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【恩知らず】

★1.動物が、人間から受けた恩を仇で返す。

『イソップ寓話集』(岩波文庫版)176「旅人と蝮」  冬、凍えて死にかけた蝮を旅人が見つけ、可哀想に思い、懐に入れてあたためてやった。蝮は体があたたまると動き出し、旅人の腹をかんで殺した。

『ジャータカ』第43話  苦行者が毒蛇の子供をかわいがり、自分の息子のようにして育てる。ボーディサッタが「毒蛇は信用ならない」と忠告しても、聞き入れない。苦行者は二〜三日留守にして帰り、毒蛇に餌を与えようと手をさしのべる。空腹だった毒蛇は怒ってその手にかみつき、苦行者を殺した。

*狼が恩人を食い殺す→〔狼〕6bの『狼』(中国の昔話)。

★2.人間が、動物から受けた恩を仇で返す。

『カター・サリット・サーガラ』「『ブリハット・カター』因縁譚」  王子ヒラニヤグプタが、森の樹に登って一夜を過ごす。熊が獅子を怖れて樹に登り、王子に「君は友人だ。君を傷つけたりはしない」と約束する。獅子が下から「熊よ、人間を落とせ」と要求するが、熊は断る。熊が眠った後に、獅子が再び来て、今度は王子に「人間よ、熊を落とせ」と要求する。王子は熊を落とそうとする。熊は目を覚まして王子を呪い、王子は狂人になる。

*人間が、恩を受けた熊を殺す→〔熊〕2bの『奇談異聞辞典』(柴田宵曲)「熊の窟」。

『今昔物語集』巻5−18  天竺の深山に隠れ住む九色の鹿が、川で溺れる男を救う。男が「どのようにしてこの恩に報いたらよいか」と感謝すると、鹿は「この山に私がいることを人に語るな」と言う。しかし男は褒賞欲しさに、鹿の存在を国王に知らせ、国王は鹿を捕らえる〔*『宇治拾遺物語』巻7−1の類話では、五色の鹿〕→〔夢で見た人〕4

★3.動物の、動物に対する忘恩。 

『イソップ寓話集』(岩波文庫版)156「狼と鷺」  鷺が狼の喉に首をつっこんで、ささった骨を抜いてやった。鷺がその返礼を求めると、狼は「狼の口から無事に首を引き出せたことだけで満足すべきだ」と言った。

★4.人間の、人間に対する忘恩。

『今昔物語集』巻5−19  洪水で川を流される亀と蛇と狐と人間を(*→〔亀〕4)、男が船に助け上げる。動物たちは、墓(つか)の中の財宝を男に与えて、恩を返す。人間は男に「財宝を半分よこせ」と要求し、ことわられると、「男は墓荒らしだ」と国王に訴え出る。男は投獄されるが、動物たちが牢から助け出してくれた。

『ジャータカ』第73話  洪水で川を流される王子・蛇・鼠・オウムを、苦行者ボーディサッタが救う。蛇・鼠・オウムは、命の恩人であるボーディサッタに、多くの財産を提供するが、王子は即位してからボーディサッタを処刑しようとする。ボーディサッタは一部始終を町の人々に語り、人々は王を殺してボーディサッタを新王とする。

★5.恩知らずのように見えて、実は恩返しをしていた。

『淮南子』「人間訓」第18  陽虎が魯国で乱を起こし、捕らわれそうになったので、自刃を覚悟する。門衛の一人が陽虎に情けをかけ、混乱に乗じて城門から脱出させる。ところが、陽虎は戈(ほこ)でその門衛を突いて重傷を負わせ、逃げて行った。門衛は、陽虎の忘恩を怨む。後に魯君が、城門の門衛たちを重く罰する。しかし、陽虎の戈で傷を負った門衛には、大賞を与えた。 

★6.恩返しの心が、やがて恩知らずの心に変わる。

『千一夜物語』「漁師と鬼神との物語」マルドリュス版第3夜  千八百年もの間、壺に閉じ込められている鬼神(イフリート)がいた。最初の百年、鬼神は、「俺を助け出してくれる者には、永久の富を授けてやろう」と思った。次の百年は、「地上のあらゆる宝物を与えてやろう」と思った。四百年過ぎた時には、「三つの願いを叶えてやろう」と考えた。だが、誰も救い出してくれない。鬼神は腹をたて、「今となっては、俺を救い出す奴を殺してやろう」と、心に誓った。

 

 

【温泉】

 *関連項目→〔風呂〕

★1.温泉発見。鳥獣に教えられたり、夢告を得たりして温泉を見出す。

小野川温泉の伝説  小野小町が、行方不明の父を捜して旅に出るが、途中で病気になった。夢に薬師如来が現れて「吾妻川の岸に温泉が湧き出ており、そこに浴すれば病気が治り、父にも会えるだろう」と告げる。小町は夢告にしたがって病気を治し、父と再会する(山形県米沢市三沢)。

鹿教湯(かけゆ)温泉の伝説  矢傷を受けた鹿が山中の水たまりに入り、たちまち回復して走り去る。猟師が行って見るとそれは温泉であり、鹿が教えてくれた湯なので、鹿教湯(かけゆ)と称するようになった。この鹿は、文殊菩薩の化身だったという(長野県小県郡丸子町西内)。

四万温泉縁起  碓井定光が日向見のあたりを通る時、夜になったので石に腰かけて眠った。すると夢に童子が現れて、「四万の病を治す湯を授ける」と告げる。目覚めると、傍らに湯が湧いていた(群馬県吾妻郡中之条町四万)。

白鷺と山中温泉の伝説  後白河院の代のこと。能登の地頭長谷部信連が狩りに出かけ、白鷺が芦のしげみに入り、傷ついた足を洗うのを見て、温泉が湧き出ているのを知った。この白鷺にちなんで、山中温泉を別名「白鷺の湯」ともよぶ(石川県江沼郡山中町)。

★2.温泉の功徳。温泉に入って死者が蘇生する・病者が回復する。

足立山の伝説  道鏡のために足を傷つけられ歩けなくなった和気清麿は、宇佐八幡宮で「ここより二十里北の山裾の湯に、二十一日浸れば足が治る」とのお告げを得る。神の使いの猪に乗って、清麿は山の麓の湯に行き、二十一日目に自分の足で立てるようになった。以来、そこを足立山と呼ぶ(福岡県北九州市小倉北区)。

『伊予国風土記』湯の郡(逸文)  オホナモチは、死んだスクナヒコナを活かすために、大分の速見の湯を地下樋で引いて、スクナヒコナに浴びさせた。スクナヒコナは蘇生して起き上がり、長大息して「ほんの少し寝た」と言った。

『小栗(をぐり)(説経)  小栗判官は土葬にされて、三年後に蘇生したが、足腰立たず、餓鬼道の亡者のごとき有様だった。彼は熊野本宮湯の峰に入湯して、七日で両眼、十四日で両耳、二十一日で言語が通じ、四十九日で六尺豊かな姿に回復した。

★3.湯治しても、病気が治らない。

『大菩薩峠』(中里介山)第21巻「無明の巻」  「信州白骨の湯に一冬籠もれば、どんな難病も治る」といわれるので、甲州上野原・月見寺の娘お雪ちゃんは、盲目の机龍之助を白骨へ連れて行き、彼の眼を治そうとする。しかし龍之助の眼は治らず、お雪ちゃんは彼とともに白骨を出て、平湯・高山へと旅を続ける〔*龍之助は一室にこもって人目を避けていたが、炉辺や浴場では、客たちが集まって、文芸や思想をさまざまに論じ合った→〔物語(議論)〕1の第32巻「弁信の巻」〕。

★4.温泉地で、生と死について考える。

『城の崎にて』(志賀直哉)  山の手線にはねられて怪我をした「自分」は、傷が脊椎カリエスになれば致命傷ゆえ、用心のため、城の崎温泉で養生をする。三週間滞在する間に、「自分」は蜂・鼠・いもりの死を見、生きている「自分」をかえりみて、生と死は両極ではなく、それほどに差はないと感ずる。さいわい「自分」は、脊椎カリエスには、ならずにすんだ。

★5.温泉治療で、心機一転をはかる。

『8 2/1』(フェリーニ)  四十三歳の映画監督グイド(演ずるのはマルチェロ・マストロヤンニ)は、新作映画のアイデアが浮かばず、医者の勧めで温泉治療に出かける。大勢の湯治客たちとともに、グイドは鉱泉水を飲み、蒸し風呂に入り、マッサージを受ける。しかしシナリオは、まったく書けない。グイドは、映画の制作中止を記者団に発表する。その時、不意にグイドは幸せな気分を感じる。撮影現場を去ろうとするキャストやスタッフたちを、グイドは呼び戻す。皆は音楽を演奏し、輪になって踊り出す。そのありさまを映画にしようと、グイドは考える。 

★6.温泉の楽しみ。

『論語』巻6「先進」第11  孔子から「思うところを自由に述べてみよ」と勧められて、弟子の曾ル(そうせき)が言った。「春の終り頃、新しい服を着て、五〜六人の若者と六〜七人の少年を連れ、沂水(きすい)のほとりの温泉に浴し、雨乞いの舞台で涼んで、歌をうたいながら帰って来たいものです」。孔子は感嘆して、「私もそう思うよ」と言った。

★7.温泉に入って死ぬ。

『温泉だより』(芥川龍之介)  明治三十年代。大工で巨体の萩野半之丞は、「死後に解剖を許す」との条件で、大金五百円を得る。彼はまもなく放蕩で金を使い尽くして自殺するが、それは、修善寺温泉の独鈷の湯に一晩中つかって心臓麻痺を起こす、という死に方だった。解剖用の身体に傷をつけてはすまない、と思ってのことらしかった。

★8.温泉と男女。

『伊豆の踊子』(川端康成)  二十歳の高校生である「私」と旅芸人一行の一人・栄吉が、宿の湯に入っていると、近くの共同浴場に旅芸人の女たちも来ており、「私」たちに気づいた踊子が全裸のまま走り出て手を振る。それを見た「私」は、踊子がまだまったく子供の身体であることを知った〔*踊子は十七〜八歳に見えたが、実際は十四歳だった〕。

*大学生の「彼」と十一〜二歳の少女→〔指輪〕9の『指環』(川端康成)。

『草枕』(夏目漱石)7  春の夜、画工の「余」が那古井の宿で一人温泉につかっている。その家の出戻り娘・那美さんが、裸身を現して浴室の階段を下りて来るが、湯烟の中、たちまち身をひるがえして階段を駈け上がり、あとには、「ホホホホ」という鋭い笑い声が残った。

『美少女』(太宰治)  甲府に住んでいた「私」は、家内と一緒に近くの温泉部落へ行った。浴場には十代後半の長身の少女がいて、豊かな乳房と固くしまった四肢を持ち、「私」に見られても平然としていた。後日、散髪屋に行くと、少女はそこの娘らしく、鏡に映る「私」をちらちら見た。「私」が笑いかけると、少女は無表情に奥の部屋へ歩いて行った。

『明暗』(夏目漱石)  津田由雄は、清子(*→〔夫の秘密〕2)が流産後の身体の回復のため、或る温泉地に逗留していることを聞く。津田は自身の痔の手術後の保養を名目に、清子の滞在する宿へ行き、なぜ清子が自分と別れたか、彼女の心を知りたいと思う。津田は清子の部屋を訪れ、二人は対面する〔*作者漱石死去のため、『明暗』はここまでで終わっている〕。

★9.温泉で湯浴みする狐。

『白狐の湯』(谷崎潤一郎)  初秋の月夜、山奥の渓流のほとりの温泉。狐に憑かれた角太郎が温泉小屋の窓をのぞいて、「神戸の西洋館にいたローザさんが、お湯に入っている」と言う。角太郎を心配するお小夜が窓をのぞくと、白狐が湯浴みをしていた。ローザに化けた白狐は、「巴里の私の家へ一緒に行きましょう」と言って、角太郎を連れて行く。やがて、角太郎の死体が淵に浮かぶ〔*西洋女性の肌の白さを、月光を浴びた白狐に見立てた作品〕。

★10.温泉があたたかい理由。

『出現』(星新一『どんぐり民話館』)  老齢ゆえ山に棄てられたボンジに、山の主が「温泉はなぜあたたかいか?」と問う。ボンジは「お日さまは夕方に西の穴へ沈み、朝になると遠い東の穴から出てくる。夜の間、お日さまは地下を通るので、その熱であたためられたのが温泉です」と答える〔*山の主は感心し、「老人の智恵は大事にせねばならぬ。お前は山を降りるがいい。良いことがあるはずじゃ」と言う〕。

『パンタグリュエル物語』第二之書(ラブレー)第33章  巨人パンタグリュエルが病臥し、侍医が利尿剤を飲ませたため、パンタグリュエルは多量の尿を排泄した。尿の熱度は高く、尿が流れて行ったフランスやイタリアの諸地方では、現在でもなお冷たくならずにあり、人々はそれを温泉と呼んでいる。

 

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