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【九十九】

 *関連項目→〔百〕〔百夜(ももよ)通い〕

★1.九十九対一。

『ルカによる福音書』第15章  イエスは次のたとえを語った。「百匹の羊を持つ人が、その一匹を見失ったら、九十九匹を野原に残して、一匹を捜し回るだろう。見つけたら友人・隣人を集めて、『いなくなった羊を見つけたので、一緒に喜んで下さい』と言うだろう。同様に、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない正しい人九十九人についてよりも、大きな喜びが天にある」〔*『マタイ』第18章に類話〕。

★2.銭九十九文。

『平家物語』巻3「御産」  高倉天皇と中宮徳子の間に、待望の皇子(後の安徳帝)が誕生した。平重盛は、金で鋳た銭九十九文を皇子の枕元に置いて、皇子が帝位につき長寿を保つようにと、祝福の言葉を述べた。

★3.九十九の首。

『千一夜物語』「九十九の晒首の下での問答」マルドリュス版第845〜847夜  美しい姫君が塔の露台に立ち、求婚する若者にいくつもの謎を出し、答えられなければ首を刎ねた。多くの若者が死に、露台の周囲に吊るされた首が九十九になった時、旅の王子が姫君の問いにすべて正しく答え、姫君の夫になった〔*→〔難題求婚〕2の『トゥーランドット』(プッチーニ)に類似する〕。

★4.九十九の谷。

九十九谷の伝説  龍は谷が百ないと住めない。弥勒池には谷が百あって龍が住んでいたが、腹が減ると村人を襲った。困った村人は、相談して谷を一つつぶした。九十九谷しかなくなったので、龍は住めなくなり、他所へ逃げて行った(香川県大川郡大川町富田中)。

九十九谷の伝説  田原山の九十九谷は、実は百谷ある。これは、百谷あると大蛇が住むから、九十九谷というのである。一説には、田原山には百谷あるが、その百谷めに大蛇が住んでいるので、九十九谷しか見えないのだ、という(大分県西国東郡大田村)。

 

 

【九百九十九】

 *関連項目→〔千〕

★1.九百九十九の生命を奪う。

『曾我物語』巻7「千草の花見し事」  しやうめつ波羅門が千日に千の生類を殺そうとの願を立て、九百九十九日に九百九十九の生物の命を断った。千日目に亀を殺そうとすると、波羅門の母が「亀を放して、代わりに我を殺せ」と言う→〔土〕5b

『曾我物語』巻7「斑足王が事」  斑足王が「千人の王の首を取ろう」と志し、九百九十九人まで取った。千人目に捕えた普明王は一日の暇を請い、後世のために僧を招いて供養する。その功徳で斑足王は「諸法皆空」を悟り、悪心を止めた。

『まつら長者』(説経)  大蛇が大池に住むこと九百九十九年、九百九十九人の人身御供を取った。千人目の人身御供になった松浦長者の娘さよ姫が、『法華経』「提婆品」を読み上げ、経巻を大蛇の頭に投げると、十二の角が落ちて大蛇は成仏得脱した〔*『さよひめ』(御伽草子)に類話〕。

*九百九十九人の命を助ける→〔昇天〕2の『南総里見八犬伝』第9輯巻之13之14第116〜117回。

★2.九百九十九本の指を切る。

『賢愚経』「指鬘の宿業の話」  鴦仇魔羅(指鬘外道)は、七日のうちに千人の指を切り落とそうとして人々を殺しまわり、九百九十九本の指を集めた。人々が皆逃げ隠れてしまったので、鴦仇魔羅は「母親の指を切って、千本目にしよう」と考える。仏がこれを見て鴦仇魔羅を教化し、仏弟子とした(*→〔千〕1の『今昔物語集』巻1−16では、一番最初に仏に出会う)。

*後に仏は、鴦仇魔羅の前世を語った。「鴦仇魔羅の前世は駁足王で、九百九十九人の王を捕え、千人目に須陀素弥王(仏の前世)をつかまえた。須陀素弥王は波羅門に布施をするため七日の猶予をもらい、その後に約束どおり駁足王の所に戻って死のうとする。その姿を見た駁足王は悪心を止め、諸王を解放したのだ」。

★3.九百九十九本の太刀を奪う。

『義経記』巻3「弁慶洛中にて人の太刀を奪ひ取る事」  弁慶は千振の太刀を得ようと欲し、洛中で人々の太刀を取り歩く。奪った太刀を、樋口烏丸にある御堂の天井に隠し、数えてみると九百九十九本あった。いよいよ千本目というところで、弁慶は御曹司義経と出会った〔*『橋弁慶』(御伽草子)では、逆に義経の方が五条の橋で千人斬りをくわだて、九百九十九人斬ったところで弁慶と出会う〕→〔飛行〕5

★4.九百九十九人の垢を洗い落とす。

『元亨釈書』巻18  光明皇后が浴室を建て、「貴賤を問わず、千人の垢を自らの手で落とそう」と誓う。九百九十九人まで終わり、千人目に癩病の男(実は阿シュク如来)があらわれる。皇后は癩病者の身体を洗い、膿を吸って、「私がお前の膿を吸ったことは他言するな」と言う。すると癩病者は全身から光を放ち、「后も、阿シュク如来の垢を落としたことを人に語るなかれ」と告げて、忽然と姿を消した。

★5.九百九十九足のぞうり。

『天人女房』(日本の昔話)  天人女房が、「ぞうりを千足作って天へ昇って来い」と、夫に言い残して飛び去る。夫は九百九十九足まで作り、最後の一足は作らずに、迎えの雲に乗って天に昇り始める。しかしあと少しの所で届かないので、天人女房が機織り棒を差し出して、夫を引き上げる(香川県三豊郡)→〔異郷訪問〕4〔水浴〕1a

★6.九百九十九対一。

『今昔物語集』巻5−23  舎衛国の山の木に、千匹の猿がいた。九百九十九匹の猿には鼻がなく、一匹の猿だけに鼻があった。九百九十九匹の鼻欠け猿は、「鼻のないのが正常だ」と思い込み、鼻ある猿を「片輪者」と呼んであざけり、仲間はずれにした〔*実は九百九十九匹の猿は、前世で仏法をそしった罪により、鼻のない身に生まれたのだった〕。

*一つ目の国では、目が二つあると化け物あつかいされる→〔一つ目〕3の『一眼国』(落語)。

『神道集』巻2−6「熊野権現の事」  天竺・摩訶陀(まかだ)国の善財王の九百九十九人の后たちが、五衰殿の女御の懐妊を嫉妬し、九百九十九人の老女を鬼の姿に作り、暴れさせるなどのことをして、女御を死に追いこんだ(*→〔出産〕11)。後に善財王や五衰殿の女御は、熊野の神となった(*→〔神になった人〕2)。九百九十九人の后は、熊野の赤虫(蟻のことか?)と化した〔*類話の『熊野の御本地のさうし』(御伽草子)では、九百九十九人の后は鳴神(雷)になり、また赤蟲になった、と記す〕。

 

※九百九十年の命数を持つ笛→〔笛〕4の『笛塚』(岡本綺堂)。

 

 

【経】

★1.経が人を救う。

『宇治拾遺物語』巻6−5  谷に落ちた男が、『観音経』を唱えて「助け給え」と念ずる。経文の「弘誓深如海」のあたりを読む時、谷底から大蛇が現れて、男の傍へ這って来る。男は大蛇の背に刀を突き立て、それにすがって岸の上へ登る。帰宅して、常に読誦する『観音経』を開くと、「弘誓深如海」の所に刀が突き立っていた〔*『古本説話集』下−64話に同話。『今昔物語集』巻16−6・『大日本国法華験記』下−113話の類話では、経軸に刀が立つなどの小異〕。

『今古奇観』第14話「宋金郎団円破氈笠」  宋金は両親の死後、旧知の劉家の婿となるが、肺病になったため荒地に棄てられた。老僧が現れ、『金剛般若経』の巻物を宋金に授けて、姿を消した。宋金が教えに従って経文を唱えると、たちまち病気は治った。

『今昔物語集』巻14−42  左大将常行は百鬼夜行に出会い、鬼に捕らえられそうになった。しかし彼の着物の襟首に、『尊勝陀羅尼』が縫いこんであったため、鬼は近づけず退散した。

『太平記』巻3「赤坂の城軍の事」  赤坂城を脱出する楠木正成が、敵の弓で近距離から臂を射られた。ぐさりと臂の関節に突き刺さったような衝撃があったが、不思議なことに矢がはね返って、正成は身に傷を負わずにすんだ。後で見ると、膚守りとして入れておいた『観音経』の「一心称名」の偈の所に、矢の尖端が留まっていた。

*経のおかげで、雷が落ちても無事だった→〔落雷〕2の『今昔物語集』第6−14など。

*海へ落とされても沈まなかった→〔袋〕5bの『宇治拾遺物語』巻10−10。

★2.経のおかげで寿命が延びる。

『今昔物語集』巻6−38  震旦の男が『維摩経』を書写して病気を治し、二十年の寿命を得、また冥土の父母の苦を救った。

『今昔物語集』巻6−47  二十七歳の時、占者から「短命である。三十一歳を過ぎることはない」と言われた張李通は、『薬師経』一巻を書写して三十年寿命が延びた。

『今昔物語集』巻6−48  十三歳の童児が命の終わるはずの日に、僧が『寿命経』を転読するのを聞いて、七十余歳の命を得た。

『今昔物語集』巻7−8  震旦の男は、『大品般若経』をそれと知らずにわずか三行書写しただけで、八十三歳の長寿を得た。

『法華経』「常不軽菩薩品」第20  すべての人々を敬い拝んだ常不軽菩薩が死期を迎えた時、虚空から『法華経』の二十千万億の偈が聞こえた。それを聞き会得した常不軽菩薩は六根清浄の身となり、寿命が二百万億那由佗歳まで延びた。

★3.経の功徳で蘇生する。

『今昔物語集』巻7−2  唐の高宗の時代、一人の書記生が病死して冥府へ赴いたが、一日二夜を経て蘇生した。彼は生前に高宗の勅命で『大般若経』十巻を書写したことがあり、それを知った閻魔大王が彼を放免したのだった。自分の意志からでなく、国王の命令で経の一部を書写しただけでも、このような功徳がある。

★4.仏法を知ることができない人も、経によって救われる。

『宝物集』(七巻本)巻7  唐の長安に、一人の盲人がいた。彼は聾唖者でもあったから、仏像も見えず、経論も聞こえず、法文を誦することもできず、まったく仏法を知らなかった。ある人が盲人を憐れみ、両手を取り合わせて『法華経』を拝ませたことがあった。盲人には、何のことだかわからなかった。やがて盲人は病死したが、閻魔王が「この人は『法華経』を拝んだ人だ」と言って、すぐ現世へ帰した。蘇生後、盲人は眼が開き、耳が聞こえ、ものを言うことができるようになった。

★5.前世で経典の文字を喰ったり焼いたりした報いを、現世で受ける。

『天狗の内裏』(御伽草子)  浄土にいる父源義朝が、十三歳の義経(牛若丸)に前世と将来を教える。義経は前世で鼠だった。源頼朝、北条時政、梶原景時は、前世で頼朝(らいてう)、時政(じしゃう)、景時坊(けいじばう)という聖だった。鼠(義経)が、聖たちの持つ経典の文字を喰ったので、景時坊はこれを憎んだ。それゆえ現世で義経は、梶原景時から讒言され兄頼朝に討たれて、三十二歳で死ぬ運命なのである。

『今昔物語集』巻14−13  入道覚念は『法華経』を読誦していたが、経の中の三行の文章だけはどうしても覚えられず、読むことができなかった。ある夜の夢に老僧が現れ、「汝は前世で衣魚(しみ)であり、『法華経』の巻物の中に巻き込められて、三行の文章を喰ってしまった。だから覚えられないのだ」と教えた。

『日本霊異記』上−18  生来聡明な修行者が、八歳以前に『法華経』をすべて読誦することができたが、一文字だけどうしても覚えられない。二十歳を過ぎてもなお、覚えられなかった。ある夜の夢で彼は、「前生に燈火で経文の一文字を焼いてしまったため、その文字を覚えられないのだ」と、教えられた。

★6a.経文の読誦で、犬の獣欲を鎮める。

『南総里見八犬伝』第2輯巻之1第12回  伏姫を背に乗せて富山に入った八房は、情欲をもって伏姫を見つめ喘いでいた。しかし伏姫が『法華経』を読誦するのを百日余り聞くと、八房の情欲は消えた。

★6b.経文の読誦で、蛇を改心させる。

『神道集』巻8−49「那波八郎大明神の事」  大蛇の餌食にされる姫の身代わりに、宮内判官宗光が贄棚に上って『法華経』を唱える。大蛇は涙を流し、「経聴聞の功徳で悪心が消えた」と礼を述べて去る。

『まつら長者』(説経)5段目  松浦長者の娘さよ姫が、大池の大蛇の千人目の生贄になる。彼女の読誦する『法華経』を聴聞した大蛇は、十二の角と一万四千の鱗が落ち、女体となって「大蛇の苦を逃れ、成仏得脱を得た」と礼を述べる。

★7.経文の読誦で、開かぬ掌を開く。

『仮名手本忠臣蔵』4段目「判官切腹」  塩冶判官は切腹し絶命した後も、九寸五分(くすんごぶ)の刀を右手に固く握りしめて放さない。大星由良之助が「南無阿弥陀仏」を唱えながら判官の右手を撫でさすると、ようやく掌が開いて刀を放した。

*桜姫は、十七歳ではじめて掌を開いた→〔掌〕3の『桜姫東文章』「新清水」。

★8.経文を唱えて身投げする。

『是楽(ぜらく)物語』(仮名草子)  山本友名の愛人「きさ」は、瀬田の橋から身を投げた。瀬田の橋の下は深い淵で、龍宮界の城門がある、と聞いたからである。「南無妙法・・・・」と唱えつつ飛び込み、「・・・・蓮華経」は水の底から聞こえた。

★9.生臭い魚が、清浄な経典に変わる。

『今昔物語集』巻12−7  天平勝宝四年(752)、東大寺の大仏開眼供養の日。聖武天皇は夢告にしたがって、その朝最初に通りかかった鯖売りの翁を、法会の読師に任命した。法会が終わると翁は忽然と姿を消し、彼が持っていた笊の中の鯖は、『華厳経』八十巻に変わった。天皇は、翁が仏の化身だったことを悟り、礼拝した。

『日本霊異記』下−6  衰弱した師僧に食べさせるために、弟子が魚八尾を買う。魚を入れた櫃から魚の汁が垂れるので、信徒たちが咎めるが、櫃を開けると、中は『法華経』八軸に変わっていた。

*蛸がお経に変わる→〔蛸〕5の蛸薬師の伝説。

★10.文字のない経典。

『今昔物語集』巻7−18  長年『法華経』を読誦する尼がいた。ある僧から「『法華経』をお借りしたい」と請われ、尼は惜しみつつも『法華経』を貸す。ところが、僧が経巻を開いて見ると、黄色い紙ばかりあって、文字は一つもなかった。それを聞いた尼は身を清めて七日七夜祈請し、経を開くと、文字はもとのごとく現れていた。 

『西遊記』百回本第98回  三蔵法師一行は大乗経典を求め、十四年かけて天竺雷音寺の釈迦如来のもとにたどり着いた。しかし手土産を用意して来なかったため、阿難と迦葉が文字の書いてない白紙の経巻を授ける。燃燈古仏がそのことを教えたので、三蔵は、托鉢用の紫金の鉢を阿難に献上し、有字の真経五千四十八巻を得た。 

★11.寝息がそのまま称名。

『和漢三才図会』巻第66・大日本国「常陸」  ある家に一夜の宿を請うた親鸞は、断られて門前の石を枕に臥した。その夜、家主の夢に老僧が現れ、「阿弥陀如来が門前におられるのに、どうして饗応せぬのか」と咎める。家主が門外を見ると、一人の僧が石の上に臥しており、その呼吸はみな称名であった。家主は僧(親鸞)を招き入れて厚くもてなし、その弟子となる。家は寺(枕石寺)になった。 

*牛の鳴き声が、読経に聞こえる→〔動物音声〕2の『古今著聞集』巻20「魚虫禽獣」第30・通巻701話。

*読経の声が、夜泣きに聞こえる→〔夜泣き〕1の『かるかや』(説経)「高野の巻」。

 

※龍宮にある経典→〔龍宮〕5の『華厳宗祖師絵伝』「元暁(がんぎょう)絵」など。

 

 

【狂気】

 *関連項目→〔にせ狂人〕〔物狂い〕

★1.狂気に陥る英雄。

『アーサーの死』(マロリー)第11〜12巻  騎士ラーンスロットは、愛人のアーサー王妃グィネヴィアに「宮廷から出て行け」と言われ(*→〔寝言〕2b)、狂気に陥る。彼は錯乱状態で諸方を駆け巡り、出会った騎士たちや猪などと闘う。二年後、エレーン姫やブルーセン婦人たちがラーンスロットを見つけ、彼を聖杯の前に寝かせる。聖職者が聖杯の覆いを取ると、ラーンスロットの病は癒され、彼は正気にもどる。

『アンドロマク』(ラシーヌ)  オレストはエルミオーヌを熱愛していたが、エルミオーヌはピリュス王(アキレスの子)を恋していた。ピリュス王とアンドロマク(トロイアのヘクトルの未亡人)の結婚が決まったので、エルミオーヌは怒り、「ピリュス王を殺せ」とオレストに命ずる。オレストはエルミオーヌの愛を得ようと、ピリュス王を殺す。するとエルミオーヌはオレストを呪い、自刃してしまう。思いがけぬ展開に、オレストは発狂する。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章  ヘラクレスは、女神ヘラのために狂気に陥り、妻メガラとの間にもうけた三人の息子と、双子の弟イピクレスの二人の子を、火中に投じて殺した。そのためヘラクレスは、自らに追放の判決を下した。

★2.狂気に陥る女。

『ジェーン・エア』(C.ブロンテ)  ロチェスターの妻バーサは精神病であり、邸内の屋根裏部屋に幽閉された。バーサの存在を知らぬ家庭教師ジェーン・エアは、不気味な笑い声や謎の放火事件に怯える→〔夫の秘密〕1

『舞姫』(森鴎外)  ベルリン、ヰクトリア座の踊り子エリスは、某省の官費留学生である「余(太田豊太郎)」と同棲し、身ごもった。エリスは「余」とともに日本へ渡ろうと心を決めるが、「余」は保身のためにエリスを捨てて日本へ帰る。それを知ったエリスはパラノイア(偏執病)を発症し、医者は「治癒の見込みなし」と診断する。

*→〔不倫〕1の『死の棘』(島尾敏雄)のミホは、夫の不倫を知って分裂病の症状を現し、精神病院に入る。

『雪国』(川端康成)  西洋舞踊研究家・島村は雪国を訪れて、芸者・駒子とその妹分・葉子を知る。葉子は、「駒ちゃんは私が気違いになると言うんです」と島村に言って泣く。冬の夜、繭倉(まゆぐら)で映画を上映しているうちに火事になり、二階から葉子が落ちて失神する。駒子は葉子の身体を抱いて、「この子、気が違うわ」と叫ぶ。そういう声が物狂わしい駒子に、島村は近づこうとしてよろめく→〔天の川〕2

『ランメルモールのルチア』(ドニゼッティ)  ルチアは、兄の城主エンリーコの策謀で恋人エドガルドとの仲を裂かれ、別の男と政略結婚させられる。彼女は悲しみと苦悩で発狂し、新床で花婿を刺し殺す。

*過去を暴かれ、強姦されて、発狂する→〔過去〕1の『欲望という名の電車』(ウィリアムズ)。

*恋する男を自殺させた罪の意識から、発狂する→〔兄妹〕7の『うつせみ』(樋口一葉)

*恋人の刑死を知って、発狂する→〔下宿〕3の『好色五人女』巻1「姿姫路清十郎物語」。

★3.神罰による狂気。

『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第5章  ディオニュソス神は、彼を敬わぬ人々の心を狂わせた。ディオニュソス神がテバイに来た時、彼を信仰する女たちは家を捨て、山中に乱舞した。ペンテウス王がこれを防ごうとしたが、狂乱したその母によって、野獣と見なされ四肢を引き裂かれた。

『日本永代蔵』巻4−4「茶の十徳も一度に皆」  敦賀に住む小橋の利助は、朝市に出て茶を売り歩き、その利益を元手に、葉茶の店を手広く営んだ。やがて利助は欲心を起こし、茶の出し殻を混ぜて売るようになった。いったんは利を得て家が栄えたが、天の咎めで利助は発狂し、「茶殻茶殻」と口走って自らの悪事を触れまわった。

『日本霊異記』上−23  親不孝の瞻保が、母に貸した稲の返済を厳しく迫る。母が泣いて天に訴えると、たちまち瞻保は乱心し、大切な証文類を焼き捨て、山の中を走り狂った〔*『今昔物語集』巻20−31に類話〕。

★4.狂人として隔離される男。

『人間失格』(太宰治)「第三の手記」  東京の高等学校に進学した「自分(大庭葉蔵)」は、何人もの女と関係を持ち、心中しようとして自分だけ助かる、催眠剤を致死量以上飲みながら自殺に失敗する、酒を我慢するためにモルヒネを注射する、などの愚行を重ねる。「自分」は脳病院に入れられ、人間失格の廃人となったことを自覚する。後、「自分」は郷里の東北で、老女中の世話を受けて療養生活をする。   

『夜明け前』(島崎藤村)  馬籠宿の本陣の当主・青山半蔵は、平田派の国学に心酔し、徳川幕府が大政を奉還して王政復古の世が来ることに、大きな期待を抱く。しかし明治の世は、半蔵の願う神武創業の古代ではなく、西洋を模範とする文明開化の近代であった。東京へ出た半蔵は、憂国の和歌を記した扇子を、帝の行幸の馬車に投げる(*→〔扇〕2)。新時代の激動で青山家は衰退し、半蔵はしだいに狂気におちいってゆく。彼は菩提寺を無用のものと考え、放火して捕らわれ、座敷牢に入れられる。明治十九年(1886)十一月、半蔵は五十六歳で死んだ。

★5.狂気から正気に戻って死ぬ男。

『ドン・キホーテ』(セルバンテス)  ラ・マンチャの某村に五十歳になろうとする独身の郷士が住んでいた。彼は騎士道物語の読みすぎで頭がおかしくなり、自らも騎士になろうと、「ドン・キホーテ」と名乗って三度、冒険の旅に出る(*→〔旅〕12)。三度目の旅を終え帰館したドン・キホーテは、病臥してようやく正気に戻る。臨終の床に集まった友人知人たちに遺言を述べ、彼は従容として死んでゆく。

★6.狂人に仕立て上げられる人。 

『ガス燈』(キューカー)  ポーラの新婚家庭に、怪事が頻発する。屋根裏から物音が聞こえ、部屋のガス燈が急に暗くなる。夫の時計がなくなり、ポーラのバッグの中に入っている。ポーラは「自分は病気で、幻聴・幻覚・盗癖などの症状があるのだ」と思う。これはすべて夫が仕組んだことで、彼はポーラを精神異常者に仕立て上げ、彼女が叔母から受け継いだ高価な宝石を手に入れようとしたのだった。

 

※悪事の罰としての狂気→〔賭け事〕5の『スペードの女王』(プーシキン)。

※狂気と核戦争→〔核戦争〕2aの『博士の異常な愛情』(キューブリック)、→〔核戦争〕2bの『生きものの記録』(黒澤明)。

 

 

【競走】

★1.他者の力を利用して、先に目的地に着く。

『十二支(えと)の起こり』(日本の昔話)  神様が「指定日までに駆けつけて来た者を、十二支の仲間に入れる」と動物たちに言う。牛は足が遅いので、他の動物よりも早く出かける。鼠が牛の背中に乗り、一番に到着した牛の前に飛び降りる。それで、十二支のはじめは鼠に決まった(滋賀県蒲生郡竜王町山面)。

*鼠が猫を裏切る物語もある→〔猫と鼠〕1の『十二支の由来』(中国の昔話)。

『狸と田螺』(日本の昔話)  伊勢参りに行く狸と田螺が、大神宮の鳥居まで駆けっこをする。田螺は貝の蓋を開いて、走る狸の尾にくいつく。狸は鳥居に着くと喜んで尾を振り、それが石垣にぶつかって、田螺の貝が半分割れた。転がり落ちた田螺は、痛さを我慢して「狸君、遅いなあ。僕は先に着いて、肩を脱いで休んでいるところだ」と言う。

『平家物語』巻9「宇治川先陣」  源氏の武者たちが、宇治川の先陣を争う。畠山重忠が川を渡って対岸に上がろうとする時、彼の烏帽子子(えぼしご)大串次郎が馬を流されて、重忠の背後に取りつく。重忠が大串を岸に投げてやると、大串は岸に立って、「大串次郎、宇治川の先陣ぞや」と名乗りをあげ、敵も味方もどっと笑う。 

★2.計略を使って、競走相手を遅れさせる。

『平家物語』巻9「宇治川先陣」  梶原源太景季と佐々木四郎高綱が、宇治川の先陣を争って馬を走らせる。遅れた佐々木が「馬の腹帯がゆるんでいる」と梶原に声をかけ、梶原は手綱を放して腹帯をしめる。その間に佐々木は追い抜いて川へ駆け入り、宇治川を一文字に渡って対岸へ上がる。

『変身物語』(オヴィディウス)巻10  俊足の娘アタランタは、求婚する男たちに競走を挑み、負ければ花嫁となり、勝てば求婚者を殺す取り決めをする。多くの若者が死んだ後、ヒッポメネスがアタランタと競走し、三つの黄金のりんごを投げる。アタランタがそれを拾っている間に、ヒッポメネスはゴールに入る〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第9章では、メラニオンが黄金のりんごを投げ、アタランテを妻とする〕。

★3.仲間たちの力を借りて、競走に勝つ。

『鯨となまこ』(日本の昔話)  鯨となまこが、走りくらべをする。なまこは仲間たちに、「一人ずつ浦々に待機していてくれ」と頼んでおく。油良の浦から競走を開始し、鯨はえらい勢いで小浜の浦まで泳いで来て、「なまこ殿」と声をかけてみる。すると、なまこ(の仲間)が「鯨どの、今来たのか」と答えたので、鯨は驚く。下田の浦まで泳いで「なまこ殿」と呼ぶと、また「鯨どの、今来たのか」と答える。どこまで行っても、なまこに先を越され、とうとう鯨は負けてしまった(山口県大島郡)。

*類話である→〔兎〕1aの『亀とウサギ』(アフリカの昔話)では、多くの亀が方々に隠れて兎をだます。 

★4a.古代の戦車競走。

『ベン・ハー』(ワイラー)  ユダヤの名家の青年ベン・ハー(演ずるのはチャールトン・ヘストン)は、ローマ軍の将校メッサラによって無実の罪におとされ、ベン・ハーの母と妹は地下牢に入れられた。ベン・ハーは母と妹が獄死したと聞き、メッサラへの復讐の念に燃えて、ローマ、カルタゴ、アテネなど諸国の代表が争う大戦車競技会に臨む。メッサラの戦車は車軸に鋭い刃物が取りつけてあり、併走する競走相手の戦車を破壊した。メッサラはベンハーの戦車をも破壊しようとするが、逆にメッサラの戦車の車輪がはずれてしまう。戦車は横転してメッサラは死ぬ〔*死ぬ間際にメッサラは、ベン・ハーの母と妹が生きていることを告げる〕→〔ハンセン病〕1

★4b.二十世紀の自動車競走。

『理由なき反抗』(レイ)  十七歳のジム(演ずるのはジェームズ・ディーン)は、転校して来た高校で不良グループにからまれ、リーダーのバズと、チキン・ランをすることになる。二人がそれぞれ自動車を崖に向けて疾走させ、崖の直前で飛び降りる。先に飛び降りた方が負けになるのだ。ジムは車が崖から転落する直前に、うまく飛び降りた。しかしバズは服の袖がひっかかって車から出ることができず、車もろとも崖下へ落ちて死んでしまった。

★5a.速く走る者が、ゆっくり歩く者に追いつけない。

『三国志演義』第68回  神通力を持つ左慈を捕らえて殺そうと、曹操の家来三百人が騎馬で追いかける。前方を左慈がゆっくりと歩いて行く。家来たちは馬を走らせるが、どうしても追いつくことができなかった。

『捜神記』巻1−18  薊子訓(けいしくん)は神仙の人である。彼が一人の老人と語り合っているのを見た男が、「薊先生、お待ち下さい」と呼びかけた。薊子訓と老人は歩きながら返事をした。ゆっくり歩いているように見えたが、男が馬を走らせても追いつけなかった。

★5b.言葉のトリックによって、速く走る者がゆっくり歩く者に追いつけない。

アキレスと亀の故事  ゼノンのパラドックス。俊足のアキレスがいくら速く走っても、前方をゆっくり歩く亀に追いつけない。アキレスが亀のいたA地点まで来た時には、すでに亀はA地点より少し前方のB地点へ進んでいる。アキレスがB地点まで来ると、亀はごくわずか前方のC地点へ進んでいる。アキレスと亀の距離は無限に縮まるが、どこまでいってもゼロにはならない。

*→〔尾〕4の『無門関』(慧開)38「牛過窓櫺」の、「牛の尾を無限に分割してもゼロにはならない」という考え方と同様である。

*夏目漱石は『思い出す事など』15で、アキレスと亀の故事に言及し、これと同様の論理として、柿の無限分割、意識の無限分割のたとえ話をする→〔分割〕13。 

★5c.追いつくだけで良いのに、追い越してしまう。

『坐笑産(ざしょうみやげ)「かける名人」  追いかけっこの名人が、泥棒を追いかけて走る。向こうから友達が来て「何だ何だ」。名人「泥棒を追っかけている」。「その泥棒はどこだ?」「後から来る」。

*与太郎は太陽を追い越した→〔太陽〕6の『太陽』(落語)。

★6.わざと競走に負ける。

『長距離走者の孤独』(シリトー)  感化院に収容中の十七歳の「おれ(スミス)」は、クロスカントリーの選手に抜擢された。院長は「おれ」が全英長距離競走で優勝し、ブルーリボン賞を獲得することを期待する。「誠実を旨とせよ」と説教する院長とその同類たちを、「おれ」は軽蔑しつつも、うわべは院長に従う。競技当日、「おれ」は計画どおりわざと負けて、院長を落胆させる。  

★7.好きな時に、好きな所から、好きなだけ走る競走。

『不思議の国のアリス』(キャロル)  アリスは自分が流した涙の海に溺れそうになるが(*→〔涙〕6)、他にも鼠や小鳥などいろいろな動物が海に落ち、皆はアリスを先頭に岸まで泳ぐ。ドードー鳥が、皆の濡れた体を乾かすための「コーカス・レース」を提案する。レースのコース線をまるく描き、一同はコースのあちこちに位置を定める。「スタート」の合図はなく、各自が好きな時に走り出し、好きな時にやめるのだ。そうやって三十分もたつと、皆の体はすっかり乾いたので、ドードー鳥は「競走終わり!」と叫んだ。  

 

※兎と亀・はりねずみの競走→〔兎〕1aの『イソップ寓話集』(岩波文庫版)226「亀と兎」など、→〔兎〕1bの『兎とはりねずみ』(グリム)KHM187。 

 

 

【兄弟】

★1.兄弟が争う。対立する。

『アイヴァンホー』(スコット)  リチャード一世は十字軍遠征に出かけ、外国で捕虜となった。王弟ジョンは兄王の幽閉を長引かせ、自らが王になろうとして、国内での勢力拡大をはかる。陰謀を知ったリチャード一世は、帰国後、ジョンの配下たちを死刑や流刑に処するが、ジョン自身については咎めずにおいた。

『海の水はなぜからい(塩挽き臼)』(日本の昔話)  大晦日、貧しい弟が兄に米を借りに行き、断られる。帰り道で弟は老人に出会って麦饅頭をもらい、老人の教えによって、麦饅頭を、小人たちの持つ挽き臼と交換する。挽き臼からは望みの物が出て、弟は長者になる。兄は羨んで挽き臼を盗む(岩手県上閉伊郡)→〔海〕1

『大鏡』「兼通伝」  兼通・兼家兄弟は不和であった。関白兼通が重病の床にあった時、弟兼家は見舞いにも来ず、兼通邸の前を素通りして内裏に参上し、次期関白のことを帝に奏請した。兼通は怒り、病躯をおして参内し、次期関白に従兄頼忠を任じ、兼家を大将から治部卿に降格した。

『群盗』(シラー)  マクシミリアン伯の長男カールが遊学中に、弟フランツは父マクシミリアン伯をだまして、カールを廃嫡させた。その後フランツは父を幽閉し、兄カールの恋人アマーリアに言い寄る。カールは盗賊団の首領となり、故国へ戻ってフランツと対決するが、フランツは自ら縊死する。父マクシミリアン伯は悶死し、カールはアマーリアとも別れねばならず、彼女の望みで、カールはアマーリアを刺し殺す。

『古事記』上巻  ホヲリ(山幸彦)は海神に教えられた呪文を唱えて、鉤を兄のホデリ(海幸彦)に与えた。ホデリは貧しくなり、怒って攻めて来た。ホヲリは塩盈珠・塩乾珠でホデリを苦しめ、ホデリは降参した〔*『日本書紀』巻2神代下・第10段に類話〕。

★2a.母親が、二人の息子のうち、兄よりも弟の方をかわいがる。

『古事記』中巻  兄・秋山の下氷壯夫(したひをとこ)が、伊豆志袁登賣(いづしをとめ)への求婚に失敗する。兄は、弟・春山の霞壯夫(かすみをとこ)に「もし、お前が彼女を得たら、酒や山河の産物を与えよう」と約束する。母親が、弟のために衣服や弓矢を作ってやり、弟は伊豆志袁登賣への求婚に成功する。しかし兄が約束を履行しなかったので、母親は弟に教えて兄を呪わせる。その結果、兄は八年間にわたって病み臥した。

『創世記』第25章  イサクとリベカの間には、双子のエサウとヤコブが生まれた。父イサクは兄エサウを愛したが、母リベカは弟ヤコブを愛した。ある時、兄エサウは空腹のため、弟ヤコブが煮るレンズ豆とパンを食べさせてくれるよう頼み、引き換えに長子の権利を弟ヤコブに譲った。母リベカはこれを利用し、弟ヤコブが父イサクから祝福の言葉を受けられるように仕組んだ。

★2b.逆に、母親が兄をかわいがり、弟につらく当たる。

『にんじん』(ルナール)「にんじんのアルバム」1  ルピック家に三人の子供があり、「にんじん」は末っ子である。母親は、兄フェリックスや姉エルネスチーヌに優しく、「にんじん」には冷たい。一家のアルバムは兄や姉の写真ばかりで、「にんじん」の写真はなかった。母親は、「『にんじん』の写真がとてもかわいかったので、皆さんが抜き取って行きました。それで一枚も残っていないのです」と説明する。本当は、「にんじん」は一度も写真を撮ってもらったことがないのだ。

★3.弟に及ばぬ兄。

『受験生の手記』(久米正雄)  会津出身の「私(久野健吉)」は、東京の義兄宅に寄宿して、一高受験の準備をする。「私」は昨年受験に失敗し、今年は一歳下の弟と一緒に、入試に臨むのだ。結果は、「私」はまたしても不合格であり、弟はただ一度の挑戦で一高生になった。「私」は義兄の姪の澄子さんを恋していたが、彼女は弟に思いを寄せていた。「私」は一人帰郷の途につき、手記を残して猪苗代湖に身を沈めた。

★4.浦島の弟。

『宇治拾遺物語』巻12−22  陽成院の御所の釣殿に、ある夜、見すぼらしい翁が現れる。翁は、寝ていた番人を起こして、「私は、浦嶋の子(浦島太郎)の弟だ。ここに住んで千二百余年になる。社(やしろ)を造って、私を祭ってほしい」と要求する。番人が「私の一存ではできない」と言うと、翁はにわかに巨大化し、大きな口を開けて、番人を一口に食ってしまった。

『新浦島』(幸田露伴)  丹後の人・浦島太郎は、龍宮城で何十年かを過ごして帰って来たが、玉手箱を開けたため、老人になってしまった。太郎は信濃の寝覚めの床に移り住み、仙人となる。そして玉手箱を、丹後に住む弟・次郎に送った。以来、次郎の家は代々玉手箱を持ち伝え、九十九代目に到った〔*百代目の次郎は、神仙になろうとしてなれず、魔王を呼び出し、最後には石になってしまう〕→〔分身〕4。 

 

 

【兄弟と一人の女】

 *関連項目→〔兄嫁〕

★1.兄と弟が、同じ一人の女と関係を持つ。

『和泉式部日記』  和泉式部は冷泉天皇の皇子・為尊親王と愛人関係になるが、為尊親王は病死した。悲しむ和泉式部のもとへ、為尊親王に仕えていた小舎人童が訪れ、「今は為尊親王の弟君・敦道親王に仕えている」と言う。これがきっかけで、和泉式部は敦道親王とも愛人関係になる。

『狂った果実』(中平康)  プレイボーイの大学生夏久(演ずるのは石原裕次郎)と、純真な高校生春次(津川雅彦)は、仲の良い兄弟である。弟・春次は、逗子で知り合った恵梨(北原三枝)と交際するが、恵梨は二十歳とはいうものの、実は中年アメリカ人の妻であり、浮気の経験も何度かある女であった。それを知った兄・夏久は、恵梨を誘惑して関係を持つ。夏久は恵梨をヨットに乗せ、海へ出る。怒った春次は後を追い、モーターボートで夏久のヨットに体当たりする。

『苔の衣』  三条帝の息子東宮は、母藤壺中宮の弟・苔衣の大将の姫君と結婚する。しかし東宮の弟・兵部卿宮が姫君に恋着し、寝所に忍び入って関係を結ぶ。姫君が産んだ若宮は、東宮の子として育てられる。

『小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)(河竹黙阿弥)  遊女十六夜(いざよい)は僧清心と入水心中をはかるが、俳諧師白蓮に救われて、彼の妾になる。しかし白蓮は清心の実の兄であり、十六夜は知らずして兄と弟の両方と関係を持ったのだった〔*後に十六夜は清心に「お前の兄さんと一つ枕に寝たからは、死なねばならぬ」と言い、清心の刃にかかって死ぬ〕。

『マルコによる福音書』第6章  ヘロデヤは、夫ピリポの兄弟であるヘロデ王に嫁し、そのことをバプテスマのヨハネが非難する。ヘロデヤはこれを恨み、娘(後にサロメという名が与えられる)をそそのかして、ヘロデ王がヨハネの首を斬るようにしむける〔*『マタイ』第14章に類話〕→〔首〕1の『サロメ』(ワイルド)。

*異母兄妹と一人の女→〔兄妹〕3の『金色の眼の娘』(バルザック)。

*五人兄弟が一人の妻を共有する→〔一妻多夫〕2の『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」。

★2.兄弟が、不和の原因である女を殺す。

『じゃま者』(ボルヘス)  ニルセン兄弟は、仲が良いことで有名だった。兄クリスチャンが、フリアナという女と一緒に暮らし始めた。ところが弟エドゥワルドも、フリアナに惚れてしまった。弟思いの兄は、フリアナを弟と共有する。それでも兄弟は、しだいに不和になった。ある日、兄はフリアナを殺し、そのことを弟に告げる。兄弟は、ひしと抱き合った。

*姉妹が、不和の原因である男を殺す→〔姉妹と一人の男〕3の『ジャン・クリストフ』(ロラン)第9巻「燃ゆる荊」

★3.弟が女を殺し、兄が死骸を始末する。

『愛慾』(武者小路実篤)  野中英次(二十九歳)はセムシの画家で、その兄信一(三十六歳)は人気役者だった。信一は英次の境遇を憐れみ、自分が愛している女千代子(二十五歳)を、英次の妻として与える。英次は、兄を尊敬し妻を愛すると同時に、二人を憎悪する。混乱した思いのうちに、英次は千代子を絞め殺して、死骸を大きなカバンに隠す。それを知った信一は、「弟を助けねばならぬ」と考え、千代子の死骸を始末すべく手配する。

*年老いた野中英次の物語→〔夢語り〕3の『二老人』(武者小路実篤)。

 

※貧乏な兄と富裕な弟→〔宿を請う〕2の蘇民将来と茅の輪の伝説・『備後国風土記』逸文。

※兄弟が三人のばあいは→〔三人兄弟〕

 

 

【兄妹】

★1.血のつながらぬ兄妹。

『当世書生気質』(坪内逍遥)  士族・守山友定の娘お袖は、上野の戦争の折に母親とはぐれ、貧しい老女に拾われて、お芳と名づけられた。老女の死後、お袖(お芳)は官員・小町田浩爾に救われ、養女となる。小町田家の息子・粲爾とお袖(お芳)は、兄妹として育つ。後に小町田浩爾が免職になり、生活が苦しくなったため、お袖(お芳)は小町田家を出て芸妓になり「田の次」と名乗る。ある時、粲爾と「田の次」は久しぶりに再会し、粲爾は「田の次」に恋心を抱く〔*物語の最後で「田の次」の身分出生が明らかになり、粲爾と「田の次」の恋の成就が示唆される〕→〔出生〕1b

『氷点』(三浦綾子)「淵」〜「千島から松」  辻口徹と陽子は仲の良い兄妹だった。陽子は、自分がもらい子であることに気づいていた。徹は思春期に達し、陽子に異性を感じるようになる。陽子が殺人犯の子であることを知った徹は、「陽子を幸福にできるのは自分しかない」と思い、「大学を出たら陽子と結婚しよう」と決意する。しかし、陽子はそれを「愛ではなく憐れみによる結婚」と誤解するかもしれない。徹は「陽子の真の幸福のためには、親友の北原と結婚させるのがよい」と考え直す。

『許されざる者』(ヒューストン)  アメリカ西部。ザカリー家は、老母、ベン、キャッシュ、アンディの三兄弟、そして赤ん坊の時からこの家で育った養女レイチェル(演ずるのはオードリー・ヘップバーン)の、五人暮らしである。レイチェルは、血のつながらぬ兄ベンを慕っている。レイチェルが十代後半になった頃、彼女が白人ではなく、カイオワ・インディアンの娘であることが明らかになる。カイオワ族の一団が、レイチェルを取り戻すためにザカリー家に押し寄せ、銃撃戦が始まる。ベンはレイチェルに「結婚しよう」と言う。レイチェルは、実の兄であるカイオワ族のリーダーを射殺する。

★2.異母兄妹。

『男はつらいよ』(山田洋次)  車平造が妻との間にもうけた娘がさくら、芸者菊との間にもうけた息子が寅次郎で、二人は異母兄妹の関係である〔*車平造と妻との間にはもう一人、寅次郎の異母兄にあたる息子がいたが、若死にした〕。フーテン暮らしを恥じる寅次郎は、妹さくらの喜ぶような立派な兄貴になって柴又に落ち着きたいと思うが、その努力は空回りしがちであり、さくらの「お兄ちゃん、もう行っちゃうの?」の声に送られて、去って行くのである。

*弟思いの姉→〔姉弟〕2の『巨人の星』(梶原一騎/川崎のぼる)。

★3.異母兄妹の双方と関係を持つ女。

『金色の眼の娘』(バルザック)  パリで一番の美青年アンリは、金色の眼の娘パキタに出会い、心を奪われる。二人は密会するが、不思議なことに、パキタは処女でありながら、性的に無垢ではなかった。パキタは、サン=レアル侯爵夫人の同性愛の相手だったのだ。侯爵夫人は、パキタが男と関係を持ったことを知り、短刀でパキタを殺す。その現場へ、アンリが来合わせる。アンリと侯爵夫人は、互いが瓜二つであることに驚く。二人は異母兄妹(あるいは異母姉弟)だった。

*性戯にふけりながらも、処女を守る娘→〔処女妻〕4の『夕暮まで』(吉行淳之介)。 

★4.兄妹同然に育った、仲の良い男女。

『隣りの八重ちゃん』(島津保次郎)  帝大生の新井恵太郎は、隣家の女学生・服部八重子と兄妹のように仲良くしている。新井家と服部家は親戚同然のつき合いで、恵太郎も八重子も、互いに相手の家へ自由に出入りする。恵太郎の弟・中学生の精二は、恵太郎と八重子の仲を「あやしいぞ」と言って、からかう。八重子の姉・出戻りの京子が恵太郎を誘惑するので、八重子は心配になる。やがて服部家は父親の転勤によって、遠い朝鮮へ引っ越す。八重子は女学校を卒業するまで、新井家に同居することになる。もう、「隣りの八重ちゃん」ではないのだ。

『みつけ鳥』(グリム)KHM51  鷲などの鳥が幼い男児をさらって、山の木の上に置く。山番の男が男児を見つけ、家へ連れ帰る。山番は男児を「みつけ鳥」と名づけ、自分の娘レーネ(レン)と一緒に育てる。「みつけ鳥」とレーネは、片時も離れぬほどの仲良しになり、魔法使いの婆さんに命をねらわれた時も、二人協力して危難を脱した→〔変身〕3

*『嵐が丘』(E・ブロンテ)のヒースクリフとキャサリンも、兄妹同然に育ち、やがて愛し合うようになる→〔行方不明〕2

★5.「兄妹である」と称して、実は夫婦。

『銭形平次捕物控』(野村胡堂)「捕物仁義」  忠義な武士・川波一弥(かずや)は、主家の若君が悪商・長崎屋の土蔵に閉じ込められたことを知る。一弥は浪人に身をやつし、妻お京を「妹」といつわって、長崎屋の隣家に住む。美男の一弥は、長崎屋の娘お喜多の浮気心をそそって、土蔵の鍵を手に入れようとする。しかしお喜多は、お京が一弥の妹でなく妻だと知り、嫉妬してお京を殺す〔*銭形平次が一弥に力を貸し、若君を救い出した〕。

『創世記』第12章  アブラムと妻サライは、エジプトに滞在する時、「兄妹である」と称した。サライは美しかったので、「アブラムが夫ならば、エジプト人は彼を殺すだろう。アブラムが兄ならば、エジプト人は彼を歓待するだろう」と、予測したからである。サライはファラオの宮廷に召され、彼女ゆえにアブラムも幸いを受けた。しかし主(しゅ)がエジプトに病気をもたらしたので、ファラオは「アブラムとサライは夫婦だ」と知り、二人を国外へ退去させた。

『バスカヴィル家の犬』(ドイル)  バスカヴィル家の血筋をひく男が、「ステープルトン」という偽名を用い、妻ベリルを「妹」といつわって、バスカヴィルの館のあるデヴォンシャに乗りこむ。館の主ヘンリ卿がベリルに恋心を抱いたことを利用して、ステープルトンはヘンリ卿を殺そうとする。ヘンリ卿が死ねば、バスカヴィル家の領地と資産はステープルトンのものになるのだった。しかしホームズがヘンリ卿を救い、ステープルトンの計画は失敗する。 

『門』(夏目漱石)14  宗助と安井は京大の学生で、仲の良い友人どうしだった。宗助が安井の新居を訪れた時、安井はお米(よね)を「僕の妹だ」と言って紹介した。宗助はよく安井の所へ遊びに行ったので、自然、お米とも親しく口をきくようになった。お米は、安井の妹ではなかった。宗助とお米は駆け落ちした。二人は地方を転々とした後、東京の片隅で、世間を避けるようにして暮らした。 

★6.「兄」と称して実は愛人。「旦那」と称して実は兄。

『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)3幕目「源氏店妾宅の場」  お富は三年前から、和泉屋多左衛門の囲い者となっているが、不思議なことに多左衛門は、お富と同衾しない。お富のかつての愛人・与三郎が訪れたので、お富は彼を「兄だ」と言って、多左衛門に紹介する。しかし実は多左衛門こそ、お富の本当の兄なのだった〔*三年前、海に身を投げたお富は、多左衛門の船に助け上げられた。その時、多左衛門はお富の持つ守り袋を見て、自分の妹であることを知った〕。 

★7.婚約者を「兄」と呼ぶ。

『うつせみ』(樋口一葉)  雪子には許婚があり、彼女は許婚を「兄様(にいさん)」と呼んでいた。雪子が女学校に通っていた時、青年・植村録郎が彼女を恋するが、「兄様」というのが実は婚約者であると知って、植村は自殺した。雪子は罪の意識から発狂し、「私が、申さないが悪うござりました。兄と言うてはおりまするけれど・・・」と、亡き植村に向かって繰り返し詫び言を述べた。

★8.「あなたは生き別れた兄にそっくりだ」と言って、女が男を口説こうとする。

『二人の友』(森鴎外)  F君が尾道の宿に泊まった夜のこと。枕元に芸者が来て問う。「私には兄がおり、家出して行方知れずになっている。先程、座敷で遠くからあなたを見て、『兄だ』と思った。あなたは、私が逢いたいと思っている兄ではありませんか?」。F君は「気の毒だが人違いだ」と言って、芸者を帰らせた。後にその話を聞いた「私」は、「それは、芸者が君を口説きに来たのだ」とF君に教えた。

 

※兄が、生き別れた妹をそれと知らずに殺す→〔橋が落ちる〕1の『八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)』(河竹黙阿弥)。

※兄の生活のために、妹が自分の身を犠牲にする→〔画家〕4の『その妹』(武者小路実篤)。

 

 

【兄弟殺し】

★1.兄が弟を殺す・傷つける。

『英雄伝』(プルタルコス)「ロムルス」  ローマを建設するにあたり、どこに町を築くかについて、双子の兄弟ロムルスとレムスが争う。鳥占いの結果ロムルスが勝つが、レムスはそれに納得せず、ロムルスが城壁の周りに濠を掘るのを妨害する。兄ロムルスは弟レムスを殺す〔*ロムルスの仲間の一人がレムスを殺した、とも言う〕。

『創世記』第4章  アダムはエバ(イヴ)を妻とし、最初にカインが生まれ、ついでアベルが生まれた。兄カインは土を耕す者となり、弟アベルは羊を飼う者となった。兄弟が神に捧げ物をすると、神はカインの供えた農作物をしりぞけ、アベルの供えた羊を受けた。カインは怒り、弟アベルを野原に誘い出して殺した。

*カインとアベルの物語の別伝→〔皮膚〕1の『なぜ神々は人間を作ったのか』(シッパー)第5章「アフリカの黒人と白人」。

『日本霊異記』上−12  兄弟が一緒に商売に出かけ、弟が銀四十斤を得たが、兄がこれをねたんで弟を殺し、銀を奪った。弟の死骸の髑髏は、長い年月、往来の人や動物に踏まれる。僧道登の従者が髑髏を拾って木の上に置き、これがきっかけで、兄の弟殺しが発覚する〔*同・下−27の類話では、伯父が甥を殺したとする〕→〔大晦日〕1

『和漢三才図会』第94・湿草類「弟切草」  花山院の御代(984〜986)に、晴頼(せいらい)という鷹飼いがいた。鷹が怪我をすると、晴頼は草を揉んで患部につける。するとたちまち鷹の傷が癒えた。人から「その草の名を教えてくれ」と請われても、晴頼は秘して言わなかった。ところが、弟がひそかに草の名を外部の人に洩らしたので、晴頼は怒って弟を切った。以来、鷹の良薬は、「弟切草」の名で知られるようになった。

*真剣を持つ兄が、木刀を持つ弟を殺す→〔剣〕5の『日本書紀』巻5祟神天皇60年7月。

*兄が弟を殺して、手柄を横取りする→〔横取り〕2の『唄をうたう骨』(グリム)KHM28。

*自殺に失敗して苦しむ弟を、兄が死なせる→〔安楽死〕1の『高瀬舟』(森鴎外)。

*兄弟が、互いに相手を殺そうとして思いとどまる→〔二者同想〕2の『今昔物語集』巻4−34。

*兄弟が一騎打ちして刺し違える→〔相打ち〕1の『テーバイ攻めの七将』(アイスキュロス)。

★2.弟が兄を殺す・傷つける。

『今昔物語集』巻26−24  山城国に兄弟があった。弟は兄を殺そうとつけねらい、暗夜、矢を射かけるが、矢は兄の腰刀の目貫に当たってはね返り、兄は無事だった。

『ニーベルングの指環』(ワーグナー)「ラインの黄金」  巨人ファゾルトとファフナーの兄弟は、神々のために城を築いた代償に、女神フライアの身体が隠れるだけの分量の黄金を望み、さらに、ラインの黄金から作った隠れ兜と指環を要求する。しかし指環の呪いによって兄弟は争いを始め、弟ファフナーが兄ファゾルトを撃ち殺した。

『ハムレット』(シェイクスピア)第3幕  クローディアスは、昼寝中の兄王の耳に毒液を流しこんで殺す。罪の意識にかられた彼は、「人類最古の罪、兄弟殺しの大罪。神に祈りたいが、罪の深さを思えばそれもできぬ」と悩む。

*弟が、厠に入る兄を殺す→〔厠〕6の『古事記』中巻(ヤマトタケル)。

*弟が、兄を棺に入れて殺す→〔棺〕1aの『イシスとオシリスの伝説について』(プルタルコス)13。

★3.誤解により、兄弟の一方がもう一方を殺す、あるいは殺そうとするが、誤解が解け和解する。

『二人兄弟』(グリム)KHM60  双子の兄弟が旅に出て、別々に仕事を捜す。弟は冒険の末、ある国の王になるが、魔女によって石にされてしまう。兄がその国へやって来て、弟と瓜二つゆえに弟の身代わりをつとめ、魔女を退治する。兄は魔女に命じて、弟をもとの姿に戻させる。ところが弟は、兄が自分の妃と同じベッドに寝たことを聞いて怒り、兄の首を切り落とす。しかしすぐに誤解はとけ、生命の草の根によって兄は生き返る。

『二人兄弟の物語』(古代エジプト)  兄アヌプは、自分の妻が弟バタに誘惑されたと聞いて怒り、バタを殺そうとする。しかしバタが誤解を解き、兄弟は和解する。後、バタはファラオの兵に殺されるが、アヌプが水を用いてバタを生き返らせる。バタはファラオの王子に転生し、やがて彼が新たなファラオになる。三十年間エジプトを統治してバタが死ぬと、アヌプが王位を継いだ。 

 

 

【兄妹婚】

 *関連項目→〔双子婚〕

★1.神々はしばしば兄妹(姉弟)で結婚する。

『イシスとオシリスの伝説について』(プルタルコス)12  一年三百六十日に付け足された五日の閏日の第一日目に、母神レイア(ヌト)は太陽神ヘリオス(ラー)との間にオシリスを産み、四日目にヘルメス(トト)との間にイシスを産んだ。イシスとオシリスは、生まれる前から母神レイアの胎内で愛し合って結ばれ、夫婦となった。

『神統記』(ヘシオドス)  ゼウスとその正妃ヘラはともに、クロノスとレイアの間に生まれた子であり、姉・弟の関係である。クロノスとレイアもまた、ウラノス(天)とガイア(大地)の間に生まれた子であり、姉・弟である。

『独異志』(唐・李冗撰)下巻  世界の初めの時には、女カ兄妹二人しかいなかった。兄妹は崑崙山の頂上でそれぞれ火を燃やし、「同胞婚が可ならば立ち昇る煙を一つにせよ。否ならば別々にせよ」とまじないを唱えて、神意を問うた。すると二つの煙が一つになったので、兄妹は結婚した。

『日本書紀』巻1・第2段一書第1  イザナキ・イザナミ夫婦は、ともにアオカシキネノミコトの子である。

*太陽(姉あるいは妹)と月(弟あるいは兄)の性交→〔太陽と月〕1の太陽と月(北米、エスキモーの神話)。

★2.鳥なら兄妹でも結婚できる。

『暗い窓の女』(手塚治虫)  義治と由紀子は兄妹だったが愛し合い、夫婦生活をしていた。義治は医者に「遺伝子を人工的に変えて、兄妹を他人にできないか?」と問い、「不可能だ」と断られる。由紀子に求婚する男が現れたので、義治はその男を殺し、ビルの七階から投身する。由紀子は義治に抱きついて、一緒に落ちて行く。義治は、「由紀子、今度は二人で鳥に生まれような。鳥なら兄妹だって愛し合えるからね」と言う。

★3.人間の兄妹間の結婚。

『古事記』下巻  允恭天皇の皇太子である木梨の軽太子は、同母妹・軽大郎女と通じた。軽太子は捕らわれて、伊予の湯に流罪になった。軽大郎女もその後を追って伊予へ行き、二人はそこで一緒に死んだ。〔*『日本書紀』巻13允恭天皇24年6月に同記事〕。

『捜神記』巻14−1(通巻340話)  高陽氏(センギョク帝)の時代に、兄妹で夫婦になった者があり、帝は二人を山に追放した。二人は抱き合って死んだ→〔シャム双生児〕3a

『英草紙』第5篇「紀任重陰司に至り滞獄を断くる話」  安徳天皇は、建礼門院徳子が兄平宗盛と通じて産んだ子である。

『ペルシア人の手紙』(モンテスキュー)第67信  ゲーブル(ゴール)人の「私(アフリドン)」は、六歳の頃から妹(アスタルテ)に恋心を抱く。「私」は妹と引き離され、妹は王のハーレムに入れられたあげく、官奴と結婚させられる。しかし「私」は妹を救い出し、駆け落ちをして、二十五歳で結婚式をあげ、女児をもうける。一年後、タタール人が攻めこんで、「私」たちはいったん奴隷にされるが、やがて解放され、以後「私」は妹を妻として幸福に暮らす。

*アイヌの始祖の兄妹婚→〔犬婿〕4aの『アイヌの起こり』(アイヌの昔話)。

★4.孤島に漂着した兄妹の結婚。

『今昔物語集』巻26−10  土佐国の兄妹を乗せた船が潮に流され、沖の孤島に漂着する。二人はそこに住みつき、夫婦となった〔*『宇治拾遺物語』巻4−4に類話〕。

『瓶詰の地獄』(夢野久作)  船が難破して離れ島に漂着した十一歳の兄と七歳の妹が、二人きりで十年ほどを過ごすうちに、ついに肉の誘惑に負けて関係を持つにいたった(*→〔瓶(びん)〕4)。やがて救助船が来た時、兄妹は淵に身を投げ、自ら命を絶った。

*大洪水で生き残った兄妹の結婚→〔洪水〕2の洪水と兄妹婚(樺太、ギリヤーク族の神話)など。

★5.片方あるいは双方が、兄妹であることを知らずに結婚する。

『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(ゲーテ)第8巻第5〜10章  アウグスティンは、近隣に住むスペラータが、実は里子に出された妹であることを知らず、彼女を恋人にする。二人の間には娘ミニョンが生まれ、数年後にスペラータは病死する。ミニョンは十代前半の頃、旅まわりの劇団の一員となり、青年ヴィルヘルムと行動をともにし、彼を慕う。父アウグスティンは老いた竪琴弾きとなって、ミニョンにつきそう。しかし病弱なミニョンはまもなく衰弱死し、アウグスティンもあとを追うようにして自殺する。

*『ウィルヘルム・マイステル』の本の中に、遺書を挟む→〔本〕8cの『悪魔が来りて笛を吹く』(横溝正史)。

『ヴォルスンガ・サガ』7  父や兄弟たちの敵である夫シゲイルに復讐するため、シグニュは「勇者をわが胎より産み出そう」と考える。シグニュは魔法使いの女と姿を取り換え、生き残った兄シグムンドのもとへ行く。シグムンドは眼前の美女が妹とは知らず、彼女と三日続けて床をともにする。シグニュは男児(シンフィョトリ)を身ごもる。

『東海道四谷怪談』(鶴屋南北)「深川三角屋敷」  直助権兵衛は、お袖に「父四谷左門、姉お岩、夫佐藤与茂七の仇を討ってやろう」ともちかけ、彼女と夫婦になる。その直後に、死んだはずの夫・与茂七が訪れ、お袖は絶望して自ら死を選ぶ。彼女が所持していた臍の緒の書き物から、直助とお袖は兄妹であったことがわかり、直助も己れの非を悟って自刃する。

★6.兄が結婚を望むが、妹が拒否する。

『うつほ物語』「あて宮」  正頼左大将の七男・仲澄侍従は、同腹の妹あて宮との結婚を望む。しかしあて宮が東宮に入内したため、仲澄は悲嘆の余り病み臥して、やがて死ぬ。

『ペンタメローネ』(バジーレ)第3日第2話  妃を亡くした王が、実の妹ペンタに求婚し「お前の身体の中でとりわけ手が好きだ」と言う。ペンタは奴隷に命じて自分の両手を切り落とさせ、「一番お好きなものをお納め下さい」との手紙とともに、兄王に届ける→〔箱船(方舟)〕3

★7.想像上の兄妹婚。

『響きと怒り』(フォークナー)  南部の名門コンプスン家の長男クェンティンは、妹キャディを愛していた。しかしキャディは、性衝動のおもむくままに男たちと遊ぶ。彼女は流れ者の子を宿しつつも、その男ではなく別の男と結婚する。クェンティンは妹の堕落を防げなかったことを思い悩み、やがて彼は、「妹と近親相姦を犯した」との妄想を抱く。クェンティンは自殺する。

★8.姉弟婚。

『熊座の淡き星影』(ヴィスコンティ)  サンドラ(演ずるのはクラウディア・カルディナーレ)の父は、ナチスによって殺された。それは、母コリンナとその愛人ジラルディーニが密告したからだ、とサンドラは確信している。彼女の弟ジャンニは作家志望で、姉との近親相姦を描いた小説の草稿をサンドラに読ませ、自分の思いを訴える。ジラルディーニは「二人は近親相姦を隠している」と、サンドラの夫アンドリューの前で言い放つ。ジャンニはサンドラと関係を結ぼうとして拒否され、自殺する〔*エレクトラの伝説→〔母殺し〕1を発想源とした、という〕。

『無常』(実相寺昭雄)  旧家である日野家の跡取り・正夫(演ずるのは田村亮)は、姉・百合と関係を持ち、百合は男児を身ごもる。正夫は、何も知らぬ書生の岩下を百合と結婚させ、世間を欺く。男児が生まれた後、岩下は、正夫と百合の性交現場を見て衝撃を受け、新幹線に飛び込み自殺する。正夫は仏像研究をしながらも、地獄・極楽を否定し、現世の掟も無意味だと主張する。男児は日野家の跡を継ぎ、叔父にあたる正夫(実の父でもある)が、後見人となる。

★9.異父兄妹・姉弟の結婚。

『運命論者』(国木田独歩)  大塚信造は青年期に達してから、父母と思っていたのが養父母だったことを知る。実の父母はともに病没した、と彼は聞かされる。しかし実母は生きていた。信造は弁護士となり、恋人高橋里子と結婚して高橋家の養子になったが、義母高橋梅は、信造の実の母だった。梅は二十数年前、幼い信造と病気の夫とを捨て、情人と駆け落ちしたのである。信造は、知らずして異父妹を妻としたのだった。

*アーサー王は、知らずして異父姉と結婚する→〔伯父(叔父)〕5の『アーサーの死』(マロリー)第1巻第19章。

★10.異母兄弟・姉妹の結婚。

『サムエル記』下・13章  ダビデの長子アムノンは、異母妹タマルを恋し、犯した→〔父と息子〕6

『真景累ケ淵』(三遊亭円朝)  旗本・深見新左衛門の次男である新吉は、名主の妾お賤と夫婦になり、人殺しをはじめ様々な悪事をはたらいた。実はお賤は、新左衛門とその妾お熊との間の子であり、新吉の異母妹にあたる女だった。お賤との七年間の関係の末に(二人の間に子供はできなかった)、そのことを知った新吉は、鎌をふるってお賤を殺し、その後に自害した。

『砂の上の植物群』(吉行淳之介)  中年の妻帯者・伊木一郎は、バーのホステス津上京子と関係を持つ。ある時、亡父の友人から、一郎には腹違いの妹がおり、京子という名前で二十四〜五歳になっているはずだ、と聞かされ、「津上京子は異母妹かもしれぬ」と一郎は不安を抱く〔*しかし異母妹はすでに死んでおり、津上京子とは別人だった〕→〔姉妹と一人の男〕1

『篁物語』  小野篁は、異母妹に漢籍を教えるうち恋心を抱くようになり、ついに彼女の寝室に入る。異母妹は懐妊したが、怒った母によって一室に閉じこめられ、やがて死んだ。

『日本書紀』巻20敏達天皇5年3月  敏達天皇は、異母妹・豊御食炊屋姫尊(後の推古天皇)を皇后とした。

★11.一人の姫君が、異母兄および異父兄から思慕される。

『我身にたどる姫君』  水尾帝の皇后宮と関白が密通し、姫君が生まれる。姫君は父母が誰であるかを知らされず、縁者の尼上のもとで育つ。関白の息子・三位中将(姫君の異母兄)と、水尾帝の皇子・二宮(姫君の異父兄)が、それぞれ姫君を見て思いを寄せる。三位中将は、姫君が自分の異母妹であることをやがて悟るが、二宮は姫君が異父妹であると知らぬまま、強引に関係を結ぼうとして拒否される〔*姫君は東宮と結婚し、後に中宮・女院となって、物語の終わり近くで、五十七歳で死去する〕。

★12.兄妹婚によって生まれた男児が成長後、自分も兄妹婚をしてしまう。二代にわたる兄妹婚。

『悪魔が来りて笛を吹く』(横溝正史)  もと華族の新宮利彦は同母妹の秋子を犯し、治雄が誕生した。治雄は他家へ里子に出され、成長後、小夜子と知り合って愛し合う。しかし彼女は、新宮利彦が小間使いおこまに産ませた子であり、治雄と小夜子は異母兄妹なのであった。それを知った小夜子は、治雄の子を身ごもったまま自殺する。二代にわたる兄妹婚の当事者であることを悟った治雄は、正体を隠して新宮家に入り込み、父利彦・母秋子を殺してから毒死する。

 

※『屍鬼二十五話』(ソーマデーヴァ)第6話で、「頭が夫で身体が兄」の男を夫にするというのは、兄妹婚のような印象を受ける→〔夫〕10

 

 

【凶兆】

★1.誕生時の凶兆。

『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」  ドリタラーシュトラ王の息子ドゥルヨーダナは、生まれるやいなや恐ろしい声で吠え、狼や禿鷹が騒ぎ、強風が吹き、方々で放火があり火事が起こった。バラモンたちが「このような凶兆をもって生まれた子は、一族滅亡のもとになるから棄てよ」と勧めたが、王はドゥルヨーダナを育てた。

★2.結婚に関する凶兆。

『雨月物語』巻之3「吉備津の釜」  吉備津の宮に祈願する人は、神に湯を奉って占い、沸き上がる時に釜が鳴れば吉兆、鳴らねば凶兆である。正太郎と磯良(いそら)の婚儀の折は、神が不承知だったのであろうか、まったく音がしなかった。それでも二人は結婚し、ともに不幸な死にかたをした。

『西山物語』(建部綾足)  大森七郎の妹かへと、同族の八郎の息子・宇須美とは恋仲だった。ところが八郎が二人の結婚を認めず、七郎がかへに花嫁衣装を着せて八郎宅へ乗りこんでも拒絶するので、ついに七郎は、その場でかへを刺し殺した。実は、「結婚すれば二人とも死ぬ。別れても一人が死ぬ」との占いがあったので、八郎は二人の結婚を認めなかったのだった。

『変身物語』(オヴィディウス)巻6  トラキア王テレウスと、アテナイ王の娘プロクネの婚儀に立ち会ったのは、エウメニデス(復讐の女神たち)だった。彼女たちの持つ松明は、どこかの葬列からさらい取って来たものだった。閨の棟には、不吉なふくろうがとまった〔*彼らの結婚は不幸な結果に終わった〕→〔子食い〕2

*不倫の恋に関する凶兆→〔轢死〕5の『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)。

★3.外出に関する凶兆。

『小栗(をぐり)(説経)  ある夜、照手姫は不吉な夢を見た。夫・小栗と十人の従者たちが白い浄衣姿で、馬に逆鞍・逆鐙をつけ、幡(はた)・天蓋をなびかせ、千人の僧に付き添われて北へ北へ行く、との夢であった。照手姫は小栗に、舅・横山からの召しに応ぜぬよう請う。しかし小栗は出かけ、従者ともども毒殺された。

『ジュリアス・シーザー』(シェイクスピア)第2〜3幕  三月十五日、生贄の獣の腹を裂くと心臓がないなど、さまざまな凶兆があった。シーザーは、妻キャルパーニアが止めるにもかかわらず元老院に出かけ、ブルータスらに暗殺された。

『デカメロン』第9日第7話  森の中で妻が狼に喰われる夢を、夫が見る。翌朝、夫は妻に夢の話をして、「今日は外出せぬように」と言う。しかし妻は、夫が森で浮気でもするつもりだろうと邪推し、森へ出かける。妻は狼に喰われて、大怪我をする。

『リチャード三世』(シェイクスピア)第3幕  ヘイスティングズ卿がロンドン塔での会議に出席する朝、盟友スタンレー卿から「グロスター家の紋所の猪に、兜をもぎ取られる夢を見た。注意せよ」との知らせがある。さらに馬が三度もつまづいたり、ロンドン塔の前で暴れ回ったりするが、ヘイスティングズ卿は会議に出席する。ヘイスティングズ卿は、グロスター公(リチャード三世)から謀叛人の濡れ衣を着せられて、断頭台に送られる。

*凶兆にもかかわらず、鹿が妾の所へ出かける→〔言霊〕5aの『摂津国風土記』逸文。

★4.軍事行動に関する凶兆。

『イーゴリ遠征物語』  ロシアの地を脅かす遊牧民ポーロヴェツを討伐すべく、イーゴリ侯が出陣しようとする。その時、日食が起こり、暗闇が全軍を押し包んだ。これは不吉な前兆であったが、イーゴリ侯は「斬り死にするこそわれらが面目!」と、強い言葉で従士たちを励まし、戦場へ突き進む。しかしイーゴリ侯の軍は敗れ、彼は捕虜になった。

『イリアス』第12歌・第14歌  トロイア軍がアカイア(ギリシア)勢の防壁に攻め寄せようとした時、鷲が赤い大蛇をつかんで天空高くを横切る。蛇は抵抗して鷲に噛みつき、鷲は蛇を落として飛び去る。プリュダマス(ポリュダマス)はこれを凶兆と見るが、ヘクトルは構わずに兵を率いて防壁を破る。しかしヘクトルは、大アイアスの投げた石に撃たれて重傷を負う〔*鷲と蛇の組み合わせは→〔ウロボロス〕1の『ツァラトゥストラはこう言った』(ニーチェ)「序説」にも見られる〕。

『日本書紀』巻26斉明天皇4年11月  三日、蘇我赤兄が斉明天皇の失政を数え上げて、有間皇子に謀反を勧めた。五日、赤兄の家の高殿で二人は謀議したが、脇息が突然折れたので、凶兆であるとして計画を中止した。その夜赤兄は、皇子の謀反を天皇に知らせた。  

『平家物語』巻6「嗄(しわがれ)声」  越後守城太郎助長が木曽義仲追討に赴く前夜、大風と雷雨があり、空中から嗄声が「盧遮那仏を焼き滅ぼした平家に味方する者ここにあり。召し取れ」と三度叫んで通った。助長はこれを無視して出発したが、黒雲が頭上をおおい、助長は落馬して死んだ。

*風が軍旗の竿を吹き折る→〔風〕8の『水滸伝』第60回。

 

 

【凶兆にあらず】

★1.凶兆だと思ったら、ただの取り越し苦労だった。

『琴のそら音』(夏目漱石)  「余(靖雄)」の婚約者露子が、インフルエンザにかかった。友人の津田君が、インフルエンザから肺炎になって死んだ女の話をするので、「余」は不安になる。「余」は夜道で、赤ん坊の棺桶とすれ違い、人魂のごとき提灯火を見る。下宿へ帰ると、婆やが「犬の遠吠えが只事でない」と言う。翌朝、「余」は露子の家へ駆けつけるが、幸い露子はすっかり回復していて、「余」の心配は取り越し苦労だった。

*インフルエンザで若い娘が死ぬ→〔風邪〕5の『愛と死』(武者小路実篤)。

★2.凶兆だと思ったら、かえって吉兆だった。

『大鏡』「昔物語」  大宮(太皇太后)彰子が幼少の頃、春日神社に参詣した時、つむじ風が吹いて神前の御供物を巻き上げ、東大寺の大仏殿の前に落とした。「藤原氏の氏神である春日明神に供えた御供物が、源氏の氏寺の東大寺に取られたのは、不吉なことだ」と世間の人は噂した。しかしその後長く藤原氏が繁栄しているところから見ると、あれは吉兆だったと思われる。

★3.凶兆を認めず無視するのが、賢明な判断。

『イソップ寓話集』(岩波文庫版)236「旅人と烏」   旅人たちが、片目のつぶれた烏に出会った。一人が「凶兆だから引き返そう」と言うと、他の人が「この烏には、我々の将来を予言することなどできない。自分の片目を怪我することさえ防げなかったのだから」と言った。

『大鏡』「昔物語」  一条帝即位の日。大極殿の高御座の内に、髪の生えた頭で血のついたものが発見された。しかし、この報告をうけた大入道兼家は、眠って聞こえないふりをし、予定どおり祝典が行なわれて、後の祟りはなかった。

『捜神記』巻18−23(通巻435話)  李叔堅の家の飼い犬が突然人のごとく立って歩き、叔堅の冠をかぶって走ったり、竈の前で火を起こしたりした。家人たちは気味悪がり不安がったが、叔堅は「心配ない」と言って放っておいた。数日後に犬は死に、凶事は何も起こらなかった。

『徒然草』第206段  検非違使庁の評定中、牛が役所の中へ入り、長官の座の台上に横たわった。役人たちが「重き怪異ゆえ、牛を陰陽師に遣わすべし」と訴えるが、太政大臣実基はとりあわず、牛を持ち主に返し、牛の寝た畳を取り替える。それで特に凶事はなかった。

『宿直草』巻1−8  ある家に夜ごとにつぶてが打ちつけられ、隣家の人々が「天狗つぶて打つ家は焼亡の難有り。加事祓えなどし給え」と勧める。その家の主人は特に騒ぐこともなく格別の祈りもしなかったが、災いはおこらず、無事にその家に住み通した。

 

※鏡が割れるのは凶兆→〔鏡が割れる〕に記事。

※罎に映る自分の顔を見て、「凶」を感じる→〔瓶(びん)〕3の『凶』(芥川龍之介)。

 

 

【恐怖症】

★1.高所恐怖症。

『めまい』(ヒッチコック)  刑事スコッティ(演ずるのはジェームズ・スチュアート)は犯人を追跡中にビルの屋根から落ちそうになり、彼を助けようとした仲間が、足をすべらせて転落死した。以来、スコッティは高所恐怖症になった。それを知った友人ギャヴィンは、妻マデリンを殺す時に、スコッティの高所恐怖症を利用した。マデリンそっくりの女ジュディ(キム・ノヴァク)が、スコッティの目の前で、高い塔に駆け上がる。スコッティは「マデリンが投身自殺する」と思って後を追うが、彼は階段の途中でめまいを起こす→〔投身自殺〕3

★2.鉄道恐怖症。

『恐怖』(谷崎潤一郎)  京都に住んでいる「私」は、徴兵検査の手続きのために、電車で大阪まで行かねばならない。「私」は「鉄道病」という神経病で、汽車や電車に乗ると、身体中の血が脳天へ奔騰する。冷や汗が出て手足が震え、脳充血で死ぬのではないかと、非常な恐怖を感ずるのだ。「私」はウイスキーを呷(あお)ってぐずぐずしていたが、偶然友人K氏と出会ったので、何とか一緒に電車に乗り込むことができた。

★3.赤色恐怖症。

『マーニー』(ヒッチコック)  マーニー(演ずるのはティッピー・ヘドレン)の母は売春で生計を立てていた。マーニーが五歳の時、母と客の間でトラブルがあり、母は幼いマーニーに助けを求めた。マーニーは火掻き棒で客の頭を何度も打って殺し、死体からは多くの血が流れ出た。その時の記憶は意識下に抑圧されたが、以後、マーニーは赤い色を見ると、恐怖の発作を起こすようになった〔*青年社長マークがマーニーと結婚し、殺人の記憶を思い出させることによって、恐怖症から解放した〕→〔盗み〕3

★4.閉所恐怖症。

『ボディ・ダブル』(デ・パルマ)  B級映画専門の俳優ジェイクは、閉所恐怖症だった。ドラキュラの役をもらった時、彼は狭い棺の中での演技ができず、クビになってしまった。後にジェイクは、殺人鬼によって狭い墓穴に落とされ、上から土をかけられる。ジェイクは「これは現実ではなく、映画の撮影なのだ」と、自らに言い聞かせて恐怖症を克服し、穴から脱出することができた。

 

※針恐怖症の少女→〔鍼(はり)〕1の『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「座頭医師」。

 

 

【共謀】

 *関連項目→〔演技〕

★1.二人以上が共謀して、対立や争いの演技をする。

『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)(河竹黙阿弥)3幕目「雪の下浜松屋の場」  武家娘(実は弁天小僧)と供の若党(南郷力丸)が、呉服屋浜松屋をゆする(*→〔ゆすり〕1)。そこへ玉島逸当という武士が現れ、「その娘は男であろう」と言って二人の正体をあばき、店から追い払う。しかし玉島逸当は、大盗賊の日本駄右衛門であった。駄右衛門、弁天、南郷は同じ一味で、浜松屋に駄右衛門を信用させるために、芝居をしたのだった。

『大鏡』「時平伝」  過差(贅沢)の制の厳しい折、左大臣藤原時平が禁制を破った華やかな装束で参内した。醍醐帝がこれを見咎め、「ただちに退出せよ」と命じ、時平は恐懼して一ヵ月ほど謹慎する。実はこれは、世間の過差を鎮めるため、時平と帝が心を合わせてしたことだった〔*『心中宵庚申』(近松門左衛門)上之巻「城主饗応」に類似の物語がある〕。

『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)「発端」  弥次郎兵衛と女房おふつの家を、駿河武士とその妹が訪れる。武士は「妹と弥次郎兵衛は、かつて国元で密かに通じていたゆえ、是非二人を夫婦にさせる」と言うが、弥次郎兵衛は「女房おふつを捨てて新たに妻を持つことなど、できぬ」とはねつける。二人のやりとりを聞いたおふつは、自ら身を引く決心をし、去り状を取って出て行く。実は武士も妹も弥次郎兵衛の仲間で、おふつを離縁するために、三人で一芝居打ったのだった。

『不連続殺人事件』(坂口安吾)  歌川一馬の山邸に、文学者、画家、女優など十余名が呼び寄せられる。画家土居光一は、一馬の妻あやかと同棲していたことがあるが、今では光一とあやかは犬猿の仲で、罵りあい派手な喧嘩をする。しかしそれは人々の目を欺く演技であり、二人は共謀して連続殺人を犯す。その最終目的は、一馬を殺して財産を二人のものにすることだった。

『義経千本桜』2段目「渡海屋」  義経一行が、船問屋・渡海屋銀平のもとに身を寄せ、船出の日和(ひより)待ちをする。北条の家来・相模の五郎主従が来て、「義経征討のため船を貸せ」と言うが、銀平は「先客もあるゆえそれはできぬ」と断り、争った末に相模の五郎たちを追い払う(*→〔漢字〕3)。実は銀平は平知盛、相模の五郎はその手下で、彼らは芝居をして、義経が銀平を味方と思うよう仕組んだのだった。

*友達どうしである赤おにと青おにが、けんかのふりをする→〔鬼〕8の『泣いた赤おに』(浜田広介)。

*免罪符売りと警吏が、対立するふりをする→〔守り札〕5の『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』第5話。

★2.二人が共謀して、欲深な人間から金をだまし取る。

『ぐるでだます』(日本の昔話)  旅の男Aが「雄の三毛猫がいたら高値で買いたいので、入手してほしい」と言って、手付金十両を、金持ちの婆に渡す。翌日、Aの仲間であるBが、雄の三毛猫を四十両で売りに来る。婆は四十両をBに払って猫を買い、それをもっと高くAに売ろうと考える。ところがいくら待ってもAはやって来ない。婆は十両を得て四十両を失った。

*架空の五千ドルを当てにして、八百ドルを失う→〔売買のいかさま〕4の『豚の教え』(O・ヘンリー)。

*架空の三百万円を当てにして、八十万円を失う→〔結婚〕8の『支払いすぎた縁談』(松本清張)。

『耳袋』巻之9「多欲の人かたりに逢ひし事」  男が菓子商人の店で饅頭二百文を買い求め、「代金を忘れたので取って来る」と言って、脇差しをカタに置いて去る。その後に、侍が菓子折を注文しに来てその脇差に目を止め、「これは百両もする名刀だ」と商人に教える。商人は欲にかられ、饅頭の代金を持って来た男に三十両を支払って、脇差しを買い取る。実は、男と侍は仲間だった。二人は、安価な脇差しを高く売りつけるべく芝居をしたのである〔*『半七捕物帳』(岡本綺堂)「仮面(めん)」が、道具屋の古面を巡って、途中までこれと同様の展開をする〕。

★3.殺す側と殺される側が共謀し、暗殺事件を作り上げる。

『裏切り者と英雄のテーマ』(ボルヘス)  革命の指導者キルパトリックが裏切り行為をして、同志たちから死刑を宣告された。しかしキルパトリックの卑劣さが外部に知られると、革命運動そのものが挫折するので、「英雄キルパトリックが暗殺者の銃弾に倒れる」という筋書きを作り、大勢がそれを演じる。キルパトリックも、自らの死を栄光あるものにするため熱心に演技し、筋書きどおりに殺される。

★4.十二人が共謀して演技をする。

『オリエント急行殺人事件』(クリスティ)  極悪人カセティがアームストロング家の幼女を誘拐して殺し、その両親をも死にいたらしめるが、証拠不十分で釈放された。アームストロング家の縁者十二人が復讐を誓い、名前を偽り職業を変えて、カセティが乗るオリエント急行の寝台車に偶然乗り合わせたようによそおう。十二人は短剣でカセティを一刺しずつ刺して殺し、互いのアリバイを証明し合う。

★5a.茶番。仲間どうしが示し合わせ、大勢の人がいる所で仇討ちや身投げなどの騒ぎを起こし、最後にオチをつけて、「何だ。芝居だったのか」と皆を驚かせ面白がらせる趣向。江戸時代後期に流行した。

『花暦八笑人』(瀧亭鯉丈)初篇1〜2  遊び人たちが、人殺しの浪人・仇討ちの巡礼・旅の六部(修行者)などの扮装をして、花見客でにぎわう飛鳥山へ行く。浪人と巡礼が斬り合い、そこへ六部が仲裁に入って、笈の中から酒や肴を出す。皆は仲良く酒盛りをして花見客を驚かす、という趣向である。ところが六部の来るのが遅れ、おまけに本物の武士が現れて巡礼に助太刀する。浪人も巡礼も逃げ出し、茶番は失敗に終わる。

『花見の仇討ち』(落語)  遊び仲間たちが上野の花見に繰り出して、仇討ちの茶番を演じる。ところが仲裁の六部が来る前に、本物の武士が現れて助太刀を申し出るので、敵(かたき)役の浪人はもとより、仇を討つはずの巡礼も、こわがって逃げる。武士が巡礼に「逃げるには及ばぬ。勝負は五分(ごぶ)と見えたぞ」と呼びかけると、巡礼は「肝心の六部が見えませぬ」。

★5b.仇討ちの茶番を利用して、人を殺す。

『銭形平次捕物控』(野村胡堂)「花見の仇討」  商家の若主人と仲間たちが、花見時の飛鳥山で仇討ちの茶番(*→〔共謀〕5aの『花暦八笑人』など)を演じる。若主人に恨みを抱く者がこれを利用し、敵(かたき)役の虚無僧姿になり、天蓋で顔を隠して、巡礼役の若主人を斬り殺す。犯人は茶店の娘で、犯行後、父親の茶店に身を隠して着替えた。 

*素人芝居を利用して、人を殺す→〔芝居〕5bの『半七捕物帳』(岡本綺堂)「勘平の死」。

 

 

【巨人】

★1.英雄が巨人と一騎討ちする。

『サムエル記』上・第17章  背丈六アンマ(キュビト)半の巨人ゴリアト(ゴリアテ)と、少年ダビデとが一騎討ちをする。ダビデは、石投げ紐で小石を飛ばし、ゴリアトの額にめりこませて倒す。ダビデは、ゴリアトの剣で彼の首をはねる。

『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)  トリスタンは、巨人モロルトと海上の小島で試合をする。彼は毒剣で傷つきながらも巨人を打ち倒す。トリスタンの剣のきっさきは、モロルトの頭蓋骨の中に残った(第10章)。またトリスタンは、貢ぎ物を要求する巨人ウルガーンと戦い、その片手を切り落とし両眼を潰して、橋から突き落とした(第25章)。

『ドン・キホーテ』(セルバンテス)前編第8章  野原に三〜四十立ち並ぶ風車を見て、ドン・キホーテは「長い腕の巨人どもがいる。きゃつらと一戦交えて皆殺しにしてやろう」と言う。サンチョ・パンサが「あれは風車で、腕に見えるのは風車の翼だ」と教えるが、ドン・キホーテは愛馬ロシナンテを走らせ、槍で突きかかる。風が吹いて翼が回り、ドン・キホーテはロシナンテもろとも、はじき飛ばされる。

★2.巨人の国を訪れる。

『ガリヴァー旅行記』(スウィフト)第2篇  「私(ガリヴァー)」は小人国から帰った後、再び航海に出て、一七〇三年六月十六日、身の丈六十フィート以上の巨人たちが住むブロブディンナグ国に漂着した。「私」は巨人たちの見世物にされた後、王妃に気に入られて宮廷のペットになった。二年余りたったある日、「私」は箱に入ったまま鷲にさらわれ、海に落とされた。さいわい英国船に救助され、「私」は帰国した。

『ギュルヴィたぶらかし(ギュルヴィの惑わし)(スノリ)第44〜47章  トールとロキと二人の召使が、巨人の国ヨトゥンヘイムを訪れる。彼らは巨人王ウートガルザ=ロキに対面して、王の側近と肉の食べくらべ、競走、相撲をし、海に通ずる杯で酒を飲み、ミズガルズ蛇の化身である重い猫を持ち上げる。

『今昔物語集』巻3−3  目連尊者が三千大世界を飛び越え、さらにその西方の無数の国土を過ぎて、ある仏(釈尊とは別の仏)の世界に到った。飛び疲れた目連は、仏の弟子僧の持つ鉢の縁に乗って、身体を休める。僧たちは「僧に似た虫が、鉢にとまっている」と言って面白がった。この世界の仏が「この人は、東方娑婆世界におわす釈迦牟尼仏の弟子・目連だ」と教えた。

『風流志道軒伝』巻之3  浅之進(志道軒)は、風来仙人から得た羽扇の上に坐して海を渡り、身長二丈余りの巨人たちの住む島へ着く。彼はそこで見せ物にされたので、羽扇を使って空を飛び、脱出する。

★3.城に住む巨人。

『天路歴程』(バニヤン)  巡礼の旅をするクリスチャンとホウプフルが、「疑惑の城」に住む巨人ディスペーアに捕らえられ、土牢に入れられる。しかしクリスチャンは、「プロミス」という鍵で牢の戸と城門を開けて脱出し、目的地である天の都にいたる(第1部)。後、クリスチャンの妻クリスティアナが夫のあとを追って、子供たちとともに旅に出る。同行するグレートハートが、巨人ディスペーアの首を斬って退治し、「疑惑の城」を取り壊す。クリスティアナたちも、やがて一人ずつ天の都に召される(第2部)。

★4a.巨人の身体から世界ができる。

『ギュルヴィたぶらかし(ギュルヴィの惑わし)(スノリ)第7〜8章  オーディンたちが巨人ユミルを殺した。彼らはユミルの肉から大地を、血から海を、骨から岩石を、頭蓋骨から天を作った〔*睫毛は砦となった〕→〔眉毛・睫毛〕7

『述異記』(祖冲之)  昔、巨人盤古が死ぬと、その頭は四岳になり、二つの眼は太陽と月になった。脂膏(あぶら)は流れて川や海になった。髪の毛は草や木になった。

『変身物語』(オヴィディウス)巻4  ペルセウスが巨人アトラスにメドゥサの首を突きつけると、アトラスは山に変わった。ひげと髪が木々に、肩と手が尾根に、頭が山頂に、骨は石になり、全天空が無数の星々とともにアトラスの上に乗った。

『リグ・ヴェーダ』「原人讃歌」  原人プルシャは千頭・千眼・千足を有していた。神々がプルシャを犠牲獣として祭祀を行なった時、プルシャから馬・牛・山羊・羊などが生じ、身体を分割すると、四つのカーストが生じた。さらに意から月が、眼から太陽が、口からインドラとアグニが、息から風が、臍から空界が、頭から天界が、両足から大地が、耳から方位が生じた。

*巨人の成長とともに天地が分かれる→〔天地〕3aの『三五歴紀』。

★4b.巨人の身体の破片が、害虫や雑草になる。

『月の女神をほしがった巨人』(インドネシアの昔話)  巨人カララウが月の女神を呑もうとするので、ウィスヌ神が弓でカララウの首を射る。頭と胴体が離れ、胴体は地上に落ちて、こなごなに砕け散る。その破片は、作物の害虫や雑草になった。 

★5a.日本古代の巨人。

『常陸国風土記』那賀の郡  遠い昔。たいそう背の高い人がいて、身体は丘の上にすわっていながら、手で海辺の大蛤をほじくって食べるほどだった。その人の足跡は、長さ四十余歩(七十メートル余り)、幅二十余歩であった。

*巨人の足跡→〔足跡〕3の『史記』「周本紀」第4など。

★5b.巨人伝説の起源は、膨張した溺死体だったかもしれない。

『巨人の磯』(松本清張)  秋の夜。法医学者の清水は常陸の大洗海岸で、普通の人間の三倍くらいもある巨大な溺死体を発見した。臓器内の腐敗物からガスが発生し、異常に膨れ上がったのである。『常陸風土記』の巨人伝説は、そのような溺死体を見た古代人の恐怖から生まれたのかもしれない、と清水は考えた〔*溺死体は殺害されたものだった。犯人は殺害日時をごまかすために、死体を風呂の湯で煮てから海へ棄てたのだ〕。

★6.巨人(神)が地形を変える。

『捜神記』巻13−2(通巻320話)  華山と嶽山は、もとは一つの山であり、黄河は山の回りを曲がって流れていた。黄河の神の巨霊が手で頂上を引き裂き、山を真っ二つに分けて、川が流れやすいようにした。

『播磨国風土記』揖保の郡美奈志川  石龍比古命(いはたつひこのみこと)と、その妻石龍比売命(いはたつひめのみこと)が、川の水をそれぞれ自分の村に引こうと、争った。夫の神は、山の峰を足で踏み崩して、水を北へ流した。妻の神は、櫛で流水を塞ぎ、水路を南へ変えた。

★7.人を驚かす大入道。

『遠野物語拾遺』170  ノリコシという化け物は、影法師のようなものだ。最初は小坊主の姿で現れるが、はっきりしないのでよく見ると、そのたびにめきめきと丈(たけ)がのびて、ついには見上げるまでに大きくなる。だからノリコシが現れたら、はじめに頭部を見て、だんだんに下へ見下ろして行けば、消えてしまう。 

『妖怪談義』(柳田国男)「妖怪名彙(ミアゲニュウドウ)」  佐渡では、夜中に小坂道を登って行く時に、しばしば「見上げ入道」が出る。はじめは小坊主のような形で行く手に立ち塞がり、「おや」と思って見上げると高くなる。だんだん高くなるので、見続けるうちに後ろへ仰向けに倒れてしまう。これに気づいたら、「見上げ入道見越した」という呪文を唱えて前に伏せば、見上げ入道は消え去る。 

 

 

【去勢】

★1.自らを去勢する。 

『閹人あるいは無実のあかし』(澁澤龍彦)  シリア王が「妃ストラトニケーの長旅の護衛をせよ」と、美男のコムバボスに命ずる。コムバボスは「旅中の王妃と私の仲を、王は必ず疑うだろう。旅から帰ったら、私は殺されるだろう」と恐れ、旅に出る前に自らを去勢してしまった(*→〔箱の中身〕2a)。別伝では、コムバボスと王妃は関係を持とうとした。緊張の余りコムバボスは勃起しなかったので、彼は恥じて刃物で性器を切断したのだという。

*同様の状況で、美女のばあいは自分の顔を焼く→〔火傷(やけど)〕2の『夏祭浪花鑑』「釣舟三ぶ内の場」。

『肉蒲団』(李漁)  未央生(びおうせい)は、三年間女色を漁った後に(*→〔ふとん〕5)、心を改め、孤峯和尚の寺へ入って出家し、僧「頑石」となる。しかし、昼間は念仏観経(かんきん)に気がまぎれても、夜になると下半身が黙っていない。ある夜、彼は思い切って、菜切包丁で自ら性器を切り落とす。以後は慾念も絶え、道心は堅く、二十年後には立派な正果(さとり)を得て遷化した。

★2.父親が、息子の手で去勢される。 

『聊斎志異』巻9−347「単父宰」  五十歳過ぎの男が、若い後妻をめとった。男の息子二人が、「これ以上子供が生まれないようにしよう」と考え、父親が酔ったのに乗じて、睾丸を割き、薬でくっつけておく。父親はそのことに気づいたが、黙っていた。やがて傷が治ったので、父親は閨房に入る。傷口が口を開け、出血が止まらず、父親は死んだ。

★3.敵によって去勢される。 

『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』第1書簡「厄災の記」  神学者の「私(アベラール)」は教え子のエロイーズと恋愛関係になり、エロイーズは妊娠して男児を産んだ。「私」たちは、結婚したことを内密にしておきたいと考え、男児を「私」の妹に預けて、エロイーズを修道院へ入れる。エロイーズの親族たちは怒り、「私」の召使いを買収して、残酷な仕打ちをする。「私」は就寝中に、召使いの手で去勢されたのである。

★4.刑罰としての去勢。

『史記』「太史公自序」第70  『史記』の編纂に着手して七年目、太史公・司馬遷は、敗軍の将・李陵を弁護したために武帝の怒りをかい、宮刑に処せられた。司馬遷は、「昔、孔子は陳・蔡の間に困苦して『春秋』を作り、屈原は放逐されて『離騒』を著した。人は皆、心に鬱結するところがあるゆえに、往時を述べて未来を思うのだ」と考えて奮起し、『史記』百三十篇、五十二万六千五百字を完成させた。 

★5.密通の現場をおさえられ、去勢される。

『パルチヴァール』(エッシェンバハ)第13巻  魔法の城の主クリンショルは、かつてジチリエ(シシリー島)のイーベルト王の妃イーブリスに奉仕し、彼女の愛を得た。ある時クリンショルは、王妃の腕に抱かれて眠っているところを、イーベルト王に見られてしまった。王はクリンショルの性器を切り取り、彼の股間を平らにした〔*女性を楽しませることが不可能になったクリンショルは、その後、魔法を学び、大勢の騎士や貴婦人を捕らえて城に監禁した〕。

★6.カストラート(去勢歌手)。

『サラジーヌ』(バルザック)  天才的彫刻家サラジーヌは、美貌のプリマドンナ、ラ・ザンビネッラを恋し、結婚したいと願う。しかしラ・ザンビネッラは女ではなく、カストラート(去勢歌手)だった。それを知ったサラジーヌは、剣を抜いてラ・ザンビネッラを斬ろうとするが、逆に、ラ・ザンビネッラのパトロン、チコニャーラ枢機卿が放った刺客によって殺されてしまう。ラ・ザンビネッラは後に巨富を得、痩せた小柄な老人となっても社交界に出入りしていた。 

 

※去勢され、殺される→〔アイデンティティ〕7の『八月の光』(フォークナー)。 

※人間を皆去勢してしまえば、世界は平和になる→〔無性の人〕2の『人間ども集まれ!』(手塚治虫)

 

 

【切れぬ木】

★1.斧で切ろうとしても切れない木。

『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)  逢坂山の関守・関兵衛の正体は、大悪人・大伴黒主であった。冬の夜、彼は盃に映る星影を見て、「今宵、墨染桜を切って護摩木となし、班足太子の塚の神を祀れば、天下を取れる」と悟る。彼は大斧で墨染桜の木を切ろうとするが、墨染桜の精に妨げられ、切ることができない。木の中から現れた墨染桜の精は、桜の一枝を武器とし、大伴黒主は大斧をふりまわして、激しく戦う。

*切っても傷口がふさがってしまう木→〔繰り返し〕1の『酉陽雑俎』巻1−33。

★2.切れぬ木を切り倒す。

『捜神記』巻18−3(通巻415話)  大勢の人夫が何日かけても切れない木がある。妖怪と木の精が「被髪した三百人の人夫が赤い着物を着て、赤糸を木に巻き灰を塗れば、切れる」と話し合うのを、ある人が耳にし、その通りにすると木は倒れた。

『捜神記』巻18−5(通巻417話)  張叔高が、田の中の大木を小作人に切らせる。斧を入れると、赤い液が六〜七斗も流れ出たので、小作人は逃げ帰る。叔高自らが行って木を切ると、やはり血が流れ出たが、叔高はかまわず枝を払い、現れた妖怪数匹を殺して、ついに木を切り倒した。

*木の下に立って、木を切る方法を聞く→〔立ち聞き(盗み聞き)〕1の『今昔物語集』巻11−22。

★3.切ってはならぬ木を切ったために、死ぬ。

『三国志演義』第78回  曹操が宮殿の梁とするために、人夫たちに命じて梨の巨木を切らせるが、鋸も引けず、斧も入らない。曹操自らが剣で切りつけると、血が彼の全身にそそぎかかった。木の神のたたりで曹操は激しい頭痛を病み、それがもとで死んだ。

『煤煙』(森田草平)3  要吉の祖父は、岐阜の某村の庄屋だった。祖父は若い頃、血気にまかせて、斎藤道三のたたりがあるという「道三松」を伐り倒した。すると切り口から血が噴き出し、祖父はその場に卒倒した。四十日余り病んだ末に、祖父は三十一歳で死んだ。

★4.移転・移植できぬ木。

人喰い松の伝説  昭和五年(1930)、渋谷の神宮通りにある松の木を、区画整理のため近くへ移転させる計画が起こった。ところが、推進者の一人は移転地相談の夜に転んで肋骨を折り、移転の発起人もまた罹病した。その前後、木の枝を切った一家七名が死亡したり、木に悪戯した数人が病気や怪我をしたので、「人喰い松」と呼んで大騒ぎになった。町民が供養し、木は翌年無事移転した(東京都渋谷区)。

★5.切り倒しても動かぬ木。

あこやの松の伝説  千歳山の麓に住むあこや姫のもとに、毎夜、「名取左衛門太郎」と名のる青年が訪れる。ある時、青年は「自分の正体は千歳山の老松である」と打ち明けて、別れを告げる。老松は名取川架橋のために切り倒され、多数の人馬が引いても動かない。あこや姫が松に手をかけると、ようやく動き出した(山形県山形市)。

『三国伝記』巻7−27  千手観音像を彫るべき霊木を運ぶ途中、惣持寺のあたりで動かなくなった。山蔭中納言が霊木に、「此処に跡を垂れんと欲するならば、願わくは軽く挙るべし」と語りかけると、木はもとどおり軽く挙った。

『三十三間堂棟由来』  柳の木の精であるお柳は平太郎の妻となって、一子みどり丸を得た。しかし、みどり丸が五歳の時、柳の木は三十三間堂の棟木とするために切り倒され、お柳は姿を消してしまう。人夫たちが柳の木に綱をかけて引くが一向に動かず、みどり丸が引くと木は動き出す。

★6.役立たずゆえ切られない木。散木。

『荘子』「人間世篇」第4  大工の棟梁の石が斉の国で、幹が百かかえもあるほどの巨木を見たが、そのまま通り過ぎる。弟子が「立派な材木だ」と言うと、石は「あれで舟を造れば沈むし、柱にすれば虫がわく。使い道のない木だからこそ、あんな大木になるまで長生きできたのだ」と教える。

『荘子』「山木篇」第20  荘子が山中で、枝葉の繁った大木を見る。樵夫がその傍らで立ち止まるが、「使いようがない」と言って伐採しない。荘子は「この木は役立たずゆえ、天寿を全うできるのだ」と言う。

 

 

【金(きん)】

★1.動物が黄金を排泄する。

『太平広記』巻434所引『湘中記』  農夫が牛を連れて、漁夫の渡し船に乗る。牛が船中に糞をし、農夫は「これが渡し賃だ」と言って去る。漁夫は怒って糞を川に棄てるが、すべて棄て終わろうとした時、それが黄金であることに気づいた。

*馬が毎日黄金一粒を排泄する→〔山の起源〕3の『沼の主のつかい』(日本の昔話)。

*動物や鳥が金貨を出す→〔金貨〕1aの『ろばの皮』(ペロー)、→〔金貨〕1bの『ペンタメローネ』(バジーレ)第5日第1話。 

*石牛が金を排泄するように見せかける→〔像〕11の『十訓抄』第7−26。  

*鳥が金の卵を産む→〔卵〕2の『イソップ寓話集』(岩波文庫版)87「金の卵を生む鵞鳥」など。

★2.「金を排泄する」と称する馬。

『金(かね)ひり馬』(日本の昔話)  知恵者の吉五が「この馬は毎日金(きん)の糞をする」と言って、百姓に高く売りつける。百姓は麦や大豆や唐黍の餌を馬に与えるが、普通の糞をするだけなので、吉五に文句を言う。吉五は「金が欲しいなら、金を食わせなければならない」と答える(熊本県阿蘇郡小国町)。

★3.槌や棒で、子供や僧を撃つと、黄金に変ずる。

『太平広記』巻401所引『稽神録』  建安の某の下僕の少年が、町へ使いに行く途中に塚を通ると、いつも黄衣の小児が現れて相撲を挑む。これを聞いた某は、草中に隠れ、黄衣の小児が出て来るところを槌で撃つ。小児は黄金に変わり、某の家は金持ちになった。

『パンチャタントラ』第5巻第1話  破産した男が、「断食して死のう」と思いつめる。男の夢に、宝の神が修行僧の姿で現れ、「明朝、私はこの姿で汝の家を訪れるから、棍棒で私の頭を撃て。私は黄金に変じて、汝のもとにとどまるであろう」と告げる。翌朝、夢で見た修行僧が訪れたので、男は棍棒で彼の頭を叩く。僧は黄金に変じて倒れた〔*これを見た床屋が真似をして、大勢の僧を棍棒で撃ち、捕えられ処刑された〕。

*死骸が黄金に変ずる→〔死体〕1aの『今昔物語集』巻16−29、→〔死体〕1bの『今昔物語集』巻2−12、→〔宿を請う〕3の『大歳の客』(日本の昔話)。 

★4.人間の女が黄金を産む。

『今昔物語集』巻17−44  貧しい僧が、道で出会った童と親しむが、意外にも童は女であった。女は身ごもり、大きな枕ほどの黄金を産んで僧に与え、姿を消した。僧は、「日頃信仰する鞍馬の毘沙門天のお助けだ」と思って、黄金を少しずつ破(わ)って使い、裕福に暮らした→〔名付け〕13

『悲哀』(星新一『たくさんのタブー』)  優しい夫に愛される幸せな女性がいた。彼女は身重になり、出産の日を迎える。生まれたのは人間の赤ん坊ではなく、黄金の塊だった。これまでも、いつもそうだったのだ。彼女は目から大粒の涙を流す。それはたちまちダイヤモンドになった。

★5a.金粉を女の全身に塗る。

『ゴールドフィンガー』(ハミルトン)  ゴールドフィンガーは金塊の密輸等の悪事をはたらき、巨富を得ていた。彼の手先であった美女ジルを、ジェイムズ・ボンド(演ずるのはショーン・コネリー)が誘惑する。ジルはボンドとベッドをともにして、ゴールドフィンガーを裏切ったため、全身に金粉を塗られる。彼女は皮膚呼吸ができず、金色の死体と化して、ベッド上に放置された。

★5b.金箔を女の全身に貼る。

『銭形平次捕物控』(野村胡堂)「金色(こんじき)の処女(おとめ)」  将軍家光に怨みを抱く男が、欧州渡来の悪魔を祭る呪法を行なって、家光を殺そうとたくらむ。全身に金箔を置いた処女を、悪魔へのいけにえとして捧げるため、男は江戸市中の美女を何人もさらう。水茶屋の看板娘お静も捕らわれ、金色の処女と化すが、銭形平次が彼女を救い出した〔*銭形平次シリーズの第1作。お静は平次の妻となる〕。

★5c.金箔を男の全身に貼る。

『金色の死』(谷崎潤一郎)  財産家で美男の岡村君は、「すべての芸術は人間の肉体美から始まる」と主張し、理想の芸術の天国を造り上げて、友人の「私」を招く。十日間続いた饗宴の最後の晩には、大勢の美男美女が羅漢や菩薩や悪鬼や羅刹の装いをし、岡村君自身は満身に金箔を塗抹して、如来の尊容を現じた。ところが彼は金箔のために、体中の毛孔を塞がれて死んでしまう。羅漢や菩薩や悪鬼や羅刹が金色の死体の下に跪いて泣く光景は、そのまま一幅の大涅槃図だった。

★6.金箔に、刻印のごとき文字が現れる。

『宇治拾遺物語』巻2−4  金箔打ちの職人が、御嶽(みたけ。金峰山)から金のかたまりを取って来て、七〜八千枚もの金箔を打ち出した。「検非違使が仏像を造るために金箔を求めている」と聞いて売りに行くが、検非違使の前で金箔を並べると、一枚一枚すべてに、小さな文字で「金の御嶽」と書かれていた。金箔打ちの職人は罰せられ、牢獄に入れられて、死んでしまった。

*小判に刻印が打ってあり、盗んだ金だとわかってしまう→〔金貨〕7の『梅若礼三郎』(落語)。

★7.黄金の巨大どくろ。

『怪奇四十面相』(江戸川乱歩)「どくろの秘密」「暗号解読」〜「大どくろ」  幕末の頃。大阪の大金持ち・黒井惣右衛門が、何千枚もの黄金の延べ板を、和歌山県沖のどくろ島に隠した。隠すといっても、延べ板をつなぎ合わせて巨大などくろの形を作り、洞窟の岩壁に貼りつけておいたのである。洞窟に入る者は皆、どくろを「恐ろしい化け物だ」と思って逃げ帰り、黄金は無事であった。四十面相(*→〔顔〕9)が黄金を手に入れようとするが、明智小五郎が阻止した。

 

※金鉱さがし→〔宝さがし〕2の『黄金狂時代』(チャップリン)など。

 

 

【金貨】

 *関連項目→〔金〕〔硬貨〕〔紙幣〕〔紙銭〕

★1a.動物が金貨を排泄する。

『ろばの皮』(ペロー)  ある国の王の厩舎に飼われている一頭のろばは、決して汚物をたれ流さず、その代わりに金貨をひねり出した〔*王は、自分の娘である王女との結婚を望み、ろばを殺して、その皮を王女に与える(*→〔難題求婚〕3)。王女はろばの皮をかぶって城を逃げ出し、農家の下女となり、やがて他国の王子と結婚する〕。

★1b.鳥が金貨を産む。

『ペンタメローネ』(バジーレ)第5日第1話  貧しい姉妹が買った鵞鳥が、多くの金貨を産んだ。隣人が鵞鳥を借りて金貨を産ませようとするが、産まないので、鵞鳥を絞め殺して捨てる。しかし鵞鳥は死なず、そこに来た王子に噛みつく。これがきっかけで王子は妹娘と結婚し、姉娘も金持ちと結婚した。

*鳥が金の卵を産む→〔卵〕2の『イソップ寓話集』(岩波文庫版)87「金の卵を生む鵞鳥」など。

*黄金の鳥の心臓・肝臓を食べたため、毎朝枕の下から金貨が見つかる→〔枕〕5の『二人兄弟』(グリム)KHM60。

*少童が臍から金の小粒を出す→〔へそ〕2の『火男の話』(日本の昔話)。

★2.人間の口から金貨が出る。

『森の中の三人の小人』(グリム)KHM13  雪の中、継母の言いつけで山いちごを取りに出かけた娘が、森で三人の小人に出会う。持っていた固パンを小人たちに分けてやると、小人たちは、お礼に、娘が一言しゃべるたびに口から金貨が出るようにしてくれる。

★3.全身で金貨に触れる。

『ローマ皇帝伝』(スエトニウス)第4巻「カリグラ」  皇帝カリグラは、「お金(かね)に触れたい」との強い欲求を持っていた。彼は晩年、たびたび無数の金貨を山と積み、広々とした場所にばらまいて、その上を裸足で散歩した。また、金貨の上を全身で転げ廻ることもあった。 

*身体に触れるものがすべて黄金になる→〔願い事〕3の『変身物語』巻11(ミダス王)。

★4.金貨だと思ったら、黄色の銅貨にすぎなかった。

『金貨』(森鴎外)  左官の八は軍人の家へ盗みに入り、珍しい西洋貨幣を七〜八枚取った。それは、軍人が洋行した時に集めたものだった。金色燦然たる大きな貨幣が一枚あり、八はそれを「貴重な金貨だ」と思って喜んだが、実際は安い銅貨にすぎなかった。八はあっさり捕まり、軍人は八が何も知らないのをおかしがって、放免してやった。

*金貨の代わりの黄色いトマト→〔にせ金〕5の『黄いろのトマト』(宮沢賢治)。

★5.小判だと思ったら、砂利だった。

『とっこべとら子』(宮沢賢治)  慾ふかの金貸し六平じいさんが、ある晩、酔って町から帰る途中の川岸で、金襴の裃(かみしも)の侍に呼び止められる。侍は、ぎらぎら輝く小判の詰まった千両函を十個、六平に預けたい、と言う。六平は大喜びで十の千両函を背負い、よろよろと家まで帰る。娘が「あれまあ、父さん。そったに砂利しょて何しただす」と言うので、六平が見ると、それは土手の普請の十の砂利俵だった〔*川岸に住む「とっこべとら子」という狐が、侍に化けたのだった〕。

★6.握り飯の中の小判。

『山の神とほうき神』(日本の昔話)  神々が集まって、生まれる子供の運命を見きわめ、縁結びをする。貧運の男が福運の女と夫婦になるが、やがて別れる。男は乞食同然に落ちぶれ、富裕な身となった女(もとの妻)の屋敷を訪れる。女は握り飯の中に小判を入れて、男に与える。男はそんなことは知らず、帰り道で沼の鴨を捕ろうとして、握り飯を投げつけた(岩手県下閉伊郡)。

*衣の中に宝玉があることを知らない→〔玉(珠)〕2の『法華経』「五百弟子受記品」第8。

★7.小判の刻印。

『梅若礼三郎』(落語)  病気の亭主をやしなう貞女「おかの」に、武家姿の盗賊・梅若礼三郎が九両二分の大金を与える。しかしそれは、金持ち三右衛門の屋敷から盗んだ六百七十両の一部だったので、小判に「丸に三」の刻印(こっくい)があった。「おかの」は盗賊の仲間と見なされ、取調べを受ける。「おかの」は、「あの御武家様に迷惑がかかっては、恩を仇で返すことになる」と思い、武家の人相を問われても言わない。町の噂でそのことを聞いた梅若礼三郎は、奉行所へ自ら出頭する。

*金箔に、刻印のごとき文字が現れる→〔金(きん)〕6の『宇治拾遺物語』巻2−4。

*紙幣のナンバーが記録されており、盗んだ金だとわかってしまう→〔紙幣〕1aの『蘇える金狼』(村川透)。

★8.小判の紛失。

『西鶴諸国ばなし』巻1−3「大晦日はあはぬ算用」  主(あるじ)が客たちに見せた十両のうち、一両が紛失した。客の一人がひそかに自分の小判を出してその場をおさめようとするが、その直後に一両が見つかったため、全部で十一両になってしまう。主は、庭の手水鉢の上に一両を置き、客を一人ずつ帰らせて、余人に知れぬように一両が持ち主にもどるべくはからった。

 

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