儒家・諸子百家の書をすべて提出させ、焼き捨てるべし」と建言した。始皇帝はこれを是とし、命を下した。

『一九八四年』(オーウェル)  一九八四年、世界は三つの超大国に分割されていた。その一つ、全体主義国家オセアニアでは、党の命令で、革命以前の書物の没収と焚書が徹底的に行なわれ、一九六〇年以前に発行された書物が残っている可能性はなかった。

★2.著者が自らの著書を焼く。

『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』第1書簡「厄災の記」  「私(アベラール)」の神学の論文は、他の学者たちには十分に理解されず、また、「私」を嫉妬し誹謗する人も多かった。「私」はソワソンの公会議に召喚され、審議もないままに、「私」の著書を自らの手で火中に投ずるよう強制された。「私」は、自著を焚書せざるを得なかった。

★3.ドン・キホーテの心を狂わせた本を、友人たちが焼き棄てる。

『ドン・キホーテ』(セルバンテス)前編第1〜7章  騎士道物語を読みふけったドン・キホーテは、自らも遍歴の騎士をこころざして第一回目の旅に出るが、怪我をして、三日後に帰って来た。友人たちは「本がドン・キホーテを狂わせた」と考え、百冊余りの蔵書を点検する。彼らは何冊かを自分たちのものにし、残りの本はすべて家政婦が焼き払った。

 

 

【分身】

 *関連項目→〔自己視〕〔自己との対話〕

★1a.自分の分身が、方々で知人たちに目撃される。

『歯車』(芥川龍之介)4「まだ?」  小説家の「僕」は不眠に苦しみ、発狂の恐怖におびえつつ、ホテルで執筆を続けている。「僕」は鏡に映る自分を見て、「第二の僕」のことを思い出す。「僕」自身にはドッペルゲンガーは見えなかったが、ある知人は帝劇の廊下で「第二の僕」を見かけ、別の知人は銀座の煙草屋で「第二の僕」を見た。「僕」は死の迫るのを感じた。

*室内で鏡に映した姿が、屋外で友人たちに目撃される→〔魂と鏡〕2の『現代民話考』(松谷みよ子)7「学校ほか」第1章「怪談」の17。

★1b.自分の分身が知人たちに目撃され、やがて自分もその分身を見る。

『スキャンダル』(遠藤周作)  クリスチャンの勝呂(すぐろ)は今年六十五歳、高名な作家である。彼の姿が、歌舞伎町などのいかがわしい場所で何度も目撃され、噂になった。身に覚えのない勝呂は、「にせ勝呂」を捜して、あるホテルの部屋をのぞき見る。その部屋には、勝呂の知り合いの女子中学生が全裸で寝ており、男が彼女の身体を愛撫していた。男の味わっている感覚が、そのまま勝呂に伝わってくる。男は、勝呂の「もう一人の自分」だった。

★1c.一人の人物が、同時に二ヵ所で目撃される。

『ギリシア奇談集』(アイリアノス)巻4−17  同じ日の同じ時刻に、メタポンティオンとクロトンという別々の場所で、ピュタゴラスの姿が目撃されたことがあった。

『スキャンダル』(遠藤周作)  心理学者の東野が、作家の勝呂(すぐろ)に、二重身(ドッペルゲンガー)の話をする(*→〔分身〕1b)。「大正時代のことだ。岩手県の小学校の女教師が、自覚症状なしに二重身となった。女教師は、裁縫室で授業をしていた。その時、授業を受けている生徒全員が、外の花壇に女教師とそっくりの姿が立っているのを目撃した」。

『酉陽雑俎』続集巻4−953  洛陽の沙門耆域は、道術を体得した人なのであろう。晋の恵帝の末年の或る日、長安の人が、耆域とともに長安寺で食事をした。流沙の人が、耆域とともに石像の前で食事をした。数万里あいへだたった二つの場所に、同じ日に耆域は現れたのである。

★2.一人の人物が、同時に二つの窓を通り抜ける。

『光子の裁判』(朝永振一郎)  被告・波乃光子(なみのみつこ)は、前庭を通って窓から室内に侵入し、壁の所で捕らえられた。検察官が「窓は前庭に向いて二つ並んでいる。どちらの窓から侵入したのか?」と問うと、光子は「二つの窓の両方を一緒に通って、室内に入ったのです」と答える。被告の弁護人が、大勢の警官を配置して実験を行ない、「光子は姿を現さない時には、二つの窓の両方を同時に通り抜けて行く」と論証した〔*光子(こうし)が、粒子と波動の両方の性質を持つことを示す物語〕。

★3.家へ帰って来た自分と、床に臥していた自分。

『太平広記』巻358所引『捜神記』  朝、夫婦が起床して外出する。妻が帰宅すると、夫が寝床に寝ている。外からも夫が戻って来て、自分そっくりの男が眠っているのを見る。これは魂であろうと夫は思い、眠る男を驚かさぬようにして撫でると、男は寝床に吸いこまれて消える。後、夫は病んで精神が錯乱し、治らなかった。

『離魂記』(唐代伝奇)  恋人王宙との仲を裂かれた倩娘は、病気で寝たきりになるが、その分身は家を抜け出し王宙と他郷で結婚して、子供も二人生まれる。数年後、王宙一家が帰郷すると、病臥していた倩娘が起き上がって出迎え、二人の倩娘は合わさって一体になり、衣裳もみな重なり合った〔*『無門関』(慧開)35「倩女離魂」は、この物語をふまえて「どちらの倩娘が本物か」と問う〕。

★4.剣で縦に斬られて、一人の人間が二人になる。

『新浦島』(幸田露伴)  浦島太郎の弟次郎の子孫・百代目の次郎は、神仙になりそこね、魔王を呼び出す。魔王は宝剣を振り下ろして、次郎を頭から真っ二つにする。すると次郎は二人になった。一人は次郎本人、もう一人は同須(どうしゅ)という分身である。同須の魔力で次郎は贅沢な暮らしを味わうが、彼はすぐにその非を悟り、「私を石に変えよ」と同須に命ずる。

★5.本体を残して影(分身)を消す。

『和漢三才図会』巻第61・雑石類「辰砂(しんしゃ)」  辰砂は離魂病(かげのわずらい)を治す。人が、意識がはっきりしているのに、本人と影の二人となり、これが並んで歩き、並んで臥し、どちらが本物か真偽のつかない状態になった時、辰砂に人参・茯苓(ぶくりょう。きのこの一種)を混ぜ、濃く煎じて毎日飲ませれば、真なるものは気分爽快になり、偽のものは消失してしまう。

*多数の分身を消す→〔分身(多数)〕3の『常識』(星新一)。

★6.他者を殺すつもりで、自分自身を殺してしまった。

『ウィリアム・ウィルソン』(ポオ)  ウィリアム・ウィルソンは、自分と同姓同名、生年月日も同じ、容貌まで酷似した男が、事あるごとに邪魔をするのに苛立ち、ついに男を剣で殺す。その時、瀕死の男はウィルソンに「僕は君自身だ。君は自分自身を殺したのだ」と告げる。

『ウォーソン夫人の黒猫』(萩原朔太郎)  ウォーソン夫人の閉め切った部屋に、毎日どこからともなく黒猫が入り込み、彼女が窓を開けると、そこから影のように飛び去る。夫人は友人三人を招いて黒猫を示すが、彼らにはその姿が見えない。夫人はいらだち、拳銃で黒猫を何度も撃つ。最後の弾丸が尽きた時、彼女は自分の額のコメカミから血が流れるのを感じ、倒れる。

*ドリアンが自分の肖像画を切り裂くと、ドリアン自身が死んでしまった→〔肖像画〕4bの『ドリアン・グレイの肖像』(ワイルド)。

★7.自殺するつもりだったが、自分を殺すのではなく、分身を殺してしまった。

『シャボン玉物語』(稲垣足穂)「ジエキル博士とハイド氏」  世に類のない仁者であるジエキル博士は、睡眠中の夢で、極悪人ハイド氏になってしまうことに絶望し(*→〔眠り〕5)、ピストルを自分のこめかみに当てて引き金を引く。その行為は、まさにジエキル博士からハイド氏に変身しようとする境目の時になされたため、弾丸は間一髪のところでハイド氏の方へ命中した。かくて、博士を苦しめた悪夢は一掃され、ドクター・ジエキルの徳望はいよいよ高まった。

*生者から死者へ移り変わる瞬間に自殺する→〔死〕5の『死んでいる時間』(エイメ)。

★8.夫の分身と妻の分身。

『二つの手紙』(芥川龍之介)  「私(私立大学教師・佐々木信一郎)」は、第二の私(ドッペルゲンゲル)が妻と一緒にいる現場を、三度(有楽座の廊下、駿河台下の電車停留場、自宅の書斎)目撃した。ひょっとしたら「私」は、自分のドッペルゲンゲルとともに、妻のドッペルゲンゲルをも見ていたのかもしれない。しかし世間の人々の解釈によれば、ドッペルゲンゲルではなく、妻本人が愛人と逢っていたのだ。「私」は妻を信じているが、妻は失踪してしまった。

 

 

【分身(多数)】

★1.数体〜数百体の分身。

『三国志演義』第68〜69回  曹操が、神通力を持つ左慈を危険視し、逮捕を命ずる。三日のうちに、左慈そっくりの男が三〜四百人もつかまる。その男たちの首を斬り落とすと、死体が手に手に首を下げて曹操にうちかかる。曹操は昏倒し、病床につく〔*『捜神記』巻1−21では、町で左慈を見つけ、とらえようとすると、町中の人がみな左慈と同じ姿になり、どれが本物か見分けがつかなかった、と記す〕。

『神仙伝』巻5「薊子訓」  大勢の貴人たちが、薊子訓(けいしくん)を招きたがった。薊子訓は「明日、皆さんのお宅に参上しましょう」と言い、翌日、二十三軒の家に同時刻に現れた。容貌も服装もまったく同じだったが、各家の主人との対話の内容は、それぞれ異なっていた。

『松浦宮物語』巻1〜2  弁少将(橘氏忠)の在唐中に内乱が起こり、弁少将は幼帝を守って、敵将・宇文会と闘う。宇文会は七〜八人の部下とともに、弁少将一人を取り囲んで攻めかかる。すると弁少将の左右に、顔立ち・姿・馬・鞍までそっくりな分身が四人現れ、宇文会の背後にも、分身五人が駆け寄る。合計九人の弁少将の分身が刀をふるって、宇文会と部下たちの身体を切り裂く。

『ラーマーヤナ』第1巻「少年の巻」第18章  ヴィシュヌ神が四つに分身し(*→〔転生〕3)、ダシャラタ王の三人の妃から、四人の王子となって誕生した。カウサリヤー妃から生まれた長子ラーマは、ヴィシュヌ神の半分の化身だった。カイケーイー妃から生まれたバラタは、ヴィシュヌ神の四分の一の化身だった。スミトラー妃から生まれた双子のラクシュマナとシャトルグナは、それぞれヴィシュヌ神の八分の一ずつをそなえていた。

*平将門には六人の影武者(分身)がいる→〔影武者〕2の『俵藤太物語』(御伽草子)。

*ひとつかみの毛が多数の分身になる→〔息が生命を与える〕3の『西遊記』百回本第2回。

★2.何十億、さらにそれ以上の無数の分身。

『天体による無限』(ブランキ)  一人一人の人間は、自分の人生とまったく同じ人生を送っている数限りない分身を、この宇宙の広がりの中に持っている(*→〔無限〕5)。今の年齢の自分だけではない。現在の一瞬ごとに、誕生しつつある何十億もの瓜二つの自分、死んでゆく何十億もの瓜二つの自分、誕生から死までの生涯の各瞬間に並んでいるすべての年齢の自分を、同時に持つのである。

★3.分身たちを消す。

『常識』(星新一『かぼちゃの馬車』)  忙しい青年のもとにドッペルゲンガーが七体現れ、彼に代わって酒を飲み、女性とつきあい、おしゃれをし、仕事に出かける。医者が青年に注射を打って治療を施し、ドッペルゲンガーを消そうとするが、間違えて、働く役目のドッペルゲンガーに注射を打つ。すると他のドッペルゲンガーたちとともに、青年本人も消えて行く。医者は弁解する。「おや、間違えたか。でも冷静に見て、働く人を残すのが常識でしょう」。

*本体を残して影(分身)を消す→〔分身〕5の『和漢三才図会』巻第61・雑石類「辰砂(しんしゃ)」。

 

次頁